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ストーカー系女子とアンニュイ系男子の攻防戦  作者: 緋色
六章

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38/54

蒼く散る火花

 まだまだ続きそうな会議ではあったのだが。

 美咲がうつらうつらし始めたので、しばし中断となった。

 八重垣さんが入れてくれたホットミントティーの効果もあり、緊張がほぐれて猛烈な眠気が襲ってきたらしい。

「前に言っただろう、いくらでも貸すって」

「……ありがとう、幸人さん」

 俺が自分の膝を指し示すと、以前のように俺の腹に顔を埋める様に横になる美咲。

 その動きで限界だったのか、一瞬で眠りに落ちたようで脱力は早かった。

 そして、穏やかな息づかい――寝息が聞こえてくる。

「う、羨ましい……!」

 そんな声も千佳から聞こえて来たが、とりあえず気にしないことにする。

 その間に八重垣さんが毛布を持って来て美咲にかけた。

 続けて髪を梳く八重垣さんの動きが優しい。

「……良かった。最近、眠れてなかったみたいっすから、ミサ」

「うん。寝ても、うなされて飛び起きてた」

 八重垣さん、凜花さんの安堵したようなため息混じりのやりとり。

 それに、俺は視線を落とす。

 美咲の目の下に微かに隈が見えた。

 亨が立ち上がる。

「あんまり、じろじろ見るもんでもねえわな。ここいらで失礼させてもらうわ」

「おっと紳士っす」

「会議って雰囲気でもなくなったしな。アンタもだぜ、千佳さん」

「えー、どうしようかなあ」

 いたずらっぽい笑みで目を細め、こちらを見てくる千佳。

 それに亨は怒るでもなく肩をすくめ、こちらに視線をやってきた。

「んじゃ、今日は帰るが。なんかあったら言えよ」

「ああ。その時は頼む」

「亨くん、送るっすよー」

「ああ、ありがとよ、瑠璃ちゃん」

 玄関に向かう亨と八重垣さんに、千佳はため息をついた。

「ここで帰らないと、わたしだけ減点だね……。おとなしくお(いとま)するよ。幸人、その代わりにわたしにも膝枕してね?」

「なんでそうなる?」

 呆れる俺に、明るく手を振る千佳。

 そうして、亨、千佳、八重垣さんは玄関へ、そして外に消えていった。

 残るのは静かに佇む凜花さん、眠っている美咲、膝枕をしている俺だけとなる。

 凜花さんは、俺の近くのテーブル――空になったティーカップへ視線を落とした。

「幸人くん。何か飲む?」

「そうだな……」

 熟睡している美咲を起こしたくはない。

 匂いがするものもあまり――と迷っていると、凜花さんが静かに頷いた。

「お水でいい?」

「ああ、ありがとう」

 一度台所に消えた凜花さんが持ってきてくれたグラス。

 手渡されて飲み干すと、凜花さんが受け取ってテーブルにおいてくれた。

 そうして、続く動作で椅子を静かにソファーに近づけると、そこに腰かけた。

「わたしに聞きたいことでもある様子」

「……よくわかったね」

「美咲のこと?」

「うん、まあ……」

 この人はどこまで鋭いのだろう、と俺は内心で首を傾げた。

 しかし切り込まれている感じではなく、静かに促すようで、あくまで選択権はこちらに委ねてくれている姿勢。

 それが柔らかくありがたい。

 俺が返事に迷っていると、凜花さんの視線は美咲へ。

 そこに宿る熱は、ほのかだが確かだった。

 それが、俺の迷いを静かにさらっていった。

「美咲と……桐也さんのことについて、なんだが」

 言葉半ばで、凜花さんの表情が少し硬くなった。

 普段、あまり表情の変わらない凜花さんがそうなったことに、俺は過去の重さを垣間見る。

「……誰から?」

「鏑木冴さんに」

「……そう」

 一瞬、暝目した凜花さん。

