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World's End Online Another -僕がネカマになった訳-  作者: yuki
第二章-境界の彼方、幻想の世界-
32/43

辺境の街と夢幻の救者-5-

「じゃ、宿まで案内するから」

 思ったより話が長引いてしまったせいか、少年は眠気を隠し切れない様子で漏れそうな欠伸を必死にかみ殺しつつ道を進む。

 会話が少ないのも気を割く余裕がないからだろう。できるだけ早く解放してあげようと、僕らの足取りは心なし速くなる。

 町は暗闇に包まれていた。現代と違い街灯みたいなものはない。少年が手にするランタンと天上に浮かぶ星や月がささやかに足元を照らすだけだ。

 時折雲が掛かって月を隠すと、それだけで互いの輪郭さえおぼつかなくなる。山の上でキャンプしたときもこんな感じだったっけ。自然とみんなで手を繋いではぐれないように気を配る。

 土壁の窓から蝋燭の光が漏れていることもあるけれど数は多くない。きっと陽が昇ったら起きて沈んだら寝る健康的な生活が当たり前なのだろう。

 少年も普段ならとっくに寝ている時間だったに違いない。


「ここが町に一つの宿。話は先に出てったのがつけてるから、おーい、お客さん連れてきたぞー」

 睡魔に覇気を奪われた声で扉を叩くと重たい鍵が開く音がする。

「あらあら、キーちゃんじゃない。こんな夜遅くまで大変ね」

 中から出てきたのは恰幅のいい中年の女性だった。ところどころほつれた髪を大雑把に編んで背中に流し頭には三角巾を巻いている。

「別に。俺はもう立派な大人だかんな、こんくらいなんでもねーし」

 労いの言葉を少しばかり誇らしげに聞き流して強がるが、傍から見ても目は半分くらい閉じていた。

「夜は危ないわ。部屋も余ってるしキーちゃんも泊まっていきなさい。今日の仕事はもうおしまいでしょ?」

 限界が近いのは誰が見ても明らかで、女性は苦笑を浮かべつつ手を引いた。少年にも反抗する余裕はないみたいで素直に従っている。こうしてみると中のよさそうな親子のようだった。

「みなさまもどうぞ。話はグレアム様から聞いております。何もないところですが、どうぞごゆっくりしていってください」


 早速案内された部屋は思ったよりも広くて見るからに快適そうだった。というか、ちょっとだけ異世界を侮っていたかもしれない。

「えっと、いいのかなこれ……」

 天蓋つきのベッドが窓際に一つ設置されていることから一人部屋で間違いないんだろうけど、設備が現代のホテルと比べても引けをとらない……どころか凌駕するくらい華美なのだ。

