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World's End Online Another -僕がネカマになった訳-  作者: yuki
第二章-境界の彼方、幻想の世界-
41/43

辺境の街と夢幻の救者-結-

「無事に旅立ったよ」

 ギルバードさんが相好を崩しながら告げた瞬間、アキツの瞳が見開かれる。

「お前ら……」

 そのまま大股で並び立つ2人へ近づくと両腕を振り上げ……。

「よくやってくれた!」

 がばりと抱きしめたのだった。


 突然の事態に背後のキエルが何事かと目を見開くのも構わず、アキツは小さな子どものように浮かれた声を上げる。

「第一段階は問題ないってことだな! あぁよかった、戻ってきてまだカナタちゃんが居たらどうしようかと気が気じゃなかったぞ。合わせる顔ねーもん」

 そこには絶望も悲嘆も憤怒も憎悪もない。ただ純粋な歓喜で彩られている。

 カナタに向けていた敵愾心は何処にも見受けられなかった。

「こっちもグレアム相手にクッッソ緊張したけどなんとか成功したよ。こいつがその証拠だ」

 アキツはそういって、今度はキエルの腰に両腕を回すと抱きかかえてぐるぐると回り始める。


「ちょ、なにすんだよ! そろそろいい加減ちゃんと説明してくれって!」

 置いてきぼりとなっているキエルが身を捩りながらもアキツへ非難がましい視線を向ける。

「あぁ、悪りぃ悪りぃ。っても、これに書いてあったので殆ど全部だぞ?」

 その場に降ろしてやると、くしゃくしゃに丸められて突き返された紙をインベントリから取り出し、皺を伸ばしてからどうだと言わんばかりに突き付けた。

「なんにせよ、カナタちゃんを助けられたのはお前が事前に知らせてくれたおかげだ。ありがとうな」

 目を回しているキエルの頭をアキツはわしゃわしゃと乱雑に撫でまわす。

 助けられたと言われたのは嬉しくもあるのだが、事情はさっぱりわからないままだ。

 釈然としないままくしゃくしゃになってしまった紙へ視線を落とす。




『絶対に動揺するな。声をあげるな。この手紙の内容を悟られるな。俺達は監視されていると思え』

 茫然自失のただ中、面会のルールが書かれているという名目でアキツから渡された紙は、随分と物騒な一文から始まっていた。


『今さっき俺が話した内容は全て嘘だ。今頃カナタは別の仲間が秘密裏に逃がしている。

 グレアムなんぞに渡すつもりは最初からない。

 けど、逃げたと知られれば追手がかかる。今はカナタを安全に逃がす為に1秒でも時間を稼ぎたいんだ。

 頼む、俺達に力を貸してくれ。

 何も言わず、この手紙を乱暴に丸めてから突き返すんだ。

 今までどおり苛立った振りは忘れるな。道中では余計な会話もしない方がいい。

 詳しい話は宿でする。

 最後に、カナタのことを教えてくれて助かった。事前に手を回せたのはお前のおかげだ。

 ありがとう、お前はカナタの救済者だよ』


「ここで詳しい話を教えてくれるんだろ?」

 居てもたっても居られないといった様子でせかすと、アキツは仕方ないとばかりに居住まいを正す。

「分かった分かった。時間がないのも確かだしな。はいみんな着席。VIPルームだけあって普通に喋る分には漏れ聞こえないけど、あんまり大きな声は禁止な。回復庫は隣の部屋で周囲警戒に勤めて貰ってるから」

