第一章 働きアリたちの顔合わせ
Ⅰ
太平洋。
世界で最も広い海。四つの大陸が面しているこの広大な海の上に、ある一隻の船が浮かんでいた。
本来ならば日本と呼ばれる国の公海上にて、巡視を続けているはずのその船は、港を出航した後真っ直ぐに『アメリカ』へと向かっており、船の乗組員はそれを全く気にすることがなかった。元々、『アメリカ』に向かう事を前提としているためだ。
そんな、奇妙な違和感のある船の上で、岩代和査という、船の船員の中では若い部類に入る少年は、一人佇み双眼鏡を手にしていた。
「よし、よし。他の船もいないし、『バグズ』もいないし。これで一息つけるな」
真っ白な船には他の船のそれとは異なる緊張感が生まれていた。『戦』をする際の、嵐の前の静けさのような、緊張感。
それは和査も例外ではなく、時折生唾を飲み込んでいた。船が戦場へ突き進む横で立つ波の音が絶えず和査の耳を打ち、少年の黒髪を静かに揺らす。だがそれも、無線機の電子音によって打ち消される事となった。
『―あ、あーっあー。こちら麦谷、和査はーん?聞こえとる?』
「……麦谷、なんで船の上で無線機使ってんだよ」
『それは歩くのメンドイのと、「アメリカ」に向かってるっつー緊張を少しでもほぐすためやて。……バグズと戦うんやし』
「ぐだぐだ言ったって何も変わんないだろうよ。変わんないならやるまでだ」
『はー、和査はんマジメやねぇ。そんなマジメ和査はんにタイチョー様がお呼びですよー。ボクはまだまだやることあるんやー』
「……いっつも思うんだけどよ、お前何なんだよそのヘンテコ関西べ」
言い終わる前に一方的に通信は切れた。
(……なんだかなぁ)
妙な疑問点はあるままだが、今はあのワガママ上司の元へ急がねばならない。
和査は入り組んだ船の中を歩き、他とは違うだらけた雰囲気の漂う部屋へとたどり着いた。扉の上あたりにぶら下げてある小さなナマケモノのぬいぐるみが、和査達の隊の長がどのような人物なのかを嫌に知らしめている。
扉を開けると、やけに筋肉質な大男が気だるそうに椅子に座っていた。やる気ないでーっす、と顔に書いてある上司に、和査は隠すことなく呆れ顔を晒した。どうみても上に立つ者の顔ではない。
「おー、ようカズ。いやさ、ハラ減ったから食いもん持ってきてくれ」
第一声から嫌気がさす注文をつけてくるため、和査はきちんと聞いた上で聞き直した。
「は? 何言ってるんですかもう一回お願いします」
「ハラが減ったので、食いもんを、持って、来て、下さい。……って、聞くつもりあんのかお前」
「いや。大丈夫です。……内容にムチャクチャ腹立っただけですよ」
和査に対して、ゆっくりと子供に言い聞かせるように喋っていたナマケモノ男は、和査が三度目のため息をついたあたりで、簡素な机に頬杖をついて和査に問いかけた。
「なんだよう。なんなんだようカズ。なぜにそんな『子供のゲームの熱中ぶりに呆れた母親』みたいな老けた顔をしている訳?」
「何故ってそりゃあ、クルー全員で緊張が高まっていて、今まさに『アメリカ』に迫ってきているってのに、アンタ一人だけグータラして菓子を貪ろうとしてるからでしょ。ってか老けてる原因はアンタにあります8割方」
するとナマケモノ男は、捨てられた子犬のような目をして左手を口元に寄せて「えっ………」
とか呟いていた。
キモい、
と言いたいのは和査でなくとも皆思うことのはずなのだ。とりあえずブチ切れなかった事に自分の心の広さを褒め称えていたい和査は、とにかく話題を変えるために、この異様すぎる空気を変えるために口を動かした。
「それにしても、『アメリカ』の……オレゴン州でしたっけ? よくそこに前線基地なんて建てられましたね。バグズ共が来るかもしれないってのに」
「お。俺とおんなじこと考えてやがる。まー話を聞いてみれば、オレゴンは海岸線にバグズがあんましいねーんだと。で、ロシアサマはそこに人類最初の拠点を作り上げた訳。んだすげー腹立つ顔してた」
「全くわかりませんよ、それ。なんですか壁って。ホラじゃないでしょうね」
「だったら俺達でロシアの眉間にトンネル作ってやろう。……ハッ!? ちげーよちげーよ飯です飯! お飯を頂戴! こっちはまだまだお仕事残ってんの! オーケイ?」
はいはいわかりましたー、と投げやりに言葉を残して立ち去った和査にひらひら手を振り、まだ若い部下に四度目のため息をつかれたナマケモノは、こっそり小言を漏らした。
「(……老けてる事自体は否定しないあたり、コイツの苦労人ぶりがわかるよなぁ)」
ひひ、と子供のように笑った後、ナマケモノはいくつかの資料を手に取った。
(それにしても、『アメリカ』がまるごとブっ飛んでから二十一年。何故このタイミングでいきなり『調査』なんてしだしたんだ、ロシアのヤツらは。変にバグズを刺激しないといいがな)
Ⅱ
食い意地のはったナマケモノ上司に食糧をお届けするために、デリバリー和査は(ぶーぶー文句を垂らしつつ)食糧が保存されている厨房へと向かっていた。
「……っと! 着いた着いた。ふー……」
息をついているのは、和査が軽く走ってきたためだ。ついさっきまで無駄話をしてしまっていたものの、『アメリカ』が近づいているために和査も他の船員と合流し、改めて作戦行動などを確かめておきたい。一人だけ準備を怠りミスを起こす、なんて初歩的バカはしたくはないのだ。
(……でもなー。あの人俺が無視ると駄々っ子になるし。アレはなんであの役職に居座ってんだ………隊長だろ、アレ?)
