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World's End Online Another -僕がネカマになった訳-  作者: yuki
第二章-境界の彼方、幻想の世界-
27/43

亡者の森と因循の愚者-7-

 真夜中に番を代わった僕は星を眺めて暇を潰し、空が白み始める頃合でハルトを起こした。

 顔でも洗えれば眠気も飛びそうなんだけど、まだ水場は見つかっていない。

 もしも僕が魔術師を選択してれば火も水も好きなだけ使えたのに。いやでも、それはそれで体調を崩しても治療できない恐怖を味わっていたかも?

 水と健康、果たしてどちらが優先されるべきか。むむむ、これは思ったより甲乙つけがたい問題なのかもしれない。

 ま、配られた手札に文句を言っても仕方ないんだけどね。まずは朝ごはんを済ませて今日の方針を決めなければ。

 そう、朝ごはんである。ぶっちゃけ深夜に起きてからずっとお腹がくーくー言い続けてなりやまないのだ。昨日からずっと何も食べていないし空腹も限界に来ている。


「体調はどう? お腹が痛いとか、全身がだるいとかない?」

「ああ、大丈夫そうだ。毒はないと考えていいだろ」

「よぅし、それじゃあ早速……いただきます!」

 ハルトの体調に変化がないことを確認するなり、もう我慢ならんと例の果実をインベントリから取り出す。

 中には果汁がたっぷりと含まれているようで、噛んだ瞬間にじゅわりと汁が溢れ出してきた。

 垂れそうな汁を舌で舐め取ってから唇をすぼめて吸い出し、少し萎んだところで実の半分をかぷりと口に含む。

 皮の程よい酸味と柔らかい果肉の素朴な甘味はなるほど、どこかプラムを連想させた。

 味は悪くないどころか、空腹という最高の調味料も加わって、今まで食べたどの果実よりも美味しい気がする。

 後はもう無言のまま、満足のいくまで手を伸ばし続けた。


 都合6個目の果実を飲み込んだところでけぷりと息を吐く。

「ん? なんだ、もういいのか?」

 1つ1つが小さめなので傍目から見ても6個はそんなに多くない。ハルトに至っては昨日散々食べたにも拘らず10個目だし。それでも僕のお腹は十分に膨れていた。

「うん。まぁ身体が小さくなったわけだし、胃の容量も変わったんじゃないかな」

 僕等の置かれた状況を考えれば食が細くなることには何の問題もない。寧ろこの身体に変わって初めて良かったと思えたくらいだ。

「食べながらでもいい?」

 久方ぶりの食事に夢中だったけど、できれば早めに今日の方針を決めてここを発ちたい。僕等が自由に行動できる時間は有限な訳だし。

「いや、俺もこれで終わりにするよ。あんま食いすぎても動けないだろ」

 僕が切り出すとハルトは口の中に残っていた実を飲み込んだ。残りはインベントリへ纏めて放り込み真剣な眼差しを向ける。

 せかすつもりはなかっただけにちょっと申し訳ない。でもまぁ遭難時の食事はこまめに取る方が効率良いし、お腹が空いたら食べればいいかと思い直す。


「雨風を防げる拠点が欲しい」

 夜は思ったより気温が低かった。大体春先くらいだろうか? 火の傍に座って暖を取れば感じないくらいの寒さだけど、もし雨に降られると危険だ。

 火が起こせるかも分からないし、替えの服がないのに濡れようものなら低体温症の危険まである。

 ハルトが寝ている間に火から離れ、夜風に身を晒して寒さを感じたところへ【ヒール】や【浄化(ピュリファイ)】を使ってみたけれど寒さが和らぐことはなかった。

 体温の低下は回復魔法じゃどうにもならない。まぁ当然か。ゲームの世界でも耐冷値は装備品に依存してたし。

 山の天気は変わり易いって言うけど、森の天気はどうなんだろう。少なくともここまで森が育つくらいの降雨量はあるんだし、いつまでも晴れが続くとは思わないほうがよさそうだ。


「確かにこれじゃ撥水は期待できそうもないか」

 山登りに一番適してないのは綿製の下着だったりする。雨に濡れた時の体温の奪われ方が尋常じゃないから。汗を吸うのは良いんだけど乾きにくいので、遭難した時の死亡率が跳ね上がるのだ。

 僕の下着はプレイヤーメイドの、それも高位素材をふんだんに使ってるから大丈夫かもしれないけど、ハルトが鎧の下に着ているのは本当にただの普段着でしかない。

 だってこのゲーム、インナーに防御性能なんてありませんでしたし。

 大事なのは鎧の方。もちろん、お洒落の一環として付け替えることは出来るけど、男用のインナーは需要も種類も少ないから値段と着心地優先で選ぶ人が多かった。ハルトもその例に違わずである。

