春 1
照明が落とされた会場内には、緑色のレーザーライトが縦横無尽に走っていた。
録音っぽい音が生演奏へと変わると、会場内の期待と興奮が最高潮になった。
レーザーライトがステージに集まり、白い光が生まれる。否応なしに観客の興奮が引き上げられる。光りがふっと消えて肩透かしをくらったように戸惑っていると、突然雷鳴のような大音響と共にステージ脇から金色の花びらが吹き上がり、白い光がステージに溢れた。
キラキラと舞う花びらを捕まえようと躍起になっていると、悲鳴のような甲高い声援が会場内に響いた。
そちらに目を向けると、白い光の中に二人の男の子のシルエットが浮かび上がったところだった。
私にはどちらが誰だか分かる。たぶんこの会場の誰もが分かることだろう。
背が高い方がカケル、僅かに低い方がカオル。
詳しいプロフィールは公開されていないが、歳は二十代の前半なのではないだろうか。
一ヶ月前に発売されたアップテンポの新曲が流れた。
会場が揺れるほどに観客が身体を揺らし、音の洪水へと身を投じる。
曲に合わせて激しくステージで踊る彼らは自信に溢れた笑顔を崩さない。
カケルがファンを煽るような色気のある流し目を客席に送れば会場全体から狂喜のような悲鳴が上がった。
誰もが自分に視線を送られたと勘違いしていることだろう。
もちろん自分もそんな勘違い女のはしくれだった。
それでもいい、一夜の夢に溺れたい。
◇◇◇
「あー、ちょうかっこよかった……」
昨夜のライブの余韻がまだこの胸の中に残っている。
一緒にライブに行っていた麻里も同様だ。耳にイヤホンをつっこんできいているのはおそらく『K’s』の新譜で、昨夜のライブを脳内再生しているんだろう。
「それにしても、K’sの春ツアータイトルが『ワルプルギスの夜』って……」
「魔女のコスプレしてる人多かったよねぇ」
イヤホンをしていても聞こえていたらしい。麻里が昨夜を思い出すようにヘラっと笑いながら相槌を打った。私と言えば若干げんなりした表情になっていたに違いない。
「だからってさ、脱ぎ始めることは無いじゃない。K’sにも迷惑だよ」
そう、大いに盛り上がった会場内では、かなり際どい魔女のコスプレお姉さんが殆ど下着じゃないの? って格好で踊っていたのだ。それを目撃した私はどこまで脱ぐつもりなのか気になって、おもわずステージを見るのがおろそかになってしまった。
「真面目だなぁ。客席暗かったんだから誰も気にしてないって」
カラカラと明るく麻里が笑い飛ばすものだから、そんなものかと思い直す。だけど。
「……その間のK’sを見逃したのは痛かった」
麻里と昨日のライブの話で盛り上がっていたら、机の脇に人が立った気配を感じた。視界に男子の制服が目に入る。視線を上げていくと、長い前髪に顔の半分くらいを隠し、地味な眼鏡を掛けたクラスメイトの姿があった。彼は申し訳なさそうな表情でおずおずと声を掛けてきた。
「松坂さん、課題のノート……」
「はあ? 聞こえないんだけど!」
私は彼が嫌いだった。
オドオドとした喋り方も、自信なさそうな表情も、上背はあるのに猫背なところも。病弱らしく学校を休むことが多いくせに県内一の進学校のうちでトップクラスの成績を出しているところも。
なによりK’sのカケルと同じ名前なのが気にくわなかった。
麻里が私を諌める声も耳に入らず、私は彼を睨む。彼はますますオドオドしながらも「課題出してないの松坂さんだけだから、提出してくれる?」と蚊の鳴くような声で言って、そそくさと離れていった。
「由紀さぁ、なんでそう好戦的かな。鷹尾君にだけさぁ」
「しらない。あの顔見てたらムカつくだけ」
「そお? キツイこと言われるって分かってるのに鷹尾君って何かと由紀に話しかけてくるよね。鷹尾翔って由紀のこと好きなんじゃないの?」
「はぁ!? なんで! 代わりにレポート集め手伝ってくれる友達いないだけでしょ?」
気色ばんだ私に、麻里は冗談だと笑った。からかわれるにしてもあんな奴となんか気分が悪い。
「由紀もさぁ、鷹尾君に話しかけられるの嫌ならちゃんと課題を期日までに出せばいいのに」
