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World's End Online Another -僕がネカマになった訳-  作者: yuki
第二章-境界の彼方、幻想の世界-
35/43

辺境の街と夢幻の救者-8-

 ディールさんは開門と同時に町を出発したみたいだ。まるでそれを待っていたかのようにグレアムから召集がかかる。

「アズール商団内での承認が取れた。君達には正式に白狼の討伐を依頼したい」

 商館の一室で目の下にクマを作るグレアムが開口一番にそう切り出した。

「随分と早かったですね」

 率直に言えばこうも簡単に承認されるとは思っていなかった。

 なにせ僕らの外見はゲーム内の大部分のアバターがそうであったようにまだ歳若い。

 実力をひけらかしたグレアムはともかくとして、他の商団員に僕らの実力を説明しても信じて貰えるかどうか。それ以前に白銀の賢狼そのものの存在を疑われても否定できない。


「確かに、全員が君達の目撃した狼の存在を信じたわけではない。だが団員達の間では元より狼に遭遇する危険性と対価が釣り合っていないという意見もあってな」

 彼らの持つ狼の対処方法も絶対ではないのだろう。地の利と数に勝る狼に奇襲されれば少なくない犠牲は免れない。

 白銀の賢狼の真偽は彼らにとってどうでも良かった。ただ、狼の森を抜ける危険性を再認識するきっかけになっただけだ。

 破格の報酬が得られるなら恐怖を押し殺すこともできよう。しかし、取引先の村々にそんな余裕はない。

 半ば慈善事業のような形で依頼を受け続ければ不満が生まれるのは必然。

 グレアムが撤退を口にしたのもそうした下地があったからだろう。


 だが、彼らにとって地に根ざす商会の権利というものは簡単に捨てきれる物ではない。言うなれば憧れと夢の結晶なのだ。

 長距離を移動する商人やキャラバンは基本的に所帯がもてない。

 危険な旅路に妻を同行させるのは躊躇われるし、子どもが出来れば旅どころではないし、街に置いて離れ離れになれば年に数度会えるかどうか。

 それ以前に行商人と結婚してくれる女性が少なかった。兵士と違って死んだ時の保証もないし、死んだという連絡が届くかすら怪しいからだ。

 他にも、夫があちこちで妻を作るケースや、妻が夫の居ない間に男を作るといった見聞も後を絶たない。

 身体の距離に比例して心の距離も離れてしまうのはいかんともしがたいのだ。

 行商人というだけで女性からはお友達以上にはなれないと一歩引かれてしまうのである。


 その対極にあるのが街に居を構える商会だ。同じ商人でも女性からの人気は天と地の差がある。

 仕事は安定しているし収入もいい。出世の可能性もほどほど、なにかあっても商会からの援助を見込める。

 堅実で安定した職業が好まれるのはどの時代も同じだった。

 現にアズール商団の幾名かはクーイル商会に属してからというもの、びっくりするくらいのアプローチを受けていたりする。

 空前絶後のモテ期到来を簡単に捨てられるほど、彼らは男としての本能を捨てていなかった。

 クーイルに残って商会の運営を続けていきたい。例え危険に見合わぬ給金で働かされようとも、女性にきゃっきゃ言われたい。

 アズール商団が街に留まり続ける理由の大部分は、つまりは男のサガなのであった。


「しかしながらクーイルハ小さな町だ。年頃の娘となるとどうしても限られていてな。相手にされる者とそうでない者の間でなんというかだな……その、少々分裂している」

 非モテカテゴリに属し、杯を交わしていたと思っていた同僚が突然モテモテカテゴリに行ってブイブイいわしている。嫉妬せずにはいられまい。

 その気持ちは分かる。もう痛いほどに分かる。いっそ酒を酌み交わしたい気分だ。

 ゲーム時代、僕が女の子を演じていたのもあって同年代の女の子のフレンドが結構できたのだけど、ハルトの奴までちゃっかり連絡先を交換していやがった。

 ネカマだと見破られないよう神経をすり減らしながら会話に勤しむ僕の隣で、何の気兼ねもなく、心の底から楽しそうに歓談するハルトを何度呪いたいと思ったことか。

 溢れ出る不機嫌オーラを勘違いした子に『大丈夫、カナちゃんのハルト君を取ったりしないから』なんて笑われた時の僕の心境が分かるまい!

 何が僕のハルトだ! そんなもん幾らでもくれてやるわ! ……いや、ちょっとまった、差し出して付き合い始めたらマジで凹むからやっぱりあげるわけには……あれ?

 矛盾した回答に頭をぐるぐるさせていると誤解したグレアムが豪快に笑う。

「女子に男心は難しい話かも知れんな。とにかく、分裂した団員達を取り持つ必要がある。仮に白狼が事実で駆除できるなら狼の恐怖もなくなり諸手を挙げて交際に移れれば良し、仮に白狼が虚偽でこれからも狼の不安が付き纏うなら利益に見合わないこの地に見切りをつけて出て行く大義名分になる。要はどちらに転んでも構わんのだ。説得の材料にはなるわけだからな。団員達の代わりに賽を投げて欲しいのだ」


 流石は商人を束ねる存在といったところか。

 僕らが成果を挙げるにせよ失敗するにせよ、いつかは決断を迫られる日が来る。この依頼もその布石の一つに過ぎないのだろう。

「本当はディール殿にも話を通しておきたかったのだが、寝ずの議論を交わしてもあと少し間に合わず、残念だった」

 結論の速さや疲れた様子からも出来る限り結論を急いだのは間違いなさそうだ。

 不意に昨日のディールさんの言葉が蘇る。だけど今回ばかりは杞憂に違いない。

 なにせ今回の提案を持ち出したのは僕の方からだ。グレアムだって驚いていたし、策謀を巡らせる余地があったとは思えない。

 本来はすぐにでも撤退する予定が、僕らの成果を見て考慮する方式に切り替わっただけなのだから。


「さて話を戻そうか。契約だが、最終的な目標は白狼の討伐で問題あるまい?」

「ええ。あれを殲滅して狼が逃亡するかは賭けですが、勝算はあると思ってます」

 グレアムの問いに力強く頷く。僕らがちゃんと動けさえすれば苦戦するような敵ではない。

「だが白狼の存在を疑問視する者も居る。彼らを納得させる材料として、森狼の討伐も頼みたいのだ。勿論報酬は別に出す。人間に敵わないと分かれば近づいてこなくなるやも知れぬし、数が減れば遭遇の可能性も減るだろうからな」

 こちらに関しては願ってもない申し出だ。アキツさんの職業は動物種族に対し優れた探知・追跡能力を持つ。森狼は実戦の経験値を稼ぐ相手としても申し分ない。

 動物を殺す感覚は実際に体験しなければ理解できないし、慣れておかないといざという時に身が竦む。

 ステータスの恩恵に守られている身体と違って僕らの心は弱いままだ。まずはそれを克服しなくては。


「問題は期限だな。吉報を待ち続けたい気持ちはあるが、我々の財源も無限ではない。いつまでもという訳にはいかんのだが、いつまでと決めるのも中々難しくてな」

 グレアムの言い分はもっともだ。討伐したい気持ちは本物だけど森は広い。逃げに徹されたらアキツさんのスキルを駆使しても追いきれるかどうか。

 単純な移動速度で言えば僕なんかとは比べ物にならないのだから。

「できれば短い周期……7日間毎のの更新性にしたいと思っている。契約内容の修正もこのタイミングで互いに合意できる点に関しては反映し、そうでない点に関しては保留とするのはどうか」