 フロントや廊下はむき出しの木材がそのまま使われていたのに、この部屋はふかふかの絨毯と見るからに手の込んだ壁紙が貼られ木材の木の字も伺えない。

 本棚や机、クローゼットを始めとした家具も全てダークブラウンに染められており、漆だろうか、触れるとつるりとした感触が返ってくる。

 どう考えても普通の部屋とは思えなかった。ぶっちゃけVIP専用に違いない。うっかり絨毯へ飲み物を零そうものならどれ程の金額を請求されるやら。

 試しにベッドへ腰掛けてみる。バネが仕込まれているわけでもないのに身体が沈みこんだ。家にある布団よりずっと快適に眠れそうである。

 馬小屋で藁を寝床にするのも覚悟していた身としては、清潔に保たれた真っ白なシーツに潜り込んで文句を言われないか心配になる。

 隣に置かれた羽毛布団にしても実に暖かそうで、シルクのような肌触りはやはり自宅のそれと比べても格段にグレードがよさそうだ。


「おーい、そっちの部屋はどう……ってなんじゃこりゃ!?」

 そこへ丁度、一足先に隣の部屋を案内されていたハルトが様子を見に顔をのぞかせた。

「その反応ってことは、ハルト達の部屋は普通ってこと?」

「いや、予想よりかなり上等だと思ってたんだけどな。これを見た後だと流石に霞むわ……。ちょっと見てみ?」

 手招きされるままに部屋を出て隣の大部屋を覗く。柔らかい絨毯は廊下と同じ硬い木板にさしかわり、内装は壁紙どころかベッド以外の家具すら置かれていなかった。

 そのベッドにしても天蓋はなく、木を組んだだけの簡素な作りだ。唯一同じなのはぴんと伸ばされた真っ白い清潔なシーツくらいのものだろう。

 羽毛布団の代わりに毛布らしき布が四角く折りたたまれて置かれている。


「か、格差社会……」

 いや、最初にこの部屋を見てれば簡素だけど悪くない部屋だと思えたんだろうけど。

「な? 藁の寝床もありえるかと思ってたからほっとしたつもりだったんだが、隣があれじゃな。完全に別世界だったぞ……」

 こうして見比べてみると僕に宛がわれた個室がいかに装飾華美か良くわかろうというものだ。

「驚きました? あれは査察に来る領主様の為に作られたお部屋なんですよ」

 言葉を失っているといつの間にか背後に立っていた女将さんが苦笑交じりに声をかけてくる。

 驚きながら振り返れば、白い湯気の立つカップが並ぶ盆から器用に1つを持ち上げすっと差し出された。

「どうぞ。大分昔のことですか、視察に来た領主様にこのような粗末な部屋に泊まれるかと騒がれまして。不興を買って万に一つ税を重くされるくらいならと、当時の商会が手を回して一部屋だけ改装したんです」


 随分と勝手な言い草だが封建制の領主といえば小国の王に等しい。VIP専用どころかホワイトハウスか首相官邸の勢いだ。桁外れに豪勢なのも頷ける。

「あの、良かったんでしょうか。そんな部屋を私なんかが使ってしまって」

「グレアム様のご意向ですから何も問題ありませんよ。お代も既に頂いてますし、他の部屋をご用意するにしてもこのお時間ですから、変えて欲しいと言われても困ってしまいますね」

 恐縮しかない僕の気持ちを察して、女将さんは悪戯っぽく告げる。困ってしまうなら仕方ない、折角のご好意だし甘えることにしよう。

「分かりました。素敵なお部屋をご用意いただきありがとうございます」

「あらあら。グレアム様からくれぐれも失礼のないように言われてますから、遠慮なんてせずになんでも申し上げてくださいませ。それでは失礼致しますわ」

 ぺこりと頭を下げた僕に優しげな笑顔を向けると優雅に一礼してから廊下の奥へと消えていく。

 渡された飲み物はハーブティーだろうか。澄んだ青色の液体を一口含むと爽やかな香りが心を落ち着かせてくれる気がした。


「さて、飲みながらでいいからちょっと聞いてくれね?」

 アキツさんの音頭にみんなが何事かと視線を向ける。

「あぁ、そんな大したことじゃないんだ。カナタちゃんが偉い人に渡りをつけてくれたおかげで一番やばい問題は解決したも同然だしさ。いや、マジで俺らだけだったらどうなってたことか……。それはともかく、話し合わなきゃいけないこともあるっしょ?」

 誰ともなくこくりと頷いた。グレアムが僕らを援助してくれるのは白銀の賢狼を狩ってくれると信じてくれたからだ。

 さくっと期待に応えて見せたいところだけど、当分の間は訓練に費やすつもりでいる。

 この世界の敵がゲーム時代と同じ挙動ばかりではないと痛感したばかりだ。スキルの仕様だって大きく変わっているかもしれない。

 なにより食い殺された青年には蘇生魔法の効果がなかった。


 MMORPGに(デスペナルティ)はつきものだ。誰だって初見の攻撃は避けられない。

 ユーザーは『リトライ』という特権を活用して経験を積み対処方法を身体で覚えていく。

 だけどこの世界に『リトライ』が用意されているとは思えなかった。HPを失えば青年と同じように物言わぬ躯となり果てる。

 ゲームみたいな後先顧みない挑戦はできない。構成も、立ち回りも、出来る限りの安全を意識した形に組みなおさなくては。

 司令塔をこなしていたアキツさんは真っ先に同じことを考えているだろうし、てっきりそうした話をこの場で詰めていくのかと身構えたのだけれど。

「敢えて言おう、俺は今猛烈に眠い」

 頭から毛布を被るなりベットに飛び込んで丸くなってしまった。


「だってしょうがないじゃん、朝から慣れない森にハイキング行って成果ゼロだよ。気疲れもするって。おまけに今何時よ。慣れないことの連続で体力的にもう無理。だから今日は寝ようぜ。明日考えられることは明日考えればいいんだって。はい、解散!」