 ぱんぱんと手のひらを打ち鳴らしてから床を指し示す。一箇所だけホーリーランスの穴が開いているけど気にしてはならない。

「時間は余分にかかるけど、若き功労者と今後の協力関係を築きあげる為にも最初から説明させて貰おうか。名付けてカナタちゃん離脱作戦の全容をな」




 親友であるサスケを失ってアキツが絶望していたのは確かだ。

 でもそれを誰かのせいだと思ったことはない。まして、取り巻き強化の可能性を事前に推測してみせたカナタのせいであるはずがない。

 責任を取る必要があるとすれば、それを聞いても追撃を選択をした自分自身をおいて他にないとアキツは思っていた。


 サスケが死んだのは自分が判断を間違えたから。

 それだけではない。強化された取り巻きが伏せていたことにも、狼に噛み付かれた程度でパニックになり対処を間違えたのも全て自分の責任だ。

 挙句、らんらんの範囲魔法で全身を焼かれた痛みで気を失うという大失態を犯した。

 あそこで自分が立ち続けていられたら、カナタにリスクの高い範囲回復を使わせずに済んだかもしれない。

 白銀の賢狼に咥えられるなんて恐ろしい思いもさせなかったはずだ。


 その点、親友のサスケは格好良かった。

 範囲回復魔法【アムリタ】の発動と共に身体を起こし、襲われたカナタを助けようと駆け出したのだから。

 あの時にもし自分が隣に並んでいれば、結果は大きく変わっていただろう。

 それだけではない。サスケが落ちたのにいてもたってもいられず、自分の我侭で味方を谷底に伴いかねない危険な行動をしかけた。

 みんながサスケと同じように自分を心配してくれていることくらい、分かっていたはずなのに。


 町に戻ったからといって自己嫌悪の連鎖が終わるわけじゃない。

 寧ろ仲間は心配そうにアキツを見て、ともすれば慰めの言葉をかけられそうだった。

 自分にそんな言葉を貰う資格はない。特にカナタからだけは慰めの言葉を貰いたくなかった。

 背後から狼に襲われてなお健闘した彼女に比べ、我が身のなんと惨めなことか。

 性別を理由にはしたくなかったが、年下の女の子より情けない男などまるで価値がない。親友が健闘したとあれば尚更。

 一人にしてくれと町を彷徨い、誰もいない場所で自分の愚かさを責め続けていたかった。

 キエルとぶつかったのはそんな時だ。


 カナタがグレアムに狙われていると聞いて愕然とした。

 俺達はクーイルの未来の為に契約を交わしている。友好的な関係を築けているのではなかったのか。騙まし討ちのような手を加える理由があるとは思えなかった。

 しかもキエルは立ち話を聞いただけらしい。突拍子もなさ過ぎて何らかの誤解だと考える方が自然だ。

 なのに、不思議と笑い飛ばせない自分がいた。最初に出会った時、カナタを見るグレアムの視線が、まるで価値を推し量るような、金に換算しているかのような、人を人としてではなく、物としてみている、そんな気がしていたからだ。

 蝋燭の明かりだけの部屋は暗かったからカナタは気付いていないみたいだったし、その後に観察した限りではそんな素振りを見せなかったから気のせいと思っていたのだけれど、記憶から薄れさせるにはあまりにも鮮明で禍々しかった。

 もしあの時の視線が気のせいでも気の迷いでもなく事実だとしたら、サスケを失い揺れている隙を突いて何か事をしでかしてもおかしくないのでは。


 アキツは考える。今、自分がすべきことはなにか。

 思い起こされるのはほんの数日前に交わした親友との他愛無い会話だった。






 この世界に来てから2日目。カナタのおかげで商会の偉い人と話がついて、無料で宿を提供してもらった夜のこと。

 今から議論を始めても疲れで碌に纏まらないだろうという思いからもう寝ようと言い出した割にアキツは眠れずにいた。というか訪れかけていた睡魔が吹き飛んでいた。

 当然だろう。去り際にハルトがカナタに引っ張られて同じ部屋へ消えてしまったのだ。男として気にならない方がどうかしている。

 2人はそういう関係なのだろうか? いや、待て、そう考えるのは早計に過ぎる。


 こんなわけの分からない世界で女の子が一人部屋を怖がっても不思議じゃない。それに、今日まで2人は野宿をしてたとも言っていた。

 きっと安心できるよう傍で寝付かしてから帰ってくるに違いない。というかあんな可愛い女の子と出来てるなんて非モテ同盟総長としては断じて認めるわけにはいかない。

 何事もなかったと確認するまで悶々としすぎて眠れる気がしなかった。思春期の男の子なのだ、仕方あるまい。


「あの二人、そういう関係なのかな……」

 そして思春期の男の子はアキツだけではなかった。隣のベッドから、やはり眠れないらしいサスケがぼやく。

「それを確かめるまで俺は寝ないと決めたところだ。てかさ、なんでカナタちゃんの前でだけ『ござる』口調なんだよw 思わず噴き出すところだったじゃねーか!」

 ハルトが帰ってくるまでのいい話し相手になりそうだと気になっていた話題を振る。


「いや、それはなんていうか、実際にカナタちゃんに会ったら凄い緊張して。ついゲームと同じ喋りになっちゃったんだよ。あぁ、絶対変な奴って思われたよなぁ……どうしようアキツぅ」

 サスケの口調は一種のロールプレイだった。

 現実のサスケはこの通り、少し頼りない印象が拭えない、どちらかといえば内向的な性格をしていた。


 コミュ症と言ってしまえばそれまでだが、MMORPGで他人と関わり合いを持たないのでは折角の多人数参加型の意味がないし面白味にも欠ける。

 即席PTを組んでわいわい盛り上がるメンバーを見て居心地の悪さを感じたことも一度や二度ではない。

 本当はもっとはしゃぎたい。あんな風に他人と心からかかわってみたい。でも、どうやって1歩を踏み出せばいいのかが分からなかった。


 そんな自分を変えたいと思って、とあるギルドが主催する初心者向け講習会に参加した時のことを、サスケは一生忘れないと思う。

『何をそんなに遠慮しているでござるか?』

 参加者の輪に入るわけでもなく、遠巻きにしていたサスケに向けて、そんな珍妙な声が飛んできたのだ。

 自らを兎と名乗ったプレイヤーは表裏のない性格をしていて、見るからに全力でこの世界を楽しんでいた。

 だからだろうか。不思議と何の抵抗もなくありのままの素直な気持ちを語れたのは。


 彼は最後まで静かに耳を傾けてから、からからと笑ってこう言った。

『お主にとってここはまだ現実の延長なのでござろう。だから心にブレーキをかけているのでござる。いいでござるか、ここは仮想世界。くだらぬ現実など不要、やりたいことをやりたいようにすればいいのでござる』

 無論、サスケもそうしたいとは思っていた。だけど、あと1歩が、ほんのわずかが進めない。

『では、拙者が一つ忍法を教えるでござるよ。なに、そう難しいことではござらん。ただ語尾にござるとつけるだけでござる。そうやって現実とこの世界を切り分けるだけで、心のあるがままに楽しめるでござる』


 自分の意識を変えるのは、ほんの少しのきっかけがあれば良い。

 ただ、ござる言葉を話すだけ。たったそれだけで彼の言う通りサスケの世界は一変した。

 仮想世界の中にはアキツを除いて現実の自分を知る人はいない。つまりここでは『ござる』口調のサスケが本物で、元の自分などどこにもいないのだ。

 そう割り切った瞬間から、まるでもう一つの自分を見つけたみたいに、ごく自然と会話ができるようになったのである。


 ただし、それはゲーム時代の話である。

 ここもまた現実であるという結論に至った時点で演技をする余裕も消え去り、元の世界と変わらない口調に戻っている。

 変わらないのは豚面が極まっているらんらんくらいなものだ。

 ゲームならともかく、生身のカナタに『ござる』口調で話しかけて変な印象を持たれてないか、思春期の男の子としては由々しき問題であった。


「まぁらんらんも顔文字が使えないくらいで変わってないし。あれもあれで異世界転移とか言う訳分からん重苦しい空気を少しでも軽くしようとしてのことだろ? サスケのそれも同じだって思われたんじゃないか?」

