3
「今日は護衛対象兼最終兵器の二人が揃ってるから、敵に襲われた時の対処法を話すわね」
翌朝、佐竹家の門を抜けて現実世界に戻ってきた時、伶さんがそう言った。
伶さんの隣で頷いている依千さんは制服であるセーラーとスカート姿で、よく似合っていた。伶さんも似合っているから当然といえば当然かもしれないけど。
「まず、敵が襲ってくる確率が一番高いのは、今。つまり登下校中ね。だから、姿は見えなくても常に数人の護衛がついているわ。このことは二人とも知ってるでしょ?」
頷く。
「二人に動いてもらうのは、護衛がやられた時ね。文字通り、最終兵器だから。ま、そんなことはないと思っていいけどね。護衛の人達はみんな、私や依千より強い人ばっかりだから。
でも、万が一、危険が迫った場合の判断は自分でよろしくね。依千も、敵が来たら、解呪と魔力譲渡をいつでも発動出来る状態にしとくこと。
ま、説明はこんなところだけど、大体の敵なら私達が気づく前に護衛の人がなんとかしてくれると思うからあんまり気を張らなくていいわよ。実際、昨日も五人程度の魔術師が高峰君を狙ってきたらしいし」
頷きながら話を聞いていたが、最後の言葉に表情が固まる。
「え、それ、初耳……」
「私だって今朝聞いたのよ」
実感がない、なんて考えていたが、裏では既に始まっていたのだ。自分の呑気さに呆れてしまう。
「まぁ、こんなすぐに襲撃してくる敵は大抵が考え無しの脳筋だから大丈夫よ。厄介なのは、しっかりとした計画を立てて襲撃してくる奴らね。
例えば、私の家と昔から対立していて、影では冷戦状態、なんて言われてる松戸家とか、三年前にあった事件のせいで険悪になってる梅津家なんかね。それと……」
伶さんの顔に、今までにないほどの嫌悪が表れる。
「神山鈴って奴には気を付けなさい」
先に口にした松戸家と梅津家と違い、それは個人を差していた。
「神山家じゃなくて?」
「うん。神山鈴。神山家って言ってもいいけどね。どうせアイツ一人だし」
「アイツって、知り合い?」
「……元、佐竹家の仲間だったのよ。さっき言った梅津家の事件。あれを起こしてからもう帰ってきてないし、帰ってきたとしても追放だけど」
「事件、ってなにやったの? 魔法関連だよね?」
「梅津家当主の殺害」
淡白に言う伶さんの向こうで、依千さんの肩が震えた。
「当主の殺害って……」
「そう。ヤバかったわ。激昂した梅津家と抗争寸前までいったから」
「ていうか、よくそうならなかったね……」
「それもアイツが止めたのよ。自分と佐竹家は関係ない。抗争を起こすようなら自分が梅津家を完全に潰す、ってね」
「……えっと、それは火に油を注ぐってやつじゃ……」
「まぁ普通はそうね」
いつの間にか、伶さんの表情は苦々しいものに変わっていた。
「神山鈴の魔力量は五割よ」
「……っていうと……」
伶さんと佐竹家の客間でのんびりしている時、魔力容量と魔力量について質問してみたことがあった。
コップと水で例えると、魔力容量がコップで、魔力量が水。現代魔術師は、過去と比べると魔力量が半分以下になっていて、誰もが容量を持て余している状態だという。魔力容量に個人差というものはほとんどないらしいが、僕は容量が特別大きく、しかも魔力量が雀の涙ほどしかないらしい。だからこそ封印された魔力を受け止められるのだが、伶さんに『奇跡としか言えないくらいショボイ』と言われた時は悲しくなった。
そういう伶さんの魔力量は、魔力容量の二割五分ほどらしい。これは、現代魔術師の中では多い方で、佐竹家の精鋭でも、魔力量はせいぜい三割弱らしい。
「神山鈴の魔力量は私や依千の約二倍。私達の仲間で一番魔力量の多い魔術師は三割」
ま、高峰君からすれば自分の四分の一以下だろうけど、と伶さんは投げやりな感じで言う。
「えっと、魔力量とかの力関係ってまだよく分からないんだけど、例えば、三割魔力がある人二人が五割魔力のその人と戦って勝てるものなの?」
「……まぁ人による、って言えばそれまでだけど、相手が神山鈴なら、むしろ瞬殺されるでしょうね。正直、佐竹家全員が挑んだって勝てるか分からないわ」
だから、と伶さんは僕と依千さんを順番に見る。
