辺境の街と夢幻の救者-3-
「それじゃ、再会を祝して乾杯と行きますか!」
ハルトの掛け声の下、僕等はクーイルの酒場で杯をぶつけ合う。もっとも、お酒は高いので特産物の果汁をを極限まで薄めたものだけれども。
「では二人はそのまま亡者の密林に……。狼の群とフィールドボスにまで出会うとは、よく生還したでござるな」
苦労の一端を思ってか、サスケさんがしみじみという。
「俺らも助けに行ければ格好良かったんだろうけどさ」
みんなは連絡の取れなくなった僕等のことをずっと気にしてくれていた。
「流石のらんらんもシステム全滅でMAPもWisもないんじゃどうしようもなかったの、ごめんね」
ただ、みんなも混乱の局地にあったのは想像に難くないし、システムが使えないのでは僕らがこの世界にいるのかも分からないしで手の打ちようがない。
「それどころか無一文でしたしね、僕ら」
リアさんから一緒に行動しないかと持ち掛けられて以来、僕等は戦力の強化に勤しんでいたので誰もが貯蓄の大部分を使い果たしていたのも災いした。
狩で出たレアアイテムを代理販売したりとギルドの財産を管理している回復庫さんもつい先日に分配を終えていて、所持金は1Mの大台には届いていなかったのだ。
仮に届いていたとしてもこんな辺境でコルト金貨が使えたかどうかは疑問が残るけれど。
「インベントリの中のお金が取り出せないと分かったときの絶望は筆舌に尽くしがたいよ……」
ギルバードさんが遠い目をするのも無理はない。町へ着く前の僕等でさえお金を持っていないことに軽く絶望しかけたくらいだ。
たった2日。されど2日。僕等がこの世界に着てから過ごす時間はかつてない濃密さで、語り始めると留まることを知らなかった。
僕等は僕等で苦労したように、みんなもみんなで苦労を重ねている。というか見知らぬ世界に放り出されて苦労しないはずがない。
幸いだったのは、僕みたいに不安から短気を爆発させるような愚か者が居なかったことだろう。
あの時の僕はどうかしていたのだ。いや、いまもどうかしているのは変わらないか。自分のアバターに、女の子になってしまった現実は今なお受け入れがたい。
なんにせよ、この唐突で理不尽な事態に慌てふためきはしても、仲違いをすることなく協力して事態に当たっていた。
ゲームの中とはいえ、短くない時間の中で培った友情は間違いなく本物だったのだろう。関係ない僕まで嬉しくなってくる。
「仕方ないから手持ちのアイテムを売ろうって話になったでござるが、狩の準備を進めてたのが裏目に出てしまったというか、売れそうな収集品や装飾品は全部倉庫の中に突っ込んだ後でござった」
「倉庫とギルド会館もあちこち探したんですけど、前者は誰に聞いても『この町に貸し倉庫なんてない』って言われるし、ギルド会館の方も『何のギルドだ?』って聞かれる始末で、話は通じてるんですけど意味が通じてないというか……」
「ま、その辺りで俺らもこりゃゲームの不具合じゃねぇなって話しになってな。結論から言えば、俺らが使ってた冒険者ギルドなんてものは多分この世界に最初から存在してない」
みんなはこの2日間で現状がどうなっているのかを手分けしつつ詳しく調べたようだ。
お金稼ぎで真っ先に思い浮かぶのは冒険者ギルドのクエストだし、都市間転送で首都に行けば他に誰か知り合いやプレイヤーが居るかもしれない。
しかしそんな淡い期待は、施設その物が存在しないという現実に打ち砕かれてしまった。
冒険者ギルドを初めとした、およそシステムが提供していたと思われる転職場や支援所は例外なく異なる施設に建て代えられたか空き地になっている。
「そこでひとまず僕のポーションを売って当面の資金を得ようとしたんですが、需要がないといわれてしまって……」
町中を巡ってようやく商会を見つけたときはようやく現金が手に入ると喜び勇んだものの、交渉は全くといっていいほど成立しなかった。
そのあたりは僕等の方が事情に詳しい。狼の被害を受けて財政が以前より厳しくなっているのに加え、村々の薬師が利益率の高い薬を行商人に渡すことで少しでも借金の利子を減らそうとした結果、今のクーイルでは薬の在庫が過剰になっている。
