辺境の街と夢幻の救者-転-
時は遡り、アキツが逃げるようにして宿の一室を飛び出した直後。
悲嘆にくれる少女が細い肩を震わせ止め処ない涙を流す姿に、2人の青年は酷く沈んだ表情を浮かべていた。
一体どれほど時間が過ぎただろうか。掠れた嗚咽は耳を通る度に容赦なくゴリゴリと音を立てながら精神をすり減らしていく。
仕方ないのだと、どうしようもないのだと言い訳したところで、心の中に生まれる罪悪感が消えてくれるわけじゃない。
「アキツが出てって、5分くらいかしら」
「多分そのくらいじゃないかな……」
まだ5分。もう5分。らんらんとギルバードのやりとりはそのどちらともつかない。
「もういいでしょ?」
「奇遇だね、僕もそう考えてたところだよ」
意味ありげな目配せをする2人に少女は全く気付く様子がない。あらゆる絶望と悔恨に沈んだ瞳は色を失っていた。
「あれは流石にやりすぎだよ、アキツの馬鹿め……」
少女がこうまで追い詰められた原因は、この部屋を出て行った青年が求めた茶番じみた謝罪の言葉だろう。
他の誰よりも一番苦しみ、傷つき、悩み、悔やみ、己の無力さを責めていたからこそ。
やりきれないといった様子を隠そうともせず、ギルバードは立ち上がり、組み敷いていた青年の拘束を手早く解いた。
眠り続けているからそれで自由になれたわけではないけれど、これ以上拘束する意味なんてない。
「カナタちゃん。今から拘束を解くからハルトと一緒に逃げるんだ」
ギルバードの声にカナタの視線が僅かに上向き、怯えた色に変わった。
また何か酷いことを企んでいるに違いないと瞳が語っている。そう思われるだけのことをした自覚はあった。
例えどんな理由があろうとも、自分がしでかした行為は言い訳の聞かない暴力で、築いてきた信頼を流してなお余りある。
せめてそんな怯えが一刻も早くなくなってくれるように願いながら、らんらんはインベントリからナイフを取り出す。
カナタの瞳がより一層の恐怖に染まり、何かに堪えるように絨毯へ伏せられる。暴れる気配はなかった。
抵抗すれば大切な人を傷つけられるかもしれないと、何をされても耐えるつもりなのだろう。
間違ってもカナタを傷つけるわけにはいかない。やや緊張した面持ちで腕に巻きつけていた縄を丁寧に切り落とした。
「どう、して?」
ようやくカナタが泣き声以外の声を発してくれて、らんらんとギルバードの表情がほんの少しだけ和らぐ。
「まずはハルトの睡眠を解除してあげて」
「できればらんらん達に斬りかかって来ないように説得もお願いしたいんだけど……」
カナタは一瞬、驚いたような顔をしたものの、すぐに寝転がるハルトへ状態異常回復魔法をかける。
寝入る直前の出来事が出来事だったからか、ハルトの目覚めは迅速だった。
「カナタ!」
跳ねるように身体を持ち上げた直後、インベントリから迷うことなく愛用の長剣を抜き放つ。
それが振り抜かれるかどうかはひとえにカナタの対応に掛かっていて、らんらんとギルバードの2人は青い顔にならざるを得なかった。
「ま、待って!」
幸い、カナタも2人に自分を助ける意思があったことを認めていた。射線を塞ぐように立ちはだかり両手を広げる。
ずっと年上の自分達が女の子に守ってもらうなど情けなさすぎるが、今回ばかりはプライドより身の安全が優先だった。
「どういうことだ、返答次第じゃ……」
斬る、と怒りの冷めやらぬ瞳が語っていて。
「ドッキリじゃないけど演技でした」
「らんらん洗いざらい喋るので出荷だけは、出荷だけは勘弁してください」
平身低頭、見事な身のこなしで2人並んだ土下座を披露して見せた。
ハルトは驚きを隠せないまま、しかし剣をしまうことなく先を促す。
「昨日の夜、アキツの精神状態がやばいってみんなして気付いたの」
「サスケが居なくなった悲しみをぶつけられる場所がないんだ。そこにまた問題が発生して、遂にはカナタちゃんを売ろうなんて言い出した」
