exposure
「ふ、ふふ、うふふ、うへへへへ……!」
「ちょおミサ、不審人物やめれー」
「はっ」
不穏な笑い声をあげ始めた美咲の肩を揺すり、我に返らせる八重垣さん。
そんな二人を見かけたのは、たまに立ち寄る本屋の一角だった。
口元をハンカチで拭くしぐさの美咲を、見なかったふりをして立ち去るべきか、と悩んでいたところ、こちらに向いたのは八重垣さんの視線。
続けて、その指がとんとん、と美咲の肩をつついてからこちらを指出す。
「え、幸人さん!?」
「声が大きい」
出会ったのは本当に偶然だったのだろう、美咲の驚きの声が響き、八重垣さんのたしなめる声が重なる。
反省したのか首をすくめる美咲と、こちらを見てやれやれと肩をすくめる八重垣さんに、俺は少々周りの視線が気になりながらも近づいた。
「こんにちは、二人とも。奇遇だな、こんなところで会うなんて」
「こんにちはっす」
「奇遇じゃないわ、運命よっ」
さすがに周りの目線を気にしたのか、抑えた声で誇らしげに胸を張る、という器用な真似をする美咲。
なんとはなしに八重垣さんに視線を振ると、ちょいちょい、と平積みされた雑誌を指でさす動作が返ってきた。
それはいわゆる結婚情報誌というやつで、なるほど、それをきっかけに不穏な笑いを浮かべていたのか、と納得できた俺だった。
その動きに気付いたのか、美咲は慌ててそれを手で覆い隠した。
おい、売り物だぞそれ。
「だ、だって、赤い糸を見つけたと思ったんだもの。それははしゃぐわよ」
「……ずいぶんとお手軽に見つかるもんなんだな」
とは、言わずに置いた。
なんとなく、女性すべてを敵に回しそうだったので。
代わりに八重垣さんと苦笑を交わし合うと、美咲は少しむくれたようだった。
そして、身体を押し付けてくるように、俺の腕を抱きかかえて来るのだった。
人目が逸れていたとは言え気恥ずかしく、視線を泳がせる俺。
――その一瞬、赤い瞳が視界の隅を横切った。
そこに暗さを見たような気がして、咄嗟にそちらに顔を引き戻される。
しかしそこには別の本棚を気にする八重垣さんがいるだけで、俺は見間違いかと首を傾げた。
「どうしたの、幸人さん?」
「ああ、いや。二人は、どんな本を探しに来たのかな、って思って」
俺の腕に抱き着いたままの美咲は、八重垣さんに視線を転じた。
その視線と俺の問いに、たはは、と照れたような笑みを返してくる八重垣さん。
「いやー、教材をちょっと。ミサに付き合ってもらったんすよ」
「熱心なのよ、最近」
美咲はどこか誇らしげだった。
頑張る親友に感心しているようだが、そんな姿勢こそ尊いと、美咲は気づいているのだろうか。
「なのに別の本棚にふらふら誘われて、うちが面倒みる感じになってるっす」
「し、仕方ないじゃないっ、あれは乙女の夢なのよ。リコも一緒でしょ?」
恥ずかしがりながら拗ねるようにし、美咲はそっぽを向いた。
その可愛げのある様子に苦笑し、俺は同じような表情を浮かべているだろう八重垣さんに視線を転じ。
――傷ついたような表情を、目の当たりにした。
そっぽを向いたままの美咲は、花がしおれていくようなそれに気づかない。
「――えっと、うち。よ、用事思い出したから、ここで」
「え?」
俺と美咲の疑問の声を振り切るように、本屋の出口に向かう八重垣さん。
「え、リコ――?」
美咲の声は置き去りにされた。
俺も唐突な八重垣さんの行動の理由がわからず、八重垣さんが本屋を出て、通りに消えていくのを見送らざるを得なかった。
しかし、美咲の行動は早かった。
「幸人さん、ごめんなさい」
俺に声をかけると足早に身を翻す美咲。
「いや、いい。俺も行く」
もはや人目を気にするどころではなかった。
突然の八重垣さんの行動に、遅まきながら不安が募っていく。
それに押されるようにして、俺は美咲に並ぶのだった。
「幸人さん、あそこっ」
「いたか!?」
手分けして探すこと十分ほど。
美咲が指さす先、公園の一角に、見慣れた人影があった。
遠く見える八重垣さんは、地面を注視しながら――まるでさまよっているようだった。
俺たちが駆けつける間にその動きは止まり、見える背中は伸びたが、肩を落としたようだった。
「リコ、大丈夫っ!?」
美咲の声に、八重垣さんの反応は緩慢だった。
