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ストーカー系女子とアンニュイ系男子の攻防戦  作者: 緋色
六章

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41/54

桐箱に幸あり

 蒼真さんへの回答を兼ねたコンサートを終え、二日ほど経ったころ。

 俺こと寺島幸人の日常は、表向き平穏である。

 出勤し仕事を終え、家に帰るという日常だが、消えないもやもやは残っている。

 ふと、フラッシュバックのように、玲仁さん――美咲のお母さんの言葉が蘇ってくる。

「あなたは美咲を、もうここに来させてはいけません」

 セリフ上のそれだけではなく、言外の様々な追及。

 俺はそれを深読みせざるを得ない。

 もう会うな、と言われたわけではないから美咲に会ってはいる。

 けれどそれが正しいのかどうか。

 疑問に思いつつも会いたい思いは募り、そうしてから後ろめたさに苛まれる。

 玲仁さんはあれから何も言ってこない。

 その後は蒼真さん、桐也さんといった美咲のお兄さんたちに試され認められたので、少しは関係性が進んでいるのだろうが――。

 と思っていると、仕事終わりに喫茶店へ呼び出された。

「元気そうだねえ」

「コンサート以来だな。久しい、というほどでもないか」

 桐也さんと、蒼真さん二人にである。

「……お久しぶりです」

 俺は顔が引きつらないように挨拶するのが精いっぱいだった。

 なにせ、俺にとっては唐突に強烈な面接をされた二人で、さして時間も経っていない。

 苦いというには強すぎる記憶を思い起こされるのは当然だった。

 四人掛けのテーブルに、並んで座っている桐也さんと蒼真さんの前に座ると、蒼真さんの視線が俺の隣に流れた。

「……呼んだのは幸人くんだけだったはずだが?」

「すみません、そこで捕まりまして」

 その通り、俺は一人ではなかった。

 蒼真さんと同じように隣を見ると、そこには表情が平坦な美咲が座っていた。

「幸人さんがいるところに、あたしがいない道理がある?」

 そうして、美咲は目を細めると続けた。

「今度は何を言いたいのかと思ってね」

「ははは、睨まれてら兄貴」

「桐也兄さんも同じでしょ?」

 蒼真さんをからかうような軽口を叩いた桐也さんを、美咲がやぶ睨みする。

 それを受けての桐也さんは、なんだか嬉しそうだった。

 少し美咲から聞いたが、家族との間に隔意があったとのこと。

 特に桐也さんとはそれが深く、こうやって普通に――というにはいささか剣呑だが――やり取りできるようになったのはごく最近らしい。

 だからか、美咲は、ふう、とあえて気を抜いたようだった。

「で、何かしら。幸人さんを試すようなことをまたするなら、まずはあたしを通してもらうわよ」

 訂正、まったく気を抜いてはいなかった。

 自然体の戦闘態勢であり、より好戦的と言い換えられる。

「とりあえず、何か注文しませんか」

 美咲の気持ちを落ち着けようとしたわけではないが、俺はメニューを差し出した。

 妙に緊張感に満ちていた空間が、幸いそれで少し緩んだようだった。

 美咲はばつが悪そうにし、桐也さんは笑みを深め、蒼真さんは――表情が変わらないのでよくわからない。

 が、メニューを受け取ったのは蒼真さんで、ブレンドコーヒーを指して、メニューを回し。

「俺のおごりだ。好きに頼め」

「おお、兄貴太っ腹ー」

「それじゃ、遠慮なく」

 桐也さん、美咲と声が続く。

 俺もここは無用な遠慮などせず、コーヒーを注文。

 各々が注文した飲み物を傾ける中、いつの間にか近況――美咲と桐也さんのチェスの戦績へと話が移っていた。

「で、結局また負けちゃったんだよー」

「ふふん」

 項垂れながらも喜色を覗かせる桐也さんに対し、得意げな美咲。

 聞けば美咲は連戦連勝らしく、その強さに俺は素直に凄いと思うばかりだった。

 振り返れば、俺が知る限り負けなしの千佳にも勝っていたし、どれだけ美咲は多才なのか。

「さすが美咲、というべきか」

 思わず俺が感心を零すと、美咲はさらにふんぞり返るのだった。