 つまりこれは1週間で何らかの成果を挙げて見せよ、ということなのだろう。試用期間としては丁度いい。

「見込みがないと判断された時は契約の更新を行わず、期日をもって満了とする。無論、君達が辞めたいと思った時も同じ扱いだ」

「分かりました。構いません」

 内容的には願ったり叶ったりだろう。どうしてもダメなら抜けられるというのも大きい。

「では草案が出来次第届けさせよう。貴君らの武運を祈っている」




 面談が終わり外に出ると太陽はすっかり真上に昇っていた。今から訓練に出かけても熱が入る前に陽が落ちてしまいそうだ。

「折角ですし今日は少し大きな買い物に行きませんか?」

 今後は野営が必要になる場面も出てくるだろう。手持ちの装備だけでは料理も休息もままならない。

 せめて雨を凌げるテントと人数分の毛布、調理器具一式に火打石や火種、身体や服を洗える石鹸くらいは揃えておきたかった。

 ついでに時間がなくて買いに行けなかった下着類も隙を見て揃えておきたい。

 みんなは昨日の一件を警戒してか、買物というキーワードにやや困惑した表情を浮かべていたものの、事情を説明すると共感の声が漏れる。

 寧ろキャンプの準備みたいだと盛り上がりを見せた。みたいじゃなくてキャンプそのものなんだけどなぁ。しかも安全が確保されてない極限状況下での。


「なるほど、言われてみれば確かに必要でござるな」

「それにしても詳しいね。もしかしてリアルで何かしてたとか?」

 よもやハルトと山へ篭って修行(笑)していたとは口が裂けてもいえない。

「ハルトがそういうのに詳しくて、夏休みとかに連れて行ってくれたこともあるんです」

 ややの迷いの後、美化を何十にも重ねた表現をどうにか口にする。

 本当は連れて行ってくれたではなく連れて行かれただし、夏休みではなく冬休みだった。

 それも、10年に1度の厳冬とやらで雪がくそほど積もった山にである。寒すぎて眠れないという経験は今も忘れられない。生きているのが不思議なくらいだ。


「おほー、火はらんらんが起こすって手もあるけど」

 言われてみれば確かに。豚さんの魔法なら焚き火の一つくらい簡単に作れそうではある。

 ……いや待て。果たして焚き火一つで収まるのだろうか。下手をすると……。

「火事になるから、絶対に、やめろ」

 どうやらハルトも同じ考えに至ったらしい。真顔でガッシリ肩を握ると色のない表情で言い聞かせていた。

 なにせゲーム時代は全力でぶっ放すのが正義だったわけで、威力の調整がどこまで出来るのやら。野菜を切るのにハルトの長剣を持ち出すようなものである。まな板まで斬れるわ。

 有無を言わせない迫力に無言のままコクコクと頷く豚さんであった。


 行商人がこの町を基点に村々へ荷物を運んでいただけあって、旅道具は結構な種類が揃っているようだ。

 馬車を前提にしているから大型の物が多く、徒歩での旅には向かなさそうだけれど、インベントリ機能を使える僕らには関係ない。

 同じテントでも素材によって通気性が良い代わりに寒かったり、頑丈な代わりに組み立てが面倒だったりと特色がある。

 商店を回って話を聞いてからよさげな商品を絞り込んでいった。

 既にあらかたのお店は大小含めて廻ったし、真上だった太陽はとっくに傾いてそろそろ夕暮れになりそうだ。

 夜に客が来るはずもないので大部分の店は町の閉門を知らせる鐘の音と共に店仕舞いを始めてしまう。


「なぁ、いい加減そろそろ決めようぜ」

 タイムリミットまで残り1時間くらいだろうか。買うのならそろそろ動かないとまずい。ハルトの催促もわかってはいるのだけれど。そう、まだ30分、いや、40分くらいなら……。

「うぅ、あっちの店で纏めて買えば13%も削減できる……けどテントはあっちの店の方が高機能だし、毛布も使い勝手を考えると……。でもでも個別に買ったら全体で21%も増えるし流石にきついかも」

 僕の頭の中では今まで聞いてきた商品の値段と内容の組み合わせが猛烈なスピードで組み合わさっていた。

 度重なる審議を経て最終候補を絞ったのが2時間くらい前のこと。そこからはコストや性能を比較しているのだけど、どうしても後一歩が煮え切らないのだ。

 何度目かも分からない溜息が聞こえるけれど気にしていられない。

 人は何故人足りえるのか。知識が、知恵があるからだ。考える頭があって初めて人は人足りえるのである。

 然るに、与えられた選択を漫然と決めるようなことがあってはならないのだ。

 最も効果的な、効率的な選択肢へと手を伸ばし続けるあくなき探究心こそ人の原動力なのだから!

 要するに僕は買物に一切の妥協をしないタイプなのだ。


「前に王都で露店見たときも思ったけど、カナタちゃんて買物好きだよねー」

「こいつのコレは買物好きってわけじゃねーよ……。いっそ病的なまでの何かだ」

 アキツさんの声にも疲労の色が滲んでいたが、ハルトのそれは更に重く深い。

「もう候補は上がってるんだろ? 言ってみ」

 自分ひとりであれこれ考えるのが限界だったのも手伝って、何かの参考になればと幾つかを口にする。

「結局はコストか性能のどっちかってことか。なら決まりだ、ほら行くぞ」

 途端に一人納得した様子で頷くとさも面倒そうに僕の腕を引っ張った。


「ちょ、ま、決まったってどういうこと!?」

「ケチらず性能を取るに決まってるだろ。こっちじゃ失敗が笑い話にならないんだ」

「いやでも21%も出費が増えたらそれこそ万が一の時に……」

「そうなる前に稼げばいいだろ。森狼の討伐で現金収入の目処も立ちそうだし、森の探索ついでに果実やら薬草を採ってきても良い。宿の食卓だって森に入れないから品目が減ってるんだ、探せば需要は幾らでもあるさ」

 隙のない反論に思わず唸る。いやでも、それならもう少しランクを上げるっていう選択肢も視野に入るんですけど。

 待った、確かあっちのお店のテントの方が値段は高いけど性能が……。


「ねぇハルト」

「よっしお前らすぐに仕事にかかるぞ。アキツとらんらんはあっちの店で毛布、ギルバードと回復庫は向こうで纏まってた雑貨な。サスケは俺と向こうでテントから調理器具を巡るぞ。女の子を待たせるもんでもないからダッシュな! あ、カナタはここで待ってろ。絶対に動くんじゃないぞ!」

 折角だしもうちょっと高級品を見て回ろうという言葉が零れるより早く矢継ぎ早の指示が飛び、雰囲気を察したであろうみんなが足早に駆け出すまで僅か3秒。

 僕がざっと計算を終えて辺りを見たときには既に誰一人として残っていなかった。

 クソ、僕が新たな検討に入らないように手を打ちやがったな。女の子の一人歩きは危険なんじゃなかったのか! いや、だから人通りの多いここで待ってろってこと? ぐぬぬ、考えやがって!




