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World's End Online Another -僕がネカマになった訳-  作者: yuki
第二章-境界の彼方、幻想の世界-
26/43

亡者の森と因循の愚者-6-

 森の中を進むと野生動物の物と思しき痕跡が腐るほど沢山転がっていた。一部は比喩なしに本気で腐ってたけども。

 暇を持て余した人間と違って動物が森林浴したさに訪れているとは思えないし、というか思いたくないし、普通に考えてこれだけの動物が集まって生きていけるだけの豊富な食料に恵まれているのだろう。

 この分なら食事の心配はしなくて良さそうなんて思っていると、不意に微かな異臭を感じた。

「まただ。多分この辺からだと思う」

 この身体が鋭敏なのは皮膚感覚だけではないらしい。

 卵が腐ったような不快な臭いに顔を顰めつつも足元を見渡す。探し物はすぐに見つかった。地面と似た茶褐色の物体には大小さまざまな虫がたかっている。

 動物の痕跡の一つ。いわゆる「あれ」だ。端的に言えば排泄物である。それも大きい方の。

「じゃ、次はハルトの番ね」

 臭いが届かない場所まで下がりながら告げると、ハルトは心底嫌そうな表情を浮かべながら近くに落ちていた枯れ枝を拾い、「あれ」に突き立ててぐちゃぐちゃと掻き混ぜ広げていく。

 今回はまだ新しいのか分解が進んでおらず今までの物より強烈な臭気を発しているらしい。遠目から見てもちょっと涙目になっていた。


 別に罰ゲームを受けさせてる訳じゃない。今までも同じような痕跡を見つける度に交代しつつ調べてきた。

 動物のいわゆる「あれ」は何かを食べた結果で、言い替えれば無事に消化できた物の残りカスと言える。

 要するに動物が食べていたなら僕等が食べても大丈夫だろうというやや強引な理論のもと『安全な食べ物』の判断材料に利用してるわけだ。

 消化の出来ない種や蔓はそのままの形で排出されるので食べた物の大きさや形を推測する情報源になるし、運良く消化しきれなかった木の実の一部でも見つかれば色や外見まで判明するかもしれない。

