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ストーカー系女子とアンニュイ系男子の攻防戦  作者: 緋色
六章

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36/54

其は真実也や

「君が寺島幸人くんか?」

 そう声をかけられたのは退勤直後、まだ会社のビルが背中にある時だった。

 以前にもこんなことがあったな、と振り返ってしまう。

 それは美咲であったり、千佳であったり、美咲の婚約者候補であったり、美咲の父の高峰さんであったり。

 五人目であるこの人はいったい何者だろうか、と思って眺めやる。

 精悍な顔立ちで、俺よりかは幾分か年上の青年で、まとっているスーツや腕時計が品を感じさせる。

 スーツが高峰さんを連想させ、仕事ができる男に結び付く。

 表情は硬く――と、俺がこうも相手を観察していられるのは、何度目かの邂逅で場慣れしたからというのもあるが。

 相手もこちらを値踏みしてくるような視線だからで、ならこちらも、と思ったからだ。

 それに気づいたのか、彼はその視線をやめ、俺をまっすぐ見つめてきた。

「失礼した。美咲の兄、竜禅寺蒼真(そうま)という」

「美咲の!?」

 その飾り気のない自己紹介に、俺は返って驚いてしまった。

 それをどう取ったのか、美咲の兄と語った男性は、懐から長財布を取り出した。

「疑問ということであれば、免許証なりなんなり見せるが?」

「い、いえ、そこまでは。こちらこそ失礼いたしました、寺島幸人です」

「いきなり声をかけて悪いな」

 蒼真さんは、免許証が収められているであろう長財布を懐にしまった。

「話があって呼び止めさせてもらった。アポイントメントもなくて悪いが、少し時間をもらえないだろうか」

「……美咲さんのことでしょうか」

「察しがよくて助かる、その通りだ。して、返答は?」

「……わかりました」

「ありがたい。そこに車を停めてある」

 案内されたのは黒塗りの車だった。

 二人して後部座席に乗り込むと、車はすぐに走り出す。

 緊張感に包まれた俺だったが、蒼真さんはそうでもないようだった。

「食べられないものはあるか?」

「いえ、特には」

「日本酒は?」

「……飲めるほうだと思います」

「好きか?」

「ど、どうでしょう。あまり飲んだこと自体ないもので」

「そうか」

 畳みかける、ということではないのだが。

 蒼真さんはほとんど表情が動かない。

 それは凜花さんを連想させるところだが、彼女が柔らかさを感じさせるのに対し、蒼真さんは終始硬い。

 顔をしかめているわけではないのだが――それが普通のような。

 車が動きを止め、降りるように促される。

 そうして広がった光景に、俺は足が竦んだ。

 大きな門構えの料亭が、そこにあった。

「そ、蒼真さん。ここは?」

 あまりの場違いさに、声の震えを自覚する。

 蒼真さんは俺の問いに、初めて表情を動かした。

 不思議そうに、首をかしげたのだ。

「今日の会食の場だが」

 当然のように言う。

「そういうことを聞きたいわけじゃ……!?」

「何を言いたいのかはよくわからんが、入ってからにしてくれ。俺も時間が押しているのでな」

 迷いなく足を進める蒼真さんに、まさか帰るわけにはいかず着いていくしかない俺。

 店というより屋敷という佇まい、案内してくれる人の物腰の丁寧さに恐縮しつつの俺に対し、蒼真さんは堂々としており。

 俺は格の違いを終始見せつけられているようだった。

 そうして通されたのは、差し向かいに酒が用意された日本間だった。

 遅まきながら、俺は気づく。

 これほどの店、料理が予約なしであるはずがない。

 俺が断らないと思っていた。

 そう考えないとつじつまが合わない。

「楽にしてくれ」

 そう言われたが、ますます緊張感は膨れ上がるばかりであった。

 そうしながら、先に着席した蒼真さんの前へ。

 意外にも掘りごたつで、足が窮屈でないことは救いだった。

 落ち着くように心を整理していると、先にとっくりを手にされてしまった。

「それでは、まずは一献行こうか」

「あ、はい、すみません」

 俺がお猪口を持ち上げると、そこに透明な液体が注がれる。

 代わろうと思ったタイミングで、蒼真さんは手酌で注いだ。

