僕がネカマになった訳-6-
「では初めに今回の狩りについて説明する。ここはレベル30前後のパーティー推奨エリアだ。本来、諸君らのレベルではとても太刀打ちできない。しかし、方々に散った前衛達がモンスターを集めながらターゲットを固定しておくし、我々も全力で諸君らをサポートする。だから安心して、力の限り攻撃を続けてくれたまえ。このエリアのモンスターは総じて火属性に弱く、うんざりするほど数が多いが、なに、すぐなれるさ。万が一死者が出たら全体チャットで申告するように。すぐに蘇らせるからな」
白ひげを蓄えた老齢のアバターはそういい切ると快活に笑う。
「うむ、早速第一陣が帰ってきたようだ。詩人と表現者は合奏スキルを発動せよ!」
彼の号令の元、20人ものプレイヤーが一斉に楽器を構え、かき鳴らし始めた。壮大なオーケストラが当たり一面に響き渡る。
10人からなる『収穫祭の狂詩曲』、6人からなる『精霊達の回旋曲』、4人からなる『火龍演舞』。
それぞれ、モンスターからの獲得経験値を倍化する効果と、消費MPを大幅に軽減する効果と、炎属性攻撃の威力を大幅に強化する効果を持つ。
どれもこれも発動には多数の演奏系職業と対応した楽器及び特定のスキルが必要になるので、ユーザー主催の演奏イベントくらいでしか耳にする機会はなく、実戦で恩恵に預かれるのはこうした低レベル向けの育成イベントくらいらしい。
「来たな。各員、魔法攻撃用意!」
遂に僕等の出番がやってきた。遠くから聞こえる地響きの音は段々と近づきつつあるようだ。やがてそれがある境界を越えた瞬間、土石流のような質感を持って視界内に雪崩れ込む。
赤ん坊を目一杯しわくちゃにした顔と、50センチに満たない小さな身体。
壊れた剣や錆付いたナイフを片手に、土煙を上げながら前方を走る騎士を追いすがる彼らは森に住む小鬼とも呼ばれるゴブリンだ。
個々の能力は大柄なオークと比べれば圧倒的に低いのだが、個人技で攻めてくるオークと違い、群れで襲い掛かる上に多少の知恵まで備えているので囲まれると簡単に転がされるなかなか油断のできないモンスターである。
「まだだ、まだ引き寄せろ! ……ようし、放て!」
幾人かのプレイヤーはノリノリに『イエッサー!』と返しながら、数十はいると思われる一団に向かって次々に魔法を放ち始める。
幾つかは前を走る騎士に当たってしまうが、このゲームは通常フィールドにPvの概念がないので味方へのフレンドリーファイアも発生せず、鎧に触れると同時に淡い光となって飛び散った。
ただ、破壊不能オブジェクト扱いになっているらしく、味方に当たった魔法は敵まで届かず消えてしまう。
敵も数十なら、こちらの火力も数十である。特に【火精霊の指輪】から放たれるファイアーボールは範囲攻撃なので、固まっている敵を実に爽快に吹き飛ばしてくれた。
ちょっと癖になりそうな爽快感。魔法職が人気なのも頷ける。
幾重にも重ねられた爆炎と土煙が世界を塗り潰す中、そこかしこから軽快なレベルアップ音が鳴り響く。
かくいう僕も、たった一度の攻撃でレベルが2つ分上がっていた。
クレリックに転職する時だって、最後の1レベルはそれなりに上がり難かったと言うのにちょっと意味が分からない。
「そうだ、その調子だ! 次は3人同時に戻ってくるからな、気張っていけ!」
そう言われるなり、北と南と西から同じく大量のゴブリンを引き連れた一団が地響きを奏でながら近づいてきた。
しかしそれも一瞬のこと。集められたゴブリンは合流のタイミングで見事なまでの連携により綺麗に纏められ、僕等の魔法が密集する一団へと降り注ぐ。
単体攻撃と違って範囲攻撃はモンスターの数が多くても倒すまでに必要な時間は変わらない。
たった数秒で集められたモンスターは蒸発し、うるさいくらいのレベルアップ音がジャングルを震わせる。
先ほどの3セットで追加レベルアップ4。時間にしてたった10分の内にレベルは16まで達していた。