 逆に下痢や嘔吐らしき水っぽい痕跡に含まれる食べ物は毒性を持つ可能性が高いので口にしてはいけなかったりする。

 ただこの判別方法なら絶対に大丈夫かって聞かれてもそうとはいえない。

 例えばコアラの食べるユーカリの葉は人間にとって毒だ。コアラが無事でいられるのは内臓に毒素を分解する酵素を持っているからで、人間にはないコアラだけの特権と言える。

 極端な話、この森のあらゆる植物には毒があるけど、長い進化の過程で毒を分解できる種族だけが生き残って今に至る……なんて可能性もゼロじゃない。


「うぇっぷ……。とりあえず終わったよ。今回は実の部分が少し残ってたから間違いないと思うぞ」

 吐き気を抑えながら戻ってきたハルトへお疲れ様の代わりに【浄化(ピュリファイ)】を使う。

 どうやらこの魔法は空間そのものを浄化することで臭いを消す効果まであるらしい。それに気付いてからは消臭剤としても重宝していた。

「じゃあやっぱりこれかぁ」

 道中で見つけた食べられそうな木の実は纏めてインベントリに保存してある。

 その中から件の木の実を取り出すと手のひらの上で転がしてみた。


 大きさはピンポン玉くらいの楕円形。薄い表皮は全体が淡いオレンジ色、柔らかな果肉は白桃色で瑞々しく、中央には小さな種が一つだけ埋まっている。

 仄かに漂う甘い香りが食欲をそそる、見るからにザ・無難な果物タイプの果実だ。

 多分大丈夫だと本能が告げている。理性も理論的に問題ないと後押しする。だけど感情だけがもしもの可能性を警告して最後の一線を踏み出せずにいた。

 これだけ歩けばお腹も減る。じきに陽が暮れれば野営の準備に入らなければならない。火を起こしたり寝床を確保したりと重労働はまだまだ続くだろう。

 食べなければいずれ倒れるのだとすれば、今倒れても結果は同じだ。

 覚悟を決めて小さな口を開けた瞬間。

「もーらいっと」

 しっかりと掴んだ果実をハルトが掠め取り、躊躇いもせず口へ放り込んでしまった。


「ちょ!?」

 もぐもぐと咀嚼してから種だけを器用にペッと吐きだす。

「何つー顔してんだ。鳥やら動物やらが食べまくってるんだから俺達に食えない訳ないだろ?」

 大胆と言うかなんというか。本当にこれで良いのか、何か見落としがあるんじゃないかって延々疑ってしまう僕と違い、自分を信じたら疑わずに突き進めるハルトの性格は清々しくてちょっと眩しい。

「で、その心は?」

「食べられそうな果物が色々獲れたのに全部お預け食らって余計に腹が減った、後悔はしていない!」

 つまりはいい加減食べられるか調査するのにも飽きたってとこか。

「食欲に負けたわけですね、分かります」

「何とでも言え。つーか普通に美味いぞこれ。甘さは控え目だけど桃に近い食感だな」

 言ってる傍から自分のインベントリに詰まっている果実を取り出して皮も剥かずに頬張っていく。

「まぁ良いけど、食べるのはそれだけにしてね。他の果実はもうちょっと調査してからかな」

 呆れ半分、感謝半分。おかげで僕も踏ん切りがついた。

 今のところ毒らしき症状もなさそうだし、なにより目の前で貪りつく姿に感化されたのか急にお腹の減りを感じて僕もインベントリから果実を取り出した。


「それじゃ、頂きま……」

「ちょっと待った」

 ところがいざ頬張ろうとした途端、既に3つ目を食べ終えたハルトによって僕の手から果実が強奪される。

 何をするんだと抗議の視線を向ければ、なんとも神妙な顔が待ち構えていた。

 ハルトが真面目な時って割とちゃんとした考えがあったりする。なんか、嫌な予感しかしないんですけど。

「カナタが色々と調べてるのは最大限の安全を確保したいからだろ?」

 ハルトにしては珍しい迂遠な質問の仕方だった。

 外堀から埋めにかかってると言えばいいのか、自分の意見を通したい時に限ってこんな風に話す癖がある。

「まぁそうだけど、それと手癖の悪さに何の関係が?」

 胡乱げな瞳で問いかけると、急に眉をひそめた。


「良く考えろ、俺が食べたからって毒が入ってない保証にはならないだろ? もしかしたら効果が出るのに時間が掛かってるだけかもしれない」

 まぁ、確かに、考えられなくもない可能性だ。あのキノコが衝撃的過ぎたせいで忘れがちだったけど、本来毒っていうのは効果が現れるまでに数時間掛かっても不思議じゃない。

「……だから?」

「俺が毒見をする。Vitにそこそこ振ってたから毒耐性を考えると出来る限り量を食べておくべきだな。それで明日になっても俺の調子がおかしくなってなければカナタも食べて大丈夫なんじゃないか?」

「つまり、僕の食事は明日までお預けって言いたいわけ?」

「俺だってカナタに腹を空かせたまま一夜を過ごさせるなんて心苦しい。だけど、もし何かあった時に回復できるのはお前だけだ。同時に倒れでもしたらそれこそ一大事だろ」

 慌てたのは僕の方だった。なんてこったい、正論過ぎてつけ入る隙が見当たらない。

 確かに1日くらいなら何も食べずとも我慢できるし、現実的な妥協ラインかも知れないけれど、だからって目の前で美味しそうに食べる姿をただ眺めるだけというのはどんな拷問だ。

 もしかして、いや、もしかしなくとも、道中で何度も聞かされた『これなら食べられるだろ』ってハルトの主張をことごとく却下したのを根に持ってたり?

