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World's End Online Another -僕がネカマになった訳-  作者: yuki
第二章-境界の彼方、幻想の世界-
42/43

辺境の街と夢幻の救者-末-

スマホのChormeだとスクロールが長すぎて硬直する可能性があります。

ご注意ください。

「報告しろ」

 キエルが商館を出てから2時間後。商品となる少女の確認を終えたという名目でグレアムに報告をあげる。

 伝えるべき内容は事前にアキツから教えられていた。頭の中でいつになく繰り返した復唱のおかげで一字一句違わず覚えている。

 ただ、そうやっていくら自分に大丈夫だと言い聞かせても緊張は隠せるものじゃなかった。


「は、はい。手足を縛られた状態でしたが健康に問題はないと思います。売られることにも依存はないと、自分から言っていました……」

 キエルの震える声を、グレアムは始めて人の売買に携わったことによるものだと上手い具合に誤認する。

「そうか。この取引が上手くいけばその利益で精悍な騎士団を引っ張ってくるのも夢ではない。彼女の献身のおかげでクーイルは間違いなく救われるだろう」

 根も葉もない言葉はアキツの動向を警戒したものだ。

 年端もいかない、それもタイプは違えど美形揃いの若者が町の為に命を賭して立ち上がってくれたとあって、人々からは救済者(セイヴァー)と呼ばれるほど慕われている。


 思慮のない集団ほど制御が難しいものはない。

 グレアムに騙されてカナタが売られようとしている、と先んじて流布されるのは面倒だった。

 その対策として、対外的には契約の不履行に伴いカナタの身柄を預かることで騎士団を借り、狼の討伐に当たるのだと発表している。


 内実は身売りと変わらないが、表現の如何によって印象は変えられるのだ。

 なにより、クーイルに住まう人々にとって狼のもたらす被害は大きすぎる。

 己の中の正義を満たしたところで町が滅んだのでは意味がない。

 グレアムの言葉に違和感を抱きつつも、特に反発することはなく居心地が悪そうに目を逸らすだけだった。

 頼りない若者よりも実績を積んだ騎士団が望まれるのは当然。生きることが正義の世の中で、誰もが正しくあり続けるのは難しい。


 下手に返事をすると感情を見透かされてしまいそうだった。キエルは小間使いに徹することで危うい平静を保つ。

 心臓が破裂しそうなほど鼓動していたとしても、それを表情に出すわけには行かなかった。

「それともう一つ、アキツ様からグレアム様への伝言を預かっております」

 声が震えないように意識しつつ、今度はキエルが切り出す。

「ほう、言ってみろ」

「商品の輸送をアズール商団だけに頼るのは不安が残ると。近日中に到着予定のキャラバンを巻き込む形で取引を行いたいそうです」

「ふん。そういえば町中であれこれ嗅ぎ回っていたらしいな」


 グレアムとて今までただ座していたわけではない。

 わざわざ辺境のクーイルに訪れたのだって目的があってこそ。

 だが、初めてカナタの能力を目にした瞬間、今までの目的は完膚なきまでに霧散した。

 この少女が欲しい。どんな手を使ってでも。

 まるでなんでもないことのように動かなくなった足を治療した少女の力は、グレアムの、いや、この世界の常識を遥かに超えたものだった。

 しかも本人にその自覚が薄いときている。


 売ればなんでも手に入ると確信した。ちんけな商売を一生続けたところで足元にも届かないような価値が少女にはあった。

 魔法の才能は子にも受け継がれる。元より価値の高い回復魔法を自分の血筋に加えたいと願う貴族は多かった。

 戦争により接収された王族や貴族が膨大な価値で取引されるのもこうした背景があるからこそ。

 特に、当主自らが我が子を孕ませられる女の価値は、婿養子として迎え入れる必要のある男よりも遥かに高い。

 どこの社交界に出しても恥ずかしくない容姿をかね揃えているとなればなおさら。


「よかろう、急いで貰えるようこちらから文を出す」

 事前に話を通しておいて正解だったな、と内心密かにほくそ笑む。

 アズール商団の規模はあまりに小さい。貴族、場合によっては国さえも取引相手となりえる商品を扱うには格が足りていなかった。

 キャラバンにはその辺りの融通を条件に利益を分配する話になっている。

 アキツから分配は1:9だと突きつけられたが、なにも素直に従う必要はない。

 見たところ商売に関しては完全なド素人だ。キャラバンと口裏を合わせたうえでそこそこの金額を積み上げてやればあっさりと飲むに違いない。

 でなければあの少女をこんな小さな商団を経由して売りたい、などと言い出す筈がないのだ。


「それからもう一つ。商品の受け渡し場所も指定したい、と」

「随分と慎重なことだな。無理もないか、分かった分かった。それも呑もう。ただし開けた場所であることを条件にする」

 彼らにとって今後の進退はカナタを無事に売れるかにかかっている。

 取引場所へゴロツキを集めておいて、のこのこやってきた相手から金や商品を奪うといったやり口を警戒しているのだろう。

 今回の取引に関して言えばグレアムは正当な権利を有しているのだから、小狡い手を使う必要もない。

 万が一を考え、狭い室内を除外すればさしたる危険もないだろうとの判断を下す。


「では、今の返答を伝えてまいります」

 頭の中で今のやりとりを反芻して焼き付けてからくるりと身を翻し扉へ向かう。

「待て。そういえばお前は商品と交流があるそうだな? 聞けば背負われて家まで送られたそうではないか」

 キエルの足がぴたりと止まる。心臓は今にも破裂しそうだった。正確には背負われてではなく、抱かれてだったが、やはり多少の噂にはなっていたのだろう。

 ここで受け答えを間違えれば疑念の眼差しを向けられるかもしれない。

 頷くべきか、何かの間違いだと誤魔化すべきか……。


「はい。倒れたところを家まで送っていただきました」

 グレアムから言い出した時点でネタは割れているのだ。今さら誤魔化しても不信感を募らせるだけだろう。

「そうか。恩人が売られていくことについてはどう思っている?」

 もはやキエルの動向を探る目的を隠そうともしていない。アキツとの打ち合わせにもこんな状況の対応策は出てこなかった。


 考え込んでいる時間はない。自分の力だけで切り抜けるのだ。キエルは努めて平静を装ったまま、感情を押し殺した顔で振り向く。

「残念ではありますが……ここには家族がいます。優先は、できません、それに、成功したら召し取ってくれるんですよね?」

 恩人より家族を取るという極めて合理的な選択。何より、上を目指したいと言う野心にグレアムの唇が釣りあがった。

「無論だとも。もしも奴等との会話で何か気づいたことがあればすぐに知らせろ。これはお前の為でもあるのだ」

 セーフ、ということなのだろう。キエルは小さく頷き返すと、あとは呼び止められることもなく部屋を出て行った。






 そして、5日後。キャラバンの到着をもって取引の当日を迎える。

 場所はグレアムの出した条件どおり、森のすぐ前に広がっている見渡しのいい平原の只中。

 町の中ではなく外であることにグレアムは若干の躊躇いを見せたものの、護衛の人数を不問とした上、アキツが武器を持ち込まないことを条件に合意を果たす。

 実を言えば、キャラバンは2日前の時点でクーイルからぎりぎり見えない場所に待機していた。

 わざわざ猶予を設けたのは、これから行われる取引に関する情報を事前に共有し、いかにアキツ達を出し抜くか検討する為だ。

 奴等に握らせる利益など切れ端はおろか屑糸で十分。使者を介し、いかに自分達の私腹を肥やすかの議論に余念はない。

 手駒のキエルからもたらされる順風満々な報告を信じきった結果、取引が頓挫する可能性などまるで考慮していなかった。




 まだ朝靄が辺りを包む早朝の時間帯。

 指定の時間は朝日が顔を出してからだったにも拘らず、アキツは条件通り簡素な衣服に着ただけの手ぶら状態で運び込んだ薪を椅子に座り込んでいた。

「随分と早いではないか」

「あんたこそ。さては昨日興奮して眠れなかったんじゃないのか」

 グレアムの背後にはアズール商団の中でも特に体格の大きな者がずらりと並んでいる。


「しかも俺に武器の持ち込みを禁じておいて自分達だけ完全武装とは、恐れ入るよ」

 男達の腰には剣……というには短く、分厚く、幅広い、凶暴さを感じさせる刃物が剥き身のままぶら下がっていた。

「森を進む行商人が鉈を携帯するのは当然だろう?」

 悪びれる様子もなくのたまう姿にアキツは馬鹿馬鹿しいと鼻で笑い飛ばす。

 威圧しようとしているのは誰の目にも明らかだったが、アキツ相手にはあまりにも心許ない。

 彼我の戦力差を認識できていない証拠だった。


「それで、そっちのおっさんがキャラバンの隊長か?」

 グレアムの隣には真っ黒に焼けた肌を惜しげもなく晒す、筋骨隆々の大男が控えている。

 ざっくばらんに切られた髪といい、どこか剣呑とした目つきといい、野盗の頭目とでも言われた方が納得できそうだ。

「ええ、本日は我がキャラバンを経由して売りたい商品があるとグレアム殿から伺いまして。はるばるやってきた次第であります」

 年下からの不躾な質問にも笑顔で答えるところからして、凶悪な図体に似合わず人当たりはいいらしい。思わずどう反応すべきか迷っていると彼はそっと手を差し出した。


「山賊か野盗の頭にしか見えないとはよく言われますので。ゴルーザと申します。どうぞお見知りおきを」

 柔和な笑みは実に板についていて、そうしていると受ける印象も随分と変わる。これなら商人といわれても納得できそうだった。

「アキツだ。取引成功の為に尽力を頼みたい」

 同じように手を差し出すと普段より強めの力を籠める。それだけでゴルーザの目が見開かれた。よもや細い青年にこれだけの力があるとは思わなかったのだろう。


「ではまず、商品の確認をしたいのですが」

 歴戦の商人だけあって切り替えは早かった。早速手筈通りに話を運び始めたゴルーザは辺りを伺うような素振りを見せる。

「まぁ待てって。その前に確認したいことがあるんだ。商品が運ばれてくる前に少しくらい付き合ってくれてもいいだろ?」

 周りにそれらしき人物はいない。当然だ。なにせ当の商品はとっくの昔、5日前に逃げているのだから。

 いっそ笑い出しそうになるのを堪えながら転がしてある薪を促す。

「焦らし上手ですな。ですが取引の時間まであと少しあるのも事実。ええ、何なりと」

 ゴルーザは素直に納得して椅子代わりに用意されていた別の薪の上に腰を下ろすのだった。


「さて、単刀直入に言わせて貰う。あんたら、裏で組んでるだろ」

 大きな取引であれこれ疑われるのは当然。遠慮の欠片もない一言に慌てるようでは商人失格である。

 グレアムもゴルーザも何を言っているんだとばかりに呆れるだけで眉一つ動かさない。

「確かに、そう考えてしまわれるのも……」

 事前の打ち合わせどおり、疑うのならルールを決めて取引を進めればいいと切り出そうとしたところで。


「だからそう焦んなって。いきなり裏で組んでるとか言ったんだ、俺には根拠を説明する義務があるだろ? まずそいつを聞いて、的外れだと思うなら流してくれればいい。手を組んでないなら俺に力を貸してくれるだろうからな」

