◆1章「エレクトロ・ワールド~勇哉~」--2
そして六時間目が終了し、掃除の時間。
勇哉は箒を手に持ち、教室の床を掃きながら不思議な声と脳内会話をしていた。
不思議な声に対しての訝しげさと警戒心は既に薄れていた。声が聞こえてくるだけで、勇哉自身に危害は無いと解ってきたからだった。
(それで“コトハ、オコノギ”以外に、何か心当たりになるようなのは無いのか? 聞こえてきた内容とか)
『私に話しけてくる声は、誰かに呼びかけてくる内容でした。声が聞こえますか? とか、その声の主の日々の出来事に関することや秘密の言葉とかですかね』
(出来事? それは、どういった事だ?)
『それは……アナタに言って良いのか、判断に困りますね』
(なんだそれ?)
『他人の事情は晒してはいけないものですよ』
(ああ。プライベートの問題ってことか……)
勇哉は気になっていた事―本質―を訊いてみた。
(そういや。どうして、こんな事ができるんだ?)
『こんな事って?』
(こうやって…テレパシーというのかな。直接、頭の中に声が響いて、こうやって会話している事だよ)
『さぁ? そのことについても、私も解かりません……』
(理屈不明のまま会話できているってか……)
『あ、でも……』
(でも?)
『会話する前に手をね。こうやって伸ばして、そして言葉を念じると……』
(声だけだから、何やっているか分からないぞ)
『ああ、そうですね。えっとね。こう両手を……』
「うひゃっ!」
突然、勇哉の首筋に冷たい何かが触れ、思わず情けない驚き声をあげてしまった。
勇哉が後ろを振り返ると、活動的な髪型……いわゆるショートカットで、手には濡れた雑巾を持ち、ツンッとした目で勇哉を見据える女子が立っていた。
あの雑巾で自分の首筋を触ってきたのだろうと勇哉は把握し、少女に睨み返した。だが、少女は臆することは無く、
「何、ボーとしているのよ。さっさと掃わきなさいよ。掃除が終わらないじゃない」
女子は言いたい事を言うと、自分の作業へと戻っていった。
「アイツめ……」
『どうしたんですか? 私の声が聞こえてますか?』
勇哉の話しの途中で途切れたため、勇哉を案じて声を掛けてきた。
「あ、いや……おっと」
勇哉は自然に発言しようとたが、これだと自分の声が伝わらなかったんだと気付き、すぐさま口に手を当てて塞ぎ、言葉を思い浮かべた。
(いや、何でも無い)
あの女子から注意されないように、手を動かしつつ話しを続けた。
(それで?)
『はい?』
(何か言いかけていただろう?)
『ああ、はいはい。えっとですね。両手を空に向かって伸ばして、あなたに話しかけたように、聞こえますか、聞こえますかと言葉を思い浮かべたの。そうしたら今日、あなたに私の声が聞こえたみたいで、こうして話しをしているんです』
(両手を空に……って、あれ?)
