第32話 推しと私の共闘!
レオン様は、伝説の聖剣を構えたまま一歩も引かない。
だけど、さっきから刃の聖なる光が、弱々しく揺れている。
魔竜の呪いブレスが空気を汚染するたびに、聖剣の輝きが『ジュッ……』と音を立てて削り取られているのが、素人の私の目にもはっきりと分かった。
「……やめて」
思わず、かすれた声が漏れた。
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からない。
チート魔竜に? 理不尽な呪いに? それとも、私の推しが傷つく可能性そのものに?
レオン様が空を見上げる。
魔竜の紅い瞳と、レオン様の蒼い瞳が交差する。
その瞬間、魔竜が喉の奥で「矮小な人間め」と嘲笑った気がした。
次の呪いブレスが、竜の喉奥にドロドロと溜まる。
紫黒の極大の光が集まり、世界の温度がもう一段階、死に向けて落ちた。
「……もうダメかも」
心臓が『ギリィッ!と』痛い。
推しがやられる。
推しの体力が削られる。
推しの美しい刃が曇る。
それだけは――絶対に無理。解釈違いだ。
私は気づいたら、無意識にレオン様のもとへ飛び出していた。
◇ ◇ ◇
「おいクロエ! 動くな!」
カスティエル殿下の焦った声が背後から飛んでくる。
首に包帯を巻いた青白い顔のくせに、今だけは王族としての責任感で私を止めようとしている。
「お前が前に出たら、公爵の足手まといに――!」
分かってる。
そんなこと、限界オタクの私が一番よく分かってる。
「推しがやられてるのに、黙って見ているだけのオタクがいるわけないでしょうが!!」
私の口から、前世の血が騒ぐ凄い勢いで本音が飛び出した。
しまった。ついオタクの魂が吠えてしまった。
でも今は、モブとしての建前や丁寧語で心臓を守る余裕が一切ない。
「……推し?」
バカ王子が『ぽかん』とした顔で私を見ている。
この世界の終わりのような状況で、そこ引っかかるの?
でも、私には、そんなことに構っている余裕などない。
空の魔竜が巨大な翼を広げ、王都を滅ぼす呪いの嵐を落とそうとしている。
レオン様の剣の腕は、間違いなく最強だ。
だけど、あの呪いによるデバフ(弱体化)が続いたら、いつか推しの命の光が消えてしまう。
そんなバッドエンド、絶対に嫌だ。
私は、深く深呼吸して――【鮮度保持庫】へ手を突っ込んだ。
「出てきて、私の最終兵器……!」
取り出したのは、二本の輝く円筒。
前世の記憶を頼りに錬成した、特製『魔法ペンライト』だった。
なぜそんなものがあるのか。
いや、あるに決まっている。私は限界オタクだ。
“推しの現場(急なイベント)”に備えて、ありとあらゆる応援グッズを常備しておくのは基本中の基本。
たとえ異世界でも。たとえ相手がラスボスでも。
カチッ、とスイッチを入れる。
ペンライトの先端が、淡く、しかし強烈に光る。
ただの光ではない。私の無自覚チートな生活魔法が、いつの間にか“超絶バフ”を噛ませているヤバい光だ。
熱はないのに、胸の奥を直接叩くみたいな力強い明るさ。
「……クロエ、一体何をする気よ」
アリアの声が、少し離れた物陰から聞こえた。
可憐な声のはずなのに、今はガタガタと震えている。
自分の理解を超えた恐怖と焦燥が混じって、ヒロインの皮が完全に剥がれかけている声だ。
私は振り向かずに、毅然と答えた。
「応援します」
「……は? おう、えん?」
「推しに届くまで、声と光と莫大な愛(魔力)を投げるのが、限界オタクの仕事です!」
完全に意味がわからない、というドン引きの沈黙が落ちた。
分かってほしいとも思わない。分かる人だけ分かればいい。
そして、私の愛する最推しは――たぶん、ちゃんと分かってくれる。
私は両手にペンライトを握り直し、足を踏み込んだ。
決める。ここで私ができることは、剣を取って戦うことじゃない。
推しを“物理的にも精神的にもバフで上げる”ことだ。
気持ちを、魔力を、光を、全部この二本の棒に乗せる!