「落ち着け、何も取って食おうというわけじゃない」

 気づけば、俺のお猪口の水面は揺れていた。

 それを見こされた上での手酌と言葉だったのか。

「腹を割って話をしたいだけだ。が、まずは腹を満たすのが先――の前に、一献だったな」

 差し出されたお猪口に、震えを抑えてこちらも合わせる。

 慌てていて味もわからないだろう、と思ったが――なめらかな辛口に、軽く驚かされた。

「美味しい」

 思わず、の声に蒼真さんは頷き、軽く二回手を叩いた。

 それを待っていたかのように運び込まれてくる料理の数々。

 それは刺身を中心としたもので、おそらく俺が知っているものとは桁が違うのだろうな、と思わせるほどの鮮やかさだった。

 給仕してくれる人が産地を説明してくれるものの、俺は頷くことしかできず。

 なのに蒼真さんは、それに対して前年の比較をするなど話題豊富に返し。

 その事実が俺を赤面させ、味をわからなくさせる。

 結果として腹が膨れたかどうかもわからず、再び食後の酒となった。

「では、そろそろいいかな。美咲のことだ」

「あ、はい」

「いくら出せば別れてくれる?」

 何を言われたかわからず、思考が停止した。

 蒼真さんを見返すと、静かに待つ姿勢だった。

 それはつまり、俺に質問をしたということで。

 さっき言った言葉は、聞き間違いではなかったことを示している。

 俺は、お猪口を置いた。

「……どういうことでしょうか」

 それは、沸騰する心を抑えるためのものであった。

「あまり時間はない、と言ったはずだが?」

「答えて頂きたい」

「なるほど。先ほど、察しがいいと言ったのは撤回しよう」

 俺は、テーブルの上の食器を払いのけないようにするために、相当な労力を必要とした。

 なのに、蒼真さんの表情は、初めて会った時と全く変わらない。

「美咲と付き合うということは、このような場に訪れる機会が何度もあるということだ。その度に君は、美咲に恥をかかせる気かな」

「そ、れは」

 俺の怒りは急速にしぼみ。

 先ほどからの右往左往を指摘され、俺は顔から火が出そうなほどだった。

 まただ。

 考慮不足、準備不足。

 なんでもいいが、俺は美咲と付き合うという事実を、どこか軽く考えている。

 二人の気持ちがあれば大丈夫。

 そう思っていたことが、これほどまでに脆いなんて。

 つまり、先ほどの問いかけは。

「せめて君に恥をかかせないように、という気遣いだったのだが」

 そういうことなのだろう。

「経済力、包容力、家柄、後ろ盾、血縁、すべてなし。それでどうやって、美咲と生きるつもりだったのか。俺のほうこそ答えて頂きたいくらいだが」

 淡々としていて、表情に変化はない。

 だからこそ俺はまだ顔をあげられているが――それに一言も答えられない。

 それに失望したように、蒼真さんは腕時計に目を落とした。

「――時間だ。申し訳ないが、俺はここで失礼する。ああ、支払いはすでに終わっているので、気にすることはない」

 ただ事実を語っているだけなのに、それが俺の身体を重くしていく。

 蒼真さんは立ち上がって、スーツの前を整えると、俺を見下ろした。

 俺ができるのは、それをにらみ返すことだけだ。

 しかし蒼真さんがそれを意に介することはなく。

「それではな。色よい返事を期待しているよ」

 そう言い、堂々とした足取りで去っていった。

 その背中が視界から消えて、俺はようやく視線を落とすことができた。

「美咲と生きる」

 その意味の重さを、俺はまざまざと突きつけられたのだった。



 あの日、俺はどうやって帰ったのか覚えていなかった。

 気が付けば自分のアパートの前に立っていて、半ば自動的に扉をくぐり――自分の部屋のみすぼらしさに唖然としてしまった。

 別に不潔でもないし散らかってもいない。

 しかし狭く質素で、もちろん蒼真さんに連れられていった料亭などとは比べるまでもない。

 こんな場所に美咲を来させてずっと平気でいたなんて、身につまされる思いだった。

 美咲の母親の玲仁さんが来た時、そのやりとりは玄関先で終始した。

 当たり前だ、うちに着物の女性をもてなすような配慮なんてない。

 それもあって、玲仁さんはそれ以上のやりとりを拒んだ、ということもあったのだろう。

