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 忙しい生活の中でも二日に一度は顔を合わせていた和美さんと違い、源治さんと会うのは随分久しぶりの事だった。僕だけではなく依千さんや伶さんが呼びだされた事だけでも、ただの世間話ではないと分かっていたが、源治さんの少しやつれた、しかしいつも以上に厳しい表情を見て、予想は確信に変わる。

「三人を襲撃した相手が分かった」

松戸家。そしてその当主である松戸幸助。僕達への襲撃を企てた犯人としてその名前を聞いたのは、今から三日前の事。その報告と同時に告げられたのが、反撃の作戦だった。

「戦いへの参加は強制しない。しかし……申し訳ないが、解呪は必要不可欠だ」

 その言葉に、僕を挟むように座っている姉妹を交互に見てしまう。二人とも、動じた様子はなく、真っ直ぐに源治さんを見ていた。

「松戸家の本拠地は、ここと同じように異空間に存在する。本来ならば、侵入は困難、それこそ、高峰君が付けているような鍵があれば別だが、大抵の魔術師は自身の魔力を鍵にしているからね。間違うと、どこにも繋がっていない空間に飛ばされて一生抜け出すことすら出来なくなる」

 ふと、佐竹家の昼食に乱入してきたクラスメイトの事を思い出したが、とりあえず黙って話を聞くことにした。

「だが、封印された魔力があれば、話は別だ。流石に異空間を壊すとまではいかないが、扉を無理やりこじ開ける事は可能だろう」

 あぁ、じゃあ神山さんもその方法で来たのかもしれない。

「ピッキングと言うよりは扉ごと破壊するような力技だ。時間を掛ければ、扉を解析して侵入することも出来るのだが……、今、この家は狙われている立場だ。今回は攻めるが、その立ち位置は何も変わらない」

「時間は掛けられない、っていうことですよね」

 そう言うと、源治さんは頷き、依千さんの意志を確認するように視線を向けた。

 表情を崩さないまま依千さんが頷いたのを確認して、源治さんは僕を見る。僕が断れば、源治さんは黙って引いてくれるのだろうか。でも、それは自分だけではなく、依千さんや伶さんはもちろん、この佐竹家の人達にも危険を及ぼす。

 僕が頷いた時、視界の隅で伶さんが口を噤んだのが見えた。



 迅速に。依千さんの魔力の事もあるし、その方が敵味方ともに犠牲は少なくて済む。しかし、当主だけは、と源治さんから言われていた。それは、松戸幸助と神山さんが裏で協力関係にあるという情報によるものだった。

現代の魔法研究者の中でもトップクラスである松戸幸助と何を企てているのかは分からないが、佐竹家のプラスになる物とは考えられないこと、そして、もしも松戸幸助を捕らえて、それを神山さんが救出に来た場合。それこそ、どうなるか分からないことが、その理由だ。

 だが、実際に対峙した松戸幸助から戦意は感じず、僕にのみ見える魔力も静かに揺れるだけだった。それこそ、殺す必要があるのかと思ってしまうほどに。しかし、それは自分の逃げ道を探しているだけ。現実逃避でしかない。

 本当に恐ろしいのは、この人じゃないということは初めから分かっていたことだ。

 部屋の隅にあった戸棚を開けると、中には小さな金庫が入っていた。金庫の扉に鍵穴はなく、ついているのは取っ手だけ。

 開けてみようと取っ手に触れると、手を覆っている魔力が消し飛んだ。罠、みたいだ。並みの魔力、あるいは生身で触ったらどうなっていたかなど、考えたくもない。

 金庫から顔を逸らし、先程まで松戸幸助が立っていた場所を見る。そこを中心に抉れている床、天井、壁。

松戸幸助を殺すために覚えた魔法だった。いや、表向きはそうだが、実際は飛び道具ならなんでもよかった。銃でいいならそうしただろう。自分の手が人の肉に食い込む感触。あれを味わいたくないがために覚えた魔法だ。

 神山さんとの戦闘で護衛の人達が使っていた、魔力を放出するだけ、魔力操作の軽い延長のような魔法だが、莫大な魔力を持っていて、そのうえ抑制が下手くそな僕が使うと、このように銃弾どころではない威力と大きさになる。