 くぐもった声に、一瞬何を言っているんだろうと思った。戸惑っていたのは僕だけじゃない。見渡せばみんなが一様にぽかんとしている。

 だけど少し考えればアキツさんが正しいのは明白だった。

「全くアキツは……。でも確かに休息は必要でござるよ」

 見知らぬ世界にいるだけでも気苦労の連続。加えて長時間の会談で疲れが溜まっているというのに寝ようとさえ思わなかったのはひとえに焦っているからだ。

 出来ることがあるなら全部やっておかないと気が気でない。心が休まらない。目の前のことに集中していれば不安に押し潰されることもないから。

 無理をして体調を崩せば元も子もないというのに。

 宿屋の女将さんがこんな時間にもかかわらずわざわざ落ち着く香りのお茶を持ってきてくれたのは、そんな僕らの心の機微を察したからなのかもしれない。


 アキツさんの今日は寝る! 宣言のおかげで張りつめていた空気がようやく弛緩する。

 すると不思議なことに我慢できそうもない眠気が瞼にのしかかってきた。

「あぁ、これは確かに寝た方がよさそうだね」

 ギルバードさんの大きな欠伸は瞬く間に伝染して大合唱を始める。

「考えてみれば昨日から野宿だし色々走り回ったしなぁ」

 隣にいたハルトも同感だとばかりに眠そうな目をこすっていた。

 意識一つでこれだけの疲労を棚上げできてしまうのは凄いけど、いつか必ず積み上げた分が勢いを付けて降りかかってくるのだから笑えない。

 回復庫さんに至っては年齢の幼さもあって、すでにベッドの上で可愛らしい寝息を立てていた。

 なし崩し的に他のみんなも空いているベッドを見繕っては横になり始める。


「んじゃおやすみ」

「うん、おやすみ」

 僕も自分の部屋に戻って寝よう。ハルトと挨拶を交わしてから踵を返し廊下に1歩踏み込む。瞬間、たった数メートル先の扉すら見通せない真っ暗闇に思わず息をのんだ。

 当たり前だけど、この世界には電気がない。つまるところ電球もない。月明りを取るための窓が廊下の果てにつけられているみたいだけど、今は月も分厚い雲に隠れてしまっているようだ。

 そういえば、部屋に案内される時も取っ手付きの燭台に蝋燭を灯していたっけ。

 だけど2つあった内の1つは女将さんが持ち帰ってしまったし、もう1つはハルト達の部屋で照明替わりに使われている。

 部屋は隣だしベッドの場所も覚えているから手探りでも行けないわけじゃない。もう寝るのなら置かれている燭台を借りてもいい。

「……カナタ?」

 ハルトが怪訝な表情で僕を見る。無意識の内に延ばされた指が余ったベッドに行こうとするハルトのシャツの裾を逃すまいとしっかり掴んでいた。

「ごめん、少し話したいことがあるから一緒に来て」

 別に暗闇が怖かったわけじゃない。みんなは同じ部屋なのに僕だけは一人部屋。

 今の性別を考えれば妥当なのかもしれないけど、こんな世界では傍に誰かがいないと安心できそうもない。

 要するに一人きりで夜を過ごすのが少しばかり、ほんとうにちょっとだけだけど怖かったのだ。


 燭台を借りハルトと2人で宛がわれた部屋に戻る。

「んで、どうしたんだよ。悪いけど俺も眠くてそんな付き合えそうにないぞ?」

 大人しく付いてきてくれたのでその辺りの事情を酌み取ってくれたのかと思いきや、そんなことはまるでなかった。

 ガクリと肩を落としながらどう説明したものかと頭を悩ませる。

 一人が怖いと正直に白状するのはちょっとばかし情けないのではないかとなけなしのプライドが主張するのだ。

 しかしそれ以外で上手く丸め込む手段が思い浮かばず、はぁ、と小さく溜息を漏らしてから観念して正直に白状する。

「一人は不安だからこの部屋を一緒に使わない?」

 ここまで言わせられたのだ。今さら逃がしてたまるものかと袖を強く握る。

「情けないのは百も承知だけどしょうがないじゃん……」

「いや、分かったよ」

 咄嗟に漏れた言い訳をハルトは笑わなかった。


「見たところ鍵もちゃんとしてるとは言い難いしな。それに向こうのベッドよりこっちの床の方が快適そうだ」

 苦笑しながらふかふかの絨毯を撫でる。どちらかといえば後者の理由の方が大きかったのかもしれない。

 隣の部屋のベッドは干し草を詰めた木枠にシーツを敷いた簡素な作りで硬い木よりはマシとはいえごわごわ感は拭えない。

 その点、こっちの部屋の絨毯は柔らかく寝るのにも問題はないだろうけれど、強引に引っ張ってきておいて床に寝かせるのはさすがに気が引けた。

「言い出したのは僕の方だしハルトがベッドを使ってよ。僕はその辺で寝るから」

 野宿でも使ったシートと余りの毛布を使えば十分に休めそうだ。

 早速場所を確保すべく軽めの家具を動かしにかかろうとしたところで待てと言いたげに肩を掴まれる。

「何言ってんだ、ベッドはカナタが使え。女の子を床に寝かせたと知られてみろ、何言われるか分かったもんじゃない」

 呆れたように諭されてしまった。言わんとしていることは分かるし、立場が逆なら同じことをしたかもしれない。けど、言われる立場からすれば『はいそうですね』とは頷けなかった。

