場外:secret agreement
――時はさかのぼる。
それは、美咲がモデル業を開始し、彼氏の存在を示唆した直後のことだった。
「この度はご足労頂き、どーもっす」
「これはご丁寧に」
その社交辞令が行われたのは、場所はオフィス街の喫茶店、曜日は日曜、時間は午後。
労ったのは八重垣瑠璃子、受け取ったのは藤井亨だった。
店員に、瑠璃子はフローズンメロンソーダ、亨はアイスカフェオレを注文した。
瑠璃子は傍らから手提げ袋を取り出すと、亨に差し出した。
「ミサからっす。何でも、お詫び? だとか」
「お詫び、ねえ」
亨が思うのは、そんな殊勝なタマか、である。
大方、これで忘れなさい、ということであろうか。
思い返されるのは、件のお嬢様が親友に、一方的に結婚観を押し付けた時である。
あの時の親友の様子もそうであるが、活を入れるためとはいえ、やりたくないこともさせられたのだ。
記憶の端に登らせるだけで、不愉快な思いが込み上げる。
それを思えば生半可なお詫びで済ませたくはないが、それも親友本人が気にしていない以上、筋違いであることも理解はしている。
納得はまた別の話だが、これで手打ちにすべきなのだろう。
「次はねえって言っといてくれ」
「あいあい」
どこまで伝わるか疑問ではあった。
なにしろ、お嬢様本人の気質もそうであるが、目の前の伝言役の少女も掴みどころがない。
やりにくい、それが亨の偽らざる印象であった。
見目は麗しい。
美形、派手な外見、豊かな胸と、鑑賞するには最上かもしれない。
が、何やら先ほどから危機感が警鐘を鳴らしっぱなしだ。
あのお嬢様とやり取りをする際、時々この少女を仲介するが、それもあってさほど仲良くもなっていない。
今も、飲み終わるまでの時間をどう潰そうか思案している所だった。
「で、うちから藤井さんに提案があるんすけどー」
「提案?」
亨と違って、甘い飲み物をのんきに堪能していた瑠璃子がのんびりと声を上げる。
「うちら、付き合わないっすか?」
思わず亨はカフェオレを吹き出しそうになった。
かろうじて咳き込むのを免れたものの、平静は崩した。
そうして、発言の主をしげしげと眺めやる。
フローズンメロンソーダ越しの彼女の目は、猫のようだった。
「付き合わないっす」
「ふーらーれーたー」
瑠璃子はまるで切られたように、ゆらゆらと背中を仰け反らせた。
そこで、ぴたり、と動作を止めると、面白そうな色を目に宿した。
「ちなみに理由は?」
「手に負える気がしねえ」
「なかなか見る目があるっすね」
しゃりしゃり、とロングスプーンが氷の山を崩す音。
亨にはそれが、どうにも猛獣の咀嚼音に聞こえてしかたがない。
「藤井さんにも――ひいては、寺島さんに益になる話だとしても?」
「詳しく聞かせろ」
「はいな」
瑠璃子はポーチから名刺を取り出すと、亨の前に滑らせた。
テーブルの上に踊った文字は、某モデル事務所の名前だった。
亨は、名詞から瑠璃子へと怪訝そうな視線を運んだ。
「これが?」
瑠璃子はスプーンで名刺を指した。
「確証まではないっすけど、お二人の仲を裂く方向に動く可能性があるっす」
「ふうん? 俺としちゃいい方向だけどな。俺の認識では、あのお嬢さんは毒みたいなもんだしな」
初対面のふりの時点ではまだ見逃せていたレベルのそれも、その後のやりとりでは強すぎると知った。
あんたの方がまだましだ、と投げかけたセリフを亨は後悔している部分がある。
「毒も時には薬となる。それが寺島さんを癒しているのも事実と、認めてもらえないっすかね」
「強すぎると、毒は毒でしかなくなる。それも認識してもらいたいもんだが」
くるくる、とスプーンが瑠璃子の手の中で回る。
亨はなんとなく居心地が悪くなり、視線を泳がせてしまった。
