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 浅い眠りから目を覚ますと、部屋は真っ暗だった。

 今は何時だろう。一階から足音や話し声が聞こえてくるから、夜中というわけでは無さそうだ。

 佐竹家で僕が使わせてもらっているこの部屋に時計は無い。春日部さんに『買ってきましょうか? ないと不便ですし』と言われた時も、携帯電話があるからと断った。

 しかし、今、手元どころかこの家に僕の携帯電話はない。今日の夕方にあったゴタゴタで、通学用の鞄ごと教室に置きっぱなしになっている。

 やっぱり時計は必要かもしれない。そんなことを考えながら、うっすらと見える天井を見上げたまま、夕方のことを思い出す。

 神山さんと護衛さん達の戦いは一瞬で終わった。

 何が起こったのかは分からなかったが、あの後、護衛の人達全員がその場に崩れたのだ。

『応援が来る前に逃げるね。んじゃ、また来週』

 神山さんが去り際に残した言葉通り、三分もしないうちに駆けつけた応援の人達によって、僕達は保護され、佐竹家まで送り届けられ、そのまま自室待機を命じられた。

 自室に戻り、緊張が解けた途端、眠気が襲ってきて、抗う暇もなく眠ってしまったらしい。

 まだ半分夢の中にいるようなフワフワとした気分のまま、初めて見た魔術師同士の戦いを思い出していると、部屋の襖が小さくノックされた。

「はい」

 寝ている間に喉が乾いていたらしく、声が少しだけガラガラになっていた。

「まだ寝てた?」

 ゆっくりとドアを開けてそう言ったのは伶さんだった。制服のまま寝てしまっていた僕と違い、寝間着のスウェット姿だった。

「さっき起きたところだよ」

 上半身を起こし、電灯の紐を引っ張る。明るくなると、伶さんの顔が少し赤くなっていることに気付いた。お風呂上がりらしい。

「えっと、ごめん、今って何時?」

「今? 九時前くらい。……そういえば、この部屋って時計ないのね」

「いつもなら時間は携帯で見るんだけど、学校に置きっぱなしなんだよね」

「あぁ、鞄なら客間に置いてあるから」

 布団の横に腰を下ろしながら伶さんは言った。誰かが学校から取ってきてくれたらしい。

 伶さんからお風呂の熱気が伝わってきて、少し鼓動が早まった。寝起きにこういうのは止めてほしい。というか、伶さんは何故腰を下ろしたのか。

「………………」

「……えっと……どうかしました?」

「なんで丁寧語なのよ」

 睨むような視線が怖いからです。

「高峰君、私に聞きたいこととかないの? 神山鈴のこととか……、依千のこととか」

「じゃあ神山さんのことを……」

「依千のことはいいの?」

「……そっちは後で」

 そりゃあ聞きたくないと言ったら嘘になる。でも、あれほど必死になって神山さんを止めようとしていた依千さんを思い出すと、聞いていいものかと迷ってしまう自分がいた。

「そ。で……神山鈴ってのは」

 顔を上げて、伶さんを見る。

「神山家の末裔で、唯一の生き残り」

「そういえば、今朝も言ってたよね。神山家はもう神山鈴さんしかいないって」

「神山家は魔術師の一派に襲撃されたの。もともと神山家は大した数の親戚もいなくて、ほとんど無くなりかけてた家系だったから、親戚が集まってるところを狙われて、あっと言う間に家は死体だらけ。もちろん私が見たわけじゃないけど、酷い有り様だったらしいわ。その時の唯一の生き残りが当時十歳の神山鈴。その頃からアイツの名前は有名だったし、襲撃はアイツを狙ったんじゃないかって説もあった」

「他の説っていうのは?」

「神山家の禁術書。まぁ、存在自体微妙な噂程度のものだったから、最初からなかったのかもしれないけど。他には……、神山家は代々、魔法研究と新しい魔法の発明をしていたの。『魔力譲渡』や『解呪』を発明したのも神山家よ。呪いの原因になった争いの時は中立の立場にいたんだけど、ここ百年くらいは呪いのこともあって私達の方に肩入れしてたから、それで目を付けられたのかも。ま、ただの予想ってだけで、真相は誰にも分からないけどね」