「中身は男なんだから別にいいじゃん。今日は暇がなくて言いそびれたけど、明日になったらネカマでしたって話すつもりだし」


 僕がネカマを演じていたのは異性アカウントの使用が発覚した際のペナルティを恐れたからだ。

 ここはもうゲームじゃない。仮に元の世界へ戻れたとしても、これだけの問題が起こったゲームをそのまま続ける気にもなれない。

 もはやみんなに僕が男だってことを隠し通す理由なんてどこにもないのだ。やっと女の子扱いされなくなると思えば気も楽になる。

 ところがハルトは渋い顔で待ったをかけた。

「それなんだけど、今回の件が終わるまでネカマだったことを教えるのは待ってほしい」

 思わず感情的に言い返しそうになるのをどうにか堪える。


 ハルトは嘘や誤魔化しが好きじゃない。僕にネカマを提案したことに関しても今は後悔しているはずだ。

「どうして?」

 きっと何か理由があるに違いないと分かってはいてもトゲのある言い方になるのはどうしようもなかった。

 演技には元となる役割が必要になる。僕の場合、ハルト兄妹と一緒になって簡単な設定を作り上げた。

 当初は本当に最低限の事しか決めていなくて、ギルドのみんなや新しく出来た友達と触れ合うたびに新たな設定が増え続け頭を悩ませたものだ。

 基本的には僕自身をベースにしているとはいえ、あまり目立たないよう大人しい性格に振舞ったりと、本来の僕とは意図的に変えている部分も多い。

 まるで心の中にもう一人の自分を作ってるみたいな感覚。

 何かを話そうとしたときも、身体を動かそうとしたときも、僕は心の中に作り上げたもう一人の『私』を通さなければならない。

 会話の中で『はいはいわろすわろす』って言葉が思い浮かんだとしても、『私』というコンバータを介すことで『あんまり変なことは言わないでください』に変換される。

 しかもそれを、ちょっとむくれた感じで言わなければならないのだ。

 最初はワンテンポ遅れるなんてレベルじゃなかった。話しかけられる度にわたわたしっぱなしで、幸いVRMMOに慣れてないんだなって解釈されたけど、何度肝を冷やしたことか。

 ゲームの中でさえとてつもない苦労を強いられるネカマモードを、はっきり言って精神状態が芳しくないこの状況で演じ続けるのはストレスにしかならない。


「今はみんな混乱してるだろ。そこへさらに混乱する要素を増やしたくない……ってのじゃダメか?」

 歯切れの悪い物言いは、それが理由の一端ではあるにせよ、全てでないことを物語っている。

「打ち明ける前にバレちゃう方が混乱すると思うけど?」

「それはないさ。今のカナタは完全に女なんだし、自白でもしない限り疑いすら生まれないって」

 違う。僕が聞きたいのはそういう事ではないのだと無言のまま見返す。ここまで狼狽するハルトは珍しかった。

 それだけ言うべきかどうかを迷っているのだろう。普段なら何も聞かずとも信じたかもしれないが、今回ばかりは問題が大きすぎる。


「……あいつらを信用してないわけじゃない。けど、可愛い女の子の中身が男でしたって知らされて良い方向に働くとも限らないだろ。カナタを誘ったのは俺で、だから守る義務がある。せめて見極める時間が欲しい」

 不屈の僕の意思を見て取ったハルトが先に折れた。

 守る義務とかまたしょうもないことをと思いはしたが、折角の決意を脱線させるわけにもいかないので不服の意を無言で示しつつも先を促す。

「こんな状況じゃ誰もが冷静になりきれないってのはさっきので分かっただろ? 急に中身が男だって言われれば対人関係の混乱は免れない。今まで暗黙の了解として守られていたカナタに対する距離感が崩れると思ってる」