「とりあえず昼まで歩いてよさそうな場所を探そう。見つからなかったら最悪木を切り倒してでも作らないと」

 後者なら重労働になるだろうなぁと思いつつ僕らは足早に野営地を出発した。

 陽の出ている時間にか行動できない以上、一分たりとも無駄にはしたくない。


 変わり映えのしない森を歩き続けると本当に前に進めているのか、実は同じところをぐるぐるとまわっているだけじゃないのか、そんな気がして来て不安になる。

 転機が訪れたのは歩き始めて一時間くらいたった時だった。

 そう遠くない場所から人の叫び声らしきものが聞こえたのだ。

「ハルト……」

 不安げに親友の顔を見上げる。

「どう考えても『悲鳴』だったよな……」

 親友の言葉にこくりと頷いて見せる。

 耳にするだけでこっちまで不安を感じるくらい切羽詰ったものだった。今でも心の中がざわざわとうずいて落ち着かない。

 命の危機に瀕するほどの何かか。少なくとも、何もなくてあんな声は出せないだろう。


 選択肢は2つ。叫び声の聞こえた方角に向かうか、聞かなかったことにして足早に離れるか。

 森の中であんな悲鳴を上げる状況なんてたかが知れている。事故か、魔物か。二つに一つだ。

 事故ならまだしも、魔物だった場合は僕等にも危険が及ぶ。

「俺は……何かあったのなら助けてやりたい」

 聞くまでもなかった。ハルトはそういう奴なのだ。

「分かった。行ってみよう」

 それを知った上で友達になろうと決めた日から、僕の答えもまた決まっていた。


 走り出してからも悲鳴は断続的に聞こえてきた。

 おかげで方角を見失うこともなく、やがて人の手で切り開かれたと思しき幅2メートル程の林道へ飛び出る。

 草の生えていない地面が等間隔で並んでいることから、かなりの頻度で相当な重量を詰んだ荷車が通っているのは間違いない。

 引いているのが牛なのか馬なのかアルパカなのか、はたまた竜を初めとした幻想上の生き物なのかは知らないけれど。

 悲鳴は、この道のずっと先から聞こえてくる。


 荷車が走れる程度には整備されているだけあって、森の中みたく足元でのたうつ木の根に気を配る必要はない。

 おかげで走りやすくなったのは良いけど、今度はハルトとのステータス差が如実に現れ始めた。

 腕を引いてもらうことでどうにか追い縋ってはいるけれど、心臓は痛いくらいに脈打って爆発しそうだし、肺も空気を吸えている気がしない。

「ごめ、もう……」

 無理だから先に行けと腕を振り払おうとした瞬間、僕の限界を悟って走る速度をガクリと落としてくれた。どうも先に行くつもりはないらしい。

「気をつけろ、何かいる」

 荒い呼吸を繰り返し、足りなかった酸素をこれでもかと取り込む。朦朧とする視界がどうにか焦点を結んだ先でガサリと草むらが揺れ動いた。

「なに、今の」

「分かんねーけど人間じゃなさそうだ。辛いだろうけど足は止めるなよ、囲まれたら突破する時間が惜しい」

 辺りをざっと見渡しただけでも動く影は1つ2つじゃききそうにない。右も左も、そして後ろからも、覆い茂る草が擦れたような音がぴったりとついてくる。

 包囲しつつあるのに飛び出してこないのは、僕らが立ち止まるタイミングを計っているのかもしれない。

 それにしても、言うに事欠いて突破する時間が惜しいとは大きく出たものだ。仮に襲われても蹴散らすつもりらしい。頼もしいことこの上ない。


 警戒を続けながら走り続けていると前方から再びあの悲鳴が聞こえてきた。

 しかも今度は喉が潰れてもおかしくないくらいの鬼気迫る絶叫で、空気だけでなく脳までもが揺さぶられる。

 事故ならこう何度も悲鳴を上げたりしないはず。周囲を囲む不審な影といい、戦闘の気配をひしひしと感じ意識を集中。息が上がっているせいでちょっと時間がかかったけど練り上げた支援魔法を展開した。