最初はみんなして説得に走ったのだと身振り手振りで説明する。一人だけを犠牲にしていい筈がない。サスケが死んだ原因がカナタにだけあるわけじゃない。
だけど、憎悪で我を忘れたアキツには何を言っても届かなかった。それどころか、思い通りにならないみんなの意見を聞いて余計に怒りを募らせてしまった。
「アキツにとってはサスケが唯一の心の支えで、らんらん達が集まってもかわりにはならなかったの」
何処とも知れぬ世界の中で、唯一本当の自分を理解してくれる存在。
カナタにはよく理解できる。ハルトがいなければ自分という存在が消えてしまうのではないかという恐怖を最近抱いたばかりだ。
みんなとハルト一人、どちらかを選べといわれたら間違いなくハルトを選ぶと確信できてしまう。
他のみんなが幾らアキツの手を取ったところで、ぽっかりと開いてしまった心の穴は塞がらない。
どうしてサスケがここにいないのか、そればかりを考えてしまい、誰かを、何かを恨まずにはいられなくなった。
だとして、一体誰がそれを咎められるというのか。
責任を取らねばならないのは決して彼らではない。平和な日本から彼らをこの世界に飛ばした誰かなのだ。
「アキツは何を言っても意見を変えない。ないと思いたかったけど、強硬手段に移る可能性を考えないといけなくなった」
多数決で白銀の賢狼の討伐を採択することはできても、アキツは納得しない。
それでなくても何をしでかすか分からないような精神状態だ。下手をするとカナタに刃を向けて、最悪の結末を辿る可能性も否定できなかった。
「だかららんらん達はアキツのプランに乗るフリをすることにしたの」
サスケが死んだのはカナタの支援が不甲斐なかったせいだと思っている限り状況は好転しない。
僅か数日の内に説得が成功するとも思えない。優先すべきはカナタの身の安全だった。
「出来れば夜のうちに逃がしたかったんだけど監視の目が鋭くてさ。あいつ気配察知も得意だし、とても2人の部屋には近づけなかった」
「だから計画を練る振りをしてアキツが離れざるを得ないタイミングを作ったの。それが今この瞬間ってことね。あんまり時間がないのは分かってくれた?」
彼らが虐げられるカナタを見ても手を出さなかったのは万が一にも計画を見破られない為だった。
もっとも、足蹴にされた瞬間だけはギルバードの我慢の限界を超え口を挟んでしまったのだけれど。
「演技とはいえ本気にならざるを得なかったから。手首、痛かったでしょ? 怖い思いをさせてごめんね……」
らんらんは心底申し訳なさそうに頭を下げてから、未だ生々しい痕の残る手を取り上げる。
「もし傷が残るようなららんらんが責任を持ち……ぐぇぇっ」
慰めの言葉は、しかし終わる前にハルトの拳骨によって遮られた。コントのような一幕にようやく曇っていたカナタの表情にも微かではあるが笑顔が生まれる。
それだけでらんらんとギルバードの心は救われた気がした。
「酷いわ、らんらん割と本気……あ、いえ、真面目に話させていただきますから振り上げないで、トンカツにしないで」
「もうそのネタはいいだろ。一応回復庫が時間を稼いでくれる手筈になってるけど、それもいつまで保つか分からない」
その笑顔が続いて欲しい気持ちはギルバード同じだが、談笑に興じている時間的猶予はない。
「カナタちゃんが居ないことに気付いたらグレアムとアキツはすぐにでも行動を起こすと思う。……2人には悪いけど、なんとしても逃げ切って貰う必要がある」
ギルバードはそう言ってから床の上にお爺さんお手製の地図を広げた。
「僕らがアセリアに興味があったことは知ってるだろうし、追手はアセリアに続く大きな街から順に当たると思う。だから2人は裏をついて小さな村を経由するルートで聖都エルセルカへ向かうんだ。ここはリアさんのギルドのホームがあるだろ。大所帯のあそこならきっと匿ってもらえるはずだよ」
城塞都市アセリアと聖都エルセルカは方角が全く異なる。アセリアに追手を出してくれれば逃亡の時間は十分に稼げるだろう。