確か、ハルトと一緒にウサギを狩った時は最後の1レベルを上げるのに5分くらい掛かっていたはず。
レベルが上がるにつれて必要経験値が加速度的に増えていくのを考えると、効率百倍に嘘偽りはないらしい。
「次は6人同時だ、左右で分かれて殲滅する! 中心より東側と西側に分かれろ! よく分からない奴は適当に撃つべし!」
「アイアイサー!」
先ほどからひっきりなしに前衛がモンスターを引き連れてくるので息つく暇なんてありゃしない。
団長が矢継ぎ早に支持する方角に向かって、とにかく魔法を連打し続ける作業は思ったより忙しいけど、誰一人として例外なくわんこゴブリンとでも言うべきイベントを楽しそうに食らい続けていた。
あれから何度応酬を続けたのか覚えていないが、既にレベルは35に達している。
30が適性狩場だと言っていただけあって、当初のレベルアップ速度は見る影もない。
それでも十数分あればレベルが一つ上がってしまうのだからもう乾いた笑い声しか出なかった。
どうやら『収穫祭の狂詩曲』による経験値の倍化のおかげでレベル50台でも通用する経験値になっているらしい。本当に恐ろしいまでの効果だ。
「よし、全員レベル30を超えたな。これより街へ転移し、20分の休憩を取る!」
どうやら適正レベルに達した時点で狩場の難易度を引き上げるようだ。本当にどこまでも効率に妥協しない集団である。
ポータルゲートを潜ると酷く場違いなところにいる気がしてきて不安になり、先に戻ってきていたギルドメンバーの輪に近づく。
「お、どうだ? レベルは上がったか?」
女性型アバターが少ないおかげか、近づいてくる僕に気付いたハルトが声を上げた。
「うん、おかげでもう38。正直、これで本当に良いのかなって気もしてきた」
レベル上げを只の作業に過ぎないと言う人もいれば、経験を積む場だと言う人もいるのは、事前に見たWikiの掲示板で論争になっていたスレッドがあったから知っている。
僕にはどちらが正しいのかなんて分からない。なにせ、ろくな知識もないままこのレベルになってしまったから。
「カナタは昔から何でも『とりあえずやってみる』だったもんな」
「ハルトに振り回され続けた結果の、妥協みたいなものだけどね」
乾いた笑い声を漏らすあたり自覚はあるのだろう。それ以上追及される前に素早く話題を繋げた。
「だけどさ、クレリックのレベル上げは本当に苦行なんだよ。経験を積むもなにも、積ませてくれる相手が居ないんじゃ手の施しようがないだろ?」
もう少し弄っても良かったのだけれど、ハルトの説明には前から疑問を感じていたので大人しく流されることにする。
「気になったんだけどさ、クレリックって本当にそこまで言われるくらい役立たずなの?」
火精霊の指輪で魔法攻撃をしているおかげもあるんだろうけれど、言われるほど弱いとは思えないのだ。
手に入れたステータスポイントを全てIntに割り振っている上、ハルトから借りた強化済みの杖まであるおかげで、ゴブリンへのダメージは結構な値になっている。
レベルアップでHPとMPが全回復する仕様とはいえ、あれだけ魔法を連打してもMPが尽きる気配だってなかったし。
「そうだな。よし、じゃあ支援スキルを振ってみるか」
「え、でも良いの? 何をとればいいのかよく分からないんだけど……」
このゲームは基本レベルと職業レベルの2つがあり、個別に経験値を獲得できる。
基本レベルが上がるとステータスを上げられるステータスポイントが増え、職業レベルが上がるとスキルを覚えられるスキルポイントが増える。
基本レベルは転職しても変わらないが、職業レベルは転職すると1に戻るので、再びレベルを上げてスキルポイントを獲得し、上位職のスキルを覚えられるのだ。
そしてこの2つのポイントは『やりなおし』が効かない。