「あと10分……ううん、20分くれればワンランク上の検討もできたのに」

「10分とか言いながら3時間粘った奴がよくもまぁ」

 未練がましくぼやく僕にハルトは嘆息を漏らす。

 大量の荷物を分配してインベントリへ放り込んだ僕らは結局昨日と同じくらいの時間に宿屋へ戻り、しばしの休息を取ってから食事にありついている。

 メニューはいつものパンと野菜のスープだ。ここらの土壌は肥沃らしく畑から採れる野菜には事欠かないらしい。

 大きめに切った野菜から滲み出るエキスのおかげで調味料は塩だけだというのにびっくりするくらいおいしい。

 今日はさらに宿の裏手で育てている鳥から得られた卵料理も追加されている。気まぐれに生むらしいので毎日は出ないけれどその分新鮮でとても甘かった。

 異世界生活4日目。口にするのが躊躇われる料理は今のところ一度もでてきていない。心配だった異世界の食生活にもどうにか適応できそうだ。

 口に合わない食事ほど気力を削がれるものもない。軍隊でも食事の質は士気に関わる最重要課題といわれるくらいに。

 安全に眠れる場所と着る物と美味しい食事さえあれば人間どうにかなるって昔読んだサバイバルの本にも書いてあったしね。


「それで、明日は軽く森に入って見ませんか? アキツさんの索敵能力も調べておきたいですし」

 思っていたよりも早く商団内の意見が纏まったのもあって、早ければ明日にも契約の草案とやらが届くはず。

 できればその前に自分達の実力が通用するのかくらいは調べておきたい。

 仮に白狼の討伐が上手くいかなくても構わないとは言われている。

 だからこそ引き際を見極めやすい短いスパンでの契約更新を持ち出されたわけだし。

 とはいえ、彼らの撤退がクーイルの経済的危機とイコールで結びついている以上、なるべく早めに安心させてあげたい。


「いいんじゃないかね。昨日の感じだとそうそう遅れを取るとも思えないし」

「浅いところなら食料探しにみんなで入ったけどなんともなかったしね」

 身体能力の検証はみんなに少なからぬ自信と希望を与えたようだ。顔色だって悩みばかりだった初日よりもずっと明るくなっている。

 この世界の自分は無力な存在じゃない。時間をかけて作り上げたゲーム内のキャラクターと何ら変わらないのだ。

 あとは実戦でそれを証明できれば不安もなくなる、はず。

「ハルトも1回戦って問題なかったんだろ?」

「まぁなぁ。噛みつかれたけど服の上からなら牙も刺さらなかったし」

 ウッドゴーレムの猛攻ですら凹み一つ出来なかった鎧は当然ながら、その下に来ている服にも多少の防御力は設定されていた。

 ちなみにここで言う多少はゲーム時代のレベルを前提にした話である。

「試しに服の上から刃物を当ててみても全く切れなかったしねぇ」

 使っている装備の防御性能を検証すべく色々と試してみたところ、一般的な包丁やナイフ程度では刃が全く通らなかった。

 見た目や着心地はただの薄い綿としか思えないのに異常ともいえる頑丈さは魔物の素材を使っているからか、はたまた魔法的な効果でもあるのか、この点においては現代の素材の利便性を遥かに上回っている。


「らんらんパンも野菜も嫌いじゃないけど、たまにはガッツリお肉も食べたいの。イノシシとか狩ったら女将さんに焼いてもらえるかしらん」

「果物とか甘いものもあると良いでござるなぁ」

 言われてみると森の中で食べた果物の味が懐かしく感じる。インベントリに入れていた分は痛む前にみんなで食べ尽くして久しい。

 実がなっていた場所の位置記録も町の周辺で更新してしまったので今となっては取りに戻る手段もなかった。こんなことなら残しておくんだったか。

 豚さんの氷魔法で冷やして売ったら結構儲かりそうな気もするし。

「それなら初日ですし探索中心にしましょうか。何か見つかればお金になるかもしれません」

 現金収入の可能性に思わず目が輝く。あって困る物でもなし、即物的な目的があればやる気も湧いてくるというものだ。


 話が纏まった後は明日に備え会話もそこそこに湯浴みを済ませ寝室に向かう。

 そこでようやく、商品選びに夢中になりすぎて服屋に寄るのを忘れていたことに気づいたのだった。

 汚れの概念がなかったゲーム時代が懐かしい。かさばらないのだし、数着くらいはインベントリに入れておけばよかったと嘆いても後の祭り。

 昨日は手で洗ってから窓際に干して事なきを得たけれど、夜通し雨が降ったりしたら乾くか分からない。

 寝る時だけならともかく、流石に外行きのクラルスリア姿でノーパンは中身が男であろうと躊躇われるし、今までの傾向からして、そういう時に限って何らかのハプニングに巻き込まれる気がしてならないのだ。

 ハルトとぎっこんばったん大騒ぎ疑惑だけでも頭を抱えたい状態なのに、これ以上ヤバイ誤解を増やしたら僕の精神が死ぬ。段差一つでも死ぬ。

 もっと積極的にゲーム内での『生活』を楽しんでおくんだった。今にして思えば便利アイテムが目白押しなのだ。

 リアさんから受け取った櫛なんてその筆頭だろう。なんと濡れた髪に通すだけで丁度良い具合に乾燥までしてくれるのである。

 朝晩の身だしなみにこれ1本。現代でも手入れが大変そうな長い髪を苦もなく美しく保てます。もしかしたら手持ちの中で一番のチートアイテムかもしれない。

 結局その日は雨が降らないことを願って昨日と同じように手で洗い窓際に干すしかなかった。乾燥機とかあればいいのになぁ。




 翌朝、いつもより早めに起床した僕らはどこか浮き足立つ心境を隠しきれないまま朝食を取る。

「それじゃ、僕らは町で情報を集めてみるよ。何か希望はあるかい?」

 道行く人を片っ端から捕まえて根掘り葉掘りあれこれ聞き出すなんて真似はできない。

 情報を集めるにしても、一体何の情報を集めるのか、その指針くらいは必要だろう。

 何がいいだろうかと考えていると真っ先にハルトが口を開いた。

「まずはこの辺りの地形だな。あれば地図も欲しい。城塞都市(アセリア)までの交通手段も分かると助かる」

「地理か。確かに調べておかないと町から出られそうにないね。分かった、まずはその辺りから聞いてみるよ」

 ギルバードさんは小さく頷いてから手元の紙へ『調査項目:地理と交通手段、アセリアまでのルート』と走り書く。


「他にもないかな?」

 ただ話を聞くだけだと面倒に思われるかもしれないし、相手の興味が引けて話のきっかけになりそうな物があるといいんだけど。

 そんな都合の良いネタがあるとは……いや、あった。

「じゃあついでに森でして欲しいことがないか聞いてみてくれませんか?」

 昨日ハルトが言っていたではないか。森に用があっても狼が怖くて躊躇っている人は多いと。

 仕事を鞍替えした人までいるくらいだし、困っていることや頼みたいことの一つや二つはあるはず。

 ぶっ倒れるまで働いていたキエル君も方々を巡って依頼を集めていたというし、収入も期待できるうえ、住民達と友好的な関係を築くきっかけにもなるだろう。

「確かにそれなら話も聞きやすくなりそうだね。分かった、これでも営業は得意なんだ。今日1日使って一回りしてくるよ」




 町から東に向けて10分も歩けば木々が深くなり、更に5分も歩けば鬱蒼と茂る森に変わる。

 元の世界でも山登りやハイキング、果ては飼い犬の捜索を始めとしたハルトクエストで数え切れないくらい森や山といった大自然の最中へ踏み入った。

 今なら分かる。あんなものは所詮、徹底的に人の手が加えられた人工物の塊。不自然でしかなかったのだと。

 人が苦もなく歩ける道が整備され、育ち過ぎた木は間引かれ、危険な害獣は駆逐され、行楽シーズン中はコース上に虫が出てこないよう殺虫剤がまかれたりもする。

 怪我のないように。気持ちよく過ごせるように。余りにも綺麗に都合の良い形で整えられた世界。

 それがここにはない。まるで入り込んだ栄養を逃さないとばかりに、似たような景色は感覚を惑わせ、足元の見通せない草むらは根を罠のように張り巡らせ、弱った獲物を狙う毒虫や害獣が目を光らせる。

 濃い緑の香りは肺の中で重苦しさに変わり、自然と呼吸は荒くなっていた。

 時間にして僅か30分。段差や水溜りを見つけるたびに迂回せざるを得なかったせいで方向感覚はとっくに怪しく、前に進んでいるのか迷走しているのかすら定かではない。

 ここから歩いて森を出るとしたら、行きに使った30分ではとても足りそうになかった。倍か、或いは更にその倍を使っても或いはたどり着けないかもしれない。


「索敵開始……周辺に驚異的な反応はないな。小さな動物はいるけど敵意はない。寧ろこっちを警戒してる感じか」

 アキツさんの索敵スキルは素晴らしいの一言に尽きる。元より弓職は動物種族との相性が良い。森林系のフィールドでは鉄板職として大人気だった。

 意識を集中する必要はあるけど魔力の消費はない。策的範囲はおよそ半径100m。森の中は視界が悪いので100m先なんて絶対に見えないはずなのになんとなく分かってしまうらしい。