不思議の声が語った内容に、勇哉は思い当たることがあった。ついさっき、そういった行動をしている人物を見たのだから。
思い浮かべたのは中庭にいた女子……電波ちゃん。
ただの偶然か、それとも……。
勇哉は悩むよりも、答えを聞いた方が早いと行動に出る。
(ちょっと待ってろ。少し、心当たりがある)
『ほ、本当ですか! それって、どういう事なんですか!』
驚きの声をあげる不思議な声を聞き流しつつ、教室内をグルッと見回し、ある人物を探す。そして見つけた。昼休み、勇哉に話しかけきた男子を。
その男子に呼びかけようとしたが、名前を知らないことに気付き、言葉に詰まってしまったが、名前を呼ばなくても、
「な、なぁ!」
と、呼びかけて男子の肩を軽く手を置いた。
「ん、なんだ?」
男子は机を運んでいる最中だったが、勇哉の呼び止めに返事してくれた。
「あの、ほら。電波ちゃん。あの電波ちゃんと一緒の中学だった奴、知らね?」
「いきなり、なんだよ。それに一緒の中学だった奴なんて……ああ。確か、委員長が電波ちゃんと話している所を見たことがあるから、委員長に訊いてみれば?」
「そうなのか。分かった、そうする。サンキュー!」
軽く手を上げ感謝を表し、再び教室を見回した。そして、ちり取りを持ってゴミを集めている委員長を見つける。
委員長の元に近づき呼びかけようとした時、足を止めた。
それは顔は覚えていたが、先ほどの男子と同じで名前は覚えて無かったからである。
勇哉は、今度からちゃんと人の名前を覚えようと誓ったが、今は誓ったり、躊躇していても仕方ないので「委員長」と呼びかけた。すると、委員長である人物が、眼鏡の奥の瞳は優しくオレの方を向いた。
「なんだい……えーと、村上くん」
流石は委員長。もうクラスメートの名前と顔を覚えてますかと、感心するも……いや、そんな事に感心している場合じゃなかったと、勇哉は訊ねた。
「ちょっと訊きたいことがあるんだけど、いいかな?」
「ん、何?」
「ほら、電波ちゃんと知り合いみたいだからさぁ。もしかして、一緒の中学校出身かなと……」
「電波ちゃん?」
委員長は首を傾げた。
「ほ、ほら。昼休みに中庭でオカシナ事をしている女子のことなんだけど」
「ああ。そうだけど……それが?」
やっと委員長も電波ちゃんが誰の事を指しているのかを理解した。
「それだったらさぁ、そのさぁ、名前とか知ってたりする?」
「名前? 知ってるけど……なんで?」
委員長の表情が少し訝しげる。
勇哉の突然の問いに不審がられても仕方は無いが、今勇哉にその事を気に留める余裕も無かった。
「あ、いや。ちょっと、気になったからさぁ……」
「まぁ、気になるのは分かるけどね……。んー……名前ぐらいなら良いか。えっとね。あの子の名前は小此木琴葉さん」
「小此木、琴葉……」
その名前に心当たりがあった。
委員長は話しを続けていたが、勇哉は自分のことに専念し始めた。そう、不思議の声が言っていた言葉“コトハ、オコノギ”だ。
勇哉は頭の中で不思議の声との会話を思い出しながら、答えを導くためじっくりと確かめた。
(小此木、琴葉……オコノギ、コトハ……“コトハ、オコノギ”……ビンゴ!)
『なに、どうしたのですか? びんごって何ですか? “コトハ、オコノギ”が何の意味が分かったんですか?』
勇哉の頭の中の考えが不思議の声の主に伝わっていたらしく、すかさず不思議の声が訊いてきた。
(多分だけど、多分……)
「村上くん?」
不思議の声に対して答えを言おうとした時、話しを聞いてなさそうな勇哉に対して、委員長が呼びかけてきた。
「どうしたの?」
「あ、いや。なんでもない。ありがとう、助かったよ」
なぜ“ありがとう”といわれたのか意味が分からない的な顔をした委員長に向かって、勇哉は手を振り、そそくさと立ち去った。
掃除に戻り、箒で掃わいていると不思議な声が呼びかけてきた。
『それで、何が分かったのですか?』
(多分、“コトハ、オコノギ”というのは、名前なんかじゃないかって事)
『名前? 珍しい名前ですね、“コトハ、オコノギ”って』
(そうか? まぁ確かに小此木というのは珍しい苗字だけど……)
『そういえば、名前……。あなたの名前は何て言うのですか?』
(へっ?)
『名前……。名前ぐらいありますよね?』
(ああ、あるけど……)
見ず知らずの人に、ましてや幽霊かも知れない謎の存在に自分の名前を知られてしまうには、少し抵抗があり躊躇してしまった。もしかして、この声の正体は、本当は悪魔で。悪魔といえば相手の名前を知ると、呪われたり、シモベとかにされてしまうと、どっかのウェブサイトで見たことを思い出す。
と、勇哉が迷う中、
『どうしたのですか?』
不思議の声は訊いてくる。
(いや、なんでも……)
『そうだ。そういえば私の名前……というより自己紹介がまだだったね。私の名前は、ルゥア・ルミネル・ルヘンといいます』
(る? るーあ?)