 アキツはゴルーザの言葉を遮り持論を投げかけた。

「……分かりました。是非拝聴させて頂きましょうか」

 そうまで言われてしまえば聞きに徹するほかない。それがアキツのペースで話が進むことに繋がるのだとしても。


「あんたはクーイルで狼の被害が頻発しているのは知っているか?」

「ええ。グレアム殿から簡単な話は聞きました。随分と苦労されているようで、お悔やみ申します」

 祈るように手を当てて黙祷を捧げる姿は誰が相手でも通じる無難な仕草で、ゴルーザの思惑は一向に透けてこない。

 何かを知っているのか知らないのか。ただ、アキツにとってそんなことはどうでも良かった。


「じゃあその狼を隣にいるグレアムが持ち込んだとしたら?」

 その瞬間、会談の空気が凍りついた。

 ゴルーザの中にもこんな場面の想定はなかったのだろう。何も言えずにただぽかんと口を開ける姿は中々に滑稽だった。

「話にならん。口の利き方を知らないだけならまだ可愛げもあろうが、戯言までほざくか」

 対するグレアムは怒気も露わにアキツを糾弾する。狼によって人死にまで出ているのだ。冗談では済まされないと不快そうに細められた目が語っている。


「取引前に動揺させるつもりだったのか? 生憎と話題を間違えたな。減らず口も大概にしておけよ、小僧」

 貫禄を感じさせる堂に入った一喝だった。これが元の世界の学校の教師からもたらされたものなら、今頃アキツも萎縮して飛び上がっていたかもしれない。

「アキツ殿、流石にこれはグレアム殿が不憫ではありませんか。私もアズール商団の功績は耳にしたことがあります。謝った方がよろしいかと」

 ゴルーザも突拍子のない誹謗中傷に眉を潜め苦言を呈する。

 だが、アキツは少しも動じることなく、寧ろ薄ら笑いさえ浮かべてこう問いかけた。


「ゴルーザだっけ。あんた本当にそれで良いのか?」

「はて、それでいいとは?」

 訳が分からないと胡乱な表情を浮かべるのを見てアキツはこれ見よがしに肩を竦める。

「仮に俺の言ってることが真実だとしたら、今の発言からしてあんたもグルだと思われても仕方ないってことだよ」

 何も知らずにいると損をするぞという警告。

 誰が聞いても馬鹿らしいと一笑に伏すであろう与太話の類にどうしてそこまで拘るのか。ゴルーザーの表情に僅かな疑念が生まれた瞬間だった。

 

「貴様、いい加減に……!」

「根も葉もないなら聞き流せば良いだろう。それが出来ないってことは何かあるんじゃないのか?」

 怒鳴り声を上げようとするグレアムを、先んじてアキツが封殺する。

 自分より遥かに若い青年にこうも言われて声を荒げれば年長者の面子に関わる。

 こめかみに青筋を浮かべたまま気を落ち着けようと荒い呼吸を続けていた。


「……分かりました。そこまで仰るのなら根拠を聞こうじゃありませんか」

 その姿を見て何かを感じ取ったのか、はたまたこのまま両者のやり取りを聞いているだけでは際限がないと思ったのか、アキツに視線を向けて先を促す。

 まだ根拠があるとまでは言っていないのに、ないとは言わせないとばかりの態度だ。

「ご、ゴルーザ殿! こんな奴の法螺話に付き合うだけ……」

 グレアムはゴルーザが興味を示すとは思わなかったようで呆れた様子で無駄だと断じようとするものの、しかし言葉の途中で遮られる。


「勘違いしないでいただきたいのですが、正直なところ私も無駄だと思ってます。しかしそれではお互いに納得できないでしょう?」

 こんなくだらないやり取りを大事な取引まで引っ張って欲しくない。興醒めにもほどがある。

「我々は商人なのですから、ここは取引と参りましょう。アキツ殿、もし根拠とやらが根も葉もない物であれば、今回の取引で相応のペナルティを負って頂く。それでいかがですか?」

 語るにせよ騙るにせよ、それなりの覚悟を示せ。

 断るようならもう二度と口にさせなければいい。しかし頷くようなら……面白いとゴルーザは思った。

「それで構わない。何せ俺は最初からそのつもりだからな」

 まるでそんな彼の思惑を察したかのように、アキツは不敵な笑みを浮かべて頷く。



「そもそも、最初から何もかも都合が良すぎるんだ。森に狼が出て、偶然通りかかったカナタが退治を申し出たまでは分からなくもない」

 今回の異世界転移がグレアム程度の小物に引き起こせるとは思えないし、仮に引き起こせるならもっとマシな活用方法を思いつく頭はあるだろう。

 ここでの出会いが偶然であったのは間違いないとアキツは思っている。


「そこで絵に描いたような悪徳商人がいて、それと知られないよう悪徳な契約まで交わして、用意周到にカナタを売れと来た」

 だが、それにしては手際が良すぎた。

 初めてカナタの力を垣間見たあの時から計算し尽していなければこうはいくまい。

 つまりグレアムとは、目の前の商機に敏感で、必要とあらば手段も選ばない悪辣とした性格ということになる。


「それをしたのが狼被害の危機を聞きつけて馳せ参じた善意の商団だと? 馬鹿も休み休み言え。才能のない詐欺師だってもう少し現実味のある話ができるさ」

 思えば、クーイルと取引のある村々を借金漬けにしたのもそう。何かと理由を付けていたが、善意の集団を自称するには無理がありすぎる。

 グレアムの性格はもはや明らかで、利益の薄い人助けに奉じるなど考えられない。

 クーイルに来たのは狼被害を聞きつけたからじゃない。もっと別の、重大な目的があったからだ。

 あの膨大な証文は間違いなくその計画の一端だったのだろう。

 だが、そこに本来の計画とは比べ物にならないほどの利益を見込める逸材であるカナタが舞い込んできたことで目標を修正した。

 今となっては本来の目的がなんだったか知る由もないが、ろくでもない何かであったことは想像に難くない。


「契約の経緯は分かりかねますが、稀有な幸運に助けられたと言える範囲です。それだけでは根拠にもなりませんね」

 粛々と語られる内容を聞いていたゴルーザが話にならないとばかりに肩を竦める。

 ああまで啖呵を切ったのだからそれなりの理由があると思っていたのに肩透かしも良い所だ。

 なるほど、確かにグレアムがわざわざクーイルまでやって来た理由には何か裏がありそうではある。でもそれまで。あるかもしれないというだけで根拠にはなりえない。


「何言ってるんだ。これは大前提、まだ話の本筋にすら入ってねぇよ」

 アキツだって当然そんなことは分かっている。ここで話を切ったのはいわゆるヒキだ。

 この先で要らぬ横やりを入れて欲しくない。まだまだ説明は続いているのだから黙って聞いていろ。

 言外にそう突き付けたのである。



「森に入れなくなったアズール商団は男手が必要な仕事を手伝ったらしいな。それがどう評価されているか知ってるか? 悪い意味で噂になってるんだよ。やる気が感じられないってな。これからクーイルに住むかもしれないって人間がそんな態度を見せるか?」

 ギルバードと回復庫は人気者だった。イケメンと可愛らしい子ども。暇を持て余したマダムにとってこれ以上ないくらい理想的な暇つぶし相手である。

 元より情報を仕入れる為に奔走していたのだ。聞き上手なのも手伝って、町を歩くだけでも声をかけられるようになっていた。

 マダムという生き物は人の噂が何よりの好物である。あそこの旦那は気が利かないとか、どこどこの店はケチだとか、他愛のない井戸端会議の中にそれらは紛れていた。


『アズール商団の男ね。何人かはマシな面してるから女の子も話しかけてるけど、男としてはもう全然ダメよ。畑仕事も薪割りも出来ないんだもの』

『あらぁ、私は牧羊犬に吼えられただけで震えっぱなしのタマなし集団って聞いたわよぉ』

救済者(セイヴァー)の皆様なんて毎日あんなに大きな狼を持ち帰ってくるのにねぇ。そうそう、貴方達に紹介したい良い娘がいるんだけど、ちょっと年上なんだけどね……』


「酔い潰れた奴が酒場で畑仕事より荷物を運ぶ方が気楽だってぼやいてるのを聞いた奴もいる。いつ狼に襲われるとも知れないのに随分と豪胆なことだよな」

 これも、酒場のマスターからギルバードが聞いた話だ。昼はランチをやっていて、お客のマダムとそうした会話をしているらしい。

 いかに畑仕事がこれまでと分野違いでも、命がけの仕事と比較になるとは思えない。……狼に襲われる筈がないと確信できる理由があるのなら話は別だが。


「それは酔っていて気が強くなっていたのではないでしょうか?」

 ゴルーザはアキツの疑念に至極全うな意見を返す。

「かもしれない。けどな、鼻歌交じりで森に入っていくアズール商団の姿は幾度となく目撃されている。それまでの商会の人間は恐怖で顔が白くなってたっていうのにな。こいつらも酒に酔ってたってのか?」

 当然ながら仕事の前に酔いが回るほど酒を飲む奴はいない。ましてこれから危険な森に入ろうというのだ。

 数十メートルの距離を開け、敵に気付かれないまま完璧に位置を把握できていたアキツでさえ、戦闘前には多少の緊張を覚えている。とてもじゃないが鼻歌を奏でる気にはなれそうもない。


「いや……。しかし態度だけではなんとも言えないでしょう。町の人たちに悲壮感を与えない配慮だったのかもしれませんし」

 なるほど、確かにアズール商団の行商人達がアキツもびっくりするほどの慈悲に満ち溢れ、村人を気遣うのならそういうこともあるかもしれない。

「そんな配慮が出来る奴がやる気の欠片も見られない働き方をするのかよ」

 だが、そんなはずはないのだ。これまでの証言から浮かび上がる彼らの行動の数々がそうした可能性を真っ向から否定している。

 並べ立てられた情報は確かに妙ではある。しかしゴルーザが疑念を抱くまでには至らない。そもそも噂話の信憑性からして疑問の余地があるからだ。

 とはいえ、多数の証言があるというのも事実なのだろう。反論が思い浮かばず、この場は大人しく口をつぐんだ。

 その態度はまるで次があるのだろうと促しているようで、アキツは勿論だと声もなく頷いてみせる。


「こいつを見てくれ。クーイルの過去の帳簿だ」

 キエルにしかできない大仕事の一つである。

 狼の被害に悩まされる前の物と、アズール商団がやってきた後のものをこっそり持ってきてもらったのだ。

 そこにはいつ、誰が、何を荷馬車に積んで出て行ったのか。また、いつ、誰が、何を荷馬車に積んで戻ってきたのかが事細かに記されている。

 商会員であれば誰でも見られる書類で、キエルもよく勉強の資料として使わせてもらっていた。

 こっそり持ち出したとしても過去の資料を探す物好きなんて誰もいない。仮に気付いた人がいたとしても、どこかに紛れたのだろうと気にもしないだろう。

 長年身内経営が続いたクーイル商会はライバルという存在に脅かされることもなく、穏やかな川のように安定していて、過去の資料を紐解く必要も、厳重に管理する必要もなくなっていた。