そもそもポータルゲートを持つカナタと全世界を舞台に鬼ごっこをして勝てる可能性があるとは思えない。
ここから逃げ出せた時点で勝利は決したようなものなのだ。……ただ一つの例外を除けば。
ギルバードはゲーム時代からカナタを不思議な女の子だなと思っていた。
女性らしさを感じさせない、と言ったら流石に怒られるだろうか。
別に立ち振る舞いがガサツだといっているわけではない。
寧ろその逆。椅子に座ったり歩いたり、日常的な姿は勿論のこと、余裕のなくなる戦闘中でさえ、カナタの一挙手一投足はまるで意識したかのように美しかった。
普通、人間は四六時中自分の動作に気を使ったりしない。
それが出来るのは幼い頃から洗礼された立ち振る舞いを無意識レベルで行えるよう、厳しい躾を受けた人間くらいだ。
良い所のお嬢様だと言われてもすんなり信じられる。
それなのに女性らしさを感じなかった一番の理由は性格によるところが大きい。
まるで、カナタは自分のことを女の子として扱って欲しくないように感じるのだ。
今まで関わった女性の中に『自分を女の子として扱って欲しくない』なんて思わせる人は居なかった。
どちらかといえば『私は女の子なんだぞ』と態度で伝えてくる女性の方が多い。
女の子だから大切にしろ、優先しろ。そんな雰囲気がギルバードはどうにも苦手だった。
カナタからはそういった雰囲気を露ほども感じない。現にそうした扱いをすると困ったような顔で遠慮されるのだ。形式だけではなく、心の底から全力で。
決定的だったのは欲しがっていた装備を掘りに貫徹した時だろう。無事に手に入ったものの、受け取ってもらえなかったのだ。
なまじ言葉が柔らかいのでアキツやサスケには中々伝わらなかったみたいだけど、あれは本気で嫌がっていた。
それもみんなの好意にではなく、特別扱いされてしまう自分という存在に対してだ。
女の子扱いされることに、特別扱いされることに喜びを感じる女性は数え切れないほど見てきたが、その逆は初めてのことだった。
カナタは性別を理由にしない。もしかしたら女の子であることに何かしらのコンプレックスを抱いているのかもしれない。
無論それも想像でしかなかったが。本当のところは本人にしか分からないし、リアル事情に関わるであろう内容を尋ねるわけにもいかなかった。
だからギルバードは『僕らと対等でありたいが為に、自分を女の子として扱わないで欲しがってる』と解釈することにした。
実際、そう思うと納得できる出来事は数多くある。
ゲームに対する意気込みとか、自分に妥協しない性格とか。
それでいて女の子らしい優しさや甘さまで兼ね揃えているのだから不思議としかいえない。
「みんなを残して逃げるなんて出来ません」
勝利条件の唯一つの例外。カナタがあまりにも自己犠牲精神に溢れすぎていること。
逃げなければ売られると聞かされてもハルトを心配して逃げられなかった。果たして逆の立場ならどうだろうかとギルバードは思う。
ましてカナタは女の身だ。奴隷として売られればどのような未来が待ち受けているのか、想像もしたくない。
なのにカナタは逃げなかった。それどころか、ハルトを助ける為なら自殺すら厭わない覚悟を見せた。
らんらんが咄嗟に動いてくれていなければ、今頃絨毯は血溜まりで酷いことになっていたはずだ。アキツが逃げ出したのも頷ける。
「サスケさんを殺したのは私なのに、逃げるなんて出来るわけないです」
ギルバードは違うと言ってあげたかった。君は何も悪くないのだと抱きしめて教えてあげたかった。
だけど、そんな行為に意味がないことは良く分かる。
カナタはもう、自分の中でそれが真実だと決めてしまったのだ。今さら他人が何を言ったところで覆る筈がない。
自分に妥協しないということは、融通が聞かないということだ。言い訳もせずにありもしない罪を背負うつもりでいる。
こうなることは半ば予想できていた。対応策だってちゃんと考えてある。カナタの性格からして成功は約束されたも同然。