「それはともかく、何が幸人の益になるって?」
それに返ってくるのは、瑠璃子のすくい上げるような目つきだった。
「無理やり裂かれて、寺島さんは意気消沈。下手したらミサに捨てられた、と思うかも。そうしたら、今度こそ寺島さんはどうなるか」
亨は表情筋を抑え込む努力をしなければならなかった。
「……待て」
目を閉じ、口から下を手で覆い思案する。
結論はすぐに出た。
舌打ちをする方向に。
「このまま関係性を維持して、強固になるように進める方がいい、っていう話か? そのために俺たちが比較対象になって、お嬢さんを焚きつける手段にするってことかよ?」
「話が早い男は好きっすよ?」
「俺は小細工を弄する女は嫌いだよ」
うっすら笑みを浮かべる瑠璃子と、苦虫を噛み潰したかのような亨。
溜息をついて、亨は氷が溶けて薄くなったカフェオレを口に運ぶ。
「話は分かった。が、確認したいことがある」
「ご理解頂けてなによりっす。それでなんでしょ? なんなりと」
両手を広げて、カモーン、の体勢の瑠璃子。
そこに投げかけられたのは死球の質問だった。
「お前さん、処女か?」
「……っ」
いつの間にやら喉に突き付けられたロングスプーンと本気の視線に、「やっと一矢報いたか」と無理やりに微笑をひらめかせる亨。
「おお怖。なんなりと、が聞いて呆れるぜ」
後ろに引くと、座席の背もたれに押された衣服が背中の汗を意識させて来る。
それでも、してやったり、な笑顔は崩さない。
対して、意図は何なのか、と目を細める瑠璃子。
「焚きつけるにゃ、少なくとも比較対象である俺らがあいつらより先のステップに進んでる必要があるわけだが、お前さん、そんな演技できんの?」
「……そんな演技?」
想像しているようだが、うまくいかないような瑠璃子。
「わたしたち、すでにセックスも済ませましたけど? なんて雰囲気を出せんのかって言ってんの」
「うわっとお?」
直接的な表現に、瑠璃子の表情も姿勢も崩れた。
先ほどまでの殺伐とした雰囲気は消え去り、年相応に目じりを赤く染めている。
そうなって、ようやく亨は内心で一息つけた。
「ま、さすがにそこまではしなくとも、積極的なスキンシップくらいは見せつけないと駄目な場面は発生するだろうよ。もう一回聞くが、出来んの、そんなこと?」
「……そこは、頑張るっす」
「本当かよ」
ふんす、と勢い込む瑠璃子に、懐疑的な亨。
亨は乱暴に頭をかくと、大きなため息をついた。
「ぶっつけ本番だと不安だ。確認すんぞ」
「……ほえ? 確認?」
その困惑の表情に、やっと目の前の少女が等身大に見えた亨だった。
そうしてやって来たのは夕暮れ時の公園であった。
子供が遊ぶ時間も過ぎ去り、人はいない。
大通りからも遠く、音と言えば遠くを飛び去る鳥の鳴き声くらいだ。
恋人同士のような振る舞いが出来るかどうか、亨なりに把握して見たかったゆえだが、それは盛大に難航していた。
「ぐあおっ!?」
亨が手を握ろうとすれば、手首をつかんで捻り上げられ。
「ぐほおっ!?」
肩を抱こうとすれば、手首を決められた挙句、逆の肘をみぞおちに埋められ。
「づううっ……!?」
腰に手を回せば足を払われて、視界を半回転させられた。
「八重垣いぃぃ! やる気あんのかって、殺る気ばっかじゃねえかあああ!」
「さーせん。身体が勝手に動いちゃうんす」
ついに夕焼けに怒声を響き渡らせてしまった亨に対し、へらへらと悪びれない瑠璃子はぺこりと頭を下げる。
最後は公園の固い地面に転ばされ、亨の衣服は砂まみれであった。
「自分から言いだしたくせにどういうこった! っていうか、なに嗜んでやがんだ!?」
「中国拳法を少々」
「結構なお手前だな!? 普通に死ぬわ、つーかそこに直れえええ!」