「我らに主の【祝福】を。天よりの【恩寵】を。精霊達の【守護】と【加護】を。理を【貫け】」

 直後、前方に荷物を満載した荷車らしき影を発見。

「あそこで状況を確認するぞ!」

「おっ、け……」

 まだ余裕のあるハルトに比べ僕は息も絶え絶えといった状態だ。辿りついたことより、ようやく休憩を挟めることに安堵したのも束の間。

 今度は僕らの悲鳴が森を震わせた。


 粗末な衣服に身を包んだ壮年の男が居た。

 隣にはまだ歳若いであろう青年が居た。

 荷車を引く為の、がっしりとした四足を持った見知らぬ動物が居た。

 その全てが、深く色鮮やかな(くれない)、ただ一色に染まりきっている。

 視界を埋め尽くしてなお余りある凄惨な紅い海。

 男達も、動物も、その只中で横たわり微動だにしない。


 見るからに悲惨な光景。しかし、それだけで終わっていたのならどんなに良かったことか。

 動かない青年の傍らには地を這う4匹の動物が居た。

 およそ1メートルの体躯から伸びるがっしりとした4つ足は見るからに太く強靭で、端からは触れれば心地よさそうな毛艶の良い尻尾がだらりと垂れ下がっている。

 全身を覆う青銅色の毛はこの森に紛れ込む為の保護色を思わせるが、今は斑に染まっており却って存在を際立たせていた。

 特に顕著なのは鼻先と足元だ。ぎらりと覗く牙も、すらりと伸びた鼻も、ピンと立った耳も、大地を抉る太く鋭い爪も、広がり続ける血の海を吸って赤黒く濡れている。

 元の世界とスケールは異なれど、それは確かに狼だった。


 あれだけ大きな悲鳴を上げた挙句、呆然と立ち尽くした隙だらけの僕らには目もくれない。

 折り重なる狼の影で覆い隠された青年からはぐちゅりと粘り気を感じさせる湿っぽい音が断続的に響いていた。

 どうしていいか分からず手をこまねいている前で、一匹の狼がふらりと歩き出す。

 そうして出来た僅かな隙間に視線を向ければ、青年の横腹に鼻先を押し当てる別の狼の姿がチラリと映った。

 途端に背筋をぞわりと悪寒が伝う。何故か猛烈に嫌な予感がした。

 見てはいけないと本能が警鐘を鳴らしているのに、強張った身体は言うことを聞いてくれず、視線は吸いつけられたかのように一点を凝視する。

 狼の鼻が青年の脇腹に触れている。ただそれだけのはずなのに何かが引っかかる。あれ、そういえば狼の鼻ってもっと長い物じゃなかったっけ。じゃああの狼の鼻はどこにあるんだ?

 目の前から再び、あのぐちゅりという音がした瞬間。


 青年の脇腹に鼻先を押し当てていた、いや、鼻先を突っ込んでいた狼が、ピンク色の長い物体をずるりと引き出して見せた。


 残りの狼達はそれを見て歓喜に湧き、先を争うかの如く殺到して咀嚼を始める。

 微動だにしなかった青年の四肢がびくびくと跳ね上がり、隙間から見えてしまった虚ろな瞳が何かを訴えかけるかのようにぎょろりと動きまわるものの、しかし何も捉えることはなく光を失っていく。

 多分、今この瞬間に彼は息を引き取ったのだろう。沢山の狼に生きたまま貪られるという、想像したくもない地獄の苦しみの果てで。

 だけどそんな事は生暖かい血肉を食らう狼にとって何の関係もない。

 柔肉がぶちゅりと引き裂かれ、骨ごとぐちゃぐちゃと噛み砕かれ、ぶにゅぶにゅの内臓をじゅるじゅると嚥下される音に、耐え難い拒絶感と嘔吐感がせり上がる。

 人が生きながらにして食われている。

 そう気づいた瞬間、膝を折り、胃の中のものを全て吐き出していた。


 余りにも非現実的な光景だった。さっきからずっと身体の震えが止まらない。足から力が抜けて立っていられなくなりその場にへたり込む。

 見たくない。聞きたくない。受け入れがたい現実から逃れようと目を強く閉じ、耳を塞いだ。

 なのに、幾ら暗闇の中に逃げようとしても、あの喉が潰れるような、およそ人の物とは思えない壮絶な悲鳴が追いかけてくる。

 忘れたいと、考えたくないと思えば思うほど、脳裏に焼きついた悲鳴が繰り返し再生され離れてくれない。

 やっと分かった。あれは、徒党を組んで襲ってきた狼に生きたまま貪られる男達の断末魔だったんだ。

 いっそこのまま意識を手放してしまえば楽になれるんだろうか。

 だけど、弱気になった僕の襟首を誰かが力任せに引っ張り上げた。


「しっかりしろ! ああなりたいのか!?」

 ハルトの怒号に驚いて目を開く。怒りと悔恨に彩られた表情でいつの間にか油断なく剣を構えていた。

 恐る恐る青年の方に視線を向けると群がっていた狼が一匹も居なくなっている。傍には真新しい大穴が幾つか開いているから、スキル攻撃を使って追い払ったのだろう。

 今はもう青年を覆い隠すものは何もなくなっていた。だからこそその全容を、一瞬とはいえ視界に捉えてしまう。

 慌てて視線をそらしても、まるでつぶさに観察したかのような精緻さで目に浮かび、焼け付くような嘔吐感が喉元までせりあがる。

 今すぐにでも吐き出してしまいたい衝動を、しかし無理やりに飲みくだした。

 事あるごとに動揺して、現実から目をそらして、ハルトの足を引っ張っるのはこれで何度目だ。

 ここに至る時点で僕らは既に囲まれていた。今となってはその正体もハッキリしている。目の前で獲物を食らっていた狼の仲間に違いない。

 ハルトだって同じ光景を見て少なくない衝撃を受けたはずなのに、自分の置かれた状況を忘れたりはしなかった。僕みたいにへたりこむ訳でもなく、気丈に振舞って見せた。

 それに比べ何という体たらくか。情けない。あまりにも情けなさすぎて自分自身に怒りすら覚える。


「ほんとごめん。もう、大丈夫だから」

 ホントは全然大丈夫なんかじゃないけど今は甘えられる状況じゃないんだ。覚悟を決めて顔を上げた。

「おうさ。頼りにしてるからな」

 直前にかけた支援魔法はまだ効果を残している。敵は多数。何匹居るかなんてわからないし、とにかく片っ端から倒すしかない。

 ざっと周囲を見渡して隠れずに姿を見せている狼の位置を確認。魔法の詠唱に取り掛かる。

「【ホーリランス】」

 突如として虚空へ浮かび上がった5本の槍に驚いた狼達は唸り声を上げ数歩後ずさった。

 でももう遅い。対象の指定は既に終わっている。本来は5本同時に放つものだけど、今回は様子見がてら最初の1本だけに絞ってトリガーを引く。回避なんて到底不可能な速度で放たれた光槍は、狙い定めた狼の心臓を寸分違わず串刺しにした。

