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ストーカー系女子とアンニュイ系男子の攻防戦  作者: 緋色
六章

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43/54

遅咲き、月を向く

「ふざけんじゃないわよ! ずっと見てればなに!? 美咲をほったらかしにするわ、凜花とも瑠璃子ちゃんとも冴ともベタベタして、しかも元カノ連れて来てるとか正気!? おまけに別の女の名前まで口にしたかと思ったら、あげく小学生に手を出すとか! あんた、そんな奴だったの!?」

 ――打たれた直後、頬から痛みが伝わってくる前に浴びせられたのは、そんな怒号だった。

 視界はまだ揺れ、明滅している。

 怒号は続く。

「信じられない……! あんたは信用できる人だと思っていたのに!」

「なにしてるのよ!?」

 美咲の声が聞こえ、背中を支えられた。

 そこでようやく、視界が回復した。

 見るとすぐ近くに美咲がいて、心配げに俺の頬に手を添えてくる。

 しかし次の瞬間、美咲の表情が強張って勢いよく振り向く。

 それにかち合う紗月さんの瞳。

「離れて、美咲! そいつ、とんでもない男よ!」

 サングラスなんてすでになく、だからこそ明確にその青い視線は俺に向けられていた。

 玲仁さんのような冷静さではなく。

 蒼真さんのように理知的でもなく。

 桐也さんのように計るでもなく。

 初めて向けられた、明確な強い敵意、そして――軽蔑だった。

「ま、待ってください」

 ようやく出た俺の言葉に耳を貸すつもりはないのか、紗月さんは美咲と俺を引き離そうと手を伸ばしてくる。

 美咲はその手を払った。

 紗月さんは態勢を崩し、堪えたものの、その表情は驚きに歪んでいた。

「美咲、どうして……!?」

「どうしても何もあるもんですか!」

 美咲は俺を庇う様にして俺の前に出つつ、紗月さんにも負けない敵意を声に乗せる。

 ――どうしてこうなった。

 俺が一人になった一瞬のこと。

 その時に紗月さんに声をかけられ、日が落ちるままの明るさしかないここに連れてこられた。

 そうして――強烈な一撃をもらった。

 それを思い出させるように、頬が骨から痛み出してくる。

 いや、それ以上に。

 俺は目前の姉妹の睨み合いに、言い知れない不安を覚えていた。

「ご、誤解です」

 だからだろうか、うまく言葉が出ないばかりか、それは震えていた。

 そんな自覚があるのに、制御ができず手まで震えてくる。

 それをどう見たのか、紗月さんは大きく息を吸い込んだ。

「離れて、美咲。そいつ――寺島幸人は最低な男よ。女なら誰でもいいってタイプ。じゃないと、前の女なんて連れてこない」

 憤怒の表情で、努めて冷静に言葉を発する紗月さんに、俺は気圧される。

「――最低なんて言わないで」

 対する美咲も、紗月さんと同等――いや、それ以上の熱量だった。

「他の女の名前をやすやすと連呼するやつのことを、信じるっていうの、美咲は?」

「だからなんなの。名前なんてどうでもいい。そこに何の感情も乗っていないって、あたしは知っているもの」

「女に慣れているからよ。――つまり、裏切り慣れているってこと」

 瞬間、美咲の手が振りあがった。

 それが向かう先は――。

 考える間もなく、身体が動いていた。

 咄嗟に身を乗り出した直後、さっきとは逆の頬に熱を感じた。

 衝撃と、無理やり身を乗り出したこともあってバランスを崩し、立っていられなくて倒れこんでしまう。

「幸人さん……っ!?」

 美咲の悲鳴をどこか遠くに感じる。

 朦朧としていると抱き起され、痛みの場所にハンカチをあてられた。

「あ、ああ、あたし、なんて、なんてことを……!」

 触れ合った場所越しに、美咲の動揺が伝わってくるようだった。

「――っつ。姉妹に揃って殴られるとか、漫画みたい、とか言われそうだな」

 それとも凜花さんは「わたしがまだ」とか言うだろうか。

 なんとか冗談に紛らわせようとしたが、やはり無理だったようだ。

「ご、ごめんなさい、ごめんなさい、幸人さん……っ」

 俺を殴った形になってしまった美咲は、自分の方がよほどハンカチが必要だろう、と思うほど涙を流していた。

「――そうやって、色んな女を誑かしてきたの?」

 白けたような声が振り下ろされてきた。

「あんたのその、優しさと勘違いした甘さは、いずれ美咲を傷つける――いえ、もうとっくに傷つけてるかしら」

 俺のどこかが、抉り出されるような指摘だった。

 姉を殴るなんて、させてはいけない。

 そうして咄嗟に飛び出したはいいものの、それを自分が受けることになって、結局美咲はそれ以上に傷ついた。

 まさしく、それが今の状態じゃないか。

「聞いたわよ、あんたとのデートの時、美咲は倒れたんですって? 大人として、あんたは何をしていたの? 守るべきだったのに」

 遠くの記憶として追いやっていたその事実が、容赦なく引きずり出される。

「アタシは美咲を守るわ。だからこそ、あんたの側に置いてはおけない。それだけのことよ」

 俺は言葉も出ない。

 美咲が身じろぎした。

「さあ、美咲。だから離れて。アタシは――」

「――ったくせに」

 か細い声が、顔を伏せた美咲から零れる。

 俺の頬にあてたハンカチは優しい。

 けれどそこから伝わってくる震えは――なんなんだ?

「――守ってくれなかったくせに!!」

 悲痛な叫びが、落ちる暗がりを引き裂いた。

 そしてその濡れた瞳は、剣のように紗月さんに突きつけられた。

「あたしが学校でいじめられていた時! 独りだった時! 守ってくれなかったくせに!!」

 張り裂けんばかりの叫びに、紗月さんの表情が凍りつく。

 だめだ、これ以上言わせては――。

「――美咲っ」

 俺の制止も空しく。

「自分のことを棚に上げて、人を責めてるんじゃないわよ! 幸人さんは守ってくれたわ。助けてくれたわ――お姉ちゃんと違って!!」

 一息で放たれたそれは、紗月さんをよろめかせ――後ずさりさせた。

 それは確かに、姉妹の距離が開いた瞬間だった。

 美咲の言葉は止まらない。

「何も知らないくせに。見ないふりしてきたくせに、知った風に言わないで。甘さでもいい、なんでもいいの、あたしはそれに救われて、触れていって好きになった。たとえ傷ついても、それは大事な道筋よ。否定させるもんですか、例えそれが誰でも――家族でも!!」