 今はその杜撰な扱いに感謝しつつ、クーイル商会の過去の履歴と、アズール商団が来てからの履歴を比較してみせる。

 輸送に関わっていた行商人の数は昔の方が多かった。かなり頻繁に行き来していて、残された帳簿も相当な枚数になる。

 ただ、一人当たりの輸送量はさして多くない。馬車を軽くして回数をこなしていたのだろう。

 狼の出没と共にアズール商団が輸送業を担ってからは、人手が減ってしまった関係で輸送回数も大きく落ち込んだ。

 膨大な需要を彼らだけで満たす為には1度の取引量を底上げするしかない。帳簿の数値を鑑みてもかなり無茶な量が書き込まれている。


「大変興味深い物ではありますが、これが何か?」

 ゴルーザにとって帳簿は見慣れたものだ。需要と供給を網羅している貴重な資料でもあるので興味がないわけでもないが、辺境のクーイルの物となるといまいち食指は動かない。

 ざっと見た限り、中々に几帳面な担当だったようだ。不正をする必要も価値もないので怪しげな記述は一切見当たらない。

 ただ実直にありのままの事実を書き付けているとすぐにわかった。


「おかしいだろ。荷物の少ないクーイル商会の輸送時間と、圧倒的に多いアズール商団の輸送時間に差がなさ過ぎる」

 アキツが2枚の帳簿を並べ指を突きつける。

 クーイル商会は4つの村を巡るのに4日かけたらしい。対するアズール商団も4日。到着時間に4時間の差はあるものの、慣れ親しんだ地元の商会と並ぶのは至難の業だ。

「……確かに。しかしこれは単純に練度の問題では。村での滞在時間を抑えたのかもしれませんし」

 だが、不可能ではない。同じ場所をぐるぐると回り続ける商会では得られない、色々な地方を巡っていた行商人にだけ学べる手法というものもあるのだ。


「練度? 今練度と言ったのか?」

 しかしアキツはゴルーザの意見をまるで素人だといわんばかりに吐き捨てた。

「クーイルの記録は安全が保障されていた時の物だ。どこに狼が潜んでいるかも分からない危険な森で倍近い荷物を運んでいるのに、練度だけで当時と変わらない輸送時間を出せると本気で思うのか?」

 そう、ルートは同じでも、過去と今では状況が大きく異なる。

 移動速度が速いほど馬車は大きな音を出てしまうので狼に気付かれるリスクも跳ね上がるのだ。

 倍近い荷物を積んでいるとなれば尚更。よほど急いで馬を走らせなければ間に合うまい。

 アキツは思うのだ。果たして本当に『馬』に馬車を引かせていたのだろうかと。


「それ……は、確かに、おかしいですね」

 帳簿は商会の発行する正式な書類で、それを証明する印も押されている。

 これまで何度もクーイル商会と取引を行ってきたゴルーザはその印にも見覚えがあった。これだけの量を短期間で偽造できるとも思えない。

 初めての歴とした証拠に彼の瞳の色が変わった。同時に、背後で様子を伺っているグレアムの表情が僅かに陰りを帯びる。


「まだあるぞ。こいつも商会の履歴だ。アズール商団が同じルートで輸送に出た場合、輸送時間はどれも似たり寄ったりでズレがない」

 今度は同じルートを使っている帳簿の記録を無作為に5つほど引っ張り出してくる。

 天気の荒れた日に関しては流石に差が出るが、晴れの続いた日に関して言えばどれも誤差は数時間で済んでいた。

 アキツはこれをありえないと断言できる。


「つまりだ、こいつらは1回も狼と遭遇してないんだよ。それどころか進路上に狼が居たことすらないんだ。そんな強運、ありえると思うか?」」

 自分達ですら狼と遭遇したらあれこれ作戦を立てて事に当たるのだ。

 進行方向にかなりの数が群れていて迂回せざるを得なかったこともある。

 たった数日間しか森を彷徨っていないアキツ達ですらこれなのだ。

 まして、馬車が通れるほど整備された道は限られており、クーイル商会の人間はそこで幾度となく狼からの襲撃を受けている。

 狼にからも獲物がかかりやすい場所だと認識されているはずで、警戒範囲に含まれていないとは思えない。

 それを全て無傷で、しかも殆ど時間をかけずに突破し続けるなど、到底起こりえる確率ではなかった。

 もはや狼の方から気を使って避けているとしか思えないのだ。


「ほ、本当だ。いや、これは……流石に」

 ありえないという言葉をゴルーザはどうにか飲み込む。

 アキツの雰囲気に呑まれていたが、グレアムの持ち込んだ儲け話を考えればおいそれと頷くわけにはいかない。

 しかし疑惑が育ったのは確かだ。言葉にはせずとも心の中で、この青年の言葉は的を射た物なのではと思わずにいられない。


「……黙って聞いていれば。我々が狼を避ける術を持っているに過ぎん」

 グレアムの表情からは張り付いていた余裕が綺麗にはがれていた。

 狼を避ける術を持っている。なるほど、便利な一言だ。方法を聞かれても企業秘密の一言で流せばいい。

 だが、先の話を統合する限りもはや狼を避ける程度の次元ではなかった。

「違うだろ。お前は狼を操ってるんだ。自分達の荷馬車には攻撃させないようにな。いや、こう言い直そうか。狼が馬と一緒に荷馬車を引っ張っていたんだろう?」

 グレアムは何も言わず、真っ向からアキツと視線を交差させる。どこまで気付いているのか推し量っているのかもしれない。



「疑惑が確信に変わったのは白銀の賢狼と戦った時だよ。らんらんの魔法で大打撃を与えたにも拘らず、追い詰めた時には治ってやがった。あれはあんたの仲間が白銀の賢狼に治療薬を使ったからだ」

 ぴくり、とグレアムの眉が動いた気がした。あの傷は短時間で自然回復するようなものじゃない。もっと直接的なマジックアイテムが必要だった。

 幾ら白銀の賢狼でもおいそれと手に入れられるものではなく、仮に手に入れられたとして、あの体格では上手く使えまい。

 何より、裏でアズール商団の手が働いていたと確信するに足る理由も揃っている。


「狼が1度もカナタを攻撃してないのも、お前が自分の元に連れ去るよう、狼に命令していたからだ」

 アキツが地中に隠れていた狼を見過ごした時も、最初に攻撃されたのは中央に居たらんらんだった。

 百歩譲って魔法を使おうとしているのがわかったからだとしよう。ならどうして、すぐ後に【ホーリーランス】を起動させたカナタには襲い掛からなかったのか。

 そもそも1匹目がらんらんを突き飛ばしたところで詠唱も止まっている。後続の狼がカナタを飛び越える必要はなかったはずだ。


 思い起こせば他にもある。

 灰色狼に囲まれた時もカナタの悲鳴だけは聞こえてこなかった。


 らんらんが【ウルティメイト・フレア】による範囲殲滅とリカバリーを試みた時もそうだ。

 咄嗟に殺した灰色狼を盾にすべく身体を滑り込ませる刹那、みんなは大丈夫だろうかと一瞬辺りを見渡した時。

 カナタが居た場所にはまるで何かを庇い守ろうとするかのような灰色狼が伏せていた。


 白銀の賢狼にしてもそうだ

 灰色狼の襲撃で一番やばかったのは牙じゃない。顎の力だ。牙は通らなくとも、本気で噛み砕こうと顎を閉じられるだけで腕の骨に響く。

 クラルスリアの防御性能を持ってしても、白銀の賢狼が本気で噛みついていれば全身の骨を砕かれてもおかしくなかった。

 だからあれは噛んだんじゃない。咥えたんだ。犬が飼い主の投げたボールを咥えて持ち帰るように。カナタをグレアムの下へ持ち帰ろうとした。


 結局のところ、アキツはゲームという前身を捨てきれていなかったのだ。目の前の現実にどうしてもゲーム時代というフィルターをかけてしまう。

 ゲーム内で白銀の賢狼を始めとするボスモンスターがテイミング不可能だったのは、専用のテイミングアイテムが用意されていなかったからに過ぎない。

「どうやったかは知らないが、お前は白銀の賢狼をテイミングすることに成功したんだ。そりゃ狼なんて怖くないわな。群れを乗っ取って従えちまえば良いんだから」

 それが、グレアムの言う狼を避ける術の全てだとアキツは睨んでいる。


「今までの功績は全て自作自演だ。お前が狼をけしかけて、それを解決したかのように見せかけて、金を得る。もしそんな大それた知識が本当にあったなら、技術者を育てて方々に派遣するだけで十分な財を築けただろう。あちこち巡っていたのは同じところに留まり続けるとネタが露呈しかねなかったからじゃないのか?」

 グレアムの表情がますます険しさを増していく。

 内心では根も葉もない法螺話であろうと断じていたゴルーザでさえ、今は眉を顰めるほど考え込んでいるようだった。

 アキツの言い分が真実だったとしたら協力関係を築くのは危険すぎる。

 狼を使って人を襲うような集団と信頼関係が築けるはずないのだ。下手をすると用済みになった段階でガブリということもありえる。


「詭弁だ。小さな女の身で食いでがないと思われただけだろう。第一、どうやって狙うというのだ。私はずっとクーイルに居たのだぞ。犬語を話して伝えたとでも言うつもりか?」

 既にゴルーザからの援護はない。今はただ、怪しくなり始めた雲行きを見極める船頭のように成り行きを見守っている。

 それはつまり、彼もまたグレアムを疑い始めたのと変わらない。


「あんたの手配してくれた宿屋、アズール商団が始めて来た時にも下宿先として使っていたらしいな」

 グレアム達が使っている商会のスペースは、元々ディールさんを始めとしたクーイル商会の行商人が使っていたものだ。

 持ち主がこの世を、或いはクーイルを去ったのでグレアム達に宛がわれたに過ぎない。

 持ち物の処分を始めとする大掃除が終わるまでは町に一つしかない宿屋に身を寄せるしかなかったのである。


「あそこの女将さんは宿屋業務だけじゃやっていけないから、忙しい人達のサポートもしてるんだ。クリーニングサービスはその一環。だから毎日決まった時間に洗濯を始める」

 アキツの説明にグレアムもゴルーザもそれがどうしたとばかりに困惑した表情を浮かべていた。

 クーイルの宿屋の女将さんのタイムスケジュールが今までの会話に関係すると思えない。

 それでも口を挟まなかったのは何かあると、或いはそれをきっかけにこの馬鹿馬鹿しい探偵劇を終わらせられると踏んだからだろう。


「ここ数日、あちこちに聞き込みを続けてようやくだ。その時間帯にアズール商団の男が薄青色の布キレを抱えて宿屋の裏手から商会に向かって走る姿を目撃した人を見つけたよ。折りたたまれてたから形状まではハッキリしないが女物の服だったらしい」

 アキツはそこで一度言葉を区切ってチラリと2人に視線を向ける。

 ゴルーザは相変わらず何を言っているのか分からないとばかりに困惑していて、つまり今回の件について本当に何も知らないのだろう。

 裏で口裏を合わせていたのは間違いなさそうだが、カナタの取引に関してだけで、そこまで深くアズール商団と付き合っていたわけではないらしい。

 アズール商団だけでは扱いきれないから協力を依頼したってところかとアタリをつける。


「で、同じ日に狼から狙われなかった女の子……カナタの寝巻きが盗まれてる。しかも同じ薄青色ときた。これは一体どういうことなんだろうな。あんたのところの団員はどうしてカナタの服を盗んだんだ?」