「……ということは、その魔術師一派、まだ捕まってないの?」

 そう訊くと、伶さんの表情が一瞬だけ固くなったような気がした。

「ん。捕まってはいないわね。みんな、死んじゃってたらしいし」

「……死んでた?」

「言ったでしょ? 唯一の生き残り、って」

 その言葉を理解した瞬間、息が止まった。

「十歳の子供が三十人を超える魔術師を倒すなんて信じられないかもしれないけど、神山鈴は特別なの。現代では有り得ないほどの魔力量、圧倒的な魔術センス、それと……」

 伶さんは右手の人差し指で、自身の右目を差した。

「特別な眼」

「目……?」

「高峰君も見たでしょ? 神山鈴の回避能力の高さ」

 魔術師達の攻撃を避けながら僕に話しかけてきた神山さんが瞬時に浮かぶ。

「アイツには、未来が見えてるの」

「……未来が? それも魔法?」

「一応、魔法ってことになるのかしら。でも最初に言っておくけど、いくら魔力があっても魔法のセンスがあっても、そんな魔法は使えないわ。アイツの眼は、抗争があった頃よりもっと昔、神山家の家系に稀に現れたって言われていたものなの。何百年も前から『眼』を持つ人が出てこなかったから、ほとんど伝説、はっきり言えば御伽噺みたいなものだったんだけどね。それが現代に現れて、しかも魔力量は五割。少し成長すれば天才的な魔法センスがあることも分かって、古代魔術師の再来なんて言われていたわ。ま、アイツ自身は今と変わらなくて、自分のやりたいことをやるって感じの性格だったけど。とにかく、色々とイレギュラーな存在だからね。魔術師三十人を倒したって聞いても、あまり驚かなかったわ」

「……伶さんはその頃から神山さんと知り合いだったんだ?」

「まぁね。さっきも言ったけど、神山家はうちに協力してくれてたから、アイツも親にくっ付いて遊びに来てたわ。神山家がアイツ一人になってから、うちにいた時期もあったし。だから私のことも、依千のことも知ってる。ま、依千は覚えてないでしょうけど」

 伶さんの言葉で確信する。やはり、神山さんが言っていたことは真実だったのだ。

「……………………」

「……言っとくけど、依千が神山鈴のことを忘れたのは高峰君のせいじゃないからね。別に、あれが初の記憶消去ってわけでもないし」

 その言葉に、一瞬ホッとして、すぐにそんな自分を嫌悪した。

「……依千さんはこれまで何回?」

「高峰君のを含めて三回ね。一回目は七歳の頃、二回目は十三歳の頃」

 つまり、僕は何も知らずに依千さんの三年分の記憶を消したのだ。そのことを知らなかった自分に苛立ちを覚えて、全てを知っていて、たかが確認のために依千さんの記憶を消すことを厭わなかった周りの人達に恐怖を覚えた。

「僕に黙ってたのは、依千さんがそう言ったから?」

「そうよ。記憶を失う前も後もね」

「なんで?」

「分からない?」

「……二つ、理由は思い付いてるけど」

 伶さんは、続きを促すように首を縦に振る。

「一つ目は、本当のことを知った僕がいざという時に怖じ気づいたら困るから。二つ目は……、ただ単に、僕に重荷を背負わせたくなかったら」

「どっちだと思う?」

「……二つ目かな」

「正解、なんじゃない? 私も理由まで聞いてないけど、依千だし、そんなとこでしょ」

 伶さんは若干呆れたように素っ気なく言う。

「伶さんが依千さんに冷たいのも、記憶のことが原因?」

「……さぁ。あんまり意識してないから」

 伶さんはそう言うと、

「もう質問はない?」と立ち上がった。

 質問したいことなら山ほどあるけど、もう時間も時間だし、早く夕飯や風呂を済ませないと迷惑になるかもしれない。

 僕が頷くと、伶さんは「じゃ、おやすみ」と部屋を出て行った。

 早く一階に行こう。

 そう考える頭とは裏腹に、背中から布団に倒れた。

 思い出すのは、一昨日のこと。

 魔力譲渡の適応者が見つかったと聞いた時、僕を迎えに来た時、魔力譲渡の確認を待つ間、そして確認の時、依千さんはどんな気持ちだったのだろう。それはもう誰にも分からない。依千さんにだって、分からない。