 ログアウトもできず、どうしたらいいか分からなくてパニックになりかけたとき、らんらんが叫んだのだ。

 『おほーーー! 異世界よーーー! 探索よーーー! ラブコメよーーー!』と、バカみたいに大きな声で。

 アキツはそれを聞いて容赦なく何言ってんだこいつと思った。

 今はそんなことよりやるべきことがあるだろうと苛立ちもした。しかしすぐに気付いたのだ。声の割に、らんらんが不安そうな表情をしていたことに。

 雄叫びは虚勢だった。沈んでばかりいてはどうにもならない。空元気であろうと気分を上げていかねばすぐにでも雰囲気に呑まれてしまう、と。

 らんらんは誰よりも先に『前を向く』という、やるべきことをやってのけたのである。


「……らんらん豚だから難しいことはよく分からないよ」

 ぼそりと照れくさそうな声がする。どうやらまだ眠っていなかったらしい。

「豚になんて負けてたまるかってことだよ、自惚れんな!」

 からからと笑いながら言い返すと、小さく『おほー』とだけ声がした。

 豚でも頑張っているんだから人間様が負けるな、という意味なのだろう。


「まったく、寝ないで何を話し始めるかと思えば」

 今度はギルバードが呆れた様子でぼやく。

「で、サスケ君が思わず『ござる』口調になったのは本当に緊張した『だけ』なのかな?」

 会話に混ざるつもり満々だった。いやぁ、修学旅行の夜を思い出すねぇと楽しげに笑う。


「いや、別に、なんていうかさ、ほら、その、なぁアキツ?」

 しどろもどろの回答だけで何を考えているかすぐに分かってしまった。というか、察せない人間が居るとも思えない。

「要するにリアルカナタちゃんに惚れたんだろ?」

 結果は顔を枕に埋めながらの意味不明な叫び声だった。ビンゴである。


「そういうアキツはどうなんだよ……」

 しばらく悶えてから少しは精神力を取り戻したサスケが問う。

「そりゃまぁ好きだけどさ。友達の領域を超えたいとは思わないな。つか、ハルトに勝てる気しねぇもん。引き立て役なんて惨めすぎて絶対ヤダね」

「やっぱり、そうだよなぁ……」


 ゲーム時代からカナタのことは可愛いと思っていた。

 VRMMORPGと現実は違う。でも、一緒にいて、話して、癒されるのは確かだ。

 元の姿がアバターとかけ離れていたとしても、現実世界で友達になれるのならなりたい。

 それがまさか、アバター姿のまま現実になるなんて。

 正直言ってあの姿は反則的だった。アキツにしたって初めて出会ったときは息をするのも忘れたくらい見惚れてしまったのだ。


「俺はハルトにカナタちゃんを取られるのが悔しい!」

 非モテの僻みと笑うなら笑え。持たざる者がモテる者を羨むのは当たり前の感情なのだ。

「だからサスケ、俺はお前を応援するよ」

「あ、アキツぅ!」

 感極まった様子で名前を呼ぶ親友に苦笑してから、でもまぁ勝ち目はないだろうなぁと言葉にはせず思う。

 アキツが思うに、あの2人はもう恋仲とかそういうのをすっ飛ばして熟練夫婦の域まで達していそうな雰囲気だ。


「まぁでもさ、別にそういう関係になれなくてもいいんだ」

 最初から諦めんなよと思ったが、意外にも真面目な声色だったので黙って聞きに徹する。

「今はなによりカナタちゃんを守りたいって思うんだ。それで一緒に元の世界に帰って、リアルでも友達になってくださいって頼んでみるよ。勿論ハルトともさ。それで、みんなでどこかに遊びにいけたら楽しいと思わない?」