 視線を金庫に戻し、先程松戸幸助が言った言葉を口にする。

「ディアリテ」

 瞬間、金庫の扉に淡く光る文字が浮かんだかと思うと、あっという間に霧散した。

 念の為、右手に魔力を多めに集めてから取っ手に触れる。今度は何事もなく、そのまま扉を開けた。

 中に入っていたのは、二冊のファイルと一冊のノートだった。

 ファイルには『神山家』と『佐竹家』、ノートには『記録』とだけ手書きで記されている。

 松戸幸助が金庫のパスワードを僕に教えたのは、これを見せたかったから? 佐竹家の人ではなく、僕に。

 この場で読んでいる時間はない。かと言って、金庫に戻しても佐竹家の人に見つかるだろうし、正直に『僕にも見せてください』と言って了承してくれるとは思えない。

『神山家』のファイルを適当に捲ると『神山家襲撃事件の詳細』という一文に目を吸い寄せられた。続きの文章に目を通しそうになったが、なんとか堪えてファイルから書類を抜く。二冊分の書類はかなりの厚みになったが、無理矢理四つ折りにして右のポケットに放り込んだ。同じように、ノートは左ポケットへ。

 それを終えたところで、魔力が二つ近付いてきたことに気付いた。

 空になったファイルを金庫の上に置き、少し距離を取ってから掌を向けて魔力を放つ。ファイルは問題無いとして、特別製らしい金庫が消えてくれるか心配だったが、戸棚や壁ごと消し飛んだのを見て安心した。

 小さく息を吐くのと同時に廊下側のの襖が勢い良く開く。そこにいたのは、春日部さんと八城さんだった。

 部屋の中には僕一人。壁に空いた二つの大穴から吹き込む風。

「こっちは終わりました」

 短く伝えると、二人は小さく頷いた。

 こうして、松戸家との争いはあっけなく幕を下ろした。力を持った二家が衝突したわりには死傷者の数は少なかったらしく、五日後に行われた集会で僕と依千さんは佐竹家の人達から感謝の言葉をもらった。

 死傷者の具体的な数は聞かなかったけれど、僕の横で困ったように笑っている依千さんは数に含まれているのか、少し気になった。

 夕方から始まった集会も、報告や話し合いが終わり、夜になると宴会へと変わっていった。酔っ払いにあまり良い思い出がない僕は足早に退室したかったが、常に誰かに話しかけられていたせいで難しく、それでも僅かな隙を見て逃げだそうとすると、隣に座っている着物姿の依千さんに不安そうな顔で見られ、浮かそうとした腰を降ろした。

 話し合いをしている時はいた伶さんも何時の間にかいなくなっている。依千さんとほとんど接しないのは相変わらずだが、食事には顔を出すし、あからさまにつっけんどんな態度を取ることはなくなった。その代わり、ボロを出す機会も増えたわけで、たまにポロリと姉妹想いなことを口にしてしまい、依千さんには『素直になれない可愛いお姉ちゃん』というイメージを持たれている。全く持ってその通りなのだが、本人が知れば、またプンスカ怒り出すだろう。

 結局のところ、伶さんは『依千さん大好き人間』なのだ。多分、僕も。あの資料に書かれていたことが真実ならば、神山さんも。

 今、あの資料は伶さんが持っている。渡したのは昨晩。今日、伶さんは食事の時以外ずっと部屋に籠もっていたので、資料に目を通す時間はあったはず。もしかしたら、僕が自室に戻るのを待っているかもしれない。そう考えるといち早くこの場から立ち去りたかったが、そんな思考が顔に出ていたのか、依千さんに服の裾を摘まれた。

 この依千さんは三日前に目を覚ましたばかりの依千さんだけど、妙に僕に懐いてくれている。目を覚ました依千さんに初めて会った時、和美さんが僕のことを家族のように紹介してくれたことが思いのほか効いているらしい。和美さんの紹介を受けた依千さんに『お兄ちゃん?』と訊かれた時は、嬉しいような悲しいような、なんとも言えない気持ちになった。そして、我関せずといった具合に部屋の隅にいる伶さんがニヤニヤ笑っていたのが腹立たしかった。依千さんから『お姉ちゃん』と呼ばれて、一瞬嬉しそうな表情になった伶さんを見て、多分僕も同じような顔をしていただろう。アルバムを見せながら昔の話をしている時も、僕は同席していた。伶さんは嫌そうな顔をしていたけど、そこは見て見ぬふりだ。今もそっくりな二人だけど、昔は本当にそっくりだった。アルバムに張られた写真には矢印が付いていて、それぞれの名前が振られていたけれど、それがないと見分けがつかないくらい。和美さんが一緒に写っている写真はそれなりにあったけれど、源治さんが写っている写真は少なく、昔から忙しい人だったんだな、と思った。