『違います。ル・ゥ・アです』
(ルーア?)
“ルゥア”の“ゥ”の部分は、舌の先を少し丸めて短く“ゥ”と発音するのが正しいのだが、勇哉は正しく発音を聞き分けられていなく、かつ発音できないのだった。なので、“ルーア”と“ゥ”を長音にしてしまっている。
これは勇哉だけではなく、日本人特有であろう。日本語は他の言語と比べ発音、いわゆる母音の種類が少ないためで、上手く発音できないからだ。つまり、聞き慣れていない発音で、言い慣れていない発音だからなのだ。
もし勇哉が外国で生まれ育っていたのなら、正しくルゥアの名前を呼べただろう。
しかし、現状でそんな些細なことに気にしていられなかった。この、頭の中で会話している異常現象の前で、そんな発音の事は二の次だった。
「ルーア……って」
勇哉は不思議の声の人物は、日本語で話していたから、てっきり日本人だと思っていた。なので、如何にも外国人っぽい名前に驚いたというより、呆れた。
(なんだ、その名前? 偽名なら、もっと偽名っぽいものを言えよ)
『偽名? 失礼ですね。 ルゥア・ルミネル・ルヘンは、ちゃんとした私の名前ですよ』 不思議の声の口調が少し荒高くなった。この怒り方は、少し本気っぽいなと感じ取られたが。
(はいはい)
『信じてくれないのですか? 本当ですよ!』
真面目な口調からは、冗談や嘘を言っている風には聞こえない。という事は、本当にルーアなんとかという名前が本当の名前なのか。本当だとしたら、
(そっちのが、小此木よりも珍しい名前だろう)
と、思わずツッコミを入れたが、不思議の声は気にする事なく。
『それで……』
(で?)
『あなたの名前はなんですか? 私は言いましたよ』
(え~と……)
ここで、自分の名前も言うべきなのかと、改めて考える。声の正体が悪魔みたいなモノだという疑念が取れず、そもそも相手の名前が偽名っぽいので、ここは自分も偽名を使うことにした。
(キョ、キョロ助だよ。む、村上キョロ助……)
“キョロ助”とは、アニメ「カエル侍」の主人公の名前である。「カエル侍」は、擬人化したカエルが江戸時代を舞台にコメディ劇を繰り広げるアニメで、この日本ではほとんどの人が知っている人気作品である。
名前が、キョロ助ならば十中八九、偽名だと相手も分かるはずだと……。
『ムラカミ、キョロスケ? へ~面白い名前ですね』
(あれ?)
『どうしたのですか?』
(あ、いや。キョロ助ですよ)
全国区の知名度で人気のあるキャラの名前なのに知らないのかと思いつつ、確認がてらにもう一度名前を言ってみた。
『キョロスケですよね。大丈夫ですよ。覚えましたよ』
どうやら不思議の声の主は、キョロ助を知らないみたいだ。
『それよりもキョロスケは、私の名前は覚えているの?』
(ああ。ルーアだっけ?)
『少し違いますけど、まぁいいですよ』
(違うって……。キョロ助の事も知らないくせに……)
『知っていますよ。キョロスケはあなたの名前でしょう』
どうやら話しが噛み合っていないようで、勇哉は言葉を噤んだ。
不思議な声。
その声の主の名前は、ルーアなんとかという不思議な名前。
分からないことばかりが積み重なったが、もう考えるのが面倒臭くなり、勇哉は「まぁいいか」と締めくくった。
とりあえず“小此木琴葉”だ。
あの電波ちゃんに会えば何かが分かるだろうと、それに期待した。
続く―――