 流石にゲーム内でそういうことを言い出したら困られてしまうかもしれないけれど、非現実的な体験を生き残った後なら別に不思議なことでもないように感じる。

「リアル・リアル・カナタちゃんか。いいな、それ。きっと向こうでも優しくて良い子だと思うよ。……絶対そうしよう。」

 明確な目標を作れば、こんな世界でも進むべき道を違えずに済む。そんな気がしたのだ。


「その時はちゃんとらんらんにも声かけてくれるわよね?」

「勿論、僕にもね」

「うにゃぁ、僕も……」

 寝入ったはずの回復庫までもが寝言で答えて、思わず一同は笑い声を漏らす。


「考えてみればさ、こうやって笑っていられるのも全部カナタちゃんのおかげなんだよね」

 ギルバードの演奏で稼げるのは精々が小銭だったし、夕方までは本当にどうしようかと途方に暮れていたのだ。

 サスケの言う通り、いきなり偉い人に話をつけて、衣食住をどうにかしてしまったカナタには感謝してもし足りない。

「だからさ、俺は絶対にカナタちゃんを守るよ。何があっても」

「馬鹿いえ。そんなの、当たり前だろ」







 アキツの記憶はそこで終わる。会話をしたことで張り詰めていた緊張が和らいだのか、すぐに寝落ちてしまったからだ。

 あの時のサスケの言葉は紛れもなく真実だった。それに比べて自分はどうだろうか。

 サスケの覚悟は本物だった。カナタを守ると宣言した通り、身を挺してまで守ってみせた。なら、次は自分の番ではないのか。

 いつの間にか、サスケを死に追いやった自責の念は消えていた。まるであいつが背中を押してくれたみたいに、しっかりしろよと心が奮い立つ。

 親友が守りたかったものを、今度は自分の手で守り通さなければならない。たとえ何があろうとも。どんな手を使ってでも。


 最悪の最悪を想定しよう。まず、万が一にも他人の耳に入らないよう、キエルには他言無用を約束させる。

 次に日が暮れるまでの時間を目一杯使って、グレアムが何を考えているのか、この話を誰にどう持ち出すのが一番正しいのかを検討する。

 カナタ本人には迂闊に漏らせない。ただでさえサスケを殺したのは自分だと思いつめているのだ。これ以上の心労をかけるわけにはいかなかった。

 となると、ハルトに伝えるタイミングも考えなくては。ただの友人と話すくせにカナタのこととなるといつも必死になる。本人は隠しているつもりらしいが、隠せてると思っているのは本人だけだ。

 せめてもう少し全容を解明してからでなければ暴走しかねない。


 夕方までの短い時間では全く足りず、どう切り出したものか考えあぐねたまま夜を迎えてしまった。

 そしてそこで、あろうことかグレアム本人が滅茶苦茶な話を持ち込んできたのである。

 初めて出会った時の、人を人としてではなく、商品として計り売ろうとしている酷薄な目をして。


 契約の内容を逆手に取った理不尽極まる要求の数々。カナタは必死に抵抗を試みていたけれど、アキツは付き合うだけ無駄だと早々に見切りをつけていた。

 グレアムは最初からカナタ一人を狙っていた節がある。今回の一件をやり過ごしたところで、他の手段に打って出るに決まっている。

 ただ、その手で連れ帰ろうとしたのは想定外だった。

 危うく反射的に手を出しそうになったところでハルトが機転を利かし、白銀の賢狼を討伐すれば無罪放免という話に転がり始めたが……検討する気はにはなれなかった。

 そもそも、白銀の賢狼を倒したという証明をどうやってするというのだ。アレを相手に加減は出来ない。


 安全を重視するなら、らんらんの大魔法が届く場所まで気付かれないよう近づいてからの大規模飽和攻撃しかない。仮に実行すれば証拠になりそうなものなんて何一つ残らないだろう。

 かといって強力な取り巻きを揃えていると判明した以上、接近戦はリスクが多すぎる。

 第一、奇跡的に五体満足の死体を持ち帰れたとしても、それがグレアムの言う『白狼』であるという証明にはならないのだ。


 『団員が襲われたのはその倍はある狼だった。確かに大きいが我々の指定した狼ではない』と言われたら? ……胸糞悪いことに否定のしようがない。

 この世界にモンスタータグなんて便利なシステムは備わっていないのだから。

 悪意のある相手と不鮮明な目標の討伐を契約してしまった時点でとっくに詰まされていたわけだ。


 グレアムにとってあまりに都合の良い展開。完全に獲物を見定めた瞳。ヘドロのような粘ついた執着心と寒気を覚える視線。

 簡単に諦めるとは思えなかった。拉致や誘拐といった直接的な手段も考慮すべきだろう。

 一刻も早く、カナタをグレアムの手の届かない遠くへ、クーイルの外へ逃がさなければ危ない。




「カナタちゃんの回復能力は俺達攻撃職と違って誰にでも分かりやすい力なんだ。しかも自衛能力がないから扱いやすい。売れば一生遊んで暮らせる金になるってだけで人を狂わせるのに十分すぎる」

