辺境の街と夢幻の救者-2-
馬車の速度を緩めて貰ったとしても、日が暮れるまでに町へ辿りつかないと門が閉じてしまう。
いかにクーイルが辺境といえど野党や魔物に襲われる可能性はゼロじゃない。
夜間は見通しが悪くなる関係上、もし閉門までに辿りつけなかった場合は陽が登るまで待たされるのだと言う。
クーイルは森を抜けた先にあるので今のところ狼がでたことはないみたいだけど、襲われて死にかけたディールさんからすれば野営は避けたくて当然。
かといってクーイルに入ればディールさんには仕事が控えているだろうし、何の気兼ねもなく事細かに尋ねられる時間は思ったより少ないのかもしれない。
重要だと思われる情報を優先するにしても如何せん必要な情報の方が多すぎた。
「それなら身分は丁度良い方法がありますよ。どうもカナタ様は神官様であられながら教会の方針に疑問を抱いておられる様子。それが原因で地方へ飛ばされたことにすれば疑われますまい。ただし、迷い人だとは知られないよう特にご注意を。弱みを見せればつけ入ろうとする輩が現れますから」
ディールさんもそれを理解して、細かい部分は適度に端折りつつ気を付けるべきポイントを重点的に教えてくれる。
僕等はこの世界を知っているようで何も知らない。公式の設定はクエストなんかで垣間見えるけれど、真剣に読み解こうとは思わなかった。
話を聞いて分かったのはこの世界が現代とは比べ物にならないくらい原始的ってことくらい。
魔法が根付いているせいか科学技術に関する研究は壊滅的……というより、科学に準ずる言葉さえ生まれておらず、先人達の経験の積み重ねが後世に繰り返し伝えられる事で牛歩の如き発展を続けている。
ただ、科学より汎用性に富む魔法のおかげで一定の技術水準は保たれているみたいだ。
ポータルゲートとかヒールを始めとしたスキルの幾つかは既に現代の技術を圧倒しているわけだし。
大都市の貴族街とかなら上下水道や街灯も完備されているらしい。もっとも、そうした設備の恩恵に与れるのは身分の高い貴族達だけ。
平民の大部分は魔力を持たないらしく、こうした技術の恩恵にも与れないので生活レベルは極端に落ち込むんだとか。
分かってたことだけどこの世界は命の値段が安い。
現代日本が福祉国家だとすればこの世界は搾取国家だ。王制にせよ封建制にせよ、権力者が権力を思うままに振りかざせる環境では民に財を還元する必要が薄い。
無論、民が生に希望を見いだせないほど搾取するのは却って生産性を落とすだけなので論外だけど、豪勢な暮らしが出来てしまうほど還元すれば反乱勢力を育てるだけだ。
生かさず殺さず、不満が高まり過ぎない程度に絞り取って飼い慣らすのが一番。王者が王者たれるのは格差社会の下級階層に持ち上げられるからこそ。
回復魔法や現代よりも遥かに薬効の高い錬金薬が出回っているのに人口が増えすぎないのは、餓えや過酷な労働で使い潰される人が多いからじゃなかろうか。
効率的で生産性の高い農法なんてまだ開発されていないだろうし、天候次第で村の半数が死に絶えるのも珍しくない。
それどころかこの世界には元の世界とは比べ物にならないくらい直接的に害をなす魔物まで蔓延っているのだ。
ついでに言えば女性の社会的立場も低い。今の僕からすれば致命的な問題だった。
女は子どもを作り家庭を守るもの。守られるべき存在として大切にされているみたいだけど、だからこそ男の領域に踏み込むべからずと言う風潮が蔓延している。
試しに『女の子が男の子っぽく振る舞ったらどうなりますか』と尋ねてみたところ、怪訝さを隠そうともせず『碌なことにはならないからやめた方が良い』と諭されてしまった。
少なくとも奇異の視線が殺到するのは避けられず、短気な輩が分不相応だと怒りだしトラブルに発展しかねないのだとか。
不本意なことこの上ないけど、ハルト以外と接する時はネカマプレイの継続が必要になりそうだ。