「何を聞きたい?」

 真っ直ぐ見つめられ、少し言葉に詰まる俺。

 改めて聞かれ、俺はこの話題を切り出した理由を思い返す。

 冴さんの遠い目、表面上は飄々とした桐也さん。

 あえて「俺の妹の美咲」とした表現を思い出す。

「……聞きたいと言うより」

 俺は躊躇いながらも口にした。

 ある意味、傲慢と思われても仕方がないそれを。

「……なんとかできないか、と思って」

 反応は、不思議そうな表情だった。

 否定的な態度ではなかったことに胸を撫で下ろした俺だったが、凜花さんはただ黙っているだけではなかった。

「……なんとか」

 どこかに視線を向ける凜花さん。

 それはもう、きっと試したのだろう。

 俺が今更、言うことでもない。

 けれど凜花さんは、そんな俺の、ある意味で浅はかな言いようを吟味してくれているようだった。

「経緯は聞いてる?」

「二人でチェスをした。負けた桐也さんが美咲に言ったことが、二人に亀裂を生んだ……ということぐらいは」

「その亀裂を埋めたい、ということ?」

「……そうなる」

 言葉にすれば単純だが、できなかったから今も続いている。

 作戦会議で桐也さんの話になった時、美咲は苦しそうだった。

「なぜ?」

 静かに聞いて来る凜花さん。

 ああ、この「なぜ」は――。

「……お互い生きている内に話しておいた方がいい、と思ったから、かな」

「生きている内?」

 そんな大袈裟な、と凜花さんは言わなかった。

 ただ、真意を問うような瞳が、眼鏡の奥から覗いている。

「俺は家族とはもう話せないから。その分も、美咲に話してほしい――んだろうな、きっと」

 自分の心のことながら、曖昧な表現となってしまった。

 じっ、と俺を見る凜花さん。

 その瞳は美咲にもよく似ていて、けれど理知的で、心の奥底まで見定めてくるかのようだった。

 そしてそれは、ふ、とほころんだ。

「幸人くんは正直」

 そうして続ける。

「美咲が苦しそうだから、とでも言えばよかったのに。それがどこからか他の家族に伝われば、好感度が上がった」

「そんな、ゲームじゃあるまいし」

 苦笑いの俺。

 確かに会議の場では、亨と八重垣さんが「好感度」という言葉を用いて説明していた場面もあり、わかりやすかったのだが。

「別に俺は美咲の家族を、攻略や説得したいわけじゃない」

「と言うと?」

「問われても困るが……けど、そうだな」

 俺はやっと、自分のしたいことを把握できた気がした。

「美咲が好きだから、その家族も好きになりたいんだろうな」

「あまりに堂々とした浮気宣言」

「どうしてそういう解釈になるんだ?」

「冗談」

「笑えないぞ?」

「よく言われる」

 がっくり、と肩を落とした凜花さん。

 あまり表情は変わっていないものの、消沈している様子が見て取れた。

「……ただ、俺に何ができるか、と言われると困るけれど……」

 ふと気づいて、頭をかいてしまう俺。

 しかし凜花さんは首を横に振るのだった。

「充分」

「……充分?」

「そう。幸人くん、君はもう、扉を開いてくれた。だからこれ以上は……わたしたちの番」

「……そうか」

 扉が何を意味するのかはわからない。

 けれどそれは、俺にできたことがあったという意味で、とても嬉しい。

「だから引き続き、膝枕をお願いする」

「了解だ」

 それは俺も望むところで――ずっとしてあげたいことだった。



 ふと、自分が暗がりにいることに気が付いた。

 一瞬後、何のことはない、瞼を閉じているからだと理解できた。

 いつの間にか眠っていたらしい。

 瞼を開けるとそこには、なにやら目を閉じて唇を突き出している美咲の顔。

 それが徐々に、俺の唇に近づいて来る。

 思わずのけ反り、美咲の額に掌を叩きつけてしまった。

「あいたっ!?」

 衝撃で体勢を崩し、俺の膝の上に落ちる美咲。

