僕がネカマになった訳-7-
集合の合図とともに開かれたポータルゲートへ飛び乗ると洞窟らしき場所へ転送された。
辺り一面には霧らしき靄が漂い、湿った空気が全身にねっとりと絡み付く。足元から漂う土の香りには微かに腐臭まで含まれていて思わず顔を顰めた。
痛覚はセーブするくせに、水気を吸って重くなった服が肌に纏わりつく不快感とか、淀んだ空気がもたらす息苦しさはちっとも手加減してくれない。
それどころか呼吸の度に頭の中が重くなっていく気さえしてきた。
溜息交じりにステータスバーを仰ぐと何やら色合いがおかしい。不思議に思って眺めているとHPがゆっくり、しかし確実に減り続けていた。
「なんかどんどんHPが減っていくんだけど!」
思わずハルトにWis会話を繋げれば「あっ」と息を呑む声が聞こえてくる。
「悪い、清浄の杯が必要だったんだ。今ちょっと無理だから周りの人に分けて貰ってくれ。そんな高い物でもないし、お礼に5千Cltくらい渡せば十分だから」
いや、そんなこと言われてもこの姿で他人に話しかけるって結構ハードル高いんだけど。
だけどハルトは本当にそれどころではないらしく、それで会話は打ち切られてしまった。もしかしたらジャングルと同じようにモンスターを集めている最中だったのかもしれない。
HPの減少は留まる事を知らず、既に3割が黒く塗り潰されている。早くしないと譲って貰う前に死んでしまいそうだ。
さぁて、一体誰に話しかければいい物かと辺りを見回すと、不意に横から細長い瓶が差し出された。
「これ、良かったらどうぞ」
戸惑いながら振り向くと青色の髪をした20代くらいのお姉さんが人のいい笑みを浮かべている。
「えっと、あの」
声を掛けようと意気込んでいた所に声を掛けられ、なおかつそれが年上っぽい女性だったこともあって逆に委縮してしまった。出鼻を挫かれるとはこのことか。
「清浄の杯って言って、瘴気から守ってくれるの。忘れる人も多いから」
瞬く間に取引ウィンドウが開かれ、清浄の杯と書かれたアイテムを5個もドロップされる。
えっと、確か1つにつき5千Cltだったか。二万五千Cltを金額の欄に入力してOKを選択したのだが、次の瞬間にはキャンセルされてしまった。
「気持ちにしても多過ぎよ、これ1個で300Cltくらいだもの。タダっていうのが気になるなら1500Clt貰えれば十分」
そして再び取引ウィンドウが開き、先程と同じアイテムが設定される。言われるがままに金額を設定して取引完了。
「ありがとうございます。渡され忘れたみたいで、助かりました」
「いいの。同じクレリックなんだし、お互い頑張りましょう」
どうやら彼女も僕と同じ育成対象らしい。
「それにしても、どうして私が持ってないってわかったんですか?」
辺りをきょろきょろ見回していた姿が挙動不審にでも映ったのだろうか。
「やっぱりね。貴女……いいえ、カナタちゃんはこのゲーム初めたばかりでしょ。多分今日が初日じゃない?」
もしくは自覚がないだけで田舎から都会にやって来たお上りさんっぽく見えたとか?
「そ、そうです。2時間くらい前に始めたばかりで。どうしてわかるんですか?」
だとしたら由々しき事態だ。至急その原因と対策を練るべく尋ね返す。
「分かるわよ。パーティー機能の使い方もまだ教わってなさそうだったから。ねぇ、視界の左上に自分のステータスが表示されてるでしょ? それ以外に似たようなウィンドウはある?」
左上に視線を向けると、名前やレベル、職業情報に半分まで減ってしまったHPと、最大値まで回復しているMPなどの基本的なステータス情報が浮かんでいる。しかしそれ以外はクリアなものだ。
「いえ、表示されてるのはそれだけです」
「UI設定もまだなのね。どこのギルドに誘われたか分からないけど、そのギルド、ちょっと考え物よ?」
まぁ確かに、ちょっと変な人達は多いかも知れないし、不安もない訳じゃない。でも、あの猪突猛進でお人好しのハルトと気が合った人達なのだ。
「えっと、友達の居るギルドなんですけど」
少し非難めいた口調になってしまったのは友人を悪く言われたような気がしたからだろう。
「ありゃ。ごめんね、悪気があったわけじゃないの。という事は、そんなに大きくないギルドで新規加入者が少ないのかな」
「今居る人達で作ったギルドだって言ってました」
他意がないのは分かったけど、相変わらず指摘がピタリと一致していてちょっと怖いくらいだ。そんなに分かりやすいのだろうか?