次のキャラバンに引き渡すまで状況は変わらないはずで、ふらりと立ち寄った素性の知れない旅人からの買取を拒まれるのも無理なかった。
陽のある内ならともかく、夜になってからも町をふらふらしていれば不審人物と見做されても弁明が難しい。
お金を稼げるクエストもない、アイテムも買い取ってもらえない。これでは宿どころか空腹を満たすことさえもできそうになかった。
時刻は既に夕暮れ。陽が完全に落ちるまであと1時間もない状況に誰もがもやは打つ手なしかと絶望しかける中。
諦めてはならないと声をあげたのはギルバードさんだったという。
「ぶっちゃけらんらんは成功する訳ないと思ってたわ」
「拙者もでござるよ。というか誰も成功するなんて思ってなかったでござる」
『誰も』の中には発案者であるギルバードさんも含まれていたらしい。
成せばなる。されど成さねば成らぬのだ。何事も。無為に時間を過ごすよりはずっとマシだろうと、停滞した空気を替えたいが為の提案であった。
夕暮れ時ともなれば田畑へ働きに出ていた男達が酒場で仕事終わりの一杯を楽しむ頃合。
ギルバードさんはそこへ楽器を片手に乱入し、突如として演奏を始めたのだ。
この世界で演奏を聞く機会は少ないと思う。産業革命なんてまだ先の話だろうし、熟練の職人が楽器を一つ一つ手作りするのであれば高価にならざるを得ない。
まして、楽器の演奏は一朝一夕で身につくものではなく、長い時間をかけて経験者から学ぶ必要がある。
この世界でそんな贅沢な時間を作れるのは音楽家の子供か、金銭に余裕のある貴族か、そうした演奏で生計を立てている演奏団くらいなものだろう。
クーイルは辺境の町で間違っても実入りが良いとはいえない。興行目的の演奏団が訪れる機会は滅多にないはずだ。
詩人の演奏スキルによって奏でられる音楽は宮廷音楽にも引けを取らない完成度で、一流の演奏団でもおいそれと真似できるものではない。
聞き慣れない音楽に人々が喜ぶのは当然で、よくよく考えると合理的かつ最善の選択だったのだ。
ほろ酔い気分も手伝って結構なおひねりを稼げたらしい。
だがそれで問題が解決したわけでもなかった。クーイルの人口はさして多くないので、仕事として定期的な収入を得るには同じ人達を何度も楽しませる必要がある。
ギルバードさんが単独で扱える演奏スキルの数はそう多くない。かといって、スキルに頼らない演奏を行えるほどの技量があるわけでもない。
どんな綺麗な音楽であっても、レパートリーが少なければ飽きられるのもまた早いのだ。
約1時間の演奏で稼いだ小銭の山は空腹を癒す食事代と一晩の宿代にはなったものの、それで殆ど底をついてしまった。
かといって同じ人達を相手に同じ演奏をしたところで前日と同じだけのお金を貰えるとは思えない。
進退窮まった彼らは最終手段として自給自足に思い至り、今朝早くから近場の森へ山菜取りに向かうことにしたらしいのだけれど。
結果は町の門の前でしょぼくれていたように悲惨の一言に尽きた。
「らんらんはアキツが山菜取りに行こうって言い出すくらいだから食べられる物の見分けくらい付けられると思ってたの」
豚さんの言葉にアキツさんはささっと目をそらす。
「まさか経験なしとは思いませんでした」
続く回復庫さんの追撃には呻き声を上げながら頭を抱え。
「拙者もアキツにそのような特技があったとは露知らず、畏敬の念を抱きかけたでござるがなぁ……」
さらには親友にまで生暖かい眼差しと言葉をかけられ耐えきれずに叫んだ。
「あぁもう悪かった! 食べられそうな物があればくらいの軽い気持ちだったんだよ!」
行き当たりばったりもここに極めり。経験なしの山菜取りなんて毒草を食べてしまうリスクを考えると危険極まりない。
僕等にしても、これまでのハルトクエストで得られた経験に加え、ドロセラの毒を魔法で解毒できたという事実がなければ果物を食べるという選択も極限までは控えたと思う。
カエンダケとかバイケイソウとかハシリドコロとかえげつない毒草なんてそれこそ山のようにあるし、中には触るだけでもヤバイ種類だってある。