 それで、ソファーで美咲に膝枕をしたまま、寝落ちしてしまったのだと気づけた。

「どうしてぇっ!?」

「すまん、咄嗟だった」

 それ以外に言いようがなかった。

 傷ついたような表情で見上げてくる美咲。

 よほど俺の膝が恋しいのか、そこにしがみついたまま見上げてくる。

 その様は元気に溢れていて、眠りつく前の気怠さはどこかに行ってしまったようだった。

「ううー……! 目が覚めたら膝枕で、見上げたら幸人さんの寝顔……! こんなチャンス滅多にないのにぃ……っ!」

 歯ぎしり寸前の美咲に申し訳なく、思わず視線を逸らすとそこには凜花さんの姿。

 テーブルで小説を読んでいるような素振りだが、その視線はこちらに向いていて、興味がどこにあるかは一目瞭然だった。

「って、凜花さんの前じゃないか!」

「気にせず続けて」

「ほらっ、お姉ちゃんもこう言ってるし!」

「できるわけないだろ」

 と、ただ制止しても納得しないだろうから、さっき叩いてしまった額とともに、頭を撫でた。

 途端、顔を赤くして静かになる美咲。

「痛かったか?」

「……少し」

「すまんな。でも、元気になったみたいでよかった」

「……うん。ありがとう」

 すり寄ってくる美咲。

 もう眠気はないようで、満たされた表情だった。

「凜花さん。俺、どれくらい寝てた?」

「一時間くらい」

「そんなにか」

 俺は俺で、よほど寝不足が続いていたようだった。

 けれど眠った分の甲斐はあったのか、頭がすっきりしていた。

 と、その時、びくり、と美咲が頭を持ち上げた。

 ズボンのポケットに入れていた俺のスマホが震え、それが伝わったらしい。

 一瞬ためらった美咲だったが、名残惜しげにゆるゆると俺の隣に座る体勢へ。

 不満げな様子は表情にも出ていて、俺のスマホがあるあたりを睨みつけていた。

 それに苦笑しつつ、俺はお伺いを立てる。

「確認していいか?」

「……どうぞ」

 渋々、と言った感じで了承する美咲。

 重要な通知かもしれない。

 こういう時、それを優先してくれる姿勢がありがたく、気遣いに頭が下がる。

「ありがとう」

 それを感謝の言葉に乗せ、俺はスマホを確認した。

 通知元を確認して、俺は息を飲んだ。

 次いで、背筋をつららが撫でるような感覚。

 しかし確認しないわけにはいかなかった。

 そうして、メッセージにやっと目を通す。

『あの時の返事を聞かせてもらいたい』

 ――そうあった。

「……幸人さん?」

 横から、美咲の気遣ったような声。

 反射的に顔を上げると、視界には凜花さんがいて、怪訝そうな表情を浮かべていた。

 俺はこのメッセージをどうするか迷った。

 そして隠そうと、腕に力を込めた。

 それ以上動けなかったのは、美咲にそっと手首を抑えられたからだった。

 恐る恐る視線を横に向けると、そこには美咲の、懇願するような瞳があった。

「あたしにも甘えてよ、幸人さん」

 ――その声は俺の心に、すとん、と落ちた。

 同時に、苦笑を浮かべてしまう。

 それは自嘲であり、不甲斐なさを感じたが故であり――そして、美咲を侮っていたことに対してだった。

 俺はこの期に及んで、美咲を遠ざけようとしてしまったらしい。

 これはもう俺一人だけの問題ではなく、そして俺一人でどうにかなるものでも――どうにかしていいものでもないというのに。

 俺は観念して、スマホのメッセージを美咲と凜花さんに見せた。

 通知元、そしてそのメッセージを読んだ美咲の表情が強張る。

「蒼真兄さん……!」

 そう。

 あの日、蒼真さんに投げかけられた数々の問い。

 それへ返答せよ、と言われたのだ。

「よくも抜け抜けと……!」

 ぎり、と美咲の歯の奥から音がした。

「落ち着け、美咲」

「だって、幸人さん!」

「落ち着いて、美咲」

「凜花お姉ちゃんまで!?」