「ふふふん。あたしに勝てるのは幸人だけなのよ。兄さんたちは、存分にそれを思い知るといいわ」

 自慢げなその美咲のその表情は、今度はうっとりとしたものに変わった。

「そう、あのコンサートでの幸人さんのスーツ姿といい。ほかに勝るものはないわ」

「ふむ」

 急に話を飛ばした美咲に、思案気に腕を組んだのは蒼真さんだった。

「確かに、見事な仕立てのスーツだった」

 その蒼真さんの視線は、俺へと運ばれる。

 そこに込められたものは意味ありげだった。

 それに俺は、恥じ入るように頭をかくしかない。

「……美咲に仕立ててもらいました」

 蒼真さんはただ頷いただけだったが、俺には「だろうな」という得心にしか見えなかった。

「文句でもあるの?」

 横から聞こえてきたのは、先ほどのうっとりした表情を消し飛ばした美咲だった。

 その視線も吐息も冷ややかで、テーブル上の空気と相対する男性陣を凍らせそうだった。

 視線をそらして「あーあ」と言わんばかりの桐也さん、一見落ち着いてコーヒーを口に運ぶ蒼真さん。

 それを静かに見据えて、美咲は言葉を紡ぐ。

「勘違いしないでよね。あたしが無理を言って仕立てさせてもらったのよ、戦場を整えるためにね。ついでにいうと、VIP席を用意したのもあたし」

 そう、蒼真さんへの返答の場のおぜん立ては、すべて美咲にやってもらったようなものだった。

 近く開催されるコンサートをテレビで知って、そこに蒼真さんを招くことを思いついたまでは俺も美咲も同じだったが、そこで考えが止まってしまった俺とは違い、美咲は持てるすべてを振るったのだった。

 特に俺のスーツと美咲のドレスは超特急で仕立てられたらしく、その金額は恐ろしくていまだ聞けていない。

 甲斐性なし、と言われてもしかたない体たらくではあったが、

「それが妻の甲斐性というものよ」

 むしろ誇らしげに蒼真さんと桐也さんに宣言する美咲の横では、俺は背筋を伸ばし胸を張ることしか出来やしない。

 しばし沈黙が滞留する場に、蒼真さんがコーヒーをソーサーに戻す音がかすかに響いた。

「――そうか」

 と、蒼真さんは返すだけである。

 そこに何が込められているか、相変わらず俺には読み取れない。

 そうして、やはり蒼真さんは淡々と続けた。

「引っ越せ、幸人くん」

「……はい?」

 心境が口をついて出た。

 それは俺だけではなかったようで、美咲も桐也さんも怪訝そうにしていた。

 それに構わず、蒼真さんは続ける。

「まずは体裁を整えろ。身ぎれいにして、足に地をつけるつもりでな」

「ま、待って下さい。何の話ですか?」

 理解が追いつかず、つい助けを求めるように周りを見渡してしまう。

 美咲は何やら考え込んでおり、桐也さんは何やら残念そうにしている。

 そこから読み取れるのは、どうやら二人は蒼真さんの言いたいことを分かっているのではないか、ということだった。

 俺はまるでわかっていないのに、美咲はにんまりと笑うのだった。

「……その手があったわね。考えたじゃない、蒼真兄さん。で、いくらまで?」

「五千万を考えている」

「ふうん。……まあ、幸人さん次第ではあるけどね」

「だから、何の話だ?」

 確認するように美咲に見つめられても、俺には話が理解できなかった。

 恥いるような俺に構わず、蒼真さんはやはり硬い表情を崩さず言うのだった。

「引っ越せ。先日の詫びとして、五千万までの物件なら買ってやる。さすがに固定資産税くらいは払ってもらうが、年の家賃に比べれば安く済むはずだ。そうして、母を招き入れられる環境を整えろ」

 噛んで含むように、とはこういうことを言うのだろう。

 先日、蒼真さんに詰問された後に感じた、とても彼女の母を迎え入れられるとは思えない俺のアパートの環境。

 同じ土俵に立てるとは思えないみすぼらしさ、それの解消に動いてくれると言う。

 何を言おうかまとまらないまま、息を吸い込んだ俺に蒼真さんはかぶせてきた。

「母に何を言われたかは知らないが、あの人は俺以上に手厳しい。単なる経済力じゃなく、その先の姿勢を求める。大事な娘を預ける相手だ、それは慎重にもなろうと言うものだ」