なのに心が締め付けられそうだった。口の中が異様に乾く。いつになく緊張している証拠だ。
これからギルバードはカナタを更に追い詰めなければならない。
逃げろといっても逃げてくれないのなら、理屈を詰めてここから追い出すほかないのだ。
それで彼女の心がさらなる傷を負うとしても、奴隷として売られるなんて未来があってはならない。
「じゃあ言い方を変えるよ。君に居られると邪魔なんだ。すぐにでもここから消え失せて欲しい」
苛烈な言葉を受けてカナタの瞳が不安に揺れた。隣のハルトも気が昂ぶっているのか苛立ちを隠さない。
「そうは言っても納得できないよね。だから順を追って説明するよ」
このままではただの悪口だ。いつハルトが掴みかかってくるともわからない。無駄な時間を使っている暇はないので、予め考えていた口上を早口にならないよう気をつけながら述べる。
「まず、アキツは君を恨んでいる。それこそ心が歪んでしまうくらいに。君の姿を見るたびに、声を聞くたびに、どうしてもサスケが死んだ瞬間を思い出してしまうんだろうね。君が傍にいる限りアキツの憎悪が湧き止むことはないんだよ」
分かりきっている事実を突きつけられてカナタが辛そうに唇を噛んだ。やってみると良く分かる。罪の意識を責め立てるのは心が腐り落ちそうなほど不快だった。
アキツはよくもあそこまで悪辣な言葉の数々を投げつけて表情一つ変えなかったものだとギルバードは思う。
謝罪の復唱を要求した時は流石に我慢できず咄嗟に口を滑らせてしまい、危うく自分達の計画を悟られるところだった。
「今のアキツは君を奴隷にすることで恨みを晴らそうとしている。つまり、仮に君が残って白銀の賢狼を討伐したとしても、アキツが恨みを抱える状況は改善しない。寧ろ報復の手段を失って悪化すると断言できる。そうなったらまぁ、直接手を下そうとするだろうね」
再びカナタの瞳が揺らいだ。まさか、と思っているのだろう。幾らなんでも自分で手を下すなんてありえないと。
ギルバードもそう思っている。でも思っているだけだ。人の心の奥底までは予測できない。何かが引き金となり最悪の展開を招くとも限らないのだ。
カナタを売るという選択がありえないと思っていたように。
「僕が一番避けたいのは君が奴隷として売られる未来じゃない。アキツとハルトが殺し合う未来だ。そんなのは絶対に見たくないし、させるわけにはいかない」
目の前の少女は他人に優しすぎる。なのに自分には厳しい。だからそこを利用するのだ。
自分の存在により、他人に、それもリアルでも親しそうなハルトにまで危険が及ぶと分かれば頑ななままではいられまい。
「ただ、ハルトは君が奴隷として売られる未来を絶対に許さないだろう。それこそ剣をとってでも。つまり僕には君を逃して、アキツを説得する選択肢しか残されていないんだよ。だけど君がアキツの傍にいる限り説得は不可能だ。だから君が邪魔でここから消え失せて欲しい。以上、証明終了だ。反論はあるかい?」
突き放すような言葉に、カナタの両腕から力が抜ける。
ギルバードがしているのは時間と言葉を尽くし少女の存在を真っ向から否定すること。傷だらけの心に塩を塗るのにも等しく、そのまま崩れ落ちてしまわないか心配になる。
「それじゃ、みんなが手配されてしまいます」
でも、それは余計な心配というものだった。この期に及んでまだ他人の心配が出来るとは。呆れてものもいえない。
彼女はそんなに柔な心をしていないし、何より隣にはハルトがいるのだ。安心して任せられると思ったからこの作戦に踏み切ったのではないか。
「カナタちゃんが居なくなれば僕らは犯罪者予備軍に逆戻りだ。そうなれば白銀の賢狼を討伐するしかない。アキツだって嫌でもやるさ。それに、サスケの本当の仇は白銀の賢狼なんだしね。自分の手で倒せば心の整理をつけるきっかけになるかもしれない」