 思わぬ証拠を突きつけられたグレアムの瞳は先ほどからせわしなく動き続けていて、明らかにそれとわかるほどうろたえていた。

「い、言いがかりだ!」

 必死に反論を探して、ようやく捻り出したのが悪あがきにもならない一言だったことにアキツは失笑を漏らす。

 既に趨勢は決していた。


「馬鹿らしいとばかり思っていましたが……。これは一度、確かめたほうが良いかもしれませんね」

 ゴルーザとて、クーイルの惨状は聞き及んでいる。狼によって食い荒らされた行商人は10ではきかない。仮にそれがグレアムの指示だとしたら前代未聞の重犯罪者だ。

 そんな相手と協調関係にあったと知られれば召抱えるキャラバンそのものが共犯とみなされ、最悪、物理的に首が飛ぶ。


「な、ゴルーザ殿もこんな馬鹿げた話を真に受けるなど……」

 思わぬ事態に転がり始めたグレアムは語尾が荒げるのも気にせず食って掛かった。

「グレアム殿に後ろめたいことがないなら別にいいではないですか。目撃者とやらにもっと詳しく話を聞けば誰か特定できるかもしれない。仮にその話が嘘ならアキツ殿が取引にペナルティを負うだけだ。グレアム殿にとっても損にはなりますまい?」

 しかしそこは歴戦の商人。利益が見込めるのであれば痛くない腹を探らせるくらいなんでもないだろうと言い包める。

「そ、それは確かにそうですが……」

 反論は出来なかった。ここで強行に抗弁すればアキツの話を認めるようなものだ。ぎりりと奥歯を噛み締めながら悔しそうに呻く。


「若人の話を聞くのも年長者の務めですからね。アキツ殿も、それで問題あり……」

 ゴルーザがそうやって話を纏めようとした時だった。空に一輪の花……花火が打ち上げられる。

 色とりどりの火薬が弾け散るさまに、グレアムとゴルーザは何事かと目を見開く。


「おう、といいたいところだけど……必要なくなったみたいだな」

 アキツは打ちあがった花火を見届けてから立ち上がり、準備運動の要領で手足をほぐし始めた。

「どういうことでしょうか? もしやこれまでの話が嘘であると認めると?」

 青年が突如として始めた珍妙な動作もそうだが、傍目から見ても荒唐無稽としか思えなかった話を現実に落とし込んだ論議の数々を、どうしてこんなに簡単に捨て去ろうとするのか。

 それ以前に、ここまで聞かされたゴルーザの中にもグレアムへの疑念が湧いている。これにカタをつけなければ取引どころではない。

 だが、アキツはそんな彼に向けて安心しろとばかりに笑うのだった。


「いいや。時間稼ぎは終わり。無事に準備が整ったってだけの話さ。幾ら論を並べたところでそいつは認めない。なら、実際に見てもらったほうが早いだろ?」

 途端、森の方角、それもかなり浅い場所から猛る狼の遠吠えが響いた。

「馬鹿な……」

 気付けばグレアムは信じられないといった面持ちで森の方向を食い入るように見つめていた。

 浅瀬とはいえここからはまだ遠く、ましてクーイルで日常的に狼に関わっていたとは思えない反応だった。

 ゴルーザも驚きはしたが、グレアムのそれに比べると遥かに落ち着いている。


「今頃は森の奥地で療養しているはず、だろ?」

 それも当然。居ることに驚くのと、居ないはずだったのに居たことに驚くのでは方向性が違う。

 図星を突かれたグレアムがもはや隠し通す余裕もないのか忌々しげにアキツを睨みつけた。


 この辺りで手に入る低水準の治療薬では、あれだけの怪我を負った白銀の賢狼の傷を癒すのに少なくない時間がかかる。

 アズール商団は白銀の賢狼なしでは成り立たない。ハルトの発言によりぼろぼろの状態のまま追撃されるかもしれないと知って裏では相当焦っていた。

 目立たない少人数を差し向け、今は治療に専念させているはず。

 このタイミングで表に出てくるのはグレアムにとっても想定外だった。


「一体どうやったって顔だな」

 これまで散々墓穴を掘ったのを自覚して喋りはしなかったが、目は先を促している。

「血だよ。最初にあんたに会ったとき、足をぶっ刺して止血するのに布を使っただろ。あれを回復庫が回収してた。俺達は特殊な格納魔法が使えてな。どうも別空間に『入れたときの状態のまま』保管できるらしいんだ」

 入れる時に冷たければいつ出しても冷たさを維持できたように、グレアムの血で濡れた布も乾くことなく残っていた。


「おまけにそいつは優秀な錬金術師様でな。お前の血をたっぷり吸った布を【デュプリケイト】で複製してから錬成したゴーレムに貼り付けて森の中を歩き回らせてみた」

 狼は鼻が利く。主人の血の臭いに反応するかは半ば賭けだったが、自分がぼろぼろになってもカナタを回収しようとした忠狼だ。勝算はあった。

 乾いていたら上手くいかなかったかもしれない。それ以前に、グレアムがあんな行動をしなければ逆転の目はなかったのかもしれない。

 数々の偶然に助けられながらも今こうして結果が出ようとしている。


「おほーーーーーー! かかったわーーー!」

 森の入り口から3人の青年がそれぞれ土くれの人形に抱えられ飛び出してきた。

 アキツも自身の索敵スキルにより、全身の肌が粟立つほどの敵意を迸らせながら凄まじい速度で近づきつつある強大な反応を検知する。


「さて、それじゃ感動の対面と行こうか。グレアムさんよ」

 武器の持ち込みは禁止といったが、現場で取り出してはいけないとは言われていない。

 インベントリの中から取り出したのは一対の短剣だった。それをしかと握り締め、呆気に取られているグレアム目掛けて斬りつける。


「ぐぅっ……! 貴様、一体何の真似だッ!」

 これだけの近距離で、無防備な相手にトドメを刺し損ねるなんてことがあるはずない。

 腕からは痛みを感じないほど鋭い切れ味の傷が血を滴らせてはいたが、軽く止血するだけで大事ない浅いものだ。

 アキツが意図的に手加減したのは自明である。背後に控えた男達も油断なく武器を構えてはいたが、どうするべきか迷っているようだ。


「あんたを裁くのは俺じゃない。ただ餌になってくれれば十分ってことだよ」

 ゴーレムの頭上を弾丸じみた速度の塊が飛び越える。今まで追いかけていた獲物からは完全に興味を失い、ただ目の前の、グレアムの姿だけを瞳に捉えていた。

 刹那、アキツが爆発的な勢いで後方に跳躍し、寸での所を白銀の賢狼の前足が掠めていく。

 体勢を崩すこともなく優雅に着地すると、目の前にはグレアムを守る形で身体を割り入れ、牙を向きだして唸る白銀の賢狼の姿があった。


「これでもまだ認めないつもりか?」

 見たこともない巨大かつ壮麗な狼がグレアムを守るかのように構える姿にゴルーザは一瞬だけ見惚れてから、しかしすぐに腰を抜かした。

 声も出せないまま必死に逃げようと地面を這い蹲る姿はいっそ哀れですらある。

 しかしグレアムもアキツも白銀の賢狼も、そんな彼の姿には目もくれていない。


「……ふん。よもやここまで我々を追い詰めるとはな」

 グレアムの表情からはいつの間にか怒りや焦りが剥がれ落ち、揺れていた瞳も据わりきっていた。

 開き直ったといってもいい。もはやこの期に及んで否定はできないと認めたのだ。

「仕方ない。残念だが取引は諦めよう」

 くつくつと仄暗い笑みを浮かべながら、さも残念そうに告げる。


「はっ、それで俺たちが許すとでも?」

 油断なく武器を構え、白銀の賢狼にぴたりと視線を貼り付けたままアキツが嘲笑う。

「許してもらう必要などない。目撃者には死んでもらわねば。会談中に森からやってきた狼に襲われ、救済者(セイヴァー)が果敢に戦ってくれている間に我々は撤退。しかし後一歩足りず、君達は死亡という筋書きはいかがかな?」

 途端に白銀の賢狼が一際大きな声で鳴いた。森の浅瀬から数頭の狼が飛び出す。今さら兵力を温存する意味はない。毛色がまちまちであることからも、動けるものは何であろうとかき集めたのだろう。