にやにや笑う麻里がうっとおしく思えた。
「うるさいなぁ」
ライブに行ったり、CD買ったりするために小遣いくらいじゃ足らないんだもん。バイト疲れでついうっかり……ね。
「期末テストで赤点とったら夏休み補習だかんね。夏ツアー行きたきゃ、根性入れな」
「わかってるよ」
私は自分が気に入らないからって理由で自分本位で他人にきつく当たってしまう、そんな幼い性格を麻里に知られているみたいで居心地が悪くなって、机の上に広げていた音楽雑誌を鞄のなかにしまうと、席を立った。
私の世界はK’sを中心に回っていた。
だからK’sのライブのためなら補習を回避してやる。そう思っていたのに……。
◇◇◇
「お前……こんな点数取って……夏休み返上だな」
「そんなぁ!」
夏休みを目前に浮足立った校内でただ一人、(おそらく)私だけが期末テストの答案用紙を手に苦い顔をしている担任の前で項垂れていた。
「そんなぁ、っていうがな。お前のせいで俺の夏休みも返上になるんだからな。いい迷惑だよ全く」
今年は部活の顧問も外れたから、家族旅行を計画していたんだがな、とねちねちと責める担任に、それなら補習なしで! と言ってみたが一蹴された。
「ところで鷹尾がなぁ、終業式まで学校に来れんみたいだからプリント届けてくれるか?」
ねちねち責められささくれ立った私に、担任はプリントの束を押し付けた。
「ええ~」
よほど嫌そうな顔をしたんだろう。担任は人の悪い笑みを浮かべた。絶対コイツ、ドSだよ。
「鷹尾はお前と違って成績は問題ないんだが、出席日数がヤバイから補習決定だな。この夏の間に精々仲良くなれ」
そういうと、出ていけとばかりに手を振られたので、しぶしぶと自分の答案と鷹尾翔宛てのプリントの束を抱えて社会科準備室を後にした。
鷹尾翔の自宅は大きなマンションの二十五階らしい。担任が個人情報だから扱いには気を付けろと付け加えて渡したメモに住所が記されている。そんなに大切な情報なら担任が行けばいいのに。
幾つも棟が分かれていて、M棟を見付けるのに先ず右往左往して十五分くらいを費やした。
強い日差しにも負けず、花壇で白いマーガレットが咲いている。
ようやく見付けたM棟の、これまた集合ポストが見付けられず、人に聞こうにもエントランスから人の出入りは皆無だった。
集合ポストに入れるのは諦めて、オートロックの扉の前でインターフォンの機械に向かって部屋番号を押した。
監視カメラとインターフォンのカメラが自分を映しているかと思うと、訳もなく緊張する。
別に悪いことをしているわけではないのだから、堂々としていればいい。
そう思うのに、インターフォンに相手が出るまでの時間が酷く居心地が悪かった。
鷹尾がこんなマンションに住んでいる金持ちの息子だったことに少しショックを受けていた。
「はい……」
すこし掠れた機械越しの声は鷹尾のもので、家族の人なら緊張するなぁと思っていたからすこし安心した。
「松坂です。担任に頼まれたからプリント届けにきてやったわよ」
自分でも呆れるくらい尊大に用件を伝えると、少し疲れたような声で返答があった。
「……ポストに入れておいてくれていいよ」
鷹尾ごときが私に指図するなんて。ポストの位置さえ分かってれば言われなくてもそうするわよ。
「ポストの場所が分からなかったのよ」
偉そうに言う事ではないのだけれど、今さらキャラ変更は出来なかった。微かに笑いの滲む鷹尾の声がした。
「下まで取りに行くよ。……ちょっと待ってて」
けだるそうな声に、病弱な鷹尾の事だから熱でも出しているに違いないと結論づけた。いくら嫌いな奴でも病人に二十五階から一階まで降りて来させるほど私も鬼じゃない。
「持って行ってあげるわよ」
気付いたらそう答えていた。
堅く閉ざされていたオートロックの扉は、静かに開いた。
「ありがとう」
短く礼を言うと、インターフォンからの彼の声は途切れた。
ピカピカと艶を放つ大理石の床にまず度肝を抜かれた。何の仕事をしているのか分からないが、ホテルの受付のようにカウンターに警備員が座っているエントランスを通り、エレベーターの上昇ボタンを押した。すっとエレベーターの扉が開いた。紅色のゴージャスな絨毯がエレベーターのなかに敷かれている。