大丈夫だとは思うけれど念の為にピュリファイをかけておくべきか。
近況報告と歓談を続けてから1時間。まだまだ話し足りないのは確かだけど、再会で浮き足立った精神が落ち着くには丁度いい頃合と思ったのか、アキツさんがみんなを見回してから高々と宣言する。
「んじゃま、みんな歓談中のとこ悪いんだけどさ。ちょっと真面目な話に切り替えようか」
ギルドのリーダーとして、パーティーの司令塔として活動していたリーダーシップは大したもので、真似できるとはとても思えない。
かく言う僕も歓談を楽しんでいる裏で話さなければいけないことがあると感じ続けていた。でも、それを言葉にすれば音頭を取ることになるかもしれない。
それはイコール、この場にいる5人の命運を握るのと等しくて、ハルト一人ですら持て余していた僕には荷が勝ちすぎていた。
「言っとくけど、俺のギルドマスターは飾りだ。だからぶっちゃけここでもリーダーなんてやるつもりはない。みんなも俺がギルドマスターとしての仕事なんてしたことないの知ってるだろ? 出すのは最初の声だけ、後はいつもどおりみんなで話し合って決めようぜ」
率直な物言いにみんなからも苦笑が漏れる。その最初の一言を発せるのが彼の凄いところなのだ。
なんでもそうだけど、言い出す人がいなければ議論その物が始まらない。でも、何かを言い出すのはとても勇気がいる。
「まずは今後の方針から。ぶっちゃけギルバードコンサートの利益はここの支払いで完全に尽きると思ってくれ。明日からは本気で何とかしないとメシさえ食えなくなる」
じゃらりと余った小銭を机の上に重ねる。こうしても見ると結構な量に思えなくもないけど、現代的に言えば1円と5円と10円の山と思ってくれた方が早い。
酒場は注文時の先払い方式なので会計の時に足りないなんて事態が起こらないのが唯一の救いだろうか。
金銭に関しては由々しき事態だけど、これに関して言えば一つ当てがあった。
「助けた商人さん経由で商会に仕事を紹介して貰える手筈になってます」
僕の報告にみんなが一斉に明るい表情を浮かべる。
「そこで確認なんだが……働いてた人っているか? リアルを詮索するのはノーマナーだけど今は緊急事態だ。リアルで何らかの経験があればこっちでも仕事に出来るかもしれないだろ」
「ちなみにハルトと私は高校1年生で、恥ずかしながらアルバイトもしてなかったです」
最初に自分達の素性をさらっと明かすと、後は早かった。元々隠すつもりもなかったのだろう。
回復庫さんは中学生、アキツさんとサスケさんは高校生でコンビニバイトの経験あり、ギルバードさんは商社の営業マンで豚さんは公務員らしい。
「らんらん公務員試験受かって採用されて世の中楽勝だぜって思ってたのにこの仕打ちは酷いわ」
「そこで運を使い果たしたんじゃないかな」
豚さんの嘆きに安定公務員=モテモテと曲解したギルバードさんが冷ややかな視線を送る。
もっともそんな事はないらしくて、3年ほど勤めても未だ浮いた話一つすらないと愚痴をこぼしていた。あれ、僕等って何の会議してたんだっけ。いつのまにかギルバードさんですら良い人が見つかるさと励ましている。
「と、とにかく接客の経験があるのは使えそうですよね!」
ここにいる全員がそれなりの教養を身に着けているのも利点だ。なにせこの世界の識字率は思った以上に悪いらしい。
この居酒屋にもメニューなんてものはない。辺境の田舎町に旅人が訪れる機会は少なく、何が揃っているかも同じ町の住民なら熟知している。
中には自分の畑で取れた野菜や絞めた家畜を持ち込んで作ってもらってる人もいるくらいだし。
仮に旅人が訪れたとしても、こんな物が食べたいといえば作ってくれるので不便もない。
僕らの飲み物も、できるだけ安いお酒以外の飲み物をくれといって作ってもらった。
「最悪仕事が見つからなくても食べられる木の実が取れる場所を記録してるから餓死だけはしないと思う」
「住む場所にしても俺達の手で町の外に作る手だってあるしな。安心しろ、サバイバルにはちょっとばかし自信あるんだ」
よもやこんな場所でもハルトクエストの経験が生きるとは。他のみんなの表情が引きつっている気もするけど。
