7
六年前にあった神山家襲撃事件。その詳細を知っているのは、私と彼女だけだ。
天才。彼女を前にすると鼻で笑いたくなるが、現代の魔術師たちの中では私もそう呼ばれる部類の一人であった。魔法の実力もそうだったが、それ以上に評価が高く、そして私自身のめり込んでいたのが研究だった。
新たな魔法、魔具などの一般的なものから、過去の禁術の活用法など暗黙のうちに禁止されているものまで、研究対象に事欠くことはなかった。仲間達から影で『研究狂い』だの『狂人』と呼ばれようと私は研究に没頭した。今にしてみれば、確かにあの時の私はおかしくなっていたのだろう。
そんな私が、彼女に目を付けたのは、当然のことだった。
現代魔術師には有り得ないほどの魔力量、魔法センス、そして未来を見る瞳。齢十歳にして絶対的な天才として知らぬ魔術師はいないほど有名な少女。
神山鈴は、研究対象として、これ以上ないほどに魅力的だった。
そして、神山家。この家にも、私の研究心をくすぐる物があった。
禁術書だ。過去の魔術師が作り出し、死を持ってしても発動し得ない必要魔力量や、使用者を廃人にしてしまうなど、危険さ故に使用禁止とされた魔法。
次期当主という立場が確定していた私は、自分が生まれ育った家にある禁術書を見たことがある。それは『魔力を縛る』術。おそらく、佐竹家に代々継がれている呪いの元になったと思われる文字縛りだ。
しかし、私の興味を引いたのは、圧倒的に神山家の禁術書だった。
遥か昔は神山家の先祖達が、そして現代だと神山鈴のみが先天的に持っている、数秒先を見る『先見魔法』。神山家の禁術書は、それを後天的に手にするというものだった。
神山鈴と、禁術書。
この二つが揃っている時点で、神山家への襲撃は私の中で決定事項となった。
純粋な仲間や友人と呼べる仲の者は一人もいなかったが、次期当主という立場もあり、兵隊には困らなかった。当時の当主である父に露見しては問題になることが分かっていたため、私に恩を売っておきたいだけの雑魚、破落戸のような面々になったが、さほど気にはしなかった。陽動さえしてくれるなら、そこらへんの犬でもよかったのだ。
神山家襲撃当日。彼らは予想外の活躍をしてくれた。本来なら、混戦が始まったあたりで、私はその場を離れて禁術書と神山鈴を探しに行く予定だった。
しかし、彼らの力は予想以上で、そして何より神山家の魔術師達の力は予想以下だった。あまりに貧弱。思わず、神山鈴の力さえ疑ってしまうほどだった。
しかし、予想外なのは良い方向ばかりではなかった。
まず、神山鈴の姿が屋敷のどこにも見当たらなかったこと。
そして最も予想外だったのが、当主の自室で見つけた禁術書が、全くの偽物だったことだ。確認のため、内容を一目見ただけで分かるほど稚拙な物。
偽の禁術書を床に投げて顔をあげると、先程まで屋敷中から聞こえていた悲鳴が止んでいることに気付いた。どうやら戦闘は終わったようだ。ちょうどいい。今から人を集めて、屋敷中を調べさせようと当主の部屋を飛び出した時、玄関の方から短い悲鳴が聞こえた。
まだ生き残りがいたのか?