「はいっす」
さすがに申し訳なく思ったのか、瑠璃子は固い地面に正座した。
対して、亨はその対面にあったベンチに、やっとの思いで倒れこんだ。
「ほ、ほんとに痛え。俺、明日は仕事なのに。椅子に座れるかもわかんねえ」
デスクワークでそれは致命的だ。
「や、意外と丈夫っすよ? 見直したっす」
「俺は見損なったわ!」
怒声が骨に響く。
咄嗟に受け身を取れたが、それがなければどうなっていたことやら。
「確認しといて正解だった。いや、結果は悲惨だが。計画は中止だ、つーか無理だっつーの」
「ええー?」
「誰のせいだと思ってんだ!」
残念そうな声に、身体の状態も忘れて怒鳴り返してしまう。
「彼氏がDVされてるカップル設定ならいけるんじゃ?」
「俺を警察に焚きつけてどうするよ」
「駆け込む体力が残っているようには見えないので無理かと」
「反省してんのか?」
「それなりに」
もはや反論する気も起きない。
身体中が痛いというのに、頭も痛くなりそうだった。
いや、すでに打っているかもしれないのだが。
「照れ隠し表現にしても酷すぎるな……」
「おお、それいいっすね。それならいけるっすよ!」
「暴力系ヒロインは時代も俺も求めてねえんだよ」
「時代を先取りしすぎたってことっすね? 世知辛い話っす」
ダメだこいつ。
亨の脳内会議は、満場一致でそう可決した。
「いや、もう帰る。頭も回らんし」
「……送っていくっすよ?」
肩を貸そうというそぶりの瑠璃子に、本能が後ずさりを命じる始末だった。
「とどめを刺す気かよ?」
「や、触れられてこなければ大丈夫なんで。例えば痴漢とか」
「痴漢じゃねえわ」
そう返そうとして、思い当たる亨。
「……あ? じゃあなにか。あんたからスキンシップ取ってくれたら、うまくいくって事か?」
「……おおう?」
気づくが早いか、瑠璃子は立ち上がってずかずかと亨に近づくと、制止の間もなくその腕を抱きかかえた。
いわゆる、恋人同士の腕を組む、の体勢である。
「いけたっす!」
「なんだよそれ……」
一般的な男性として振舞おうとしたのが仇になっていたとは。
あまりの原因に、豊満な胸の感触を楽しむ余裕もなく、亨は項垂れた。
「……帰ろ」
「ダーリン、送ってくっすよー」
「ああ、介護頼むわ、ハニー……」
危機感の正体はこれか。
素直に従っときゃよかった。
亨が思うも、もはや後の祭りであった。
散々痛めつけられた身体も癒えぬ内に、二人は綿密に打ち合わせを行なった。
場所は主に喫茶店である。
「馴れ初めはどうする?」
「うちが藤井さんを痴漢から助けたとかはどうっしょ?」
「何で俺がそっち側なんだよ」
とは言いつつも、瑠璃子が痴漢に遭うなど想像できない。
手を伸ばした瞬間に制圧されるのがオチだろう。
「……まあいいか。じゃあそれで」
「雑っすねー。二人の劇的な出会いっすよ? もうちょっと盛りません?」
「お前が言い出したんだろうが」
しかし比較対象としてなら、よりドラマチックであった方が効果はあるだろう。
亨はまるで企画書でも作るかのような思考をする。
「……俺が雨の中、猫を拾う姿を目撃するとか」
「ぶはっ!?」
「なに笑ってんだてめぇ!」
「い、いやだって、ベタ過ぎ」
「お前の痴漢だってベタだわ!」
笑いが止まらなくなってしまった瑠璃子を尻目に、亨は周りを見渡した。
その途端、さっと視線を落とす気配があたりに満ちる。
怒声に混じって痴漢を連呼していれば、嫌でも関心を引く。
出禁どころか通報の危機に、亨は声を落とした。
「真面目に考えねえなら、もう企画倒れで終わりだ」
「わ、分かったっすよ」
一応は分かっているのか、咳払いなどでごまかして落ち着きを取り戻す瑠璃子。
「いや、意外と楽しい人っすね、藤井さんって?」