ゲーム時代ではアカウントのBANだけで済んだはずなのに、この世界じゃ人生のBANまでありえるとか、些か制約が重すぎやしませんかね。
おまけにこの世界の身体は倫理コードで守られてすらいないのだから、重苦しい溜息しか出て来なかった。
貨幣については早々に理解を諦めた。考えても見て欲しい。国土面積の狭い日本ですら過去には多くの貨幣が鋳造されていたのだ。
この世界は幾つかの大陸に分かれているけど、設定上ではいずれもが日本よりも遥かに広い面積を持つ。
中央集権が成立しえるためには連絡網の発達が必要不可欠。小さな島国ならまだしも、冒険の舞台となった国々はどれも広大な土地を持つ。
国王が全ての国土を運営するなんて芸当は物理的に不可能なので、国土を多数の領土に分割し領主に与えるかわりに領主から税を取る封建制で成り立っている。
国立施設での貨幣鋳造も行われているけど技術水準は高くないから量産体制に限界があった。
国が基軸通貨として発行しているのはコルト金貨と呼ばれる、主に税や貴族間の取引にしか使われる事のない証書のようなものだけ。
ちなみに1枚が途方もない価値を持つので上級市民でも一生縁がない。
当然ながらこんな通貨だけでは経済が成り立たないので、貨幣の材料となる鉱山を持つ領地がそれぞれ扱いやすい小額の貨幣を発行して国内に流通させているらしい。
質の良い銅が獲れると有名なミリー山脈から作られたミリー銅貨。
銀の名産地で有名なアルターで作られたアルター銀貨。
金細工師で有名な街で作られたキリー金貨。
金は採取地が限られ加工も難しいのでコルト金貨を除けば2種類しかないらしいのだけれど、採取地が多く成型も容易な銅貨は10以上の種類があるらしい。
地方によって流通している貨幣も異なるので、行商人や両替商には日々流動する為替相場の把握が必要不可欠なのだという。
頭の痛い事に、いや、当然と言えば当然なんだけど、同じ銀貨でも貨幣価値には数倍の開きがあったりもする。
「例えばこの2枚の銀貨ですな」
ディールさんはやや黒く薄汚れたアルター銀貨と、新品同様の輝きを放つサリー銀貨を僕の手のひらの上に載せる。
「どちらがより高額だと思いますかな?」
大きさも重さもサリー銀貨の方が上だし、経年劣化で表面が擦り切れつつあるアルター銀貨は黒ずんでいて貨幣として受け取ってもらえるのか疑問が残る。
誰がどう見てもサリー銀貨の方が貨幣価値は高いと思うだろう。
「多分、こっちじゃないでしょうか」
だから僕は敢えて薄汚れたアルター銀貨の方を差し出す。
見た目が良い物と悪い物を同時に出された、どちらがより価値のある物かと問われた場合、大体の場合は見た目の悪い物の方が価値が高いという法則である。
まぁ僕の性格が天邪鬼ってだけなんだけども。
「どうしてアルター銀貨の方が高価だと?」
ディールさんはさして顔色を変える事もなく理由を尋ねてくる。天邪鬼だからですと答えても良かったのだけれど、そう聞かれると尤もらしい理由を捏ねくりまわしたくなるのが僕の癖だ。
だから、逆に考える。どうしたらアルター銀貨の価値を高められるだろうか。
サリー銀貨の利点は綺麗なこと。大きいこと。重いこと。まずはそれを否定する理由を作り上げてみる。
「サリー銀貨の方が大きくて重いからです。貨幣は持ち運ぶ物ですからかさばらせることにあまり意味はありません。なのに大きく、重く作った理由はなんでしょうか。金貨っていう上位の貨幣がある以上、銀貨一枚当たりの価値を上げ過ぎても意味は薄いと思います。だとすれば、この大きさと重さは価値を高めようとする意図があるんじゃないかって。本当に価値のある硬貨ならそんな小細工は必要ないですから、見た目に反して銀の含有率は異常に低いとか。対してアルター銀貨は汚れているのにディールさんが財布にしまっていました。使えない貨幣を財布に入れる意味はありませんし、裏を返せば貨幣の状態がそんなでも持ち続けるだけの価値があるってことなんじゃないかと」