「……はい」

「見た目が伴わなければ、どれだけ姿勢を整えようが付け焼刃だ。だからまず、せめて見た目を整えろ、と言う話だ。理解したか?」

 言う事は理路整然で、それだけに反論の余地はない。

 しかし、その申し出は度が越していて、感謝よりも抵抗感が勝る。

「……そ、そんなご迷惑」

 だから、そんな言葉が口をついて出た。

 しかし蒼真さんの姿勢はそれに頓着しないのだった。

「俺にかける迷惑と、美咲のどちらが大事なんだ?」

「美咲です」

「そこで一瞬でも返答が遅れていたら、見限っていたところだ」

「しかし、なぜここまでしてくれるんです?」

「先ほども言ったが、悠里くんまで引きずり出して君を退けようとした詫びだ。これで貸し借りなしでいいな?」

「……お釣りが出ますよ」

「なら、それはいずれ返してもらおうか」

 言い終えた、とばかりにコーヒーを口に運ぶ蒼真さん。

 常の落ち着きを崩さない蒼真さんに比べ、俺は居心地の悪さを感じずにはいられなかった。

 美咲からのスーツに加え、その兄である蒼真さんからのまさかの申し出。

 それらをポンと出せる二人――竜禅寺に改めて財力の違いを感じさせられた。

 そうして、ふと隣の美咲を見ると、顔を両手で覆って身もだえしていた。

「ちゅ、躊躇なくあたしを選んでくれるなんて。そ、それに、これもう新居よね?」

「別れた時には現金化できることも考えてだが?」

「そんな未来があるわけないでしょ!?」

 論理的に解説する蒼真さんに、掴みかからんばかりに身を乗り出す美咲。

「だっはっはっはっは!」

 そしてそのやり取りを遠慮なく声をあげて笑う桐也さん。

「ちょ、ちょっと……!」

 さすがに店内ということで押しとどめようとした俺だったが、それに重ねるように振るわれたのは蒼真さんの拳であった。

 机にたたきつけるように、軽くだが頭頂部への一撃は桐也さんの身体をすくませるようにして、その笑い声を急停止させた。

「やめんか。公共の場だぞ」

「へーへー」

 じろりと睨んだ蒼真さんに対して、桐也さんはにやにやしながら悪びれない。

 俺は思わず、美咲に確認するのだった。

「……このお二人、血が繋がっているんだよな?」

「そうなのよね、時々疑っちゃうけど。でも、あのパパとママに間違いなんて起こりようがないし」

「そうなのか」

 高峰さんと玲仁さんの歴史を知らない俺に、それ以上言えることはなかった。

 しかし、まだ蒼真さんの言葉に気分を悪くしながらも自信満々の美咲に、「きっとそうなのだろうな」と俺は思うしかなかった。

 そんな分析じみた思考をする俺に向かって、叩かれた頭をさすりながら桐也さんは、にやりと笑いかけてきた。

「んじゃ、次は俺のターンね。兄貴よりかはインパクト薄いけど、旅行をプレゼント。好きなとこ、ご指定してくれ」

「……はあ?」

 俺は桐也さんの言葉に、ますます混乱するしかない。

「新居の次は新婚旅行ってわけね!」

「なんでそうなる」

 今度は喜色に身を乗りだす美咲に対し、俺は混乱の極みに顔を手で覆うしかない。

 いい加減、処理が追い付かなくなってきたので、俺は素直に聞いた。

「蒼真さんはまだわかるとして、桐也さんからそんなものをもらう理由がありません」

「あるんだなー、これが」

 やはり桐也さんはへらへらとした笑みで――意味ありげに視線を美咲に運ぶ。

 つられて見た美咲の頬は照れか気まずさかでほんのり染まっており、視線が合いそうになると慌てて目をそらされてしまった。

「ま、詳しく喋るとまーたご機嫌損ねちゃうからあんま説明しないけど、仲直りに一役買ってもらったってことなのさ」

「……そうでしたか」

 つん、と桐也さんから顔をそらして腕を組んで不機嫌を演出しながらも、俺の腕には美咲の背中が預けられ、感謝を熱として伝えてくるかのようだった。

 美咲の家での作戦会議後に凜花さんと相談した、美咲と桐也さんの間にあった亀裂。

 鏑木冴さんも憂いていたそれが解消されたことに、俺は内からこみあげてくる何かを自覚する。

 そしてそれが涙となるのを必死で押しとどめるため、俺はややごまかし気味に早口になってしまう。

「りょ、旅行とは、温泉とか海でしょうか」

「どこでもいいよん? ロケットをチャーターして、宇宙とかでも全然オッケ」

 どこまで本気かわからない桐也さんの物言いに、涙もどこかへ引っ込んだ。

「素敵ね! 宇宙からダイヤモンドリング見れるってこと!? ハネムーンにぴったりじゃない!」

「いやいや待て待て」

 美咲は夢見心地だが、俺はスケールの違いに頭を抱えるしかできない。

 なんで仲直りの礼がこれなんだ?

