22 ゲントロノフ公
王都西街道。
王都とゲントロノフ公爵領の領都を結ぶ広い石畳の道である。
普段なら少なくない数の旅人や行商人が行き交うはずの道だが、今はその姿は一人も見当たらなかった。王都で戦があるという情報が広がっていたからだろう。
『転移魔法』でその道の真ん中に転移してきた俺は、王都方面に目を向けつつ、一人その場にたたずんでいた。
「……来たか」
遠くから馬のひづめの音と、馬車の車輪の音が響いてくる。ずいぶんと急いでいるのか、かなりの早足だ。
音はあっという間に近づいてきて、黒い2頭の馬に牽かれた、黒塗りの高級な馬車が姿を現した。
馬車には神獣ゲンブを象った紋章が掲げられている。ゲントロノフ公爵家の馬車である。
御者には俺の姿が見えているはずなのだが、馬車のスピードが緩む様子はない。
「『アースウォール』」
俺が魔法で目の前に土の壁を作ってやると、馬のいななきが聞こえ、馬車が急停車する音が聞こえた。魔法を解き、俺はその馬車の前まで歩いていく。
「ずいぶんとお急ぎのようですなゲントロノフ公。しかしここで逃げ出すのは国王陛下に対する裏切りではありませんかな」
俺が声に魔力を乗せて言うと、馬車の扉が開き、異相の老人がゆっくりと下りてきた。
こちらに向かって歩いてくる足取りはしっかりとしていて、逃走を図っていた人間にしては表情にも余裕がある。どう見ても、万策尽きて自らの領地に落ち延びていく黒幕という雰囲気ではない。
ゲントロノフは皺の奥にある目で俺の顔をじっと睨んでいたが、急に両腕を広げながら穏やかな声を出した。
「これはブラウモント公ではないか。まさかこのようなところで会うとは奇遇だの」
「公にとっては奇遇でしょうな。しかし私にとっては必然なのです、ここで公とお会いするのは」
「ほう? それはまたどのような意味で言っておるのかのう」
「ゲントロノフ公ほどの人物が、民心を失った王の勝利など信じるはずがありませぬ。どこかで逃げ出すつもりだと、当然考えておりましたので」
俺の言葉に、ゲントロノフはわずかに眉を寄せた。
「天下の『蒼月の魔剣士』殿にそこまで評価されるとは、これは孫にも自慢できそうじゃ」
「マリアンロッテ嬢なら王都におりますから、お話されるとよいでしょう」
「ふむ……なるほど、マリアンロッテは貴公の元に奔っておったのか。それはさすがにわしも考えつかなんだわ。行くならローテローザ領と思っておったのだが」
「その裏をかいたのかもしれませんな。話を戻しましょう。ゲントロノフ公、貴公の行動は以前よりおかしなところがありましたな。あの国王陛下の放埓を許せば、国が荒れることは火を見るより明らかと理解していたはず。にも拘わらず見て見ぬふりどころか助長までしたのは、いったいなにが目的なのですかな」
俺の質問が理解できないといった風に首を横に振るゲントロノフ。
「なんの、わしは単に新王に取り入って、ゲントロノフ家の発言力を高めたかっただけじゃ。まさかあそこまで我儘で無能な王とは思っていなかったというだけで、それ以上のなにがあるわけでもない」
「それは嘘ですな。公は明らかに国が荒れる方へと誘導をしようとしていた。なにが公をそのような行動に走らせたのか、非常に興味があるのですよ」
「くどいのう。そのような裏はないと言っておるに」
「やはり『鬼』が関わっているのですかな?」
俺がその言葉を口にすると、ゲントロノフの顔から一瞬だけすべての感情が抜け落ちた。すぐに元の余裕の表情に戻ったが、俺にとってはその一瞬で十分だった。
「……貴公がなにを言いたいのかわからぬのう」
「レギル将軍が死ぬ間際に言っていたのですよ、『鬼』と契約をしたと。そしてそのレギル将軍は公と関係が深かった。とすれば、おのずと答えは見えてきましょう」
「『鬼』など知らぬ。そのような下らぬ話をするためにわざわざブラウモント公自ら待ち伏せをしたというのは滑稽よの」
「そうですかな? そもそも私が目の前にいる時点で、公の身は滅びたも同然のはず。にも拘わらず余裕の態度が取れるのは、力を隠し持っているからではありませんかな。例えばそう、『影の鬼』の力などがありそうですな」
俺が腹黒公爵面を前面に出して口元に笑みを浮かべて言うと、今度ははっきりとゲントロノフの顔から感情が剥がれ落ちた。
教皇から聞いた「黒い影」の話とゲーム知識からのカマかけなのだが、正直当たってラッキーという話でもなかった。できれば外れて欲しかったのだが、やはりそういう思いは裏切られるらしい。
ゲントロノフの足元から、わずかに黒い瘴気のようなものが立ち上ってくる。
「……ブラウモント公、貴公はどこで『鬼』のことを知ったのかのう。レギルが漏らしただけではそこまで詳しくはないと思うのだがの」
「世界を渡れば、そのような知識も増えるものですよ」
「なるほど、貴公はもとは冒険者として名を馳せておったからの。しかしその知識はちと困るのう」
う~ん、ちょっとだけ自分の正体をほのめかしてみたが完全にスルーされたな。
このタイミングで『鬼』が出てくるのはゲーム知識からいうとイレギュラーなんだが、俺というイレギュラーも認識はされていないようだ。
ゲントロノフの足元から湧きあがった黒い瘴気は、次第に人の形を取りつつあった。
「『蒼月の魔剣士』にはもう少しこの大陸を荒らしてもらいたかったのだが。残念ながら『鬼』を知る者は消さねばならんのでの」
「ふむ、やはり世の荒廃が目的か。しかしなるほど、小細工を弄する段階ということは、まだ『鬼』は十分には動けぬ状態か」
「本当に知りすぎておるようだの。貴公が王となればこの国は持ち直したかもしれんが、この場に一人で来たのは愚かであったな」
ゲントロノフはそう言うと、『縮地』に近い動きで俺から距離をとった。
そして俺の目の前には、黒い瘴気がそのまま人の形を取った、奇妙な存在だけが残された。
と言ってももちろん俺はこの存在を知っている。ゲームでは『ダークシャドウ』と言われる中ボスモンスターである。