理屈なんて捻くれば幾らでも出てくるのである。
サリー銀貨の価値を高くする理屈だってその気になればいくつか作れる筈だ。とはいえ、どうしても直感的な部分でサリー銀貨が高額だと思えないからやや強引な論調になりがちなんだけども。
「これは、驚きましたな……」
ところが僕の適当な理屈にディールさんは目を丸くしていた。どうやら当てずっぽうの理論が奇跡的な確率で的を得たらしい。
「貴女の言う通り、この新サリー銀貨は少ない銀の量を誤魔化す為に錫と銅を混ぜて嵩を増しているので価値はありませんが、アルター銀貨は昔も今も銀の含有率が不変なのでどの地方でも一定の信頼を得られる貴重な通貨なのです。だから多少汚れていても喜んで受け取って貰えます」
新と付くだけあって旧サリー銀貨もあるそうだ。
銀は鉱脈から無尽蔵に湧き続けるわけじゃない。僕等の世界と変わらない有限の天然資源だ。掘り続ければいつかは底をつく。
旧サリー銀貨はもっと小さく軽く、それでいて質も程良く人気があったらしいけれど、領内の銀が枯渇の兆候を見せ始めた事で焦った代替わりの領主が旧貨を回収して今の劣悪な新貨に改鋳したらしい。
当の領主は1枚の旧銀貨から2枚の新銀貨が作れる上、見栄えも重量も上がって市場価値も跳ね上がる神懸かり的な発想だと考えていたのだとか。きっと頭の中がお花畑で出来ていたのだろう。
商人にとって貨幣はなくてはならないもので、改鋳されるとなれば当然隅々まで調べられる。
銀の含有率を調べる為に禁止されていると知りながらも鋳潰す者は後を絶たない。すぐに粗悪品と知られて暴落してしまったそうだ。
信用を失った新サリー銀貨はどこでも取引を拒否され、遂には含有している銀の価値しか持たなくなり、目論見がハズれた領主は莫大な利権を生み出す貨幣の発行を断念せざるを得なくなった。まさに自業自得である。
幾ら貨幣を作っても受け取って貰えなければ意味がない。貨幣の価値は使われている材質ではなく、沢山の人が使ってくれるという前提の上に成り立つのであって、何よりも大切なのは管理する領主への信頼といえる。
行商人のディールさんは様々な地方の貨幣を取り揃えていた。
コレクションとでも言うべきか。色々な地方を旅してまわった証拠として、その地方で使われている様々な貨幣をあたかも勲章のように集めるのが昔からの習わしらしい。
「貨幣はその地域の経済状況を測る道具にもなるのです。様々な貨幣が流通している地域はそれだけ経済活動が活発で商売もしやすい。逆に特定の貨幣しか出回っていない地域は経済活動に大きな制約が課されている場合が多いのです。我々行商人達は立ち寄った商会で貨幣を持ち寄ってあれこれ情報交換するのが常なんですよ」
膨大なコレクションは見ていて壮観だけど、この辺りで使える貨幣は限られるようだ。
ミリー銅貨とアルター銀貨はその筆頭……と言うより大陸中で5指に数えられるくらい信頼度の高い良貨で大抵の場所なら、それこそ異国の地であっても笑顔で受け取ってくれる。
こんな辺境では貨幣を使う機会が限られており、取引相手でもあるキャラバンが好んで使っているのも手伝ってそれしか使われていないんだとか。
ちなみに一番信用度の高い貨幣は王都が発行しているコルト金貨。門外不出の王家御用達魔術式を練り込んでいて偽造は不可能。
国が価値を保証している関係で値は常に不動という利点があり、貴族や大商会の大口取引でよく使われている。
価値が高すぎる関係で他の貨幣との価値の対比を行う際に1コルトでは小数点が酷い事になるので、便宜上金貨1枚が100万コルトとして計算されるらしい。
僕等がゲーム時代のお金を貨幣として取り出せない理由は、きっとこの価格の設定によるものなんだと思う。