 どこかで聞いたような粘り気のある水音が弾けどうと倒れ込む。穿たれた穴からは倒れていた男達となんら変わらない真っ赤な血がとめどなく溢れ出し水溜りを作り始めていた。

 その光景が信じられなくて、信じたくなくて息を呑む。


 倒したんじゃない。殺したんだ。他の誰でもない僕が、自分の意思で死を願い、敵を殺すために魔法を使った。

 気持ちが悪い。吐きそうになるのを必死で抑える。

 勝手なものだ。害虫には何の躊躇いもなく市販の毒ガスを噴射していたくせに。

 動物を殺すのは悪いことだと、当たり前のように培ってきた倫理観が今しがたの行為を激しく非難する。

 例え襲われているにせよ、殺さずとも済む方法があったんじゃないかと騒ぎ始める。

 いっそ清々しいほど独善的な空想の数々。自分の心を守るための言い訳の山。身を任せれば心の中でどろどろと渦巻くこの気持ち悪さも少しはマシになるのかもしれない。

 でもそれは、それだけは絶対に受け入れられなかった。


 襲われている以上、対処しなければそこに転がる男達と同じ末路を辿る。そんな地獄にハルトを付きあわせるのか?

 或いは優しいから殺せませんなんて世迷い言を吐いて、嫌なことを全部ハルト一人に押し付けるのか?

 何もせず怯えて、何もできず躊躇って、全てを親友に頼り、任せるくらいなら。

 頭の中で空騒ぎを続ける倫理観なんていっそ殺し尽くした方がいい。

 もう二度とそんな馬鹿なことを言い出さないように。殺すことはいけないことかもしれないけど、理性が必要だと訴えれば何の躊躇いもなく実行できるように。

 たったそれだけで、僕の中に凝り固まっていた倫理観がどろりと融解する。

 迷ったりなんて、するもんか!