 なんとなくだけど、今回の依千さんは、どこか幼い気がする。酔っ払いのおじさんに話し掛けられ、ビクッと肩を震わせながら服を掴む指に力を込める姿を見て、そんなことを思った。

 僕と依千さんが解放されたのは、日付が変わる一時間ほど前になってからだった。もっとも、依千さんが眠気に負けなければ、まだまだ付き合わされたかもしれないが。

 半分眠っているような依千さんの手を引いて階段を上る。半分ほど開いている目が閉じ、また開く。足はふらつき、僕の手を握る力もかなり弱い。これがもう少し小さな子ならおんぶでもするのだが、僕より軽いとはいえ、同年代の女の子を背負って階段を上るのは少し怖い。

 階段を上りきると、思わず大きな息がこぼれた。ちょうど力尽きてしまったらしい依千さんを背負って廊下を進む。

 意識のない人を運ぶのは、この前の襲撃以来だ。あの時の伶さんは両腕で支えても重たくなかったけど、今日の依千さんはおんぶでも重たく感じた。もちろん、依千さんと伶さんの体重の問題ではなく、僕が魔力を持っているか否かの違いだろう。そういう意味では、自分の力だけで誰かを背負うというのは初めてなのかもしれない。そんなことを考えながら、依千さんの部屋の襖を開けた時、

「……重たい」

「非力」

 思わず口に出した言葉に返事が聞こえた。返事というか、暴言だけど。

 振り返ると、伶さんが自室の襖を少し開けて顔を出していた。集会の時に着ていた着物姿ではなく、ロングTシャツにジャージズボンという見慣れた格好だ。着物姿の伶さんは綺麗だったけど、こっちの方がらしく思えるのは悲しむべきことかもしれない。

「伶さん、起きてたんだ」

「まぁ、依千みたいに規則正しい生活してるわけでもないし」

「肌が荒れるよ」

「女の子みたいなこと言うのね」

「母親が気にするタイプだったからね」

「ふぅん」

 僕が生まれたばかりの頃、夜泣きが酷くて肌が荒れたとか体調を崩したとかなんとか、毎日のように言われてたし。

「えっと、それで、僕か依千さんに用?」

「高峰君に用。ただ、寝てる女の子を部屋に連れ込もうとしてるのを見つけたから釘刺しただけ。別に信用してないわけじゃないけど」

「分かってるよ。それ以上に依千さんが心配なんだよね、伶さんは」

 睨まれた。

「とにかく、依千寝かせたら私の部屋に来て」

「うん。了解」

 あぶなかった。依千さんを背負っていなかったら、魔力強化されたデコピンくらいされていたかもしれない。



「変わったのは高峰君なんじゃない?」

 依千さんの様子が今までと少し違うことを告げると、伶さんは学習机の椅子に座りながら何気ない顔で言った。

「僕?」

 頭の奥まで響く痛みに額を抑えながら訊き返す。

「うん。前みたいにおどおど……ていうか、遠慮し過ぎな感じはなくなったし。依千はあれで人のことよく見てるから、高峰君は大丈夫な人だって思ったんでしょ」

「……そっか」

「なに? 高峰君としては微妙な感じなの?」

「ううん、嬉しいよ」

 嬉しさを上手く言葉に出来ないだけで。

「私は良いことだと思うけど。高峰君がようやくこの家に慣れてきたって意味でも、甘えられる相手が依千に出来たって意味でも。依千は自分の本心あまり見せないタイプだし、高峰君もそんな感じだし」

「伶さんもね」

 苦笑しながら言うと、伶さんは微かに笑みを浮かべて、

「そういう意味では、少しくらい神山鈴を見習ってもいいのかもね」

 机の引き出しから、綴り紐で纏められた紙束と、ノートを一冊取り出して、机の上に置いた。

 それは、間違いなく松戸家に置かれていた資料だ。

「正直、神山家襲撃のこととか、松戸幸助のことが本当かは分からない」

 資料に目を落として俯いたまま話を続ける。

「でも、神山鈴が依千を助けようとしていることと、神山家襲撃の日、神山鈴がここに遊びに来る予定だったのは本当。前者は多分だけどね。少なくとも、昔はそう言ってた」

 でも、と力強く言って、伶さんは僕を見た。

「ここに書いてあることを、全部信じるのは無理」

「……それは、僕もそうだよ」

 神山家襲撃時に起こった失敗。目的の一つである神山さんがいなかったことだ。

 神山さんは佐竹家へ呼ばれていた。それも、当日になって、いきなりだ。そして、特に身を隠すでもなく、普通に家を出た。にも関わらず、松戸幸助が潜ませていたという見張りの者からその報告がされなかった。