「レオン様ぁぁぁーーーっ!!」
叫ぶ。
喉がちぎれるくらい痛く叫ぶ。
最前線に立つレオン様の肩が、ピクッとわずかに揺れた。
こちらを見ないまま、でも確実に「俺の神様の声を聞いた」という気配がする。
魔竜の極大のブレスが、王都へ落ちる寸前。
私は、両手のペンライトを高く掲げて、無我夢中で踊った。
限界オタクの究極魔法――『オタ芸』。
振る。跳ぶ。力強く踏み鳴らす。
前世で鍛え上げた『タイガー』、『ロザリオ』、『ロマンス』、マトリックス』。
身体の軸を一ミリもぶらさず、完璧なリズムを刻んで、莫大な魔力の光を一直線に空へ叩き上げる。
「いけぇぇ! 推し! 推し! 世界一顔が良い! 負けるなぁぁぁっ!」
恥も外聞もない口上が勝手に口から飛び出る。
理性はさっき実技場に置いてきた。今はただ、魂と魔力で応援を殴りつける。
ペンライトの軌跡が、濃密な光の線になる。
線が束になり、束が巨大な柱になる。
絶望に沈む王都の広場に、闇を切り裂くような眩い”浄化の光の柱”が『ドカン!』と立ち上がった。
「……な、何だ、あれは」
絶望していた騎士団の誰かが、呆然と呟いた。
恐怖で縮こまっていた人々が、圧倒的な光に顔を上げる。
逃げ惑っていた足が止まり、絶望が、祈りが、希望へと変わっていく。
そして、その光の柱が、レオン様の背中へとダイレクトに吸い込まれて届いた。
その瞬間。
聖剣が――『キィィィンッ!』と、天を割るような音で鳴った。
◇ ◇ ◇
金属が震える音ではない。
光そのものが歓喜に共鳴する音だった。
魔竜の呪いでドス黒く曇っていたはずの刃が、一瞬で浄化され、再び圧倒的な輝きを取り戻す。
いや、取り戻すどころじゃない。
さっきまでの光が“小さな火花”なら、今の光は“燃え盛る太陽”だ。
刃の輪郭が、尋常じゃない魔力で白く巨大に膨らむ。
光が刃を天高く延長し、刃が光を導く。
レオン様の背中が、スッと上がった。
呼吸が変わった。気配が、最強の捕食者のように鋭く研ぎ澄まされた。
そして――レオン様が、ゆっくりとこちらを振り向いた。
氷のように冷たかった蒼い瞳が、私を熱く射抜く。
遠いのに。魔竜のブレスが迫る戦場のど真ん中なのに。
そのヤンデレ特有の激重な視線は、まるで私のすぐ目の前にいるみたいに鮮明だった。
「……クロエ」
低い声。
呪いの暴風の中でも、耳元で囁かれたようにちゃんと届く声。
「あなたは」
一拍。
歓喜に震える声。
「本当に、俺に光を与える唯一の神様ですね」
心臓が止まった。
違う。私は神様じゃない。ただの限界オタクだ。
ただ推しを全力で応援してるだけだ。
でも、そのオタクの“応援”が、いま推しを絶望から救っているなら。私は、今日だけは神様でもいい。
いや、やっぱり神様は重すぎるから、一生ファン一号でいいです!
でも、今だけ愛する推しの背中をこの光で押せるなら!