 いやいや、でもあれはハルトの身を心配したからであって……。

 そう思った瞬間、ハルトは表情を変えることなくこう言った。

「俺もカナタの身が心配なんだよ」

「……はい」

 くそ、こいつ本気で僕の心配してやがる。

 嫌味かと疑った僕が汚いものに思えて、魂の抜ける音と共に小さく頷くしかなかった。



 それから1時間もしない内に空が薄暗く変わり始める。ダンジョンより密度が薄くなったとはいえここも森の中。陽が沈み始めれば真っ暗になるのは時間の問題だろう。

 生憎と雨風を凌げそうな穴倉や岩穴は見つけられなかった。

 オレンジ色に染まりつつある空に雨雲らしき影は見当たらない。今夜は降られない事を祈るしかないか。

「せめてMAP機能が生きてればどれくらい進んだのかわかるのにね……」

「現実的に考えてステータスや地図がウィンドウに浮かび上がる世界なんてあるわけないって事だな。どうせならRPG的なゲーム世界にしてくれりゃ良かったのに」

 都合の良い願望に思わず吹き出す。ここはゲームじゃない。ただの、どこにでもある現実の世界だって認識はもうすっかり定着していた。


「アキツさん達は大丈夫かなぁ」

 アキツさんとサスケさんはともかく、豚さん、回復庫さん、ギルバードさんの3人は僕が狩りに行こうと言い出したのがきっかけでサスケさんが声を掛けてくれたのだ。

 僕等と同じようにこの世界へ転移していたなら、きっと混乱したことだろう。そして絶望したことだろう。

 本音を言えば街に戻るのは少し怖い。こんな世界に呼び込んだ責任が僕にあると責められれば否定できないから。

 でも何より、その責任をその場にいない僕ではなく、一緒に転移したサスケさんにぶつけてはいないだろうかと心配になる。

 心がぐちゃぐちゃになって自制が効かずに思ってもないことを口走ってしまう時もある。

 あの時の僕みたいに口を滑らせて仲違いをしてやいないだろうか。


「大丈夫、少なくともダンジョン内から始まった俺らよりはイージーモードだろうさ。まだ街だったんだろ?」

「うん……。でもクーイルの街は過疎だし」

 辺境の街クーイル。僕等が待ち合わせに使った街の別称だ。名前の通り、ワールドマップではかなり隅っこに配置されている小さな街……いや、村といえる規模かもしれない。

 割のいいクエストがあるわけでもなく、美味しい料理があるわけでもなく、景観は平原と森林が広がっているだけで味気なさが目立つ。

 とにかく人がいない過疎マップとして有名で、よく使う僕ですら必要最低限の施設しか用意されていない狭い街なのに他のプレイヤーとすれ違った記憶が殆どないくらいだ。

 原因は近場にある唯一のダンジョンで、さっきまで僕らが彷徨っていた【亡者の密林】にある。

 ここは前衛と支援のペア狩りを想定している狩場なのだ。

 適正レベルのプレイヤーがソロで挑むには難し過ぎるけど、3人以上のPTを組むならもっと美味しい狩場が幾らでもある。

 支援職の人数が絶対的に足りていないこのゲームで支援とのペア狩りなんてものが流行る筈もない。

 明らかな設計ミスじゃなかろうかとおもう反面、毎日貸切という天国を味わえていた。要するにプレイヤーから忘れられた穴場ダンジョンだったのだ。僕らからすれば。


「そういやNPCの扱いってどうなんだろうな。街にアキツ達だけとかそれはそれで怖いぞ」

「んー、モンスターは居たんだし、本物の人間として存在してるとか?」

「こっちの現地人って可能性か。なんか事情知ってれば助かるんだが」

「期待薄そうだけどねぇ。ま、あれこれ妄想しても僕等が街に辿りつけないんじゃ意味ないわけだけども。……あ、ここにしよっか」

 既に足元が見えにくくなりつつなる中、やっと見つけた、木々の密集していない開けた空間を指差す。

 完全に暗くなってしまえば野営の準備すらままないので今日の探索はここまで。


「おっけ、ちょっと離れてな」

 まずはハルトが【ヘヴンズフォール】で地面を巻き上げ、延焼しかねない草花を一気に撤去。

 続いてハルトが手頃な木を切り倒し、いい感じに転がして椅子に見立てる。