安易に考えたのは、その一瞬だけだった。
私が連れてきた破落戸達の怒号、それに続いて、まるでリズムを刻むように聞こえる短く品のない悲鳴。
もう佐竹家からの応援が来たのか? そう考えながら、悲鳴が聞こえてくる方に向かう。
玄関には、十人以上の死体が転がっていた。うち、三人ほどは神山家の者で、他は全員、私が連れてきた者達だった。
外から悲鳴が聞こえて、私は玄関戸に身体を隠しながら様子を探る。
玄関を一歩出たところから無造作に死体が転がっている。胸に穴が空いた者、首から上が胴体から離れている者、顔部分が消し飛んでいる者。服装からして破落戸達だ。
三十人以上いた破落戸達は、私が当主部屋からここへ来るまでの一分弱の時間で全滅していた。
そして、私の他に立っていたのは、十歳の少女、神山鈴たった一人だった。
天才。幼い頃から、私はそう呼ばれていた。しかし、それを得意に思ったり、調子に乗ったりしたことはなかった。人を疑いやすい性格だったから、という理由もあったのかもしれないが、なによりも、自分が天才でないことを一番分かっていたからだ。
自分はただ人より少し魔法が上手いだけ。頭がいいだけ。それは天才でもなんでもない。
そう。天才とは圧倒的なものだ。
だから、私は確信した。彼女は、本物の天才だと。
気付けば私は隠れるのを止めていた。
私が姿を見せたのと同時に、神山鈴はゆっくりと振り返った。その顔に感情は浮かんでいない。ただ、少しだけ目が潤んでいるように見えた。十歳だから当然か。人を殺したのも初めてだろう。しかし、それが何だと言うのだ。彼女は子供である前に天才だ。
「……まだ、いた」
神山家を見張らせていた仲間からは『神山鈴は家にいる』との報告を受けていたが、どこかへ遊びにでも行っていたのだろう。見るからに外出用の白いワンピースがところどころ赤く染まっている。
どれだけ、どれほど圧倒的な力を見せてくれるのか。私の心臓が弾むと同時に、彼女の姿は視界から消え、一瞬後に私の前へ現れた。
彼女の小さな右手の人差し指が私の額に向けられる。そこから放たれる魔法は、私の額に穴を空けるか、それとも頭ごと吹き飛ばすか。頭は動いても、結局は何も出来ない。彼女の動きに身体がついて行かないのだ。これが、魔力量の差。ただ一つ、身体強化にもこれだけの差が出てしまう。
視界の隅に、首から上が消し飛んでいる死体が映った。
あんな風に私は死ぬ。そう悟っても、後悔はなかった。自分のしたいように生き、最期に本物の天才を見ることが出来たのだ。本望だと思って目を閉じる。
しかし、いくら待っても彼女の指先から魔法が放たれることはなかった。
ゆっくりと瞼を開くと、私に向けられた人差し指の向こうで大粒の涙を流している神山鈴が目に映った。
初めこそ、左手だけで両目の涙を拭っていた彼女だったが、間もなく、私に向けていた右手すら下ろし、その場にしゃがみ込んで大声で泣き始めた。
そんな彼女を前にして、私は頭が真っ白になっていた。何も考えられなかった。研究のことも、禁術書のことも、目の前で泣いている彼女のことさえも。
頭が空っぽになる。そんな感覚を味わったのは、何年、いや、何十年ぶりだったろう。思い返してみれば、研究にハマってからの私は四六時中、それこそ夢の中でさえも頭を動かし続けていたように思える。
頭が働かない状態がどれほど続いたのだろう。何秒、何十秒の短い時間ではなかったと思う。
変わらず泣き続けている彼女から逃げるように私は屋敷を飛び出した。
襲撃事件はすぐに明るみに出た。世間的には犯人は全員死亡ということになっていて、犯人が私や私の家の者だと露見することはなかった。
そう。世間的に露見することはなかった。しかし、それに気付いた者もいた。
それが、その頃の当主であった私の父だ。
父はそれを公表することはしなかったが、私は屋敷にある部屋に幽閉されることになった。
外側からしか鍵も扉も開けられず、窓は換気のための小さなものしかついていない部屋だったが、寝床、ソファやテレビなどがある一般的な部屋。牢に比べたら、天国のような環境だ。
しかし、基本的な生活以外で出来ることと言えばテレビ鑑賞だが、バラエティーやドラマなどには全く興味がないため、食事中にニュースを見るくらいだった。
では、それ以外の時間、何をしていたかと言うと、ソファの背もたれを少し倒し、目を閉じていた。これは、私が考え事をする時の、昔からの癖のようなものだ。
この生活が始まった最初の一年ぐらいは、ひたすら研究について考えていたと思う。私にとって、頭を最大限働かせるに値するのは研究のみだったため、当然の選択。むしろそれ以外のことなど、誰に何か言われたとしても考えられなかっただろう。
変化を感じたのは、神山鈴について思考していた時だった。彼女の魔力量や先見魔法について考えていると、不意に彼女の泣き顔が脳裏に蘇った。研究に没頭している最中、他のことに気を取られるなんてことは今までほとんどなかったというのに。
そんなことが幾度も続き、いつからか私はその原因を考え始めた。とはいえ、最初から大体の見当は付いていた。片手で数えられる程度しかないが、これまで同じような事があった。そして、それは自分が何かを間違えている時だったのだ。
では私は何を間違えているのか。問題はそこだった。
神山家への襲撃が間違いだったとは思っていないし、今回ほどではないにせよ、非人道的な研究はこれまでも行ってきた。
間違いと言われて思い浮かぶのは、神山鈴を前にした時の自分の行動だろうか。地面にしゃがみ込んで泣きじゃくる彼女に戦意がないことは明らかだったのだから、そのまま連れ去ることも出来たはずだ。しかし、抵抗されれば私は十中八九死んでいたため、完全な間違いとは言い難い。
では私は何を間違った?
