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第29話 カスティエルの目覚め

 決闘の翌朝というものは、世界の重力がひときわ重い。

 そりゃそうだ。

 この国の王太子殿下が、学園の公式決闘の場で劇薬をキメて暴走し、公爵令息に手も足も出ず文字通り“ああなって”しまったのだから。

 私の限界オタクとしての朝は、面倒で、胃が『きゅっ』と雑巾のように絞られる案件で始まった。


「……医務室、行かないと」


 豪華な自室のふかふかの布団の中でそう呟き、私は自分に言い聞かせるように力強く頷いた。

 殿下の容体を確認するため――というのはただの建前だ。

 本音は違う。

「ここでバカ王子がうっかり死んだら、うちの最推しが『王族殺し』の理不尽な罪に問われて、破滅のバッドエンドになっちゃう」

 昨日、闘技場で血の海に倒れる殿下へ超特濃のエリクサーを突っ込んだ時、私の頭の中はそれだけでいっぱいだった。

 殿下への好意? そんなものは一滴も、塵一つ存在しない。

 あるのは、「愛する推しの輝かしい未来を絶対に守りたい」という、限界オタクの純度百パーセントの執念だけだ。

 そして一番怖いのは、死ななかった場合の次の問題である。

 王太子が生きて、目を覚まして。昨日の無様と敗北と暴走の記憶が残ったまま、王族としての肥大したプライドだけが残っていたら……

 ――逆恨みからの権力乱用、待ったなし。

 その面倒な矛先が最強のレオン様へ向かうのは当然として、さらに最悪なのは、私へ飛んでくる可能性だ。

 私がうっかりチートアイテムで治療しちゃったから。

 そういう“うっかり”が重なると、物語はだいたい変なフラグが立って予期せぬ方向へ転がる。

 頼むから、面倒な方向へ転がるな。

 私は制服のリボンをきっちりと結び、深呼吸をして、胃痛を抱えながら医務室へ向かった。


 ◇ ◇ ◇


 医務室の前は、昨日までの殺伐とした熱狂が嘘みたいに不気味なほど静かだった。

 出入りする生徒は一人もいない。

 中の空気も、薬草の香りが濃くて、窓の光がやけに白く冷たい。

 扉をそっと押すと、中にいた医務係の先生が私を見て驚愕に目を丸くした。


「ク、クロエ様……!?」

「おはようございます。……あの、殿下の容体を少しだけ」

 先生の顔が一瞬だけ、恐ろしいものでも見るように引きつる。

「……面会は、短時間でお願いいたします」

「はい。すぐ出ます」


 案内された白いカーテンの向こう側のベッドに、カスティエル殿下が横たわっていた。

 昨日のあの黒い靄も、血走った狂気の目も、今はない。

 顔色は青白いが、呼吸は安定している。

 よし。生きてる。本当にちゃんと生きてる。

 私は内心で両手を合わせて神に感謝した。

 推しの輝かしい未来が一つ守られた。バッドエンド回避。今日の私はまずそれだけで百点満点で偉い。

 ……と、安堵したその時。

 殿下の長い睫毛が、ピクリと震え、ゆっくり持ち上がった。


「……」


 薄く開いた瞳が、ぼんやりと天井を捉え、次にこちらへ向く。

 焦点がゆっくりと合っていく。

 そこに、昨日までの傲慢なぎらつきはない。

 あるのは――激しい混乱と、痛みと、そして、信じたくない己の敗北という現実を噛み締める、弱り切った目。


「……ここは」

 ひどく掠れた声。

「医務室、か……」


 先生が慌てて近づこうとしたが、殿下は小さく手を上げて制した。


「……下がれ」

「殿下」

「いい。……今は、静かにしろ」


 王太子らしい命令口調。

 でも、その声はひどく弱っている。

 それがむしろ生々しくて、私はちょっとだけ「やばいな」と警戒レベルを引き上げた。

 殿下の視線が、私の顔へしっかりと定まる。


「……お前」