 だからリアさんを頼りに聖都エルセルカへ向かってもらうことにした。

 転移の直前までログイン中のフレンドリストにはリアさんの名前が点灯していたのを覚えていたのだ。

 あそこは大所帯だから集団での移動が難しいはず。ポータルゲートを使える人材も揃っているはずだし、エルセルカを拠点にしている可能性は高い。

 この世界で信用できる相手が居るとすればゲーム時代の知人だけだ。

 自分達が最終ログイン場所に転移させられたように、リアさんもきっとエルセルカに転移させられたはず。

 希望的観測とはいえ、カナタを守れるのは集団の、大規模ギルドの力以外にありえないと確信していた。


「問題はどうすればカナタちゃんが自分の意志でクーイルから逃げ出してくれるかだったんだよ」

 危険だから逃げろの一言で頷いてくれるならどれほど楽だったことか……。

 カナタとハルトは他人に優しすぎるうえ。責任感まで人一倍強い。どうやったらそんな頑固者になれるのかと今ばかりは頭を抱えたくなる。

 既に仲間の手配書という弱点を握られてしまった以上、事情を話したところで『はい分かりました』と素直に従ってくれる可能性はゼロ。

 寧ろ自分のせいでみんなを巻き込んだと、頼んでもいないのにあれこれ背負い込むだろう。

 いざとなれば自分の身を捧げて許しを請うなんて馬鹿げた案を実行しかねない。


「まともな方法じゃ無理だってのは最初から分かってたけど、改めて検討してみるとこれがまた無理難題でさ……」

 ゲーム時代からカナタの頭の回転力にはよく驚かされたものだ。

 教わったことを理解するだけではなく、その裏にある意図。何故そうするのかまでを考えた上で応用し始める。

 1を教えただけで10を知るとはこの事かと密かに嘆息したものだ。

 カナタのそうした考え方はアキツにとっても勉強になっていた。


 それでいて人の機微にも敏感。何気ない話題や単語から、裏にある思惑や意図を見透かしてくるのだ。

 曰く、その言葉を選んだ理由を、その人になったつもりで考えれば、何を考えているのかも自ずと分かってしまうのだと。

 実際、大抵の嘘や誤魔化しはすぐに看破されてしまう。

 何度か理由をつけてプレゼントを渡せないか画策していたのだが、予知能力でもあるんじゃないかと疑う精度で決まって釘を刺されるのだ。

 気を遣う必要なんてありませんよ、と。


 難攻不落のカナタを相手にするなら『逃がす』なんて表現では生温い。

 逃げろという言葉はそこに危険があるから言うのであって、誰か一人でも危険な場所に残ると知れば絶対に従ってくれまい。

 少なくともアキツは目的を果たさない限りクーイルから出るつもりがなかった。

 商会は荷馬車を揃えている。単純な移動速度では向こうの方が上だ。いずれ逃亡が発覚するにせよ、限界まで時間を稼いでやりたい。

 それに、白銀の賢狼の問題だってまだ解決していないのだ。

 アキツの仇でもあるあの狼をこの手で倒さなければ心の整理はつきそうもなかった。


 いっそ『逃がす』ではなく『追い出す』くらいの過激さが必要なのではないか。

 要はクーイルに居られなくなる理由をでっちあげてしまえばいいのだ。

 基本方針はこれで行くとして、あとはその方法を考えればいい。……だが、一体どうやって?

 あのカナタを騙しきるには生半可な覚悟じゃ足りない。嘘の偽装みたいな低レベルの嘘ではなく、嘘を嘘と気付かせないくらい巧妙な手でなければあっという間に看破されてしまう。

 幾ら頭を働かせても答えは思い浮かばなかった。そもそも答えなんて用意されているのだろうか。前提があまりにも難しすぎる。

 そんな時、ふと思ったのだ。カナタならどうするだろうかと。

 

『まずは相手の立場になって考えてみてください』

 ゲーム内でどうしてそんなに俺の考えていることが分かるのかと尋ねた時、カナタは笑ってそう言った。

 自分がカナタだったとして、クーイルに留まる理由は何か。決まっている、仲間がいるからだ。

 なら、その仲間と対立したらどうなる?


 今のカナタはサスケの死を自分の責任だと感じている。

 仮に俺がそれを責め立てて顔も見たくないといったら……いや、その程度で諦めてくれるとは思えない。

 それこそ、自分達がまとめて敵にまわるくらいのインパクトがなければ。

 かといってカナタに直接襲いかかったところで何の意味もない。

 もっと他に敵対するに足る理由が……あるではないか。今この目の前に、グレアムという存在が。

 カナタを売ることで利益を得られるのは、なにもグレアムだけに限らないのではないか。


 アキツの頭の中に悪魔じみた草案が生まれた瞬間だった。


 カナタがクーイルから離れてくれないのは仲間がいるからだ。大前提としてその絆をどうにか断ち切るしかない。

 自分達が敵対するに足る理由はわざわざグレアムが持ち込んでくれた。カナタを売ることに賛同するだけでいい。

 障害があるとすればハルトだ。強行に反対するのは目に見えている。かといって事情を話すわけにもいかなかった。

 なにせハルトにはカナタの護衛として一緒にクーイルから去ってもらわなければならないのだ。

 元から隠しごとができない性格だし、事情を知れば演技に付き合ってくれるだろうが、間違いなく顔に出る。

 旅の途中でふとした瞬間にカナタ本人に悟られてしまえば折角の計画も水の泡だ。回れ右して帰ってきかねない。強引な手を使ってでも纏めて騙すほかなかった。


 あとはいかにカナタの心身を追い詰められるかにかかっている。

 みんなが揃って自分を売ろうとしていると知れば少なからぬショックを受けるだろうが、冷静に考えて唐突感は否めない。

 そこからこちらの思惑を看破される可能性は十分考えられる。いや、考えなければならない。


「ま、要するに俺が悪役を演じれば綺麗にハマりそうだったんだよ」

 悪役は自分以外にあるまいとアキツは思っていた。サスケの死をカナタのせいだと責め立てる。

 自分で思いついておきながら吐き気を催すほど胸糞悪い展開だ。でも、だからこそカナタの心は深く傷つくだろう。考える余裕を失くすほどに。

 加えてもう一つ保険をかけておきたい。悪役になるのはサスケを死なせるような愚かな自分だけでいい。

 みんなは自分の計画に乗った振りをしていただけで、隙を見てアキツから逃そうとしていたのだと告白すれば先の唐突感も薄れるはず。

 敵を騙すにはまず味方から。一つだけでは不安なら二重の嘘で騙す。嘘を嘘で覆い隠すのだ。



「夜中に突然アキツから『俺にプランがある』とか聞いた時は頭でも打ったんじゃないかと心配したわ」

 らんらんがそう思うのも無理はなかった。親友をなくして心ここにあらずだと思っていたアキツが突然真剣な顔をしてカナタを売ろうなどと言い出したのだ。

 誰だってついに心が壊れたかと心配にもなる。

「話を聞いてみれば納得できるものばかりで……いや、正直言って驚いたよ。僕達よりずっと現状を正確に把握して、しかも対策まで立ててたんだからね。冗談抜きにアキツが居なかったらどうなっていたか……」

 馬鹿正直に白銀の賢狼を討伐したところでグレアムや目撃者である団員はそれを認めず、泥沼の様相を呈していたに違いない。

 果たしてその時にカナタを逃がす余裕があるかは……神のみぞ知るといったところか。分が悪いのは間違いないだろう。


「俺だってそこのキエルが前もって話を持って来てくれなかったら何も出来なかったよ。ハルトが話し合いを提案して、なし崩し的に白銀の賢狼の討伐に流れてただろうからな」

 サスケを失ったことで彼らに余裕なんてものはなくなってた。目の前の事を考えるのでも精一杯。相手の思惑とか、その後に待っているであろう展開まで想定するのは不可能だった。

