僕がネカマになった訳-2-
夏休みだからといって羽目を外しすぎないように、我が校の生徒として模範的な振る舞いを云々という、小中高で台本があるんじゃないかと思うくらい似たり寄ったりの長々とした口上を、うだるような体育館の中でぴしりと背を伸ばし、早く終われと念じながら聞き流すこと1時間弱、終業式はようやく終わりを迎えた。
まだ昼には早い陽も登りきっていない時間帯。
僕は自宅に寄らず、校門で待ち合わせた妹さんと一緒にそのまま遥翔の家へあがりこんだ。
アカウントを譲り受けるに当たっての条件を聞く為だ。
「でもハルは良かったの? 折角のアカウントなのに。遥翔に丸め込まれたりしてない?」
遥翔の妹さん、通称『ハル』とは結構な付き合いだ。
本当の名前は春子なのだが、子供の頃は古臭い響きが好きじゃなかった。
今はもう気にすることもなく、むしろ斬新な名前でなくて良かったと思ってるらしいが、僕は昔のまま『ハル』と呼んでいる。
昔から遥翔の家には良く遊びに行ってたし、妹といっても双子なので僕等と歳は変わらない。
今でも暇な時は一緒にゲームで遊ぶこともあるくらいだ。
World's End Onlineは世間でも結構な注目を集めている。ハルも興味がありそうなものなのだけれど。
「私がハル兄に丸めこまれるわけないじゃない。ネトゲには興味あるんだけど、遊びたいってわけじゃないの。私が興味あるのは、むしろこっちの方」
ハルはそう言って一枚のイラストを手に取る。
そこには表彰台ではにかみながら手を振る可愛らしいアバターが描かれていた。
ハルの趣味はパソコンを使ったイラスト、いわゆるCGだ。
特に3Dを活用した立体的な表現が得意で、将来はフィギュアの原型師になりたいらしい。
「昔は手で削りだして原型を作ることもあったけど、今は3Dプリンターの普及で殆どがCG製。だから原型データはPCさえあれば幾らでも作れるの。でも、私みたいな高校生が作品を発表できる機会は凄く限られてる」
いかに3Dプリンターが普及したといっても、高校生が買えるような代物ではない。
まして、ハルの作る原型はかなり精緻に作られており、専用のプリンターでなければ出力に耐えられない。
有料の設備をどうにか使わせてもらい、完成品に色を塗ってコンテストへ出展したとしても、目に触れるのは一部の人だけだ。
「私も高校生になった。それに、自分の夢の将来性の低さも理解してる。まだ1年の夏だけど、将来の夢を趣味に転換して勉強に励むならそろそろ時間がないでしょ。だから、私の作品に食べていけるだけの価値があるのかを沢山の人の目で確かめてみたいって前から思ってた」
そう言ってイラストの下部に指先を突きつける。よくよく見れば、短い文章が書き添えられていた。
第一回アバターコンテスト優勝者『セシリア』。得票率79%。
「私も公式で見たんだけど、凄い完成度だった。髪の毛1本1本を再現しようなんて普通考えないもの。何よりこの人は個人参加だったの。お給料を貰えるわけでもないのに、時間と根気を掛けてコツコツ作ったんだと思う。World's End Onlineのアバターって元をただせば3DCGだから、私の腕を試すならここしかないって思ってずっと前から少しずつ作ってたのよ。完成したらオークションに出そうかなって考えもしたけど、それじゃリアルな意見が手に入らないでしょ? だから、夏向が実際に使ってくれるならそれに越したことはないの」
僕には将来の夢なんて、ずっとずっと先のことのように思えてならないだけに、今から将来をここまで真剣に考えているとは思わず息を呑んだ。
本当に遥翔の妹なのか疑ったくらいだ。
「きっと、遥翔の計画性とか判断力は全部ハルに行ったんだね……」
ハルと一緒になってしみじみと頷きあう。
「おい、俺にだって計画性くらいあるっての」
横から何か聞こえた気もするが、きっと空耳って奴だろう。自覚のない奴はこれだから困る。
「このイベント、凄い人気だったみたいだから第二回がその内開催されると思うし。その時までに少しでも知名度を上げて参加して欲しいって言うのが私の条件。といっても、ただ普通に遊んで貰うだけでいいから。わざと名声を上げるような真似はかえって逆効果になりかねないし」
それはつまり僕の行動如何でハルは昔からの夢を、今までの努力を諦めてしまうかもしれないって事で……。
もしかして、凄く責任重大なんじゃないだろうか。
思ったよりも重たい条件に戸惑いを隠せない。
「ハルはいいの? ネカマなんてしたことないから失敗するかもしれないし……」
自分の夢を賭けるのだ。なら、アバターだって自分で動かしたほうがいいんじゃないだろうか?