彼女が邪魔になる理由は説明した。次は彼女が居なくてもどうにかなる理由を説明できれば、ここに縛られる理由もなくなる。
「回復庫が言ってたよ。自分がいれば何とかなったかもしれない。サスケさんが死んだのは自分のせいでもあるんだって」
今回の事件で最も後悔しているのは回復庫なのではないかと、ギルバードは思う。
たった一人で自分を含む7人の支援を維持するのはどう考えても過剰負担だ。
ゲームでも回復庫のバックアップがあるからこそ上手く立ち回れていたといっても過言ではない。
このギルドは最初から7人を前提に行動を詰めていて、一人でも欠けると本領を発揮できない。
白銀の賢狼の討伐を5人に任せてしまった時点で間違っていたのだ。
「もう逃げないって。手持ちのアイテムを全部使い切ってでも、白銀の賢狼だけは絶対に討伐してみせるって息巻いてるんだ。カナタちゃんが居なくても絶対に何とかして見せるさ」
後悔の涙を流しながら、必要な時に使えないアイテムに何の意味があるのかと回復庫は嘆いていた。
今の自分こそ掲示板で揶揄されていた『アイテムを惜しむ錬金術師は寄生、居るだけ邪魔なゴミだ』そのものではないかと。
「でも、アキツさんがそんな状態なら、みんなの身に危険が及ぶ可能性だってあるはずです!」
恨む対象が居なくなったことで、他の誰かを恨み始める可能性はゼロじゃない。
一番可能性が高いのはほかでもない、回復庫だ。錬金術師という万能性を持ちながら町へ引きこもり討伐に出てこなかったことを恨まれるのではないか。
「ならいっそのことみんなで……」
「みんなで、アキツを置いていってしまえばいいって考えてる?」
自分が何を言おうとしたのか気付いて哀れなくらい震え始めたのを見れば、カナタのその一言が本心でないことはすぐに分かった。
ただ、それはある意味で正解なのかもしれない。
感情を抜きにして状況だけを見れば、アキツはサスケを失った悲しみを周りに吐き散らしているに過ぎない。
愛想を尽かして逃げられたとしても自業自得でしかないだろう。
「真面目な話は全部ギルバードがしてくれたから、らんらんはちょっとおふざけモードに入るお」
震えるカナタにらんらんはそう前置きしてから語尾を調子外れに変えて優しく語り始める。
「らんらんは豚だから、こんな場所で突然親友を失ったアキツの気持ちとか、そういう難しいことはちゃんと分かってあげられないけど、出荷されるくらい辛いってことはなんとなく分かるお」
サスケの喪失にショックを受けたのはみんな同じでも、家族の死とテレビで流れる死亡テロップが同じ重さを持たないように、親友だったアキツの悲嘆は他の人には計れない。
「だからってカナタちゃんに罪がある訳じゃないお。アキツは絶対に許しちゃいけないことをしようとしたお。だから、らんらんはカナタちゃんを助けたいって思って、今こうしてるお」
カナタを奴隷として売るなんて選択があっていい筈がない。それを認められないからこそ、こうしてみんなと計画を立てたのだ。
「でもそれと同じくらい、今のアキツにだって助けが必要なんだお。らんらんは豚だから何が出来るか分からないけど、見捨てるような真似はどうしてもできないんだお」
この状況をアキツが望んだ筈がない。誰かが悪いという前提がそもそも間違っているのだ。理不尽に親友を失ったアキツに冷静に対処しろと突きつけるのだって、同じくらい酷だろう。
「カナタちゃんはアキツを恨んでいいお。罵倒しても許されるだけのどでかい間違いをしでかしたお。でも、らんらんにとってはやっぱり大切な友人なんだお」
あちこちと寄り道をしたけれど、結局のところはただ一言で済むだけの単純な話なのだ。
仲間を助けたい。
カナタもアキツも区別なく。窮地に陥っている仲間をどうにかして救いあげたい。
「僕も同じさ。自棄になった友人が自滅するのを黙って見ていられるものか。間違いを正すのだって友人の役目だからね」
「……分かりました」
そこまで言われてしまえばカナタも納得せざるを得なかった。