「松戸家や梅津家はまだしも、神山鈴が来たら、迷うことなく解呪するのよ。でも戦ったら駄目。まず、二人で逃げる事」
依千さんは顔を強ばらせてから、自分に言い聞かせるように「はい」と頷いた。
僕も頷いてから、小さく息を吐く。
恐怖はもちろんある。でも、それ以上に、あの力を試したいと思っている自分がいた。
「それで高峰君、魔法の特訓のことなんだけど、今日から始めるってことでいい?」
魔法の特訓。その話は一昨日から出ていたけど、昨日はアパートに戻ったりしていて時間が取れなかったこともあり、今日まで出来ずにいた。
僕は頷きながら、胸が疼くのを感じた。
特訓の度に解呪していては依千さんの負担が大きすぎる。ということで、特訓の際は、雀の涙ほどしかない僕自身の魔力を使う事になっている。
「今日は、高峰君も本で見たと思うけど、基本的な魔力の動かし方ね。魔力量が量だから、魔力を感じられるようになるまでが一苦労だと思うけど……」
これまた伶さん曰く『私が使った火の魔法なんかは初歩中の初歩で、やり方とコツさえ覚えれば一般人でも使えるものなんだけど、高峰君には無理そうね。出来たとしても、魔力が一瞬で無くなって下手すれば死ぬわ』と言われてしまうほど残念魔力な僕だが、魔力を動かすことくらいは出来るらしい。
「まぁご先祖様の魔力があれば常に全身を強化していても長時間持つでしょうけど、魔力操作が上手いに越したことはないから。こればっかりは魔力量は関係ないし、練習あるのみ」
ちなみに、と伶さんは念を押すように付け足す。
「確認の時、家を飛び越すくらい高く飛べたのはもちろん魔力のおかげだけど、あれは魔力が溢れ出て勝手にそうなっただけで、高峰君が魔力操作をしたってわけじゃないからね」
「え、そうなの?」
「そうよ。……まさか、出来たって勘違いしてたの?」
「いやー、まさか。あははは」
実は、出来たと思い込んでいて、魔力操作のページは流し読みしただけだ。どうしよう。帰ってからすぐ特訓だろうし、読み直す時間もない。
「……いくら基礎中の基礎とはいえ、無意識に使える魔法なんて一つもないのよ。例え桁外れの魔力を持っていてもね」
咄嗟に吐いた嘘はバレバレだったらしく、伶さんは呆れた様子でそう言った。
僕が苦笑を浮かべていると、伶さんの服の袖を依千さんがクイクイと引っ張った。
「お、お姉さん、私、見学してていいですか?」
「特訓を? 駄目よ。依千は依千で魔法の練習があるでしょ」
「ううん。今日は、お休みです。学校、初日なので」
「……あぁ、そうなの」
依千さんから顔を逸らした伶さんはしかめ面をしていた。
「高峰君は?」
「え?」
「依千が見学しててもいい?」
「うん。僕はいいよ」
「……じゃあいいんじゃないの?」
前を向いたまま言う伶さんに、依千さんは表情を柔らかくして頷く。
なんというか、姉妹ってこんな感じなのだろうか。
「そういえば、高峰君、返事はどうするの?」
そのまま無言で歩き、学校の近くまで来たとき、伶さんが唐突に口を開いた。
「返事?」
聞き返すと、僕と同じように不思議な顔をして伶さんに目を向けた依千さんと視線が合ったが、案の定、すぐに逸らされてしまった。春日部さんや来客者にも同じような反応だから、僕だけが避けられている(あるいは怖がられている)というわけではないことは分かっているけど。依千さんが普通に……とはいかないけれど自分から話し掛ける相手なんて、僕が知っている限り母親の和美さんか伶さんくらいだ。源治さんはどうだろう。多忙らしく、食事の時も姿を見せないので分からない。
「まさか忘れてるんじゃないでしょうね」
伶さんの冷ややかな声で現実に戻ってくる。
「えっと、なんの話だったっけ?」
いつの間にか思考が脱線していて、元の話題がなんだったか思い出せない。
伶さんは大きく溜め息を吐くと、小さめの声でこう言った。
「告白されたんでしょ、三組の人に」
なんで知ってるの? そんな意味を込めて視線を返すと、驚いた様子の依千さんと目が合った。さっきと同じようにすぐ逸らされてしまったけれど。
僕が異性から告白されることが、そんなに衝撃的だろうか。自分も驚いたとはいえ、その反応はなかなかショックだ。