「納得。それじゃ新規加入者向けのマニュアルなんかもある筈ないわね」
いや、それは寧ろマニュアルがある方が異常なのでは? と思ったが、お姉さんがあまりにも自然に言うので結局口にはできなかった。
「私とカナタちゃんは同じパーティなの。だからお互いのHPが確認できるんだけど、デフォルトのままだと表示されないのよね」
狩りが始まる前の僅かな時間を利用して、僕はお姉さんからUIことユーザーインターフェイスなるものの設定を教わっていた。
どうやらこのゲーム、ものすごい細かい表示設定が出来る故に、デフォルトでは自分以外に関するものは非表示になっているらしい。
「まずはチャットからね。デフォルトだと選択されてるチャットしか聞こえないし見えないの。設定から『非選択のチャンネルを文字として表示する』を選んで、対象に『パーティー』を追加してみて?」
言われるがままに設定を弄ると、視界の下の方にウィンドウが追加され、チャットログらしきものが表示された。
曰く、このゲームのチャットには5つの『チャンネル』と2つの『通信方式』があるらしい。
特定の範囲内の人に居る人になら誰彼区別問わず届く『オープンch』。
パーティーメンバーだけに届く『パーティーch』。
ギルドメンバーだけに届く『ギルドch』。
レイドパーティーメンバーだけに届く『レイドch』。
指定した相手にだけ届く『ウィスパーch』。
それぞれに対し、普通に喋るだけでいい『音声通話方式』と、仮想キーボードを用いる『テキスト送信方式』が行える。
ただ、2つのチャンネル相手に音声通話を使うのは、電話をしながら目の前の人と別々の会話をするようなものだ。聖人君子はできたらしいけど、普通の人は混乱は免れない。
だからメインで使っているチャンネルのみ音声通話方式に、後の4つはテキスト送信方式になるよう設定されている。
ただしこの時、『選択されていないチャットを非表示にする』設定のままだと大変な事態を引き起こしてしまう。
システムメニューから設定しない限り、『自分が話している』と感じている相手が『選択されたチャンネル』になる為、それ以外の全てのチャットに関して気付けなくなるのだ。
お姉さんの指示のもと表示されたチャットにはパーティーメンバーの会話がずらりと表示されている。
指で弾くようにして一番最初の、パーティーに誘われた瞬間まで遡ると、みんなが僕に挨拶をしてくれていた。
しかしながら、僕はこの時点でハルトと会話していた為、選択されていたチャンネルは『オープンch』である。
その後も『パーティーch』を意識していなかったので『オープンch』のまま、彼らの呼び掛けその他諸々の一切合財を完全に無視して今に至るのだ。
今さらになって冷や汗が背筋を伝う。こんな物まで再現しなくても良いだろうにと軽い現実逃避。
お姉さんが言っていた『考え物のギルド』の意味がようやく理解できた。確かにこれは酷い。ハルトも教えてくれればよかったのにと思ったが、チュートリアルで何か書かれていた気もする。
流し読みしたのは失敗だった。実際にやって見なければ分からない事もあるのだ。早くゲームをしたくて気が競っていたのが全ての原因なのだろう。だとすれば、悪いのは僕な訳で。それどころか親切心にも警告してくれたお姉さんへ全くの勘違いで非難の言葉を浴びせかけてしまった事になる。
震える手でチャンネルの選択を『オープンch』から『パーティーch』に変更。
「うん、まぁなんていうか……。南無?」
お姉さんの生暖かい視線に見守られる中、僕の記念すべき『パーティーch』第一声は泣きたくなるくらい情けない謝罪の言葉だった。
今この瞬間だけは自分のアバターが儚げな少女で良かったと思う。
パーティーメンバーの皆は返事をくれない僕を最初は男避けか何かだと思っていたらしい。
女性比率が少ないネトゲでは頭と下半身が直接繋がっている、直結厨というのが存在するらしく、下手に接するとしつこく絡まれるので最初から相手にしない事もままあるそうだ。
初回の挨拶がないのも良くある事なのでそういう人なのだろうと気にも留めなかったらしい。
おかしいと気付いたのはこの洞窟に来てからだ。UI設定から『パーティーメンバーの状態を表示する』に設定すれば他のメンバーの名前やHPといったステータス情報が表示されるようになる。
瘴気によって削られていく僕のHPにはすぐに気付いたそうだ。
死なれても起こすのが面倒なので何人かが『清浄の杯あるよー』と言ってくれたのだが、これもガン無視。