一年、その答えをひたすら求めた後、私は考えることを止めた。
それから茫然自失のまま過ごした四年間のことはほとんど覚えていない。三人掛けのソファに腰掛け、たまに我に返っても、頭に浮かぶのは神山鈴のことだったと思う。
死んでいるも同然の生活を初めてから五年が過ぎた頃、私はふと我に返った。
風を感じた気がしたのだ。
ドアの下部についている小さな扉。ペット用のものではなく、料理や生活必需品の出入り口になっている。そこが開いた時、微かに風を感じることはこれまでにもあった。
しかし、今回は違う。感じたのは、前髪を揺らす程度の微かな風ではなく、全身を包むような大きな風だ。
自然と顔を向けた先にいたのは神山鈴だった。
成長したのは身長くらいではないかと思うほど、彼女の容姿は昔のままで、私を睨む無表情すら変わっていない。橙色のパーカーに、膝丈のスカート、左手には薄い青色の手提げ鞄。
数秒ほど視線を交わした後、部屋に足を踏み入れようとした彼女を「待て」と声で制止する、つもりが、口から出たのは言葉とは言えない鳴き声のような音だった。
私はいつから声を出していなかったのだろう。こうなることは予想出来たため、たまに声を出すようにしていたが、いつしかそれすらも考えなくなっていた。
しかし、彼女も私の声で何か勘付いたらしく、上げた足を降ろしてから部屋の中を見回した。
おそらく彼女が気付いたとおり、この部屋全体には魔法を封じる文字縛りが掛けられている。そんなものがなくとも私に逃げ出すという選択肢はなかったが、罪人でもない彼女まで捕らわれるのは目覚めが悪い。
彼女は部屋を見回した後「ふぅん」と小さく頷き、私に人差し指の先を向けた。
わざわざ仲間や家族の敵討ちに来たのか。いかに天才と言えど、やはり人間だ。
そう考えながら薄ら笑いを浮かべて、思わず目を見開いた。
答えが分かった。五年前、私が間違えたこと。
あのころの私に、ソレを間違いだと思えるほどの心が残っていたことに驚く。それとも彼女に気付かされたのだろうか。
彼女の指先に魔力が集まる。それに応じて光が増していき、直径三センチ程度の球形となった。あの小さな光に、どれだけの魔力が凝縮されているのだろうか。そう考えると背筋が凍る。しかし、笑みを浮かべたくもなった。
この五年間で完全に消えたと思っていた研究者としての性は、私の中で眠っていただけだったようだ。
瞬間、私の頬を掠めて、レーザー状の魔力が後方の壁に穴を空けた。魔力強化がなければ、避けることはおろか思考すら追いつかないか。
「何重、ううん十何重にも掛けられた文字縛りだね。しかもじっくりと組んであるから一つ一つがヤバい」
そう言いながら、彼女は部屋中に穴を空けていく。家具があろうがお構い無しだ。それごと壁に穴を空ける。
何のためにそんなことをしているのか、答えは既に出ていた。
彼女が「ふぅ」と息を吐いて右手を降ろすのと同時に、懐かしい感覚が私の身体に戻ってきた。
「……君の目的は」
私の問いに、彼女は眉を僅かに動かした。
「あんたに頼み事」
「頼み事?」
一応訊き返すが、既に内容に予想はついている。