 二方向からなだめられ、驚きで表情を染める美咲に、俺の内心は微笑ましさに満たされた。

 そのまま、ぽんぽんと美咲の頭に手を伸ばしてしまう。

「怒ってくれてありがとう。美咲が代わりにそうしてくれたから、俺はもう大丈夫だ」

 それは本当のことだった。

 何も回答のあてがないのに、心は澄んでいる。

 面と向かって視線を合わせられたからか、それとも頭を撫でたからか。

 美咲は怒り以外の感情で落ち着きをなくし、顔を赤くしていた。

「そ、それはまあ。か、家族のことだし。ごめんなさい、蒼真兄さんが」

「それこそ美咲が謝ることでもない」

 しかし、と俺は思う。

 先ほどメッセージを確認した時のような追い詰められたような心境は去ったが、かと言って対策――具体的な返答を思いついているわけではなかった。

 以前は高級料亭での会食、次はどこになることやら。

 そう思っていると、凜花さんが首を傾げた。

「いつ、どこで、とは言われた?」

「あ、いや、それは特には」

 思いがけない指摘に、スマホに視線を落とす。

 そこには返答を求める旨があるだけだった。

「……ふうん」

 美咲は無表情に反応した。

 細めた目が、何か不穏な空気を発している。

 そしてその唇から漏れた吐息は冷たかった。

「選ばせてやる、そこに行ってやる、というわけね?」

 分析の仕方が物騒だった。

 それに、俺は思わず苦笑する。

「猶予をくれたってことだろ」

「幸人さんは好意的に見すぎよっ。そんなところも素敵だけどっ!」

 怒っているのか何なのか、よくわからないが。

 俺は首を捻った。

「招待していい、っていうことなんだろうか。いつでもいいのか?」

「そうなんでしょうね。今すぐここに、って言ったら来られるのかしら」

「それは急すぎ。もてなす用意はあるけど」

「あんなのにお姉ちゃんのもてなしは上等すぎるわよ!」

 凜花さんの思案気なセリフに、即座に却下を言い渡す美咲だった。

 家族だからなのか遠慮がない。

 そこに陰湿な空気は感じず、俺はそれに対しては、よかった、と思うのだった。

「とりあえず、少し休憩する?」

 小首を傾げる凜花さん。

 正直、その申し出はありがたかった。

 気分的には楽だが、少し詰まっている印象だったのだ。

「……そうね」

「ん。お茶淹れる」

「いつもありがとう、凜花さん」

「まるで妻への感謝」

「お姉ちゃん!?」

「冗談」

「笑えないわよっ!?」

 美咲の手痛い評価によろめきながら、凜花さんは台所へと消える。

 少し静かになった空間を埋めるように、美咲がテレビをつけた。

 番組の間なのか、CMが流れ出す。

 俺はそれを少し意外に感じた。

「お嬢様だってテレビくらいは見るわよ?」

「それもそうか」

 思っていたことを言い当てられ、頷く俺。

 なんでもないやりとりに、そっと微笑む美咲。

 ふと思う。

 なんだ、ちゃんと同じ世界にいるじゃないか。

「あ、この曲」

 ぼうっとしていると、美咲の声に誘われてテレビに視線を向ける。

 聞き覚えのある曲をBGMに、コンサートイベントの案内が流れていた。

「ああ、もうそんな季節か」

 それは毎年行われる、多数の観客が招待されるコンサートイベントだった。

 そこで、思いつくことがあった。

 美咲に向くと、目が合い。

 俺たちは頷きあったのだった。



「本日は、お招きいただき感謝する」

「こちらこそ、ご足労いただきましてありがとうございます」

 蒼真さんと俺の挨拶が交わされる。

 作戦会議から一週間後、とあるコンサートホール――のVIPルームに俺たちの姿はあった。

 ネイビーのスーツの俺の隣には美咲。

 美咲は薄桃色のカクテルドレスに、上からアイボリーのストールを羽織っている。

 これらを仕立てるのに一悶着あったが――それは今は置いておく。