 僕も自分の持つ索敵スキルを使ってみたのだけれど、悪魔特化とはいえ僅か5m内の対象を把握するのが精一杯だった。とてもじゃないけど使い物になりそうもない。

「狼っぽいのが居たら教えるよ。にしてもこりゃ便利だな、奇襲は考えなくて良さそうだ」

 どうも敵意がある対象がいた場合は肌がチリつくような感覚を覚えるらしい。例え敵が視界に映らなくとも、狙われているという実感がそうさせているのだろうか。

 何はともあれ、索敵スキルがあれば狙われていること分かる。戦闘において常に先手を取れるにも等しいアドバンテージだ。

 僕らの攻撃力を勘案すれば初撃で片付く。仮に失敗してもポータルゲートさえあれば離脱可能。今のところ隙らしきものはない。



「あ、これ食べられそうですよ」

 森の大部分は青々と茂る葉が頭上を覆い尽くし陽光を遮っているけれど、稀にそれが途切れていて暖かな陽射しが降り注ぎ、背の低い草木がいきいきと広がっていたりする。

 ここもまるで誰かが意図したかのような円形がぽっかりと口を開け、瑞々しい赤い果実をぶらさげていた。

 万が一にも毒があるとまずいので口には入れず、もぎ取ったはしからインベントリへしまう。帰って詳しそうな人に見せれば食べられるかもわかるだろう。

「回復庫が居てくれたらな。錬金術師は採集系のスキルが豊富だし、珍しい薬草とか果物とか見つけられそうなんだけど」

「まだ早いですよ。せめて心の整理がついてからでないと、引きこもっちゃうかもしれませんし」

「おほー、それはつまり支援の人数云々は建前だったってことね?」

「あー、えっと……」


 豚さんの指摘は半分正解だけど半分は間違っている。しかし素直に答えるのは躊躇われ言葉を濁すしかなかった。

「ぶっちゃけると要らなかったのはらんらんでござろう?」

「え……。らんらん出荷されるの……?」

 予想外の横やりに豚さんが寂しそうな顔になる。あぁもう、そうなるのが分かっていたから濁したというのに。

 しかし止めるまもなくサスケさんが先を続ける。

「支援に不安があるならアイテムでバックアップできる回復庫殿の存在はプラスにこそなれどマイナスにはならんでござろう」

 回復役が2人になるのは僕からしてもありがたい。強力な魔法には長い詠唱とディレイが発生する。動けない時間を的確にカバーしてくれる回復庫さんの存在はゲーム時代でも心強かった。

 回復一辺倒ではジリ貧に陥る状況でも、強力な支援魔法で起死回生を図れる状況は数多く存在するのだ。


「なるほど……。でもらんらんが要らないっていうのは?」

「人数の問題でござろう。自信がないから2人減らすのを決定事項とした場合、誰を減らすかが問題でござる。ギルバード殿の演奏は心強いものの格下相手には過剰であるし、らんらんの魔法は威力が高すぎて逆に扱い辛い。下手をすると味方をも巻き込むとなればなおさらでござるよ。遠距離火力はアキツで賄えるし、らんらんを抜いて回復庫殿を加えるのが最良でござる」

 流石は気心知れた間柄というべきか、言ってることは微塵も間違っていないのだけれど、よもや真正面から突きつけるとは。

「でもでも、それはあくまでみんなの特性を考慮した最適解の話ですからね! 豚さんが要らないとかそんなことは絶対ないですから! 魔法だって使いどころさえ間違えなければ強力ですし今日も頼りにしてます!」