しかしハルは笑いながら首を振った。
「諦めるって決めたわけじゃないし、イベント用の作品も作らないとだし、ネトゲ自体も趣味じゃないから」
「安心しろ、ハルのそれは本音だ。俺が何度誘ってもメンドイで切り捨てられたからな」
それは単に『遥翔が誘ったから』なんじゃ……。
ハルが冷めた視線を向けていたのは多分気のせいじゃない。
「とにかく、使ってくれるなら渡りに船なの。気負う必要なんてないし、ネカマの方が可愛いって言うじゃない? もしそのアバターについて何か言われたら私に教えて。悪い意見だろうと変に気遣う必要なんてないから」
「あはは……。が、頑張ります」
その物言いにプレッシャーを感じつつも頷くと、ハルは満足したように笑った。
「ハル兄に言われて最後の調整をしてるから、宿題が終わる頃には用意できると思う。ちなみにアバターの容姿だけど……ゲーム開始時の楽しみって事で」
その彼女の笑顔には、やはり不吉なものを感じずにはいられなかった。
「んじゃ、次は俺だな」
ハルとの話が終わったところで待ってましたとばかりに遥翔が首を突っ込む。
「私のアカウントなのに、どうしてハル兄が条件つけるのよ」
「連BANの可能性に対する報酬って事で、どうしても一つだけ頼みがあるんだよ。なっ、いいだろ?」
ハルは不服そうにしていたけれど、断るつもりはなかった。
「夏向が良いならいいけど。どうせまた厄介な頼みごとよ?」
「んなことないって! ただ、夏向には司祭をして欲しいってだけなんだ」
プリースト。いわゆる聖職者で、パーティメンバーへのバフと回復に特化した支援職業だ。
「俺の入ってるギルドに支援がいなくてさ。知り合いが一人始めるかもって話したら支援として引き込めってうるさくて。育成は全面的に手伝うから、やってくれないか?」
予習として眺めていた攻略WikiのTOPページには血のように赤い大文字でドクロマークと一緒にこう書かれている。
『ヒーラーである聖職者とバフ、デバフを得意とする付与術師には手を出すな。手を出すのはよく訓練されたマゾだけだ』
この2クラスはゲームの中でも屈指の育成難度を誇る職業として有名なのだ。
それでなくとも、World's End Onlineはまだ実験的なVRMMORPGで、データベースの肥大化を防ぐ為に1アカウントに付き1キャラクターしか作れない仕様になっている。
分かりやすい強さを持つ前衛や後衛、いわゆるアタッカーの人口比率が圧倒的に高く、攻撃手段を殆ど持たない聖職者は絶対数が少なすぎて貴重だった。
だが、一番苦労する育成をギルドぐるみで手伝ってくれるのであれば、早期レベルアップも難しくない。
それに僕は職業に特別な拘りがなかった。
World's End Onlineというゲームにのめりこんだのであって、遊べるならどんな職業でも良いのだ。
「良いよ、支援にする。あんまり詳しくないからステータスとかスキルとか色々と教えてね」
僕の二つ返事に遥翔は任せとけと大きく頷いた。
それから3日。
夏休み前に配られた問題集や、毎年恒例の自由研究と読書感想文はとっくに終わらせてある。
僕と遥翔は残っていた終業式当日に配られた幾つかの課題を朝から晩まで休む間もなく進め、先ほどやっと完成した。
