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THE JUDGE 4

 ――どこで、誰に、いつ聴いた――?

「ここで……、あん、たに……、さ、っき、ね、ごと、で……っ」

「え、うそ! マジ?!」

 急に気道に空気が入る。咳き込む自分の音で辰巳の頓狂な声が掻き消された。吊り上げられた身体を突然解放された反動で、思い切り前のガラステーブルに鼻を打ちつけた。

「いってぇ! うぉ、何かつべたい! うわ、キャンドル倒したじゃねえか馬鹿野郎!」

 背筋を凍らせた声がバカ丸出しの間抜け声に戻る声を聴いて、カリヤの口からもようやく言葉が滑り出せた。

「あ、ごめん。何か今、すごい音したね。どっかぶつけた?」

 斜め後ろから聞こえた声が、理性を取り戻した彼が姿勢を起こしたのを知らせている。

「鼻。ってか、何、もう人肌恋しくねえのかよ」

 あっさりこちらの言葉を信じた根拠を聞きたくてそう言っただけだ。決して未練たらしい意味合いではない……多分。

 くすくすと笑い声が耳障りに響く。ヤツがどんな表情をしているのか見れないのが悔しい。

「肉食系だね、悠貴クンは」

 そんな小馬鹿にした言葉と一緒に、腹へ屈強な腕が回され引き寄せられた。

「あいにくそういう趣味がないから、キミのご要望に応えることは出来ないけどね。貸しをチャラにさせてなら、あげられる」

 もうちょっとだけ、あたためて。そう呟く声は、やっぱり子供のようだった。




 辰巳の肩に頭を預けて、ぽすんと向かい合わせで包まれる。それは妖しいというよりも、親が子を包んでいるようなものに近い感覚だった。

「克美と初めて逢った時も、キミみたいな目をしてたんだよね」

 聴かせるというより、独り思い出を反すうするように、辰巳はとつとつと語り始めた。


 その昔、売春宿で拾った子供。姉に匿われて男として育って来た子。“克美”という女性名を与えたのが自分だ、と、かなり誇らしげに語っていた。すごくモテる女になったんだとか、オレンジが弾けたみたいな子供みたいな笑顔が、お客を明るい気分にさせてくれるくらい笑える子に育ったんだ、とか。散々のろけ話を聞かされた。

 いつの間にか、妹みたいな存在から女に変わっていて。彼女が自分を男として見ていたことを、最後の最後、別れる日まで気づけていなくて、それが一番自分が驚いたこと、だとか。