 虚空に漂う4本の槍の穂先をそれぞれ異なる狼に向ける。最初に感じた引き金の重さはもうどこにもない。

「貫け閃槍!」

 逃げようとした狼を、しかしそれ以上の速度で貫き地面に縫い付ける。余波で吹き飛んだ臓腑が赤い雨を降らせた。

 少し前なら卒倒しても不思議じゃないくらい血生臭い光景を前にしているのに、今はまるでなんでもないことのように落ち着いていられる。

 たった一つの決意だけでこんなにも変われるなんて自分でも驚きだったけど、おかげで支援としての役割を十全に果たせそうだ。

 まずは敵の観察から。数は多いけどこちらを警戒して迂闊には攻めて来ない。多分ハルトの威嚇が想像以上に効いているのだ。

 野生動物は怪我を極端に恐れる。足を痛めて走れなくなっただけで、草食動物なら天敵から逃れられなくなり、肉食動物なら獲物を狩れなくなる。行き着く先はどちらも死だ。

 狼が群れで獲物を襲うのはそうしたリスクを低減するため。

 それなら対策は簡単だ。とてもじゃないが手に負えない相手だと、勝ち目のない戦いだと分からせてやれば勝手に逃げ出すはず。


 楽観視するわけじゃないけど、この狼が僕達の手に負えないほど強いとは思えなかった。

 【ホーリーランス】は支援職の聖職者(プリースト)が使えるだけあって威力は低めに設定されている。

 多分中の下くらいだろうか。5本纏めて当てることで初めてそれなりのダメージになるのだ。

 それがたったの1本で呆気なく殺せてしまうとなれば、敵のレベルはゲーム換算で30もないだろう。

 序盤に出てくるモンスター程度であれば囲まれたところで脅威に値しない。

 問題があるとすれば、襲われているとはいえ命を殺す行為への忌避感だけだ。

 特にハルトの武器は剣による近接攻撃。魔法で間接的に殺せる僕と違って直接剣を振るう忌避感と抵抗感は想像に難くない。


 ただの高校生でしかなかった僕らに動物を殺した経験なんてあるはずもなかった。

 なにせ現代では殺すという行為そのものが完全に隔絶されている。

 生き物を殺さずともスーパーに行くだけで幾らでも肉が手に入るし、野良犬が暴れても保健所の職員が捕まえて人目につかない場所で処分してくれる。

 ペットを飼うのが面倒になって捨てる人達が山のようにいるくらいだ。

 自分の手を汚したくないから殺さずに捨てて後は知らん振り。全くもって反吐がでる。

 あらゆる作業が高度に細分化された社会では自分の認識できる範囲もごく限られてしまう。

 多様な商品が開発され、便利な生活を送れる反面、本来なら知っているべき、知っておくべき事柄に触れる機会を奪っているのかもしれない。


 ウッドゴーレムだってドロセラだって生きていることに変わりないのかもしれないけれど、やっぱり目の前の狼とは根本的に異なる。

 僕らと同じように血を流し、生きている動物を殺すのはハルトにとっても初めての経験に違いない。

 でもそれがどんなに苦しくとも、辛くとも、この世界で生き残るには必要な行為だ。

 今まで他の誰かが全部やってくれていたことを、この世界では自分達だけでやらなくてはならないから。

「一気に蹴散らせば逃げ出すと思う。ハルトは右をお願い」

 覚悟を決めてハルトに指示を飛ばした。

 せめてその忌避感が、抵抗感が、少しでも薄まるように、分かち合えるように、僕もインベントリから愛用の杖を取り出す。

「理を【貫け】」

 ハルトには先ほどかけた支援魔法の効果が残ってるからこれは自分用だ。

 ホーリーランスが再度使えるようになるまで見てるだけというわけにもいくまい。両手でしっかり柄を掴むと担当分である左方面に向けて駆け出した。


「はぁぁぁぁぁっ!」

 裂帛の気合と共に杖を振る。流石にStrもAgiも足りていないだけあって、大振りの初撃はいとも簡単に回避されてしまった。

 突然の攻勢に狼が色めき立つ。4匹で僕を囲い油断なく距離を詰め始めた。分かっていたことだけれど、警戒していたのはハルトだけらしい。

 何せこの身体は小さな女の子。狼が後ろ足で立ち上がれば身長すら負けてしまうかもしれない。体重で言えば完敗だ。

 先のホーリーランスは犬っころの脳みそで誰が何をしたのか理解できているかどうか。

 いや、理解できていないからこうも簡単に弱そうな獲物が一人で出てきたぜってことで囲んできたんだろうけど。


「カナタ!? 今そっちに!」

 形勢の不利を見て取ったハルトが背後で慌てた声を上げる。

「来ないで! 大丈夫、今度こそ僕一人で何とかするからっ」

 だけど今回ばかりは救援なんて必要ない。それを証明すべく、前方を這う狼の胴へ構えていた杖を渾身の力で突きこんだ。

 杖の先端には見るからに繊細なオブジェクトがついてるから殴るのは向いてないけど、柄の終端は地面に魔法陣を描けるよう頑丈で尖っている。

 思わぬ反撃に狼が跳躍した。だけどお生憎様。最初からそうくるのも想定済み。

 大振りと違って突きは攻撃範囲が狭い代わりにStrやAgiが初期値の僕でもそれなりに素早く繰り出せる。

 空中に跳ねて逃げ場を失くした瞬間であれば外す道理はない。


「っ!」

 突き立てられた杖の終端が肉を掻き分けながらずぶりと奥深くまで沈み込む。

 激しい痛みに背筋の凍るような鳴き声を上げながら狼が暴れ狂う。逃がしてなるものかと、突き刺さった杖に取りついて必死で体重をかけた。

 暴れる度にゆっくりと、しかし確実に肉を抉り続け、遂には骨を避けて身体を貫く。なのに狼は死の気配すら感じさせず、寧ろ死に物狂いで暴れまくる。

 ただの杖では的確に心臓や脳を初めとした急所を突かない限り殺しきれないのだ。そうこうしている内に囲んでいた狼が仲間を助けるべく飛び掛ってくる。

 振るわれた爪が、剥き出しの牙が、【守護(プロテクション)】の燐光に阻まれて弾かれた。

 予想外の現象に狼は再び警戒の色を見せて一度距離をとる。だけどこの守りだって永遠に続くわけじゃない。何度も攻撃を受ければ防壁は薄れ、鋭い牙や爪が僕の身体に食い込むだろう。

 そうなる前に手は打つ!


「【スターライト】」

 詠唱とも呼べない短い動作の後、【ホーリーランス】よりさらに弱い、もはや攻撃魔法と呼ぶべきかどうかすら疑わしい一撃が地面に縫い付けられた狼の鼻っ面を叩いた。

 ぎゃん、という悲鳴が上がる。大人が全力で殴る程度の威力とはよくいったものだ。

 その代わりこの魔法は【ホーリーランス】と違って再使用時間がゼロと言っていいくらい短い。逃がさないよう杖をしっかりと持ち直し、体重をかけたまま立て続けに魔法を連打した。

 びくんびくんと狼の身体が跳ね、回数を重ねるごとに手元から抵抗が薄れていく。

 一体何度魔法を使っただろうか。いつのまにか反応がなくなっている事に気付き調べてみれば、心臓は完全に動きを止め、口から血を吐いて死んでいた。

 死後硬直が始まる前に突き刺さっていた杖を無造作に抜く。勢いが良すぎたのかびちゃりと血が飛び散った。

 やっぱり生き物を殺すのは怖い。幾ら覚悟を決めたって何も感じずに居られるわけじゃない。きっと今の僕は感情の抜け落ちた無表情をしているに違いない。

 それでも、血に濡れた杖を再び狼に向けて構えた。ここで躊躇えば、弱気を見せれば、ハルトに示しがつかない。


「カナタ……」

「大丈夫、僕でも倒せるくらいには弱いみたいだから」

 背後からかけられた心配そうな声色に精一杯強がって見せる。

 あぁそうさ、結局は強がりさ。敵が弱いのは確かだけど、それ以上に僕の心の方が弱い。

 こんな真似を目の前にいる狼の数だけ続けなければならないとすれば、果たして終わる頃に僕は僕でいられるだろうか?