 対して、蒼真さんはやはり堂々とした佇まいに相応しい上等なスーツ。

 しかし華美は感じさせず、品位を伝えてくる。

 やはり表情を動かさない蒼真さんの瞳が、静かに美咲をとらえた。

「久しぶりだな、美咲」

「ええ。元気だった? 兄さん」

「ああ」

 言葉少ないやり取り。

 美咲は隔意を感じさせるような貼り付けた笑みだった。

 それが蒼真さんにはどう映っているのかはわからないが、俺が感じたのは二人の間にある無機質さだった。

 そこに少しのもの悲しさを感じていると、蒼真さんが俺の方に顔を向けてきた。

「回答は鑑賞の後、ということかな?」

「はい、そうです」

「そうか」

 肘に添えられた美咲の手の強張りが伝わってくる。

 前回は会食の後に質問を突きつけられた。

 それは美咲に話しているから、ただ頷いただけの蒼真さんに怒りが再燃したのかもしれない。

 俺はその美咲の手をそっと押さえながら、蒼真さんに席に座るように促す。

 この部屋はVIPルームという名に相応しく、ステージ横すぐに据えつけられていて臨場感を楽しむことができる。

 窓ガラスに対してソファーが横並びになっていて、俺と美咲、蒼真さんが微妙な距離を置いて腰掛ける。

 蒼真さんは長い足を組んだ。

「さて、どんな曲を聞かせてくれるのやら」

 この部屋への専用ルートを通って来るように招いたので、どんな曲が演奏されるかは蒼真さんには知らせていない。

 やはり蒼真さんは表情が動かないので、そのことに対して不平でもないかといらぬ気を回してしまう。

「……割と楽しみみたいね」

 すぐ横に座った美咲が、計るように蒼真さんを見ながら囁きかけてくる。

「……あれで?」

「昔からわかりにくいのよ、蒼真兄さん」

 と言いながら、少なくとも美咲本人は蒼真さんの意図が多少なりともわかっているようである。

 と、しばらく待っていると、ステージ上の楽団の準備が整い、指揮棒が振るわれた。

 荘厳なオーケストラによる、空気を震わせるオープニングテーマ。

 圧巻のそれに、俺の心中の色々は、一瞬で高揚に塗り替えられた。

「ひゃああっ……!」

 美咲も小さく感激の悲鳴をあげた。

 指揮棒が跳ね上がるにつれ、高揚はさらに高鳴っていく。

 気づくと俺も美咲も身体にリズムを取らせている。

 クッション性抜群のソファーはそのすべてを吸収した。

 そうして一曲目が終わり、俺と美咲は一心不乱に拍手。

「す、すごい。興奮しちゃった」

「俺もだ。腹の底まで響いてきたな」

「わ、わかるわかる」

 口々に言いたてる俺と美咲。

 ふと、横合いから響いてくる拍手。

 それは蒼真さんのものだった。

 オーケストラが奏でる素晴らしい音楽に対しての、掛け値なしの拍手。

 しかし表情はどこか不可解そうで――それが俺にも垣間見えた。

「……ふむ?」

 首を傾げる蒼真さんを置いていくように、次の曲へ。

 日常を思わせる軽やかなテンポを、フルートや弦の柔らかな旋律が紡いでいく。

 先ほどの高揚を落ち着かせて、それでも静かに身体が揺れる。

「……ほお?」

 腕を組んで聞き入る蒼真さん。

 その指先はリズムを刻み、浸っているように見える。

 それが終わり、次の曲へ。

 猛々しさ、しかしどこか悲壮感を含む音符の列だった。

 多めの打楽器が興奮を呼び起こすのに、どこかにもの悲しさが潜む。

 相反する側面の曲に、蒼真さんは瞳を瞬かせていた。

 そうして、次はしっとりとしたインストゥルメンタルを思わせる曲へ。

 昂った気分を、どこか寝かしつける響きへと変調していく。

 だからというわけではないだろうが、蒼真さんは目を閉じて聞き入っているようだった。

 それは美咲も同じで、うっとりとしている。

 と思ったら、一転して不穏な曲へと打って変わり、美咲と蒼真さんは起こされたように若干跳ねた。

 そのさまが兄妹を思わせ、俺は一人笑いを忍ばせる。