 震えていたのは緊張のせいなんかじゃなかった。ただ、恐怖。そりゃあそうだ。記憶を失うなんて怖いに決まっている。

 僕の言葉は、そんな依千さんを少しでも励ますことが出来ただろうか。

 襖が叩かれたのは、そんな時だった。伶さんが戻ってきた、とは考えなかった。襖を叩く遠慮がちな音で、誰が来たかは予想がついた。

「はい」

「あ、あの」

 上半身を起こしてそう言うと、襖が二十センチほど開く。そこにいたのは、予想通り依千さんだった。

「は、入ってもいいですか?」 ここで確認を取るあたりが伶さんとは違う。それは当然のことだけど。

「どうぞ」と言うと、依千さんは緊張した様子で部屋に入り、伶さんが座っていたところ……から一歩下がったところに腰を降ろした。

「あの、えっと……その……」

「……記憶のことなら伶さんに聞いたよ?」

 早速しどろもどろになっているのを見てそう言うと、伶さんは「あ……」と呟いてから俯いてしまった。

「あの……黙っててごめんなさい」

 ぺこりと頭を下げる。

「いや、僕はいいんだけど……」

 依千さんはそれでよかったの? 言外にした質問は伝わらず、依千さんはもう一度小さく頭を下げた。

「ごめんなさい。で、でも、記憶のことは高峰君のせいじゃないから……」

「うん」

「封印されてる大きな魔力を渡す代償が記憶ってことらしくて、私が自分で消しちゃってるようなものだし……」

「うん」

「だから、気にしないでくださいね」

 そう言って依千さんは僕を見た。

 記憶を失う前、魔力譲渡の確認の際に僕達が短い言葉を交わした時と同じ笑みを浮かべて。

 そして僕は、今更理解した。

 僕の言葉は、依千さんを励ませてなどいなかった。

 彼女が笑ったのは、僕のためだった。

 不安を取り除くような、緊張を和らげるような笑顔が、今の僕には眩しかった。天井の灯りなどより、ずっと。

 涙がこみ上げてくる感覚はなかった。急に、瞳から零れ落ちた。ただ悲しいだけの涙だというのは分かった。

「た、高峰君……?」

「……ごめん」

 泣くのなんて何年振りだろう。

 膝を立てて、掛け布団に顔を埋めて、しかもクラスメートの前で。

 泣くべきは僕じゃない。それが分かっていても、涙は止まらなかった。

 ふと気が付くと、隣からも嗚咽が聞こえていた。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を上げると、依千さんが深く俯いたまま肩を震わせていた。

 本当なら、僕が励まさなくちゃいけないのに、何故かそれが嬉しくて、僕達は泣き続けた。

 何年も溜め込んでいたものを、一気に吐き出すように。






 目を覚ますと、いつもより頭が重く感じた。枕元で鳴り響いている携帯電話のアラームを切ってから時間を見る。

 朝の八時。休日にしては早い時間だが、自分一人の家ではないのでこんなものだろう。

 昨日は学校から帰って寝てしまったこともあり、眠れたのは明け方近くなってからだった。頭が重たいのは、睡眠不足か、それとも過多か、あるいは久し振りに大泣きしたからか。

 適当な服に着替えてから、畳んだ服と布団を両手で抱えて一階に降りると、玄関先で春日部さんと和美さんが話をしていた。

「おはようございます」

「おはよう、高峰君。休日なのに起きるの早いのね。伶ちゃんにも見習って欲しいわ」

 源治さんと一緒でいつも和装を着ている和美さんが微笑みながら言う。高校生の娘を持つ母親には見えないほど綺麗な人だが、時折、伶さんや依千さんと似ている表情をするから、そのたびに『親子なんだなぁ』と思う。