 早く撤退してくれればいいものを、仲間を殺されたことで気が立っているのか歯を剥き出しにして唸り声を上げている。

 こんな姿だからって舐め腐りやがって。この分じゃまだ終わりは見えそうにないか。

 次はどれにしよう。【守護(プロテクション)】を再展開してから周囲をぐるりと見渡し、目に付いた1匹に狙いを定め、さぁ来いと杖を構える。

 でも、僕がその狼に攻撃する機会は訪れなかった。


「悪い。しっかりするのは俺の方だったな」

 いつのまにかすぐ後ろにハルトが立っていた。担当は右だったはずなのにどうしてここへ、と問いかけるより早く身体を抱き寄せられる。

 突然の事態に混乱する僕を、まるで狼から守るように背後へと追いやった。

「後は任せろ」

 短い言葉と共に腰を屈め剣を脇へ。あたかも鞘に収めるような形で構える。

 ややの間を開けて呼吸を整える小さな音が止まった。刹那、溜めていた力を一息に解き放つ。

「切り裂けぇぇぇっ!」

 振り抜かれた刀身がごうと唸り、切り裂かれた大気が暴風となって吹き荒んだ。

 無数に生まれた風の刃は進路上に生えた草や樹を、立ち尽くす狼達を余すことなく薙ぎ払う。

 範囲外に立っている筈なのに、撒き散らされた余波は僕の服と髪をばたばたと暴れされるに留まらず、目を開けていられないほどの風圧で身体ごと揺さぶる。

 咄嗟に目を閉じたものの真っ暗な視界では身体のバランスも上手く取れず、仕方なしにすぐ傍に立っていたハルトの背中へしがみついた。


 やがて風も収まりどうにか目を開けられるようになった先には笑えるくらい様変わりした光景が広がっていて唖然とする。

 つい今しがたまで緑一色に染まっていた大地は扇状に抉り取られ黒い土の地肌を晒し、ところどころに生えた真新しい切り株は斬り飛ばされた大木の名残だろうか、更に奥に視線を向ければ随分と綺麗な断面を晒す幹が折り重なって山をなしているときた。

 これだけの破壊の痕跡がたった一振りの剣撃で生み出されたなど冗談にも程がある。

 目の前で唸り声を上げていた狼の姿なんて1匹も見当たらない。きっと、あの山の下敷きにでもなっているのだろう。

 辛うじて難を逃れた一派もこれ以上事を構えるつもりは失せたようで一声鳴いてから我先に逃走を始めていた。

 がさがさと草を掻き分けるような音が遠ざかると、近くにいた鳥や動物はとっくに逃げ出した後なのか、しんと静まりかえってしまう。

 ハルトにかかれば左右の分担なんて必要なかったってことか。それが少しばかり心苦しい。結局今回も助けられてしまったわけだ。


 お礼を言わなければと思い声を掛けるべく口を開く。

 しかし、先に感謝の言葉を投げかけてきたのはくるりと振り返ったハルトの方だった。

「さんきゅ」

「ふへ?」

 何の脈絡もなく乗せられた大きな手のひらが優しげな手つきで頭を撫でる心地よさに変な声が漏れた。

「あー、なんつうかさ、ゴーレムには何の気なしに斬りかかれたんだけど、狼相手だとどうにも躊躇っちまったんだ。頭ん中では分かってたつもりなのにな。いつか殺さなきゃいけない時も来るんだろうって。平気なつもりだったんだけどさ……つもりでしかなかった。本当はここに辿り着く前に、囲まれた時点で攻撃すべきだったんだ。なのに踏ん切りがつかなくて、このまま走れば逃げ切れるんじゃないかって甘えた。それだけじゃない。死体を見て動揺してるカナタにしっかりしろなんて言っておきながら、俺はまだ迷ってた。自分から殺したくなかったんだ。飛び掛ってきたのを撃退する形なら不可抗力だし仕方ないとか思ってた。何を暢気なって話だよな。そもそも何が仕方ないんだよ。それを決めるのは俺自身だってのに」


 最初は何をするだーと頭の上の手を払いのけるつもりでいたけど、長い長い告白を聞いているうちにそんな気はすっかり萎んでしまった。

 多分これは手慰みというか、気恥ずかしさを誤魔化す為の無意識な行動なんだろう。話の腰を降りたくもなかったので好きに遊ばせておく。それに、なんだかこうされると僕も落ち着くのだ。

「カナタが必死こいて殴りかかってるの見て思ったんだ、俺は一体何をしているんだろうって。戦闘向きじゃないカナタがあそこまでしてるのに、このまま飛び掛ってくるのを待ち続けるつもりかって。笑えるだろ、んな悠長なことしてる場合かよ。専守防衛なんてこの世界じゃ命が幾つあっても足りねえっつの。……分かっちゃいたんだ、最初から。ただ踏ん切りがつかなかったんだろうな。だけどやっと片付けられた気がする。だからなんつうか、もう大丈夫だ」