「確かに、私がここにいても何も出来そうにないですしね」
今にも泣き出しそうな顔で立ち上がり、ハルトの袖を引っ張る。
「でも、いつかきっとアキツさんとも仲直りしますから」
すんと鼻をならしながらもその瞳に迷いはない。
「らんらんに任せなさい。ちゃんとアキツを説得して、カナタちゃんに許してもらえるまで土下座でもなんでもさせてみせるわ。人間様へ豚からの下克上よ、おほー」
いつも通りの雄叫びを上げてからにこりと微笑む。
「ハルトも、カナタちゃんを絶対に守ってやるんだよ」
「言われなくても分かってるさ」
ギルバードが差し出した手をしっかりと握り返すハルトに、先ほどまでの苛立ちはなくなっていた。
壊れてしまっても、また積み上げなおせばいいのだ。
「それじゃ、早く出発したほうがいい。分かっているとは思うけど、ここへは何があっても絶対に戻ってこないこと。いいね?」
「……はい。あとのこと、全部お任せすることになっちゃてごめんなさい」
申し訳なさからカナタが頭を下げようとするのを、ギルバードはやんわりと押し留める。
「そこは謝られるよりもお願いしますって任される方が男としては嬉しいかな」
「あ、えっと……わかりました。あとのこと、お願いします」
カナタは少し戸惑った素振りを見せた後に言い直すと、ギルバードは嬉しそうな顔で任されたと頷く。
「あと、らんらんがやっておいて言うのも難だけど、その手首の傷は治したほうがいいわ」
計画を悟られないためにも、らんらん達は手加減ができなかった。手首を縛り上げた時も勝手がいまいち分からず、過剰なくらい力が入ってしまったのだ。
拘束していた時間はさほど長くなかったというのに、縄の網目も分かろうかというほど生々しい痕は見るからに痛々しい。
カナタは自分の手首に視線を落としてから軽く撫でる。実際、痺れるような痛みは未だ残ったままだった。
「……いえ。自然に消えるまでは戒めとして残しておこうと思います」
せめて罰が欲しい。そう考えているのは傍目からでも十分に理解できて、らんらんはインベントリからポーションを取り出し、迷うことなく蓋を開けてから振り掛ける。
流石は上位ポーション。驚く視線の先で見る見るうちに傷跡が消えて、あとには生来の真っ白な肌が輝いていた。
「はい、これで消えたんだから、もう戒めなんてものに捉われる必要はないわね」
呆気に取られているカナタに向けて、らんらんは口を尖らせながら抗議した。
「らんらん達がカナタちゃんのことをどれだけ大切に思ってると思う? なのに本人が自分を大切にしてくれないんじゃらんらん達の立場がないわ」
くしゃり、とカナタの表情が歪んだ。続いて小さな嗚咽と共に止め処ない涙が溢れてくる。
「だって、だって!」
ほかに手がないとは言え、後始末を全部丸投げして挙句、自分だけが安全な場所へ逃がされる悔しさ。
何より、みんながまだ自分のことを心配してくれるのだと、仲間だと思ってくれているのだと知って、こんな状況だというのに嬉しさがこみ上げてくる。
流れる涙は手の甲で拭っても拭っても止まることを知らなかった。
「ハルト、カナタちゃんを連れて行ってあげて。さっきも言ったけど、そろそろ時間がないんだ。地図は持ったね? あとこれ、僕らに分配されてた非常食と手持ちのお金も持って行ってくれ」
インベントリから取り出したそれらをハルトはやや迷ってから、結局は受け取ることにした。
「さんきゅ。ありがとな。それから、斬りかかろうとしてすまなかった」
「気にすんなって。それだけのことをした自覚はあるよ。……どうか元気で」
「ああ。お前達もな」
互いに短い別れの言葉を告げてから、ハルトは泣きじゃくるカナタの肩を抱いて促す。
不安定な精神状態が心配ではあったが、これ以上情けないところを見せるわけにはいかないと、なけなしのプライドを集めて術式を展開する。
ここから一番遠い草原に続く道が輝く扉の向こう側に現れた。
