金木犀の香る頃に
帰り道、風に紛れて、金木犀の香りがした。
それだけで、歩いていた足が止まる。
季節が変わったことも、今日が何曜日かも、
どうでもよくなるほど、その香りに心を奪われた。
金木犀の香りがすると、君を思い出す。
並んで歩いた放課後の道。
風に揺れる髪。夕陽に透けた横顔。
スカートの裾を指先でそっと摘む仕草が、妙に幼くて。
たった一度の風からでも、守らなきゃって思った。
君は聞き上手だった。
俺の話に頷いて、肩を揺らしながら、
ときどき小さく笑ってくれる。それが、どうしようもなく愛おしかった。
「また明日ね」
いつも通り、そう言って手を振った。
俺も、同じように振り返した。
それが最後になるなんて、思いもしなかった。
特別な約束をしたわけじゃない。
でも、当たり前のように、明日も会えると思っていた。
だから——
最後に見た君の顔が、どうしても思い出せなかった。
悔しくて、何度も夢に出てきた君に「笑って」と頼んだ。
けれど君は、いつも黙ったまま、遠くを見ていた。
あれから、この道を避けてきた。
香りひとつで心をかき乱されるのが怖くて。
忘れたくなかったのに、思い出すのが怖かった。
でも今日は、逃げなかった。
目をそらせなかった。
ゆっくり息を吸い込む。
金木犀の香りが胸を満たして、あの日の景色が浮かぶ。
最後に見た君の顔。
胸が少し痛んで、その奥に、かすかなぬくもりが残った。
涙が出るほど恋しいのに、どこか優しい気持ちだった。
……あぁ、そうだ。
君は、あのときも笑っていたね。
君は今も、どこかで笑っているだろうか。
空の向こうでも、金木犀は咲いているのかな。
季節は巡り、
俺は少しだけ年を取ったけど、
君は今も、思い出の中で笑っている。
今年も咲いたよ。
だから俺は、またここに来た。
君と歩いた、この道に。
風の匂いも、空の色も、あの日とほとんど変わらない。
でも、立っている俺は、ほんの少しだけ違っている。
去年まで、その場所に来ることすらできなかったけど、今日は、足元に落ちたひとひらを拾った。
それをポケットにしまいながら、思う。
来年も、きっとまた、同じ香りがする。
だから俺は、またここに来るよ。
君に会いに——
金木犀の香る頃に。