 だんだんと意気消沈していく姿がいたたまれなくて慌ててフォローに回ったのだけれど……。

「そう、よね。らんらんだって役に立って見せるわ! 狼如き何体来ようとらんらんの爆炎魔法で一網打じ」

「絶対にやめてください。敵が来ても魔法は禁止です。本気で、山火事になりますから」

 下手にやる気を出されても危ないという二律背反を前にあっさりと手の平を返す。

 あぁ、だからサスケさんはわざとああして豚さんの気を削いだのか。



 確かに豚さんの得意属性は火だけど、それ以外の属性が全く使えないってわけじゃない。

 適切に選択さえすれば事象が大規模な分だけ役に立つってこともあるのだ。

「じゃあここで一発お願いします」

「おほーーー! 大地を貫く槍よおおお!」

 豚さんは喜色も露わに杖を振り下ろす。途端に目の前の地面が不自然に盛り上がり、次の瞬間には土砂を盛大に巻き上げながら爆ぜた。

 これもゲーム時代にはありえなかった光景だ。地面オブジェクトは破壊不能で、地面から岩槍を召還する魔法でも演出の発光があっただけで土煙一つ舞わない。

 土中から相応の質量を持つ物体が高速で打ち出されれば辺りの土壌にも影響が及んで当然。

 現実と遜色ないリアリティを感じていた世界もこうして現物と比べると形無しである。

 ただし、リアリティであることが必ずしも好ましいとは限らないわけだが。


「や、ちょ、やりすぎです!」

 天高く巻き上げられた土砂はやがて重力に絡めとられ落下へ転じる。当然、そこにいるのは僕らなわけで。

「土塗れは嫌でござるううううう!」

「おいなんかどぎつい紫色のミミズっぽいのがぼたぼた落ちてきてるんだけど!? きめえええええ」

「良いから逃げろ! カタナもぼさっとすんな!」

 ハルトが固まっていた僕の身体をひょいと抱きかかえ脱兎のごとく範囲外から退避。

 ほぼ同時に当たったら痛いでは済みそうもない根っこの塊や石ころ、掘り起こされた土砂とそれに混じる虫が辺り一面にまき散らされた。

 幸い被害がなかったから良かったけど、魔法の効果は空恐ろしい。

「と、とりあえず回収しましょうか。無事だと良いんですけど」


 どうしてこんなことになったのか。もとをただせば竹らしき植物の群生地を見つけたのが始まりである。

 竹といえばタケノコ。植生が元の世界と変わらないのか興味を引いたものの、掘り起こすにはシャベルやスコップみたいな道具がないと難しい。

 勿論手元に都合よくそんな物がある筈もなく、どうしたものか悩んでいると豚さんが魔法による掘削を提案したのだ。

 地属性単体攻撃魔法グレイブは土中から魔力で生成した岩槍を召還する魔法である。ならばきっと、土中にあるタケノコも一緒に押し上げられるはずだ、と。


「これは凄い、かも」

 想定よりいくらか、いや、かなり規模は大きかったけれど目論見は成功と言って良さそうだ。

 5メートル四方の地面には幾つもの穴が穿たれ見事に掘り起こされている。

 岩槍自体は効果の終了とともに魔力へ還元され消滅するので上手く利用すれば落とし穴とかにも流用できそうだ。

「おぉー、落ちてる落ちてる。ちょい砕けたのもあるけど大量だな」

 タケノコは地下茎で親と子が繋がっている。掘り起こすのは凄く大変なんだけど、地盤ごとひっくり返したおかげで芋掘りより簡単に手に入ってしまった。

 見た目は元の世界の物と殆ど変わらない。手当たり次第にインベントリへ放り込むと満足げに次の獲物を探しに向かうのだった。




 木の実、果実、山菜、薬草。人の手の入っていない山は危険と同じだけの恩恵に溢れている。

 あれこれと自然の恵みを採集している内に当初の目的がなんだったのかさえ忘れてしまったくらいだ。

 いつのまにか肺が苦しくなるほどの濃い緑の香りも気にならなくなっている。

 女将さんに作ってもらったお弁当で休憩を挟み、そろそろ太陽も傾いてきそうだし帰ろうかという間際。

 アキツさんがもう少し南西を歩いていたなら最後まで忘れたままだっただろう。


「ん、北北東に大型の獣がいるな。こっちには気付いてないみたいだ。多分狼、数は2、どうする?」

 狼という単語に緊張が走るが、たった2匹なら十分に対応できる数だ。

「当初の予定通り行きましょう。サスケさん、気付かれないよう接近できそうですか?」

「こちらが風下、大きな音にさえ気をつければいけるでござるよ」

 そう言って暫く地面を見つめていると歩くべき道筋を見出したのか、葉っぱや小枝といった音の出る物を避け、跳ねるように歩き出す。

 暗殺者系列が得意とする隠密行動スキルの数々はこの世界でも十全に機能するらしい。

 経験のない僕らでもすぐ後ろを同じ挙動でトレースするとかなりの効果を実感できた。

 単純に歩くよりも遥かに時間をかけてゆっくりと、しかし着実に距離を詰めていく。

 本来は軽業師染みた俊敏性を利用して大胆かつスマートに高速移動もできるのだけど、慣れない僕らでは小幅でさえ難しい。

 特にAgiが初期値の僕と豚さんは顕著で、小石を蹴飛ばし、小枝を割り折る度に気取られたのではないかと気が気でなかった。


 10分近くもそうした移動に神経をすり減らした頃、唐突にアキツさんが両手を広げる。ストップの合図だった。

 開いた両手を茂みの向こうに2度突きつけてから片手を水平に額へつけ、周囲を伺うような仕草をしてみせる。

『周囲を警戒してる』

 言葉はなくとも言いたいことはしっかりと伝わってきた。

 それを証明するかのように狼の鳴き声がすぐ近くから聞こえてくる。互いの距離は25メートル。

 野生の塊である彼らに気取らることなくここまで接近できたのは我ながら大した物だ。

 続いて自分達を指差し大きな丸を作る。

『こっちに気付いたわけじゃない』

 野生の勘という奴だろう。アキツさん程ではないにせよ、僕らが向ける意識を何らかの方法で感じ取っているのかもしれない。

『暫く待機して警戒が解けるのを待つ』

 ジェスチャーだけでよくもこれだけ正確に情報を伝えられる物だ。

 僕らも分かったと頷き、状況が動くのを待とうとして、しかし思わぬ事態に変わりつつあった。

 先ほどの鳴き声で離れていた狼が合流しだしたのだ。


『敵の数、6へ増加。なおも接近中』

 当初の想定を大幅に超える数がすぐ近くへと集結しつつある。

 ポータルゲートで引くにしても互いの距離が近すぎた。これでは離脱する前に気付かれ接敵されてしまう。

 かくなる上は気付かれていないアドバンテージを生かしての先制攻撃しかあるまい。

 敵の居る方向を指差し、インベントリから引き出した杖を振り下ろしてみせる。

 攻撃開始の合図だ。アキツさんは静かに頷くと、同じくインベントリから弓を出し2本の矢を番えた。


 ダブルシュート。ゲーム内では単体に2回攻撃を行うスキルだったが、どうもこの世界では細かな調整が可能らしい。

 単体5連撃だったホーリーランスが対象を任意指定できるようになったのと同じ現象だろう。

 その代償として追尾や補正といったシステムアシストはなくなっている。当たるか当たらないかはアキツさんの腕次第。

 初撃で敵の出鼻を挫いて欲しいところだけど、今回の狙撃はあからさまに分が悪かった。

 弓からすれば25メートルの距離は決して遠くないし、的が動かないなら必中の間合いといっていいけれど、それは的が見えていればの話。

 鬱蒼と茂る背の低いシダ植物と乱立した木々が狼への射線を寸分の隙もなく遮っている。

 だからこそ敵からも見つかることなく伏せていられるのだけれど、幾ら索敵スキルがあるとはいえ、見えない対象を気配だけで撃ち抜けるとは思えない。

 混乱させてくれさるだけで十分。その隙にハルトとサスケさんが合流される前に2匹を斬り伏せ、迎撃の態勢を整える。


「っ!」

 音はなくも裂帛の気合と共に放たれた矢を合図にハルトとサスケさんが力強く踏み込む。

 ところが二の足が地面を蹴るよりも早く、茂みの向こうからドサリという音が2つ届いた。

「うし、2匹撃破!」

 狙撃の成功を確認したアキツさんが嬉しそうにガッツポーズを取る。

 目視不可能な対象へ索敵の感覚だけを頼りにした精密射撃。

 悲鳴一つ上がらなかったということは、寸分の狂いもなく急所を射抜いたのだろう。

 そら恐ろしい精度に凄いを通り越して乾いた笑いが漏れた。この分だとハルトとサスケさんの出番はないかもしれない。


「マジかよ」

「拙者の索敵ではぼんやりとした位置しか分からなかったでござる……」

 踏み込んだ茂みの奥には喉元から頭を貫かれた狼の骸が2つ転がっていた。

 自分が何をされたのかも分からなかっただろう。今にも動き出しそうな表情がそれを物語っている。

「敵影4、流石に勘付かれたか。急速接近中、もう少し後ろから更に2匹だ」

 どこからか短い狼の鳴き声が木霊した。のんびりしているとまだ増えるかもしれない。

 かといって、敵の正確な位置が分からないのにハルトとサスケさんを動かすわけには行かなかった。

 まずは有利な陣地の構築を。


「ハルトとサスケさん、最低半径5メートル内にある草と木を全部なぎ払って!」

「おうさ!」

「合点承知!」

 密集したシダ植物は僕らの行動を阻害するだけでなく、地面を這うように移動する狼達にとって絶好の隠れ蓑だ。