 最後にハルトが有り余るStrとAgiを活用し、枯れ木と凹ませた枯れ板を擦り合わせて原始的な火種を作れば完了だ。

 本当なら紐と弓を使った道具で効率的に擦らないとまず火種になんてならないんだけど、規格外のStrのおかげで苦労知らず。

 元の世界なら考えられないくらい手荒な手段の連発でいとも簡単に野営スポットが出来上がってしまった。


「あれ、なんか俺しか働いてなくね?」

「気のせい気のせい。僕だってちゃんと枯葉や小さめの枝を集めて来たでしょ?」

 まぁそこら辺に幾らでも転がってるんですけどね。離れた場所でがんばれーとしか言ってませんでしたけどね。

「というか、外観年齢14、5歳のか弱い女の子に王室騎士様が力仕事をさせるつもり?」

 元の身体に比べて身長は大きく縮んだ。今は140後半か、良くて150前半じゃなかろうか。少なくとも160は絶対にない。

 筋骨隆々だったなんて言うつもりはないけど、二の腕もここまでふにょふにょのやわやわではなかったし、全体的に筋力は落ち込んでしまっている。

「そういやそうだったな。すまん、力仕事は任せとけ」

 ハルトはしげしげと僕の身体を眺めてから得心が言ったようで寧ろ励まされてしまった。

 予想外の素直な切り返しに自分で言っておきながらどでかいダメージを受ける。

「納得すんなし! 好きでこんな姿になったわけじゃないし!」


 せめて少しでも良い所を見せなければと意気込みを新たに火種の上へ一枚の枯葉を載せた。

 消さないよう細心の注意を払いつつ息を吹き込み枯葉へと火を移していく。

 じわりじわりと赤みが増し、ついには葉全体がごうと燃え上がった。ここまでくれば後は纏まった枯葉を投入しつつ、細い枝から太い枝に火を移していけばいい。

 数分後にはそれっぽい形の焚火ができあった。水は貴重なので火消し代わりの土を盛ったら準備完了である。

「せめて鍋とかコップとかあればねぇ」

 試しに空っぽのポーション瓶を火にかけてみたけれど、耐熱製品ではないのかピシリと罅が入ってしまった。

 火があるのに暖かい物を食べられないなんて。といっても、明日まで何も食べられない制約があるんだけど。

 目の前で例の果物を美味しそうに頬張るハルトが本気で疎ましく思えてきた。毒見とか言ってたけど実際楽しんでませんかね。


 早く食べろと控え目な抗議の声を上げ続けるお腹をさする。1日だけ、寝て起きるまでの辛抱だ。

 それでも何か口に含みたくて、インベントリから残り半分のポーションを取り出し一気に煽る。

 今さらだけど水分を摂る事すら忘れていた。思い出したように乾いた身体がもっとよこせと要求する。

 思わずハルトに視線を向けるとその手には既にポーションが握られていた。

「ほら、水だけはちゃんと取っとけ」

 実に察しの良い事で。これで残りは26本か。

 脱水症は怖い。たった10%の水分が失われただけで人は動けなくなるし、場合によっては命さえ落とす。

「ありがと」

 受け取ってから遠慮なく口を付けた。何事もなければ明日から果物でも水分を補える。飲料としてのポーションの価値は薄まっていた。


 陽が暮れてしまえば他にできる事なんて何もない。

 柔らかな炎の温もりに包まれていると1日の疲れが一気に噴き出してきたらしく、口数は次第に減り舟を漕ぐようになった。

「まず俺が火の番をするからカナタは先に寝な。交代は……そうだな、この太い薪が燃え尽きたら起こすよ」

 抜け目ないと言うべきか、ハルトは倒したウッドゴーレムの身体をこんな時のために全て回収していたらしい。

 腕の一部だった薪は火力も燃費も良さそうだ。6時間くらいは燃え続けるかもしれない。今が6時くらいだとすれば丁度いいか。

「うん、ごめん。先に休むね」

 インベントリの中に休憩用のシートを入れていたのは僥倖だった。

 元々はリアさんから『女の子たるものダンジョンで休憩する時に地べたへ座るなんてダメ』とお説教されて渋々買ったものだ。

 船の素材としても使われるセイルと呼ばれる大きな布で、大きく頑丈なうえに防水処理まで施してあるから何かと応用が利くのでいつのまにか常日頃から持ち歩くようになってしまった。