「そんなもの……!」

 紗月さんは踏み出した。

 それはまさしく、距離を詰めるように。

「それはしょせん、表面的な底の浅い感情よ。好きの麻薬に浸っているだけ」

「決めつけないで!」

「アタシは助けたいの! 決定的なことになる前に!」

「余計なお世話よ!」

「お願い、聞いてよ……!」

 紗月さんの声に、懇願が混じる。

「アタシみたいになる前に、あなたをそこから――!」

「そんなのただの独りよがりでしょ!? それに幸人さんとあたしを巻き込まないでよ!」

 その叫びは文字通り、紗月さんを突き放し。

 ――よろめかせ、壁にもたれさせた。

「――あたしは!」

 そこで区切り、美咲は宣告した。

「あたしは紗月お姉ちゃんの――過去じゃない」

 壁にもたれた紗月さんの表情は、月光が作る強い影に覆われて見えなかった。

「あたしは……」

「――美咲」

 怒号の最中でも、俺の頬に優しく添えたままの手を、俺は抑えた。

「それ以上はもう――本当に、だめだ」

「で、も」

 少しかすれた美咲の声。

 怒鳴ったからか、感情が追いつかないからかはわからない。

「勝手な望みだけど……家族は仲良くしてほしい、んだ」

 本当に勝手な話だ。

 それに、家族がらみの話で負い目のある美咲に、それを切り出すのは卑怯だともわかっている。

 家族だからと言って、必ずしも仲良くできるはずもない、ということも知っている。

 けれどそれでも、だからこそ大事にしてほしいと、俺は思う。

 俺は美咲を押しのけないように、ゆっくりと身体を起こして立ち上がる。

 自分の涙の跡をそのままにして、慌てて手を貸してくれる美咲の存在がありがたく、そして愛しく思う。

 そうして俺は、いまだ身じろぎもできない紗月さんに、改めて向き直った。

「……遅れまして申し訳ありません。改めて、謝罪をさせていただきたいです。美咲さんを守れなかったこと――本当に、申し訳ありませんでした」

 頭を下げる俺に、美咲の絶句する気配が伝わってくる。

「ゆ、幸人さん……っ!?」

「モニカさんが紗月さんとわかったとき、真っ先にするべきことでした。――あなたが、どれだけ美咲を大事に思っているのか、それを聞いていたというのに」

「――えっ」

「……頭を上げてちょうだい」

 思いがけないことを聞いた、と言わんばかりに驚く美咲の感情を断ち切るように、紗月さんが言う。

 それに従い、俺は姿勢を戻す。

 けれど、やはり紗月さんの表情は読み取れなかった。

 壁際の影に身体を預けたままで、目も閉じているのか、何も読み取れない。

「そういう姿勢が傷つけると……わかっていてやってるのかしら」

 落ち着いたトーン。

 だというのに、それは的確に俺の内心を貫くようだった。

「……それこそ、あたしがわかっていればいいことよ」

 美咲も同様に、声を押さえていた。そして、乱暴に袖で涙を拭う。

「そしてあたしが、いちいち傷つかないように強くなればいいだけの話」

「――聡明ね。思っていたより、ずっと」

 紗月さんのそれは、称賛のようにも、憐みのようにも聞こえた。

 けれど、態度が軟化したように感じ取れたのは、俺の錯覚だろうか。

「幸人、あなたは」

 言い淀んでから、紗月さんは続けた。

「どんな未来を、望むの」

「――俺は」

 何の未来について問われているのか、俺にはとっさに判断がつかなかった。

 だからこそ、思うままに俺が望む未来を告げる。

「美咲とも紗月さんとも、いいお酒が飲めたらいい――そう思います」

「……やっぱりあなた、女たらしなんじゃないかしら」

「……そんなことは」

 その評に、俺自身は困惑するしかない。

 そんな俺を置いて、美咲へと視線が向く気配。

「――ごめんなさい、美咲」

「……いいわ。もう終わったことだもの」

 返答までの時間に何を込めたのか。

 わからないし、考えることでもないのだろう、きっと。

「幸人も。急に呼び出して、ごめんなさいね」

「いえ、そんな」

 影の中で、わずかに身じろぎが見えた。

「あと、手当はちゃんとするようにね」

「……そうします」

 自分はしない、という明言であり、ちょっとした意趣返しなのだろう、と思うことにする。

 だからだろうか、やっと俺は苦笑することができ、一礼した。

 そうして痛む頬を気づかう美咲を連れて。

 俺は、月光が佇むそこを後にしたのだった。


 