 どうしようもないとはいえ、俺はその生活環境に頭を抱えてしまうのだった。

 とはいえ、日々は待ってはくれない。

 俺は出社し、デスクに向かい仕事をし、そうして今日は滝原課長と連れ立ち提携先への打ち合わせ。

 こうして無難に過ごすしかない――これでいいのか、と思いながら。

 そんな精神状態でも、打ち合わせでは必要事項をすり合わせ、質疑応答をこなせるというのもどうなのか。

 結局、円をぐるぐる描いているだけで、どこにも行けていない。

「で、寺島くんに確認したいことがあるんで、ちょっと来てくれる?」

 そう声をかけられたのは、打ち合わせも終わって挨拶が交わされそうなタイミングだった。

 それは打ち合わせで中心となっていた、提携先会社社長の鏑木(かぶらぎ)さんだった。

 俺より少し上の年齢だというのに、ベンチャー企業を立ち上げて今も上昇気流真っただ中、という新進気鋭の人物。

 だというのに、髪は申し訳程度に整えているだけ、シャツの上にジャケット、ハーフパンツにスニーカーといういで立ち。

 今風といえばそれまでだが、一貫して軽薄な態度が目立っていた。

 隣に座していた、副社長と紹介されたクールな女性が時折咎めるような視線を送っていて、あまり礼儀に精通しているわけではなさそう。

 そんな人物が俺だけに声をかけてきたことに、疑念と不信を覚える。

 俺はそれを態度にも声にも出さなかったが、答えたのは滝原課長である。

「寺島に何か?」

 そう聞くのも当然で、俺が何か失礼をしていたということであれば、それは上司である課長の責任となる。

 俺もその可能性に思い当たり身構えたが、返ってくるのは、へらり、とした笑みであった。

「同年代の技術者の見識に興味がありましてね。談義に乗ってくれるとありがたいんですが」

 その申し出に、色々と内心で駆け引きを働かせたのだろう、俺に視線を送ってくる課長。

 小さく頷きを返す俺を見て、滝原課長は鏑木社長に了承の意を伝えた。

「わかりました、ご鞭撻のほどをお願いいたします。寺島くん、今日は直帰でいいからね」

 前半を鏑木社長、後半を俺に向けての課長だった。

「そりゃよかった! じゃあこっちこっち! あ、(さえ)、コーヒーお願いね!」

「……承知いたしました」

 副社長という人物にコーヒーを注文することに、内心のけぞる俺。

 そんな俺を尻目に課長はその場を辞し、鏑木社長は奥へ手招き。

 クールな副社長は、言われたとおりにコーヒーを淹れに行ったのか、別方向へと歩き去る。

 俺は鏑木社長に着いて行きながら、既視感に包まれていた。

 ――まさかな。

 そう思いつつ辿り着いたのは、おそらく社長室。

 しかし、デスクこそ立派でごついデスクトップパソコンがあるものの、そこかしこに奇妙なオブジェが置いてあったり、どこか内装が南国を思わせた。

 その中で普通のソファに招かれると、俺は鏑木社長と対面して座ることになる。

「ありがとうね。改めまして、鏑木桐也(とうや)だ」

「寺島幸人です」

「とは言っても、君には竜禅寺桐也と名乗った方が早いかな?」

「……!」

 俺は目を見開いた。

 不意打ちもそうだが、つい先日の蒼真さんとの会食が脳裏に蘇る。

 あの圧を思い出し、手が震えていやな汗が滲む。

「ま、まさか」

 声も震えるありさまだ。

 だというのに、鏑木社長――桐也さんは、へらり、と笑う。

「あー、その様子だと、もううちの誰かに一撃もらっちゃった感じかな?」

 一撃どころではない。

 玲仁さんにも、蒼真さんにも、叱責に近い――いや、それ以上の指摘を受けた。

 また、自らの不備に苛まれるのか。

「――どうして、俺のことを」

 そんな聞き方になったのは、俺の悪あがきなのか何なのか。

 それに、桐也さんは吹き出した。

「どうしてもなにも、うちの間じゃ君の話題で持ち切りだよ! とうとうあの美咲にお相手が現れた、ってね!」

「……?」

 俺は自分が話題となっていることより。

「あの美咲」

 そう表現されたことが気になった。

 俺の感情の温度を読み取ったのか、桐也さんは笑いを収めると、目を細めて俺を見た。

「怖くないか、あの子?」

 そうしてその口からこぼれたのは、思いもかけない質問。

 俺は頭の中で結びつかず、やや間抜けに質問し返してしまった。

「……それは、美咲のことでしょうか」

「そう。俺の妹の、美咲」