 本当にリアさん様々である。

 座ったまま寝るのと横になって寝るのでは疲労の回復度合いも違う。

 燃え移らない程度に離れた場所へ集めた枯葉を敷き詰め、その上に4つ折にしたセイルを敷けば寝床の完成だ。

 折り目に入って包まれば寒さに悩まされることもないだろう。

 あとは横になって休むつもりだったのだけど、不意に尿意を感じた。


 分かっていた事だけど、この世界が現実である以上、お腹も空けばトイレにも行きたくなる。

 考えてみればこの世界に来てからまだ一度も出していないし、さっきポーションを飲み干したんだから出したくなっても不思議はないか。

「ちょっとトイレ行ってくるね」

 一言断ってから立ち上がる。

「お、おう。……頑張れよ」

 ハルトの妙な反応に寝ぼけた頭が何を頑張るんだよと突っ込みを入れたけれど、言葉にするのも億劫で何も言わずに暗がりへ向かった。

 適当な茂みを見繕ってから普段通りチャックを開けようと手を伸ばす。やたらひらひらとしたスカートが揺れるばかりで掴みどころがない。

 あぁ、そういえば今はクラルスリアのドレス姿なんだっけ。面倒だなと思いながらスカートの裾をたくし上げ下着に触れた。

 今さら気づいたけど女性用のは窓がないのか。仕方なく半分だけずり降ろして生えている物を掴もうと手で探る。

 けれど、どこをどう探してもつるりとした地肌を撫でるばかりで目的のものが見当たらない。

 ……あれ、どこいった? 見つからないなんてそんな馬鹿な。大事な身体の一部なのになくなる筈が……あったんだっけ、そういえば。

「あぁぁぁぁぁぁ!?」

 今更になって自分の身体に何があったかを思い出す。いや、アバターの身体になったのは分かってたけども! まさか本当になくなってるとか思わないし!?

 使おうと意識したものがなくなっていたことでようやく自分の身体の変化を理解し、少なくない喪失感に苛まれる。


「どうした!? なにがあった!」

 尋常ならざる僕の叫び声にハルトが剣を担いで駆け寄って来た。手に持った松明で周囲を油断なく照らしながらモンスターの襲来を警戒する。

 そうか、あの時の『頑張れよ』はそういう意味かと今さらになって理解した。頑張れるかこんなもん!

「ナニがないんだよ!」

「は?」

 僕の叫びに、しかしハルトは何を言ってるんだと首を傾げる。上手い事言ってのけたのに全然伝わっていない。

 というか僕は動揺しすぎだった。冷静さを取り戻すにつれて何を口走っているんだろうかと頭を抱えたくなるが今はそれどころじゃない。


 事態は急を要しているのである。さっきもうすぐ出せると思い力を緩めたのが災いして尿意がやばいのだ。

 男の時なら出し始めてからでも一時停止なんて芸当ができたのに、この身体では琴線を超えようものなら途中で止められる気がしない。

 何より力を抜いてから出そうになるまでの距離と言うか時間があまりにも短すぎやしませんか。

 今にも漏れだしそうな気配をスカートの上からぎゅっと押さえ込む事でどうにか堪える。必死になって閉じた足は微かに震えていた。

 限界が近い。この歳でお漏らし……なんてフレーズが頭を過って涙が出そうになる。水場もないのに漏らしてたまるもんか!