「す、凄いでござるな……」
「高校生でどうしてそんなサバイバル技術が見につくのか、らんらんからすると不思議でならないんだけど」
「ボーイスカウトとかしてたんですか?」
当然というか、現代で普通に生きる分にはサバイバル知識なんて必要ない。
「まぁ、そんなところです……」
日常的に必要だったんですなんて言おうものなら可愛そうな子扱いされるのが目に見えている。
回復庫さんの妥当な疑問にお茶を濁すしかなかった。
「じゃ、収入に関しては面接待ちってことで。となるの残る問題は今日の寝床だな。……ぶっちゃけどうするよ」
僕等が群を統率する大型の狼が森の浅瀬に出没したと報告したのもあって普段よりも厳重に警備されている。
町の門はぴたりと閉じられ、万が一の場合に投擲するための石や油が壁面に寄せられていた。
今から町の外に出るのは難しい。かといって夜半をうろつけば盗人の類と間違われても文句は言えまい。
ポータルゲートで記録した地点に転移する手もあるけど白銀の賢狼なら移動可能な距離だ。視界の確保された昼間ならともかく夜を明かしたいとは思えない。
「今夜に限ってですけど、商人さんに宿を手配してもらえないか交渉してみます」
商会に繋いで貰うだけで回復魔法のお礼に足ると思っているだけに少しばかり図々しいけれど背に腹は変えられなかった。
そんな話をしていると、タイミングの良い事に荷物の搬入を終えたらしいディールさんが入ってくる。
さして広くもない店内。一瞥するだけで僕等を見つけるとどこかほっとした様子で席についた。
「遅くなって申し訳ありません。商会の方とは話をつけてきました。森に入るので少々危険が伴いますが路銀を稼げるような仕事もあるそうです。ただ、今は重役が揃っての打ち合わせのようでして。終わり次第ここに使いを寄越してくれるそうです」
生活の当てが見つかって僕等は露骨にほっとする。あとは住む場所さえ見つければ当面は大丈夫だろう。
「そうだ、もう一つ確認したいんだが、商会は狼の毛皮とか肉とかの素材に興味はありそうか?」
抜け目のないハルトのことだ。しとめた狼をインベントリに突っ込んでいたに違いない。
「状態にもよりますが、キャラバンとの取引にも使えますので需要はあると思いますよ。森狼なんかは食用としてもそこそこいけますからね。……なるほど、狼を狩ってもそれなりの収入にはなりそうですな」
「そうか。それなら商会と話す時についでに森で狩った狼の素材を売りたいんだ。今夜の宿代がなくてさ。それでもしもだけど、この人数の宿代に届かない場合は差額を出してくれると助かるんだが……」
「何を言っておりますか。2度も命を助けていただきながらそのようなこと。宿代は私が払います。いいえ、払わせていただく。……生憎とこの村に王都のような上等な宿はありませんが、それでも最高のもてなしを頼みますので」
ハルトが言い難そうに切り出すと、寧ろディールさんは憤慨したかのようにまくし立てる。
「でも、ディールさんも」
金銭に余裕がないはずでは。そう続けようとした言葉は、しかしディールさんの真剣な眼差しによって遮られた。
「確かに護符の出費は大きいですとも。ですが、私はれっきとした商人なのです。恩を受けて返さないのでは、私と私の属する商会の信用に関わる。確かに商人は金にがめついですが、恩義も果たせないような輩の末路はどれも同じ。商売は一人でするものではないのです。勿論、宿代程度で恩義を果たせるとは少しも思っていません。ですがどうか、この老体に少しでも恩義を返させていただきたい。でなければ私は弟子を死なせただけの、ただの恥さらしになってしまいます」
善意で差し出された礼を頑なに受け取らないのは、お前とじゃ立場が違うんだと侮蔑するのに等しい。それが、互いの善意から来るものであったとしても。
「でしたら、ありがたく頂戴いたします」
ディールさんの剣幕に気圧されたのか、はたまた何か感じるものがあったのか、押し黙ってしまったハルトの代わりに一礼する。
「それから一つ我侭を。どうせならみんなで泊まれるような少し広めの部屋を用意していただけますか?」
