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 目を覚ますと見慣れた天井、そして時間を置かず、その間に誰かの顔が横入りした。

「……依千さん」

 その人の名前を呼ぶと、キョトンとした表情から一転、慌てたような怯えたような顔をして、部屋を飛び出していった。

 首だけ動かして、依千さんの背中と、きっちり閉められた襖を見てから、小さく息を吸った瞬間、全身に走った痛みに、息が止まりそうになった。

 そのおかげ、とはあまり言いたくないが、まだ寝ぼけていた頭が動き始めた。

 全身の痛みは、ほとんどが、今まで以上に長時間、そして多量の魔力を消費したことによる反動によるもの、簡単に言えばひどい筋肉痛みたいなものだと思うけど、右手と胸の痛みは別物だろう。怪我。ニュースとかだと、重傷に分類されるほどの。

 最後に見た時は血だらけだった右手には肘辺りから包帯が巻かれていて、先が丸くなった手首に血が付いた跡もない。あれからどのくらい時間が経ったのか分からないけど、どうやら血は止まったようだ。

 息をする度に痛む胸には黒いバンドが着けられているのが病衣の隙間から見える。腕とかを骨折した場合に着けるギブスのようなものだろうか。あれと違って固くはないけれど。

 何日の、何時何分だろう。

 ふと気になり、首を動かして周囲に携帯がないか探す。身体を動かしたら痛みが走ることは予想がつくから、なるべく動きたくはない。

 しかし、ようやく見つけた携帯はコンセントのすぐ下、つまりは壁際に充電器と繋がった状態で置かれていて、部屋の中心で寝ている僕がいくら手を伸ばしたところで届かない場所にある。

 潔く諦めて、誰かが来るのを待つことにする。まさかこのまま放置されることはないだろうし、もうすぐ誰かが――、と考えた時、襖が勢いよく開き、スパーンと良い音がした。

 反射的に顔を向けると、目の下にどす黒い隈を作ったスウェット姿の伶さんが、目を吊り上げて射殺さんばかりの視線を向けてきた。

「高峰君、おはよう」

「お、おはよう、伶さん」

 怖い。

「歩けるくらいには回復してるはずって話だけど、起きれる?」

「は、はい」

 体中の痛みもなんのその。伶さんの言うとおり起き上が……

「よし。じゃあ、とりあえず一発殴る」

 動きが止まる。しかし悲しや。僕の上体はほとんど起き上がってしまっている。覚悟を決めるため深呼吸しようとして、胸に痛みがはしり、小さく息が洩れた。

「……やっぱ止めた」

 ホッと一息吐いた後、伶さんの目が僕の右腕に向いていることに気が付いた。

「昨日、ようやく梅津家の鍵の解析が終わったわ」

「うん」

「私も一緒に入った。地下に隠れていた女性と子供数人を保護した」

「うん」

 開かれた窓から風が入り、僕と伶さんの髪を揺らす。

「高峰君の手は見つからなかった」

「うん」

 それはそうだろう。あの時、僕の手は完全に消し飛んだし、たとえ奇跡的に綺麗に残っていたとしても、ようやく、という言い方からして、縫合するには時間切れだ。

「……お腹空いてない?」

「え? あぁ、どうだろう。なんか、変な感じ。空き過ぎてるのかも。……僕って、どのくらい寝てた? 今、何時?」

「五日間。今の時間は午後四時前」

「こんな時間にその格好で寝癖全開って……」

 睨まれた。

「人を気遣ってる場合じゃないでしょ、高峰君は」

 理由は、いつもと違ったけど。

 不満そうな横顔に思わず笑みが浮かんだ時、控えめなノックの音に続いて、春日部さんと依千さんが姿を見せた。

「おはようございます、高峰さん。この度は、ほんに色々、申し訳ありません!」

 春日部さんは部屋に足を踏み入れるなり勢いよく正座し、そのまま畳に手をついて頭を下げる。

「この家のためにそんな怪我までさせてしまって、護衛の立場として、一人の男として、ホントーに情けなく思います。神山鈴がいなくなった今になって言うのもアレですが、これからは今まで以上に身を粉にして護衛を務めさせていただきたく思います!」

 堰を切ったかのように叫ぶ春日部さん。もちろん、土下座なんてしてほしくないのだが、春日部さんにつられて土下座している依千さんが気になって、どっちから突っ込むべきか思考が止まる。