既にアバターのデータは受け取って、専用のフォルダに設置してある。キャラクターの作成時に外部ファイルを参照すれば読み取ってくれるはずだ。
「ご飯も食べたし、トイレも行ったし、クライアントもちゃんと最新版」
どんなアバターなのかはまだ調べていない。楽しみ半分、不安半分といったところか。
どちらにせよ、ここまで来て引き返すわけには行かないんだから、後はなるようになれだ。
仮想空間上のメニューに出現したWorld's End Onlineのボタンに恐る恐る触れる。
その瞬間、仮想デスクトップが真っ白な光で覆いつくされた。
『ようこそ、World's End Onlineの世界へ! チュートリアルをはじめますか?』
本当にこの画面を何度夢見たことか。思わず感動で涙しそうになる。
まずは『はい』に触れて世界全般の説明を受けるところからだ。
システムメニューの扱い方、各ステータスの意味、職業の簡単な説明、アバターの作り方。
既にWikiで知っている情報も多かったし、早くゲームをしたくて内容が全然頭に入ってこなかったから大部分を流し読みして先へ進む。
お疲れ様でしたの文字とともに全てのウィンドウが閉じ、キャラクターの作成画面が開かれた。
キャラクターネームは本名と同じ『カナタ』にする。遥翔も自分の名前をカタカナにしただけだったし。
リアルの名前をつけるのは賛否両論だけど、僕らの場合は長年お互いの名前で呼びなれてしまっているのでこの方が気楽なのだ。
自分の名前が男女どちらでも通用することに今回ばかりはちょっと感謝する。
遥翔のことだ。僕がもし男らしい名前だったら、ついうっかりリアルネームを呼んでネカマバレみたいな展開になりかねない。
事前に教えられたとおり初期ステータスは全てIntに割り振り、外部ライブラリから受け取ったアバターデータを参照する。
ハルが用意してくれたアバターとの初対面だ。どうか演じやすい外観でありますようにと祈りを籠めてボタンを押す。
眩い光に包まれると同時に目の前が一瞬だけ暗転し、次の瞬間には巨大な姿見が出現していた。
そこに映りこんだ少女に、僕はあらゆる言葉を失う。
正直に言おう。僕はハルという同い年の少女の実力をあまりにも侮っていた。
腰まで届く透き通るような銀色の髪は手にとってみると絹のように細く滑らでさらさらと零れ落ちていく。
戸惑いを隠せない大きな瞳は宝石のように澄んだ空色。
ほんのりとした桜色に染まる肌は無垢そのもので、まじまじと見つめるのが気恥ずかしく、そんな僕の感情に比例して頬を赤くする。
おかげで人形のように奇跡的な調律を保ちながらも、儚げで可愛らしい人間らしさを上手く醸し出していた。
身長は150くらいだろうか? 対比物がないから正確には分からないが、リアルとの身長差に苦労しそうだ。
外観からすると14-5くらいを想定しているのは、あの優勝したアバターを意識したのかもしれない。
もしかして、ハル自身のリアルデータを参考にしたのだろうか。
とすると、前に胸のサイズなんて意味がないなんて言ってたのは強がりか。
用意してくれたアバターは特別大きいわけじゃないけど平均よりやや上くらいだろうか。小さいのは論外だけど、大きくしすぎるのも見栄を張ってるみたいでなんとなく嫌ってこと?