「助けて。トイレの仕方ってどうすればいいの」

 この際だ。恥も外聞もかなぐり捨ててハルトに懇願する。

「いや、知るわけないだろ」

 しかし返ってきたのは予想だにしなかった冷たい言葉だった。

「なんで!?」

「なんでって……当たり前だろう! 俺が妹のトイレを覗き見る変態だとでも!? 興味ねぇよ!」

 言われてみれば尤もな反応かもしれないけど、今の僕にとってはそんなの関係ない。関係あってたまるか。


「……っ。やばいの、本気で限界なの」

 こうしている間にも刻一刻と尖端が降り続けている気がして焦りばかりが募る。もはや一刻の猶予もなかった。

「お願いだから、助けて」

 他に頼る人もいないのだ。ぐすんと涙腺が緩む。本気で泣き出したい気分だった。

「だぁぁぁぁもう!」

 そんな僕を見てハルトが頭を掻き毟りながら絶叫を迸らせる。

「とりあえずパンツ脱いで足開いたまましゃがめば出せるだろ! スカート汚さないようしっかり持って出てくる穴の辺りを指でちょっと押し開け! 濡らすと洗うまで不快な臭いが消えないだろうから気をつけろよ!」

 やけくそじみたハルトの叫びが今の僕にとっては天啓だった。言われるがままにゆっくりと立ち上がり、スカートの中に手を差し伸べて下着を脱ぎ去る。

 ひんやりとした夜の空気が地肌を撫でると限界はもうすぐそこに迫っていた。

 だけどこっちも後はスカートをたくしあげてしゃがむだけ……なのに長すぎる外套が上手く纏まってくれない。前だけ開いてるから大丈夫かもしれないけど、水がなければ洗えないし絶対に濡らしたくなんてない。