今さら他人に頼る気になれないのかとも考えたそうだが、それにしては助けを求めるように辺りを見渡していた。
この時点で『パーティー会話が見えていない可能性』に行きついたらしい。
勘違いを防ぐ為にで唯一の女性メンバーだったお姉さんがオープンchに切り替え、皆の代表として僕に話しかけてくれた、というわけだ。
せめてもの幸運は、同じパーティーの彼らが僕の謝罪を温かく迎えてくれた事だろう。
「初心者なら1回はハマる罠だから気にしなくていいよ」
「寧ろここで気付けてよかったじゃん。俺、ギルド入って暫くはギルメンの会話ガン無視してたもん。目の前に居る時は賑やかなのに普段は喋らないんですねって言われてやっと気付いたわw」
「あるあるwww」
「あり過ぎて困るwww」
「つかチュートリアルが分かりにくいんだって」
「まるっきり契約書か取扱説明書だもんな。あんなん読んでられるかっての」
しかも彼らは僕と違い初心者でもなかった。
どうしても足りない支援と付与術師を補うべく、今まで育ててきたキャラクターを削除して作り直している最中なのだとか。
そもそもこの集まり自体、起源は大手ギルドが作り直した支援と付与術師を手っ取り早く育てようとしたのが始まりらしい。
ただ、大手ギルドと言えども単体ではメンバー同士の日程が合わなかったりして中々大規模な育成が行えない。
そこに目を付けたお茶会が幾つもの大手ギルドへ交渉を行い、多数のギルドに少数の人手を捻出させる事で不足しがちな人手を補う手法を確立した。
後に支援と付与術師に限定して、参加料を支払えば一般参加も出来る仕組みも取り入れられ、今の僕がその恩恵に与れているということらしい。
「お茶会ギルドって凄いんですね」
「えぇ、本気でえげつないわよ。特にマスターの帽子屋が曲者ね」
僕は素直に感心したのだが、どうもお姉さんの中の印象は違うようだ。
「あのイカレ帽子屋、私達のギルドからも参加費用を取ってるのよ。ギルド単体で育成するよりは楽で効率も良いから支払ってるし、金額もそこまで大したものじゃないけど、このイベントに参加してるギルドの数を考えたらそれだけでひと財産よ。しかも徴収したお金は初心者向けの講座で経費として使われるとか喧伝してくれちゃってるおかげで、評判を気にする大手としては値引き交渉もできない。後続を育てる為だもの、私達だってそのくらいの懐の広さはあるわ。でもね、経費として使ってるですって? 自分のギルドで主催してるんだから経費って名目で幾らでも金庫に移せるでしょうが! この世界なら帳簿を公開する必要なんてないんだもの! でも表立って批判も出来ないのよ、ムカつくけど、あいつらが初心者向け講座を開いてるのは事実だしね」
よほど鬱憤が溜まっているのか、早口で一気に捲し立てた後も息を荒げている。だけど話を聞いた限り、取り纏めているのはお茶会なのだから、調整費とかの名目でお金を取るのは間違っていないんじゃないだろうか。
「そんなに常識から外れた行為なんでしょうか」
思いがけず滑り出てしまった疑問にしまったと思った時は遅かった。お姉さんは僕の指摘に目を丸くする。
あれだけ言うからには何かしらの確執があったのだろう。折角気にかけてくれたのに不快な気分にさせてしまっただろうか。
「えぇ。少なくともこの一件に関してはカナタちゃんの言う通りよ」
思わず謝罪の言葉を口に仕掛けた瞬間、お姉さんはどこか嬉しそうな、楽しそうな笑顔を浮かべる。
「これだけ大規模だもの。出発前にあったような騒ぎだって起こるし、その時に恨まれ役を買って出なくちゃいけないのはお茶会って事を考えれば正当な報酬だって言い切るのも悪くないわ。少なくとも私は彼らを支持するでしょうね」
先程と打って変わった論調に首を傾げる。なら、何がお姉さんをあそこまで掻き立てたのだろうか。それは聞かずとも自分から話してくれた。
「私が気に食わないのはね、報酬なら報酬だって堂々と言い張ればいいのに、初心者の為だと偽って徴収していること。いいえ、確かに講座を開いてるから完全な嘘って訳じゃないわ。でも、満額を初心者の為に投資してる訳でもないの。彼らは自分達の利益の為に初心者を利用して、稼いだ分だけを綺麗に還元してる。そういう回りくどくて小賢しい手管が気にくわないって感じかな」
なるほど、このお姉さんはまっすぐなものが好きなんだ。
確かにお茶会は初心者と言う存在を盾にしているのかもしれない。でも、それで初心者が何か困る訳でもない。寧ろ、講習で助けられている人の方が多いだろう。だから初心者は損をしていない。