 佐竹家へ向かう途中に忘れ物を思い出さなければ、神山さんはあの現場に遭遇することはなかったのだ。

 そしてここからは、松戸幸助の考察になる。

『何故、見張りは報告を怠ったのか。真っ先に浮かんだのは、裏切り、あるいは他家のスパイだったという線だ。

 では、相手は誰か。それを考えるのは簡単だ。最も怪しいのは、全てが上手くいった場合、一番得をする者だ。

 神山家は佐竹家と協力して、解呪の研究を続けていた。呪いの膨大な魔力を欲すものなど、山ほどいる。そんな者達が、何故今まで何も手をうたなかったのか。それは、神山家のバックが佐竹家だったからだ。そんな者達が私を利用したのだろう』

 そこで一行開けて、続きが書かれている。筆圧などを見ると、別の日に書かれたようだった。

『佐竹家は神山家の研究をそのまま引き継いでいる、との情報が入ってきた。

 どういうことだ? 神山鈴に見張り役の特徴を伝えたが『そんな人は殺していない』と言っていた。三十人以上の顔を完璧に覚えているとは普通ならば考えないが、彼女が断言したならばそうなのだろう。

しかし、それならば、研究資料など重要なものは全て持ち去られ、あるいは処分されているはずでは? 神山鈴が帰って来たため逃げた? 彼女がそれを見逃すだろうか。

 辻褄を合わせることなら容易いが、その中に答えがあるようには思えない』

 また一行空き、今度は筆圧どころか、筆跡も変わっていた。丸っこい、女の子の字。これを書いたのは、神山さんだ。

『じゃあ研究とかはどうでもよかったんじゃないの? 狙いは私だったのだ!』

 その下に『人の日記を勝手に見ないでくれ』という松戸幸助の文字。日付も何も書かれていない思考の羅列だが、松戸幸助的には日記だったらしい。もしかして、あの金庫は対神山さん対策だったのだろうか。

 そして再び一行空き、

『狙いは神山鈴。そう考えると、対象は一つに絞られた。

 佐竹家。神山家が無くなれば、神山鈴が引き取られるのは間違いなくそこだ。実際、神山鈴は事件後数か月、佐竹家に身を寄せていたらしい。

 しかし、神山家の優秀な研究員を潰してまで、神山鈴を手に入れようとするだろうか。そして何より、神山家の壊滅は間違いなく完全解呪への道を長くする』

 一行空き、今度は神山さんの字。

『なんで佐竹家が解呪目指してるって言い切れるの? 研究のために娘を切り刻む父親がいるんだから、依千ちゃんが持ってる力を利用しようとする人くらい身内にいたっておかしくないと思うけど。

ていうか、何の根拠もなく、私が佐竹家に喧嘩売ったと思ってる?』

 神山さんの文章以降、その事について書かれていなかった。

 忘れることなど出来ない文章を頭の中で反復してから、再び伶さんと視線を合わせる。

「多分、松戸幸助は神山さん本人から話を聞いたんだと思う。佐竹家が……、そうだっていう証拠を。もちろん、それが正しいかは分からないけど」

「……疑ってはいるんだ?」

 責めるような視線。当然だ。普通、家族を疑われるっていうのは嫌なものなのだろう。でも、

「うん」

「……私も佐竹家の人間なんだけど」

「伶さんは信用してるよ。伶さんは、依千さん大好き人間だから」

「高峰君もね」

 苦笑で返すと、伶さんは大きく溜め息を吐いた。

「……残念だけど、その疑惑を解くことは出来ないわ。でも、例え神山鈴の憶測が真実でも、私はあいつとは組まないから」

 僕は頷き、そして本来訊きたかった事を口にした。

「伶さんが神山さんを嫌ってるのは、和羽さんのことで?」

 佐竹和羽。今から四年前にあった『梅津家当主殺害事件』と同日に病気で亡くなった。佐竹家当主源治さんの奥さんである和美さんのお姉さんだ。

 資料にはその程度の情報しか書いていなかったが、教室で神山さんと対峙した時、護衛の人達が言っていたことを考えると、神山さんが無関係だとは思えない。もっとも、神山さんは『自滅』と言っていたが……。