 ハルトの懸念は分かる。僕だって実は男でしたと告げた瞬間に今までの距離感が再構築されるとは思っていない。

「そんなのは当たり前でしょ?」

 しかし、それのどこに懸念があるというのか。

 確かに気持ち悪がられて避けられるかもしれない。今まで騙していたことを怒られるかもしれない。

 チートとは違うけれど不正行為には違いなく、ルールを守って遊んでいる人達からすれば眉をひそめられても仕方ない。

 けど、そうした問題の数々を真摯に受け止めて、今後の関係改善に努めるのが仲間というものではないのか。


「お前の言いたいことは分かるよ。それもひっくるめて関係を修復すればいいと思ってるんだろ?」

 思っていたことをぴたりと言い当てられ、のど元まで出ていた言葉をぐっと飲み込む。

「今のでよくわかった。あのな、いくらカナタが自分を男だと思ってても、周りの奴らがそう思ってくれるかはまた別問題なんだよ」

「そんなの分かって……」

「分かってない。カナタはそこんとこをこれっぽっちも理解してない!」

 力強く断言する姿にふつふつと怒りが湧いてくる。あまりにも一方的ではないか。

 いくらなんでも、今の自分が他人から見て女の子にしか見えないことくらい十分に理解しているし、だからこそ他人と接するときはネカマとして振る舞ってきたのだ。

 ハルトもそれを悟ってか、一度深く息を吐いてから真剣な眼差しでこんな事を聞いてきた。


「なら聞くが、男だってことをばらした後に『ちょっと胸を触らせてくれ』って頼まれたらどうするつもりだ? ほんの少しだけでいいから、どのくらい柔らかいか知りたいから。思春期の男なら誰だって気になる。男だけの馬鹿話としてはありえない話題じゃないだろ?」

 予想だもしなかった質問に言葉がでてこない。一体何を言っているのか。馬鹿馬鹿しいとしか思えなかった。

「そんなの……」

 考えたところで何も出てこなかった。まず第一に想定からしておかしい。そんな事を頼まれるとは思えない。あり得ない事を考えても意味がない。


「カナタは距離を取られるって思ってるみたいだけど、その前提からしておかしいんだよ。男同士と分かって近づく可能性は考えたのか? 女の子には口が裂けても頼めないような事でも、中身が男なら少しくらい許してくれるかもしれない。そう思われた時にちゃんと断れるのか?」

 分からないとしか言いようがなかった。押し黙ったままの僕を見てハルトは再び深い溜息を漏らす。

「断言するよ。仮にそういう状況になったとしてもカナタは現状の維持を最優先する。例え要求がエスカレートしても一人で抱え続ける。それでいつか、取り返しのつかないことになる」

 嫌な気分だった。これではみんなの事を少しも信じていないと宣言するのと同じだ。

「最悪の最悪を想定する。それが俺達のルールだろ」

 感傷的に言い返そうとした瞬間、諭すような口調に遮られる。

 それはかつて、緊急事態に陥った際に僕らの間で決められた不文律だ。楽観は容易に破滅を呼ぶ。少しでも危ないと思ったらまずは吟味する。

 ハルトの忠言は全部正しかった。答えが出てこなかったのはみんなを疑いたくない一心で思考停止をしていただけだ。


 湧き上がる感情を深呼吸一つで落ち着かせる。今のハルトに感傷的な反論は届かない。まずは考えろ。もし仮にそういう状況になったら僕はどう動くだろうか。

 原因が全面的に僕にある以上、自分の力で解決するのは不可能に近かった。冗談ならともかく、本気で迫られたら肉体的にも立場的にも勝ち目はない。

 かといってハルトに相談しようものなら間違いなく逆鱗に触れる。殴り合いならましな方で、下手をすると武器を取りかねない。どうあっても元通りの関係には戻れないだろう。

 右も左も分からない異界の地で素性も立場も共有できる仲間の存在は余りにも大きい。人数はそれだけで大きな意味を持つ。関係の維持は必要不可欠だ。

 いっそのこと僕だけ逃げるか。……いや、何も言わずに居なくなればハルトは確実に後を追うだろう。

 結果的にハルトまで孤立させる選択はできない。そうまで考えてようやく思い知らされる。

 もしもハルトの言うような展開になった場合、何をされてもハルトに知られないよう立ち振る舞う以外に集団を維持する方法はないのだ。

 女の子と思われている今ならともかく、ネカマだとばらした僕に、そうならないようみんなをコントロールするだけの能力はない。

「で、男女の距離感を維持できてる今と、ネカマだってことをばらして均衡が崩れた場合と、どっちの方が安全だと思う?」

 ぐぅの音も出なかった。最悪を想定するなら、今の状況を維持する方が勝算は高いと言わざるをえない。


「今のカナタは無防備すぎる。注意しすぎるってことはない。頼むからもう暫く、そうだな。賢狼を狩ってこの町を出ていくくらいまで我慢してくれないか」

 賢狼の討伐は目標ではあるけれど、準備にどのくらい時間がかかるかわからないのに、随分と気の長そうな話だ。

「あのさ、ネカマを続けるのも結構大変なんだよ?」

 この世界にはWis機能なんてものもない。ゲームと違い、四六時中みんなといる事になるだろうし、素の自分を出せる機会は大幅に減るだろう。

「分かってる……とは言えないけど、必要なんだよ。それにずっとじゃなくてもいい。夜になってこの部屋に帰ってくれば普通に過ごせるだろ?」

 たった一人きりの部屋でしか素の自分を出せない状況のどこに救いがあるのか。そう考えたところで一つの名案が浮かんだ。

 要するに今みたいに本音をぶつけ合える時間があればいいのだ。

「分かった、ハルトがこの部屋で寝泊りして気晴らしに付き合ってくれるならそうする」

 ハルトは一瞬渋い表情を浮かべた。恐らくみんなが女と思い込んでいる僕の部屋に入り浸ることで貼られるレッテルの数々に迷ったのだろうが、最後は仕方なしとばかりに頷いた。