 グレアムの明確な敵対宣言に、背後に並んでいたアズール商団の男達も覚悟を決めて、腰に刺していた武器を次々と抜き放った。

 かつての大群とは比べるまでもない狼の数を、今度は武装した人間が埋めていく。


「勇ましいこったな。おいお前ら、先に宣言しておく。死にたくなければそこから動くな。あっちで狼と戯れてる優しい仲間と違って、今の俺は容赦できそうもない」

 救済者(セイヴァー)と呼ばれるアキツの実力を、アズール商団の面々は直接確認したわけではない。

 だが、白銀の賢狼が統べる森の中へ毎日通い、少なくない成果を持ち帰り続けたのは確かだ。

 アズール商団は狼と身近に接するからこそ、ずば抜けた身体能力や狡猾さ、臆病と感じるときもある慎重さを知っている。

 狭い急所を軽々と貫き、痛みも感じさせぬ間に絶命させた弓の腕が神業といえる領域にあることを十分に知っていた。


「怯むな! 敵は弓手、距離を開けずに囲めば問題ない!」

 だからこそ、弓ではなく短剣を握るアキツを侮る。声を張り上げなければならないほどの距離を開けて行われる会談などない。

 白銀の賢狼の乱入という想定外の事態はあったが、彼我の距離は10メートルも離れていなかった。

 小柄な体格と細い腕からして、近接戦闘なら十分に勝機があるのではないか。

 弓の名手というのは往々にして近接戦に弱いのである。


「うおおおおお!」

 鎧のような筋肉で包まれた屈強な大男が一人、勇ましく叫びながら足を踏み出す。だというのに、アキツは白銀の賢狼から視線を逸らすことさえしなかった。

 -こいつ、ビビってやがる!-

 動かない理由をそう結論付けた大男は残虐な笑みを浮かべたまま斬りかかろうと腕を振り上げ……。

「ぐへっ!?」

 しかし遥か手前で振り払われた白銀の賢狼の尻尾により、元来た場所へと弾き飛ばされていた。

 ごろごろと転がり咽ている大男に仲間達の視線が集まる。続いて白銀の賢狼が短くも鋭い声で鳴いた。


「……あんた、こいつに感謝するんだな」

 長年狼と暮らしていれば吼え方から簡単な感情くらい読めるようになる。今のは間違いなく最大限の警戒を意味するものだった。

『近づくな、死ぬぞ』

 白銀の賢狼は大男を吹き飛ばすことで守ったのだ。

 グレアムを含め、アズール商団から少なくない動揺が生まれる。

 彼らにとって白銀の賢狼は絶対的な存在だった。誰にも負けない、何者にも侵せない絶対不可侵性を持つ、神と言い換えてもいい。


 そんな白銀の賢狼が、まさか青年一人にここまでの警戒を示すとは思ってもみなかった。

 森で怪我をしたのは卑劣な罠にかかったか、魔法を使えるらしい青年に遠距離から狙われたものとばかり思っていた。

 残された狼の群れで翻弄している間に一人ずつ噛み殺していくという筋書きが初手から躓きかけている。

 グレアムの背に嫌な汗が伝う。もしや自分は、どこかで決定的な思い違いをしているのではないか。

 この世界に、白銀の賢狼よりも強い個人が存在するのではないか、と。


「お前ら如きに俺の相手は務まらねぇよ。精々そこで見てな」

 アキツの体勢が僅かに沈み込む。刹那、風を置き去りにする勢いで賢狼へと迫った。

 互いの距離は元々5メートルもない。数歩で距離を詰めると同時に両手の短剣が閃く。まさに視認すら覚束ない瞬息の一撃。

 対する賢狼はそれを目で見切るのではなく、本能的な気配を頼りに前足を振るっていた。両者の一撃が真っ向からぶつかり合い金属質な音を響かせる。


 下からの斬り上げを、賢狼の爪が上から押さえ込む。両者の体格差を考えればアキツに勝ち目はない。

 だが、アキツの顔に焦りはなかった。寧ろ賢狼の方が苦しそうな表情を浮かべている。

 ぴしり、と不吉な音がした。賢狼の太く鋭利な爪に細かなヒビが走り始める。同時に少しずつ、しかし確実に振り下ろされているはずの足が持ち上がっていた。


「その程度で、防げると思うなァッ!」

 気合一閃。圧し掛かる体重を跳ね返すと共に短剣を滑らせ、断ち切られた爪の先端が宙を舞う。

 抵抗のなくなった切っ先はそのまま滑るように賢狼の胸元へと吸い込まれ、皮膚を浅く割いたところで弾かれるように後退されてしまった。

 僅かに赤く濡れた先端を軽く振るい風圧で弾き飛ばしてから再び構える。男達は人間業とは思えない攻防を前にぽかんと口を開け、乱入しようという気配は消えていた。


 今度は賢狼が呼予備動作なしで飛び上がる。体重で足りないのなら高度を威力に乗せるしかない。

 踏みつけるような一撃をアキツはステップで回避した。着地の瞬間を狙って今度は賢狼の腕が伸びてくる。

 それを冷静に短剣の背で流し、胴体の下へ潜り込むように身体を滑り込ませる。


 アキツの弱点はリーチの短さだ。一対の短剣は刃渡りが20センチ強といったところで、密着するくらいでないと刃が届かない。

 腕や爪を幾ら切り裂いたところで致命傷にはなりえず、1撃1撃を正確に対処しなくてはならないアキツと比べ、スタミナでは賢狼の方に分がありそうだった。

 勝負を長引かせればその分だけ動きに精彩さを欠く。

 執拗に距離を詰めようとするアキツに対し、賢狼は近づかせまいと手数を増やしていた。

 矮小な人間相手なら全力を籠めずとも掠めるだけで大打撃になりえる。時には頭上を飛び越えるようにして後ろ足を繰り出すなど、動きのある多彩な攻撃で追い詰めにかかっていた。


 互いに譲らず、銀狼の身体に細い傷が増えるにつれてアキツの息も上がり始める。

 ゲーム時代には疲労なんてなかった。HPが尽きるまで自由に走り回ることもできた。破裂しそうな心臓も、重くなりつつある手足も、痛いくらいここが現実だと教えてくる。

 そう、ここは現実で、サスケはもう居ない。それを認識させられるたびに柄を握る手は自然と力が篭った。目の前のこいつだけは、何が何でもこの手で打ち滅ぼしてみせると。


「いけ、そいつを狩るのだ! 熟練の槍兵すら寄せ付けぬお前に弓兵如きが敵うものか!」

 硬直した戦況を見守るグレアムが激を飛ばした。賢狼が任せろとばかりに小さく吼える。

「へぇ、こっちの世界じゃ弓兵より槍兵のが強いのか」

 それを聞いてアキツはさも意外そうに呟いた。

 常識的に考えれば、弓の間合いを詰められた時点で弓兵が槍兵に勝てる道理はない。


「なら残念だったな」

 アキツは未だ余裕のある表情で薄く笑いながら、もう何度目になるかも分からない構えを取った。

「俺らの常識じゃ、槍兵相手に双小剣でやりあえなきゃ弓兵は名乗れねぇんだよ!」

 そもそもアキツがインベントリに一対の短剣を忍ばせていたのは遊びに過ぎない。

 随分と昔のゲームに影響を受けたのもあるが、サスケと一緒に剣を打ち合わせるチャンバラごっこは存外に楽しかったのだ。

 PvPとまではいかないまでも、お互いに全力を出した手合わせを幾度となく行っている。


 アキツはそれを趣味や遊びの延長だと考えていた。暇つぶしと言い換えてもいい。男の子にとって剣のやり取りは憧れなのだ。

 だからこそ続いたし、最初の頃はサスケに負け通しで悔しかったからこっそり練習もして、最近は良い勝負ができるまでになっていた。

 そう、良い勝負になってしまっていたのだ。本職の近接職、それも手数重視のサスケと、後衛職の弓兵で主武装でもない武器を持ったアキツとで。

 システム補正を受けられるかどうかで武器の取り扱い難度は大きく変わる。例えば弓なら半自動的にロックオンされたり、狙撃の為のサークル表示が行われたりするのだ。

 そうしたアシストを抜きにして本職と渡り合うのがどれだけ規格外な習熟度であるかを、ただの遊びと割り切る2人は知る由もなかった。


 アキツが踏み込む。もう目の前の白銀の賢狼を見てもいない。

 もっと早く。

 水平に振り抜かれた前足を、地面すれすれまで屈むことで回避する。サスケの動きはこんな鈍重ではなかった。

 そのまま、飛び込むようにして身体を回転させ、隙だらけの身体に密着する。

 もっと鋭く。

 逃れようとする賢狼の身体に向けて目にも留まらぬ突きを繰り出す。サスケの一撃はこんなに浅くなかった。

 賢狼の身体へ僅かに突き刺さった切っ先が震える。身体の中を流れる力の一端が自然と吸い込まれ、次の瞬間、螺旋状の風となって賢狼の足を貫いた。


 今までとは違った深く鋭い一撃に、賢狼が苦悶に満ちた悲鳴を上げる。

 届かなかったはずの一撃が届いた。弓兵に短剣系のスキルは用意されていない。にも拘わらず、今のは間違いなく刺突系スキルの【スパイラルウィンド】だった。

 ずっと昔、まだサスケが盗賊(シーフ)だった頃によく使っていたのを覚えている。

 何かの間違えで使えたりしないか試した事もあった。ゲーム時代ではその気配すらなかったけれど、制限の取り払われたこの世界であれば。

 真に迫ることが出来れば、使えるはずのないスキルも使えるのではないか。


 血を滴らせる賢狼を前に、アキツが短剣を構えたまま目を瞑った。

 悔しいが賢狼の素早さは確かだ。本来は弓を主武装に扱う自分ではあと少しが届かない。

 かつての親友の姿を目蓋の裏に思い浮かべる。どうか願わくば、その力の一端を貸して欲しい。

 幾度の狩場を越えて見続けてきた姿は、今なおアキツの脳裏に薄れることなく残り続けている。


 始めの一歩は無意識の内に踏み出していた。視界の先にフィールドを縦横無尽に駆ける親友の姿が陽炎のように揺れる。

「うおおおおおぉっ!」

 目を見開き、浮かび上がった幻影に己が身を重ね、地面ギリギリに振り払われた後ろ足を跳んで回避。

 賢狼の背後に回り、ほんの瞬き一度分だけ姿を見失った瞬間。

「【暗殺(アサシネイション)】ッ!」

 あらん限りの力で脳裏に浮かぶ幻影に追い縋る。身体の中を巡る力が爆発的な勢いで短剣へと流れ込み、薄く発光した刹那。

 賢狼の前足が2本とも何の抵抗もなく寸断された。


 これまでにない絶叫を迸らせ賢狼がもがき苦しむ。

 一方でアキツも、本来ならば習得していないはずのスキル行使により身体には過大な負荷がかかっていた。

 本来なら胴を分断してしかるべき威力が前足に留まったことからも再現度は決して高くない。真似事は真似事、記憶の中の親友には到底届きそうもなかった。

 ごっそりと失われた体力を少しでも回復すべく荒い呼吸を繰り返す。


「ハク!」

 動いたのはどちらでもない、外野に徹していたグレアムだった。まさか賢狼が一人を相手にここまで追い詰められると思っておらず、名前を叫びながら顔面をかつてないほど蒼白にかえて近寄る。

 その手には意匠が施された小瓶が握られていた。ここで回復されるのはまずいと、アキツは重りを背負わされたような身体を無理やりに走らせる。

 賢狼は主人の姿を見て甘えるような声で鳴いた。大柄な身体からは似ても似つかない可愛らしさだ。

 痛みに苦しんでいた瞳はたったそれだけで理知的な光を取り戻す。精細さを欠いたアキツ目掛けて残った後ろ足を振り上げるのは簡単だった。


 地面に伏した状態からでは万全な力を振るえない。それでも、小柄なアキツを吹き飛ばすには十分だった。

 咄嗟に腕を前に構え爪に切り裂かれるのだけは避けるも、膨大な質量を受け流す余裕はなく、身体は軽々と宙へ浮き上がる。

 その僅かな隙に応急手当だけでも済ませようとグレアムが小瓶に手をかけた瞬間、アキツの吹き飛ばされた方向をチラリと見て呆然と口をあけた。


 アキツが短剣を使っていたのは弓の間合いに持ち込ませてはくれないと考えたからに過ぎない。

 賢狼の強烈な一撃により十メートル近くも跳ね上げられた今なら、アキツに追いすがれるものはなく、何の気兼ねもなしに狙いをつけられる。

「終わりだ」

 不安定な体勢を瞬く間に制御。手にした短剣を愛用の弓へ持ち替え、赤いオーラを纏う矢を番えた。

 足を失いまともに動けない敵を相手に、この至近距離で外す道理はない。しっかりと急所に照準を当て、引き伸ばされるような感覚と共に放つ。


「【ペネトレイト・アロー】ッ!」

 螺旋状に渦巻くオーラを滾らせる貫通矢が寸分の狂いもなく賢狼に向けて突き進む。

 狙いは首の付け根、おおよそ全ての哺乳類に対する急所となる脊髄だ。

 貫通力の高いこのスキルなら難なく貫いてみせると確信したところで、不意に動く影があった。


「な、にを!」

 アキツが弓を構えた時点で意図を悟ったのだろう。グレアムは着弾までの僅かな時間を使い、迫り来る螺旋の矢の射線を塞ぐ形で立ちふさがる……に留まらず、まるで解き放たれた矢を受け止めようとするかのごとく両手を突き出したのだ。

 馬鹿げていた。熟練の盾職でさえ弾くほどの威力を、何の能力もないただの商人風情が、それも素手で止められるはずがない。

 矢を取り巻く圧倒的な威圧感からそれがわからないはずがないのに、グレアムは視線の先で薄く笑ってさえいた。

 決して狂気の類ではない、とても穏やかな表情で。

 アキツはそれと同じ表情をどこかで見た気がした。心が拒絶して、塗りつぶされてしまった景色の向こう側。

 あぁ、そうだ。あれはハルトを大岩の軌道から逸らした時にサスケが浮かべていた表情と同じで。


「人如きが……ぬおおおオオオオォッ!」

 接触した手のひらが何の抵抗もなく捩れ、抉れ、削られるのも構わず、ともすれば吹き飛ばされそうな身体を雄叫びを上げながら奮い立たせ持ち堪える。

 本能的にグレアムが何をしようとしているのかを察したアキツの照準がブレたのか、生身の身体で動かせるはずのない軌道を奇跡的に逸らしてみせたのか、正確なところは誰にも分からない。