 達人なら草の動きを読んで先手を打ったりもできるんだろうけど、僕には風なんだか狼なんだか分かったもんじゃない。

 一番怖いのは気付かれずに接近されてからの奇襲。距離さえあれば、狼さえ見えていれば十分に迎撃できる。

 指示を受けたハルトが一歩前に足を踏み出す。愛剣をしっかり握り締めてから腰を落とし水平に構えた瞬間、ぶわりと風が生まれた。

 同時に刀身を淡い緑色の光が包みこみ、ややの間を置いて力強い新緑へ色味が濃くなると身体を半回転させながら思い切り振り抜いた。

「【ホリゾンタル・ブレイク】」

 地面スレスレに描かれた緑の直線が爆発的な速度で広がり、触れた全てを切断、同時に小爆発を引き起こす。

 荒れ狂う風によって刈り取られた草は片端から綺麗さっぱり吹き飛ばされ、正面180度には掘り返されたかのような黒々とした地面しか残っていなかった。


「広範囲スキルは凄いでござるなぁ」

 背後からひょっこりと顔を覗かせたサスケさんがハルトの痕跡を見て羨ましげに漏らす。

「いや、スキルなしで同じことが出来る奴に言われてもな……」

 確かにハルトの、最上位職である王室騎士のスキルはどれもこれも派手で高威力で凄いけども。

 振り返った先に広がっている、やはり草木1本も残っていない空間だって別の次元で凄いと思う。

 サスケさんはこれをスキルなしで、もっと言えば武器と自身の身体一つでやってのけたのだ。

 暗殺者系列の最大の利点は素早さと手数。ただ武器を振るだけの単純な動作ですら避けようのない連撃に昇華される。


「距離50。こっちを警戒して速度を落とした、どうも包囲する気でいるらしい」

 もしかしたら先ほどの鳴き声は倒れた2匹へ呼びかける物だったのかもしれない。

 返事がなかったことで敵の存在を察した狼達は仲間がやられたことに最大限の警戒をしつつも僕らを襲おうとしている。

 不意に、何故? と疑問が湧いた。

 決まっている、襲われたからだ。狼は極めて社交的な動物で、ともすれば仲間の仇討ちを考えているのかもしれない。

 つまり狼も人間も結局のところ変わりはしないのだ。生活の為に何かを犠牲にするし、仲間の死を悲しむ感情もある。

 この間は一方的に襲われたから反撃を躊躇う必要がなかった。

 だけど今日は僕らの方から襲っている。それはあたかも、あの時と立場が逆になったようで……。


「カナタ! ぼーっとするな、指示を!」

 ハルトに肩を揺すられてようやく我に返る。

 思考に沈んでいた時間は長くても数秒だが、この状況下では愚かとしかいいようがない。

 集団戦において最も警戒が必要なのは指示系統の混乱である。

 例えばハルトと僕が同時に『突撃』と『撤退』という相反する指示を出したら、どちらに従えばいいのか分からず硬直せざるを得ないだろう。

 下手をすると撤退の時間稼ぎに用意した範囲攻撃に巻き込まれてしまう可能性すらある。

 そうならないよう、戦闘の方針と指示は全て僕が行うと事前に決めていた。まさかその旗振り役が呆けるとは。

 分かっていた筈なのに。これは人と狼の戦争なのだと。言葉を交わせない彼らとの和解はありえず、どちらかが滅びるまで殺し殺されるしかない。

 何かを犠牲にしててでも生き残ることを優先するのが命の本質なのだ。


「スペースは確保できました、当初のとおり陣形を組みます! アキツさんは敵の位置を断続的に教えてください!」

 迷っている時間はない。何より、みんなを危険に晒すなど以ての外。大きく息を吸って覚悟を決める。

「我等に【祝福】を。天よりの【恩寵】を。精霊達の【守護】と【加護】を」

 全員に支援魔法を展開しつつ、刻々と読み上げられる敵の位置を記憶し、頭の中に移動ルートとして展開。その目的までを勘案する。

 狼は北側180度に4匹、互いに距離を開けつつほぼ水平に展開して南下中。多分僕らの正確な位置と数までは把握できていない。

 獲物の気配を感じたら連携を取って人数と配置を絞り込むつもりだろう。つまりまだ情報戦の段階だ。多分、今ならポータルゲートでの離脱も十分間に合う。

 だけど、もう決めたのだ。


「敵を殲滅します。アキツさん、当てられそうですか?」

 索敵による彼我との距離は30メートル。先ほどよりも遠く、当然ながら敵の姿は深い森に隠れている。

 途中にどんな障害物があるかも分からない。場合によっては射線すら確保されてない可能性だってある。にも拘らずアキツさんは自信ありげに頷いて見せた。

「任せなって。この距離なら外さない。なんとなく分かるんだ」

 サスケさんが僕からすると眩暈を感じるような高所からいとも簡単に飛び降りたように、感覚として自分の技量を理解できているのだろう。

 片膝をつき、安定した姿勢を維持すると音もなく番えた矢に仄かな赤い燐光が灯る。


「正面1匹、やっちゃってください!」

「【ペネトレイト・アロー】」

 スキル名と共に解き放たれた矢は螺旋状に渦巻く赤色のオーラに包まれ真っ直ぐ、途中にあった木々を軽々と抉り取り、貫通しながら、しかし少しも勢いを衰えさせることなく突き進む。

 刹那、矢の作り上げた道筋の遥か先で真っ赤な飛沫が上がった。

 倒れる木々や舞い上がった草花で視界はすぐに塞がれてしまったが、致命傷に間違いない。

 並々ならぬ気配を感じ取ったのか、狼達が等間隔に吼える。数は3。うち一つだけ間隔が空いたのは先ほど仕留めた1匹の分か。それで誰が狙われたのか把握するつもりなのだろう。なんて知恵だ。

 知覚外からの攻撃に多少なりとも怯むと思ったのだが、血気盛んなのか、今さら止まれないのか、狼達は被害を確認したのちに速度を上げる。

 アキツさんは続けざまに通常矢を放つが、敵も左右へ不規則なステップを踏んで狙いを反らす。

 3本目の矢で痛みに悶える狼の鳴き声が響いた。急所は外れたみたいだけど手負いなら戦力になるまい。


 残り10メートル。ここまでくれば大まかな位置くらい把握できる。見通しの良くなった広場に姿を現した瞬間を攻撃すべく構えた。

 辺りは不気味なまでに静まり物音一つ聞こえてこない。

 じっと見つめていた草むらが不自然に揺れた気がして、待機させている【ホーリーランス】の角度を調節する。

 本当はすぐそこでじっと伏せていて、襲撃の機を伺っているんじゃなかろうか。

 今解き放てば当たるかもしれない。根拠の薄い妄想がさも定石のように感じられ、衝動的に放ちたくなる心を理性でねじ伏せた。

 まだだ、後もう少し、姿が見えてからでなければ意味がない。

 だがその時が訪れる前に、遥か遠くからこれまでとは比べ物にならない、大気を振るわせるほどの咆哮が鳴り響く。

 途端に草むらが大きく揺れ、凄まじいスピードで反転。狼達は迷うことなく撤退を始めていた。

 予想外の事態に戸惑いつつも確信する。あれは白銀の賢狼だ。よもやこれだけの距離を隔ててなお、僕らの企みに気付いたとでも言うのか。

 ……まさか、幾らフィールドボスでもありえない。定期的な召集か、気まぐれかは知らないが、ただの偶然に決まっているではないか。

 なのにもしかしたらという疑念が消えないのは、初めて遭遇した時の底知れなさに影響を受けているせいだろうか。


「全部撤退したみたいだな。仕留めそこなった1匹なら今からでも追いつけそうだけどどうする?」

 索敵により安全を確認したアキツさんに聞かれ、暫し考えてから首を横に振る。

「深追いは止めておきます。狼を回収して今日は帰りましょう」

 下手に追い込んで白銀の賢狼と出くわすのは避けたいし、僅か30分程度の攻防だったのに身体が重い。

 成果は3匹。初日にしては十分だろう。即死させた2匹はそのままインベントリへしまえたが、【ペネトレイト・アロー】の直撃を受けた1匹は回収を諦めてその場に埋める。

 今後は形を保てる威力でないと証拠にはならなさそうだ。どうしてこう制限ばかりが増えていくのか。




 町外れに転移した僕らは大きな狼をこれ見よがしに担ぎながら凱旋する。

 ちょっとしたアピールのつもりだったのだけれど、町の人達からは大いに驚かれ、それ以上に喜ばれた。

 ゲーム時代のアバターは大部分が華奢な若者で、僕を除くみんなも属性に差はあれど例に違わぬ容姿をしている。

 Strが筋肉として表現されているわけでもなし、馬鹿みたいな膂力を持つハルトですら見た目はごくスリムな青年なのだ。

 『名ばかり貴族の末息子が手切れ金代わりに僅かばかりの装備を与えられ、口減らしに放り出されたんだとばっかり……』なんて口を揃えて言われるのも納得……するのは癪だが仕方のない話なのかもしれない。

 なら狼を討伐するとか言い出した時点で止めろよと思わなくもないけど、ここは人命の単価が極端に安い異世界。何をするのも自己責任の一言で片付けられてしまう。

 結果として狼のお腹が膨れ家畜に手を出されなくなるなら満足、万に一つ、世界が滅ぶような確率で狼が駆除できるなら儲け物。全くもって酷い話である。人権などどこにもなかった。

 ただ、グレアムだけはこの成果を確信していたらしい。にやりと意味ありげな笑みを浮かべていた。

 職業柄、狼に関する知識を豊富に揃えるだけあって、大柄な固体を徒に傷つけることなく即死させる手腕がどれ程の物かを一目で見抜き、立役者であるアキツさんへ惜しみない感嘆と賞賛を与える。