「研究の依頼しにきた」
そうだろう。私が彼女に並ぶことが出来るのはそれくらいだ。
「そのために私を?」
何が目的か知らないが、仇の私を利用しようとするとは、彼女も大人になったものだ。
「あんたを、って言うより家ごと利用させてもらうよ」
「御三家に数えられるこの家を乗っ取るつもりか?」
「ううん。いや、うーん。どうなんだろう。ただ、私の頼み事をやってくれればそれでいいから、乗っ取るとかそんな気はないんだけど……」
そこまで言ってから、彼女は人差し指の先を顎に付けながら天井を見上げる。
「ねぇねぇ、当主さんが……っていうか、あんたのお父さんが死んじゃったことは知ってる?」
「……何?」
「やっぱ知らなかったんだ。急病だって。普通に寝て朝に死んじゃってたって。怖いよねー。いくら魔力があったって、人間は人間だもんね。んで、急だったせいで遺言も何も残してなかったから、さぁ困ったのは残された側。ていうか現在進行形で困ってるんだよね。主に次期当主のことで」
「……なるほど」
「んで、聞いたところ、あんたが監禁されてる理由を知ってたのは、前当主だけだったみたいだね。そんなわけもあって、次期当主としてあんたの名前が挙がってるってわけ」
「私を操ることが出来れば、それはこの家も意のままか」
「あんたを助けるついでに、他の候補者と戦って、情けなく負ける姿を他の奴らに見せたから、ほっとけばあんたが当主になるでしょ。私に襲われて掠り傷程度しか負ってないわけだし」
「悪いが、断る」
そう言うと、彼女は目を丸くした。
「家や家の者はどうでもいいが、したくもない研究をするくらいなら君に殺された方がマシだ」
「ふぅん」
彼女はどうでもよさそうに呟くと、手提げ鞄から一冊の本を取り出し、私に向けて投げた。
それを掴み、表紙を見た瞬間、私の心臓が思い切り跳ねた。
「それ、私の家の禁術書。もちろん本物。ま、あんたが聞いてた術とは違うと思うけど。あれ、ただの噂だし。デマだし」
彼女の言葉をほとんど聞き流しながら、禁術書を開く。一ページ目に書かれていた禁術の名称を見て、私は顔を上げた。
「頼みたいことは、その術を使うのに必要な魔力の削減。私も自分でやってみたけど、私十人分の魔力まで下げたところで行き詰っちゃったんだよね」
「……こんな魔法、何に使う気だ?」
「使いたくはないけど、使わなきゃいけなくなった時の保険にね。出来れば私三人分くらいまでは下げたいんだけど、やっぱ一人じゃ限界あるわけだよ」
「どちらにせよ、こんな禁術中の禁術が存在する事を教えられる奴は限られてくる。私の家の者とはいえ、誰にでも手伝わせることは出来ない」
「うん。それでいいよ。余った人達にも一応やってほしいことあるし」
「やってほしい事?」
「佐竹家の呪いの完全消滅」
その言葉に、五年前、彼女について調べた時の事を思い出した。
神山鈴、佐竹依千、二人とも生まれ持ったもののせいで小学校に通っていなかったこともあり、よく一緒に遊んでいて、仲が良いと。
なんだ? つまり彼女は佐竹依千の呪いをなんとかするために、名家の一つを手中に収めようとしているという事か?