「昼休みの廊下で告白されたんでしょ? そりゃあ噂になるわよ」
廊下というか階段だが、そんな揚げ足取りにはなんの意味もないだろう。
「しかも、相手の人、結構可愛いんでしょ?」
「うん、まぁ。……伶さんは知ってる? 三組の山田花子さんって」
「それが覚えてないのよねー。一応、生徒全員の魔力量をチェックしたから、見た事ないってことはないと思うけど……。でも、そんな逆に覚えやすい名前……」
誤魔化すつもりで口にした質問は予想外に効果覿面で、伶さんは独り言を呟きながら考え事を始めた。
僕が安心して前を向き直した、その時だった。
「あ、あの」
小さな声に反応して横を見ると、依千さんが僕を見ていた。今度は目が合っても逸らさない。でも、その目は妙にキラキラしていて、眩しさのあまり少し怯んでしまった。
「それで、た、高峰君は返事、どうするんですか?」
「うが」
まさか依千さんが訊いてくるとは。せっかく、伶さんが忘れてくれたのに。
もちろん、その伶さんも本来の質問を思い出し、
「そういえば、どうするの?」
と僕に目を向ける。
そりゃあ断ることは決めているけれど、あまりこういう話は得意でも好きでもないし、断る理由なんか訊かれても困ってしまう。普段の様子からはあまり感じられないが、伶さんは、僕を巻き込んだことを一応気にしているみたいだし。
それにしても、と前を向き直してから、チラリと横を盗み見る。
やっぱり女子は恋バナが好きなものらしく、例に漏れず依千さんもそのようだ。
キラキラした瞳と答えを急かす鋭い視線を横顔に感じながら、僕は適当な言い逃れの方法を考えることにした。
今日も昼食を取りに食堂へ来ている。ただし、一人きりではない。
食堂の隅にある二人用のテーブル。僕の向かいに座っているのは伶さんだ。
『高峰君、今日、一緒にお昼食べよう?』
家でのだらけた様子は一切感じられない『外モード』の伶さんに話しかけられたのは、昼休みに入ってすぐのことだった。
学校では極力僕に関わってこなかったように思える伶さんの言葉に驚き、ほぼ反射的に頷いた僕だったが、よくよく考えれば魔法関係で大事な話があるのかもしれない。
食堂の席に着き、早速そのことを訊いてみると、
「ま、関係ない話ではないわね」
と、周りに人がいないためか、どこか怠そうな、『家モード』が少し入った口調で言ってから、
「告白の件、あれは断った方がいいわ」
そう続けた。
放課後、一年三組の教室に来て。山田花子さんと仲が良いらしいクラスの女子からそう聞いている。告白の返事はそこで聞くということなのだろう。
伶さんは気の抜けた顔をしている。口調も家にいる時と変わらない。でも、怠そうに細められた目の奥に負い目のようなものを見た気がして、僕は口を開いた。伶さんが理由を説明しようとする前に。
「もちろん、そのつもりだよ」
内心慌てていたせいか、いつもより少しだけ大きな声が出たような気がする。
伶さんは怠そうな目で僕を睨むように見てから、「そう」とだけ言うと、弁当に箸を伸ばした。
「……話ってそれだけ?」
思わずそう訊くと、伶さんは口の中にあるものを飲み込んでから「まぁね」と言った。
「教室から出たかったっていうのもあるけど」
「出たかったって、やっぱり外モードって疲れるの?」
「なに、外モードって」
「伶さんって家にいるときと学校にいるときでかなり雰囲気違うから」
「そうなの? そんなの意識したことなかったけど……まぁ別に疲れはしないわよ。教室を出たかったのは、依千が私にべったりだったから」
その言葉に、今朝から昼休みまでの依千さんを思い出してみる。
席が隣同士の僕と伶さんと違い、遠くの席になってしまった依千さんは、授業間の休み時間になる度、伶さんの近くに来ていた。伶さんと仲の良いクラスメートと少しは話をしていたが、まだぎこちなく、伶さんがいないと駄目という雰囲気があった。
「でも、仕方ないんじゃないの? 依千さんってこれまで学校行ってなかったんだよね? 同年代の人にも慣れてないだろうし……」
「まぁ、そうなんだけど……」
気まずそうに目を逸らす伶さんを見ていると、今朝の疑問が再浮上した。