 戦利品は専門の職人に引き渡され、毛皮から内臓に至るまで何一つ無駄なく再利用するらしい。

 普段は兎や狐を初めとした小動物のなめし皮を作っている職人は稀に見る逸材を前に興奮を抑えきれない様子だった。


 森で採ってきた果物や薬草の類も最近はアズール商団の面々が行商のついでに見つけたら取ってくるくらいで慢性的に不足している。

 帰りの荷馬車にも村々から引き受けた工芸品だの作物だのを満載しているので空きはない。

 商団の仕事としてではなく、酒代になれば、或いは酒のつまみにできればと、個人個人が僅かな隙間や服のポケットに押し込む形だ。

 インベントリ機能を持つ僕らがほぼ限界まで詰め込んだ品々は荷馬車数台分といった単位で、噂を聞きつけた町の人から纏まった量を売って欲しいと頼まれるほど。

 個別に対応するのは無理っぽいので手持ちの在庫は商会に一括で買い取って貰いあとは任せることにした。

 おかげで僕らの懐具合は暖かい。宿の質素な食事ではなく、酒場で贅沢を続けても1週間はもつだろう。

 1日の労働の対価にしては破格だった。


 とはいえ、過剰なまでの報酬は満足に森へ入れず、必要な物資が不足していたのが大きい。

 一時的な需要増加による価格高騰、いわばバブルみたいなもので、これから僕らが毎日森へ入り定期的に供給が得られるのだと分かれば価格はすぐにでも落ち着くはず。

 わざと供給を渋って価格を吊り上げる、なんて真似も不可能じゃないんだろうけど、その気にはなれなかった。

 ゲーム世界でも転売屋は嫌われることが多い。ほら、人間て自分の不利益に繋がることに敏感だし。

 町の人達全員から白い目で見られても平静を保てるようなメンタルは持ってない。

 第一、狼に困っている人達の為に立ち上がったのに恨みを買うなんて馬鹿げてる。


 そんなわけで僕らは得られた収入を町に還元すべく、女将さんに断りを入れてから酒場に来ていた。

 ギルバードさんと回復庫さんはまだあちこちで話を聞きまわってくれているのだろう。

 戻ってきたら酒場に来るよう伝えて欲しいと伝言だけは残してある。遠隔チャット機能が使えないのは痛かった。

 インベントリ機能があるのならWis機能があってもいいではないか。

 ゲームでなくともウェアラブルデバイスが当たり前のように普及している時代。連絡はどこでもすぐに取れるのが当たり前だった。

 伝言や待ち合わせを始めとするアナログな手段には未だ馴染めていない。


 夕暮れ時の酒場は一仕事終えたあとの一杯を楽しもうとする人達で溢れていた。

 乾杯したいところだけど、ギルバードさんと回復庫さんを抜きに始めるのは躊躇われる。

 かといって何も頼まず居座られては店にとって迷惑でしかない。どうしたものかと考えは、しかしすぐに無駄になった。

「おお、若いの! ひょろいくせして狼を狩ったんだって? 凄ぇじゃねぇか! ちぃっと話聞かせろよ!」

 小さな町だけあって噂が広まるのは一瞬だった。

 肉体労働に勤しむ人々はみな筋骨隆々なので小柄な僕らは目立つことこの上ない。

 入り口に踏み込んだ瞬間から全員の視線を集め、盛大な拍手で出迎えられた。

「この若き救済者(セイヴァー)に一杯奢ってやってくれ!」

「ならこっちからは肉野菜炒めだ! しっかり食って大きくなれよ。ところで、あの恐ろしい狼にどうやって立ち向かったんだ?」

「木の実とか山菜も集めてきたんだろ? 名物料理なのに材料手に入らないからってずっと食えなかったんだ。上手いから食べてみろよ、おやっさん、こっち一皿追加なー!」

 こうなっては彼らの善意を拒絶するのも躊躇われる。

 互いに顔を見合わせると自然に苦笑が浮かび上がり、仕方ないかと別々のテーブルへ向かっていった。



「狼って群れて襲ってくるだろ? どうやって狩ったんだよ。平原ならともかく、森の中ですばしっこいあいつらに出会ったらどうしようもねぇ」

「近接戦闘は流石にな。気付かれる前に倒せばいいんだよ。俺は勘が良いみたいで狼がどこに居るか大体分かるんだ。あとはこっそり忍び寄って、こう、弓でスパンってわけさ」

「おおおお、兄ちゃんは弓の名手なのか! かっけぇなぁ!」

「別に弓だけってわけじゃないんだけど、まぁメイン武器だよ。何ならちょっとばかし腕を見ていくかい?」

「いいのか!? おいお前ら! 救済者(セイヴァー)様が弓の腕をお披露目してくれるぞぉぉぉぉ!」



「ほらこれが町の名物メニューだよ。地中深くに埋まってて掘り起こすのは大変なんだけど、獲れたてをその日の内に煮込んでたれをかけるとこれがまた旨いんだ」

「おほー、ポン酢みたいな味付けね。らんらんタケノコは醤油派だったけどこれは中々……」

「お、こいつを食ったことがあるのか? って、わざわざ採ってきてくれたんだもんな、知ってて当然か。でもよ、こいつ1個掘るのでも30分近くかかったりするんだぜ? どうやってあんな大量に採ってきたんだ?」

「らんらんの魔法で地盤ごと持ち上げれば掘る必要なんてないもの。まぁ他にも色々吹っ飛んでちょっと大変だったけど」

「お前、魔術師だったのか! 地面ごと持ち上げるって、考えることがすっげぇなぁ……」



「なぁなぁ、そんな細っこいのにどうやって狼と戦うんだ?」

「ふむ、確かに拙者はVit、体力は低いでござるが、要はそれを補う素早さがあればいいのでござるよ。敵の攻撃が見えれば交わすのは難しいわけでもござらん」

「た、確かにそうかもしれないけどよ、流石に狼より素早くってのは無理があんだろ」

「いやいや、人間鍛えれば何とかなるでござる。例えば……このコップの水、これをこう、空にぶちまけるでござろう?」

「おおぃ!? あんちゃん何して!?」

「心配後無用、こうしてこうしてこうすれば……ほれ、見えてさえいれば全ての水をコップの中に戻すのも容易いでござる」

「……マジかよ」



「俺は今回殆ど出番はなかったからなぁ。精々が狼を迎え撃つ場を整える露払いを引き受けたくらいだ」

「へぇ、具体的には何をしたんだ?」

「あいつら草陰に隠れて近づくからな。あたり一面の雑草を刈り取った」

「確かにそいつはまた偉く地味だなァ……。そうだ、兄ちゃんも腕に自信はあんだろ? どうだ、俺と一勝負していこうぜ」

「ん? あぁ、腕相撲か。こっちにもあるんだな。いいぜ、相手になってやる」

「言っとくが俺っちはここいらで負けなしだからよ。普段は負けたほうが奢る約束だが、今日の主役は兄ちゃん達だしナシにしといてやるぜ。……って、その小指はなんだ?」

「これで俺が勝ったら面白いと思わないか? 勿論本気で来てくれ、後で言い訳はナシだからな」

「くはは、面白れえじゃねぇか! だがよ兄ちゃん、あんまり大人をナメると痛い目を見……痛ってええええええ!? 嘘だろおい本気だぞ!?」



 時折聞こえてくる笑い声に耳を傾ける限り、みんなそれなりに楽しんでいるらしい。ちょっと無茶をしているのが気になるけれども。

 僕も適当なテーブルであれこれ、若干の脚色を織り交ぜつつこれまでの経験を口にしていた。

「へぇ、嬢ちゃんは神官様だったのか。通りで綺麗な見た目してると思ったぜ」

 この世界では平民と貴族の領域がはっきり分かれている。商会長や町長といった極一部の知識人を除けば殆どが肉体労働者だ。

 身分によって服装や髪型を始めとしたお洒落や肌のお手入れに気を使える時間にも雲泥の差がある。

 いっそ病的なまでに白い肌と豪奢な服はそれだけで身分の違いを明確にしているといっていい。

 そうか、だからグレアムはあんな豪華な部屋を手配したのか。万が一やんごとなき身分だった場合に因縁でもつけられたら堪らないと思われたのかもしれない。


「しかしなんでこんな教会もない辺境に?」

 2人の視線はどちらかといえば胡散臭そうな色合いを含んでいる。

「不幸な事故が重なったと言いますか、色々ありまして。今はアセリアを目指してるんです」

 表面上は愛想よく応対しつつも内心では溜息が漏れた。

 幼い少女になら気取られまいと油断しているのか、構うまいと思っているのか。後者なら随分と心根が荒んでいるのではなかろうか。

 確かに平民にとって貴族は自分達が苦労して作り上げた成果を掠め取っていく目の上のタンコブ的な存在でしかない。

 領主が狼被害に何の援助もしてくれないことも、こうした不満を増長させる原因の一旦になっている。


 同じように寄付が少ない辺境へ手を伸ばそうとしない教会にも不満があるのだろう。

 この地に根付く薬師のおかげで傷病の対応はどうにかなっているものの、教会が示す奇跡や祈祷と違って即時性はない。

 もしかしたら狼に襲われた人の中には薬じゃ間に合わなかった人もいたのかもしれない。

 だが、そうした体勢への不満を僕に向けられても困る。なにせ神官は神官でも無免許なのだ。教会との関連性もない。

 仮に正式な神官だったとしても見た目は幼い少女だ。上層部に意見できる権利があろうはずもないと分かりそうな物だけれど。

 いっそ席を立つかと考えたが、これからも僕だけ町の人達から今みたいな視線を浴びるのは切ない。

 少しくらいは人気を売っておくべきか。


「実は教会のありかたについて色々申していたら飛ばされまして」

 勿論純度百パーセントの嘘なのだけれど、思いもよらなかった言葉に男達は暫し絶句する。

「火の神は遍く世界を照らし、地の神は遍く大地を祝福し、風の神は遍く季節を運び、水の神は遍く命を育んでいます。であるならば、教会に与えられた聖なる祝福もまた、遍く人々に与えられるべきです」