「春日部、後ろ」

 伶さんの言葉に首を傾げた春日部さんは、右後ろを見て「わっ」と小さく声をあげた。

「依千お嬢さんはいいですから! 俺のけじめですから!」

「うぅ、でも」

 土下座しているうちに叱られている気分にでもなってしまったのか、涙で瞳を潤ませている依千さんを見て、春日部さんは小さく怯む。

「ったく。依千、こっち来て」

 従順に寄ってきた依千さんと共に部屋の隅に移動しながら、伶さんは春日部さんを見る。

「春日部は謝る前に高峰君の質問に答えたげて。医者が来る前に、ある程度、現状を理解しておいた方がいいでしょ」

 別に謝る必要もないのだけど。

「いきなりまくし立てて、すんません」

 布団の横に来るなり、いきなり謝られた。

「医師の方は今呼んだんで、あと三十分もすれば来られると思います。当主は分かりませんが、奥さんは夜までには帰られる予定ですんで、その時、挨拶に来ると思います」

「は、はい。あの、とりあえず頭上げてもらっていいですか」

 身体トレーニングのコーチ的立場の人に頭を下げられ続けているのは少し、いや、かなりやり辛い。

 ゆっくりと頭を上げた春日部さんは、一瞬、僕の右腕に視線を落とした。気にしないでほしい、っていうのは無理があるか。どうやら春日部さんや伶さん達は戦いで手がなくなったと思っているみたいだ。本当の理由を言ったら怒られるんだろうなぁ。……伶さんには、今度こそ殴られるかもしれない。

「春日部さん、さっき、神山さん……神山鈴がいなくなったって……」

「え? はい。遺体も見当たらず、入り口から出て来たのが高峰さんだけだったんで……。もしや?」

「あ、いえ。神山鈴に勝った記憶が朧気で、自信が持てなくて」

「……そうでしょう。どれほどの死闘だったかは、戻ってきた時の高峰さんを見た者なら誰もが分かっとります」

 春日部さんの視線が向いた右腕を軽く上げる。

「生きてますから、それでいいです」

 僕が神山さんを殺さなかったように、神山さんも僕を殺さなかった。戦いには勝ったが、勝負自体は引き分け――いや、僕の負けだろう。

 春日部さんは大きく頷いてから、「何か他に質問があれば」と言った。

「梅津家で保護された人達は、今どこに?」

「梅津家での調査や、その他諸々が終わるまではそれぞれの家で、梅津家で暮らしていた方は、うちの魔術師の家に泊まっています。ここにも男の子が住んでますよ」

「一人ですか?」

「はい。本人の希望で」

 そう言う春日部さんは、寂しそうな笑みを浮かべていた。

「その子、もともと母親がいなくて、今回の事件で父親もいなくなってしまったらしいです。それで、父親の仇を取ってくれた高峰さんにお礼が言いたい、と。他にも高峰さんに一言お礼を言いたいって人はたくさんいますよ」

「……そうですか」

 僕が嘘を吐いていると知ったら、その人達はどう思うだろう。そんな考えが脳裏をかすめ、笑顔もロクに浮かべられなかった。

「……まぁ、高峰さんもまだ本調子には程遠いでしょうから、とりあえずは身体を休めてください。あ、飲み物持ってきましょうか」

「あ、お願いします。実は、喉がガラガラで」

 ずっと寝ていたせいか、舌が上手く回っていないような気もする。

「そんじゃ、取ってきますね」

「私も手伝う」

 部屋の隅で依千さんと話をしていた伶さんが腰を上げる。

「え、一人でいいですよ。お茶いれるくらい」

「いいから」

 春日部さんの背中を押して廊下に出てから、伶さんは襖に手をかけたまま僕を見た。

「確か、お茶なくなってたから、ちょっと時間かかる」

「へ? さっき見たらまだ――」

 春日部さんの言葉を遮るように、襖がピシャッと閉められた。

 二人の声と足音が遠ざかるにつれて静かになる室内。

 僕の目は自然と、部屋の隅にいる依千さんに向いた。

「えっと」

 こちらをチラチラと見ている依千さんに、なんと声をかけるべきか迷う。依千さんの人見知り具合は知っているが、今回はいつになくヒドい……というより、他の何かが原因だろう。その何かも、なんとなく予想がつく。

 声をかけようと中途半端に上げた左手を持て余して左右に軽く揺らしていると、依千さんが正座したままズリズリと膝を擦りながら近付いてきた。その目には先程と変わらず涙が溜まっている。