「ええ、喜んで。私の威信にかけましても」
僕の申し出を、ディールさんはとても嬉しそうに承る。
先に逃げろと言われた時に、足手纏いだと諭されたときに、忸怩たる思いを抱いたのだろう。
自分の専門分野ではないから役に立てないのも仕方ないと、年長者でありながら何も出来ない自分を嘆いた。
だからせめて自分の専門分野では精一杯の働きを、誠意を示したかったのだと思う。
「ですがその前に食事と行きましょう。ご安心ください、ここの食事代も私が持ちますので。おおい、こっちのテーブルに甘い飲み物とおすすめの料理を持ってきてくれ!」
人は火を使うことで進化を果たした。暖かい食事というのは人が人である為に必要なのかもしれない。
随分と久しぶりに感じる火の通った暖かい食事は柄にもないことを考えてしまうくらい美味しくて、多少の味の薄さなんて気にもならなかった。
内陸部の奥深くに位置するクーイルにとって塩は貴重な品だし、胡椒や砂糖を初めとした高価な調味料は殆ど運ばれてこない。
その代わり豊富に取れる香草で包み焼かれた素材は香り高く、刻んだり磨り潰した薬草が料理に変化をつけるアクセントとして用いられている。
元が何かは知らないし聞こうとも思わないけど、新鮮な肉の脂には自然と甘みがあって思ったより癖もすくない。
実を言うと最初は蜂の子とかイナゴの佃煮的な物が出てこないか気が気でなかった。
虫食が蛋白源諸々を効率よく摂取できる万能食なのは知識として知っているけど、現代っ子が手を伸ばすにはハードルが高すぎる。
もしテーブルに並ぼうものならプライドをかなぐり捨ててでも女子特権にあやかるつもりであった。
卑怯者と呼びたくば好きにしろ。人は誰しも超えられない一線があるのだ。
幸いにも杞憂に終わった料理の数々は舌の肥えた僕等でも十分に満足できるものだった。
特にアキツさん達は肉料理を咽び泣きながら頬張っている。
なんでも、昨日の夜に食べたのは死ぬほど堅いパンと野菜の欠片しか入っていない薄味のスープだけだったらしい。
この世界でずっとこんな食事を続けなければならいのかと軽く絶望していたのだとか。
お金さえあればこうした食事にありつけると知ってやる気にも火が付いたみたいだ。
「一番困るのは街道に関連したいざこざです。荷馬車は大抵の道を進めるとはいえ、整備されているに越したことはないですから。ただ、街道の整備は問題が山積みでしてね」
空腹を満たして人心地がつくと、みんなの興味は同席したディールさんに移る。
所々がゲームと符合する異世界の現地人だ。どんな生活をしてきたのか興味津々で、請われるがままに過去の行商譚を話してくれていた。
仲間と画策して大儲けした話、詐欺に合って路頭に迷いかけた話、仕入れた品が悪天候でダメになった話、儲けの為に整備されていない街道を走って馬車を壊しかけた話。
どちらかと言えば失敗談の方が多い。記憶に残るのはいつだって成功より失敗なのだ。
画一的な教育を受けられる環境なんて望むべくもなく、僕等が自然と身に付ける科学的な見地も根付いていない以上、自分の経験こそが全て。
失敗談を何の気後れもなく、寧ろ笑い話として積極的に語るのは、仲間内で経験を共有する為なのかもしれない。
「街道の整備に積極的じゃない領主もいるんですね」
「流通網が発展しないと経済って回らないんじゃなかったっけ」
「らんらんが商人でも盗賊の出る荒れた道より、警備された街道を通って商売するわ」
「当然、命あっての物種でござるよ」
「で、隣の領地が発展している間に自分の領地はあれよあれよと衰退するわけだ」
領民だって時には脱走する。税収が減れば国からの態度は硬化し、時には横領しているのではないかと疑われ査察官を派遣されたりもする。
経営に問題ありと判断されれば領地は剥奪、領主でなくなれば貴族としての立場も失うことになる。
長い目で見れば街道の整備は必要不可欠なのだけれど、こうした公共事業の費用は領主が負担しなければならない。
数キロ分の道を作るだけでも年単位。完成しても定期的な整備や警備を初めとした負担が圧し掛かり続ける。