「こ、この曲あれね? あそこからのあれね?」

 不穏な曲だというのに、どこかわくわくした表情を美咲が向けてくる。

 俺も似たようなものだった。

 ふと視界に入ってきた蒼真さんは、不思議そうな気配をまとっている。

 そうして、緊張感が最大にまで高まった曲は劇的に変調し――逆転劇を想像させる音調へと変貌する。

「おおお……!」

 その曲がかかったシーンを想像し、手に汗を握る俺。

 それは俺だけではなく美咲も同じ。

 眼下の観客席も、身を乗り出す人たちであふれていた。

 そうして、その曲は勇壮に指揮棒が振り下ろされることによって、終わりを告げた。

 一瞬後、ホールに響き渡る万雷の拍手。

 もちろん、その中には俺たちも入っている。

 それを満足そうに受ける指揮者、演奏者たちが一礼し。

 ステージの照明はゆっくりと落とされていった。

 熱が冷めやらぬ観客たちに降り注ぐのは、第一部終了のアナウンス。

 俺と美咲はそれを聞いて、やっと前のめりな姿勢を落ち着けられた。

「うう、か、感動したわ。鳥肌立っちゃった」

「俺もだ。すごかったとしか言いようがない」

 口々に感想を言い合う俺と美咲。

 ――ふと、視線をやると。

 思案気な蒼真さんがそこにいた。

 どこか居心地が悪そうに、天井を仰いでいる。

 思った通り。

 俺たちが招いたコンサートの構成曲たちは、蒼真さんが一つも心当たりがなさそうだった。

 前哨戦と言えるこれが、少しでもこちらに天秤を傾ける材料となればいいのだが。

 ――そうして、少しでも何かを伝えられれば。

 そう思う俺の視線に気づいたのか、蒼真さんは気を取り直したように立ち上がる。

 それを受け、俺と美咲も立ち上がった。

「……幸人くん一人かと思っていたが?」

 静かな蒼真さん。

 そこに不満の色はなく、ただ疑問のようだった。

「俺たち二人への質問と受け止めました。なら、美咲にも回答の権利はあるはずです」

 俺の物言いに、顎に手を当ててしばし考える蒼真さん。

 傍らの美咲の様子を窺うと、こちらも静かなものだった。

 しかし俺にはそれが、なんとなく火山の噴火前と思えて仕方がなかった。

「……そうかもしれんな。では、回答を聞かせてもらおうか」

「それじゃ、まずはあたしから」

 蒼真さんが美咲へと視線を移す。

 それを待ってから、美咲は口を開いた。

「いくら出せば、幸人さんとあたしの仲を認めてくれるのかしら?」

 俺は絶句した。

 蒼真さんの変化はわずかで、目を見開いただけだった。

 しかし、動揺を気取るには充分な動きだった。

「お、おい、美咲?」

 慌てて美咲を見下ろす俺。

 しかし、そんな俺にかまわず美咲は――好戦的な笑みを蒼真さんに浮かべた。

「いくら出せば別れるか――そんな問いを幸人さんにしたそうじゃない。だから、こちらにもその権利があるはずね」

「待て、美咲」

「なに、蒼真兄さん?」

「金の話では」

 どこかうろたえたかのような蒼真さん。

 対して美咲の目は細くなった。

 いや、据わった――という表現が似合う表情を浮かべた。

「へえ? 自分は同じことを聞いたのに?」

「む」

 確かに聞かれたが、まさか馬鹿正直に打ち返すとは。

 俺の内心の驚きを置いて、美咲は畳みかける。

「で、いくらなの? 何千万? それとも何億?」

「む……」

 かろうじて、後ずさりすることはこらえているかのような蒼真さん。

 と、その時、どこかためらいがちにドアをノックする音が響いた。

「……来たようだ」

「誰?」

 静かにドアに首を巡らせる蒼真さんに、舌打ちせんばかりの美咲。

 しかし、俺のほうこそ、ほっとしていた。

 が、同時に疑問にも思った。

 ここに招いたのは蒼真さんだけで、ほかの来客はないはずだ。

 俺たちの疑問に構わず、蒼真さんはドアに向かって声をかけた。