「僕、兄弟とか姉妹の距離感とかって分からないし、なんとなく思っただけなんだけど、伶さん、依千さんに少し冷たくない?」
そう口にして、自分で違和感を覚えた。『冷たい』ではなく、もう少し当てはまる言葉があるような気がした。
伶さんは目を逸らしたまま「う」と小さく呻く。やはり、僕が言うまでもなく自覚はあったらしい。
「依千さんのこと、嫌いってわけじゃないよね?」
「……なんでそう思うのよ」
「これもなんとなくで、理由とかはないんだけどさ」
そう言うと、伶さんは斜め下に視線を落としてから、不機嫌そうに口を噤んだ。
なんか言いにくそうにしているし、これ以上突っ込んだことを聞くのは失礼かもしれない。そう思い、黙って箸を進める。
結局、それから会話はなかった。
一年三組の扉を開けると、窓際の席に座ってノートに何かを書いていた山田花子さんが顔を上げた。
緊張のあまり自分でも分かるほど顔がひきつっている僕とは正反対の柔らかい笑顔を浮かべている山田花子さん。僕が告白を断れば、この笑顔はどんな顔に変わってしまうのだろう、と罪悪感を覚えたが、たかが罪悪感のために無関係の人を巻き込むわけにはいかない。
山田花子さんは席を立ってから、僕は扉を閉めてから、お互いに距離を縮めて、教室後方で向かい合う形になる。
「来てくれたんだ」
「うん。そりゃあ、まぁ」
笑顔が直視出来なくて、目を逸らしながら返事をした僕に、山田花子さんは更に笑い掛ける。
「あはは。昨日、結構急な告白しちゃったなーって思ってたから」
結構どころではないと思う。あれ以上に急な告白を僕は知らないし、想像も出来ない。
引きつった笑みを返すと、山田花子さんは「ふぅ」と小さく息を吐いてから姿勢を整えて、少し見上げる形で僕を見た。
「昨日も言ったけど、せっかくだしもう一回、言っておくね」
なにを? と訊かずとも分かった。
「私と、付き合って下さい」
昨日と違って勢いはない。だけど、言葉に籠もっている何かを昨日以上に感じた。
一目惚れだと言っていたし一晩経てば気も変わっているかもしれない、なんて失礼な考えは見事に外れた。まぁ、考えというか、僕の勝手な要望だったのかも知れない。そうなれば、誰も傷付かずに終わっただろうから。
「ごめん」
何か言葉を付け加えられれば良かった。好きな人がいるとか、どうせ嘘を吐くなら彼女にしたっていい。僕は転校生なのだから、前の学校の人だと言えばバレることはないだろう。
でも、止めた。山田花子さんの素直な言葉に、嘘を吐きたくなかったから、と言えれば少しは格好良いかもしれないが、僕の場合は自分のため。嘘を吐くことによって罪悪感が増すのが嫌だという、ただそれだけの理由だ。
「あー。やっぱり、そうだよねー」
山田花子さんは人差し指で頬を掻きながら苦笑を浮かべる。
「えっと、佐竹さんと付き合ってる……とか? あ、伶ちゃんの方ね」
「まさか。ただの遠い親戚だよ」
「じゃあ依千ちゃん?」
「ただの遠い親戚だよ」
「どっちも好きじゃないの?」
「友達として好きだよ」
一つ屋根の下で暮らすことが決まってからは、二人のことを異性として見ないようにしている。そうしないと、やはり同年代の女子二人と同居というのは色々と刺激が多いのだ。
「勿体ないなぁ。でも、あの二人なら断然依千ちゃんがオススメだよ。可愛いし、大人しいし、優しいし、伶ちゃんみたいにだらしなくないし」
「山田さん、依千さんと話したんだ? というか伶さんとも……」
そこまで口にして、おかしいと気付いた。伶さんは今朝まで山田花子さんのこと知らなかった。今日話した? それにしてもおかしい。学校では意識せずに『外モード』になる伶さんが、同級生とはいえ初対面の相手にだらけた姿を見せるだろうか。
山田花子さんは笑っている。まるで、僕の反応を楽しむかのように。
「まぁ、だからいいように利用されちゃうんだろうけど」
「利用……?」
山田さんはニコリと笑うと、僕の袖を掴み、軽く引っ張った。
何かが顔のすぐ横を通り過ぎたのは、それとほぼ同時のことだった。
その何かは山田さんが胸の前に出していた左掌に当たり、小さな煙を立てて消滅した。
今のは魔法?