 掠れた声。

「クロエ……だったな」


 覚えられている。

 私の背筋が、『ぴんっ!』と伸びた。


「はい」

 できるだけ、有能モブメイドの丁寧な声色で答える。

「昨日は……お体が大変危険な状態でしたので」

「危険……」

 殿下は悔しそうに唇を噛んだ。

「俺は……負けたのか」


 そのストレートな問いに、部屋の空気が重く沈む。

 先生が一瞬だけ気まずそうに目を逸らした。

 でも私は、嘘はつけない。ここで変に同情しても後が面倒だ。


「……はい」


 殿下はゆっくりと目を閉じた。


「……そうか」


 悔しさというより、すべてを失ったような虚脱の色が濃い。


 ぽつり、と自嘲するように呟く。


「誰より上に立ち、すべてを支配するはずの俺が……」


 その言葉の続きは、喉の奥で消えた。

 昨日、殿下は俺が最強で上に立つはずという驕りと思い込みのために、怪しい劇薬に手を出した。

 その結果、理性を失い、破壊魔法を反射され、無様に自滅して倒れた。

 あのどうしようもない現実を、いま、白い寝台の上で一人で静かに反芻している。

 ……正直、自業自得だ。“ざまあみろ”と思う気持ちがないわけじゃない。

 でも、それをここで表に出すほど私は愚かではない。

 推しの平和な未来がかかっている。

 私は声を落として、表面的かつ模範的に言った。


「生きていて、よかったです」

「……は?」

 殿下の目が『カッ!』と見開かれる。

 心底驚いたみたいに私を見る。

 そりゃ驚くだろう。

 自分に側室要求され、あまつさえ敵視して当然のはずの相手が、わざわざ見舞いに来て「よかったです」と声をかけるのだから。

 でも、ここで大事なのは絶対に誤解されないことだ。

 私は殿下を微塵も心配しているわけではない。

 推しが王族殺しの罪に問われないよう、政治的未来のために生かしただけだ。

 ……なのに。

 バカな殿下は、勝手に斜め上の『ラブコメの主人公』みたいな方向へ受け取った。


「……お前」

 声が小さく、震える。

「俺を……こんな俺を、本気で心配したのか」


 うわ。来た。

 最悪の勘違いルート。フラグが変な方向に立った音がした。

 私は慌てて言い直そうとした。


「いえ、私はただ推しの……」

「昨日」

 殿下は私の言葉を遮り、熱っぽい瞳で語り出した。

「俺が……醜い化け物のように暴走して、死にかけたとき……」


 喉が詰まったみたいに、苦しげに息を吸う。

「誰も、俺に近づかなかった。皆、遠巻きにして……俺が死ぬかどうかを、ただ怯えて傍観していた」


 王族として生まれ育った者の、妙な深い孤独が滲んだ。

「だが、お前だけが」


 殿下は、真っ直ぐに、縋るようにこちらを見た。

「逃げずに、俺のもとへ走ってきた。その手で、俺を救ってくれた」


 違う。

 それは推しの未来のためです。あなたのためじゃありません。

 でも、今その非情な訂正をすると、殿下の残されたなけなしのプライドが完全にへし折れて、ヤバい方向へ暴走しかねない。

 プライドがへし折れたバカは一番面倒だ。つまり、ここは慎重に処理しなければ。

 私は、無難に、曖昧に頷いた。


「……目の前で人が倒れていたので、放っておけませんでした」


 殿下の表情が、張り詰めていた糸が切れたように、わずかに緩んだ。


「……そうか」


 憑き物が落ちる、という言葉が、こういう変化を指すのかもしれない。


 その瞬間。

『バタンッ!』と医務室の扉が開いた。

「カスティエル殿下……!」


 可憐で上品、そして猫撫で声のような甘い声。

 香水の香りがきつく甘くなる。

 空気が、ふわりと不快に揺れる。

 アリア・ベルフォードが入ってきた。


わたくし、殿下がお倒れになったと聞いて、夜も眠れないほど心配で……!」