「おはよーごさいます、高峰さん」

「春日部さん、あの、身体は大丈夫ですか?」

「あー、心配いりません。魔力は全快とは言えませんけど、身体は怪我一つなくて逆に情けないくらいです。あ、布団もらいますよ。洗濯もんもついでに」

 僕から服と布団を受け取ると、春日部さんは「ほな」と言って、裏庭の方へ行ってしまった。昨日は倒れたっていうのに、元気な人だなぁ。

「じゃあ朝ご飯にしましょうか」

「あ、はい」

 返事をして足を動かそうとしたが、和美さんの視線を感じて動きを止める。

「んー」

「えっと、どうかしましたか?」

 もしかしてTシャツを反対向きに着ているとかだろうか、と思い、服装をチェックする。

「ご飯の前に、目薬が必要かしら」

「……目薬、ですか?」

 和美さんは頷く。

「夜更かしでもしたの? 目、真っ赤よ?」

「え、そうですか?」

 確かに夜更かしもしたが、多分原因は泣いたから、とは言えず、そう返しておく。

 和美さんが「うん」と再度頷いた時、後ろから小さな足音が聞こえてきた。

 振り返ると、ちょうど階段の角から依千さんが姿を見せた……が……。

「あら」と和美さん。

「あ、お、おはようごさいます、お母さん、高峰君。………………?」

 僕と和美さんの視線を受けて、不思議そうに首を傾げた依千さんの目は、多分僕と同じくらいに真っ赤だった。

「目薬、必要ね」

 可笑しそうに言う和美さんに、僕は力無く「はい」と答えた。


 和美さんは既に朝食を済ませていたらしく、僕達の食事を用意するとどこかへ行ってしまった。

 四人で使っていても広く感じるテーブルに、今は二人。斜め向かいの椅子に座っている依千さんは、並べられた朝食(ご飯に味噌汁、あとは大皿に昨晩の残り)をじっと見ている。

 ここまで会話はない。昨日のことを思い出すと、恥ずかしさのあまり泣きそうだったし、和美さんが喋っていてくれたから。

「えっと、じゃあ、いただきます」

 とりあえず、夜更かししたせいか、お腹は空いている。僕が食事を始めると、依千さんも合掌して小さく口を動かしてから箸を持った。

 一人暮らしをしている間、朝食はパンだったから、朝からご飯や味噌汁があるというのは有り難いし、祖母と暮らしていた時のことを思い出す。母親と仲が悪かったらしい祖父母――特に祖母は息子である僕のことも嫌っていたようだったけど、ご飯はしっかり食べさせてくれたし、中学、高校にも通わせてくれただけでなく、遺産までキッチリと僕に配分するよう遺言を残してくれた。居候の身、当然ながら家事の手伝いや掃除はしていたけど、嫌われているという思いから、祖父母とはあまり会話がなかった。もし、祖父母が今も生きていて、僕がこんな状況にいることを知ったら、なんと言うだろうか。心配は、してくれるだろうか。

「あ、あの」

 その声に、顔を上げる。視界が戻ってくる感覚に、しばらく呆然としていたことに気付く。

「大丈夫、ですか?」

 どうやら、僕がボーっとしているのが気になったらしい。茶碗を持ったまま固まっていたわけだし、当然と言えば当然かもしれないが。

「あぁ、ごめん。大丈夫だよ。まだ頭が半分寝てるみたい」

 そう言うと、依千さんは小さく笑った。昨日の笑みとは違う、自然なものだった。

「あの、高峰君」

「ん?」

「あのね、えーと……答えにくいかもしれないですけど……」

 依千さんは少し顔を俯けて、たまにこちらをチラチラと見てくる。答えにくい、と言うように、依千さんにとっても訊きにくいことで、遠慮がちになるのは分かるけど、上目遣いは止めてほしい。嫌じゃないけど止めてほしい。