振り返ると教室のドアのガラス部分が割れていて、その向こうに人影が見えた。
「危ないなぁ。高峰君に怪我させる気?」
人影に、山田さんは先程までと変わらない調子で尋ねる。
「余計な心配よ」
そう言いながらドアを開けたのは伶さんだった。その後ろには、依千さんの姿もある。
「余計じゃないよ。あのままだったら高峰君の頬が少し切れちゃってたもん。伶ちゃん、相変わらず攻撃系の魔法は得意じゃないんだね」
山田花子さんの言葉に、伶さんの顔が不愉快そうに歪んだ。
喧嘩するほど仲が良いといえるような好意的な関係、ではなさそうだ。
出来ることなら山田花子さんから離れたかったが、この状況に頭が追い付こうとすることに精一杯で、身体が動かなかった。もしかしたら、袖を掴まれた際に何らかの魔法を掛けられたのかもしれない。
そう、魔法だ。山田花子さんは魔術師だ。そして、伶さんと依千さんのことを知っている。伶さんも、山田花子さんのことを知っている。つまり、山田花子という名前はやっぱり偽名? いや、今はそんなことはどうでも……。
「目的は? 高峰君と依千?」
伶さんの厳しい目の中に、どこか焦りが見える。そういえば、伶さんが言っていた護衛の人達はどうしたのだろう。
「うーん。目的って言われても……。私と高峰君がなんでこの教室にいるのか伶ちゃんは知ってるでしょ? 私の目的は、高峰君の返事を聞くことだよ」
「……そのためだけに、護衛のみんなを殺したってわけ?」
「だって、告白の邪魔されたら嫌だもん。流石に、長い間話してたら認識阻害も効かなくなっちゃうだろうし。それに殺してなんかないよ。高峰君と依千ちゃんを守ってくれてる人を私が殺すわけないじゃん。みんな寝てるだけ。怪我もさせてないよ」
「……余計に恐ろしいわよ」
「あはは。伶ちゃんのそういう素直なところは好きだよ、私」
山田花子さん(仮)はそう言うと、僕の袖を離した。
「あーあ。失恋しちゃった」
「え、えぇと、山田花子さん?」
「んー? あ、そうだねぇ。伶ちゃん達にもバラしちゃったし、そろそろ本名で学校生活送ろうかなぁ」
「やっぱり偽名だったんだ」
「へへ」
何故か照れている山田花子さん(偽)。護衛の人達を殺さず怪我もさせずに行動不能にする時点でかなりヤバそうな人だが、そんな雰囲気は一切ない。
「改めて初めまして。神山鈴です。えっと、お友達からってのは有りかな?」
「……神山鈴?」
今朝聞いたばかりの名前だ。
「うん。あれ? 私のこと知ってる? お友達からって有り?」
「あー、うん。知ってる。友達ってのは……どうなんだろう。なんか、完全に敵対しちゃってる感じだし、僕、今は一応佐竹家にお世話になってるし……」
「いいよ! 私、気にしないし!」
「………………」
助けを求めて伶さんに視線を送ると、鋭く睨まれた。断れ、と言いたいのは分かるけど、下手に刺激したらヤバいんじゃないのかな、この人。
「沈黙は肯定! これからよろしくね、高峰君!」
友達になってしまった。あぁ、伶さんの視線が痛い。
「じゃあ友達になった高峰君には良いこと教えてあげる」
「良いこと?」
「うん。多分、知らないんじゃないかな」
神山さんがニコリと笑い、
「解呪と魔力譲渡の代償」
そう言った瞬間。
「高峰君っ!」
伶さんの声だと勘違いした。それほどまでに大きな声を出す依千さんというのが想像出来なかったから。
依千さんはこちらへ駆け出そうとしたところを伶さんに抱き止められていた。
「……依千ちゃん、一応言っておくけど、そこから魔力譲渡は届かないよ。だから解呪しても意味がないし、魔力譲渡が暴発して伶ちゃんが対象になったら、どうなるか分かるよね?」
ゆっくりと諭すような神山さんの言葉に、依千さんは瞳に涙を滲ませた。
「でね、高峰君」
無表情から笑顔に戻った神山さんが僕に向き直る。