 最後にぽふぽふと軽く頭を叩いてからようやく手を離し、ぎこちない笑みを浮かべた。


 命のやり取りなんて知らない方が気楽に生きられる。だから現代社会では隔絶されたのかもしれない。

 でもそれは元の世界だけでしか通じない常識だ。

 昔の人が郷に入っては業に従えなんて諺を残したのは、自分達の常識や倫理観が絶対の物ではないと戒める為。

 文明が発達する前は交流できる範囲も限られていて、知らない土地から来た人達が知らない常識を持っているのは当たり前だった。

 元の世界では人に害を成す獣の大部分は生活圏から駆逐されて見かける事もなかったし、よしんば見つけたとしても自分で対処する必要もなかった。

 でもこの世界は危険な生き物だらけで、駆逐なんて進んでなくて、平気で人の生活圏にも現れて、だけど助けてくれる組織もなくて、だから自分で対処しなくちゃいけない。

 この世界で生きるのなら、常識や倫理観もこの世界に合わせる必要がある。ぶっちゃけてしまえばそれだけの話なんだろう。

 古い習慣や作法に倣うばかりで改めようともしないことを確か因循って言うんだっけ。

 それならきっと、僕等は因循の愚者(おろかもの)だった。

 今まで培ってきた全てが脆くも瓦解していくのは怖いけれど、愚か者のままで居たくないし居られない。

 だからハルトも僕もこの感覚を受け入れることにした。


「ちょっとしゃがんで」

「ここでか? 一体何のために?」

 長々と続いた告白に対し何かしらのリアクションを期待していたハルトが突拍子もないお願いに怪訝な表情を浮かべる。

「良いから良いから」

 わざと説明せずに裾を引っ張ってせかすと、なんだかよくわからない表情のままではあるが、言われたとおりに屈んでくれた。

 こうするとハルトの頭が丁度僕の胸くらいの位置にくるのだ。全くもって身長差が憎々しい。


「よく出来ました、いいこいいこ」

 幼子をあやす様な口調で、自分がされたみたいに優しく頭を撫でる。

「……これは一体何のつもりだ?」

 ぷるぷると震える唇は怒りか屈辱か。喜んではもらえなかったようだ。だけどそれを僕に聞くのは間違ってると思う。

「さぁ? 寧ろこっちが聞きたいくらい。ハルトがしてくれたのと同じことをすれば何か分かるかと思ったんだけど」

 なにせ最初に人の頭を撫でくさってくれたのはハルトの方ですし。これはそのおかえしみたいなもんだ。

 シリアスな雰囲気に耐えきれなかったのもある。変に思いつめて欲しくないのだ。覚悟なんて必要な時にだけあれば良い。残りは能天気に笑って過ごす方がいいじゃないか。

「あー……いや、あれはなんというか、丁度いいところに頭があったからつい」

 僕の言わんとすることがようやく理解できたようで目を泳がせる。


 まぁ、分からなくもないのだ。

 ハルトはこの姿の僕、要するにゲーム時代の『カナタ』にとって保護者に近い存在だった。

 誘ってくれたのも、遊び方のイロハについて教えてくれたのも、ネカマとしての振る舞いを正してくれたのも、ギルドに居場所を作ってくれたのも、全部ハルトだ。

 律儀な性格だし、誘ったからにはあれこれ面倒を見なければと思っていたに違いない。その感覚が今も抜けていないのだろう。

 この姿(アバター)はハルトにとって守るべき存在で、きっと無意識のうちに『保護者』であろうとしている。

 ゲームならそれでもよかった。ハルトも頼られることに抵抗を感じてなかったし、寧ろ積極的に世話を焼いてくれたくらいだ。

 でもここはゲームじゃない。現実の世界だ。

 僕の保護者である必要はないし、そんな風に思って欲しくもない。


「この際ちゃんと言っとくけど、見た目は変わっても中身は変わってないの。僕は男でハルトとも同い年なんだから変に女の子扱いすんなし!」

 びしりと指を突きつけながら男らしさの欠片もない声で高らかに宣言する。

「……すまん」

 ハルトにも自覚はあったのだろう。素直に頭を垂れた。

「だから一人で抱え込まずに僕を頼れ。悩みがあったら相談しろ。それがどんなにくだらないことでも、本気で悩んでるなら絶対笑ったりしない。勿論僕もハルトを頼る。時には変な相談だってするかもしれない。その時は助けてよね」

 ハルトのことだ。僕の保護者であろうとする限り、何かあっても迷惑なんてかけられないとか思い込んで一人で抱え込むに違いない。

 責任は一人で背負うものじゃなくてみんなで背負うものだ。遠慮なんてしないで全部打ち明けてくれた方が一緒に悩める分だけ解決も早いに決まってるし心の負担だって減る。

 ハルトが一人で思いつめて苦しむ姿なんて見たくない。

 何より、守られてばかりなんて一方的な関係、僕は断固として認めてやるもんか。僕等は今までずっと対等であり続けていたんだから。

 ハルトに苦労させられたことなんて幾らでもある。山ほどのトラブルに引っ張られたんだから当然だ。

 でもそれを心から迷惑だと思ったことはない。僕がハルトを頼ったように、ハルトも僕を頼ってくれたから。誰かから必要とされるのは存外に嬉しい事なのだ。


 虚をつかれた顔をしていたハルトは、しかしすぐにくしゃりと笑う。

 僕の言わんとしていた事をちゃんと理解してくれたようだ。

「……女の子のトイレってどうするんだっけって相談されたくらいだもんな」

「しょうがないじゃん、知らなかったんだから!」

 その証左に先の話を持ち出したのだけは頂けないけれど、僕に変な遠慮をしないようにするという遠回しな意思表示だとすれば上出来だ。

 全く、頼みもしないのに勝手に保護者の責任を負うなんてどうかしてる。

 僕がそんなに頼りなかった……と言われても仕方がない前科が大量にあった気がしなくもないけど全部水に流しておこう。

 ……あれ、もしかしてハルトが保護者ぶってたのって僕が初っ端から大ポカやらかしまくってたから?