100万コルトは言い換えれば1M。多分、それが金貨1枚の最低価格で、数十万コルトしかなかったお財布の中身では金貨1枚に届かなかったってことじゃないかと。
それなら他の貨幣に自動変換してくれればいいのにと思う反面、ゲームでは他の貨幣なんて出てこなかったし、仮想と現実でそれなりに違いはあるってことなのか。
この世界で電子上の通貨を増やせるとは思えないし、ゲーム時代のお金は露と消えたと諦めるしかなさそうだった。
つい先ほどまで気楽な学生家業だったというのに、気付けば右も左も分からない異世界で無職の無一文なう。
落差に眩暈を覚えるけれど、落ち込んだところで状況は好転しない。自分を救えるのは自分だけなのだ。
それに、人間はやる気にさえなれば大抵のことをどうにかできるものである。お金がなければ稼げば良いわけだし。
本当はディールさんと狼を切り伏せながら村々を巡る行商ができればいいのだけれど……。
「……申し訳ありません。弟子を取った者の勤めとして、せめて彼の過ごした教会に報告へ行かなければ」
死者の魂は7日以内に鎮魂の儀を行わないと成仏できず、生前の苦しみに喘ぎながら永遠に現世を彷徨うのだと信じられていた。
鎮魂の儀は僕らで言うところのお葬式であり、故人の埋葬を意味する。
「話を聞けただけで十分です。私たちのことは気にせず早く弔ってあげてください」
死体は流石に運び出せなかったから森の中に埋葬してしまったけれど、青年の髪と爪を幾らか布袋の中に納めてきた。
この世界では生まれ故郷で天寿を全うできる人の方が少ない。道中に危険が伴う行商人、戦地を駆け巡る傭兵、親元から半ば売られる形で働きに出る子供たち。
そんな人たちが、せめて魂だけでも生まれ故郷に帰れるように、こうやって腐らない身体の一部を持ち帰り鎮魂の儀を行うのは珍しくもなかった。
青年は孤児だったとはいえ、教会の生活が苦であったわけでもないそうで。寧ろその逆、ディールさんについていったのは自分の食い扶持を自分で稼げば他の子達が飢えなくて済むと思ったからで、行商の合間には利益の一部を仕送りもしていたらしい。
埋葬するならその教会をおいて他にあるまいと決断したのは当然で、今運んでいる荷物を引き渡した翌朝には向かわなければ準備も含めて儀式が間に合わない。
つまり、僕等がこうして話を聞けるのは今日が最後ということになる。
「私達でもお金を稼げそうな方法ってありますか?」
とはいえ、僕には支援魔法って言う強力な個性がある。これを活用すれば日々の暮らしになんて困らないんじゃないかと楽観視していた。
医者って大抵の時代で高収入だったみたいだし。
ところが、ディールさんの顔色は僕の想像と違ってやや暗い影を落としている。
「クーイルは辺境の田舎町ですから仕事自体が少ないんです。良くも悪くも自己完結しているといいますか……」
畑仕事や酪農といった家業も行われているものの、豊かな森が広がるだけあって土質はよく、滅多な事では凶作にならないから、誰もがあくせく働くより自分の時間を大切にのんびりと暮らしていた。
そこへ今回の狼出現を受けて職を失った人達も合流。今は人手が余り気味で足りないって事はないらしい。なにそれホワイト。
「カナタ様は治療魔法が得意だと思いますが、クーイルは人口が少なく、病気は薬で治すというのが定着してまして……恐らくは受け入れられないかと」
治癒魔法は教会の奇跡によってもたらされる。だけどクーイルに教会はなく、常駐している聖職者もいない。
病気や怪我への対処法は様々な薬草を薬師が煎じた薬が当たり前で、治癒魔法を受けた経験者なんて数えられるくらいしかいなかった。
僕の治癒魔法が薬に劣るとは思っていない。現にディールさんの重症を傷跡さえ残さずに治療できた。
でも、受け入れられないのでは意味がない。
例えば頭痛がするので近場の薬局に薬を買いに行こうとする。
馴染みの頭痛薬を手を伸ばすと背後からこう声をかけられた。