「高峰君は、依千ちゃんが解呪をしたとこ、見たことある?」
「……一回だけ」
これは、僕が聞いて良い事なのだろうか。依千さんの姿を見ると自然とそんな疑問が頭に浮かんだ。でも、いや、だからこそだろうか。知りたい。あの力を、奇跡を手に入れる代償を。
「いつ?」
「始業式の日……一昨日」
「その前に依千ちゃんと話した?」
「少しだけなら」
「なんか変わったところなかった?」
「変わったところ?」
「うん。例えば、誰かの呼び方が変わったりとか……」
「あ」
無意識に、伶さんと依千さんに顔を向けた。僕の記憶違い、または僕がいるからくだけた呼び方をしないだけかと思っていたが、確かに解呪前後で依千さんの伶さんに対する呼び方は変わっていた。それに、僕の呼び方も……。
そう考えた時、魔力譲渡確認後、最初に依千さんと顔を合わせた時の事を思い出した。
「他には……」
瞳だけ動かして依千さんを見てから、神山は言った。
「高峰君を見て、初対面と勘違いしたりとか」
伶さんの肩越しに、依千さんが肩を震わせた。伶さんは厳しい目をしたまま、神山さんに睨みつける。
「あったでしょ?」
神山さんはそんな反応で確信を得たのか、僕にニコリと笑いながら首を傾げる。
その笑顔を見て、神山さんの言いたいことが分かった気がした。
「……記憶?」
思わず口から出た言葉に、神山さんは笑顔のまま頷く。
「正解。高峰君が最強の魔術師になる代償は、依千ちゃんの記憶だよ。産まれてから今まで、全ての」
その意味を頭が理解する前に、神山さんの背後、窓の向こうに影が映ったかと思うと、ガラスが粉々に割れた。いや、違う。切られたんだ。
そう理解したのは、神山さんの背後に現れた、刀を振りかぶった男性を見てからだった。
「かみや……!」
敵であることも忘れて僕が危険を知らせる前に、神山さんは動いていた。
振り下ろされた刀を避けたわけではない。ただ、刀に合わせて中指を弾いた――要するにデコピンをしただけだった。
しかし、それだけで刀は弾かれ、腕ごと仰け反る形になった男性に、神山さんは人差し指を突き付ける。その指の先は男性の額を指していて、二人はそのまま動きを止めた。男性が持っているものは普通の日本刀ではなく、鍔がない細身の刀。しかし、いくら細身だろうと、刀をデコピンで弾くなんて到底できない。つまり、今のは魔力による身体強化だ。
「あれー。もう起きちゃったんだ? ……って、あぁ。もしかして魔法受ける前に、体中に魔力を溜めて魔法効果を下げたとか? でも護衛がそんな受け身じゃ駄目っしょー」
神山さんの言葉に険しい顔をする四十代くらいの男性。僕や依千さんの護衛の人だと思う。よく見ると顔に覚えがある。魔力譲渡の確認の場にいたのかもしれない。
「ていうか、一人が起きちゃったってことはー……」
神山さんが呑気に言った瞬間、教室中の窓やドアが破られ、僕達はあっという間に囲まれる形になった。人数は、最初の男性を含めて計六人。新たに教室へ来たのは三十代、四十代くらいの男女が二人ずつ。一人だけいる二十代の男性は、春日部さんだった。最初の男性のように武器を持っている人はいない。
「まぁ、こうなるよねー。仲間がいると簡単に解かれちゃうのが欠点だよね、催眠魔法って。コスト的には最高なんだけどなぁ」
独り言のように呟いてから、神山さんは僕に笑いかける。まるで『心配無用』と言わんばかりの笑みに、更に顔が引きつった。
「さて」と、少し声を張って、神山さんは周囲の魔術師達に話し掛ける。
「皆さんさっきぶり。さっきは三年ぶりだったね。えっと、この状況なんだけど、高峰君を返したら終わるかな?」
神山さんの問いに答える者はいない。ただ、心なしか幾人かの表情が険しくなった。