一度ステータスやスキルを割り振ってしまったら、もう二度と元に戻す事は出来ないのだ。
だから絶対に間違いのないよう、入念な計算とシミュレートのもと、慎重に設定する必要がある。
ハルトからもクレリックは上位職の前提スキルの関係上、スキルポイントを一つも無駄に出来ないから、レベルが上がっても絶対に何も取るなと厳命されていた。
「大丈夫だ、俺の言う通りに取得すれば良い。クレリックはポイントを1も無駄に出来ないけど、逆に言えばそれ以外の選択肢がないから悩まなくてもいいって事だしな」
スキルの取捨選択には職業毎にある程度のテンプレートが存在する。
ハルトはゲーム内ブラウザで攻略サイトを立ち上げながら取得するスキルの名前を告げた。
「まずは基本中の基本、回復のレベルを最大まで。次に強化も最大まで。後は速度強化も最大まで。それが終わったら四大属性のレジストが出現するから、全部2まで取得するように。とりあえずはここまでだ」
万が一にも間違えたらキャラ削除後に再育成だとさんざ脅されているので、何度も何度も確認してからスキルを取得し、OKボタンを押す。
これでスキルの習得が完了、スキルリストから使用するか、使おうと思いながらスキル名を唱えれば発動するらしい。
「んじゃ、とりあえず俺に強化と速度強化、それから回復3発使ってみ?」
「おっけー。【リインフォース】! 【ヘイスティ】! 【ヒール】【ヒール】【ヒール】……あれ?」
僕がスキル名を発する度にハルトの身体が淡い光のヴェールに包まれるのは幻想的で一向に構わないのだけれど、何故かMPのバーが異常なまでに減少している。
「さっき魔法を連打してもMPが尽きないって言ってたよな? あれはあくまで【精霊達の回旋曲】っていう合奏スキルがあってこそなんだよ」
僕の疑問を察したのだろう。ハルトがすぐに解説を入れてくれた。
「そんなに凄いスキルなの?」
「そりゃそうだ。詩人が6人も必要で、なおかつお互いの取得スキルが合致してないと発動すらできないからな。確か、消費MP8割カットとMP回復速度4倍だったか」
「な、なにそれ凄い……」
獲得経験値が2倍になる『収穫祭の狂詩曲』といい、【合奏】スキルはどれもこれもこんな凄まじい効果ばかりなんだろうか。
「でもそれなら、将来的なパーティーだとMPには困らないって事にならない?」
「んなわけあるか。確かに効果は凄いけど、詩人が6人も行動不能になるんだぞ?」
経験値やドロップしたアイテムをパーティー全員で平等に分配するなら、人数を減らすほど利益も増える。
今のところは前衛、中衛、後衛、支援を一人ずつ揃えた4名単位が最も安定する鉄板構成らしい。
【精霊の回旋曲】の恩恵に与りたいが為に中衛である詩人を6人も加入させたりすれば、パーティー人数は単純計算で24人まで膨れ上がるのだ。
勿論、職構成は狩場によって微調整が必要になるし、前衛や後衛の数も少しくらいなら調整出来るが、通常のパーティー募集が8人程度で纏まっている事を考えれば過剰と言わざるを得ない。
実際、この規模になると一つのパーティーの人数上限である12人に収まりきらないので、パーティー同士を連結するレイド構成にせざるを得ず、高難易度のボス狩りを想定しているような布陣になってしまう。
たとえ無制限にMPを使えたとしても、これだけの人数で経験値やドロップを分配すれば一人当たりの取り分は大幅に減ってしまい、8人程度のオーソドックスな構成の方が効率は良くなってしまうのだそうだ。
世の中ままならない物である。
「なるほど。え、じゃあ何も掛かってない今がクレリックの本当の実力ってこと?」
「そ。んで、基本支援ワンセットにたった3発の回復魔法を使った今の気分は?」
呆気に取られている僕に向けて、ハルトは事もなげもなく頷いて見せた。
ステータス画面を見やれば最大値だった筈のMPはたった5回の魔法で実に7割近くも減少している。