 どこか確かめるかのように、桐也さんはいう。

「……怖い、とは?」

 またもや聞き返してしまった俺に、桐也さんは片眉をあげた。

 そうして、俺をしげしげと見やってくる。

「ほうほう、なるほどねえ?」

 それどころか、わざわざ口にも出す。

 俺は戸惑いを大きくするだけだ。

「……あの?」

「いや、わかった! 納得納得!」

 桐也さんは突然、膝を打って立ち上がった。

 浮かぶ表情は満面の笑みで、満足そうにしていた。

「オーケーオーケー、問題ない! 俺は君らのこと、全面的に応援するよ! とは言っても何していいかわかんないけど!」

「は、はあ?」

「というわけで、終了! インスピレーションが湧いたんで、出て行ってくれるかな!?」

 桐也さんは慌ただしくデスクに陣取ると、モニターを睨みつけるように笑いながら、キーボードを激しく叩き始めた。

「な、何なんだ……?」

 俺は呆気にとられながらも、すでに俺のことなど眼中にない桐也さんにある種の不気味さを感じ、それに押されるように退室した。

 狐につままれたように、呆然と部屋の外で立ち尽くす俺。

「――間に合わなかったか」

 と、そんな声が聞こえてきた。

 振り返った先にいたのは、先ほど桐也さんにコーヒーを頼まれていた、冴と呼ばれていた副社長の女性だった。

 その手には二人分のコーヒーを乗せたトレーがあり、指示の跡が見える。

「す、すみません。な、なにかはわからないのですが」

「いえ、大丈夫です。どんな会話があったか、大体想像がつくので」

 申し訳なさにかられて謝った俺に、予想通り、と言わんばかりにため息をついたその女性。

「大方、自分勝手に納得して全部放り出したのでしょう」

「そ、その通りで」

 言い当てられ、俺はそう頷くしかなかった。

 その女性はもう一度大きくため息をつくと、用を果たさなくなったコーヒーを見下ろし、少し考えると俺に視線を運んだ。

「少し、付き合ってもらってよいでしょうか。あなたも落ち着く時間が必要かと思いますので」

「……はあ。俺でよろしければ」

 と言いつつ、休憩がてらこのコーヒーを消費する口実がほしいのだな、と結論付けた俺。

 嵐のような桐也さんに当てられ、落ち着かないのは事実なのでご相伴に預かることとする。

 そうして案内されたのは、こじんまりとした応接室。

 対面に腰を下ろすと、揃ってコーヒーを口にする。

「……おお」

 コーヒーの風味に、思わず声が出た。

 ドリップなのか、芳香が強く、苦みと酸味がちょうどいい。

 俺は亨の淹れてくれたコーヒーを思い出し、やっと落ち着けた気分だった。

 その俺の様子は望んでいたもののようで、その女性の顔に小さく笑みが浮かぶ。

「美味しいでしょう? いい豆を使っているので。……なのに、あいつと来たら」

 セリフの最後に、恨み言が滲んだようだった。

 唇が引き結ばれ、視線がどこか別の場所を薙いだようだった。

「……あいつ?」

 つい口にすると、途端にその女性がばつの悪いものに染まる。

 そうして、視線をさまよわせ――諦めたかのようにため息をつくと、ためらいがちに俺を見た。

「……もうプライベートな時間と思っていいだろうか。あいつ――桐也のことも、説明しておきたいと思うのでな」

 その端正な顔、唇から放たれたのはぶっきらぼうな口調だった。

 俺はそれを意外に思うことはなかった。

 クールな佇まいといい、とても似合う雰囲気で、さきほどまでの口調に違和感があったほどなのだから。

「……ええと」

 俺は改めて、この女性の名前がうろ覚えだと気が付いた。

 そうして、ふと首からぶら下がるストラップ、その先の社員証に視線が落ちた。

 鏑木冴、とあった。

 俺のその視線に気づいたのだろうか、鏑木冴さんはその社員証を胸の高さで示してみせた。

 と同時に、その薬指に光る指輪も目に入る。

「改めて、鏑木冴だ。一応あいつ――鏑木桐也は、私の夫をやっている」

 それは何への抵抗だろうか。

 妙な言い回しで関係を説明した冴さんは、少し顔を赤くしていた。

 冴さんは咳ばらいをすると、羞恥の元を引っ込めた。

「けったいなやつで失礼した。あいつはビジネスとプライベートが一緒くたになった面倒くさいやつでな。私がいつもどれほど苦労していることか――いや、そうではないな。とにかく、謝罪させてほしい」