 完璧な表情。

 完璧な涙目。

 完璧な殿下を想う健気な令嬢の演技。

 そして完璧な、精神を汚染する【魅了チャーム】のドス黒い匂い。

 私は内心で身構えた。

 来る。絶対来る。

 バカ王太子は昨日まで、完全に彼女のチャームの餌食だった。

 ここでまた魅了されたら、状況は振り出しに戻って最悪になる。

 殿下の逆恨みと執着と権力が、アリアの腹黒い誘導でさらに私の推しへと向かう。

 だが。殿下は、すり寄ってくるアリアを見て――露骨に不快そうに眉をひそめた。


「……お前か」

「殿下……?」

 アリアが一瞬だけ、計算が狂ったように固まる。

「よ、よかった……お目覚めになられて、ご無事で――」


 彼女の声に、さらに一段と甘い魔力が乗る。

 空気が直接脳を撫でてくるような気持ち悪い感覚。

 普通ならそこで、殿下の目がトロンとゆるみ、彼女に引き寄せられるはずだ。

 でも殿下は、一ミリも引き寄せられなかった。


「……近寄るな。気持ち悪い」


『ぽつり』と心底嫌そうに漏らした。

 アリアの顔が、ほんの一瞬で『般若』のようにひび割れた。

 でもすぐに、ひきつりながらも微笑みを戻す。


「な、何をおっしゃって……私はただ、殿下を心配して」


「昨日まで」

 殿下の声はまだ弱いが、どこか憑き物が落ちて澄んでいる。

「お前のその声を聞くと、頭が不快にぼうっとしていた。お前の言いなりになるのが当然のように思えていた。だが、今は違う」

 殿下はゆっくり、深く息を吐いた。

「……妙に、頭がクリアで冷静だ。お前の声が、ただ薄っぺらくて耳障りだ」


 私は息を止めた。

 え。まさか。

魅了チャーム』を、自力で振り切ってる?

 アリアの瞳が激しく揺れる。

 彼女は笑顔のままだが、隠しきれないほど焦っている。


「で、殿下、お疲れのせいですわ。お体が弱って、幻覚を――」


「違う」

 殿下は短く、冷酷に否定した。

「クロエがくれたあの薬で、俺の身体の中の“穢れ”がすべて消え去った気がする」


 “穢れ”……それ、劇薬の副作用と一緒に、アリアの『魅了チャーム』の残滓も含んでません!?

 私のチートエリクサー、また無自覚に変な仕事(完全浄化)してません!?

 私は心の中で盛大に頭を抱えた。

 でも、結果としては非常に助かる。

 王太子が魅了から完全に解放されるなら、アリアの逆ハーレムが根底から崩れる。

 殿下は、アリアを完全に無視して私を見た。


「……クロエ」

「はい」

「俺を本気で心配し、俺の命を救ってくれたのは」

 熱を帯びた、執着の目。

「お前だけだ」


 やめて。

 その「世界で唯一の女」みたいな熱い言い方はやめて。

 ラブコメのフラグが確定する音がする。

 私は推しの未来のために利己的に動いただけです。

 でも殿下は、完全に自分の世界の中で設定を確定させるように続けた。


「俺は」

 声が震える。

 でも、その震えは屈辱や怒りじゃない。

 何か、信仰にも近い、狂気的な熱だ。

「俺は……お前に、一生かけて返すべき命の借りができた」


 借り?

 借りで済む話じゃない方向へ行きそうで、限界オタクとしては非常に怖い。

 アリアが、『ギリッ!』と微かに息を呑む音がした。


「で、殿下……?」

「お前は下がれ」

 殿下は虫けらを払うように言った。

「今は、俺の恩人であるクロエと話す」


 アリアの顔から、『サァー』と血の気が引いた。

 それでも、必死に上品な笑みを作る。

わたくしは、殿下のお側に――」

「いらない。消えろ」


 容赦なくアリアのプライドに刺さった。

 アリアの微笑みが、『ピクピク』と醜く痙攣する。

 目の奥で、ドス黒い“アタシ”が完全に顔を出したのが見えた。


(……何で)

(何でよッ!)