『君、頭痛がするのかい? それなら俺が治してやってもいいぜ! ただし治療費はちゃんと貰う。その薬と同じ代金だ』
薬と知らない誰か、どちらを選ぶだろうか。
僕なら間違いなく薬を選ぶ。過去に効果があったことを他ならぬ自分が『知って』いるからだ。
例え知らない誰かの提案が最先端の技術で、僕の選んだ薬より遥かに優れた物だったとしても。
痛みが引くのにどのくらいかかるのか、本当に治るのか、再発しないのか、何か悪影響はないのかを僕は『知らない』から。
知らないものは誰だって怖い。逆に経験したことは誰だって安心できる。
まして、この世界の薬の価格は僕の世界のそれよりも遥かに高い。ネタやダメ元で試せるような代物じゃないのだ。
最低でも大怪我した人をその場で治療してみせるくらいの奇跡を示さないと耳すら貸してもくれないと思う。
かといってそんなことをすれば悪目立ちするだろう。
最大の当てが外れたとあって今度ばかりは焦りが滲んだ。
この世界で唯一与えられた能力が役に立たないのでは、変わってしまった性別といい、労働に不向きな小さくなった身体といい、不良債権しか残らないではないか!
「私の方でも荷物を引き渡す時にクーイル商会へ掛け合ってみましょう。なにか仕事が余っているかもしれません。夜には面会の場を設けますから……」
「そうしていただけると助かります」
ディールさんの申し出に心からお礼を告げると森の様相が少しずつ開けてくる。出口が近いのだろう。オレンジ色の夕日が差し込む眩しさに目を細めた瞬間、不意に視界の端で何かが動いた気がした。
「ハルト! 進行方向2時にある茂みの影、警戒して!」
唐突な指示にも拘らず、ハルトは剣の柄を握り締めながら言われた通りの方向へ身構える。普通なら何故と疑問を投げかけるような場面でもハルトは尋ねたりしない。おかげで奇襲を受ける事態は避けられたようだ。
「な、なんですかあれは!?」
ディールさんの瞳がバケモノでも見たかのように見開かれる。いや、あれはなんの遜色もなくバケモノと表現すべきだろう。
視線に先には一匹の狼が今にも飛びかからんと身を屈めていた。寸でのところで行動に移さなかったのは、僕等が予想以上の速さで迎撃態勢を整えたからだと信じたい。
ディールさん達を襲っていた狼も僕らの世界基準で言えば信じられないくらい大きかったけど、目の前のこいつに比べれば赤子のようなものだ。
僕くらいなら一息に飲み込めそうな大口。鋭い犬歯が生え揃う凶悪な顎。足の太さは屈強な大男に等しく、身体の大きさは荷物を満載した馬車よりも遥かに大きい。
初雪を思わせる純白の体毛は森の中であっても汚れ一つなく、傾きつつある太陽の光で真っ赤に燃えていた。
このバケモノを、僕は知っている。
「白銀の賢狼……。北域のフィールドボスがどうしてこんなところにっ」
実際に戦ったことがあるわけではないけれど、取り巻きに引き連れている銀狼が弓系列のテイミングモンスターとして人気な関係で情報を見たことがあった。
車程もある巨体から繰り出される攻撃力は決して侮れず、俊敏さも兼ね揃えている。なにより特徴的なのは取り巻きの銀狼をきちんと指揮する点だ。
ほぼ全ての取り巻きモンスターは自立的に行動する。だから取り巻きのターゲットを別の盾役が取って、戦闘の邪魔にならない場所へ移動させるといった戦術が可能なのだが、白銀の賢狼に限ってはそれが使えない。
幾ら引き剥がしても、銀狼のヘイトを稼いでも、白銀の賢狼の啼き声一つで行動をガラリと変えてしまうからだ。
時には戦わずに逃げ出し、追いかけたプレイヤーを忍ばせていた銀狼に襲わせるといった、伏兵ならぬ伏狼を仕掛けることもあるくらいで、下手な亜人系モンスターよりもずっと性質が悪い。
幸い取り巻きである銀狼の姿は見えなかった。本来の生息地である北域の雪原ならともかく、緑の森で銀色の毛皮はかえって目立つはず。少なくとも近くに伏しているわけではなさそうだ。