 伶さんは僕をじっと睨んだ後、小さく口を開いた。

「八割くらいは、そうかも」

 伶さんがこう言うということは、九割、あるいはほとんどコレが理由らしい。

「佐竹和羽さん。……和美さんのお姉さんなんだよね」

「そうよ。双子の」

「双子?」

 それは初耳だった。

「私や依千と同じ、一卵性の双子。でも魔法の才能は全然違って、一人は天才で、一人は凡才だった。

 当時の梅津家当主を殺した神山鈴は、その足でここに来て、依千を連れて行こうとした。その時に抵抗したのが、才能のあった……」

「佐竹和羽さん……」

 僕の呟きに、伶さんは小さく頷いた。

「高峰君も分かってると思うけど、神山鈴の実力は桁外れ。普通じゃ勝てない。だから」

 四年前、僕達が、十三歳の時。

「解呪を使ったの」

 依千さんの、二度目の解呪はこの時だったのだ。

「お母さんに」

 その言葉に、思考が止まる。

「……おかあさ……?」

 聞き返そうとした瞬間、僕は心臓を鷲掴みにされるような感覚を覚えた。

 伶さんはこれまで、和美さんのことをそう呼んだことがあっただろうか。依千さんはあった。だから、気付かなかったのかもしれない。

 室内に、静寂が落ちてくる。階下から聞こえる大人達の騒ぎ声が遠く感じた。

「結果、神山鈴は逃げて、依千は連れて行かれずに済んだ」

 伶さんはそこで口を閉ざした。

 和羽さんがどうなったのかなんて、聞くまでもない。魔力量の限界を超えたらどうなるか、ここに来てすぐに、僕は伶さんから聞いている。

 そして、依千さんと一緒に見たアルバムに写っていた人は……。

「……依千さんはこのこと――」

「知らないわよ。教えられるわけないでしょ。なんのためにこんなことしてると……」

 そう言いながら俯く伶さんを見て、ふと思った。

 伶さんが高校入学と同時に一人暮らしをしていた理由。それは、今の家族を見るのが少し辛かったからなのかもしれない。本人は、きっと否定するだろうけど。

「だから私は神山鈴を信用しないし、慣れ合うなんて論外。この資料のことを口外するつもりはないけど、高峰君が神山鈴と組むって言うなら……」

「いやいや、僕だってそこまで神山さんを信用してるわけじゃないよ。……どっちも信用出来ないから困ってるんだ」

 そう言うと、伶さんはしばらく黙ってから疲れたように息を吐き、「寝る」と言って立ち上がった。

 ベッドに倒れ込む伶さんを見て、呆気に取られていた僕はようやく我に返り、そそくさと背中を向ける。

「そ、それじゃあ、おや」

「神山鈴から」

 僕の言葉を遮った伶さんの声。

 襖に手をかけたまま振り返ると、伶さんはうつ伏せのままだった。

「神山鈴から依千を守れるのは、多分、高峰君だけなの」

「……うん」

「おやすみ。それと、それ持ってってね。そんなの人に見せるなんて、高峰君も松戸幸助も無神経過ぎ」

「……うん。おやすみ」

 ノートと紙束を持って廊下に出ると、階下から聞こえる声が大きくなった。

 何を祝っているのだろう。何を喜んでいるのだろう。

 僕らを襲撃した首謀者を殺したことか。

 それとも、僕や依千さんを上手く動かせたことか。

 伶さんは口にしなかったが、気付いていると思う。

 あの日記にも資料にも、僕らを襲撃する計画など一切書かれていなかった。証拠を残さないため。そう解釈すれば辻褄は合う。

 でも。

 僕に金庫のパスワードを教えた松戸幸助の顔が頭に浮かぶ。彼は、神山家襲撃を後悔はしていない。でも、同じようなことは繰り返さないんじゃないだろうか。

 あの日記を見ていると、そんな可能性が頭に浮かぶ。

 神山さんに会いたい。自然とそう思った。














 いつか戦うことになるかもしれない。彼女のことを知ってから、ずっとそう思っていた。現代の一般的な魔術師とは格どころか次元が違うとすら言われる彼女との戦いを想像すると身体が震えることもあった。

 でも、その時がいざ訪れてみると、身体が震えるどころか心が揺れることすらなかった。まるでこれが当然と言わんばかりに、日常の一コマだと錯覚しかねないほど、細波のように穏やかな心のまま彼女を見る。

「じゃあ始めよっか」

 首を傾げながら、神山さんは笑みを浮かべた。




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