「お、俺は戻ってるからな、頑張れよ」

「ちょっと待て!」

 薄情にも踵を返そうとしていたハルトの裾を掴み取る。人が大変な思いをしてるのに逃がしてなるものか。今は猫の手でも借りたいってのに。

「外套が腰のリボンで留められてるから外して。それさえ脱げればしゃがめそうなの!」

 矢継ぎ早に要請するも突然の事態に動揺しているらしく全然動いてくれない。戦闘ならてきぱき動く癖になんて暢気な。

「早くっ」

 急かしつけるとようやく手を伸ばし、背中で結ばれたリボンの端をぐいっと引っ張った。

「んぅっ」

 途端にお腹が圧迫され変な声が漏れる。漏れたのが声だけで本当に良かった。

「もっと優しく……」

 もはや大声すら崩壊のきっかけになりかない。囁くような声音では届かなかったのか反応はなかった。

 しかしそのおかげで結び目が解け、腰をぐるりと巻きつけることで外套を留める帯の役割をしていたリボンがふわりと緩まる。

 急いで脱ぐと傍らに立つハルトに纏めて押し付けてから足を大胆に開く。言われたとおりにアタリをつけた場所へ手を伸ばし、腰を屈めたところで我慢の限界が訪れた。


「ふぁ……」

 限界まで抑圧された後の解放感はある種の恍惚感をもたらし、押さえ切れなかった声が喉から漏れる。

 男の時よりもずっと身体に近い場所から生暖かい液体が流れ出ていく感覚に戸惑いと気恥ずかしさを感じながら水音を響かせること十数秒。

 お腹を苦しめる圧迫感が抜け落ちるにつれ頭も冷え始め冷静さを取り戻しつつあるが、精神の方はこの数分の間に何度も打ちのめされ再起不能に陥っていた。

「はぁ」

 心の底から憂鬱でガチガチに固まった重苦しい溜息を吐き出す。

 松明に弱々しく照らされたそこは本当に何もなくてつるりと曲線を描いていた。まさか女体の神秘とやらを自分の身体で確かめる羽目になるなんて。

 もういい、いいんだ。早く戻って寝てしまおう。全部忘れるんだと思考を放棄して逃げに走る。

 とりあえず服を着なおさなければと思い立ち上がろうとしたところで夜風が吹き抜け、今更になってそこが濡れていることに気付いた。

 どうして濡れているかなんて考えるまでもなく、憂鬱の度合いがさらに深まる。


 拭くものを探して辺りを見回すも、ここは大自然の只中。トイレットペーパーなんてあるはずもない。

 暫く悩んでいるとインベントリにしまってあるハンカチの存在に思い至り、裏面まで沁みないよう畳んでままの状態でそっと押し当てる。

 汚れちまった悲しみに、いっそ投げ捨てられればどんなに気が晴れたことか。悲しいことに拭えるような布はもうこれしか持っていないのだ。

 これからもトイレの度に必要だけど洗う為の水すらない。かといってこの状態のままインベントリにしまうのも躊躇われる。

 結局思いついたのは空になったポーション瓶に押し込んだ上で栓をするという、妥協に妥協を重ねたプランだった。

 男の時は出すだけ出したらしまうだけで良かったのに。トイレットペーパーが必要なのは大の時だけだったのに。どうにもならない不満を漏らす。

 慣れない身体とはいえトイレひとつでここまで苦労する羽目になるなんて思わなかった。

 そもそもこの格好はあまりに無防備じゃなかろうか。

 トイレの度に野外で下半身を晒さねばならないと気付いた途端、今はただ男の簡潔さが懐かしく、隣で顔を背けるハルトがひたすらに妬ましかった。


「持っててくれてありがと」

「次は一人でどうにかしてくれ……。あとなんか怒ってね?」

 くそ、感の鋭い奴め。ただの八つ当たりだよ!

 一纏めにした衣服を受け取った後、一度インベントリに詰め込んでから下着、外套、リボンの順に取り出し手早く身に着けていく。

 最後のリボンで留めるところだけはどうしても自分ひとりだと上手くいかなくて見兼ねたハルトが手伝ってくれた。

 なんでも毎年お祭りの季節にハルの浴衣の着付けを手伝っていたら自然と出来るようになったらしい。構造さえ分かれば再現するのはそう難しくないのだそうだ。


「出来たぞ」

「おぉ、元通りだ……」

 最悪外套は使わないで済ませるって手もなくはないけど、前方以外からの視線をブロックする為の物だと言われていた通り、身に付けないといかにも無防備な作りなので助かった。

 短いスカートで森の中を歩けば生傷だって絶えないだろうし。何よりあの姿で人前に出るのは小っ恥ずかしい。

 スカートの裾に気を払いながら行動するのって思った以上に面倒なのだ。ネカマ歴半年の僕に、生まれた時から修練を続けている女性と同じレベルの女子力を期待されても困る。

 具合を確かめる為に背後へ視線を回すと見慣れてしまった可愛らしい結び目までもが完璧に再現されていた。

「やっぱり背中は蝶結びなのね……」

 普通の蝶結びと違い輪の部分が左右2対ずつ、蝶の翼のように広げられている珍しいものなので再現は出来ないんじゃないかと期待していたんだけども。

 慣れているというだけあって結び方を知っていたようだ。


「普通の結び方だとリボンが長すぎて余るんだよ。多分、凝った結び方で飾り付けられるようにって配慮だろ。これ以外にも結び方はあるけど大体派手になるぞ」

 ぐぬぬ、リディアさんは元々着飾らせる為に作ってたわけだし仕方ないか。あれ、でもこの世界なら装備品の二次改変禁止なんてシステムもないだろうし、リボンだけ短く切れるんじゃ?

 これは妙案とばかりにハルトへ伝えるも、帰ってきたのは納得したくない現実を目の当たりにしたかのような渋い表情だった。

「そう言うだろうと思ってちょっと試したんだけどな。俺の剣じゃ傷一つ付けられずに終わった。どんだけ高位の素材使ってんだか、いっそスキル攻撃でもぶちかましてみるか?」