「そんなに大事なもんだったなら、何で捨てて来ちまったんだよ」

 聞きたくないけど、聞いてみたい。そんな矛盾した自分と初めて会った。

「守りたかったんだ。俺が消えることでしか、あいつを守る方法がなかったから」

 守り通すつもりでいたのに。そのあとの言葉が、なかなか紡がれることはなかった。

「……辰巳?」

 怪訝に思って頭を上げた。真っ暗闇の部屋の中、手探りで彼の顔を探してみれば。

「……泣いて、んのかよ……」

 手の平が掴んだ濡れた感触。切ないくらいに、あたたかい。

「……総司が悪いんだ。ガキの願いなんて話、しやがるから、あの馬鹿」

 頬を挟んだ手を無理矢理剥がされ、苦しいくらいに抱きすくめられた。

 赤木が言っていた言葉を思い出した。


 ――ちょっと俺が今日下手こいちゃって。


「あんた、ガキもいたのか」

 彼は、カリヤが尋ねたその言葉には小さく首を横に振った。

「わかんないよな。親に愛されたことなんかないからさ。息子が父親からどんな言葉が欲しいか、なんて」

「いないのに、んなことでへこんでたのか?」

 あやすように回した腕で、彼の背を撫でながら問い掛ける。

「……抱かなきゃよかった」

 吐き出すように発した辰巳の言葉が、カリヤの背に微かな息の温もりを伝えて来た。

「まさか、それまでずっとプラトニックだった、とか?」

 噂と正反対ではないか、という驚きは、今口にしてはいけない気がした。

「独りでは待てない、って言ったんだ、あいつ。もう大丈夫だと思ったのに。俺もお前と同じように思っていたよ。恋なんて、いつか醒めていく熱病みたいなもんだ、って」

 あいつが待ち続けたらどうしよう。もし子供が出来ずに独りのまま死んだらどうしよう。

「それだけでも背負い切れないのに、もし逆にガキが腹ん中にいたとしたら……芳音にもきっと俺、すごい酷なことをしたことになる……」

「かのん?」

「ガキの名前を、置いて来た。克美が独りじゃないと思えるように」

「そか……」

 それ以上、言葉が続かなかった。


 垂れ流される嗚咽を、ただ黙って聞き続ける。ずっとその背を撫でながら。

 愛とか、恋とか、彼氏や彼女とか。そんなものはただの独占欲や征服欲を美化しただけの、欲でしかないと思っていた。

「帰りたい」

 掠れた声が、カリヤのそんな概念を削ぎ落とす。

「その内思い出に出来ると思ったのに」

 息をするのが苦しくなる。

「行って、“来る”なんて、言わなきゃよかった」

 シャツの襟から忍び込んで来る彼の涙が、カリヤの背筋を舐めていく。それが、彼の欲する言葉を、でもきっと耳にすれば絶望も与えるひと言を、まだ紡ぐ勇気が出せないでいたカリヤの背中を押した。

「俺らと違って、女は結構図太いさ。あんたが思うほど弱くはないんじゃねえの、その女も」

 きっと次の男を見つけるさ、若いんだから――思ってもいない言葉を口にした。

「あんたは、あんたがすべきことをしたらいいんじゃねえの。その為に帰って来たんだろ」

 何する気なんだよ、という問いには、彼は答えてくれなかった。

「その内嫌でも目にするよ。そん時までは、悠貴クンにも、内緒」

 ありがとね、と、もう一度きゅ、と抱きしめられる。急に体中が寒くなった。もう初夏のはずなのに。

「口止め料、もらっとくぜ」

 寒いのは、梅雨に入ろうとしている所為だ。自分へそっと言い聞かせる。

 強引に辰巳の頭を抑えて「口止め料」を頂戴すると、二人しかいない真っ暗闇の店内に辰巳の「げっ」という声が微かに響いた。


 いつの間にか眠っていた。目覚めると辰巳はもういなかった。

 テーブルの上に置かれたメモを見ると、そこには

『Thank you, dearest men』

 と記されていた。




 その年の六月十九日の朝刊で、彼が「内緒」と言っていた内訳とその理由を知った。

「何も自分の誕生日を選ばなくてもよかったのに」

 泣き疲れて眠るカヲル子の傍らで、記事に映った辰巳の写真を見て呟いた。その写真が次第に波立ち揺らぎ出す。ぬるいものがカリヤの目から零れ落ちた。


 今初めて、あの不可思議な気分が初恋だったと自覚した。それはカリヤに、甘さと苦さと酸っぱさを残していった。


 ――これから出逢う、まだそういう相手に出逢えていないだけ、なんだよ。もっと心の目を開いて生きてごらん。


「てめえじゃなかったのは判ってたけどな。んなヤツ、ホントにいるのかよ」


 ――自分の店を持ちたいんだろう。店はテクニックだけでは維持出来ない。土台にあるのは信頼だ。ちゃんと心の声を聞きなさいね。


「解った気がする。だから、誠四郎とけじめをつけた」


 ――その内思い出に出来ると思ったのに。


「意地でも思い出にしてやるさ。俺も、それにあんたの大事な“克美”もな」


 あの日以来、辰巳とは一度も会っていない。ノンケによくある偏見からドンビキされたのかと思っていた。

 これが、あいつの守り方。自分から大切な者を遠ざけること。

「結局借りを返させねえままイっちまいやがったじゃねえか、この野郎」

 指で写真をピンと弾く。また新しい雫が球をかたどり、その上へぽたりと落ちた。

 歪んだのは、『日本帝都ホテル銃乱射事件/藤澤会幹部18名を射殺!!』という見出しの文字だった。

 新聞を広げ、手でふたつに切り裂く。辰巳の写真の映る面を、最後にもう一度だけ食い入るように見つめた。

「あばよ。おっさん」

 その写真と説明に記された『容疑者(自殺)』の文字を真っ二つに切り裂きゴミ箱へ放り込んだ。

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