「い、いえ、そんな」

 きっちりと頭を下げてくる冴さん。

 というか、俺はさっきから何をしているんだ。

 意味の通った言葉も言えず、戸惑ってばかりじゃないか。

「……いえ。少しお話させていただいただけですし、謝られるようなことは何も。ですので、頭を上げてください」

「……感謝する」

 これ以上は逆に失礼と思ったのか、すんなり言う通りにしてくれて助かった。

「しかし、桐也さんのことを説明とは……?」

「うん。あいつはあんなのなので、上手くは説明できなかったとは思うんだが」

 いささか辟易した顔で、冴さんは語りだし。

 そうして、俺を射抜くような静かな視線で見やってきた。

 俺は、不思議とそれに気圧されることはなく。

「試すようなことを言われなかったか?」

「……試す?」

 桐也さんとの短い会話を思い返す。

 そんなことは――いや、あった。

「美咲が怖いか? と聞かれました。それでしょうか……?」

 言ってから、「美咲」と名を出してしまったことに気づく。

 それは良かったのか、この返答でよかったのか。

 さほど自信のない俺の確認に、冴さんはしばらく俺をじっと見つめ――頷いた。

「そうか。それで君は、(いな)、と答えたのだな」

「あ、いえ」

 俺の返事が意外だったのか、冴さんは、きょとん、とした。

 そのしぐさを可愛らしく思ったが、なんとなくそんな場面ではないと思ったので、表には出さずに説明する。

「何を言われているのかわからなくて、疑問に思っているうちに、なにやら納得されてしまって」

「……なるほどな」

 どこか気が抜けたように、冴さんは椅子の背もたれに身を預けた。

「あいつは、それはそれは喜んだ――というか、浮かれただろうな」

「よくおわかりで……?」

 桐也さんと冴さんの態度がよくわからず、俺には疑問符だらけだ。

 しばし目をつむっていた冴さんだったが、背もたれから身体を離すと、コーヒーで喉を潤した。

「プライベートということで少し昔語りをしてしまうが、聞いてくれ。私とあいつは幼馴染でな。当然ながら、美咲くんのことも小さな頃から知っている」

 美咲くん、とはまた独特な呼び方だが、この人にはぴったり合っている気がした。

「だから、彼女の聡明さ、頭の良さ、手管――まあ、表現はなんでもいいが。とにかく、彼女の凄さはよく知っている」

 そうして、冴さんは俺を計る目つきで見た。

「君も、その片鱗くらいは目にしているのではないか?」

 ――知っている。

 出会いは、雨の日に濡れたあいつに傘を渡したこと。

 それだけだったのに、少ない手がかりから俺を突き止め、家まで会いに来た。

 俺のことをどこまで知っているのか、いつも居場所に的確に表れ。

 かと思ったら突然モデルになるなんて言い出して、またたく間に時の人。

 その人気は衰えるどころか鰻登りで、今度はドラマの主演になったと聞く。

 細かく上げても、お茶やお華などの習い事をこなし、株の運用で利益を出し、複数の言語に通じ、それをひけらかすでもない。