 次の日、寝起きはだいぶ遅かった。

 そもそも昨日はみんな遊び倒したので、倒れるように眠ってしまうほどの人も多く。

 さすがに夕食抜きはまずく、しかし誰も支度をする気力もなかったので、常備しているレトルト食品を温めて、となった。

 その際はすでに眠っている人間を起こして、半ば無理やり食べさせもした。

 意外にも八重垣さんがその中にいて、その世話を美咲がしていた、といういつもとは逆転した光景が非日常を強調したものだった。

 そんな流れを引きずり、みんな起きるのが遅くなり、ブランチとしてカレーを作っている、というのが現状。

 俺もその作業要員として、別荘備え付けの広いキッチンに立っている。

「幸人お兄ちゃん、お皿ここにおいとくね?」

「ありがとう、千紘ちゃん」

「えへへ」

 千紘ちゃんもその一人で、配膳などを手伝ってくれている。

 料理人として手を挙げた人間は割と多く、俺のほかには亨、千佳、八重垣さん、そして――。

「……なによ。アタシが料理するのはそんなに意外?」

「何も言ってませんよ?」

 ――紗月さんもその中に混ざって、包丁を翻している。

「浮気男をさばくよりは難しいけどね」

 心当たりもないのに緊張を強いてくる紗月さんは、俺などよりよほど手際がよく。

「……あなたって、本当に器用なのね」

 俺の手元なのか、それとも他の何かについてなのか、ジト目を送ってくる余裕すらあるようだった。

 逃げるわけではないが、俺はそれを気にしないことにして、隣の作業を気にかけた。

「う、うぐぐ」

「……美咲、猫の手だけは忘れないようにな」

「わ、わかってるんだけど」

 料理を教わる機会、と意気込んだ美咲だったが、意外にも手元はたどたどしく、一向に慣れる気配がない。

 苦手な分野もあるんだな、と思う反面、それもそうか、と考え直す。

 そんな穏やかなブランチが終わると、エネルギー満タンとばかりに各自が行動を開始し始める。

 我先にと駆け出す人たちが多い中、俺と美咲もそれに混ざる。

 目的はやはり海。

 どうせ来たなら満喫するのは当然だった。

「少しいいかしら」

「あ、はい」

 女性陣の着替えを、一人で何とはなしに待っていると、紗月さんに声を掛けられた。

 昨日サロンに連れていかれる際に声をかけられたことを否応なしに思い出し、隙を見つけるのがうまいのだな、と思う反面、警戒心は湧きあがらなかった。

 それは紗月さんがブラウスを少しラフに着こなしていて、その表情に険が見当たらないからだろう。

 けどその代わりに、訝しむような視線を投げかけてくるのだった。

「どうしてそんなに無防備なのよ?」

「……警戒したほうがよかったですか?」

「あなたねえ」

 なにやら呆れられてしまった。

 そんな反応になった理由に心当たりがない俺にため息をついて見せると、紗月さんは俺の顔に視線を這わせた。

「跡はないみたいだけど、大丈夫なの?」

「あ、はい、おかげさまで」

 その言葉で、昨日打たれた頬のことを気にかけているのだと思いつけた。

 直後は痛みがあったものの、ほどなく収まった。

 だから結局、サロンでの出来事は美咲と俺、紗月さんのみが知るところとなり、旅行という雰囲気を損ねなかったのは幸いだった。

 紗月さんが苦笑を浮かべたのは、俺の「おかげさまで」という定型文に対してだろうか。

 間違えた、と思っていると、紗月さんは更衣室付近を窺ってから俺に向き直る。

 そうして表情に宿したのは、不承不承、という感情のようだった。

「慰謝料代わりに、いくつかアドバイスしてあげるわ」

 仰々しい表現にのけぞってしまう俺。

「同棲は必ず試すこと。……まあ、経験済みかもしれないけど念のため」