 さて、ホントになんて声をかけるべきだろう。そう考えてから、挨拶すら終わっていないことに気付いた。

「高峰裕太です。初めまして、依千さん」

 僕が頭を軽く下げると、依千さんもつられるように大きく頭を下げた。短い髪が揺れる。

「こ、こちらこそ佐竹依千です。初めまして!」

 名前と挨拶の箇所が逆な気がするけど、つっこんだら泣かれそうなので何も言わないでおく。

「……じゃないんです……よね」

 背中を曲げたまま頭だけ上げた依千さんの顔は決壊寸前。今にも泣き出しそうだった。

 僕の感情が顔に出ていたのか、依千さんは慌てて涙を拭う。

「す、すいません」

 僕は首を横に振る。泣かれるのは全然構わない。無理に堪えられるよりかはマシだ。でも、依千さんの他人行儀な口調は少し苦しく思った。

「あ、あの」

「うん?」

「記憶を、なくす前の、あの、私と高峰さんの関係って……」

「伶さんから聞いてないの?」

「……教えてくれないんです」

 何故そんな誤解を生むようなことをするんだろう、あの人は。依千さんが妙に他人行儀なのは、この事も関係しているのかもしれない。

「関係って言われてもなぁ。同居人……というか、僕が居候だね」

 依千さんが考えている可能性に気付いていないフリをして言う。

「友達というか、仲間というか、そんな関係じゃないかな。兄妹みたいだって言われたこともあったよ」

「そ、そうなんですか。お姉ちゃんが変な笑い方して誤魔化すから、てっきり……」

「もっとも、僕は依千さんのこと、好きなんだけどね」

「え?」

「あ」

 自分の口から出た言葉に、身体も思考も止まった。時まで止まったんじゃないかと思うくらいの沈黙。

「え、あの、す、好きっていうのは……」

「異性として。一目惚れだったと思う。そうじゃなきゃ、同年代の女子相手とはいえ知らない人に付いていかないだろうし」

 ペラペラと、僕の口から出る言葉。それは、どうしようもないくらいの本心だった。今まで、自分の置かれた状況や立場を言い訳にして、考えようとしなかった気持ち。それが、溢れ出てきた。記憶を失ったばかりの依千さんにこんな事を言っても困らせるだけだと理解出来ているのに、自分でも呆れるほど爽やかな気分だった。

 依千さんは俯いてしまい、その表情は前髪で隠れてしまう。

 僕が謝る、あるいは誤魔化せば、依千さんは顔を上げるだろう。そうすべきなのは分かっている。でも僕は、依千さんの返事が聞きたかった。

 ふと、窓から入った風が依千さんの前髪を揺らし、顔を真っ赤にして涙ぐんだ顔を露わにした。

「あ……」

 前髪を抑えた依千さんと目が合う。瞬間、依千さんの顔が爆発したように赤くなり、「す、すいませんー」という言葉を残して部屋を出て行ってしまった。

 接しづらい状況を自分から作ってしまうなんて、僕は馬鹿か。あぁ、そうだった。馬鹿になったんだった。

 開けっぱなしの襖を見ながら、これからのことを考える。

 今回の件で、松戸家、梅津家が壊滅、そして神山さんがいなくなったと源治さんは思っている。日本の魔術師組織がなくなったわけではないが、これで同等の力を持つ一組織はなくなったことになる。神山さんの考えが正しければ、源治さんは何かしら動き始める、あるいはもう動き始めているはずだ。もしも、そうなった時、最悪の場合は僕が依千さんを連れて逃げるしかない。他でもない、佐竹家から。

 だが、逃げ切れるだろうか。松戸家、梅津家がなくなったとはいえ、世界中の魔術師組織がいつまでも依千さんの存在を放っておくとは思えない。そうなった場合、それこそ、神山さんが言った通り、世界中を敵に回すことになる。

『世界中を敵に回しても平気っていうなら――』

 神山さんの言葉が浮かぶ。つまり、あれは無理だということ。当然か。いくら神山さんの魔力が常人の何倍あっても、限界は必ず存在する。そして、それは僕も同じで、そしてなにより問題なのは依千さんの指輪。

 あれがなければ、魔力譲渡と共に依千さんは気絶してしまい、解呪の効果が切れてしまう。そして、仮に指輪を大量生産出来たとしても、長時間の解呪は、依千さんの魔力が、命が持たない。