 ただ、アキツの放った矢は賢狼の急所を僅かに外していた。


 グレアムの身体がその場に崩れ落ちる。正面からスキルを受けて無事でいられるはずもなく、横腹には一目で助からないと分かる大穴が開いていた。

 溢れ出る血が白銀の毛並みを汚していく。急所を避けた賢狼にしても即死に至らなかっただけで十分に致命傷だった。

 身体は動かず、頭を持ち上げただけでも傷口からは僅かに残る血液が大量に流れ出ていく。

 もはや残された命は風前の灯火だった。

 賢狼もそれを悟って、最後の一滴を振り絞るかのように延ばした頭がグレアムの身体へ重ねられる。

 その瞬間。どう考えても既に絶命しているであろうグレアムの腕が僅かに動き、白銀の毛並みを撫でたように見えたのは気のせいだろうか。

 まるでそれを喜ぶようにか細い鳴き声が漏れる。それきり、2つの影は静かに時を止めた。



「あんたは結局、人間よりもそいつを選んだんだな」

 眠りについた白銀の賢狼は激戦の苦しみなどなかったかのように穏やかな表情を浮かべている。

 毛並みに覆い隠されたグレアムの表情は見えないが、似たようなものなのだろう。

 サスケを殺された苛立ちは今でも燻っている。けれど、それを残された骸に吐き散らそうとは思えなかった。

 グレアムにもそうするに至った理由があったのかもしれない。それを許すつもりはない。ただ、自分の信念を貫き通した姿はサスケを髣髴とさせた。

 何より、認めたくなくて心の奥底に封印していた記憶が語っている。最後の最期で後は任せたとばかりに笑ってみせたサスケは復讐を望まないだろうと。

 仇は討った。今のアキツにはそれで十分だった。


「お疲れ様、でいいのかな。結構はらはらさせられたよ」

 いつの間にか隣に立っていたギルバードが心配そうにアキツの顔を覗きこむ。そこに暗い感情が渦巻いていないことを知ってほぅっと安堵の溜息を吐いていた。心配性だなと思わず苦笑が漏れる。

「無理言って悪かった。こいつだけは俺だけの手で倒したかったんだ」

 遠距離職のアキツが一人で白銀の賢狼を相手にするなんて馬鹿げている。

 既に大部分の狼は殲滅してあるのだから、らんらんか回復庫をサポートに回すだけで苦戦を強いられることはなかっただろう。

 なのに、アキツはどうしても一人で戦いたいといって聞かなかったのだ。

 結果的にはそれで吹っ切れるものがあったようだが、付き合わされる身としては溜まったものではないと肩を竦めて表現する。


「最後の仕上げといこうか」

 まるでそんなギルバードから逃げるようにアキツは言った。

 用意した策が奇跡的に上手く回ってくれて白銀の賢狼と、ついでにグレアムを倒せはしたが、これで全部が終わったわけじゃない。

 アズール商団は狼を従えていた。それはつまり、今までのクーイル商会の被害は全部、アズール商団に責任があるということになる。

 犯した罪は裁かれねばならない。


「らんらん、頼んだ」

 気分を切り替えたアキツは頭目と頼みの綱を失いうろたえているアズール商団に向けて声を張り上げる。

「アズール商団! お前達が狼を使ってなした罪はお前達自身に償ってもらう! 逃げようなんて思うなよ、もしそんな気を起こしたら……こうなる」

 ざわりと揺れる彼らの目の前でらんらんはおほーという喜びの雄叫びを上げてから朗々と詠唱を始めた。


「【天駆ける光芒が詠い廻る経絡 災禍となりて降り来たれ】」

 虚空に大型の魔法陣が展開されるや否や、拡大しながら空を覆いつくしていく。

 何事かとどよめきが生まれる中で天空が口を開けた。轟音が大気を引き裂く中で、真っ暗な空間から炎に包まれた大岩が顔を覗かせる。

 刹那、凄まじい勢いと共に大地へ解き放たれ、飛び上がるほどの衝撃を撒き散らした。

 巻き上げられた土砂が顔を出したばかりの陽光を遮り薄暗く染まる中、衝撃により分裂した岩のかけらがそこいらに撒き散らされる。

 煙が晴れる頃には広い草原のそこかしこが出鱈目に掘り返され、凄惨な光景を作り出していた。


「こいつを掻い潜る覚悟があるなら逃げてみろ」

 これ以上ないくらい分かりやすい脅しにアズール商団の男達が心を砕かれガクリと膝をついた。

 牧羊犬に怯えていた彼らにそんな度胸がある筈もない。


「ゴルーザだったか。あんたのとこの人員を借りてこいつらを拘束できないか? クーイルまで連行して事情を話して欲しいんだ。こいつらを裁く権利があるのはクーイルの人達だろうからな」

 未だに腰を抜かしたままの商人はアキツの提案にただただ首を振り続け恭順の意を示す。

 頼りないと思ったが、手を貸して立ち上がらせるとすぐに連れてきた男達へ指示を飛ばし始めた。

 ヘマをすれば何をされるか分からないと怯えているらしい。申し訳なさを感じるが、今は急ぎことを進めかったので黙っておく。


「それからアズール商団の……誰でも良い。狼の巣がある場所まで案内しろ。分かっているだろうが、嘘をついたり逃げようとしたら酷い目に会う。誰も名乗りを上げないなら漏れなく全員が酷い目に会う」

 ひぃと情けない声が方々から上がった。続いてお前知ってるだろうと仲間を売る声が重なる。声の先を見れば、まだ歳若い青年が絶望的な表情を浮かべていた。

「お前、確か契約の時に居た……」

「ひぃぃぃ!? あ、案内するっス! だからどうか命だけは、命だけは勘弁して欲しいッス!!」

 目をつけられた青年はもはや逃れられまいと、プライドをかなぐり捨て、地べたに額を擦りつけながら許しを請う。

 あまりの情けなさに白けた視線を送るが、場所を知っているのならこの際何でもよかった。


 ゴルーザが手勢を集め、アズール商団の男共を縛り上げてからクーイルに向かうのを見届けるなり、アキツ達も狼の巣に向けて出発する。

 緊張で足が震える青年が草の根や段差で転倒するたびにその場で土下座を始める以外に道中での会話はなかった。

 かつて奇襲を受けたときの恐怖は未だ心に傷を残している。アキツ達もまた緊張していたのだ。

 細かく索敵を使い、狼が伏せられるような穴がないか確かめつつ進むのは酷く時間がかかった。


「こ、ここっス」

 やがて森の奥深く、サスケの落下した崖に程近い場所まで案内される。

 そこには地中へ続く仄暗い大穴がぽっかりと開いていた。

「白狼が掘った巣穴ッス。元はかなり広かったんスが、前の戦闘で大部分が崩落してるっス」

 あのときに飛び出してきた灰色狼もこの巣穴の中に設けられた無数の通路のいずれかを使ったのだろう。

 幾ら探しても見つからないはずだった。まさかこんな地下に大帝国を築いているとは。


「中には?」

「……生まれたばかりの狼と世話をする狼がいるっス」

 アキツの問いに一瞬躊躇ってから、しかし握られた短剣を見て仕方ないとばかりに白状する。

 既に第1子は生まれていたらしい。戦える狼はみな引き連れていただろうし、ここが本当に最後の生き残りなのだろう。

 邪魔にしかなりそうもない案内役の青年を【眠粉(スリープパウダー)】で転がしてから松明に火を灯しトンネルへ足を踏み入れる。

 中は思ったよりも広く、しっかりと固められているようだ。恐らくアズール商団の面々も手伝ったのだろう。そこかしこに人の手が加わったと思われる場所が残っている。


 ここに居るのが子育て中の狼ならその凶暴性は今までと比較になるまい。我が子の為なら死に物狂いで抵抗するだろう。

 万が一の際に攻撃を防いでくれるカナタの【プロテクション】がどれだけありがたい存在なのかを今さらのように理解する。

 視界も狭く、身動きの取りにくい洞窟内では狼相手に完璧な立ち回るのも難しい。

 囮となるゴーレムを作れれば良いのだが、流石にそこまで天上は高く出来ていなかった。

 1噛みくらいは覚悟すべきなのかもしれない。しかし、群がられた恐怖は未だ新しく、足が竦みそうだった。


 自然、足の進みは牛歩のそれになる。慎重に、安全を確かめてから。1メートルごとに索敵スキルを使う勢いでゆっくりと足を進めていく。

 平時なら30秒もかからない距離を10分近くも使って進んだ頃、不意にトンネルの先から音が聞こえた。

「そうそう、それがお手。偉い偉い、よしよしよーし」

 緊張感の欠片もない人の声にアキツ達の表情が困惑に染まる。しかしそれも束の間。考えても見ればここはアズール商団の根城とも言えるわけで、誰か残っていても不思議ではない。