だからやりたくはない。しかし、隣の領地が整備されて取引相手が流れると困る。どうにかして低予算で状況を打開する手はないものか。
結果、街道の整備が進まないよう裏で野盗を囲い込み襲撃させると言う手段が横行しだした。
自分は作りたくないけど相手に作られたら困る。それなら邪魔をして作らせなければいい。
あまりの利己主義さに眩暈を感じずにはいられないが、街道を整備する側からすると対策のしようがない。
街道の整備には訓練を兼ねた私兵と農閑期や凶作の補填を兼ね領内の人手から宛がわれる。
宵闇に乗じ奇襲を受ければ被害は免れず、労働者はいつくるともしれない襲撃に怯え作業効率の悪化は顕著だった。
更には完成した部分への妨害工作、作業場近くの森林への放火など、邪魔立てする手は直接的な襲撃に留まらない。
果てない嫌がらせの末に街道の整備を諦めた領主も少なくないのだそうだ。
腐敗と汚職にまみれた業界の裏話が佳境に差し掛かる頃、酒場の入り口に場違いな年若い少年がひょこりと顔を覗かせる。
テーブル席を順に見やってからディールさんの後姿に目を留めるなり露骨に顔を緩め近付いてきた。
「ディールのおっちゃん、会議終わったってよ」
「ん? キー坊じゃないか。さては奴ら、会議中に酒でも飲んで潰れたな?」
僕よりも小さな背でディールさんの裾を掴む姿は父親に甘える子供の様だ。酒場の喧騒に飲み込まれないように張り上げた声はまだ特有の甲高さを残している。
酒場には慣れていないようで、騒々しい大人ばかりの空間に若干腰が引けているのもまた可愛らしい。
「10歳くらいですか?」
気になってディールさんに尋ねると、少年はムっとした様子で僕を見る。
「俺は11だ! ……数え年だけど」
なるほど、つまり僕の予想は見事に当たっていたらしい。しかしこっちの世界は数え年で換算するのだろうか。
いや、それならわざわざ自分で数え年と宣言しないか。
単純に自分の年齢を一つでも大きな数字で表現したかったに違いない。
「こら、お客様に失礼じゃないか。すみませんね、見ての通り未だ小憎たらしいガキなんですが、最近ようやく仕事を任され始めたのを良い事に一丁前の男扱いしろと息巻いてるそうなんです」
ディールさんの物言いに少年はますますむくれてしまう。
同じくらいの頃、もう一人前なんだと何かにつけて背伸びしたがった自分の姿と重なってなんだか微笑ましい。
ハルトの持ち込むトラブルの大半は近所の小さな子ども達からのお願いだったし、子どもは好きな方だ。
むくれてしまった子のご機嫌の取り方も十分に心得ている。
まずは椅子から降りて少年の前に立ち膝をかがめて視線を合わせるところから。
立場を合わせ、間違いを認め、褒めてあげる。経験に基づいた三原則を実施すべく、ここ一番の敵意のない笑顔を浮かべながら少年の髪をゆっくりと撫でた。
「そっか、もう11なんだ。ごめんね。お仕事ご苦労さま」
ピシリと動きを止めた少年の目をじっと覗き込みながら最後に労いの言葉をかけてあげる。
すると途端に顔を真っ赤に染め上げそっぽを向かれてしまった。
「べ、べべ別に分かればいいし!」
内心では褒められて嬉しい。けれど、あくまで仕事人として当然ですと言った具合に感情を表へは出さないクールガイを演出したいようだ。男心も結構複雑なのである。
それでも湧き上がる感情を抑えきれず、ちぐはぐな反応に思わず笑みが漏れる。
「それじゃ、私達を案内してくれますか?」
そっと手を差し出すと仕方ねぇなとばかりに握り返してくれた。
「……姉ちゃんの名前は?」
一瞬、姉ちゃんって誰のことと疑問符を浮かべるも、引っ張られた手と視線で僕のことかと気付く。
「カナタだよ。暫くこの町に滞在するかもしれないからよろしくね」
「暫くってどのくらい?」
「んー、ちょっとまだ分からないかな。商会の人とお話してみないと」
「あっそ。……まぁゆっくりしてけばいいんじゃない」
少年の素気ない返事とは裏腹にしっかりと握られた手を見ながら、ディールさんは『あぁ、これは確かに、一丁前の男と認めなければなりませんね』と、一人ごちに漏らした。