近くにたどり着いて立ち止まり、息を整える俺たちの方を、ゆっくりと向いた。
八重垣さんは俺たちがここにいることを、意外そうに見返してきた。
「え――リコ?」
美咲が驚いたのは当然で、俺も同じだった。
八重垣さんは、大粒の涙を零していた。
ぽたり、ぽたり、と地面を打つ。
降り始めの雨のようなそれに、初めて八重垣さんは気づいたようだった。
「え、あ――探し、もの」
「……落としたことに気づいたから、急いで来た、か」
俺が八重垣さんの行動の理由を考えながら言葉に乗せている間に、美咲は神妙な面持ちでハンカチを取り出し、八重垣さんの涙を拭っていた。
「だったら、あたしも手伝うわ。このあたりで落としたってことなのね?」
美咲らしい物言いだった。
それには俺も全面的に賛成だ。
「俺も協力する。そうだ、亨にも声をかけ――」
「い、いいって!」
思いがけず、強い拒絶が返ってきた――八重垣さんから。
その表情は気まずさが色濃く表れていて、俺は戸惑うしかない。
しかし美咲は、俺とは違ってなにやら予想したようで、落胆の雰囲気を強くした。
「藤井さんがなにかやらかしたのね? まったく、いつかそうなると思ったわ。幸人さんには悪いけど、やっぱりリコを預けるには役者不足というところかしら」
「いや、想像を広げすぎてないか?」
呆れた俺は、一旦亨のことは脇に置いた。
「とにかく、落とし物を探すのが優先だろう。それで八重垣さん、何を探せばいい?」
「さすが幸人さんね、確かにそうだわ」
やる気を漲らせた美咲の視線が、周囲を見渡す。
「い、いい。もう、見つかりそうにないし――だってもう、別れたし!」
唐突に、それは告げられた。
俺はそれに何も反応できない。
美咲も目を丸くしている。
公園に沈黙が下りる。
それを破ったのは美咲の怨嗟の声だった。
「……あいつ。リコを幸せにするって言ってたくせに……!」
「……いや、それは、その。……本当、なのか……?」
対して、俺はにわかには信じられなかった。
仲が良かったし、そんな様子は微塵も見受けられなかった。
いや、俺の目が節穴だったと言われてしまえばそれまでだが、それにしても――。
困惑する俺を尻目に、美咲はスマホを取り出した。
「あの男、今度こそ地獄に落としてやるわ……!」
「そ、そんなこといいから、もういいって……!」
「だって、リコのことをもてあそんだのよ!? 許せるわけないじゃない!」
「違うって。違う……!」
「なにが違うのよ!?」
「だって、最初から嘘だったんだから!!」
――――なんだって?
動きも思考も止まる。
それは俺だけではなかった。
美咲も何が言われたか理解できていないようで、呆然としていた。
風が公園の木を揺らし、さざなみのような音を運んでくる。
それに混じって。
――カチカチカチ。
そんな音が聞こえてきた。
――なんだ?
音のする方を目で追うと、それは八重垣さんから聞こえていた。
それは口を覆ってもなお隠せない、歯の根の合わない音であり。
ばらばらのピースが組み合わさっていくかのような。
――決して開いてはいけない、金庫のダイヤルが解除に向かっていくような。
「……なによ、それ」
膨れ上がっていく違和感。
それを持て余しそうになって、上がった声に縋りつくように美咲を振り向くと、その顔色は青かった。
――やめろ、気づくな。
俺のどこかがそう叫んでいる。
これ以上、美咲に言わせてはいけない。
「最初から、嘘って。――何が。――いつから。――どうし――」
美咲の言葉が途切れた。
「やめろ美咲! それ以上考え――!」
「いやああああああああああああああああああああああっ!!!」
絶叫が響いた。
頭を抱えて膝をつく美咲。
駆け寄るべきだと理性が動くのに、俺の身体はぴくりとも動かなかった。
美咲は絶叫した。
けれど、俺は沈黙するしかなかった。
慰めも何も思いつかない。
そんな俺とは正反対に、美咲はうわごとの様に言葉を並べていく。
「う、嘘。まさか、まさか。まさか、そういうこと、なの。あ、あたし――」
ああ、そうだ。
違和感は最初からあった。
俺が初めて八重垣さんに会ったとき、すでに亨とは恋人だと聞かされて、場の雰囲気もあって納得した。
あえて深く聞きはしなかった、ただ静かに祝福すればいい、とだけ思っていた。
だが。
亨と八重垣さんは、いつ出会った?