「……MP回復の時間が欲しいです」
回復速度も先ほどまでとはまるで比べ物にならず、完全回復には5分以上掛かりそうだ。これでは確かに足手まとい以外にはなれそうもない。
あまりの落差に正直げんなりした。
「ちょっとバランス酷すぎない?」
「みんなそう思ってるし、実際に運営に要望も送ってるんだけどな。改善する気配は今のところない。だからこういうイベントが出来たんだよ」
ゲームを始めたばかりの僕でさえそう思わざるを得ないのだ。当然、多くのプレイヤーが同じ意見を抱えている。
運営はこの状況を適切だと判断しているのだろうか。
案外まことしやかに囁かれている噂が的を射ているのかもしれない。運営の闇もまた深いと言ったところか。
「すみませーん、次の狩場の役割分担をするので引率者の方は集まってくださーい!」
管理官の呼び掛けに休んでいたプレイヤー達がぞろぞろと集まりだした。
「おっと、もうそんな時間か。悪いな、ちょっと行ってくる」
「ん、行ってらっしゃい」
僕達はもう少しだけのんびりしていても良いみたい。
邪魔にならないよう、集団から少しだけ距離を取るとそれだけで人影はまばらになる。
元から引率者の方が僕達育成対象の倍以上も居てくれるのだからそれも当然か。
辺りを見渡すと元から知り合いなのか、ここに来てから知り合ったのか、何人かで纏まって雑談に興じている人達が多い。
男キャラなら躊躇なく混ざってみただろうけど、ネカマに甘んじている身としては中々ハードルが高そうだ。
なにせ、未だハルトのギルメン達とも満足に話せていない。せめて話しかけてくれればなんて受身な事を考えるけれど、ハルトの手前遠慮しているのか機会に恵まれなかった。
よし、次はちゃんと話しかけてみようと心に決めた、瞬間。
「これは見事なクレたんでござるな!」
既視感を感じざるを得ない特徴的な口調をした誰かに文字通り振り回された。
「な、な!?」
腕を取られコマのようにくるくる回されたかと思えば、ぱっと手を離されバランスを崩しその場に尻もちをつく。
現実だったら鈍い痛みに襲われるところだが、ここはゲームの中。多少の不快感を伴う衝撃があっただけで身体に異常はない。
しかしあまりに唐突な事態について行けず、尻餅をついたままの体勢で声のした方をぽかんと見上げる事しかできなかった。
一瞬、言葉遣いからしてギルドメンバーのサスケさんの悪戯かと思ったが、身に付けている装備も声も体格も全然違う。完全に見知らぬ別人だ。
「おぉ、白とは中々分かっているでござるな!」
目の前では江戸時代の人が使っていたような、藁で編まれた円錐状の傘を頭に被り、目元が分からない仮面をつけた誰とも知れない不審者がくつくつとおかしそうに笑っている。
というか、白って何の事だろうか?
彼の視線を辿る形で目線を下げると、尻餅をついた時の衝撃で盛大に捲れ上がったスカートの裾がこれでもかとばかりに中身を晒していた。
「ひぃっ!?」
現状を理解した瞬間慌てて立ち上がるべく力を入れるが、体勢が崩れているせいかすぐには持ち上がらず、咄嗟に立てていた膝を寝かしつかせ、捲れてしまったスカートを抑え込む。
まるで女装しているのを暴かれたかのような、意味の分からない理不尽な気恥ずかしさに顔の火照りが止まらない。
「なにするんですかっ!」
それを誤魔化す為に、或いは発散する為に、原因である不審者に向けて怒りの丈を叩き付けた。
「なんという初々しい反応! 拙者思わずきゅんきゅんきたでござるよ! 笑顔の女子も良いでござるが、怒った顔の女子もそれはそれで良い物でござるな。これぞ眼福にござる」
しかしながら不審者は謝罪どころか反省する素振りすら見せず、してやったりとばかりに開き直ってからからと笑ってすらいる。
あまりに常識から外れた行動に、気恥ずかしさが一気に怒りへとシフトした。
そもそも、この不審者は一体誰なんだ?
