reckoning
俺が出社し、直後に面したのは滝原課長の戸惑いの表情と、
「藤井くんが来てないんだけど、何か知らない?」
という問いだった。
その聞き方から、遅刻や欠勤の報告は未だないと容易に見て取れた。
とは言え、俺の脳裏には即座に先日の光景が浮かんだ。
それに口ごもっていると、何かを察したのか、滝原課長は考え込んだようにため息をついて、俺を会議室へと誘った。
会議室へ二人して入ると、椅子に腰かけるのももどかしく、滝原課長は前のめりに話し出す。
「こちらから連絡してみたんだけど、応答はなし……なんだけど。事件性とか、寺島くん、心当たりあるかな?」
「……ない、かと。あ、いえ、事件性について、ですが」
適切とも言えない俺の返事だったが、滝原課長はそれで少しは安堵できたようだった。
「……プライベートな事情、ということかな? ……寺島くんからは連絡取れそう?」
「……試してみます」
とは言ったものの、スマホに手を伸ばす気にはなれなかった。
その代わりに、急かされるように付け足す。
「急ですが、藤井を休み扱いにすることは可能でしょうか」
「うーん、そうくるか」
苦笑と困惑を混ぜた表情が返ってくる。
しかし、それも一瞬で、理知的な上司の顔が覗いた。
「了解、そう処理しておくね。けど、あんまり長くは無理だからね? 藤井くんの緊急連絡先が寺島くんだから、ぎりぎりわたしの裁量でなんとかできるだけだから」
「……ありがとうございます」
了解を取り付けてから、まるで綱渡りのようだったと振り返り、今更ながらに背筋が冷えた。
そんな俺に構わず、滝原課長は思案げにしたかと思うと、次いで椅子にもたれかかった。
「……ちょうどいいかはわからないけど、少し寺島くんには話しておこうかな」
「な、なんでしょうか」
どんな叱責が飛んでくるのかと思わず身構えた俺に対し、滝原課長は苦笑を返してきた。
「今日じゃなくて、少し先の話をね。とはいっても、話題はやっぱり藤井くんのことなんだけれど」
そうして、唇を笑みの形に変えると、滝原課長はその前に人差し指を立てて内緒話のように切り出した。
「わたしたちのシステム二課にもう少し人を増やそうという計画があってね。その際、藤井くんを主任に昇格しようかと思ってる」
急の発表に、俺は思わず今の状況を忘れて背筋をそらした。
声を抑えられたのは、あらかじめ「内緒話」という前振りがあったからだった。
そんな俺の態度をどう見たのか、滝原課長は俺をうかがうように見てきた。
「寺島くんはこの人選、どう思う?」
「いいと思います」
俺は頷いた。
「藤井はああ見えて、仕事に対して誠実で真面目で丁寧ですし、面倒見がいいところもあります。視野も高いし広くて、合っているかと」
声量はおさえたが矢継ぎ早になってしまうのは止められず、そこまで一息で言ってしまう。
そこで滝原課長の視線にかち合い、不意に恥ずかしくなってしまって無理やり口を閉じた。
「……失礼しました」
「ううん、いいよ。貴重なご意見、ありがとう」
おかしそうに眼を細められ、俺は血圧の上昇を自覚しなければならなかった。
「とは言え、まだ内定未満だから口外は控えてね」
「は、はい」
もちろんその気はないが、気恥ずかしさから声が上ずってしまった俺だった。
滝原課長は静かに立ち上がる。
「じゃあ、藤井くんのこと、よろしくね」
立ち去り際のなにげないそれに――俺は深く頷けた。
そいつは、思い出の地の前に、こちらに背中を向けて佇んでいた。
夕日が落ちる時間だ、そいつの影が長く――俺の足元へと延びていた。
俺はそこで足を止め、同じようにその建物を見上げる。
校舎は橙色に染まり、それが過去のセピアを連想させる。
俺たちが過去に時間を共にしたその大学にはすでにひとけはなく、時折風が木の葉をさらう音しか聞こえない。
動きのないそいつのもとに、影を踏みしめて近寄って歩みを止めると呼びかけた。
「亨」
「……よくここだってわかったな」
口ではそう言いながらも、意外そうな感情を見せるでもなく、藤井亨は背中で返してきた。
「確証があったわけじゃない。なんとなくだよ」
そう、真っ先にここに来たわけじゃない。
あてもなくさまよい、ふと思いついたのがここだった、というだけだ。
こちらに顔を向けない亨に、俺は呼びかける。
「来いよ。こんなところで話していたら怪しまれるしな」
「…………」
今度は俺が無言の返事を背中で受け、静かに歩きだす。
微かな気配を背負ってたどり着いたのは、大学のそばの川原だった。
草が絨毯となったそこに足を踏み入れると、後をついてくる気配が一層強くなる。
川を見下ろす位置まで来たところで、俺はようやく立ち止まって振り返る。
夕日を色濃く背負った亨は、俺の二歩ほど先にいた。
表情は逆光でよく見えない。
なのに、眼だけは切り取ったかのように鮮明だった。
けれど瞳に光はなく、ただ俺を見つめるだけ。
俺は大きく息を吸って、そして深く吐き出して言う。
「わかってるよな。歯ぁ食いしばれ」
わずかな身じろぎがそれに答えた。
そうして次の瞬間繰り出した俺の拳は、綺麗に亨の頬をとらえた。
「っ……!」
言葉もなく吹き飛ぶ亨。
次いで跳ね返ってくるような肩への重さ、そして苦さ。
拳を振り切った下に、仰向けに倒れた亨。
「……っつ。ぐ……っ!」
亨は痛みに身体を震わせて、ようやくのろのろと、一撃された頬に手を添えた。