 無言のまま目配せをして先に飛び込むと合図する。ゆっくりと指を折り曲げ、それが0になった瞬間。


「動くなッ!」

 通路の先を曲がり、声のした部屋へ武器を構えながら滑り込んだ。

「お……おぉ!?」

 突然の闖入者に部屋の主が驚きの声をあげる。

「は、はぁぁぁぁ!?」

 だがそれ以上に、部屋へ飛び込んだアキツの方が素っ頓狂な悲鳴を響かせていた。


「な、な、なんでサスケが!? おま、死んだだろ!」

 飛び込んだら生後1ヶ月くらいの小さな子狼に群がられ満更でもない表情を浮かべたサスケ本人が居たのだ。驚かないほうがどうかしている。

「勝手に殺すなよ! いや、確かにかなりやばかったんだけどさ」

 アキツの叫び声に何事かとらんらんやギルバード、回復庫も雪崩れ込んでくる。

 そしてもふもふの中に埋まっているサスケの姿を見て、じゃれていた子狼が抗議の声をあげるのも気にせず、目尻に涙を浮かべながら抱きついたのであった。


「ちょ、待って待って、身体中の骨が折れてて死ぬから、マジで死んじゃうから! というか回復薬持ってたらください!」

 見ればサスケは身体中に無数の傷を負っていて、壁に背を預ける姿もかなりしんどそうだった。

「お前、自分の回復薬はどうしたんだよ!?」

 慌ててインベントリから高位ポーションを取り出すとサスケに飲ませる。どういう仕組みか知らないが、それだけで骨折すらくっつくのだから不思議だった。

「おお、痛いのが消えていく。あぁ、助かったわ、さんきゅーな」

 群がる子狼を踏まないよう慎重に立ち上がると、手足を動かして問題がないことを確認し、ようやく人心地ついたのか大きく伸びをする。

 その姿はどこまでもマイペースで良くも悪くもサスケらしかった。


「それはいいけど、一体何があってどうして生きてるんだ? 幽霊……とかじゃないよな」

「親友にここまで死を望まれるのって想像以上にきっついんですけど」

 ぺたぺたと不安げに触ってくる親友にサスケはドン引きした様子で助けを求めるように周りを見る。

「ま、まぁ許してあげて。サスケが死んだって思ってからのアキツは本当に酷かったんだから」

 らんらんに言われて、もし自分が逆の立場だったらと思いを馳せる。……きっと同じようなことをしただろう。


「あー……その、悪かった」

「いや、俺こそ。無事でよかったよ。本当に」

 照れくさそうに謝るサスケの肩を、アキツは心底嬉しそうな様子でばしばし叩く。

「話すよ、何があったのか。あと流石に痛いって」

 調子に乗って勢いの増してきた手を容赦なく振り払いながら、長話になるからといって座れと地面を指差すのであった。






「白銀の賢狼に大岩を投げられた時はさすがにやべぇって思ったんだけどさ」

 当たればポータルゲートに届かなくなる。身動きの取れない落下中に避けるのはどう考えても不可能で、しかし諦めたわけではなかった。


「ぶっちゃけ俺ならどうにかなるかもって思って」

 Agiに特化したサスケの俊敏性は折り紙つきだ。現代の忍者といえるかもしれない。

 自分の力をもってすれば壁を登れるかもしれないし、小さな取っ掛かりに掴まって崩落をやり過ごせるかもしれない。

 だが、重量のある騎士鎧を着込んだハルトではそうも行くまいと、ひとまず彼だけはポータルゲートに押し込むべく大岩の軌道から逸らしたのだ。


「ただちょっと誤算があったって言うかさ……」

 次いで大岩の衝撃を受け流そうと手足を伸ばしたところ、尋常ではない痛みが走った。

 先の白銀の賢狼の攻撃はサスケの身体に容赦なく甚大なダメージを与えている。

 大岩を足場に崖を登ったり掴まるなんて真似は不可能。必死で辺りを探した結果、崩落しつつある崖にぽっかりと穴が開いているのを見つけたのは偶然に過ぎなかった。


「このまま落ちるよりは可能性ありそうだと思って、その穴に飛び込んだんだ」

 外からでは奥を見通せないほど深いなら崩落を免れるのではないか。着地と同時に襲ってきた激痛をどうにか飲み込み回復ポーションを手足へ振りかける。

 そうしている間にも崖は崩落を続けていて、どこへ続くとも知らない穴を死ぬ気で走り続けるしかなかった。


「不幸中の幸いって言うか、俺の職業って夜目が聞くから真っ暗な道でも転ばずに済んでさ」

 流石は暗殺者。僅かな視界を頼りに背後に迫る土砂から逃れ、どうにか広い場所に辿りつくまではよかったものの。

 どうやら地盤全体に甚大な被害を受けているらしく、そこでも崩落が始まりつつあったのだ。

 しかも広間には見慣れた先客で溢れていた。


「何で都合よく穴がって思わなくもなかったけど、別に偶然じゃなかったんだ。白銀の賢狼は崖の近くに巣を巡らして、だからあそこで奇襲をかけられたんだろうね」

 灰色狼から奇襲を受けたのは記憶に新しい。あれはわざわざあそこに伏せっていたと言うより、ここに作られた巣穴を利用したに過ぎなかったのだろう。

 地面の崩落が予想以上の範囲に及んだのも、巣穴が張り巡らされていたことと無関係ではあるまい。


 サスケの目の前には崩れつつある部屋から子狼を逃がそうと必死に走り回る親狼の姿があった。

 だが、既に天井は限界を迎えていて、全てを安全な場所へ連れ出すよりも早く洞窟は崩落する。

 実際、子を逃がそうと奔走する親狼の中には局所的な崩落に巻き込まれ、手足を骨折して埋まるに任せる姿もあったくらいだ。


「俺はそれを見て……逃げられなかったんだ」

 狼が敵なのは理解していた。現にこれまで何匹もこの手で殺している。それでも、身体は勝手に動いていた。

 埋もれようとしている我が子を必死に助けてまわる親狼をどうしても無視できなかったのだ。

 インベントリに格納できれば話は早かったのだが、生き物は入らないらしい。仕方なく両手に抱えられるだけ抱えて親狼の後に続く。

 人間に子狼を触られているというのに親狼は特に反応を示すこともなく、寧ろ時折気遣うように振り返りながら安全な場所を教えてくれた。


「頑張ったけど、全部は助けられなかった。多分3割くらい。親狼も2匹を残して崩落に巻き込まれたよ」

 子狼は地鳴りの音に怯えて勝手にあちこち逃げ回ってしまう。抱えあげても身を捩って逃げ出してしまうときもあった。

 パニックの前では親の吼え声も効果は薄く……ついに限界を迎えた天井が多くの狼を残したまま、無慈悲にも全てを押し潰してしまった。

 そうなれば、いかにサスケでも救出は不可能だった。


「それに、助かった狼も無事とはいえなかった」

 サスケでさえ、救助中に落ちてき岩や土砂で潰されそうになり、大小様々な傷を負ったのだ。

 落ちてきた岩に身体を潰された狼もいたし、運ぶ途中で骨を折ってしまった子狼もいた。

 崩落に巻き込まれ、掘り起こした時には息をしてなかった狼もいた。

 このままでは遠からぬ内に死んでしまう。一体何のために危険を冒してまで助けたというのか。


「だから、インベントリに入れておいた回復薬を使ったんだ」

 元より回避を前提にしているサスケは手持ちの回復アイテムの数が少なかった。

 折角助けた狼を絶対に死なせてなるものかと、少しばかり過剰に使ってしまったのが運の尽き。

 状況が安定し、これで一難去ったと思った頃には自分の分の回復薬がすっかり底をついていたのだ。

 同時に興奮状態で薄れていた痛みまで戻ってくる。白銀の賢狼にやられた傷だって、回復薬を1本ふりかけたくらいでは焼け石に水。

 気付いた時には敵の本拠地の真っ只中で動けないという、致命的過ぎる状況に陥っていたのである。


「幸いって言うかなんていうか、親狼は俺が子狼を助けてくれたって分かってくれたみたいで襲われなかったんだけどさ」

 とても歩いて帰れるような傷の具合ではない。

 ハルトが見せてくれたように、プレイヤーの身体が持つ自然回復を頼るしかなかった。

 幸い、野営に必要な毛布や非常食はカナタの提案で一通り揃っている。

 歩けるようになるまで待つしかないと考えたところで、白銀の賢狼が帰ってきたのである。


「正直、あ、これ無理だわって思った」

 何の誇張もなくサスケは死を覚悟した。見たところ白銀の賢狼も満身創痍だが、ろくに立ち上がれもしないサスケよりは余裕がある。

 事実、部屋に転がるサスケの存在に気付くなり怒りも露わに吼えたて、凶爪を振るおうとしたのだ。

 それでもなおサスケが生き残っているのは、ひとえに日頃の行いがよかったからに他ならない。


「そしたら、こいつが守ってくれたんだよ」

 サスケはそういって、遊び疲れたのか膝の上ですやすやと寝息を立てている白毛の美しい子狼を優しく撫でる。

 もうだめだと反射的に目を瞑り、痛みに身を硬くした瞬間。きゃんきゃんと、甲高い狼の鳴き声が洞窟に木霊したのだ。

 来るべき痛みが一向に来ず、恐る恐る目を開ける先では、十数倍はあろうかという体格差を物ともせず果敢に吠え立てる子狼の姿があって、白銀の賢狼は拗ねた様子で鼻を鳴らしていた。

 思わずやめろ、逃げろと叫んだサスケの思いとは裏腹に、子狼は甘えるようにまとわりつく。

 白銀の銀狼はそれを見て、あろうことかサスケへの興味を失ったかのように部屋を後にしたのだった。


「多分これ、白銀の賢狼の子なんだと思う。毛並み的に」

 純白のそれは今まで見た狼の中で最も白銀の賢狼に近い色をしていた。

 子どもを助けたからサスケも見逃して貰えたのだと思うと、サスケの行動は間違っていなかったのかもしれない。


「それだけじゃなくてさ、なんかやばそうな人間が来たときも庇ってくれたんだよね……」

 ぼろぼろの賢狼を治療する為にアズール商団は人手を派遣していた。もしも彼らが巣穴の中にいるサスケを見つければ容赦なく襲い掛かったであろうことは想像に難くない。

 白銀の賢狼としてもそれは避けたかったのだろう。サスケを心底嫌そうに咥えて入り口からは死角となる隅へ追いやり、自分の身体で入り口を塞いだのだ。

 中に入ろうとする人間には牙を向いて唸り、機嫌が悪いアピールも欠かさない。

 怪我で気が立っているのだろうと警戒した人間達も無理に部屋の中へ入ろうとはしなかった。




「それで、白銀の賢狼はどうなった? 少し前に凄い顔して慌てて出て行ったからさ。あれ、何かあったんだろ?」

 僅か数日とはいえ、満足に動けないサスケは白銀の賢狼と奇妙な同居生活を送ったのだ。

 終始サスケなど存在しないかのように振舞っていたが、子狼は構ってくれるサスケの存在をいたく気に入ったようで、白銀の賢狼は時折拗ねるような視線を投げかけていた。

 あれでいて中々の子煩悩だったらしい。

 その最期くらいは知っておきたかった。


「……倒したよ。強敵だった」

 アキツ達がここに来ていた時点で半ばそうだろうとは思っていた。別に悲しいわけではない。ただ少しだけ寂しかった。

 白銀の賢狼は人と変わらないくらい高度な知能を持っていたんじゃなかろうか。場合によっては分かり合える未来もあったのではないか。

 ふと、そんな風にも思えるのだ。


「そっか。じゃあアズール商団の目論みも崩れたんだな」

「おま、知ってたのか?」

 サスケの独白にアキツが驚いた顔をする。

 アキツがそうと気付いたのはグレアムがカナタを狙っていると知ってからだ。

 あの場に居合わせなかったサスケがどうやってと目を丸くする。


「ここは時間ばっかりあったから。それに、巣穴でこれを見つけて大体納得した」

 ごそごそと床を漁って出てきたのは見覚えのある薄青色の服だった。ところどころ土に塗れてしまっているけれど、カナタの寝巻きに違いない。

「思い返してみると狼はカナタちゃんを絶対に傷つけなかったんだ。白銀の賢狼も咥えただけだったし。あれはどこかに連れ去ろうとしたんだろうなってさ」

 ただ、サスケが知っていたのはそこまでで、目的が奴隷として売ることだと知るや否や憤慨していた。


「じゃあみんなはここまで後始末をしに来たわけか」

 サスケの言葉に忘れかけていた目的が思い出され、居心地の悪さに目を逸らす。

 群れて遊んでいる子狼達は無邪気そのもので、とても悪い存在には思えない。

 でも、ここでこの子達を、更にはその奥でアキツ達に視線を向けている最後の親狼を駆除しなければ、クーイルの抱えている問題は解決しない。


「あぁ。お前には悪いけど……」

 元よりそのつもりで契約を結んだのだ。たとえ子狼であっても、まして将来の白銀の賢狼とあっては見逃せるはずもなかった。

「【眠粉(スリープパウダー)】を使ってから、痛みは出来るだけ感じさせないつもりです……」

 慈悲というよりは、自分達が耐えられないから。そんな理由で貴重なアイテムを使おうとしている。


「だとしたら、俺はみんなと戦うことになるかもしれない」

 そんなみんなにサスケは迷いつつも言葉を返す。

 彼にしても命を懸けてこの子らを守ったのだ。

 自然の摂理では強いものが生き残る。だから人間が狼を駆逐するのは仕方のないことなのかもしれない。

 だけど本当にそれでいいのかとも思う。邪魔な存在をただひたすら斬り捨てて、最後に残るものは何だろうか。


「本気、か」

 長年の付き合いがあるアキツはそこに何の嘘も含まれていないことを確信する。

 サスケは昔からそういう奴だった。普段はどこか頼りなさを感じるのに、自分が間違ってると思ったことに関しては絶対に譲らない。

 それで元で喧嘩になったことが何度あったことか。


「だけどその前に俺の話を聞いて欲しい。ずっと考えてたんだ。どうして白銀の賢狼は行商人を襲ったんだろうって」

 子狼の1匹が興味深々といった様子で回復庫の指を舐める。身体が小さいので取っつきやすかったのかもしれない。

 好奇心旺盛な彼らは1匹が行くと僕も私もと後に続いて、瞬く間に人気者になっていた。


 いつの間にからんらんにも、ギルバードにも、そしてアキツにも。恐る恐るではあるが子狼が傍によってきている。

 親狼はそれを視界に捉えながら、けれどやっぱり様子を見ているだけで動こうとはしなかった。

 彼らの存在を敵ではないと認めているからだ。


「幾ら子狼が危機的な状況だったとしても、普通は見知らぬ存在が子狼を持ち上げたら警戒すると思うんだよね。それがなかったのはこの子達が人間に慣れてるからだよ」

 白銀の賢狼からしてグレアムにテイミングされていた経緯がある。

 アズール商団と狼は密接に繋がっていて、だからサスケが崩落現場に突然現れて手を貸しても攻撃されることはなかった。

 危機的状況下で他に頼れる物がなかったという前提はあるにせよ、狼は覚えのない匂いに警戒心を抱きつつも、見知った人間という存在を、サスケを信じたのだ。


「あの白銀の賢狼でさえ、まぁ態度は最悪だったけど子狼とじゃれても何も言わないくらいには信頼してくれた。それで思ったんだ。狼が必ずしも人間と敵対するわけじゃない。敵対する理由があるから敵対するんだって、そんな当たり前のことに」