問題はどう対処するか。
フィールドボスはダンジョンボスと比べると全体的に弱く設定されている。白銀の賢狼は取り撒きを指揮するタイプなのでレベルやステータスは大して高くはない。
これがゲームならレベル90台である僕とハルトの2人でも余裕を持って倒せる。
希望的観測なのは言うまでもないが。初見の、それもボスと戦うのはどうしたって危険が伴う。もし取り巻きとして銀狼を多数呼び出せるのだとすれば形勢は不利だ。
範囲攻撃に乏しい僕等は包囲からの波状攻撃に対処できない。出来る事なら両者睨み合ったまま走り去るのが一番だ。
「馬車を全速力で進ませてください!」
気付いた時には支援魔法を馬に向かってかけていた。出来れば荷物も捨てたいくらいだが、所持金を全て気配遮断の護符に費やしたディールさんを思うと、納品する商品の破棄はそのまま破産に繋がってしまう。
「ハルトは出来る限りの荷物を全部インベントリに格納! スペース確保と軽量化急いで!」
インベントリに入れたアイテムは質量がなくなる。全ては入りきらないだろうけど、今は少しでも軽くしなければ。
白銀の賢狼はにわかに速度を上げた馬車の斜め前方を余裕の表情で併走してくる。間違いなくこちらと速度を合わせている。隙を見せればすぐにでも飛び掛ってくるに違いない。
「ディールさん、もし敵が打って出たら私達で応戦します。その間に急いで逃げてください」
僕等二人でもギリギリなのに、戦えないディールさんを守りながら白銀の賢狼を相手にするのは困難を極める。
「わ、分かりました。必ず助けを呼んで戻ってきます!」
年長者である彼が一番に逃げ出す汚名を、自分が足手まといにしかならないと理解しているからこそ、ごねることもなく頷いてくれた。
残るとか残らないだとかの押し問答に無駄な時間を使わなくて良いのは素直にありがたい。
「助けを呼ぶ必要はありません。私達は自力で戻ります。それまでは防御を固めて町を守ってください。私達が戻らなくても絶対に森へ立ち入らないでください」
だけどまだ甘い。助けに戻るのは愚作だ。考えたくないけど、僕等が勝てなかった時点で軍隊を持たない田舎町の人員がどうにかできるとは思えない。無駄な犠牲を増やすだけだろう。
「そんな、命を救っていただいた方を見捨てるなんて……」
出来ないと言いたげな心優しい商人に向かって僕は短く告げる。
「お墓、ちゃんと作ってあげてください」
何か言いたそうにしていた表情が途端に引き締まって小さく頷く。これではまるで死亡フラグではないか。生憎と僕等だってこんな場所でむざむざ死ぬつもりなんてないのだ。
「言っておきますが、あれくらいなら対応範囲内です。倒せるか分かりませんけど、追い払うくらいなんとでもなりますし、今から死ににいくみたいな扱いをされても困ります」
自信ありげな笑顔で補足する。後はもう白銀の賢狼に集中することにした。
「我等に【祝福】を。天よりの【恩寵】を。精霊達の【守護】と【加護】を。大地を【駆け】、理を【貫け】」
ハルトと僕にそれぞれ支援魔法を展開、戦闘の準備を整える。
一番は睨み合いを続けたまま森を脱することなんだけど、何かするつもりがないならわざわざ追いかけたりもすまい。
まずは敵をどうにか足止めして僕等にひきつける。馬車を逃がすのはそれからだ。威勢よく飛び降りたまでは良くても、無視されて馬車を追われたのでは元も子もない。
「カナタ! スペース確保できたぞ!」
強化された身体能力を駆使してガタガタと揺れまくる御者台からインベントリ分の容量が開いた荷台に飛び移る。
「まずはこっちから1発撃ってみる。もし詠唱を潰しにきたら足を狙って。取り巻きも見えないし、機動力さえ奪えば対処はずっと楽になるはず」