 祝福系の魔法を独占して利益を上げている教会への痛烈な批判。

 誰しもが多かれ少なかれ思っていることだが、神官の口から飛び出すとなると話は違う。

 教会がなければ神官もやっていけないのだ。言わば運命共同体なわけで、自分は元より、仲間の立場を危うくするような言動はおいそれとできるものじゃない。

 まぁ実際そんなことは少しもやっていないんだけども。

 先の追放された身の上話に今の発言が加わればさしもの彼らも無碍には出来まい。


「そいつはまた、とんでもないことしたもんだな……」

 日頃から領主に対して不平不満を口にすることはあっても、直接訴えてやろうという輩は誰一人もいなかった。口だけなのだ。

 しかしそれも当然である。なにせ互いの立場が違いすぎた。領主が話し合いに応じる必要なんてないし、無礼を理由に斬り捨てたとしても何の責も負わない。

 それは教会と神官も同じ、いや、なお悪いか。組織の人間が組織の屋台骨を揺るがそうとするのを黙って見過ごすわけにはいかない。

 第二、第三の芽が出ないよう徹底的に潰してしかるべきだ。


「ならば遍く地へ祝福を届けるがいいと命を受け、今は教会のない遠方を巡りつつ、情報を集めてはアセリアに届けているんです」

 僻地を巡るというのは言うほど簡単なことじゃない。領主が整備と警備に精を出すのは物流網を担う街道が中心で、少し外れただけでも悪路にかわり、酷いと獣道すらなくなる。

 当然、魔物の出現率も飛躍的に上がるだろう。

 聖なる祝福を授かる教会が同じ祝福を担う神官に直接手を下したのでは醜聞に関わる。

 だから僻地へ追いやり、影響力を削いだ上で、道中の魔物に襲わせるのだ。

 巡礼の最中に死んだのなら教会の責任ではない。後はほくそえみながら適当に勇気ある聖職者に安らかな眠り云々で終わり。


「なんてこったい。その、大丈夫なのか?」

「ええ。最初は魔物が出るたびに情けなく震えることしかできませんでしたが、今では少しですけど戦えるようになりました。皆さんのおかげです」

 驚きすぎて目を丸くしている男達に幸薄そうな笑みを浮かべてみせた。

 ゲーム時代からそこはかとない後ろ暗さというか、仄暗さというか、設定に闇を抱えていたのは知っていたけど、本当に心の底からとんでもない集団である。

 もっとも、そんな無法集団でも弁明の機会が与えられないわけでもない。

 教会だって人手は必要だし、初犯なら自分が間違っていたと認め、二度と教会を疑わないと誓えば暫くの監視程度で済まされる。

 実際に僻地廻りをさせられるのは、協会に与えられた聖なる祝福が何の対価もなく人々に与えられるべきだと頑なに信じ続けられる、頑固で融通の利かない馬鹿正直者くらいだ。


「……すまなかった。嬢ちゃんみたいな神官様も世の中にはいるんだなぁ。罪滅ぼしになるかわからんが、何でも好きなもん奢ってやる、幾らでも頼んでくれ」

 薄っすらと浮かんだ涙を袖で拭う姿に当初抱かれていた偏見は欠片も見えない。

 ……正直少しばかりやりすぎたのではないかと後悔していた。根が純粋なのか、外の世界を知らない分だけ疑うということを知らないのか、素直すぎて罪悪感が膨れつつある。

 せめて彼らの懐を痛ませまいと、目の前の更に盛られた木の実へ視線を泳がせた。

「ではこれを頂けますか? 実は大好物なんです!」

 塩だけで炒られた種子は硬い皮を僅かに開けていて、割ると中からカリッとした触感と香ばしさが癖になるナッツが出てくる。

 宿でも何度かおやつがわりに口にしたことがあるのだけど、元の世界のピスタチオに似ていてとても美味しいのだ。森の浅い場所で幾らでも採れるらしくお酒のつまみの定番らしい。

 両親が時々お酒のつまみとして買ってきてはおこぼれに預かっていた。自分で買おうとは思えないのが好物になった理由の一つでもある。


 一粒ずつ手にとってはせっせと割り砕き口へ運ぶ。舐めるように転がすと絶妙な塩加減に目元が緩んだ。

 心からの至福の時。しかしそんな僕の姿に、目の前の男達は異なる見解を得たらしい。

 彼らにとって目の前の木の実はごくありふれたものでしかない。小さな頃から毎日毎日、時にはうんざりしながらも口にし続けたのだ。

 そんなものを、一粒一粒味わうようにして食べる奴がいるなんて。

 きっと普段から満足に食べることすら叶わず、こんな風に小さな木の実をゆっくり食べて飢えを凌いできたのだろう。

 自然、男達の瞳から涙が零れた。

 領主への不平不満はあれど表向きは従順に従うことしかできない臆病者の自分達に比べ、苦難を強いられてもなお己が信念を曲げずに貫き通す少女のなんと気高いことか。


「おいみんな聞いてくれ、この聖女様はなぁ……」

 そんな思惑に微塵も気付けなかった僕はといえば、突然の格上げと呼びかけに目を白黒するしかなかった。

 男は今さっきの話に誇張と尾ひれと蛇足を付け加え、美化を幾重にも重ねた熱弁をふるう。もはや原型はない。

 荒唐無稽なそれらは作り話としても稚拙で、思わずくすりと笑ってしまったほどだったのだけれど、何故かみんな信じてしまった。この町の未来が心配になる。いつか詐欺師に騙されて身包み剝がされるんじゃ……。

 盛り上がりに盛り上がった男達はみな涙ぐんだ目で労いの言葉をくれる。本当にどうしてこうなった。

「くぅぅ……おい親父、とっておきの持って来てくれ! 聖女様にせめてこの町にいる間は力をつけてもらわねぇと! 」

「そうだそうだ! 我等が町の救済者(セイヴァー)に乾杯!!」

「乾杯!」


 伝言を聞きつけたギルバードさんと回復庫さんが来店するやいなや、瞬く間に宴席へ引き込まれジョッキを渡される。

 困惑した彼らに男達はとっかえひっかえ乾杯を迫り、数分後には赤ら顔で馴染んでいた。あの様子では成果報告なんて無理だろう。

「お前さ、何したんだよ……」

 いつのまにか隣に立っていたハルトがやつれぎみに尋ねてくる。まるで僕のせいだと言わんばかりだが、多分、きっと、違う、はず。

「ディールさんが作ってくれた設定にほんのちょっと脚色を加えて話しただけなんだけども」

 全部お酒が悪いのだ。そうに決まっている。でなければ目の前で繰り広げられる混沌に説明がつかない。

 気分の良くなったギルバードさんが楽器を弾きならし明るい音楽を奏でれば男たちが手を組んで踊り出す。


 それが一段落着いた頃、今度は噂を聞き付けたキエルのお爺さんが画材道具一式を背に、是非とも町の救済者(セイヴァー)達を絵にさせて欲しいとせがまれてしまった。

 みんなは満更でもなさげにモデルを引き受けていたけど、僕はこの姿を残されても恥ずかしいだけなので丁寧に辞退させて貰う。

 是非にと熱望されても困る。いやだって絶対美化して描かれるに決まっているし。昨日の回復魔法を使っているときの僕がモデルと思しき線画にはなんか羽とか生えてたし。

 お爺さんは残念そうにしていたけれど、みんなの容姿もずば抜けているので、それはそれでインスピレーションを刺激されたようだ。

 満面の笑みと鬼気迫る筆遣いでごりごりと描きこんでいく姿は本当に楽しそうだった。


 酒宴は日付を変えてもおわることなく、僕らはこの日を境に町の人達から救済者(セイヴァー)と呼ばれるようになる。

 気恥ずかしくはあったけれど、尊敬と羨望の視線の数々は僕らに確かな自信をもたらしたのだった。

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