適当に食糧を漁り、迷わず味気ないことに定評のある軍用レーションを手にとると、すぐに道を引き返
「……ん?」
……す前に、和査はとある倉庫の前に立ち止まった。倉庫の中から物音がしたためだ。
先ほどもあったように、今は『アメリカ』へと向かっている。着いたらそのまま流れで戦闘に直行する可能性も十分あるため、船員は集まり準備している。船を動かすヤツもいるにはいるが、それにしたって支援物資の倉庫に用があるヤツはいないはず。
和査は、警戒しつつもゆっくりと倉庫の扉を開けた。ふっ、と小さく息を吐き、和査は倉庫の中を確認していく。
ガサゴソと何か物を漁る音の発信源に向かっていくと、ふいに倉庫の中に大量に放り込まれているダンボールが、やけにコミカルな音を立てて崩れてきた。
「……ッだぁ!? なんだなんだぶぐぇっ!!」
……奇声を発する謎の少年と共に。
あまりの出来事に唖然とする和査をさし置いて、思いっ切り打ちつけた頭をさすっていた謎の少年は、和査の存在に気づくと、まるで中学生がクラスメートに話しかけるように喋りかけてきた。
「……あれ。おれと同じ密航組か?」
「んなわけ無いだろアホかお前は。ってかお前自分で密航してます、って言いやがっただろう、今」
「あー………。どうか見逃してく」
「ダメだダメだ。むしろ、どうやってこの船に乗船したかを知りたいもんだ」
「ピック使って積み荷の一つ開けて中にすぽーん」
「…………。ひでぇ嘘だ」
「嘘じゃねぇって! 信じて! ビリーブ! ビルィーブ!!」
まるで小学生みたいな説明をする金髪の密航者は辺り一辺を見回し、(手錠の代わりを探している)和査に話しかけた。
「なぁ、この船って何なんだ? なんかやけに物騒な匂いがするけど。火薬とかの」
「よく匂いが分かったな……待て。お前、もしかしてこの船がAPSCの巡視船と知らずに?」
「ん? なんだそのエーピー……なんとかってヤツ。知らねーぞそんなん」
(……怪しい。どっかのスパイか? 馬鹿を装ってる……にしちゃ間抜け過ぎるし、どうにも素人臭い。それも演技だったら恐ろしいけど)
などと疑いつつ、部屋の片隅に放置してあった(強力な)粘着テープを手に取った和査は密航犯の顔を見る。
金の髪の毛で日本人ではないと分かるが、顔はやけに東洋人……日系だった。かなりの距離を移動してきたのか、手足は汚れ服にはキズがついており、軍人なのに未だ目立ったキズのない和査とは反対の印象になっている。あとは腰につけたポーチがあり、動くたびにガチャガチャ音を立てていた。
「……とにかく今から連行するが、名前は?」
「サーレット・デイムライド。色々あだ名はあるけど、まー『ラッチ』でいいよ。お前は?」
「岩代。岩代和査だ。好きなように呼べよ、密航者」
「……ラッチだって言ったじゃんよ」
妙に馴れ馴れしくブー垂れているラッチを突き飛ばして手首に粘着テープを巻きつけ連行する形で、和査は再びナマケモノの元へと向かっていった。
捕まったというのに、何故だかラッチは笑っていた。まるで、何年も共に過ごしている親友の近くにいるように。
ヘンなヤツだ、と和査はラッチにつられて少し笑った。ちなみに和査がラッチがあまりにもうるさい野郎だと気づきイライラしていくのは、ほんの少し後の話である。
Ⅲ
現行犯逮捕。よって海に突き落とす、いや突き落とせ。
以上がナマケモノの元へとラッチを連行した和査の言い分である。ここに来るまでラッチが異様なまでに話しかけてくるためにイライラしていた分も含まれ、こうなった。
ラッチからは先程までの馬鹿笑顔は消え失せ、ムンクの叫びみたいな顔になっていた。さっきから「ヒエェェ……」などと口から漏らしている。
が、ナマケモノにとって不服なのはそこではなく、
「……なんで? なんでこんな粘土を持ってきちゃうの!? これは食いもんじゃないじゃん!」
「だぁーっ! うるさい! ワガママ言わないで下さいよ!! 俺にはやることがあるんですって!! 主に仲間と!!」
「ニャニィ!? 上司より同僚だとう!? このやろっ、拗ねちゃうぞーっ!!」
「変な声出すな気持ち悪いっ!! あんたは都会の捨て猫かなんかか! ていうか大体……」