「き、記憶を失う前の私って、どどんな性格でしたか?」

 ドドンという未知なる性格について質問したかったけど、そんな揚げ足取りをするほどひねくれてはいない……つもり。

「……どんな性格、かぁ」

 確かにこれは訊きにくい。僕以外の人には、特に。答えにくいのも同じだろう。

「知り合って数時間だったから正確じゃあないと思うけど、僕から見たら、今と変わらないよ。拉致された時はどうしようかと思ったけど」

「あぁ、そうですか。よかったです…………拉致?」

 目を丸くして首を傾げる依千さん。頬にご飯粒が付いているのが可笑しい。

「うん。僕を迎えにきてくれたのが依千さんだったんだけど……」

 初めて会った時のことを話すと、途中から依千さんはアワアワと慌て始めた。

「ご、ごめんなさい。多分、人見知りで緊張してて……」

「あぁ、うん。僕も人見知りだから、そうなのかなって思ってたよ。悪い人には見えなかったし」

「高峰君も人見知りなんですか? なんだか、そんな感じしないです」

 疑うようにではなく、ただ素直にそう思ったらしく、キョトンとした表情で依千さんは言った。

 僕と依千さんでは、たった一日弱とはいえ、初対面に差がある。やはり、それが大きいのだろう。

「まぁ、慣れなのかな。依千さんも、和美さんとか伶さんとは普通に喋れるでしょ?」

「お母さんは……はい。お姉さんは少しこわ……緊張しますけど」

 伶さんは怖がられているようだ。まぁ、端から見ても冷たい時があるし、仕方がないかもしれない。

「とりあえず、もう少しくだけた喋り方してみたらいいんじゃない? 僕や伶さんが相手の時くらいは」

「く、くだけた喋り方、ですか」

「うん」

「……善処します」

 早速善処出来ていないけど、今のはノーカウントにしておこう。

「そういえばさっき春日部さんを見たけど、怪我が無さそうでよかったよ」

「あ、はい。他の皆さんも、魔力が空っぽ寸前になっていただけで怪我とかは無いって昨夜聞きました。あ、でも壁に叩きつけられた人は腰を痛めちゃったみたいです……」

「…………」

 早速善処出来ていないけど、ホッとしたような笑みを浮かべているので聞き流しておこう。それよりも、依千さんの言葉に気になる箇所があった。

「魔力が空っぽっていうのは?」

「あ、はい。神山鈴さんの魔法の効果だと。多分」

「多分?」

「魔力を消す魔法っていうのは、未発見みたいです。だから、神山さんが自分で作った魔法なんじゃないかと……」

「……魔法ってそんな簡単に作れるものなの?」

「えっと、普通は無理です」

「……だよね」

神山家は代々、魔法研究と新しい魔法の発明をしていた。伶さんの言葉を思い出して、納得するよりも先に脱力感を覚えた。

伶さんが言った、神山さんが特別な三つの理由。それに加えて、自分で新しい魔法を作り出せるなんて、本当にイレギュラーすぎる存在だ。今でこそ、僕達と戦う気はないみたいだけど、敵に回ったらと思うと……。

「伶さん、今日は特訓付き合ってくれるかな」

 少しでも強くなっておかないといけない。最低でも、神山さんから逃げ切れるくらいには。当然だけど、解呪と魔力譲渡は使いたくない。でも、いざ使って役に立たないなんて事は、もっと嫌だ。

「あ……。ごめんなさい。多分、今日は無理だと思います」

「え、そうなの?」

「はい。あの、今日はここで集会をするみたいで、私達は夜まで外にいるようにって……」

「あー、そうなんだ……」

 昨晩、なかなか眠れなかったため、魔法基礎の本を読んで、少しだけ魔力操作をやろうとしてみたのだが、情けない事に、前提として書いてある『まず魔力を身体の中心、胸の部分に溜めます。出来ましたね? それでは……』という部分から出来ないため、見てもらいながらコツを聞きたかったのだけど。

「って、あれ? 外って……、依千さんも?」

「あ、はい」

「それっていいの? 危ないんじゃ……」

 今でこそ学校に通い始めた依千さんだけど、その前までは外出なんてほとんどないようだったし、僕自身、こうなっては気楽に外に出る事など出来ないだろうと思っていた。

「はい。護衛の人はつけてくれるみたいですし、大丈夫だろうって。お姉さんも付いてきてくれますし」

「そうなんだ。どこに行くとかは?」

「買い物がしたいってお姉さんは言ってました。服とかを見たいって」

 服かぁ。当然だけどレディース物だよなぁ。小学生の頃、母親が買い物――特に洋服の――をしている間、退屈で退屈でしようがなかった記憶がある。護衛される立場上、店内とはいえ別行動するのはよくないだろうし……。どうせじっとしているなら、魔力操作の練習でもやっておこうかな。