しかし、そうだとすると、疑問が生まれる。
「何故わざわざ私やこの家に頼む? 佐竹家でも完全解呪の研究くらい進んでいるだろう」
「あー、無理無理。私、佐竹家にお世話になってた頃、梅津の当主殺しちゃって、今や両方から目の敵にされてるから。……それに、佐竹家は当てにならないしね」
「…………」
「なにその目! 言っとくけど、あんたのお父さんは殺してないからね!」
「あぁ、いや、いろいろ聞きたいことはあるが、ようするに君は佐竹依千を助けたい、ということか?」
「まー、そんなとこ」
目を逸らした彼女の、少し照れ臭そうな表情を見て、確信する。
やはり私は間違っていた。彼女は天才である前に子供だ。容姿だけでなく、精神面でも同年代より幼いかも知れない。だからこそ恐ろしい。彼女はおそらく、佐竹依千を、ただの友人、つまりは他人を助けるために、なんでもするだろう。
そう、例えば。
「その頼みごとを聞くのはいいが、一つ条件がある」
「なに?」
「君にも研究に協力してもらいたい。もちろん、類い稀な魔力、そして幻とも言われた眼を持っている実験体として」
「いいよ」
こんな危険な提案さえも了承してしまう。
「話はとりあえずこれだけでいい? んじゃあ私、あんたに追い払われたって感じで帰るから、そっちはそっちでちゃんと演技してね」
「あぁ。……そうだ、五年前の事、謝罪した方が良いだろうか」
「止めてよ。されたら許しちゃうじゃん。あんたはずっと悪者でいればいいの」
「そうか。君が望むなら、そうしよう」
その方が、これからの研究もやりやすいというものだ。
十畳ある当主の自室で彼と目を合わせた瞬間、昔の事を思い出した。死ぬ前に見るという走馬灯ではなく、ただの懐古。たった二年ほど前の事だが、それからの毎日が色濃かったせいか、遠い昔の事のようにすら感じる。
先程まで外から聞こえていた争いの音はいつの間にか止み、部屋の中には冷たい沈黙が流れている。佐竹家と争いになり、もしも彼、高峰裕太が出て来た場合、抵抗はするな。反対の声は少なからずあったが、この家には二年前に神山鈴と戦っている者達が残っているため、彼女以上の魔力を持つ彼にはどうやっても敵わない事が分かっているのだ。
そしてそれは、現当主である私とて変わらず、こうして彼の一挙一動に警戒していても、次の瞬間に首が跳んでいたって不思議ではない。五年間の軟禁生活、そしてそれからの二年間、ぬるま湯に浸っているような日常を送ったことによる実戦のブランクは言い訳にならない。
しかし、だからこそ、全盛期の私には気付けなかったことが、今なら分かる。
高峰裕太は、あの時の神山鈴と同じだ。おそらく、少し押したくらいで砕ける程度の精神状態。あの時は神山鈴の精神が耐えきれなくなり助かったが、今回も同じと言うわけにはいかないだろう。
天才である前に、神山鈴も、高峰裕太も子供だ。自分だけの力では逃げられない。誰かが逃げ場を作ってやらないといけない。私は神山鈴から逃げ場を奪い、今、高峰裕太はその場所を守るためにここに立っている。そして、逃げ場所が大事だということは、大人に近付くにつれて気付いていくものだ。高峰裕太の過去は既に調査し、目を通した。居場所の大切さなら、彼はよく分かっているだろう。
だから、彼は手を止めない。子供だが、大人でもある彼は、間違いなく私を殺す。
彼が、佐竹家が何故、ここへ攻めて来たのか、予想はつく。
数日前にあったという、佐竹依千、伶、高峰裕太及びその護衛が襲撃されたという事件。その犯人に仕立て上げられたのが私達、松戸家なのだろう。
「解除キーは」
口を開くと、彼はピクリと肩を動かした。とりあえず、私が生きているということは、問答無用で殺す、ということはないらしい。戦いの場において、それは油断に他ならないが、私からすれば有難く思う。それは、まだ迷っているということ。だからこそ騙されるが、彼もまだ誰も信じていない証拠だ。
「『ディアリテ』だ」
だからこそ、彼は知るべきだ。
私達が何を研究しているのかを。私が昔したことを。あの時、何故神山鈴は神山家の屋敷に居なかったのかを。
目を閉じると、彼女の顔が瞼を裏に映った。私が監禁されていた部屋は、穴を直してから彼女が使っていた。もともと彼女に帰る場所はなく、そして屋敷の者に知られることなく研究に協力してもらうには、誰も近寄らないこの部屋が最適だった。もっとも、彼女は自分で作った認識阻害の魔法を使って、屋敷中を好きに歩いていたため、隠れ蓑としてはあまり使われていなかったようだが。
少し前まで彼女は口を開けば佐竹依千の事を話していたが、最近は高峰裕太のことも口にしていた。松戸家当主として妻を持ち、子も一人いる私だが、一目惚れなどの経験はなく、彼女に呆れられたりもした。
そんな高峰裕太が、親族や仲間の仇である私を殺す。
彼女は喜ぶだろうか。それはいくら考えても、分からない。
それでいいと、今は思えた。