 自分は白銀の賢狼をボスモンスターとかアクティブモンスターという枠組みでしか捉えていなかったのではないか。

 化け物だから、人間に危害を加えるから、倒さないといけない。そういうものなのだとばかり思っていた。

 どうして白銀の賢狼が人間に危害を加えるのかなんて考えようとすらしていなかった。


「狼に善も悪もない。害になるかは人間次第なんだ。今回はアズール商団のせいで害獣になったかもしれない。でも、やり方次第では益獣にだってなれるはずだ」

 夢物語だと笑われるかもしれないが、数日を巣穴で過ごしたサスケはありえない未来ではないと確信している。

 誰かを傷つけるのではなく、誰かを守るために狼の力を使うことで、人と狼が助け合う未来に繋がるのだと。

 良くも悪くもアズール商団という前例もあるのだ。不可能とは思わない。


「この子たちは魔物でも、愛情を注げばちゃんと返してくれる。それに、クーイルがこの先もずっと平穏でいられる保証はないと思うんだ」

 今回の狼はアズール商団の仕業だった。だけどいつまた同じことが、今度は自然に発生するとも限らない。

「考えてもみてよ。カナタちゃん達は亡者の森を抜けて合流したんだ。それってつまり、ここから徒歩で行けちゃう近場にヤバイ魔物が棲んでるってことでしょ。絶対にクーイルまで来ないなんて言いきれるの?」

 サスケの言葉に、居合わせた全員の顔が凍りついた。

 亡者の森のモンスターは高レベルのハルトとカナタが十分な経験値を稼げるくらい強い。狼にすら四苦八苦していた住民がどうにかできる相手ではないのだ。


「でも、この子達が居れば、人間を仲間だと思ってくれるなら、対抗手段になり得るはずだよ」

 今はまだ子狼だが、数年もすれば立派に育つ。

 万全の状態の白銀の賢狼が強化された取り巻きを従えれば、殲滅は難しくとも逃げる時間くらい稼げるだろう。

 警戒にしたって、人間なんかよりずっと感度が高いのだからだ。



「今ならアズール商団の脅威を前例って形で利用できると思うんだ。説得する絶好の機会なんだよ。だから頼む、みんなも手伝ってくれないか」

 クーイルがここに町を作ってから少なくない時間が流れたはずだ。

 こうして繁栄を続けていることからも、亡者の森から魔物が湧きだしてきたことはないはずで、今後もそうなる確率は低い。

 けど、ゼロじゃない。アズール商団が人為的に白銀の賢狼を連れてきたように、誰かが悪意を持って現状を打ち壊すことはできるのだ。


「おほー、らんらんは賛成よ。仲良くなれるなら狼でも豚でも問題ないわ」

 眠っている間に痛みを感じさせず即死させられるのはらんらんの魔法しかない。仕方ないと割り切りつつも、好き好んでやりたいわけではなかった。

「もちろん僕もです」

「当然、僕もさ」

 他に方法が、それも人と狼が共存する未来がありえるのなら断る理由なんてない。


「人をあれだけ心配させておいて自分は狼の心配かよ。あぁ、そうだな。お前はそういうやつだったよ……」

 張りつめていた緊張とか、覚悟とかが全部そっくり抜け落ちて、アキツは思わず脱力してしまう。

「もう好きにしろ。全力で手伝ってやるからさ」

 どこからか見つけてきた捨て猫の里親探しに付き合わされたのだって1度や2度ではない。

 今回はちょっとばかし数が多いけど、纏めて引き取って貰うんだから交渉の手間もかからないだろう。

 やりたくもない仕事を嫌々するより胸を張れる仕事をしたいと思うのは当然だった。


「でもどうやって連れてくよ?」

 アキツがわらわらと群れる子狼を数えたところ14匹もいる。そもそも巣穴から連れ去るのは奥で寝そべっている親狼も許さないのではないか。

 そんな心配をよそにサスケは立ち上がって親狼の傍によると、あろうことか普通に語りかけ始めたのだ。

「ここは危ないし、もうボスも戻ってこない。俺達と一緒に行こう」

 いや、それは流石に無理だろうとアキツ達が呆気に取られている前で、しかし狼はのそりと立ち上がり頷くかのように小さく吼える。


「分かってくれたみたい。それじゃ手分けして運ぼうか。毛布とかあればそれに包む方が良いよ、結構やんちゃだから暴れて落ちると危ないし」

 目の前でてきぱきと準備を始めるサスケの姿にアキツ達は言葉を失う。

 事実、親狼は子狼を鼻先でつついて纏めているのだから、通じたのだと信じる他ない。

「もうなんでもいいや……。サスケの言う通りにすんぞ」

 一体いつから親友は狼の調教師に職業変更(ジョブチェンジ)したのか。

 目まぐるしい状況の変化に頭を使うのが馬鹿らしく思えてアキツは投げやりにありのままを受け入れることにした。






 洞窟を出た後、寝転がっているアズール商団の青年に状態異常回復薬を飲ませて【眠粉(スリープパウダー)】の効果を解除。

 暫くは覚醒の余韻でぼんやりしていたようだが、子狼を抱えるアキツ達と、それに付き従う親狼を見て飛び起きた。

「……てっきりまとめて殺すのかと思ったっス」

「気が変わった。クーイルで飼い馴らす。お前等みたいなのがまた出てこないとも限らないからな。町の守護者にでもなってもらうさ」

「……そっスか」

 アキツの言葉に青年は目を丸くしながらも、どこかほっとした表情を浮かべている。

 狼の行く末を心配していたのは明らかで、道具と割り切っているようには見えなかった。


「どうしてクーイルを襲わせたんだ。白銀の賢狼を使役できるなら他に幾らでも活用できただろ」

 グレアムにしてもそうだ。身を挺してまで庇おうとしたことからも大切に思っていたのは間違いない。

 だから白銀の賢狼も、最期の瞬間にはグレアムと触れ合うことを望んだ。

 人を襲えばいずれ危険な存在とみなされ、討伐されると分かっているはずなのに。

 あちこち場所を変えて商売をしていたのだって、一つどころに留まることに危険を覚えていたからではないのか。


「それしかなかったからっスよ」

 そうした疑問の数々を、青年は諦めの入り混じった言葉で流した。

「まさかとは思うが、人の肉を食べないといけないとか」

「自分、なかなかエグいこと考えるっスね……。もしそうならアズール商団でも持て余したっス。雑食なんで餌はなんでも平気っスよ」

 脳裏を過ぎった嫌な予感が予感で済んだことに胸を撫で下ろしつつ、では何故と再び尋ねる。

 青年は暫く押し黙ったままだったが、根負けした様子で大きな溜息を漏らした。

「いいっすよ。町の人達を説得できたら全部教えるっス」

 それきり、青年は役目を終えたとばかりに口を閉ざすのだった。






 説得は難航した。

 狼の恐怖は町の人々に今なお深い傷を残している。

 家族を失った村人もいるのだ。直接的な原因である狼を飼ってほしいと言われてすぐに頷けるものじゃない。

 危険はないのか。本当に森の奥に強力な魔物が棲んでいるのか。ここを放棄するほうがいいんじゃないか。色々な意見が噴出した。

 けれどそんな村人達に向かって、アキツ達は丁寧な説明を続けたのだ。今すぐにでもカナタ達を追いかけたい気持ちを押し殺して。


 一番の被害者でもあり、功労者でもある救済者(セイヴァー)の言葉は少しずつ村人達の心を動かした。

 何より大きかったのは、商会に大きな貸しが出来ていたことだろう。

 口車に乗って証文を破棄したのは彼らである。全権を委ねていたとはいえ、軽率だったことに違いはない。

 最終的に商会自らが責任を持つと宣言してもらうことで、どうにか事なきを得たのだった。



 アズール商団の処分も紛糾の末に保留が下る。

 クーイルに裁判施設はない。基本的に領地に対する攻撃は全て領主の管轄なのだ。

 ましてアズール商団の被害はここクーイルだけに留まるものではない。

 ここから一番近い交流施設のある街に護送して領主預かりとされることになった。


 といっても、結果は決まっているようなものだ。魔物を使って人を襲わせるなど前代未聞。

 尋問で全容の解明が明らかにされ次第、死刑を突き付けられるに決まっている。

 ゴルーザはグレアムの取引に乗りかけた汚名を晴らすため、キャラバンの一部を使い護送を引き受けることにしていた。


 出発の前夜。アキツは拘束されたアズール商団の元を訪れていた。

 救済者(セイヴァー)の願いとあっては町の人間も嫌とは言えない。


「狼は無事に受け入れられたよ」

 アズール商団の居なくなったスペースである程度の大きさになるまで子狼を飼い、以後は放牧地を改装して放し飼いにする計画らしい。

 誰がどう見ても厄介な案件の担当者として抜擢されたのは、あろうことかキエルだった。

 アキツがどうか商会を説得するのを手伝ってくれと頭を下げたところ、俺に任せろと胸を叩いて見せたのだが、まさか自分から名乗りを上げるとは思わなかった。


 キエルは行商人の父親を狼に殺されている。思うところもあるはずだ。

 仮にも救済者(セイヴァー)に任された大仕事である。途中で投げ出すわけにはいかない。

 大人達は本当に平気なのかと再三聞いたようだが、返ってきた答えはごく単純なものだった。


 父親を殺した狼は憎いけど、それを命令したのはグレアムだった。

 狼だからという理由で全ての狼を憎んだら、同じように全ての人間を憎まなくてはならなくなる。

 悪いのは狼でも人間でもなく、グレアムという個人であって、そこを間違えるつもりはないのだと。

 この狼に罪はない。だから自分が恨む必要もない。兄ちゃんに任された役目を果たしたい。

 純粋な少年の言葉に、大人達は頷くしかなかった。


「よくできたお子さんスね……」

 青年は毒気を抜かれた様子でぽつりと漏らす。

「いいっスよ。全部話してやるっス」

 少し長い話になると前置きをしてから居住まいをただす。望むところだった。まだ夜は更けたばかり。時間は十分にある。

「魔物なんて本当はどこにもいないんスよ。それは心の中にあるものっスから」

 彼は願う。少年がいつか、そう遠くない未来に選択を強いられた時に。この話がほんの少しでも決断の助けになることを。

 強すぎる力がいかに人の因果律を歪めてしまうのか。これから話すのは、そういう話に他ならない。

Extra Episode:少年と白銀の狼は後日分離掲載します。

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