「終わんないかー。一番楽なのは、このまま高峰君を人質にして逃げる選択だよねー。でも、それも面倒だし、好きな人の前では私だっていいとこ見せたいし。だからって高峰君を取られて解呪されても困っちゃうし」
うーん、と神山さんは腕を組んで悩んでいる。その間にも魔術師達との間合いが少しずつ短くなっているように感じるのは、多分気のせいではない。
「まぁ、いっか」
神山さんが軽い口調でそう言って顔を上げると同時に――いや、神山さんがそれに合わせたのかも知れない――刀を振りかぶったまま固まっていた男性が、渾身の力を込めて刀を振り下ろした。
更にそれに合わせて、春日部さん他男女一名ずつが神山さんに迫る。その人達の手には何時の間にか刀が、後ろにいる人達の手には銃が握られていた。
「コレ自体は魔法で作り出した偽物の武器だよ」
スッと、最小限の動きで、目の前の男性の刀を避けながら神山さんは言う。
「斬撃の魔法ってのがあってね。こうやって刀を作ることでイメージし易くなるってわけ。イメージし易くなるってことは、魔力コスト削減にもなるし、呼吸をするように魔法を発動させられるようになるってことだからね。銃も刀と同じ感じかなー。斬撃魔法と違って、魔力の塊を飛ばしてるだけだから、そんなに難しくもないんだけどね」
六人の魔術師による斬撃、銃撃をその場からほとんど動かずに避けながら解説する神山さんはどこかギャグ漫画のようで、しかし笑うことなど出来るはずもない。他の誰もが必死の形相を浮かべているのだ。
「あっ」
初めて焦るような表情を見せた神山さんは、相変わらず動けずにいる(体が動いたとしても、この攻撃の嵐のなか、動けたとは思えないが)僕に手を伸ばした。制服の右肩部分を掴まれて軽く引かれる。デジャヴ。そして、案の定、先程まで僕がいた場所を、目に見えない速さの何かが通った。それが飛んできた方を見ると、後列で銃を構えた女性がいた。緊張か恐怖か分からないが、その表情は強張っている。
僕の肩を掴んだままムッと顔に怒りを出した神山さんは、右手を横に振り払った。
それだけだ。それだけの動作で、近くにいた魔術師はおろか、後列で援護に回っていた魔術師達も教室の反対側まで吹き飛んだ。確かに、魔術師達は何かに吹き飛ばされた。しかし、隣にいた僕や、魔術師達の近くにあった机や椅子が全く動いていないのはどういうことだろう。
そんな疑問に頭を働かせる隙などなかった。
それぞれ受け身を取った魔術師達に向けて、神山さんは手を縦に、斜めに、横に振る。そのたびに魔術師達はその場を飛び退き、黒板や床には鋭く大きな斬撃の跡が刻まれていく。
「魔法で刀を具現化するのにはデメリットがあってね」
本気じゃない、とすぐに分かった。おそらく神山さんは、僕と話す僅かな時間が欲しいだけなのだ。
「ある意味制限を掛けちゃうんだよ。刀を振らないと斬撃魔法が使えない、振ったところしか切れない。もちろん、ただの刀と比べたら、刃こぼれもしないし、人を切りまくっても切れ味が落ちることはないし、刀の形だってある程度は変えられるからいいところずくめなんだけど……」
神山さんは拳を握ると、右から左へ思い切り振った。
護衛の中の一人、三十代ほどの男性が車に跳ねられたかのように真横へ飛んだのは、その一瞬後のことだった。
「純粋な『魔法』と比べたら、とにかく不便過ぎ」
先程のように受け身が取れる程度の衝撃ではなかったし、もしかしたら一撃で気を失っていたのかもしれない。男性は壁に叩きつけられると、そのまま崩れ落ちた。手に持っていた刀は音もなく霧散する。
「どうするの? まだやる?」
神山さんが溜め息を吐きながら言った時、残り五人となった魔術師達が、目線を交わし合った。
何か策がある? その考えが浮かぶ前に、
「あれ?」
そんな間の抜けた声が聞こえて横を見ると、神山さんは僕の肩を掴んだまま真下を見て固まっていた。