「あ、あの。高峰君」

「ん?」

「出掛けるまででいいなら、あの、私が……その、特訓……」

「見てくれるの?」

「は、はい。お姉さんと比べたら下手くそですけど、魔力操作くらいなら……えへへ」

「…………」

 僕はその魔力操作の前提すら出来ていないわけだけど、照れ臭そうに笑う依千さんを見ていると、やはり何も言えなかった。



「魔力が感じられない?」

「うん。なんか、本には出来て当然みたいに書かれてたんだけど、さっぱり……」

 裏庭に来て、早速やってみたが、結果は寝る前と変わらず。

 そんな僕を縁側に座って見ていた依千さんに訊いてみると、「うーん」と首を傾げた。

「高峰君の魔力量って、えと……なんて言うか……か、かなり控えめ、なんだよね」

 心遣いが苦しい。

「多分、今は、その魔力が体中に分かれてる……分散してるんじゃないかな」

「……僕が魔力を感じられない原因は、魔力が小さくなりすぎてるから、ってこと?」

「う、うん。多分そうだと思い……思うよ。でも、その魔力を一カ所に集めたら、感じられると思うんだけど……」

 妙に歯切れが悪い。慣れない喋り方をしていることだけが原因ではないと思う。

「魔力を集めるっていうのは、えっと、魔力操作の上手さにもよるけど、箒で床を掃くみたいな感じなの。体中の魔力を少しも残さず一部分に集めるのは難しくても、とりあえず魔法分の魔力を集められれば成功だから、大雑把になりがちで……」

 ふむ? と思わず首を傾げる。分かりような、分からないような。

「えっとね、でも高峰君の魔力は、その……控えめだし、分散して更に控えめになってるから、箒で掃くくらいじゃ動かないんじゃないかなって……」

「……………………」

 丁寧すぎると失礼になることもあるんだなぁって勉強になった。

 つまり、掃き掃除だけでなく雑巾掛けをしないといけないほど、僕の魔力はショボイらしい。

 魔力操作が上手くなれば出来るようになるのだろうが、しかしその練習すら出来ない現状。あれ? 詰んでる?

「あの、依千さん、いや、依千先生。僕はどうすれば……」

「えっ……!? あの、その」

依千先生は両手をあっちこっちに振りながら、目を盛大に泳がせている。先生というより、中学の時に見た教育実習生みたいだった。

「と、とりあえず、だ、大先生が起きるのを待ちます」



「そういうわけです、大先生」

 何時の間にか起きていたらしく、朝食中だった大先生に話を訊く。

 大先生は眠気とだるさが半々の瞳をこちらに向けると、「流石、奇跡」と短く言った。僕の心は酷く傷付いた。

「依千、私の部屋に基礎の上級本があるから取ってきて」

「あ、はいっ」

 依千先生は素早く廊下へ掛けていく。近頃の学校では先生に威厳がないことが問題になっている、なんて社会事情をなんとなく思い出した。

 依千さんが部屋を出て行くのを横目で確認してから、伶さんは食事を再開する。今朝、一階へ降りてきた時から寝間着を着替えていた依千さんと違い、伶さんは寝間着どころか寝癖もそのままだ。頭頂部辺りでピョンと跳ねている髪の毛にデコピンをしたくてたまらない。

「……いつのまにか仲良くなったのね」

「え?」

「依千と」

「……そうかな?」

「そう見えるけど」

 伶さんは短く言うと、黙々と箸を動かす。僕が向かいの席に座ると、一瞬だけこちらに視線を向けた。

「上級ってことは、難しいんだね」

「そりゃあ初級と比べたら難しいでしょうけど、私もちゃんと読んだことないから。魔力操作なんて、他の魔法を練習してれば自然と出来るようになるものだし、そんな残り少ない魔力を使うなんて、危険だから普通はやらないもの」