「だから本当に感謝してるんだよ。ありがとな」

 アキツはそれを偶然だとは思っていない。

 キエルがグレアムの内緒話に気付けたのは、毎日夜遅くまで商館で勉強に励むほど真面目でひたむきだったからだ。

 そのキエルを仲間に引き込めたのだって、カナタ自身の優しさがあってこそ。この結果は間違いなく繋がっている。


「オレは……姉ちゃんを守れたのか?」

「ああ、お前の勇敢な行動がカナタちゃんを守ったんだ」

 まだ実感が湧かないのか、不安そうな視線を向けるキエルの頭をアキツは優しく撫でながら頷く。

 実を言えば例の紙を見せた直後から少年の態度が挙動不審になりかけていたのだけれど……敢えて言う必要はあるまい。

 特に紙を丸めて突き返す時の『なんだよこのるーるは! ふざけてるのか!』の一言はあまりの棒読みに思わず噴き出すところだった。

 本人はいたって真面目だったのだが、是非ともカナタに見せてやりたかったと思う。

 きっとくすりと笑ってから可愛げのある少年を撫で回したことだろう。


「そっか。会えないのは寂しいけど、それならまぁいっかな」

 数え切れない恩を少しでも返せたのならと、キエルの表情が嬉しそうにほころんだ。

「会えるさ。この件が全部片付いたら何度だってな」

 そんな彼に向かってアキツは約束する。

「だから頼む。俺達にもう少しだけ力を貸してくれ」

「姉ちゃんの為ならなんだってしてやるさ!」

 その未来を実現する為に、サイズは違えど同じ男同士の手ががっちりと結ばれたのであった。



「その未来には、勿論アキツも含まれているのよね?」

 世代の違う青年と少年が同じ決意の元に手を取り合う光景はいかにも美しかった。

 しかしそこへ、らんらんの冷たい視線が突き刺される。

「それは僕としても気になるかな。この先を話す前にどういうつもりなのか聞く権利くらいあると思うけど」

 怒気を隠そうともしない2人にアキツは困ったような笑顔を浮かべたままどこ吹く風だ。


「な、なんだよ。姉ちゃんの為に頑張るんじゃないのかよ……」

 急激に雲行きが怪しくなり始めたことを敏感に察したキエルは困惑を隠せない。

 これから、カナタの助けになる何かを始めるんじゃなかったのか。

「おほー。勿論頑張るわ。あくどい手だって辞さない覚悟もあるつもりよ」

 そんな彼に向けて、らんらんはとても穏やかな表情のまま頷く。嘘偽りはない。だけどその前に、どうしても確かめなければならない事があった。

「あれは一体どういうつもりだったの?」


 らんらんの望みはカナタを助けるだけに留まらない。自分達が今までと同じか、或いはそれ以上に仲のいい関係で居続けられることも含まれている。

 アキツの持ち込んだ草案は完璧だった。夜通し討論を続けて細部を補強するに従い、これならカナタ達を騙し通せると確信できる出来に仕上がった。

 だけど、それを喜んだ者は誰もいない。

 空が白み始める頃に完成した計画を見て、誰もが無言のまま、痛みを噛み締めるような顔をしていたことからも、それは明らかだ。

 ……いや、ただ一人。アキツだけは清々しさすら感じるやり遂げた顔をしていたか。


「らんらん達が必死に作り上げたのは仲間同士の敵対を演出する計画なの。でもらんらん達は役割の都合上『アキツの手からカナタちゃんを守る為だった』っていう免罪符が最後に与えられてた」

 嘘の中に嘘を混ぜてから、片方が嘘だったと明かすことで、人はそれ以上の嘘を疑わなくなる。

 『全員が裏切った』のではなく『アキツ一人が裏切った』のだと刷り込ませる為に。

 あの極限状況下で、差し出されたらんらんの手を疑うなんて真似は、いかに聡いカナタでも出来まいと信じて。

 結果は大成功といっていいだろう。最後の最後までカナタはらんらん達は味方で、アキツが元凶なのだと信じて疑わなかった。いっそ悲しすぎるほどに。


「回復庫を連れて行ったのだって、優しすぎるあの子じゃ別れの場面で顔に出るかもしれないと思ったからでしょ?」

 アキツの表情が僅かに強張った。長年一緒に遊んでいるだけあって鋭い。

『でも、これじゃあまりにも報われません!』

 グレアムに会いに行った時の回復庫の言葉は今もアキツの中に温かさを伴って残ってる。

 正直に言えば嬉しかった。自分を心配してくれる仲間が居てくれて嬉しくない筈がない。

 しかし、咄嗟に出てきた無感情の言葉も真実だ。

 愚かな自分の一体どこに報われる必要があるというのか。


「アキツの計画は確かに完璧よ。だけど、この計画にはアキツに対する救済が、用意されてない」

 元よりアキツはそのつもりだった。サスケの死の責任を取るとしたら、自分をおいて他にないのだから。

「だから、らんらん達は可能性を残そうと頑張ったわ。あの子だって、普段はすぐに寝ちゃうけど、昨日だけは最後の最後まで欠伸一つ見せなかった」

 アキツを元凶とする計画である以上、カナタとハルトの恨みや憎しみがアキツへ集中するのは避けられない。

 むしろそれを煽り立てて確信させるところまで駒を進められなければ前提から崩れ去ってしまう。


 クーイルの問題はなんとしても解決してみせる。夜通しの会議を通して光明となりそうな気配も見つかっていた。

 必ず合流するという約束を違えるつもりはない。

 でもその時に、アキツが今までと同じ関係に戻れるかは未知数だった。


 勿論事情は説明する。あらん限りの謝罪もする。だけど2人がそれを信じてくれるかは分からない。

 血迷っていたアキツが頭を冷やしたから、穏便に済ませたいが為にそれらしい理由をでっち上げて正当化しようとしていると思われても不思議はないのだ。

 一度そう思われてしまえば関係の修復は難しい。特に一度はカナタを守れなかったと悔いているハルトは、安全だと確信できないアキツの傍にカナタが居ることを良しとしないだろう。