などなど約二十分間(ラッチを完全に無視して)上下関係とか軍規とか諸々抜きの口論をする羽目になり、半ギレの和査がナマケモノにパシリをした事を謝罪=ドゲーザさせる方向で話がまとまった。この二人、正しい上下関係の形を知っているのか。
「……この度は誠に申し訳御座いませんでした和査様。私めが悪う御座いました」
……と、どうみても下剋上以外の何物でも無い発言をするナマケモノなのだが、この二人の関係をそれなりに知る人物が見れば『ああ、いつも通りか。今日も平和だ』とちょっと遠い目をしつつ呟くのだから不思議である。決してホモとかソッチ系の意味ではなく。
「わかれば良いんですよ、わかれば。それよか、こいつどうします? ほらほら顔を上げて」
未だに和査にガタガタ震え、三十代サラリーマンの恐妻家みたいになっているナマケモノは、恐れおののきつつ面を上げて呟いた。
「こいつって……このムンク? 顔の形変わってるけどウケ狙いじゃねえだろうな」
「例えウケ狙いだとしても無視して下さい。普通だと強制送還ですけど、国籍もわかりませんし、ヨーロッパやアフリカの出だったら指紋照合とかも出来ません。何より、『アメリカ』に着いたら俺達でさえまだ身の安全を確保出来てないんですよ?」
和査は溜め息混じりに、
「元の場所に戻すどころか、どうやって『アメリカ』でこの面倒臭いのを守るんですか?」
「え? あめ……、『アメリカ』?」
会話についていけないラッチを尻目に、和査は淡々と話していった。
「見捨てるっつー選択肢ない辺りはカズだよなぁ。ホント感心しちゃうんだぜ」
「いいから早く決断を」
「……。空いてる部屋位あんだろ、ぶち込んどけ。担当は言い出しっぺのお前がやっとけよ。そんぐらいの世話はしろ、カズ」
「了解。準備はさせて下さいよ、こんな余計なの世話してて死んじゃいました、なんてのは嫌ですから」
そう、先程より幾度か和査達によって言及されているように、今の『アメリカ』は、いや『北アメリカ大陸』は、訓練された軍人と呼ばれる者であっても簡単に命を散らすことができる場所となっている。
かつて世界の中心に、頂点に君臨していた国は完膚無きまでに崩壊した。和査達が向かっている『北アメリカ』のほぼ全域と、『オーストラリア』と呼ばれる……呼ばれていた地にヒトの姿は無くなり、代わって蟲の形をした巨大なモノが闊歩している。
それこそが、『バグズ』と呼ばれる生物であり、二つの大陸をたった六週間で一変させてのけた怪物である。
人間は死に絶え、今まで積み重ね上げられてきた文明は朽ち果てていった。また、世界の警察を担当していた国と資源大国の一つが崩壊し機能停止するという状況は、人類に長い間混乱を生み出し、人類がバグズに対抗せんとする余裕を奪っていったのだ。
「ん、っあー……一つ確認していい?」
と、ラッチが恐る恐るといったように切り出した。
「何だ」「なんじゃらほい」
「……この船って、アメリカに向かってんの? アメリカに」
ひくひく口をひきつらせながら問うラッチに、和査は渋々といった体で答えた。
「そうだよ。俺達はアメリカのオレゴン州に向かってる。俺達とロシアが設置した前線基地にな。まあお前には関係無いから、持ち物全部出せ。お前は日本に帰るまで空き部屋にぶち込む」
またムンクの顔になったラッチを放ってぶっきらぼうに答えながら、和査は再びラッチの手首に粘着テープをぐるんぐるんにし針金でキツく縛りつけていく。むすっとしながら手作り手錠を完成させると、ラッチが着けていたポーチの中を覗いていたナマケモノが、わおわお、と軽く驚くような声をあげた。なんだなんだ次はナニが来やがるんだとばかりに和査がそちらを向くと、
「なあカズ、これ見てくれよ。ピックやら針金やら、あと爆薬やらがじゃらんじゃらん出てくるぜ? こいつテロリストかもよ」
「はァあ!?」
恐ろしくとんでもないアンサーが返ってきた。
この時改めて、和査は思う。
なんで、こんなハタ迷惑なテロリスト紛い野郎が俺の近くに出て来るんだよう、と。
ついでにナマケモノをセットにして、どこぞの動物園にでも突き出したい気持ちいっぱいの和査とかとかを乗せた船は、『アメリカ』へと、たどり着こうとしていた。
まずはここまでお読みいただき、ありがとうございます。
拙作が初めて、処女作となるため、未熟な部分多々あると思いますが、宜しくお願いいたします。
では次回、戦闘になり……なったらいいなぁ。