本来の湧き場所である見晴らしのいい雪原では映える巨大な図体も、木々の生い茂る森の中では随分と窮屈そうだ。実際、馬車に回り込んで前方から襲わないのは樹が邪魔で足が鈍っているからではなかろうか。
時に迂回し、時に砕きながら直進する姿からはどことなく無理を感じなくもない。
「まずは一発!」
荷台の上で【ホーリーランス】の詠唱を終えた僕は虚空に浮かぶ槍の穂先を敵へ突きつけた。僅か、白銀の賢狼の速度が鈍る。どうやら多少の警戒はしてくれているらしい。
5本の槍は顔と腹と足に狙いを定めてある。足場がガックンガックン揺れるせいで微妙にずれるけれど、獲物が大きいのでプラスマイナスゼロってところか。
要するに僕の腕次第。望むところだ。片目を閉じて集中、イメージと現実の位置が重なった瞬間に杖を振り下ろす。
この距離と敵の大きさを考慮すれば全てを外すなんてありえない。燦然と輝く魔法の槍は狙い違わず敵へと殺到し、次の瞬間に目を剥いた。
頭を狙う1本目を屈んで避けるまでは半ば予想していたものの、身体を狙う2本目と3本目は強烈な尻尾の薙ぎ払いによって叩き落とされ、足を狙う4本目と5本目は振り上げた後ろ足の一蹴りで儚くも霧散する。
着弾ゼロ。足止めどころか速度を落としてすらいない。天然の障害物を避けながら、まるでついでのように迎撃されたのだ。
「う、そ……」
目の前の現象が信じられず呆けた声を漏らす。【ホーリーランス】の速度は間違っても見てから対処できるようなものじゃない。
それこそ、最初から攻撃される場所を知った上で、刹那を見切れるほどの反射神経がなければ。
まさか、読まれた?
しかしどうやって。【ホーリーランス】はただ撃ちこむだけで、対象の身体にマーキングを施すと自動追尾するみたいな便利機能があるわけじゃない。
どこを狙ってるかが術者に依存する分だけ迎撃は難しいはずなのに。
考えられるとすれば、僕の視線からどこを攻撃するか見切ったくらいなものだけど、もしそんな芸当が出来るならまずいなんてレベルを超えている。
プレイヤーと比べればできそこないのAIからなるゲーム時代ですら、白銀の賢狼の攻撃パターンは奇奇怪怪で対処しづらいと言われていた。
他の同レベル帯ボスと比べても特段ステータスが高いわけではないのに、適正レベルで相手をするのは困難で、詐欺ボスなんて騒がれたこともある。
そんな存在が、AIなどではない、本物の知性を手に入れたらどうなるのか。
「ハルト、追い払うことだけ考えて」
冷や水を浴びせかけられた気分だった。やはりこの世界とゲームの出来事を同列に並べてはいけない。
攻めの姿勢を一転、守りに特化してこの場を切り抜けることだけに集中する。冒険はしない、敵を倒そうとも思わない。ただ堅実にやり過ごす。
その瞬間だった。併走を続けていた白銀の賢狼が唐突に走るのをやめてくるりと反転。短く唸ってから森の奥へと引き返し始めたのだ。
同時に僕等の先方に広がっていた茂みから10はくだらない森狼達がまるで見せびらかすかのようにわざとらしく這い出して白銀の賢狼の後を追い始める。
「は……?」
想像もしていなかった事態にハルトが呆けた声をあげた。正直言って僕も同じ気持ちだ。
もう少し馬車が進んでいたなら確実に左右から挟撃されていただろう。
最初から白銀の賢狼はあれを隠す為の囮でしかなかった。動揺した僕らが姿を見失えば手痛い不意打ちを受けていた可能性が高い。
「今の、森狼を統率してた……?」
銀狼と森狼は見た目も体格も大きく異なる。見間違えはありえない。取巻きは銀狼に違いないと白い毛並みばかりを探していた僕等は茂みと同化していた森狼の存在に最後まで気付けなかった。
奇襲は間違いなく成功していたはずだ。なのにどうして突然引き返したりなんかしたんだろうか。
配置されていた場所からして、襲撃を前提にしていたのは間違いない。
本当にまさかと思うけれど、僕等が守りに徹すると決めたのを感じ取って引いたのか?