(アタシの最大の駒が、アタシの言うことを聞かないなんて!)


 でも彼女は、血が出るほど唇を噛み締め、頭を下げた。


「……承知いたしましたわ」

 声が甘いのに、最後の音だけが怒りで硬く割れている。


 そして出ていく瞬間。

 私へ、強烈な視線を投げた。

 冷たい、黒い、蛇のような純粋な憎悪の視線。

 背筋がぞくり、と悪寒で粟立った。


 ◇ ◇ ◇


 扉が閉まると、医務室は静かになった。

 殿下はしばらく天井を見ていた。

 それから、ぽつりと呟く。


「俺の周りにいる人間は、俺の『王太子』という肩書きしか見ていなかった」


 当たり前だ。

 傲慢な王太子の周りには、おこぼれに与りたいそういう人間しか寄ってこない。


「だが、お前は違う」

 殿下は言う。

「俺を、王太子という権力として見ていない。ただの一人の人間として見てくれた」

「……それは」

 ある意味正しい。

 私は殿下をただの“バカ王子”としてフラットに見ている。

 しかしそれを正直に言うわけにはいかない。

 殿下は勝手に解釈を深めて続けた。


「……俺は、変わる」

「え?」

「お前が嫌がることは、二度としない。側室の件も白紙だ」


 それは……面倒なイベント回避、ということだろうか。

 私は一瞬だけ、ほっとした。本当に一瞬だけ。

 その次の言葉が、私の「ほっとした安堵」を完膚なきまでに粉砕した。


「俺は、クロエの隣に立つにふさわしい、クロエに認められる男になる」


 だめだ。

 方向性が完全に間違っている。

 違う違う違う。

 私は慌てて口を開く。


「殿下、私は」

 私の言葉を遮りバカ王子は話を続ける。

「俺は負けた」

 殿下は静かに言った。

「公爵にも、自分自身の驕りにも……でも、お前への想いだけは負けたくない」

 その目が、真剣そのものだった。

 驕りの目じゃない。

 忠犬のような、純粋な『狂信的な執着の芽』が、そこで育ち始めた目だ。

 私は心の中で絶叫した。


 やめてぇぇぇ。


 私は推しの未来を守りたいだけで、王太子の更生(忠犬)ルートを開きたいわけではない。

 しかも更生のモチベーションのゴールが私に向いてるの、本当にやめて。

 私の限界オタクとしてのメンタルがもたない。

 この事実を知ったら、レオン様の心が完全に嫉妬の炎に包まれる。

 その時、扉の外で足音がした。

 重い。静か。でも、空気を凍らせる圧倒的な圧がある。

 来た。

 うちの最推しが、絶賛ご機嫌斜めで来た。


 ◇ ◇ ◇


『バンッ!』と扉が開き、レオン様が入ってきた。

 その瞬間、医務室の空気が一変する。

 温度が氷点下に下がる。圧が何倍にも増す。

 でもそれは敵意というより、俺のクロエに変な虫がついていないかという極度の『警戒と嫉妬』だ。

 レオン様はまず私を一瞥して無事を確認し、次にゴミを見るような目で殿下を見た。


「……体調は」

 殿下への問いにしては、あまりにも淡々としている。

 優しさはない。最低限の礼儀はある。でも温度はマイナスだ。

 殿下が、ゆっくりとレオン様を見上げる。

 昨日までの狂ったぎらつきはない。

 けれど、別の闘志の火が灯っている。


「公爵」

 殿下は掠れた声で言った。

「俺は、お前に負けた。完敗だ」

「ええ」

 レオン様はあっさり、慈悲もなく頷く。

「見ての通りですね。二度と、俺のクロエの名を気安く口にしないでください」

 その言葉は静かで、でも明確な殺意を孕んだ刃だった。

 殿下が、一瞬だけ悔しそうに唇を噛む。

 それから――私を熱い目で見て、言った。


「クロエは、俺の恩人だ。命の恩人だ。俺は、一生かけてクロエに借りを返す。だから……」

 殿下はレオン様を真っ向から睨み返した。