 ――まるでできて当然のように。

 ――気負うことなく。

 ――呼吸をするかのように。

 それこそ、表現には切りがないだろう程に。

 けれど、そこまで振り返っても、俺の心に負の感情が湧くことはなかった。

「――カッコいいやつだな、とは思います」

 結局、俺にはそんなことは関係がなかった。

 あいつの姿勢、勇気、優しさ、ひたむきさ、頑張り屋なところ――すべてが愛おしいだけだ。

 俺の言葉に冴さんはどこか呆然として、次いで、口元に小さな、優しい笑みを浮かべた。

「……そうか」

 そうして頷く。

「そう言えばよかったのか。私たちには、言えなかったな」

 その「私たち」には、誰が含まれているのだろうか。

「まだ子供のころはよかった。すごいすごい、と無邪気に素直にはしゃいで、褒めていればな。そうしてあの子は、当然のごとくそれに応えるために頑張った。――頑張ってしまった」

 冴さんの瞳は、どこか遠くを見ていた。

「元から才能の塊だったのだろうな。惜しみない努力はそれを磨きに磨きあげて、誰にも手を付けられないほどになってしまった。その延長のゲームですらもそうだ。そしてある日、あいつは――桐也はチェスであの子に負けた。カッコいい、一言そういえば良かったのにな。なのにあいつは怯えた表情で――なんて言ったかは、思い出したくもない」

 その場を実際に見ていたのだろう。

 冴さんは、それを止められなかった悔恨に――おそらく、囚われ続けている。

 それは、そうしてしまった、桐也さんもだろうか。

「それ以来、美咲くんはチェスをやめた。同時に、頑張ることも。誰よりも輝いていた瞳は、まるでくすんだガラス玉のようになってしまって――誰も、何も見通せなくなってしまった」

「けれど、美咲は」

「そうだね。君のおかげだ」

 感謝の表情なのに、そこには悔しさの微粒子が見て取れた。

「久しぶりに見た美咲くんは、昔以上に輝いていた。それはきっと、桐也も感じたこと。だから確かめたくなったんだと思う。誰が、どうやって、それを成したのか。――本当に、どうやったのか」

「――俺は」

 どう答えればいいのだろうか。

 俺よりも長く、深く愛してきたであろう人たちに。

 けれど結局、俺が言えたのはシンプルなそれだけだった。

「俺はただ、美咲を好きでいただけです」

「――そうか」

 冴さんは、視線を落とした。

「――それだけで、よかったのか」

 それは冴さんの言葉のようにも、桐也さんの言葉のようにも聞こえて。

 冴さんの唇が、微かに震える。

 俺は、それ以上その場にいるべきではない、と静かに席を立ったのだった。

読んでくださり、ありがとうございました。

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また、「拝啓、○○に出会いました。」という王道冒険ファンタジー小説も掲載しておりますので、よろしければぜひ。

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