ハルトを先頭に1歩踏み出し、向こう側の土を踏みしめる。術者の転送により揺らぎ始めた扉の先で、カナタが涙に濡れた顔で振り返った。
「待ってますから!」
それきり、限界を迎えた扉が消失する。後には先の乱闘でやや荒れてしまった部屋がガランと広がっていた。
寂しさが胸を込み上げてきて、部屋の広さを実感する。
「大丈夫、必ず追いついて見せるわ」
おほー、とやる気のあるんだかないんだか良く分からない雄叫びに、ギルバードは勿論だと頷くのだった。
これで計画の第一段階は成功だろう。第二段階はアキツ達が戻ってきてから、間違いなくこれまで以上に大掛かりな仕事になる。
だけど今は、雑談という束の間の休息を楽しんでもいいではないか。
「そういえばさ、1回だけカナタちゃんが自分のことを『僕』って言ってなかった?」
「あれ、ギルバードも聞いたの? らんらん聞き間違いかと思ってたけど」
普段は自分のことを『私』と呼んでいた。あの場面で『僕』と言ったのは、素の自分が出てしまったからではなかろうか。
あのくらいの年代の女の子が自分の事を『僕』と呼ぶのは相当にレアなケースだ。では何故、と暫し頭を働かせてみる。
「そうか、謎はすべて解けた!」
不意に脳裏へ天啓が浮かび上がった。
今までのカナタの動向からして、自分を『僕』と呼称する理由なんて一つしかない。
考えてみれば疑問でもなんでもなかったのだ。ハルトが連れてきた時点で、或いは察するべきだったのかもしれない。
「カナタちゃんはリアル僕っ子だったんだよ!」
「おほー!? な、なんだって!?」
あのハルトに女っ気があるはずない。ネトゲに誘えるほど親密だったのは、本当に小さな頃から幼馴染のように接してきたからだろう。
「ハルトの周りには男友達しか居なさそうだからね! 小さい頃からそうやって男の子ばかりと遊んでいる内に、自分のことを男の子だと思うようになったんじゃないかな。だから一人称が『僕』だったんだよ!」
小さい時はそれで良いのかもしれないけど、成長するにつれてそうもいかなくなってくる。周りの目が、それを許さないからだ。
「今までは『僕』で通していただけあって、突然女の子っぽく『私』と振舞うのは恥ずかしい。そこでVRMMOを使い、自分を知る人が居ない場所で練習してたんだ!」
自分を女の子として扱って欲しくなかったのは、今でも心のどこかで自分が男の子ならよかったのにと思っているからだろう。
そうだ、そうに決まっている。だってギルドに加入した時もふざけあっている僕らを見ていっていたではないか。羨ましい、と。
「なるほど! さすがギルバードね、頭いいわ!」
天才的なひらめきと疑問の余地もない完璧な理論にらんらんもうんうんと頷く。
であれば、今後はもう少し距離感を詰めて上げた方が喜ばれるのかもしれないと心に書き留めるのだった。
真実とは誤解の上に座布団を重ねられた結果である。
ひとしきり盛り上がっていると、不意に背後のドアが叩かれる。2回、3回、1回。間違いなく符号通りアキツ達だ。
らんらんとギルバードの表情が一瞬で真剣なものに切り替わる。
鍵を開け僅かな扉の隙間から相手を確認。不機嫌そうに歪んだ表情を浮かべたアキツが立っていた。
背後にもう一人、小さな子どもが見え隠れしているのは気になるものの、アキツが咎める様子もないので中に招き入れる。
他に誰もいないのを確認してからしっかりと施錠しなおした。
がらんとした部屋を見て、アキツの眉がピクリと痙攣する。
「2人はどうした」
「もうここにはいないわ」
アキツとらんらんの視線が吸い込まれるようにしてぶつかった。
彼らにとって、カナタの逃亡は一つのステップ、それも前哨戦に過ぎない。
危険な綱渡りを求められるのはむしろここから。成功する保証なんてどこにもないが、らんらんにもギルバードにも諦めるつもりなんてない。
約束したのだ。必ず合流すると。カナタを、そして自分達を救うため、負けられない戦いが始まろうとしていた。




