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ストーカー系女子とアンニュイ系男子の攻防戦  作者: 緋色
七章

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49/54

場外:irreversible

 ――そして、時は現在に戻る。

 自宅の扉を叩く音で、藤井亨は目が覚めた。

「……ああ?」

 昨夜に深酒したせいで、寝起きはすこぶる悪い。

 時計を確認すると、正午だった。

 カーテンの隙間からは高い日が差し込み、網膜を刺激してくる。

 扉を叩く音は途切れる様子はない。

「ちっ、なんだっつーんだ」

 自分の服装を見下ろすと、外出着のままだった。

 飲んで帰って来て、そのままベッドにダイブだったらしい。

 人前に出られない姿だったらそれを理由に二度寝しようと思ったが、そうじゃなかったために「出れるじゃん」と理性が働いてしまった。

「亨くん! 亨くん!」

 さらに眠気を覚ましてくるのは、涙に濡れたそんな呼びかけだった。

「……八重垣?」

 なにがあったか知らないが、このままでは近所迷惑に違いない。

 親友みたいな思考回路だな、と思いながら再度自分が外に出られる姿だと確認して扉を開く。

「……何があった?」

 玄関に招き入れた瑠璃子は震えていた。

 それでいて歯の根があっていない。

 極寒の雪山でも、こうはならないだろうと思うほどだ。

「とりあえず入れ。狭いとこだが」

 部屋に招き入れ、玄関の扉を閉める。

 亨が振り返ると、部屋までが限界だったようで、瑠璃子は呆然とへたりこんでいた。

 尋常ではない様子に、落ち着かせることが先決と、冷蔵庫からペットボトルの水を出して勧めたものの、手をつけはしなかった。

 亨は諦めてペットボトルをテーブルに置くと、瑠璃子の前にしゃがみ込む。

「何があった?」

 再度尋ねると、瑠璃子は緩慢な動きで顔を上げると、やっとの思いで口を開いた。

「た、助けて」

「だから、何があった」

 その問いに、すがる瞳で亨に訴えかけた。

「ミサが、寺島さんと別れるって」

「――は?」

 それは亨にしてみれば、現状から最も縁遠い事態だった。

 思わず、亨は吹き出した。

「おいこら、冗談にもほどがあんだろ」

 軽く笑ってみた亨に、けれど瑠璃子の表情は変わらない。

 その意味が徐々に浸透し、亨の笑みがしおれるように崩れていく。

「……何があった」

 その強い瞳に、いよいよ隠し切れなくなったと、瑠璃子の震えがより一層大きくなる。

「ば、ばれた」

「……ああ?」

「ば、ばれちゃった」

「だから何が――」

 亨の表情が凍り付いた。

 ばれた。

 亨と瑠璃子の間で、それで通じる事柄は一つしかない。

「……なんだと。そりゃまさか」

 瑠璃子は、がくん、と頭を落とした。

 その肯定を受けて亨は、顔を手で覆った。

「……俺たちの偽装がばれたってのか。いや、でもなんでだ。どこからだ。おい八重垣、心当たりは」

 瑠璃子は答えない。

 その様子に、まさか、と亨は思い至る。

「……おい、まさか。お前がばらしたのか」

 床に涙が落ちた。

「……ご、ごめんなさい」

「――なんてことしてくれやがったテメエェ!!」

 絶叫。

 今まで瑠璃子が聞いたことがないほどの声量とともに、胸倉をつかまれて押される。

 背中はすぐに近くのベッドに叩きつけられ、瑠璃子は息を詰まらせた。

「何やってんだ。何やってんだ! なんでばらした!」

「だ、だって」

「だってなんだ!」

「ミサが! あれこれしつこいから! 口が、滑って……!」

「だからと言って!」

「亨くんのせいじゃん! うちと別れたりするから! しかもあっさりと! だから我慢できなかった!」

「俺が悪いってのか!」

「そうじゃないけど……!」

「ああ、くそっ!」

 亨は瑠璃子から手を離して、部屋を歩き回った。

「くそ、くそ。ああ、どうする。どうすりゃいい? ああ、くそ。だから墓まで持って行けって言っただろうが!」

 関係開始時に交わされた言葉は、瑠璃子にとってはもう遠い。

 今更そんなこと言われても、そう自己弁護しつつ、瑠璃子はすがるように亨ににじり寄る。

「ねえ亨くん、考えて。二人を戻す方法を教えて! そのためならうち、なんだってするし!」

「……無理だ」

「なんで!?」

 瑠璃子には理解できない。

「今までだってたくさんフォローしてくれたじゃん! なんでなの!?」

「……お前」

 癇癪のようになぜを連発する瑠璃子に、予想外だった、と言わんばかりの亨が向く。

「まさか、理解出来てなかったのか……?」

「な、何を?」

 その表情は、今まで瑠璃子が見たことがないほど唖然としたもので。

 ――まるで、得体の知れないものを見るようだった。

「嘘だろ。自分から提案しといて……。いや、違う。理解出来てなかったから提案できたのか。そうか、くそ。なんてこった。見誤った。初手から間違えてたのか……! なんてこった……!」