これが複雑な乙女心って奴なのだろうか。ちなみに現実のハルは……お察しください。
『このアバターで問題ありませんか?』
正直に言えば、素直に『はい』とは頷けない。
ハルが作ってくれたアバターはつま先から頭の天辺まで余すところなく可憐な少女そのもので、僕には難易度が高すぎる。
年下の少女の思考回路なんてブラックボックスそのものだ。良く知っている女の子なんてハルしかいないけど、遥翔のせいで早くから精神的に自立しており、妹でありながら姉ポジションをキープし続けている。
学校でもしっかりした姉貴分としてクラスを纏めているらしい。
僕もそう言う路線を狙いたかったんだけどなぁ……。
妖精の如き可憐さと儚さを兼ね揃えた姿に、そりゃ無理だろうと内心嘆息する。これはどう贔屓目に見ても引っ張る側じゃない。引っ張られる側だ。
よくよく考えれば、前回優勝者である『セシリア』に対抗すると息巻いていたのだから、土俵を同じにする可能性は十分に予測できたはずだ。
あのアバターも15歳くらいの実に可愛らしい女の子だった事を今さらながら思い出す。
「ま、とりあえずやってみよっか……」
どちらにせよ、今さらアバターの変更は効かないのだ。
鏡でも見ない限り自分の姿は目に映らないのだから気にする必要なんてないのだと、半ば無理やりに納得させてから確認ウィンドウの「はい」に触れる。
そうさ、これで良いんだ。だって全部ハルの為だものなんて酔いしれてみる。
アバターの調整に使われていたウィンドウが自動的に消失し、代わりに真っ赤なスロットマシーンがどこからともなく現れた。
これが終わればアバター作成は終了である。
いよいよこの時が来たかと、恐る恐るレバーの取っ手を握りしめた。
途端にガッチョンガッチョンとベタな騒音をかき鳴らしながら筐体が揺れ動き、一つしかない升目に四葉のマークが明滅する。
『エクストラスキル【幸運】を獲得しました!』
やったね、僕はなんて幸運なんだ!
ぱっぱらぱーと祝福のメロディが響き渡る中、僕は満面の笑顔でキャラクターのデリートを決行した。
はいはい、自虐乙ですよーっと。
エクストラスキルはキャラクターに一つだけ設定可能な、言わば称号みたいなものだ。
ゲーム内のクエストや出版物の特典として入手可能で、ゲーム中でもメニュー画面から好きに変更できる。
ただし、キャラクター作成時のランダムエクストラスキルや、ゲーム内イベントの入賞者に贈られるボーナスエクストラスキルはゲーム内での入手手段がない。
エクストラスキル自体が微弱な効果しか持たないが、自分のなりたい職業と相性がいい物を選びたいと思うのは当然だ。
先ほどの【幸運】はクリティカル率が1%上昇する効果で、シーフ系との相性は良くてもクレリックには無用の長物である。
だから目的と違うエクストラスキルが出てしまった場合、この判定をやり直す為にキャラクターを削除してから再作成するのだ。
通称リターンマラソン。略してリタマラとも呼ばれる一連の作業は運が悪いと数日間続く事もあるという。
『エクストラスキル【集中】を獲得しました!』
『エクストラスキル【健闘】を獲得しました!』
『エクストラスキル【交渉】を獲得しました!』
『エクストラスキル【豪腕】を獲得しました!』
…………。
なにせこの初期ランダムエクストラスキルは全部で100個とやたら数が多い。
遥翔から聞いた話だと、支援なら【信仰】か【祝福】か【魅了】が出るまではここで足止めを食らうようだ。
信仰は支援魔法の詠唱が1%減少し、祝福は回復魔法の効果が1%増加し、魅了は敵からのヘイト値を僅かに軽減する。
どれでもいいから早く来いと段々焦れ始めた頃、ようやく【魅了】のエクストラスキルを手に入れた。
字面的にこれ以外のどちらかが良かっただけに一瞬だけ硬直する。どうしよう、他のが出るまで粘ってみるべきだろうか。
とはいったものの、この不毛な作業を始めてから既に30分が経過しており、ぶっちゃけうんざりしてきた。
単純作業ではあるが、終わりの見えない作業を延々と続けるのは意外と精神的にきついのだ。
どの道、設定したところで外見が変わるわけでもないのだからと無理にでも納得し、ようやくWorld's End Onlineへの一歩を踏み出したのだった。