 聖都エルセルカで合流出来たとしても、顔を合わせるくらいで、今までのように一緒に行動することは叶わなくなる。

 誰よりも必死に考え、自分自身さえ犠牲にしてみせたアキツが報酬に受け取れるのは、拭えない疑念と仲間を売った軽蔑の視線だけ、というわけだ。

 弁解の余地はないし、アキツもそんなものに縋ろうとは思うまい。邪魔だと思われればあっさりと身を引くだろう。そんなの、あまりにも惨すぎるではないか。

 そんな未来はらんらんにも、ギルバードにも、回復庫にも、断じて認められなかった。


「全部終わった後でみんながいつもと変わらず笑っていられなきゃなんの意味もないわ。だから夜通し議論して、ぎりぎりアキツを許してくれそうなやりとりのラインを決めたのに」

 折り合いを付けるのが大変だったのはここだ。

 やりすぎるとアキツへの憎悪が溜まりすぎて最終的に許せないレベルになってしまう。

 かといって緩すぎると、こいつ本当に怒っているのか? もしや何かあるのではと疑いを持たれかねない。


 多すぎず、少なすぎず。調整は難航した。アキツは計画が破綻したら何の意味もないと強攻策を主張し続けたからだ。

 だが、それを全部実行したら間違いなく全部終わった後に関係性を修復するうえでしこりを残す。

 アキツのアクセルを3人のブレーキで抑えつつ、どうにか空が白み始めることになって折り合いがついたのだ。


「今のらんらんは激おこぷんぷん丸よ。どうしてあんな真似をしたの」

 カナタを足蹴にして謝罪の言葉を迫るなんて計画はなかった。事前に案を口にしていたならカナタに近づけないようブロックしていただろう。

 あの場で都合よくあんな行為を思いつくはずがない。最初からそのつもりだったのは火を見るより明らかだ。


「アキツが議論に加わったのは意見を聞く振りをしたかっただけで、最初から守るつもりなんてなかったんでしょう?」

 あの行動で計画を悟られる可能性はなくなったのかもしれない。しかし同時に、いつか和解する未来もまた、なくなってしまったのではないか。

「……悪い」

 アキツの謝罪はらんらんの追及に対する全肯定に他ならない。だからといって、今さらアキツを責めることに意味はなかった。


「怨まれたかった。……いや、違うか。怨まれなきゃいけなかったんだよ」

 サスケの死が自分のせいだと考えるアキツは罰を欲しがっていた。

 かといってそれを与えられる存在が居るはずもなく、それ以前に与えられるべき立場でもない。

 だから必要以上に怨まれるような行動に至ったのだろうと思っていた。


「考えても見ろって。カナタちゃんは俺達と合流するまでここで何があったのかを知る由もないんだ。それがどれくらいの時間になるかは分からないけど、短くはないだろ。あの子はその間もずっと自分を責め続ける。それが少しでも俺への怨みに変わってくれるならそれで良かったんだ」