「わかったよ。気晴らしが必要ってなら仕方ない。ただし、俺はカナタのリアルも知ってるから大丈夫なんであって、みんなとの距離感だけは間違わないように。カナタが好きなんだけどどうすればいいとか相談持ち込まれたら俺は笑い死ぬぞ」

「はいはい気をつけますよーっと。今までみたいに付かず離れずでいけばいいんでしょ。正直に言えば本当の僕を知ってるハルトの存在はありがたいしね」


 鏡は高価なのかこの部屋にもなかったし、道中に水溜りなんかもなかったからこの世界の自分の姿を今でもちゃんと見たことがない。

 手足の細さや家具の大きさから考えて本当にアバターそのものになってしまったのは分かっている。

 出来ることなら自分の目で今の姿を見る機会なんて訪れないで欲しい。今はまだ、現実がどうであれ、僕の頭の中には本来の僕自身の姿が再生されている。

 でも、この世界で今の自分の姿を見続けたら、頭の中の自分の姿が揺らいでしまう気がするのだ。

 そしていつか、今の僕の姿が当たり前のように再生される……そんな気がしてならない。

 それに、今この世界に『本当の僕』を知る存在はハルトしかいない。もし仮にハルトが居なくなれば『本当の僕』は誰の記憶からも存在しなくなる。理解されなくなる。

 それは、元の僕という存在が消えてなくなってしまうのに等しいんじゃないだろうか。

 僕が僕でなくなる。心の中にしかなかった『私』が『僕』になりかわる。正直、考えると怖い。


「ねぇ。ハルトは僕が男だって、ちゃんと分かってるよね」

「今さら何を。ってか何年一緒に過ごしたと思ってるんだ。見かけが変わっただけで俺がカナタを女だと思うわけないだろ。それとも何か、女扱いしてほしいのか?」

 思い切って口にした疑問は見事に鼻で笑われる。その迷いのなさに心が救われた気がした。

「冗談。もしそうなったら僕らのコンビも解散の憂き目にあうだろうね」

「違いない」

 最後の冗談を冗談で返すとおかしそうに笑いあう。大丈夫、姿が変わったとしても僕らは間違いなく今までのようにこの関係を続けていける。

 ハルトさえいてくれれば、きっと僕は『僕』を見失わずに済む。今までの関係から相対的に『僕』が引き出されるから。


「んじゃ今日はもう寝ようぜ。俺は床で寝るからさ」

 ふぁぁと大あくびをかましてから家具を移動しにかかるハルトを今度は僕が押し留めた。

「おいこら今さっき女扱いしないとか言っといてそれか。ベッドを譲るって言ってるじゃん」

 見るからに面倒くさそうな顔をされるが、自らの男らしさを知らしめる為にも譲る気はなかった。

 先ほどこの部屋の中では素のままに扱うと取り決めたばかり。寝泊りの際にベッドを貸した回数も数知れず。

「ああ言えばこう言う……。慣れない身体なんだからベッドで寝るべきなのは火を見るより明らかだろ。気遣ってやってるんだから素直に受け取れ」

「はぁ? ハルトこそ前衛なんだからしっかり休んでおかないといざって言う時に動けないかもしれないでしょ」

 ハルトもこういうところは融通が利かない。お互いにぐぬぬぬと視線を合わせるも、今度ばかりは妥協しそうもなかった。

 このままでは互いに睨みを利かせたまま翌朝を迎えかねない。

 明日のことを考え、ここは折れて度量を示す展開に移るかと思案しつつベッドをちらりと見た。

 天蓋付きのそれは日本と比べ物にならないくらい立派で大きな作りになっている。たぶんキングサイズはあるんじゃなかろうか。

 このまま折れるよりもプライドは保たれそうな妥協案が一つだけある。


「なら一緒にあのベッドを使おうか。広いし2人くらいなら入るし」

 どちらも床で寝ないなら譲り合う必要もない。もしも断るようであれば度量の低さが露呈する。

「この頑固頭め……。わかった、それでいい」

 男二人で一つのベッドというのは絵面的にどうかとも思うのだけど、別に初めてというわけでもない。

 山で一緒に寝転がりながら星空を見たこともあるし、キャンプでも同じテントを使うし、徹夜でゲームをして一緒に寝落ちした回数なんて数えきれないほどだ。

 さすがにシングルベッドで身を寄せ合って寝るのは抵抗感があるけれど、僕の身体が縮んだおかげで両手を広げてもぶつかりそうにない面積があるのだ。ロフトの一角だと思えば気にもなるまい。