お姉さんとしても、これだけ大規模なイベントを管理・運営してくれているお茶会に参加費を払うこと自体は納得しているし、助かってもいる。だからお姉さんも損をしていない。
もちろんお茶会だって初心者からは感謝を、大手ギルドからは参加費を貰っているのだから損なんてする筈がない。
「誰も損なんてしてないから、お茶会も捻くれた徴収なんてしなければいいってことでしょうか」
「そんなところよ。実を言えばお茶会ってこれ以外にも色々と手広くやってるから、些細なことが目に付いちゃうっていうのもあるんだけどね。……って、私なに言ってるんだろう。ごめんね、初心者相手に話すべき内容じゃなかったわ」
「いえ、面白いお話でしたよ」
お姉さんには心底申し訳なさそうに言われたけれど、ネトゲには本当に人と人との繋がりがあるんだなって実感できた瞬間だった。
「ねぇ、こんな話の後に難だけど、もしよかったら私のギルドに入らない?」
「へ?」
脈絡のない突然の勧誘に思わず間の抜けた声を上げてしまった。
「他にも3人女の子がいるから居心地はそう悪くないと思うわ。たまに下ネタが飛ぶけどうざかったら黙らせるから」
時間がなくて加入こそしていないものの、既にハルトのギルドに入ると約束している。そもそも、お姉さんだって知っている筈なのだけれど。
「すみません。もう友達のギルドに入るって決めてるので」
ハルトにここまでして貰ってはいさようならとか、人としてどうかと思うし、何より女の子3人なんてネカマがばれる未来しか見えない。興味がないといえば嘘になるけど、パンドラの箱に手をかけるようなものだろう。
「あぁ、そうね。そうだったわ、すっかり忘れてた。ごめんなさい。移動するつもりなんて……ないわよねー。リア友相手じゃ流石に勝ち目ないもんなー」
さも残念そうにがっくりと項垂れた。
「やっぱり支援不足なんですか?」
出会ったばかりの自分が誘われる理由なんてそれだろうと思っていたのだけれど、お姉さんはぱたぱたと手を振って見せた。
「違う違う。居るに越したことはないけど、カナタちゃんを誘ったのは私が惚れたからよ」
「ほ、惚れたって……」
女の人にそんな事を言われたのは初めてで、ここがゲームの中だと、自分が女の子のアバターだったから言ったのだろうと分かっていてもドキっとする。
「だってねー。初心者なのに私がお茶会を批判した時、冷静に分析して疑問を返したでしょ? それって支援として、ううん。人としてとっても大切な能力よ。あぁ、欲しいなー。カナタちゃん欲しいなー」
そのまま両手でぎゅっと抱きしめられてしまい思わず固まる。それを『別にかまわない』と取ったのか、お姉さんのスキンシップは留まる事を知らず過激になっていく。
強く抱きしめられると顔が柔らかな脂肪の塊に埋もれ、ほんのりと甘い香りが鼻腔をくすぐる。さっきまで腐臭ばかり嗅がされたせいかうっとりするくらい心地良い。
ゲームのアバターであっても、身体の柔らかさは現実と変わらないだろうか。触った事なんてあるわけないからハッキリとは分からないけど。
やがてお姉さんは十分に堪能したのか、名残惜しくも解放されてしまった。
「ごめんなさい、息苦しかったかしら」
描画エンジンの限界に挑むが如く紅潮した僕の頬を見てお姉さんがぽつりとそう漏らす。いいえ、嬉しさと気恥ずかしさとばれたらどうしようと言う背徳感の成果です。言わないけど。言えないけど。言えるはずないけど。
「ギルドは振られちゃったけど、フレンド登録くらいなら良いでしょ?」
ぴこん、とウィンドウが開き『リア様からフレンド登録の申請がありました。許可しますか?』と表示される。
今さらだけどお姉さんはリアという名前らしい。ここで断るのも変な話だったので流れに身を任せ『はい』を押すと、リアさんは小さなガッツポーズを決めてから、恥ずかしそうに握りしめていた手を振り解いた。
「良かった。断られたら泣いちゃうところだったわ」
冗談っぽく笑みを浮かべると不意に手を差し伸べられる。
「ちょくちょく声かけるけど、気が乗らなかったら断っていいから。でも偶には絡んでくれると嬉しいかな。私も司祭志望だし、分からないことがあったらなんでも聞いてね」
年齢も性別も知らない人とでも、同じゲームを遊んでいるというだけで仲良くなれるのがオンラインゲームの醍醐味だとハルトは話していた。
多分、ギルドメンバーの5人と出会った時のハルトもこんな感じだったんじゃないだろうか。
「はい、ありがとうございます」
だから僕は心からの笑顔でリアさんの手を握り返した。