つられて神山さんの足元を見ると、そこには見たことのない文字がびっしりと浮き出ていた。何時の間に、誰が。この様子からして、神山さんではないし、しかし近くには僕以外誰もいない。
「……なるほどー。真下の教室の天井から文字縛り……って、真上も?」
天井を見上げると、確かに真上にも同じような文字が浮き出ている。
「あちゃー。残りの二人は、隙を見て高峰君を取り返す役割だと思ってたんだけどなぁ。まさかこんなことしてるなんて……」
どうやら身体を動かすことはおろか喋ることも難しいらしく、その言葉は震えていてぎこちない。
「神山鈴」
最初に教室へ入ってきた四十代の男性が、刀を構えたまま口を開く。
「油断と慢心が引き起こした結果だ。和羽さんの仇、とらせてもらう」
「仇って、別に私が殺したわけじゃないでしょ。あれは自殺で、強いて他殺って言うなら犯人は……」
神山さんの言葉に、男性の瞳に力がこもった。
「……言わないよ。言うわけないでしょー。……油断と慢心かぁ。そんなつもりはなかったんだけどなぁ。でもそうだね。みんなに合わせて戦おうって思ってたけど、八人相手じゃ流石に無理だよね」
おそらく、気付いているのは僕だけじゃない。護衛の魔術師達も誰もが気付いている。
神山さんの言葉から、少しずつぎこちなさがなくなっていることに。
「ねぇ、高峰君。魔法の一番簡単で一番有効的な防ぎ方って知ってる?」
僕は首を横に振る。
「そっか。それはね、魔法に込められた魔力を遥かに上回る魔力を纏えばいいんだよ。もちろん、結構疲れちゃうけどね」
神山さんは両腕を上げて身体を伸ばしながら言う。天井と床にある文字はまだ薄く光っている。決して、効果が消えたわけではない。
だが、神山さんの様子は、もう先程までと変わらない。僕と依千さんの護衛、少なくとも魔力量は二割五分以上ある魔術師が二人がかりで縛ろうとしても、彼女にはまるで効果がない。
護衛の魔術師達からも、余裕の表情は消えている。それどころか、戦意すら喪失したように見えた。
ようするに、神山さんは力を抑えていたのだ。周りに合わせていたという言葉から察するに、二割五分か三割程度まで。そして、おそらく今は全開なのだろう。
魔力を持っている者ほど、他人の魔力には敏感。伶さんから貸してもらった本にはそんなことが書いてあった。魔力が雀の涙ほどしかない僕は何も感じないが、現代魔術師の中ではトップクラスの魔力量を持っているこの人達には、神山さんが化物か悪魔にでも見えているのかもしれない。
神山さんは僕の肩からそっと手を離して、肩を軽く押した。
一歩ほど後ろによろめいてから、身体に自由が戻ってきていることに気付く。どうするべきか戸惑っていると、背後から小さく声を掛けられて振り返ると、伶さんと依千さんが廊下、教室のドアに隠れる形で顔を出していた。
二人ともこの場を離れたものかと思っていたが、まだいたらしい。依千さんの顔を見て、先程神山さんから聞いた話を思い出したが、伶さんに手招きされてすぐに現実に戻る。
足を動かす前に振り返ると、神山さんは、どうぞ、と言うように笑みを浮かべた。
僕と依千さんが揃えば、どうなるか分からない神山さんではないだろう。それでもこの余裕ということは、全力を出した今なら、倍以上の魔力を持つ相手にも負けない自信があるということだろうか。いや、それは何もおかしくない。神山さんは、先程まで大した魔力も使わずに、精鋭数人を相手にしているのだから。
魔法を知って、まだ三日程度の僕にも分かる力量差。それは決して、魔力量だけではない。
桁外れに上手いのだ。魔力の使い方が、魔法の使い方が。
後ずさるかたちで僕が廊下に出たのを見届けた神山さんは正面を向くと、顔の前を飛ぶ小蝿を手の甲で払うような仕草をした。
それだけで、全て終わった。