「だいじょーぶ、うちでやってるプロジェクトのパイロットにねじ込むだけだから」

「全然大丈夫じゃありませんよっ! 怒られますよ、副社長さんに」

 思わず声のトーンが上がり、周囲の目も考え慌てて抑え気味に鏑木冴さんの存在を匂わせる俺。

「おっと、そりゃまずいか」

「ぬか喜びさせないでよ」

 と刺してくる美咲の視線にも悪びれず、カカカ、と笑って面白がる桐也さん。

 さっきから物件だのロケットだの続けざまに語られて、頭がくらくらしている俺は悪くないはずだ。

 落ち着くために、俺なりのスケールに落とし込んだことを雑談がてらに呟いてみる。

「もしかして、プライベートビーチなんてものも持っていたりするんですか?」

「あるな。国内だが」

 反応したのは蒼真さん。やはり硬い表情ながらも思案気な表情を覗かせている。

 俺の視線に気づいたのか、ソファに背中を預けて腕を組んだ。

「父が道楽で購入し、何度か使用したことはあるが……それは、何年も前のことだ」

 セリフ半ばに挟まれた、わずかな沈黙。

 蒼真さんはやはり表情を変えなかった。

 しかし美咲は一瞬視線を遠くし、桐也さんはやるせなさなのか頭をかく仕草に落とし込んだ。

 それらが、触れてはならない過去に手を伸ばしてしまったのだと気づき、息をのんだ。

 とっさに頭を下げて謝罪しようとして――俺はその動きを急停止させた。

 それどころか、そのかわりに静かな声が押し出された。

「――旅行先、そこにできませんか」

「――なに?」

 俺の声を受け止めたのは蒼真さんで、わずかに目を見開いた。

 それは、俺が初めて目にした蒼真さんの表情の変化だった。

 意外そうな視線を向けてきたのは美咲と桐也さんも同じで、俺はそれらへと視線を運んでいく。

「そして、よければ皆さんも一緒に。……あ、いや、お時間あれば、なのですが……」

 家族間の断絶を想起させる場所へ、あえて仲直りの記念としてどうだろうか、と勢い込んでいった俺だったが、それは徐々にしぼんでいった。

 それは蒼真さんと桐也さんが軽々しくスケジュール調整できる立場でないことを思い出したからであり、未成年の美咲を連れていくことだと思い至ったからでもある。

 特に美咲については、男一人の部屋に踏み入らせることを叱責されたというのに、旅行に連れて行くなど余計にやってはいけない行為ではないか。

 そこに至って、俺の頭は冷えてきた――冷や汗をかいてしまう方向に。

 自然、口ごもってしまう。

「あ、あの」

「……いいじゃないの」

 つい助けを求める様に向けた視線の先には、言葉とは裏腹に苦虫を噛み潰したような表情の美咲がいて、俺は首を傾げた。

「表情があってないぞ?」

「それはね。幸人さんとの旅行は嬉しいけど、現状を考えると二人っきりで行けるはずはないし」

 美咲も俺と同じようなことを考えていたようである。

「そうすると保護者――兄付きが最低条件になるの。旅行は嬉しいけど、お邪魔虫はお邪魔よ」

 それがセリフと表情が反し、「邪魔」を重ねる理由らしい。

「オッケイ。最優先で予定空けるよー」

 満面の笑みで、広げた両手を示したのは桐也さんである。

 そのポーズはあたかも、すべてを投げ打つかのようであった。

「……あ、ありがとうございます。でも、社内で相談はしてくださいよ」

「あー、それがあったっけな」

 ケタケタと無責任に笑う桐也さん。

 その横で、蒼真さんは目を閉じて思案しているようだった。

 俺はそれを期待を込めて見てしまう。

 それに答えたのか、返ってきたのは重い溜息と静かに開いた瞳だった。

「……なるべく都合をつけよう」

「ありがとうございます」

 俺は感謝に頭を下げた。

 杜撰だったかもしれないが、結果的に美咲、蒼真さん、桐也さんの縁を強固にできるきっかけを得た俺は、少々の高揚を感じていた。

 そんな俺の隣で、美咲は先ほどまでの仏頂面から一転、はにかみを押し殺すようにしており――それを嬉しく思うのだった。



 という話があったのは昨日のこと。

 まるで夢だったかのような感想を引きずってしまったのか、今日の仕事はあいにく残業となった。

 それも一区切りとなり、休憩時間の雑談のネタとして、まるで現実味のない昨日の話題を切り出すと、呆れたような感心したような反応が返ってきた。