「そういえば魔力を使い過ぎると最悪死ぬって……」

「そうそう無いけどね。体力と同じで大抵死ぬ前に気を失うから」

「例えば、僕が魔法使ったら?」

「小さな魔法なら気絶、大きな魔法なら死ぬ可能性もあるくらいじゃない? 足りない分の魔力は命削って補うわけだし」

 ふーん、と呟いて、廊下の方に目を向ける。依千さんの足音は聞こえない。

 正面を向き直ると、目を細くして僕を睨んでいる伶さんがいた。

「言っとくけど、間違っても魔法を使おうとしたりしないでよ。万が一、そのタイミングで敵が、特に神山鈴なんかが来たらヤバいんだから」

「わ、分かってるよ」

 もちろん、僕にそんな気はない。思わず口ごもってしまったのは、依千さんが解呪することを当然のように言われたからだった。

 伶さんは、依千さんが解呪によって記憶を失うことについてどう考えているのだろう。神山さんが解呪と魔力譲渡による代償を話している時も表情は変わっていなかった。

 七歳、十三歳、そして三日前。依千さんこれまで三回記憶を失っているように、伶さんもそれを同じ数だけ近くで見ている。姉妹が記憶を失って何も感じていないとは思わない。ただ、やはり慣れというものはあるのかもしれない。それか、ただ単に僕より大人だから、感情論を抜きにして現状を理解出来ているとも考えられる。

 伶さんが「ごちそーさま」と合掌した時、階段を降りてくる足音が聞こえてきた。

 それに気付いているのか分からないが、伶さんは食器を重ねながら、

「あと三十分もしたら出掛けるから、ごめんけど依千にも準備するよう言っといてくれない? それと、魔力操作の前に魔力感知の項目を読むことをオススメしとく。気休め程度にはなるでしょうし」

 僕が頷くと、空いた食器を全て重ねて流し台に置くと、洗面所の方へ歩いていった。

 入れ違う形で戻ってきた依千さんは、胸に分厚い本を抱えていた。

 初級本でもかなりの厚みがあったが、見ただけでもそれ以上だ。

「お待たせしましたー。あれ? お姉さんは……」

 本を受け取り、伶さんの言葉を伝えると、依千さんは「じゃあ準備してきます」と言って再度廊下へ出て行った。

 一人取り残され、特に急いで準備することもない僕は、本をテーブルに置いて眺めてみる。

 見た目はA四サイズの辞書といったところ。シンプルながら高級感漂う表紙には『魔術基礎 上級』と書かれている。本には青色の付箋がたくさん付いていて、『魔法防壁』や『物理防壁』などの魔法名が書かれていた。聞いたことがない魔法とは言え、その文字から防御系の魔法であることは予想出来る。

『伶ちゃん、相変わらず攻撃系の魔法は得意じゃないんだね』

 そういえば、神山さんがそんなことを言っていたっけ。

 普段の伶さんを見ていると、防御よりも攻撃の方が似合いそうなのだが、どうやら本当らしい。

 付箋の中に『魔力操作』、『魔力感知』という文字を見つけた。この二項目だけ黄色の付箋だったので、すぐに分かった。

 伶さんの言葉に従って、とりあえず『魔力感知』のページを開いてみる。

 初級本と同じで、文字面でなんとなく意味が分かるような言葉が多分に含まれていて、全てを理解したとは言えないが、要約すると、『魔力感知』とは、本来は『魔力操作』が苦手な身体の部位を探すための、いわゆる補助の補助のような魔法らしい。

 人に利き手があるように、魔術師なら誰でも魔力操作が上手くできない部位がある、というのは初級本にも載っていた。部位は、右手だったり、左足だったりと様々だが、大抵は利き手じゃない手、あるいは利き足と逆の軸足の可能性が高いらしい。

 僕は利き手、利き足とも右だが、現状で言えば苦手な部位は全身と言っても間違ってはいないはずだ。

 そして肝心の魔力感知のやり方だが……。

「……………………?」

 僕の読解力がないのだろうか。色々書いてあることは書いてあるのだが、結局は『集中しろ』ということしか書かれていないような気がする。

 本と睨めっこしながら頭を捻っていると、歯ブラシをくわえた伶さんがいいタイミングで戻ってきた。

「ねぇ、伶さん。魔力感知の方法なんだけど……」

「ひたすら集中」

「……やっぱりそうだよね」



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