『依千ちゃんが着けてる指輪。あれ、どんな指輪か知ってる?』

『気絶しても、勝手に魔力を使ってくれる……って聞いてるよ』

『そのとーり。じゃあ、どこまで魔力を使うと思う?』

『……どこまで、って、魔力が尽きるまでじゃないの?』

『あれ? 高峰君、魔力量以上の魔法を使えるってこと知らない?』

『あぁ、それなら伶さんに聞いたことが……』

 戦いの前、神山さんと交わしたやり取りを思い出す。

 依千さんが着けている赤い宝石の指輪。あれは、持ち主の命を削りきるまで壊れることはない。誰かが壊さない限り、効果は続く。佐竹家の呪いと同じだ。根本から変えないと、ただ繰り返すだけ。

 期待すべきは、やはり神山さん達の研究が進み、完全解呪の魔法が完成することだろう。しかし、それも数年で終わるものかも分からない。四月、教室での戦いで神山さんが使った、相手の魔力を消滅させる魔法。あれで消したところで、封印された魔力はまた回復する。そもそも、魔力が大きすぎて、一時的に全て消滅させることも出来ない。たとえ、封印された魔力を全て消滅させたとして、そこに待ちかまえているのは、五百年前の魔術師百人が命を捨てて完成させた呪い。僕や依千さんが命を掛けたところで、解呪には到底届かない。

 逃亡生活が始まれば、研究に専念することなど、まず出来ない。なんだかんだで依千さんにとって佐竹家は安全なのだ。だからこそ、神山さんもここには手を出さないのだろう。

「おまたせー」

 そんな気怠そうな声と共に伶さんが戻ってきた。手には丸いお盆。その上には急須と湯飲みが置かれている。

「よっこいしょ」と布団の横に正座すると、伶さんは急須を取り、

「頭から掛けていい?」

「……えーと、なんで?」

「サクランボみたいな顔の依千と階段ですれ違ったんだけど、高峰君、何言ったの?」

「あー、うん。色々」

「詳細」

「告白とか……あっつい!」

 本当にかけられると思わなかった。頭ではなく左手なのはせめてもの良心だろうか。

「はぁ……。まぁ、いいけど」

 額に手を当てて溜め息をついてから、湯飲みにお茶を注ぐ伶さん。着物姿なら様になっただろうに。

 両手でそっと差し出された湯飲みを受け取ってから、伶さんの後ろ、閉められた襖に目を向ける。

「春日部さんは?」

「入り口で医者の到着を待ってるって」

「そっか」

 答えてから、湯飲みに口を付ける。味よりも、乾いた口内が潤う感覚が強かった。

「えーと、おかわり」

「はい」

 普段なら急須を渡されてお終いだろうけど、今日は注いでくれた。

「正直」

 伶さんが口を開いたのは、僕が三杯目のお茶を口に運んだ時だった。

「負けた、って思ってた」

 気まずそうに目を逸らしながら、伶さんは言葉を続ける。

「時間も大分経ってたし、それに、梅津家から出てきた高峰君に魔力はほとんど残ってなかったし」

「負けてたよ、途中までは。死にそうになったら、人間なんでも出来るもんだからね」

「……そこから逆転する方法が、私には浮かばなかったの。梅津家で、戦いの跡を見るまでは」

 覚悟を決めたように、伶さんが僕と目を合わせた。

「梅津家の人達が隠れていた地下室の存在を、神山鈴は知っていた。なんで見逃したのかは分からないけど。それで、他人の魔力が見える高峰君も地下に人がいることを知ってた。だから、広い庭の一部、地下室の真上だけ戦いの跡がほとんどなかった。あったのは、誰かが踏ん張った両足の跡、血の跡、それと、第一関節辺りから千切れた指だけ」

 口を動かす度に、伶さんの顔から少しずつ感情がなくなっていく。

「血までは調べてないけど、足跡と指は一目で神山鈴のものだって分かった」

 ねぇ、高峰君。伶さんは、無機質な瞳で僕を見る。

「神山鈴は、地下の人達に危害を加えようとした?」

「……いや、しなかったよ」

「じゃあ、あなたは?」

 伶さんの目を、真っ直ぐ見つめ返す。何も言わないことが肯定の意を示すことは分かっている。

 僕に神山さんのような目はないけど、負ける未来は見えていた。戦いは、伶さんが言っていた『勝ち目のない』ルートを一直線に進んでいたから。

「勘違いしないで欲しいんだけど、別に私は高峰君を責めようとしてるわけじゃないからね。何の犠牲も無しに神山鈴を倒せるなんて、私も思ってなかったし、そうすることでしか勝てなかったってのも分かってる。ただ、あんまり気にしないように言いたかっただけ」