元よりギルド内の盾役を務めるだけあって、ハルトが守りを固めた時の堅牢さには定評がある。
いかに本物の知性を得た白銀の賢狼であっても持前のステータスが変わっていないのであれば、防御を突き崩せないと見抜いたのではないか。
ほっとする反面、嫌な考えが頭に浮かぶ。
さっきのが勝負にならないと踏んで逃げ出したのなら、攻めの姿勢の僕等には勝てる可能性があると踏んでたんじゃ……。
「……森での商売、考えた方が良いかもね」
「同感、だな」
森狼だけなら幾らでも対処のしようがあるけど、白銀の賢狼は底知れない恐怖を僕等に刻み付けていた。
「とりあえず当面の危機は去ったみたいです。警戒を続けますが、出来るだけ急いで森を抜けましょう」
荷台から御者台に戻ると手綱を握るのに必死なディールさんに代わって周囲を警戒する。今のところ不審な物陰は見えない。
「ええ、ええ。ここまでくればあと少しです……ほら、森の終わりが見えてきました!」
限界まで走らされた馬が嘶きながら森との境界線を越える。見渡す限りの草原が広がる平地の先にちょこんと町の壁らしきものが見えていた。
草丈は膝下くらい。獰猛な肉食獣が潜むには無理のある高さにほっと息を吐く。時間にして数分の追いかけっこだったにも拘らず精神は擦り切れる寸前だった。
「ここまで来れば大丈夫そうですね」
もう走れないとばかりに速度を落とした馬へ幾度かヒールをかける。死にそうだった荒い息が少しずつ落ち着きを取り戻したのは、馬も危険が去ったことを肌で感じ取ったからだろうか。
既に太陽は山に吸い込まれる寸前で、辺りをオレンジ色に照らしている。元より人の少ない地域だけあって検問の順番待ちをする集団も見えない。この分ならすぐにでも中へ入れるだろう。外で野宿の憂き目には遭わなくて済みそうだ。
にわかに速度を上げるとぼんやりしていた町の壁が細部まで見渡せるようになってくる。誰もいないかと思っていたのだけれど、門の近くには人影が5つ固まって立っていた。
村の人達だろうか。しかしその姿はどこか不安げで、しきりにあちこちを確認している。
「あの人たち、まさか……」
近づくにつれ、輪郭がはっきり捉えられるようになると見覚えのある特徴にもしやと背後を振り返る。
「ハルト! あれ、もしかしてみんなじゃない!?」
一人荷馬車の後ろで座っていたハルトが僕の叫び声を聞きつけると、指先の方角に向けて目を凝らす。
未だ遠くおぼろげではあるが、5人一組の髪色や服装が記憶と全くであればもう間違いなかった。
「無事だったのか!」
「すみません、壁のところで止めて貰っていいですか!? 一緒に巻き込まれた仲間が居るんです!」
目を輝かせながら近づいてきた人影に向かって手を振る。回復庫さん、アキツさん、豚さん、ギルバードさん、それからあと一人、見覚えのない顔が一つ。
メンツ的に考えて間違いない。あれは多分サスケさんだ。流石に町の周辺じゃトレードマークだった穴の開いた紙袋を被るわけにも行かないか。というかなんであんなものをチョイスしたし。
始めてみた素顔は切れ目で鋭利な印象で、普段のどこかとぼけた言動とはかけ離れた物だった。