まるで場違いな私を咎めるような警備員の視線が気になった。
私は招かれた客なんだともし聞かれたらいってやろうと思っていたけど、何事もなくエレベーターに乗り込めた。
階数ボタンを押し、エレベーターは上昇した。二十五階は最上階だった。
やがてエレベーターは目的の階数に到達すると、静かに扉を開いた。
やっぱりホテルの廊下のような通路が目の前に広がる。訳もなく劣等感がシクシクと私を蝕んだ。
「2503……って、ここか」
驚くなかれ、二十五階には三部屋しか存在しなかった。ゆえに鷹尾の家はすぐに見つかった。
表札は出されていなかったから、インターフォンを押す前に何度も間違っていないか部屋番号のプレートを担任に持たされたメモを見比べた。
やがて意を決してそれを押した。心臓は何故か早鐘を打っている。
がちゃりと鍵が外れる音がした。
そしてそこから顔を出したのは、鷹尾ではなかった。
ちょっときつめのキャリアウーマンみたいな女の人が、私に一瞥を送って挨拶もなしに廊下の向こうへと歩き去った。
予想外の出来事に少しの間フリーズをしていたらしい。いつものオドオドした様子で気遣うように鷹尾が私の顔を覗き込んでいた。
「あ……の……松坂さん?」
はっと戻った私は、プリントの束を鷹尾に押し付けた。
ワタワタしながらそれらを受け取った鷹尾は、パラパラと内容を確認し始めた。部屋に戻ってから見ればいいものを質問があるなら今、私に聞こうという魂胆だろうか。
私はそれを遮るように質問をした。さっきの女の人の視線が気にかかったから。いくら私でも初対面の人にあんなにジロジロ見られて気分を害さないわけはない。
一言鷹尾に文句を言ってやろうと思ったのだ。
「さっきの人……お母さん?」
鷹尾の家に出入りするくらいだから母親だと思ったのだ。息子とは全然似ず、性格はキツそうだったけど。鷹尾は始めはきょとんといていたが、質問の意図に気付いたのか私の前で初めて微笑んだ。
「母親じゃないよ。なにか失礼なことしたのかな、ごめんね。後で言っとく」
母親じゃなくて、でも鷹尾の口調からは親しい人間に対する気持ちが溢れていた。先に謝られて、言うつもりだった文句が喉に詰まる。
なんだかムシャクシャしたから、言わなくていいものが口から飛び出した。
「鷹尾、夏休み補習なんだって担任が言ってたよ。夏休みなくなっちゃうね。かわいそ~」
自分の事を棚に上げて、随分意地の悪い言い方をしてしまった。
鷹尾はこてんと首を傾げると、前髪がさらりと横に流れた。思ったよりきれいな形の目が現れて、不覚にも視線が釘付けになる。
「まあ、仕方がないよね。出席日数足らないみたいだし」
いつの間にか鷹尾の口調は、オドオドしたものではなくなっていたが、マンションの雰囲気に完全に呑まれていた私は、あまり気付いていなかった。
鷹尾はプリントの束から数枚を抜き出すと、それを私の方へ向けて見せた。それはご丁寧にもすべての点数が一度に見られるようにずらされていた。
「こんな点数じゃ、松坂さんも夏休み無しかな。かわいそ~」
学校では見せない鷹尾の表情と口調にカッと頭に血が昇った。
担任にバカにされ、夏休みのバイトとライブがフイになったことの悔しさがこみ上げてきて、八つ当たりだと分かっていたけど、鷹尾の胸倉を掴んでいた。
「なによ!! バカにして!」
鷹尾が慌てて謝るのを期待していた私は、余裕ある表情で胸ぐらを掴まれている彼の表情にカッカしていた。
だから……。
「ただいま~、あれ? お客さん? マネージャー帰ったの?」
という暢気な声が背後から聞こえたのを無視していた。
「なんだか楽しそうなことになってるね」
「おい、郁、ニヤニヤしてないで助けてよ」
私を差し置いて会話を始めるもうひとりの方へ顔を向けた。向けて、腰が抜けそうになった。
なぜなら、そこにはK’sのカオルがミネラルウォーターのペットボトルを三本入れたコンビニ袋を提げて立っていたから。