私は感動で涙が出そうになりながら、ペンライトを狂ったように振り続けた。
「レオン様、いけぇぇぇっ!! やっちまえぇぇっ!!」
その私の野蛮な叫びが、彼にとっての最高の合図になったみたいに。
レオン様が、極大の光を放つ聖剣を、頭上高く掲げた。
空へ。魔竜へ。
そして、降り注ぐ呪いの嵐へ真っ向から、王者のように言い放つ。
「光の守護者よ、我が手に竜を討つ力を」
声が、ビリビリと夜空を裂く。
神への祈りではない――魔力への命令でもない――
ただ勝利を告げる宣言だ。
「悪しき翼を、俺の愛する神様の御前で地に堕とせ……」
聖剣が激しく応える。
私の放ったペンライトの光の柱が、『ズォォォォン!』と剣先へすべて集約されていく。
私の魔力と愛が吸い上げられていくような感覚がして、身体の芯が熱くなる。
「顕現せよ――」
レオン様の瞳が、蒼の底でドス黒い殺意とともに燃え上がった。
「アスカロン!!」
◇ ◇ ◇
天が、真っ二つに割れた。
比喩ではなく、本当に物理的に割れたと思った。
分厚い雲が裂け、夜空が裂け、そこから”極太の光刃”が『ズドォォォォン!!』と降ってくる。
剣先から伸びる光ではない。
空そのものが圧倒的な質量の刃になって、レオン様の手元へ落ちてきたのだ。
その光刃は、闘技場の決闘なんて比べものにならないスケールだった。
王都の城壁より太く、一番高い塔より長い。
眩しすぎて目が焼けるようなのに、神々しすぎて目を逸らせない。
これがチートバフの乗った竜を討つための真の光だと、本能が理解する。
古の魔竜が、初めて明確に「恐怖」へと表情を変えた。
血の池のような赤い瞳が限界まで見開かれる。
喉の奥の呪いが、弱々しく揺らぐ。
圧倒的な知性が、“絶対に勝てない死”を認識して顔を引きつらせた。
『グォ……オオオォォォ――ッ!?』
怒りの咆哮ではない。完全なる恐怖の悲鳴。
それが混じった断末魔が、王都全体を震わせた。
巨大な翼がばさりと激しく開く。
逃げる気だ。
空の彼方へ逃げて、仕切り直すつもりだ。
でも。“光”は、絶対に獲物を逃がさない。
レオン様が地を踏み込む。
人間の足で届く距離じゃないのに、チート魔力が空間を縮縮するみたいに、彼は一瞬で魔竜の鼻先に立っていた。
「――消えろ。ゴミが」
絶対零度の低い声。
私に向ける甘さは一ミリもない。
天を衝く極太の光刃が、容赦なく振り下ろされる。
一閃。世界から、音が消えた。
次の瞬間、遅れて世界が鼓膜を破るような悲鳴を上げた。
凄まじい風圧が王都を撫で、瓦礫が舞い上がり、極光が夜を真昼に変える。
古の魔竜の巨体が――真っ二つに裂けた。
血は飛ばない。内臓も出ない。
そんな“生々しいグロ表現”すら、光の刃は許さない。
光が強大すぎて、切断面が一瞬で焼かれ、存在そのものがチリ一つ残さず“完全浄化”されていく。
魔竜は悲鳴を上げる暇もなく、断ち切られた半身が光へ溶け、もう半身も光へ溶けた。
最後に残ったのは、夜空を漂う無害な黒い灰と、嫌な呪いの臭いが綺麗さっぱり消え去っていく感覚だけ。
そして……王都の空が、驚くほど軽くなった。
街の上から絶望の影が消え、美しい月明かりが戻る。
風が戻り、人々の止まっていた呼吸が戻る。
誰かが安堵で泣いた。
誰かが歓喜で笑った。
誰かが腰を抜かしてその場に崩れ落ちた。
私は、疲れ果て……その場にぺたりと座り込んだ。
「……勝った」
推しが。
私の最愛の推しが。
原作ラスボスを一刀両断で消し飛ばした。
公式からの供給が強すぎて、限界オタクの脳の処理が追いつかない。
でも、いまいちばん大事なのは――
「レオン様、無事……!」
私はふらつきながら立ち上がろうとして、よろけた。
ペンライトを強く握りしめた手が震えている。
張り詰めていた糸が切れ、安堵の涙がボロボロと頬をつたって、視界が滲む。
そのぼやけた視界の先で、レオン様がゆっくりとこちらへ歩いてくる。
極太の光刃は消えている。