「うん。大丈夫」

 自分でも不思議なくらい、罪悪感はない。

 頷いた僕をじっと見てから、伶さんはそっと口を開いた。

「なんか、高峰君、神山鈴に似てきた気がする」

「褒め言葉……じゃないよね」

「貶してるわけでもないわよ」

 でもきっと、伶さんが知っている神山さんと、今の神山さんは違うのだろう。

「ただちょっと、危ういだけ」

 その言葉には肯定も否定もできず、僕はお茶を飲んだ。

「伶さん」

「なに?」

「おかわり」

「………………」

 伶さんは、僕が差し出した湯飲みに黙ってお茶を注いだ後、怠そうに立ち上がり、

「あとはセルフでよろしくね。私、依千の様子見てくるから。なにかあったら電話して」

 と言って大きな欠伸をしてから廊下に出て行った。

 結局、あの戦いで僕は誰も殺さなかったし、誰も死ななかった。神山さんは両手ほとんどの指を、僕は右手をなくしたけれど、生きている。

 もしあの時、梅津家の人達を囮にしなければ、あるいは神山さんが身を挺して庇わなければ、僕は死んでいたかもしれない。

 つまるところ、僕を助けたのは神山さんだ。あれが、残された良心からの行動なのか、それともいつも通り思うがまま感じるがままに動いた結果なのかは分からないけど、少なくとも自分自身の力ではない。自分のおかげだと強いて言うならば、抵抗出来ない人を囮に使うことを瞬時に決めた非情さ、くらいだろう。

 最も、他人のために身を挺した神山さんの姿を見た瞬間、戦いの緊張感も非情さも全て吹き飛んでしまったのだから、あんな作戦を思い付いた時点で僕の負けは決まっていたのかもしれない。

 神山さんがこのまま何もしないでいるとは思わない。しかし、神山さんが死んだことになっている今の状況は、戦いの傷を癒やすことや、邪魔されず研究を進めること、次の戦いに向けての準備など、一応追われる身であった今までと比べれば容易さが格段に違うだろう。

 神山さんに関しては、しばらくは安全と考えていい……と思う。相手が相手だけに、そう断言出来ないのが怖い。

 僕は、しばらくリハビリになるのだろうか。義手とか、そういう話もあるだろう。


 それから一週間が経った頃、依千さんは殺された。







 幻肢痛というものの存在を、僕はこれまで知らなかった。英語にすればファントムペインと、漫画やゲームの技名でありそうな名称になるけど、実際に体験してみると洒落にならない。

 昼夜関係なく痛むが、夜が特に酷い。寝不足になることは当然。痛みが少しでもマシな日中に縁側で寝ることが日課になりつつあった。

 静かなのは当然、自室なのだが、一人になると痛みが強くなる気がするため、誰かの足音や話し声、人のいる気配を感じられる縁側がお気に入りだ。

 今日も、また昼寝かな。

 携帯を開くと、時刻は午前三時を回ったところ。夜更かししたくてしているわけではないけど、このままだと夜型の生活に慣れてしまいそうで少し心配だ。

 ようやく痛みが引いてきたのを感じて、天井を見上げながら大きく息を吐いた時だった。

 階下から聞こえた誰かの声。話し声というよりは怒鳴り声のような声量だ。

 何かあったのかと上体を起こすと、階段を駆け上がる複数の足音が鳴り響いた。足音と比例して鮮明に聞こえてくる声。その中には源治さんや春日部さん、和美さんのものもあった。

 立ち上がり、複数の声の中に伶さんの声が増えたことを感じながら歩く。

 襖を開けて廊下に顔を出すと、依千さんの部屋の前に立っている二人の男性魔術師がこちらに顔を向けた。二人とも、蒼白になった顔を強ばらせている。

 二人が意識している先は、依千さんの部屋だ。襖は開いていて、近付くと、部屋を塞ぐように立っている伶さんの背中が見えた。

「伶さん?」

 僕の声に反応した伶さんが身体ごと振り返った瞬間、僕の目に飛び込んできたのは、ゆっくりと腰を上げる源治さんだった。源治さんの両隣には和美さんと春日部さんがいる。

 三人の隙間から見えるのは、ベッドで眠っている依千さん。

 源治さんが振り返り、僕の存在に気付くと、少し目を見開いた。

 そして、僅かに俯いてから、ゆっくりと顔を上げて、左右に首を振った。



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