そうしてやはり遅い動作で上体を起こすと、口を開きかけ――もごもごとすると、口から折れた奥歯を吐き出した。
それを見て、亨はさすがに顔をゆがめた。
やっとはっきり見えた亨の表情はそれだった。
「……ってえ。……マジかよ、ここまでするか」
「それくらいしないと手打ちにならないだろ」
俺の言葉に、亨は動きを止めた。
視線がさまよう。
「……なんだよ、手打ちって」
「言葉通りだ。滝原課長にはうまく言っておいた。明日はちゃんと出社して来いよ」
「……はっ」
吐き捨てた息に嘲笑が乗った。
「マジかよ。どこまで甘いんだ。俺は八重垣まで利用してお前らを騙して、結局お前らの仲をズタボロにしたんだぞ」
「騙されたことは気にしないし、仲直りするつもりだから問題ない」
「はっ、健気なことで」
亨は血のにじんだ口元をぬぐった。
そうして、ギラついた視線で俺を突き刺した。
「知ってるか、俺がお前に寄って来る女を食い漁ってたの」
「……なんだって?」
初耳だ。
俺の反応をよく思ったのか、亨の唇がつりあがる。
「気づかなかったか? お前、結構モテてたんだよ。まさに入れ食いってな。横からかっさらうにはうってつけだった」
くっく、と。
夕闇に紛れ、押し殺した笑い声が響く。
俺は、それをどこか呆然と聞いていた。
「都合がいいからお前の近くにいた。ただそれだけ。――要するに、お前は今回のことに限らず、ずっと騙されていたんだよ」
「……そうかよ」
握りしめた拳が痛む。
擦りむいたのか、骨にひびでも入ったのか、その痛みは俺をひどく刺した。
俺の喉から声が押し出される。
「ふざけるな」
「ふざけてねえ。真面目に騙してたんだよ、お前のこと。陰で拝んでたんだよ、いただきます、ってな」
「やめろ、もう一発殴られたいのか」
「はっ」
挑発するような吐き捨てに、俺は頭に血が上るのを抑えられなかった。
「それ以上、俺の親友を貶めるな」
「――は」
亨は吐き捨てを失敗し、息を止めた。
そして、反応を決めかねて視線をそらし、やはり嘲笑を浮かべるのだった。
「まだ親友なんて――」
「――悪ぶった演技もよせ」
俺は亨の言葉をぶった切る。
這い寄る闇が亨の表情を隠したが、その震えまでを覆いつくせはしなかった。
「八重垣さんの分まで悪役になるつもりかよ」
とうとう亨は顔をそむけた、ようだった。
構わず、俺は続けた。
「俺と美咲の仲をズタボロにした? お前らがしでかしたことなんて、単なるスパイスだ。今更、俺たちの仲が台無しなんかになるわけないだろうが、どこまで俺たちを舐める気だ?」
「……はっ。大した自信だな」
「ああ、お前たちが育ててくれた自信だよ」
かろうじて出たであろう憎まれ口を、俺はやはり切り捨てる。
しばし横たわった沈黙。
それを、俺は容赦なく上書きする。
「お前がこそこそ何かしているなんて昔っからだろうが。けど、それが悪く転がったことなんてなかった。だからずっと放っておいたんだよ……まあ、今回は全然気づかなかったし、それは不覚だったが」
話しているうちに冷静さが戻ってくる。
だから言外に先ほどの女漁りも嘘だろう、とつけ加えたのだが伝わったかどうか。
思わず頭をかこうとして、拳の痛みに顔をしかめる。
その動きを遮ったのは、亨が地面を打った音だった。
「――勝手に納得して、勝手に許してんじゃねえよ!!」
「……亨?」
突然の激情。
呆気にとられてしまった俺の前で、声が張りあがる。
「何もできなかったんだぞ、俺は!!」
まるで遠吠えのように、それは響く。
「千佳さんが会社に来た時! 翻弄されてお前の味方になれず、あげくいいように利用された!」
また地面を打つ音。
「竜禅寺さんの家族に責められてた時もろくに力になれなかった! 対策会議なんて形ばっかりだったじゃねえか!」
その叫びは、きっと何かに濡れていた。
「それだけじゃねえ! お前の両親が離婚した時も! 親父さんが亡くなった時も! 千佳さんだって、最初から遠ざけてれば……!」
ああ、そうなのか。
こんなにも、こいつは。
「それでとうとうこんな――ぶっ壊すようなことをしちまったんだぞ!!」
こんなにも。
「許すんじゃねえよ! ――こんな、なんにも出来なかった奴のことをよォっ!」
「そばにいてくれたじゃないか」
その声は届いただろうか。
動きを止めた亨に、届いたと信じたい。
そうして俺は続ける。
「心強かったよ、いつだって。どんな時でもお前がいる。その事実に、どれだけ支えられてきたか、知らなかったか?」
「……知る、わけ、ねえ、だろう、が」
切れ切れのくぐもった声が静かに響いてくる。
俺はそこに何が含まれているか、あえて理解しないようにした。
「それにそいつ、は。……俺の、セリ、フ、なんだよっ……!」
「ああ、ならそれこそ、貸し借りなしでいいんじゃないのか」
俺の答えはシンプルだ。
だからこそか、それ以上は返ってこなかった。
それを確認し、俺は踵を返した。
が、つけ足すのは忘れない。
「お前の分のタスク、まるまる残ってるからな。明日で巻き返せよ」
「……マジかよ」
夜が更けていく。
うずくまる亨、それに背中を向ける俺。
これ以上は何もしない、慰めなど余計なお世話だろう。
それはきっと、静かに深くなる夜の役目だ。
俺はそれに亨を任せ、拳の痛みとともに歩き去ったのだった。
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