「もう、権力で無理に奪うような真似はしない」


 レオン様の目が、わずかに、しかし鋭く細まる。

 疑っている。当然だ。バカ王太子の言葉なんて、まったく信用できない。

 でも殿下は続けた。


「俺は……クロエの忠実な信者になる。彼女に相応しい男になってみせる」


 信者。

 言い方が最悪に面倒くさい方向へ飛んだ。

 なんで忠犬にジョブチェンジしてるのこの人。

 私は頭を抱えたくなったが、レオン様が先に一歩こちらへ寄った。

 私の肩へ、長い指先がそっと触れる。俺のものだ、と主張するように。

 それだけで、私は少しだけホッと落ち着く。

 レオン様が低く、所有権を誇示するように言った。


「……クロエ」

「はい」

「帰ります。こんな空気の悪い場所にいる必要はありません」

「はい……」


 殿下がすかさず言う。


「クロエ、また見舞いに来てくれ」

「絶対に行きません」


 だめだ。ここで曖昧な態度をとったら、絶対に毎日呼び出される。

 そしてレオン様の心が嫉妬の炎に包まれる。

 殿下がショックを受けたように目を丸くした。


「なぜだ」

「私は医務係ではありません」

「俺の命の恩人だろう」

「恩人は恩人ですが、私はとても忙しいので」

「忙しい?」

 私は限界オタクとして胸を張った。

「はい。推し……レオン様の身の回りのお世話と供給の摂取で、分刻みで忙しいので!」


 その言葉が出た瞬間、レオン様の耳が、『ぽっ……』とほんのり赤くなる。

 殿下が絶望に固まる。

 私も言ってしまってから固まる。

 しまった。ついオタクの本音で言ってしまった。

 でももう遅い。

 レオン様は嬉しそうに咳払いして、少しだけ照れたように視線を逸らしたまま言った。


「……行きますよ、俺のクロエ」

「はい」


 私は立ち上がり、レオン様の隣へぴったりと寄る。

 その距離が、私にとっての絶対に安心できる帰る場所だと、最近ははっきり自覚してしまう。

 殿下はベッドの上で、まるで大好きなご主人様に置いていかれた大型犬みたいな、哀れな顔をした。

 いや、忠犬ルート確定ってそういうことですか?

 私のモブライフがさらに面倒になるので本当にやめてほしい。


 ◇ ◇ ◇


 医務室を出た廊下で、レオン様が耳元で低く囁いた。


「……クロエ」

「はい」

「あなたは、誰に対しても優しすぎる」

「優しくないです。推しの輝かしい未来を守るための、利己的な行動です」

「そうだとしても、俺がどんな気持ちになるか考えてください!」


 言い返せなかった。

 だって、たぶんレオン様の言う優しいは、私のオタク的な意図とは関係なく、彼の中での真実なのだ。

 私は推しのバッドエンド回避のために動いた。

 でも、結果として殿下の命を救い、傲慢な心の鎧を剥がしてしまった。


(少し、反省しよう……)


 ◇ ◇ ◇


 その頃、別の場所。


 アリア・ベルフォードは、誰もいない廊下の陰で、爪が食い込むほど拳を強く握りしめていた。

 上品な天使の笑みは完全に崩れ去っている。


(アタシの完璧な逆ハーレム計画が!)

(王妃になるはずだったアタシの計画が!)

(あの憎たらしいモブメイドのせいで、ボロボロじゃない!)


 焦燥と嫉妬と、純粋な憎悪が、美しい顔を醜く歪めていた。


(だったら、あいつを……)

(そうだ、学園の地下には、危険なダンジョンがあった! フフフ……覚悟してないさい、クロエ!!)


 その瞳が、狂気を帯びて暗く光った。

 そして私は、限界オタクの危機管理センサーで、その巨大な嵐がこちらへ向かってくる気配を、背筋でビリビリと感じてしまっていた。



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