「絶対綺麗に切れないよね、それ……」

 派手なスキルに繊細な制御なんて必要ないし、爆風でばらばらに千切れるか、使い物にならないくらいぼろぼろになる未来しか見えない。

 それに、万が一スキル攻撃でも傷一つ付かなかったら今度はハルトの王室騎士としてのプライドの方が折れそうだし。

「他に何か方法があったりは……」

「胴をもう何週か余分に巻いてもいいけどかなり脱ぎ辛くなるだろうな。それでいいなら直すけどどうする?」

「うーん、脱ぎ辛いのはちょっと。それならこのままでいいや」

 ついさっき脱げなくてパニくってた身からすれば外見より実利を優先するのは当然である。


「なら先に戻ってな。俺もしてから戻る」

 どうやらハルトもついでにトイレを済ませるつもりらしい。

 野営をすると決めた時点で邪魔な鎧は脱いであるから、今は麻のシャツにズボンという極めてラフな格好だ。

 当然何の苦労もなくズボンからモノを出すと鼻歌交じりに出し始めた。

 準備完了までの所要時間は僅か3秒足らず。神様、これはちょっと不公平すぎやしませんかね。

「ねぇハルト」

「ん? どうかしたのか?」

 背後から声をかけると水音を響かせながらも器用に顔だけをこちらに向ける。

「他人のを奪う方法とかないのかなーって思って。例えばポータルゲートを局所指定して転移させるとか……」

「恐ろしいことをさらっとぬかすな!」

「ふふん、毎日ちゃんとあるかを確かめることだね」

 悔しさから思い付きを口にすると意味ありげな笑みを浮かべる。あとは何か喚きたてるハルトに背を向けて歩き出した。


 まぁ、流石に他人のが欲しいとまでは思えないけど。

 自分のを取り戻す方法があればいいなぁなんて思いながら焚き火の傍まで戻り、セイルの上に身体を転がしふと空を見上げる。

「わぁぁ」

 そこには信じられないくらい沢山の星が瞬いていた。

 大きい光、小さい光、明滅する光、青、赤、黄色、緑。とにかくバリエーションが豊富で、色とりどりの宝石をぶちまけたらこんな感じになるのかもしれない。

 手を伸ばせば届くんじゃないか。そんな気がしてそっと手を伸ばしてみる。当たり前だけど届く筈がなかった。


「……その手は一体ナニをもぎ取ろうとしていらっしゃるんで?」

 丁度戻ってきたハルトが何か勘違いしたらしい。視線をずらすと若干引き気味に手で大事な部分を隠している姿は何とも情けなかった。

 普通ならそんなことありえないけれど、ここではありえないことだって起こり得る。もしかしたらなんて想像を膨らましているのかもしれない。

「違うから。空に届きそうだなって」

 苦笑しながら視線を上げると、つられてハルトも上を見る。

「こいつは、凄いな……」

 大事な部分を隠すのも忘れて僕と同じように手を伸ばす。

「見慣れた星座とか探したんだけど、全然ダメ。だって全部再現可能なんだもん」

 例えば、あの一際明るい星を基点にして、夏の大三角に見立ててみたり。

 そこから南南西に下って連なる星を結べば、天の川を掬っているなんて呼ばれたりもする、いて座の南斗六星に見えなくもない。

 星座は教科書で習ったことくらいしかないから滅茶苦茶な言い分なんだろうけど、こんなに星があったら見分けなんてつくはずもない。

 だからこそ、これだけは言える。

「こんな綺麗な空、元の世界じゃどこを探しても見つからないよね」

「だな」

 この世界がゲームを基に構築されているのか、それともゲームがこの世界を基にして作られたのかは分からないけど、元の世界のような文明はまだ存在していないんだと思う。

 排ガスで汚れていない、ありのままの空がこんなにも澄んでいるなんて。


 いつまでも眺めていたい気分だったけれど、ひとりでにふわぁと欠伸が漏れる。一悶着あったけどどうにか用も足せたし眠気の方も限界だった。

 交代の時間が来たら飽きるまで眺めようと決めて目を閉じる。

「おやすみ。先に休むね。時間になったらちゃんと起こしてよ? 寝ないで行軍なんて絶対させないから」

「分かってるよ。ちゃんと6時間後に起こしたら寝るっての。流石にこんな精神状態でオールなんてできるか」

 返答に安心して、それきりスイッチが切れたみたいに意識が暗く遠のいていく。

 魔物が出るかもしれない森の中で眠る割に恐怖心はなかった。それが火の番をしてくれている親友のおかげなのは、言うまでもないか。

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