「な、なに。なんなん? 何言ってるの? わかるように教えてよ……!」

「はっ。くそ、ガキが。まだわかんねえのか……!」

「教えてよ!」

「想像してみろ!」

「何を!?」

「逆の立場だよ! お嬢さんが犠牲になって、お前の恋を応援する! それを想像してみろって言ってんだよ!」

「な、なにそれ……?」

「お前とお前の恋人の仲を進めるために、好きでもない相手と恋人の振りをするお嬢さんを想像してみろ!」

 瑠璃子の時が止まった。

 自分の恋を応援するために、そんな犠牲を強いる? ずっと嘘をつかせ続ける?

 なんだそれ。

 そんなことをさせてなるものか。

 もし、そんなことをさせてしまったら、自分で自分を許せない。

 だが、現実にはそう思わせたのは自分で、犠牲を強いたと、嘘をつかせてしまったと嘆いたのは、親友の方。

「うぐっ……!」

 瑠璃子の喉から何かが込み上げてくる。

 身体が自分を無理やり突き動かし、トイレに駆け込ませた。

「うげええええええええぇ……っ!」

 全部吐き出した。

 それでも胃は意志に反逆し、その行為を続けさせる。

 自身の気持ち悪さに身の毛がよだち、それをすべて吐き出させようとする。

 けれども、それは尽きるはずがない。

「うちっ。う、う、ぐ」

 涙をこらえきれない。

「なんて、ことを……!」

 これか、と瑠璃子は思い知った。

 墓まで持って行く、と言われたとき、もちろん、と軽く応じたのは自分。

 半ば反射的なそれが実は覚悟を問うものだとは、真剣にはとらえてはいなかった。

 偽装が終わりを告げた時、息が詰まる、と亨は瑠璃子を否定した。

 あの時は、なぜ、と思った。

 けれど当然だったのだ。

 ずっと戦友、いつしか愛しく思っていたその人は、そんな覚悟を秘めていた。

 覚悟が強ければ強いほど、罪の裏返しとして重くなる。

 それが瑠璃子には見えておらず、亨には見えていたことが、複雑な別れに繋がった。

 そればかりではない。

 その中途半端さは今まさに、絶対に出てはいけない時に出てしまった。

 そうして、積み上げてきた親友たちの結実を崩壊させようとしている。

「ど、どうしよ」

 現状を理解すればするほど、考えがまとまらない。

「どうしよ、亨くん。な、なんとか。なんとかして、お願い……!」

 瑠璃子が出来るのは、すがることだけだった。

「無理だ」

 なのに、さっきと同じ答えが返ってくる。

「なんでっ!!」

「……親友想いのあいつらが、こんな話を聞いて自分を責めないわけがない。俺だったら、そんなことをさせたと知ったら、絶対に自分を殺す。お前たちは悪くない、なんて言って聞くようなやつらじゃない。そうなったら俺には説得なんて思いつかない。どうやって謝ればいいかもわからない」

 ああ、その通りだ。

 その光景がすぐ目に浮かぶ。

 瑠璃子の親友は実際、そうだった。

「だから絶対に知られちゃいけなかった。それが唯一の回避策だった。知られたら出来ることなんてない。だから死んでも、知られちゃいけなかった!」

「だったら、もう死ぬしかないじゃん……!」

 そうだ、その手があった。

 名案、とばかりに声を張り上げる瑠璃子に、無情な分析が襲い掛かる。

「そうして、あいつらはまた傷つくだろうよ! ああ、死なせてしまった、ってな!」

「そ、そんな」

 死んでも許されないことしてしまったと、今度こそ思い知る。

 だからこの人はこう言うんだ。

「だから、墓まで持って行けって言ったんだ!!」

「う、うち。うちぃ……!」

 瑠璃子は壁にもたれかかって、天井を見上げた。

 その耳に、すすり泣き交じりの震えた自問が届く。

「くそ、くそ。どうすりゃいい。幸人になんて詫びりゃあいい。ちくしょう、どうすりゃいいんだよぉ……!?」

 いつでも飄々としていて自信にあふれて、どんな状況にも不敵だったあの人が、涙に濡れて右往左往するだけなんて。

 ここまで追い詰めてしまったなんて。

 そうしてしまったのは自分、八重垣瑠璃子。

 泣くことも許されず、親友に謝る資格もなく、好きな人を慰める言葉も持たない。

 瑠璃子はただ呆然と、脱力するしかなかった。

読んでくださり、ありがとうございました。

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