 話が纏まれば後は早い。ハルトは手早く革製の防具を解いていく。戦士職は鎧の下にも色々とあるのだ。面倒そうだけど防御力のためには仕方あるまい。

 僕もつられる形でクラルスリアを脱ごうとして、はたと手が止まる。ゲーム時代ではボタンを押すだけでよかっただけにどうやって脱ぐのかよくわからないのだ。

 DTを殺す服……なんて不吉な文言が頭を過ぎていき、咄嗟に頭を振った。死んで、たまるか!

 まずは腰の帯を解きコート脱ぎ去る。続いてショールを外してからオーバースカートに手をかけた。これでやっとノースリーブのビスチェドレス姿になる。

 あとはひっかけないようにストッキングやリボン、ガーターベルトを脱ぎ去って丁寧に畳んでおく。果たして明日起きたらちゃんと着れるのだろうか。不安しかなかった。

 ようやく身軽になったのだけれど、困ったことに最後の一枚であるドレスにもふんだんにレースが使われている。このまま寝ようものなら一夜で皺くちゃになるのは火を見るより明らか。

 少しだけ悩んでから、下着だけで寝ても構わないだろうと一気に脱ぎ去る。幸い木製のハンガーが用意されていたので脱いだ服をまとめてつりさげておいた。これなら皺になることもなさそうだ。

 最後に大きく伸びをしてから布団に入ろうとして、しかしすぐに締め付けられるような息苦しさを感じた。

 原因は言わずともがな、男には必要のない胸部装甲で、ネトゲの女性キャラは総じて大き目なので平均からするとささやかだけど、アバターの想定年齢を考えると心無し大きい気もする。

 普通に着ている分には圧迫感があるわけじゃない。むしろしっかりと抑えてくれる安定感があるくらいだけど、このまま寝ては肩が凝りそうだった。仕方なしに外そうとして背中に手を回すものの不慣れなのもあって手が上手く届かない。


「ねぇ、寝てるところ悪いけどコレ外してくれない?」

 格闘し続けることに徒労を覚えた僕は薄情にも着替え終わるなり真っ先に布団へダイブしたハルトに声をかけた。

「コレってなんのこった」

「背中にホックがあるみたいで、さっきから手を伸ばしてるけど届かないの」

 眠そうな声を出しながら天幕のカーテンを払い除けるハルトの前に背中を向けてしゃがみ込む。

 しかしながら待てども待てども返事がない。

「ハルト?」

 訝し気に思って振り向けば、まるでこの世の絶望を見たとばかりに頭を抱えていた。


「なんで下着姿なんだよ! しかも外そうとしてんだよ! 裸で寝るつもりか! 一枚くらい着ろ!」

「そんなこと言われても皺になるでしょ。クラルスリアが超性能過ぎてほかの服も持ってないししょうがないじゃん」

 言わんとしていることは分かる。僕だって寝間着があるなら欲しい。レア素材からなる寒冷耐性を脱いでみて分かったけど夜はちょっと肌寒いのだ。

 女将さんに頼めば何か出してくれるのかもしれないけど、こんな時間に何かを頼むのは気が引けるし、なにより今からクラルスリアを着直すのも手間だ。ないものねだりをしたところでどうにもならない。ぶっちゃけ早く寝たい。

「女キャラってのはお気に入りの服を何着か持ち運ぶもんだろ……」

「中身がお洒落好きな女の子ならそうかもね」

 野良PTを組んだ時に即興のファッションショーが始まるのを何度か見たことはある。

 が、ネカマに何を期待しているのか。お洒落に興味なんてあるはずもなく、思い返せばリアさんにどんなアクセサリが好きか聞かれて答えに窮することもあったくらいだし。

 真顔で返されたハルトはもう無言のまま僕の背中に手を伸ばす。


「ほら、取れたぞ。今日は毛布を巻いてろ。んで、明日になったらちゃんと寝間着を貰え」

 お前は僕の母親かと言いたくなったが、声には疲労感が滲んでいた。

「あれ、なんか元気なくない? 疲れたの?」

「あのな、女の子のブラを外すシチュエーションなんて男が一度は夢見るイベントだろ。なんでそんな重大イベントを親友で消化せにゃならんのだ。いつか運命の相手を見つけたときにこの日のことを思い出すなんて萎えるどころの騒ぎじゃねえ。風呂の後に全裸で歩く妹といい、年頃の男子から女の子の幻想を奪うのは止めてくれませんかね」