でも、彼の周囲にはまだ淡い神々しい光が残っていて、まるで英雄譚の美しいラストスチールのようだ。
違う。私は画面越しの英雄譚を見てるんじゃない。
私を激重に愛してくれる、現実の推しを見ているんだ。
レオン様は私の前に歩み寄ると、騎士のように静かに片膝をついた。
そして、長い指先で、私の涙をそっと優しく拭った。
「……泣いているんですか、俺のクロエ」
「だって……っ」
声が震えて、言葉がうまく出ない。
「推しが……死ぬかもって……本当に怖くて……!」
「あなたの光が俺にある限り、俺は神にだって負けません」
愛が重い。でも、その重さが、今は何よりも安心できる救いだった。
レオン様が、私の額にそっと愛おしげに触れる。
「クロエ」
低い声に、甘い熱が混じる。
「あなたが俺のために踊った瞬間、俺は――」
一拍。
「俺への圧倒的な愛を感じて、勝利を完全に確信しました」
私は鼻を『ずずっ』とすすって、真っ赤な顔で必死に言い返した。
「違います! 踊ってません! あれは純粋な応援です!」
「いいえ、愛の舞でした」
「オタ芸です!」
「ええ」
彼の美しい口元が、わずかに上がる。
「俺のためだけに捧げられた、究極の祈りの舞ですね。一生の宝にします」
その強引な解釈は反則だ。
胸が『ぎゅっ』となる。
推しが無事で嬉しいのに、勘違いが恥ずかしい。恥ずかしいのに、生きていてくれて泣きたい。情緒がめちゃくちゃだ。
その時、背後から、ひどく掠れた声が聞こえた。
「……何なんだ、あれは」
カスティエル殿下が、地面にへたり込んだまま、呆然と澄み切った空を見上げていた。
王太子としての威厳を装う余裕など一ミリもない顔。
でも、その目には恐怖ではなく、何か別の狂信的な光が宿り始めている。
「クロエ……」
殿下が、縋るように私を見る。
「お前……本当に、一体何者なんだ」
私は胸を張りたいのを必死で抑え、メイドらしく答えた。
「ただのメイドです」
「嘘をつけ! あんな光の柱を出せるメイドがいるか!」
「全力で推し活してるだけです!」
「だから推し活とは何なんだ……!」
あなたが一生理解しなくていい、オタクの尊い概念です。
そしてもう一人。
アリアが、少し離れた暗い物陰で、石像のように硬直していた。
完璧だった可憐な仮面が完全に崩れ落ち、唇がワナワナと震える。
「……ありえない」
蚊の鳴くような、かすれ声。
「アタシの、アタシの完璧な計画が……」
「計画?」
殿下がピクリと眉をひそめた。
レオン様の蒼い瞳が、氷のように『スッ……』と細まる。
アリアはハッとして慌てて口を閉じた。
でも、“もう遅い”。完全に空気が変わった。
嫉妬と憎悪で姑息に動いてきた彼女は、王太子の心さえ完全に失いかけている。
そして、目の前で嫌というほど見せつけられた現実は。
クロエの応援で無敵になる冷酷公爵令息。
クロエの光でラスボスすら断ち切る最強の英雄。
そして、クロエにひざまずく二人の男。
それは、アリアにとって計算外の最悪の現実だ。
彼女は、必死に笑おうとした。可憐に。上品に。
でも、引きつった口角が上がらない。
「……クロエ」
震える声で、呪うように言った。
「あなた……ッ」
その視線が、純度百パーセントのドス黒い憎悪に染まる。
冷たい。黒い。
(このままじゃ終わらない。絶対に、次の罠を仕掛けてやる)
目が、そう語っていた。私は、確信した。
でも、その前に。
レオン様が私の手をそっと取り指先に恭しく口づける。
「あなたの美しい光は、俺だけの光です」
低い声が、最高に甘く耳に落ちた。
「二度と、他の誰にも奪わせない」
私は頬がゆでダコみたいに熱くなって、でも小さく、力強く頷いた。
「……はい」
「帰りましょう、俺のクロエ」
「……帰れます? 学園、だいぶ壊れちゃいましたけど」
王都の夜は救われた。
絶望の魔竜は消え去った。
けれど、私たちの戦いは――まだ、終わっていない。
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