いつ仲良くなって、恋人同士となったんだ?
今思えば、それは唐突ではなかったか。
しかし、なぜそんなことを――。
「――あたしたちの、比較対象と、なる、ため――?」
「……なんだって?」
俺が辿り着けなかった「なぜ」。
けれど、嫌な未来の予感にそれ以上の思考を打ち切った俺とは違って、美咲はその理性を働かせる暇もなく、導き出してしまったのだろう。
そうして、その最悪な事実に気づいてしまった。
――そして八重垣さんは、それを否定することもなく後ずさった。
口元を覆い、視線は逃げに逃げ、いつもの溌溂さはどこにもない。
怯えだけが、そこにあった。
「…………ち、ちが」
「何が違うのよ!」
やっと絞り出された八重垣さんの声。
しかしそれは、美咲の声に打ち消された。
「あたしが頼りなかったから!? 後押ししてあげようとして、一芝居打ったってこと!? あなたたちに引きずられて、あたしたちの仲が進展するだろうって!?」
「ち、違うぅ……っ!」
自らの喉を切り裂かんばかりの美咲に、いやいやをするように、さらに八重垣さんは後ずさった。
八重垣さんは、もう美咲の姿を見ていない。
顔を覆い、言い訳にもならない言い訳しか口に上らせない。
だから気づかない。
美咲の言葉は八重垣さんではなく、自分に向いていることに。
「違わない! リコに……!」
堰を切ったように、美咲の瞳から涙が零れ落ちる。
「リコに、そんなひどいことをさせたなんて……!」
――八重垣さんの動きが止まった。
そして、コマ送りのようにぎこちない動きで顔を上げて、信じられない面持ちで美咲を見ていた。
「…………なに、を。え、……なんで?」
八重垣さんの方こそ、なぜ、という表情だった。
俺は力なく首を横に振った。
俺だって、きっと美咲と同じ。
――なんてことをしたんだ、亨。
――なんてことをさせたんだ、お前は。
「……喜ぶわけ、ないじゃないか」
ようやく、俺の口から意味のある言葉が出てきた。
けれど、自分でもわかっていた。
何か、重いものがゆっくりと動き出し――坂を転げ落ちていく感覚を。
「ゆき、と、さん」
うずくまる美咲の表情はよく見えない。
なのに、その悲痛さだけは響いてくる。
「あたしと別れて、幸人さん」
――ああ、やっぱりそうか。
それしか思わなかった。
「……こんなことをさせてまで、叶えたかったわけじゃない……!」
血を吐くような、というのだろうな、こういうのを。
俺はどこか、他人事のようにそれを聞いていた。
だからだろうか、八重垣さんが俺に投げかけてくる必死な表情――懇願に気づけた。
しかし俺は、それに対してどこか無機質に。
興味なく、視線を外したのだった。
「……わかった」
「――――え」
その声は美咲ではなく、八重垣さんから上がった。
信じられない、その眼差しはそう語っていた。
美咲はそれに反応するでもなく、ゆらりと立ち上がると、背中を向けた。
その行先は、俺でも八重垣さんでもなかった。
「え、なに? なんで――」
何が起こったのか理解できない。
だから追いかける動機も見いだせないのだろう。
八重垣さんは戸惑いの声を上げ、手を伸ばすことさえできないようだった。
美咲の力ない姿は遠ざかっていく。
そしてその先を見届けることもなく。
俺も、違う方向へと足を向けたのだった――。
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