「それはまたスケールのでかいことだな」

「お金持ちって変わった人、多いよね」

 亨、千佳が続けて漏らす。

 フロアにほかの人影はないので、切り出せる話題でもあったわけだが。

 千佳が顔の近くで手を打ち合わせる。

 その表情はなにやらご機嫌そうだった。

「わたしも行きたいな」

 語尾に音符が付きそうな調子だった。

 それに俺は思わずのけぞった。

「何言ってんだアンタ」

 という胡散臭げなセリフを同様の表情に乗せる亨。

「……確かに、桐也さんは他にも声をかけていい、とは言っていたけど」

「だから、なんでそんなことを正直に口にしてんだ、お前は」

 顔を覆って指摘した亨に、うっかり口を滑らせた形になった俺は、慌てて口を押えた。

 が、時遅く、千佳は笑みを深めるばかりであった。

 そうして、その笑みから覗く瞳は剣呑な光をたたえる。

「――美咲ちゃんのお兄さんに、挨拶もしたいしね」

「……ああ。それには俺も同意見だな」

 亨が手の覆いを外すと、歪めた唇から歯が見えた。

 二人とも、何やら好戦的な気配を膨らませている。

「……いや、なんでだ?」

 訳が分からずについ零すと、千佳は「しょうがないなあ」という笑み、亨は「だからコイツは」という苦笑を向けてきた。

「幸人に当たりがきつかった竜禅寺蒼真氏にムカついてんだよ」

「……ああ、なるほど」

「なんで他人事みたいなんだか」

 言われてようやく納得できた俺に、毒気を抜かれたかのように「やれやれ」と肩をすくめた亨。

「当のお前がそんなんなら、俺が食ってかかるのはお門違いか」

 千佳もなにやら目じりを下げていた。

「同感だね。……まあ、こういうところが幸人のいいところなのかもしれないけど」

「アンタもようやくわかってきたか」

「それはともかく」

 なにやら俺にとって恥ずかしい展開になってきそうだったので、やや早口で割り込む。

「旅行についてはまあ……いいんじゃないか。ただし、美咲を刺激する様なことはするなよ」

「もちろん」

 千佳はとてもいい笑顔で、真偽の疑わしい了承をした。

 亨がそれに不審そうな表情を向けていたが、俺も似たようなものだろう。

 亨が気を取り直したように、傍らに置いていた自分のスマホに視線を投げかけた。

「まあ、それで瑠璃ちゃんからの旅行の誘いにも合点がいったよ」

「ああ、そっちからも連絡あったか。美咲が誘ったのかな」

「だってよ。あと、俺にもお返ししたいからって話だ」

「お返し?」

 と首をかしげたのは千佳だ。

「竜禅寺さんとこであれこれあった時のな。それ以上はアンタには関係ねえ」

「うーん、辛辣」

 聞きたそうにしている千佳だったが、亨はにべもなかった。

 俺はそんな二人のやり取りに苦笑しつつ、「お返し」というキーワードにふと思う。

「……悠里くんも誘ってみようか」

「幸人の弟子ってやつか?」

「そんな大したものじゃないよ」

 そこまで詳しくではないが、亨にも悠里くんとの付き合いは話してあった。

 しかし、師匠などと言われるほどのことはしていないので面映ゆく、つい否定してしまう。

 今回計画している旅行がそもそも桐也さんの俺への礼ということであれば、同様に蒼真さんとの件に巻き込まれた悠里くんへの謝罪もかねて、誘ってみてもいいかもしれない。

 その旅行には美咲も来るが――以前の感じではそれほど気まずくもならないのではないか、とも思うし。もちろん、本人へ確認は必要だが。

「ま、なんにせよ楽しい旅行ってことで、あんまりバチバチしねえようにはするよ」

「そうだね」

 それはさっきの蒼真さんのことだろう。

 亨の締めくくりに頷く千佳に、俺は安堵とともにため息をもらす。

 そうして、それを区切りとして残業に戻ったわけだが――思いがけず楽しくなりそうな旅行に、俺の意識の何割かはそちらにもっていかれそうになるのだった。

読んでくださり、ありがとうございました。

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また、「拝啓、○○に出会いました。」という王道冒険ファンタジー小説も掲載しておりますので、よろしければぜひ。

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