「入ってくれて構わない」

「兄さん?」

 咎めるような美咲の前で、ドアが開く。

「こ、こんにちは。お邪魔します」

 声とともに部屋に入ってきたのは。

「えっ……。幸人さん……? と、ええ? りゅ、竜禅寺さん……っ?」

 戸惑った声と、好青年ぶりを引き立てるシンプルで品のある黒いスーツに包まれた彼は。

「悠里くん……?」

「田坂くん……?」

 俺も親交があり。

 そして、美咲も面識があるらしき田坂悠里くんだった。

 その彼の登場に、先ほどまでの美咲の勢いは削がれ、俺も戸惑う。

 悠里くんも戸惑いは同じようで、その視線が蒼真さんに向かう。

 蒼真さんは悠里くんのそばに寄ると、彼を紹介するようにこちらに向き直った。

「面識があるようだが、改めて紹介しよう。田坂悠里くんだ。美咲の婚約者としてどうかと思い、招待させてもらった」

「……はあっ!?」

 蒼真さんの紹介に、真っ先に驚きの声を上げたのは当の悠里くんだった。

 状況が飲み込めない顔で、悠里くんは蒼真さんに詰め寄った。

「な、何のお話ですか!? 僕は今日、父から大事な話があると聞いて来ただけですよ!? て、てっきり商談か何かだと思ってたのに……!?」

「それなら君のお父上に通す。君は美咲を好いているのだろう? ちょうどいい機会だと思ったのだが」

「……な、なあ……!?」

 蒼真さんの暴露に、顔を――おそらく恥ずかしさで――紅潮させて、美咲を窺う悠里くん。

 俺の脳裏に、悠里くんが以前言っていた「気になっている子がいる」という話が思い浮かぶ。

 口ぶりから同じ学校の女生徒だと思っていたが、まさかそれが美咲なんて――。

 考えが視線を動かしたのか、美咲が視界に入る。

 美咲は目を見開き、唇を真一文字に結び――蒼真さんを睨みつけていた。

 そうして、決定的な一言をぶつける。

「あたしが好きな人は幸人さんよ」

「――え」

 蒼真さんはただ静かで。

 ひび割れたような声は、そこからではなく悠里くんから聞こえてきた。

 そこから俺は、逃げられず。

 また――逃げる気もなかった。

 まさか、という視線が俺へと突き刺さる。

 俺もまた、どこか納得したように、確かめるような視線を投げかける。

「――そうか。『いつも凛としていて、芯が通っている。立ち姿が美しくて、堂々としている』――と、君は言っていたのにな」

 以前、悠里くんはそう評していた。

 その時に、なぜ気づけなかったのだろうか。

 それは美咲の一面で、俺はよく知っていたのに。

 俺の反応だけで察したのか、悠里くんは顔を伏せた。

「さて、これで状況は各自、把握できたかと思う」

 そこに通るのは、蒼真さんの動じない声だった。

「その上で、俺は美咲の相手に田坂悠里くんを推す。同じ世界観の持ち主だ、幸人くんよりうまくやれると思うが?」

「お断りよ……!」

 また「世界」。

 何度も俺を苛むそれは、またもや姿を現した。

 美咲はすぐさま、それを否定する。

 それはただ激情から来るものではなかった。

 その証拠に、俺の肘に添える手にかかる力は、ひどく優しい。

 それでもその瞳に宿る熱は間違えようもなく、マグマのように苛烈だった。

 しかしそれを受けても、蒼真さんは涼しい顔だ。

 傍らの青年を見下ろし、そちらに問いかけの対象を移す。

「君はどうだ、悠里くん。いい話だと思うが」

 それに対する、悠里くんの返答は――。

読んでくださり、ありがとうございました。

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また、「拝啓、○○に出会いました。」という王道冒険ファンタジー小説も掲載しておりますので、よろしければぜひ。

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