「あ、えっと、はい……」

 げんなりとした様子で退散するハルトは、曲がりなりにも女性がほぼ完全に素肌を晒しているというのに一瞥することもなく布団へ潜り込む。

 咄嗟に返事しかできなかったけれど、果たしてこれは僕が悪いのだろうか。

 というかシチュエーションの妄想が細かすぎやしませんかね。僕も男だけどそんな細かいところまで考えたことなんてないし。運命の相手ってなんぞ。ハルトって意外と夢見がちなんだろうか。

 しかしながら、そんな親友の夢を一つ奪ってしまったと考えると罪悪感が……いや、すごくどうでもよかった。

「うん、寝よう」

 毛布を軽く身体に巻く。繊維が粗いのかちくちくと痛む気がするけれど仕方ない。そのまま布団に潜り込んで目を閉じる。意識が沈むのは一瞬のことだった。





 心地よいまどろみの中にドアを叩く無粋な騒音が紛れ込む。薄く目を開けば厚手のカーテンの向こうからは眩しい朝の陽射しが漏れていた。

 疲れが溜まっていた上に夜遅くまでハルトと話していたせいでまだ眠い。できればお昼過ぎくらいまでは寝かせて欲しい。

「うぅ……」

 か細いうめき声はドアの向こうまで届かず、仮に届いたとしても何事かと余計にドアを叩かれるだろうが、度重なるノックの音はやむ気配がない。

 どうしようか少し悩んでから、応対に出るのも面倒に感じて頭から布団をかぶった。居留守の構えである。

 遠くなった騒音に満足しつつ目を閉じると今度はすぐ近くで何かがもぞりと動いた。

「はいはい、今出るからちょっと待ってくれ」

 ふぁぁと大口を開けながら伸びをしたハルトが律儀にも立ち上がる。そういえば一緒に寝ていたんだっけ。

 真面目な彼の気質では居留守などできようはずもない。難儀なことである。後のことは任せて僕は再び目を閉じた。


「あぁなんだ、アキツとサスケか。こんな朝からどうしたんだ?」

 気だるげに扉を開けたハルトは扉の前で顔を見合わせている二人を見て拍子抜けしたようだ。

「なんだとは失礼な。朝から姿が見えないからどうしたのかと思ったでござるよ」

「やっぱりこっちだったんだな。朝ごはんができたから降りて来いってさ。ハルトがここに居るってことはもうカナタちゃんも起きて……」

 そこまで言ったところでアキツさんは不審者を見るような眼差しでハルトの全身を見回す。

 着崩れた薄いシャツ、ズボンははいておらずデフォルト装備のトランクス姿で髪の毛には寝癖がしっかりと残っていた。まるで今しがた起きたばかりといったいで立ちである。

「まさかこっちに泊まってたのか……?」

 アキツさんの愕然とした声色にハルトもようやく自分が犯した失態に気付いたようだ。しまったと強張りそうになる表情をどうにか抑えて仕方ないだろと言い訳を口にした。

「カナタが一人で寝るのは怖いっていうから仕方なくな。心細かったんだろ。言っとくが家族みたいなものだからお前らが考えるような展開は一切ない」

 彼らからしても女の子が一人、見知らぬ土地で一人過ごすのが不安なのもうなずける話だ。

「あぁ、そっか。まぁそうだよな」

「拙者としたことが、変な邪推をしてしまったでござるよ」

 少々早口でまくし立てるような物言いになってしまったが、アキツとサスケはあっさりとゲスの勘繰りを認め、後は2人を先に向かわせてから準備を済ませればきれいに収まると半ば確信した時。


「もう、さっきから何を騒いでるの……?」

 人が折角騒音を遠ざけようと頭から布団を被ったというのに、すぐ近くでこうも騒がれたのでは意味がない。

 賑やかな三人の話し声は僕の安眠を妨害するのに十分で、一言文句を申し付けてやるべく身体を起こす。

 シルクの駆け布団が滑り落ち、肩先が露わになるのも構わず立ち上がろうとした瞬間。

「馬鹿! その格好で立ちあがるなっ」

 ハルトの怒号にびくりと身体が硬直した。しかし時は既に遅く、身体に巻き付けていた毛布が重力に従って落下するのとハルトが強引に扉を閉めるのはほぼ同時か、僅かに遅れていた。

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