「ほほぅ、拙者の事が知りたいでござるか。良かろう、ならば名乗らぬ訳にはいかぬでござるな! 拙者の名は三日月ウサギ、お茶会最強の暗殺者にして影のマスターにござる!」
まるで心を読んだが如く自己紹介を始めた三日月ウサギなる人物に益々の不信感が募った。そもそもお茶会のマスターはあの礼儀正しい帽子屋さんだった筈。
いや、影のマスターを自称している辺り、空気の読めないお調子者といったポジションなのだろうか。
ならば今一度社会の厳しさを教えてならねばなるまい。元より先に手を出された身。こうなったら徹底抗戦の構えも辞さない覚悟である。舐められたまま終われるものか。
だが攻撃ならぬ口撃に移るより早く、ぺたりと座り込んでいた身体が全く抵抗を感じさせない繊細さでふわりと浮きあがった。
「まったく、何をしに来たかと思えば……。申し訳ございません、この万年発情ウサギになにかされませんでしたか?」
先程から唐突な事態ばかりが身に降りかかるせいで、いい加減に脳の処理が追い付かなくなってきた。
それでもどうにか、帽子屋さんに抱き起こされているという訳のわからない状況だけは理解する。
どうしてここに居るのかとか、男に、それも小柄な少年のアバターに抱き起されるのは精神的にげろげろげーなうえ情けないのでさっさと離して欲しいとか、折角思いついた罵詈雑言の限りが頭から吹き飛んだ責任はどうとってくれるとか、言いたい事は山のようにあるのだけれど、そのせいで逆に何から言えばいいのか分からず舌がもつれてしまい、表面上は言葉を失っていた。
仕方なく本気で離してくださいと目で訴えても、帽子屋さんはそれをどう受け取ったのか、安心してくださいとばかりに微笑まれるばかりで理解も離してもくれない。
それどころか僕の身体を労わるように引き寄せながら、鋭い視線を三日月ウサギへ突きつけて言い放つ。正直顔が近いので勘弁してほしい。
「貴方と言う人は……。そろそろ一度、悪ふざけで済む範囲を躾ける必要がありそうですね」
しかも勝手に何かが始まりつつあった。もう本当になんなのこれ。一体何が始まるのです? 大惨事世界大戦かなにかで? 寧ろ大惨事なのはこっちの方なんですけど。正確には僕だけなんですけど。
あっさり転ばされ、スカートを覗かれ、抱き起こされ、気付けば一触即発の雰囲気。
悪役からお姫様を救いに来た王子みたいな構図は王道と言えば王道なのかもしれない。お姫様役が僕じゃなければ、だけど。
うん、やっぱり僕には心の底からネカマを演じるのなんて無理そうだ。程々に頑張ろう。
男にベタベタと馴れ馴れしく触れられるだけでも正直げんなりしてるのに、このうえ言い寄られでもしたら精神がもたない。
とりあえずまずは落ち着くところからだ。幾度か深呼吸して肺の中に空気を取り込む。これなら舌がもつれる事もないだろう。
「あの、もう離して……」
「はっ! 腰抜けのスニーク風情がいきがるなでござる!」
「おやおや、毒の使い過ぎで脳まで犯されましたか。可愛そうに」
ようやく出てきた言葉なのに白熱した二人はそっちのけで言葉の応酬を繰り返していて、僕に気付く気配は欠片ほども感じられない。
……そういうのいいから人の話を聞いてください。
「はいはい、その子嫌がってるでしょ。帽子屋はさっさと離してあげなさい」
新手の登場にこれ以上この場が拗れるのではないかと一瞬ドキリとしたが、なんてことはない、ただの救世主だった。
金色の長い髪を水色のバレッタで緩く纏め、青と白のエプロンドレスを身に纏った帽子屋さんと同じくらいの外観をした可愛らしい少女が、睨み合っていた三日月ウサギと帽子屋さんの間に立つ。
「これは失礼致しました。彼以外に触られるのは不快でしたね」
とんだ勘違いだったが、激情のままに否定すれば疑惑を肯定するようなものだ。内心穏やかではないものの、どうにか平静を保って言い返す。