「……はい?」

「もちろん高卒前提だけど。じゃなきゃ、アタシの弁護士生命を賭けてでも、色々追い込んであげるから」

「……あ、はい」

 唐突だったのでつい生返事になってしまった俺に疑わしい視線を向けつつも、それを口にはせずため息をつく紗月さん。

 その表情が引き締まる。

「そして、母さんのこと」

 母さん――それは紗月さん、そして美咲の母、玲仁さんのことだろう。

 その名は俺に緊張感を呼び覚ますのに十分だった。

 そんな俺に、やっぱり、と頷く紗月さん。

「その様子だと、見せつけられたようね。――あの青を」

 思わず、喉が動いた。

 もはやトラウマに近いあの着物、そして青い瞳。

 威圧感、という表現では生ぬるい。

 人生観を塗り替えられるような衝撃を、俺はあの時味わった。

 玲仁さんと似通うその人の唇から、それが零れる。

「地は青。柄は月、(きり)、そして花。――これが意味するところ、あなたにわかる?」

 ――――。

 それは、まさか――。

 もはや唾も飲み下せない俺をどう見たのか。

 紗月さんは用が済んだ、とばかりに身をひるがえし。

「――期待してるわよ」

 その言葉だけを残して立ち去ったのだった。



 そんなやりとりを知らず、けれど吹き飛ばしてくれたのは、やはり美咲だった。

 海へ、散歩道へ、と色んな所に俺を誘ってくれて、落ち着く暇を与えはしない。

 だから時が過ぎるのは早く、気づけば二日目の夕食も終わり、旅行の終わりが迫ってくる。

 みんなの顔にも名残惜しい気配が強く漂い、もちろん俺も例外ではなく。

 旅行最後の夜をどうしようか、と思っていると、美咲に展望デッキへと誘われた。

「おお、これはすごいな」

「でしょう?」

 夜空に少し雲はかかっているものの、煌々と輝く満月が覗き、海がそれを映し返していた。

 夏の熱は潮風にまぎれ心地よいほどで、冷えを警戒してか美咲は裾の長いパーカーを着込んでいた。

 波の打ち寄せる音が規則的に届き――日常へのカウントダウンを刻んでいるようだった。

 しばし、その空気と風景に浸る。

「――ありがとう、幸人さん」

 その声は、遠慮がちに届けられた。

 見ると、美咲の視線は空と海の間に向けられていて、俺の返答を待ってはいないように思えた。

「あたし、ここに来るのが怖かった」

 俺は口を開きかけ、閉じた。

「家族に傷つけられた、家族が守ってくれなかったことを、どうしても思い出してしまうから」

 俺は、そんな場所を旅行先に選んでしまったのか。

 俺はまた、美咲を。

「でも、愛してくれたことも――思い出せたの」

 澄んだ瞳が俺にゆっくりと向く。

「だから、ありがとう、幸人さん。――ここにあたしを連れてきてくれて」

 ――俺は美咲を抱きしめた。

 驚かせてしまったのだろうか。美咲は呆然としているようだった。

「――ゆき、と、さん?」

「ありがとう、美咲」

「どう、して?」

「――なんだろう、わからない。けど、多分」

 言葉にならない思いをかき集めて、空気に乗せる。

「嬉しいんだ。美咲が、家族を取り戻してくれたことが」

 腕を緩められない。

 きっと苦しいと思うのに、力が抜けてくれない。

「ただの代償行為なのかもしれない。でも、嬉しくてたまらないんだ」

 背中に腕を回され、優しくさすられる。

 あやすようなそれに、どうしようもなく愛おしさを感じる。

「ありがとう、美咲……!」

「――どういたしまして」

 そう受け止めてくれる美咲は――俺より、よほど大人だった。

読んでくださり、ありがとうございました。

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