「そういう八重垣は意外と性格悪いな?」
「これでも参謀タイプなんすよー」
「言ってろ、脳筋が」
やり込めたような気もせず、窓に向かってため息をつく亨。
その彼に、瑠璃子は顔の前で両手を合わせてみせた。
「申し訳ないっす。真面目に考えるっす」
「ああ」
大分気力をもがれ、とりあえず頭を回してみた。
「あちらさんは雨の日が初対面だったらしいが、参考にならんかな」
「雨の日にオヤジ狩りに遭っている藤井さんを、うちが助けたっていうのは?」
「そんな年じゃねえわ。つうかお前、設定の中でも腕力を誇示したいのか」
「文句が多いっすー」
やれやれっす、と表情と動作が語っていた。
思わず怒鳴りそうになりつつも、人目を気にするとそうも出来ない。
仕方なしに、アイスカフェオレの氷を齧って鎮火するしかなかった。
そうして出した結論は妥協である。
「じゃあ、もうそれでいい。最初はお前が抱くのは庇護感情だったけど、それが徐々に、って言う筋書きで」
「え、うちが惚れるパターン? 藤井さんがじゃなくって?」
「……じゃあ、強い彼女は、助けたが名乗りもせずに立ち去って、その姿に俺が一目ぼれ。必死に探し回って再会からの」
「それってストーカーで、ミサの焼き直しじゃ」
亨は、メモ帳として使っていたスマホを、やや乱雑にテーブルに投げ出した。
「やってらんねえ」
「えー?」
再度残念がる様子に、もはや亨は凪の感情であった。
「面倒くせえから、付き合う事になった経緯は隠す方向で行く」
「……隠す?」
「ああ。隠すほど大事ってことにする」
「……ちゃちゃばっかり入れてあれっすけど」
何の策も打たないように見える亨に、不審げな瞳を投げかける瑠璃子。
「それで通りますかねえ?」
「懸念もわかるがな」
一服とばかりに、喉を潤す亨。
「一度は話す素振りをするさ。けど、お嬢さんは素直じゃねえから、おそらく突っぱねて来るだろうよ」
聞いた瑠璃子はそれを吟味し、あり得そうな話しだと頷いた。
一定の理解を得られた事を確認して、亨は続ける。
「一度そうしたら、簡単には前言撤回しない頑固さもあるからもう聞いてこねえだろうよ」
瑠璃子は意外そうに亨を見た。
「……よく分かってるっすね?」
「知れば危うからずって言うだろ」
あえていくつかの単語を省略した亨。
それに深く突っ込まず頷く瑠璃子だった。
そうして瑠璃子は、次の懸念を口にする。
「寺島さんへの説明は?」
亨は鼻で笑った。
「そんなの聞いて来るやつじゃねえよ」
「そっすか」
どこか白けた様子で、瑠璃子は座席の背もたれに身体を預けた。
今度は亨が、その態度を怪訝そうにする。
亨のその視線を知ってから知らずか、冷めた表情で肩をすくめた。
「じゃあそれで行くっす。何かの時は藤井さんにフォローをお願いするってことで」
「おい」
声が低くなる亨に返って来たのは、瑠璃子の歯を見せる笑顔であった。
捕食者の笑みを連想して、舌打ちを飲み込んだ亨は、同じように座席にもたれかかる。
「この話し。分かってるだろうが、墓まで持ってくぞ」
「もちろんっすよ」
「じゃ、そんな感じでよろしく頼むわ。――瑠璃ちゃんよ」
「こちらこそっす。――亨くん」
これにて、偽装恋人関係が締結された。
二人は握手をすることもなくただ沈黙し、喉を潤すために互いのグラスを傾けた。
「……ところでここって、亨くん持ちなんよね? 彼氏なんだし」
「あの二人の前でだけに決まってんだろ」
「……ケチくさ」
「んだとお」
実際の恋人としては、ないな、とお互いに思った二人だった。
――そう。
瑠璃子にとっては、そのはずだった――。
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