 でもそれは少しだけ違っていた。アキツはサスケが残した『カナタを守りたい』という願いをひたすらに追い求めている。

 サスケは自身を犠牲にしたのだから、アキツも自身を犠牲にしなければならない。

 或いは呪いと言っても良いのかもしれなかった。

 だが、どうしてそれを否定できようか。アキツの行おうとしていることは決して間違いじゃない。

「アキツだって、救われるべきだとらんらんは思うわ」

 なのに、らんらんはそれが哀しかった。


「それに、反撃された時のターゲットを俺にしておく必要もあっただろ?」

 カナタの攻撃性能は殆どないが、唯一【ホーリーランス】だけは危険が伴う。

 最大5連撃、部屋にいたのが4人と考えると誰か一人に2本飛んでくる計算だ。

 可能性が一番高いのはハルトを拘束していたギルバードか、カナタを拘束していたらんらんだろう。

 1本なら対処の仕様があるが2本はまずい。下手をすると死角から急所を打ち抜かれない。危険な案に乗ってもらった以上、そのリスクはアキツが背負いたかった。


「まさか自分に撃つとは思わなかったけどさ……。あれはマジで焦った。らんらんナイスフォローだわ」

 結果的に言えばカナタを甘く見ていたのはアキツ達だった。よもや自分の命すら交渉のコインに使うなど想定の範囲外もいいところである。

 虚空に煌く槍の1本が太股目掛けて撃ち出された時の衝撃は思い出すと今でも震えがくるほどだった。

 あそこでもしもらんらんが身体を動かしてくれていなかったら。

 我を忘れて洗いざらい吐き出してしまったかもしれない。みんなの心にも一生の傷を負わせてしまっただろう。


「結局俺の物差し程度じゃカナタちゃんを測りきれなかったんだな」

 仲間から裏切られ、親友を盾に奴隷として売られそうになり、悪辣な言葉の数々を投げかけられてもなお、自分の命より裏切り者を優先する。

 自分がカナタの立場ならどうしただろうか。……考えるまでもない。この事態を予想できなかった時点で決まっている。

「あの時アキツがさっさと部屋を出て行ったのって」

「これ以上部屋にいたらカナタちゃんが何しでかすか分からなかったから、さっさとネタをばらして欲しかったことだろう?」

 らんらんとギルバードの言葉にアキツは『ご明察』と短く返す。

 それくらい、カナタとの駆け引きは想像の範囲を飛び超えていた。



「ま、終わったことを考えても仕方ないだろ。今はそんなことよりグレアムだ。値段交渉ってカードで時間を稼ぐつもりだけど、いつまでも長引かせられないだろ?」

 らんらん達にとって『そんなこと』で済ませられるような話ではなかったのだが、アキツの言うことも最もである。

 目の前の問題を解決しなければ2人に追いつける日なんて来ない。

「俺達の勝利条件はただ一つ。グレアムに白銀の賢狼の討伐を認めさせること。けど、これがまぁぶっちゃけ不可能に近い」

 本物を狩って差し出したところで『違う』と言われればそれまで。

 流石にアキツでも奴等の頭の中にしか存在しない魔物を狩ったりはできない。


「ただ、これに関しては面白い情報が見つかってる。これもカナタちゃんが情報収集を提案してくれたおかげだな」

 本当に何から何まで助けられてばかりだ。

 ギルバードと回復庫は集めた情報をノートに纏めていたけれど、日の終わりに報告するのは地形情報やアセリアまでのルートなど、いわば攻略情報に関するものが殆どで、隣の誰々が浮気してるかもしれないだとか、ヤギが最近太ってきただとか、どうでもよさそうな日常会話については省略していた。

 昨晩にそれらを改めていたところ、面白い情報が幾つか見つかったのだ。


 森に入れなくなってからのアズール商団員の働きぶりは……あまり好ましいものではなかったらしい。

 クーイルで所帯を構えるなんて話が出ているにも拘らず、男手の求められる畑仕事や薪割りにいまひとつやる気が見られなかったり。

 鼻歌交じりで狼の棲む森へ行商に出かける豪胆さを見せていたのに、ヤギを纏める牧羊犬1匹におっかなびっくり接したり。

 慣れない仕事というのもあるのだろうが、身の入り方に真剣さが足りていないのではないかと思われていたようなのだ。

 暇を持て余した噂好きのおばさんが嬉々とした表情で『ここだけの話』と口にしていたので信憑性に欠けると思い聞き流していたのだけれど、記録を遡ってみると思った以上に色々な人が似たようなことを口にしている。


「もう気付いてるだろ? 俺達が下手を打つ前から、グレアムにとって都合の良い展開ばかりだ」

 そもそも彼らは、本当にクーイルで商売を続ける意思があったのか。

 出会った直後から自分達を言葉巧みに騙した手口からして、野心が少ないとは思えない。

 こんな辺境の片田舎で商会を構えることが彼らにとっての夢なのだろうか。


 アキツは違うと思った。最初は狼を回避する技術程度……なんて舐めた考えもあったが、自分の足で森に入って、触れ合ってみて、確信する。

 野生の塊である狼はほんの少しの気配でもこちらの存在を悟ってきた。あれを相手に森を抜けるのは相当な技術がなければ難しい。

 それだけの技術があるなら街で学校を開くなり、技術者を派遣して現地人を指導するコンサルタントを経営するなりした方が儲かるのではないか。

 無論、この世界の商売の仕組みをよく知らないアキツでは、そうしない理由を説明することは出来ない。

 だが、彼らからキナ臭さを感じるだけで十分だった。


「交渉って名目で時間を稼いでいる間に色々と確かめたいことがある。特にキエル、これはお前にしか頼めないことなんだ」

 自分にしか出来ない、と言われて俄然キエルの瞳にやる気が灯る。

「オレにできることならなんでもやる!」

 その勢いにアキツは苦笑を浮かべつつも、幾つかの頼みごとをしっかりと伝える。

「……それだけでいいのか?」

 グレアムの寝室を暴くとか、不正の証拠を突き止めるとか、派手な行動を期待していただけに、アキツの要求はごくささやかなものでキエルは拍子抜けしていた。

 それも当然。外部の、しかもまだ子どものキエルに危険なことを頼める筈がない。何より、危険を冒してもらわずとも事足りる。


「一番大事なのはグレアムに勘付かれないようにすることだ。だから出来る範囲で良い。それだけでも俺達には出来ないことで、十分な力になるんだよ」

「わかった、絶対にやり遂げてみせる!」

 アキツに力強く諭されたことでキエルも疑念を晴らし大きく頷く。

 ここから先に絶対はない。どちらかといえば博打の連続で、助けてくれる誰かがいないのも嫌というほど理解させられた。

 だから、せめて後悔のないように自分達でできる全力を尽くすのみ。

 なに、最悪失敗してもグレアムの目的であるカナタは居ないのだ。最悪の展開だけは避けたも同然。変に気負わずやれることだけをやればいい。


「ここから巻き返すぞ。誰でもない、俺たち自身の手で!」

 アキツの掛け声と共に突き出された手のひらへ、みんなの手が次々と重ねられていく。

 盛大な掛け声と共に、先の見えない戦いが幕を開けた瞬間だった。

次話、辺境の街と夢幻の救者編完結

※色々詰め込みすぎて文字数がどうしても3万を超えてしまいました。

 スマホでChormeブラウザをご利用の方は表示に問題が発生する可能性があります。

 PCがFireFoxをご利用くださいませ……。

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