 いや、だとしてもその責任からはこの瞬間に解放されたのだ。今はそのことを喜ぼうではないか。人間、過去にばかり囚われてはならないのである。たぶん、きっと。

 変に追及されても嫌だしここはさくっと話題を変えておこうか。そういえば1個気になってたことがあったし。


「というかハルトのアドバイス通りで問題なくできたってことは、もしかして最初から女の子がどうすればいいのか知ってたんじゃないの? ま、まさかハルの……」

「見てねぇよ! 妹のそんなシーンに興味なんてこれっぽっちもねぇよ!」

「ま、まさか学校で覗き……」

「んなわけあるかッ! お前は俺を何だと思ってるの!? 流石の俺もしまいにゃキレるぞ!」

「えー、じゃあその知識はどこから……」

「あぁもうくそが! エロ漫画だよ! 悪いか! 俺だって健全な青少年なんだから一冊や二冊くらい持ってるわ!」

「薄い本がダンボールいっぱいまで詰まってたのに一冊や二冊はちょっと控えめすぎませんかね?」

「それに関してはもう忘れてください!」


 良かった。人の死を目にした後でも、生き物をこの手で殺した後でも、こんな風に馬鹿話で笑い合ったりできるんだ。

 精神が昂ぶったままで若干ハイになってるせいかもしれないけど、からからとひとしきり笑ってから、さてと雰囲気を切り替える。

「埋葬、してあげようか」

 このまま放置したのでは森に住む動物や蟲にとって格好の獲物になるだろう。

 同じ人間がそんな末路を辿るのは耐えがたかった。

「んじゃ、穴掘ってくるわ」

 スコップはなくても剣とスキルはある。何度か地面に叩きつける系の大技を打ち込むだけで埋葬に足る穴くらいは作れるだろう。

 そっちはハルトに任せて、僕は覚悟を決めると死体に近寄る。

 埋葬はきちんとします。だからその対価として僕等の未来の為に身体を使わせてください。

 倫理観は理性が殺した。これからすることは、今度の為にしっておかなければならないことで、必要なことだから。


 まずは青年の外傷をざっと確認する。分かっていたけど酷い有様だった。

 両腕と片方の目玉は食べられたのか持ち去られたのか行方不明で、臓腑を食われたお腹にはぽっかりと穴が開いている。

 身体中の血液が流れ出たんじゃないかってくらい夥しい量の血溜まりからは錆びた鉄の生臭さが立ちこめて何度も咽せては目尻に涙を浮かべた。

 それでも手を組んで目を閉じる。どうかこの人達が安らぎのある場所へと辿り付けますように。

 今の僕はいっぱしの司祭(プリースト)だから、神様も少しくらいなら願いを聞いてくれるかもしれない。

 お祈りは済ませた。だから今度は少しだけ僕の用事に付き合ってください。


「【ヒール】」

 死んだ青年に幾度か回復魔法をかける。

 柔らかな光が死体を包むも変化はない。お腹に開いた穴も、欠損した腕も、ぽっかりと開いた眼窩も、決して元に戻ることはなかった。

 死んでしまった人間に回復魔法は効果がないのだろう。回復のメカニズムは分からないけど、人が持つ新陳代謝に働きかけているのだとすれば頷ける。

 本当は腕がなくなっても回復魔法で生やせるのか検証したかったのだけれど、効果がないのでは諦めるしかない。

「【リザレクティア】」

 次に蘇生系の魔法を試みる。だけどこの魔法は発動すらしてくれなかった。

 ……そんな予感はしていたのだ。死んだ人間は生き返らない。この魔法はゲームを成立させる為の紛い物に過ぎないと。

 もしかしたらプレイヤーには効果があるのかもしれないけど、試す機会は訪れて欲しくなかった。


 青年へ一通り魔法を試し、その全てに効果がないと分かると、今度は隣に倒れる壮年の男性に向かう。

 見るからに筋張っていて美味しくなさそうに見えたのか、首から血を流した形跡はあるものの、食べられたわけではなさそうだ。

 安らかに逝けたならいいのだけどと思いつつ【ヒール】を使う。

 青年の傷が治らなかったのが本当に死体だったからなのか、それとも単に治せないくらい深すぎるからなのかを検証するためだ。

 淡い光が壮年の男性の身体を包みこむ様を大して期待もせずに眺める。

 やがて光が収まったのを見計らってから傷の具合を確かめようと顔を近づけた瞬間、目の前で腕がぴくりと動いて腰を抜かしそうになった。

「ひぃぃぃっ!」

 血溜まりの中にへたりこむという最悪の事態を避けられた代わりになんとも情けない悲鳴を上げる。

 すわゾンビか、生きる屍として現代にリボーンしやがったのか、噛まれる前にその綺麗な顔を吹き飛ばしてやるぜとばかりに【ホーリーランス】の詠唱を始めようかと思ったくらいだ。

 壮年の男性が苦しそうに咳き込んだりせず、無言のまま半身を起こしていたなら本気で実行して今度こそ永眠させていたかもしれない。

息を吹き返した商人さんに案内された辺境の街クーイルにはアキツさん達ギルドメンバーが揃っていた。

無事に再開できたことを喜ぶものの皆の顔はどこか暗い。

話を聞いてみるとゲームの世界には貨幣と言う概念がなかったせいか、生活に必要なお金を1コルトも持っていないのだという。

生きていくにはお金が必要で、お金を稼ぐには仕事をしなければならない。

どうやらクーイルの街は最近現れた狼に悩まされているらしい。

力になれるのではないかと商人さんに仲介を頼んだところ、街の商会は狼を退治してくれるなら喜んで寝る場所も食べる物も提供すると申し出てくれたのだけれど……。


第二話-辺境の街と夢幻の覇者-

書きあがり次第毎日投稿予定です。

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