「ですから、そういう関係ではないんですって」
「分かりました。ではそういう事にしておきましょう」
効果はいまひとつのようだ! というメッセージが脳内で再生された気がした。意味深な微笑みからして絶対に分かっていまい。
が、これ以上言及しても相手を冗長させるだけだ。内心のイライラを必死に押し殺すものの、一部は表に出ているのかもしれない。救世主たる少女には怪訝な顔をされてしまった。
帽子屋さんは礼儀正しい人なのかもしれないが、勝手に勘違いして納得するお爺ちゃんみたいな性格なのだろう。
そう、彼の現実はきっとお爺ちゃんなのだ。そう思えば傍迷惑な勘違いもギリギリ許容できる……気がする。
「ウサギさんも、転ばしてスカートの中を見るなんて完全に通報対象よ」
腰に手を当て、自分より頭一つ以上も大きな三日月ウサギに説教する少女の姿は実にシュールなのだが、対する三日月ウサギの方は驚くべきことに本気で頭を下げていた。
「申し訳ないでござる……。セシリアたんのアバターに雰囲気が似ていたのでつい。中途半端なコピペ劣化の有象無象には吐き気を催してきたでござるが、雰囲気を踏襲しつつもそれを超えようとする気概や創意工夫があちこちに光るこのアバターを見ていたら、どうしても見えない部分まで見たくなったでござるよ。いや、完璧でござった。この出来栄えは誇っていいでござる。あのセシリアたんにも勝るとも劣らぬ造形美。数多のアバターを観察してきた拙者が保証するでござるよ」
そっか、下手に有名なアバターを参考に使うと変人に巻き込まれるリスクも高まるのか。
というか、そんな変人の保証を貰っても全然嬉しくない。なのに、後ろの2人が驚いたって表情なのが本っ当に気に食わない。
「拙者、可愛らしいアバターを見るとどうしても手が出てしまうのでござる。どうか許されよ」
「……もう二度と関わらないで頂けるなら」
誰がどう聞いても完全なる開き直りで、誠意もへったくれもあったものじゃない謝罪ではあったが、背に腹は代えられない。それにしたって、あの少女への謝罪の際に見せた誠意の1%くらいはあってもいいんじゃないだろうか。
「全く……本当にごめんなさい。後できつく言っておくわ。私はアリス。これでもお茶会の中では古参だから、私のいう事なら素直に聞くし」
もしかしたら、そんな内心の不満が表情に出ていたのかもしれない。
救世主たる彼女にここまで丁寧な謝罪をされては水に流すしかなかった。
「人様に手を出すくらいなら私が相手になるっていつも言ってるじゃない。それとも、私のアバターは全然ダメってこと?」
もしかして意外と仲が良いのだろうか。ずずいと迫るアリスさんに、三日月ウサギは酷く狼狽していた。
僕のアバターより少しだけ幼い雰囲気があるけれど、そう変わらないくらいの外観だと思う。
古参と言うだけあって、最初期アバターなのかもしれない。金糸のような髪は若干の荒さも残っているが、装飾品で上手く補っているので最新型のアバターと比べても遜色ないだろう。
薄青の瞳も、形のいい眉も、ほっそりとした肢体も、高いレベルで綺麗に纏まっていて可愛らしく、少なくとも僕にはダメなところなんて何一つ見つけられなかった。
先のやり取りを鑑みれば、他人の罪を代わりに謝れる性格からしても、悪い子には思えない。
寧ろこっちの方がお近づきになりたいくらいだ。いや、ネカマに甘んじる以上、男女の差異に敏感であろう本物の女性とお近づきになるなら生半可な覚悟では利かないのだけれど。
「ダメな訳ないでござろう。寧ろ外観的にはクリティカルでござるよ!」
それが常套句なのか本音なのかは分からないが、アリスの外観はまだ義務教育課程の幼い少女な訳で、ロリコン疑惑まで湧いて出てしまった。帽子屋さんから万年発情期と評されるだけあって、性犯罪の役満でも狙っているのだろうか?
「なら私で満足なさい。この世界で出来る事なら何でも付き合ってあげるから」
大胆な発言にも思えるが、このゲームにはR18展開、いわゆるえっちい機能なんて何一つない。
人に触れられる感覚にしたって、現実のそれと比べると遥かに大味な調整が加わっているし、性的な快感は得られないよう制限がかけられている。
三日月ウサギが僕にしたような小学生の悪戯程度が精々なのだ。それにしたって、ハラスメントとして通報されれば最悪アカウント剥奪になりかねない。
とはいえ、三日月ウサギがこの条件になびかないのは不思議だった。
「アリス殿の隣は予約済みの指定席でござろう。生憎と手に入らない物を望むつもりはないでござるよ」
そしてここに来て更なる新事実発覚、どうやら彼は世間的に処女厨と呼ばれている人種でもあるらしい。
それだけでも恐ろしいのに、彼は急に真面目な顔でこう告げた。
「ただ、アリス殿の為なら拙者は命くらい捧げる覚悟でござるが」
何それ寒いと思ったのは僕だけじゃないらしい。当のアリス本人も呆れた様子で溜息を吐いている。
「なに言ってるの。ダメよ、それがなくなったら、本当に終わっちゃうんだから」
「はは、それでアリス殿が救われるなら、デスペナの一つや二つどんとこいでござるよ。……拙者、そんなくらだない物の価値など、当に切り捨てたでござる」
どうやらゲームの話らしい。現実の話だと思った僕の方が寒いというオチだった。
しかし、それにしては張り詰めるくらい真剣味が感じられたような気がしたのは思い違いだろうか。
いや、確か暗殺者は廃人の境界と呼ばれる最上位職の一つだった筈。現実とゲームが逆転してもおかしくないのかもしれない。
それにしてもこのアウェー感はどうしたことか。僕が原因で馬鹿げた騒動が始まったのに、肝心の僕は既に蚊帳の外である。
「おっと、そろそろ出発の時間ですね。ウサギさんは付いて来なくて構いませんから、どこへなりとも消えなさい」
随分長々と話していた気もするけれど、ようやくお開きのようだ。巻き込まれた僕が一人だけげんなりしただけな気がするんだけど。
帽子屋さんはシステム時刻を一瞥すると、出発の準備を進めるべく集団に向って歩いて行く。
「なら私も手伝うわ」
その背中をアリスが追いかけ、寄り添うように隣へ並ぶ。時折顔を見合わせて微笑み合う姿は中々にお似合いだった。
「もしかして、さっき言ってたアリスさんの隣にいる人って帽子屋さんですか?」
「ご覧の通りにござるよ」
だからアバターの背格好も似ているのか。一緒に歩く姿が映えるように。そう考えると凄く微笑ましい。
「それがあの腰抜け、彼女の気持ちに気付いていながらいつまでも飄々としくさって。漢なら婦人を待たせるなど言語道断でござろうに」
その言い分からして、アリスさんと帽子屋さんはお互いの事が好きなのに告白はしていないらしい。
だから埋まっているのではなく、予約済みの指定席だと言ったのかと、今さらながらに納得する。ああ見えて奥手なのだろうか?
「まぁ、気持ちは分からなくもないでござるよ。心の中では待ち望んでいた言葉も、同情と感じれば受け入れ難くなるものでござるからな……。おっと、セシリアたんに何処となく似てるせいかつい喋り過ぎたでござる。ではまたどこかで会うでござるよ」
三日月ウサギはよく分からない事を呟いたきり景色の中へ姿を溶け込ませた。慌てて辺りを探してもそれらしき姿はどこにもない。
そういえば、暗殺者はプレイヤーの視界から姿を消せるスニーキングスキルを持っているんだっけ。
「次に何かしたら、アリスさんに言いつけます」
ぼそりと呟いた瞬間、すぐ傍の草むらがガサリと揺れ動き、目に見えない何かがものすごい速度で離れて行った。懲りない上に分かりやすい人である。