場外:峯に瑠璃、咲き難く
――最近、自分はおかしい。
八重垣瑠璃子は、ふと、自分を振り返った。
きっかけはわかっている。
ダーリンこと、亨くんこと、藤井亨の過去に触れてからだ。
出身は孤児で、それから高校で寺島幸人と出会い、彼と親友になり、同じ道を進みたくて同じ大学へ。
その後の職場まで同じとは、友情以外の何かを感じそうではあるが、そんな邪推はしたければしろ、と言わんばかりの誇らしげな表情だった。
そして、その職場に今はあの人もいる。
そう、彼――藤井亨が初恋と語った、佐倉千佳が。
ちくり、と瑠璃子の胸の内に走る痛み。
それをごまかすように、静かに首を振って否定する。
もう、それは遠い過去のこと、と彼自身の態度が物語っていた。
それは催されたゲーム大会でも見て取れた。
少し、その時の彼と彼女の会話が旧知の仲で――それは当たり前なのに、見せつけられたようで。
どうしてか我慢できず、彼を引き連れてその場から離れた。
「――ちょっとはミサの援護をしてくれないっすかね」
そんな言葉で、苛立ちをぶつけたりもした。
彼は納得したような難しいような表情で、腕を組んで考え込むのだった。
「したいのは山々だが、援護がいるようには見えねえな。下手に介入したら、こっちがぶった切られそうだ」
それは確かに、瑠璃子からもそう見えた。
したたかな佐倉千佳に拮抗するどころではなく、年齢以上の言動で揺さぶるような余裕までありそうだった。
背伸びにしては堂々としていて、彼の言う通り、近寄ればどうなるかわからないありさま。
「まあ、あんまりやりあっても空気が悪くなるから、適度にブレーキはかけるけどな。つーかよ」
やれやれ、という空気を滲ませる亨。
「それを言うなら遠ざけろ、って話なんだが。あのお嬢さん、警戒どころか楽しんでねえか?」
その結論に、瑠璃子も思わず苦笑してしまう。
「否定はしないっす」
「だよな。駆け引きするタイプには見えねえが、なんつーか。凄み、みたいなもんがついた気がするな」
うまく言語化できず、もどかしさが見える亨。
けれど瑠璃子は、それは当たっているのだろう、と思う。
佐倉千佳の処遇については、瑠璃子は美咲から聞かされている。
「飼うことに決めたわ」
端的にそう言われ、瑠璃子は自分こそ切り付けられたように、身体を竦ませたものだった。
親友――美咲の表情はいつも通りで、力みも気負いもない。
ただ淡々と、盤上の駒の生き死にを決めるようだった。
その時、瑠璃子は自分がどんな表情をしていたかは思い出せない。
何も言えなかったことを覚えているだけだ。
「おい、どうした?」
僅かに心配そうな声音。
それとともに、触れるか触れないかまで延ばされた手のひら。
見えたのは、自分の手首にあるブレスレット。
そこに埋め込まれた小さな石が、仄かに光る。
瑠璃子はそれに元気づけられたように、
「なんでもないっす」
と笑みを浮かべて首を振り、亨の手を引いて、ゲーム会場となったリビングに戻ったのだった。
回想から戻ってくると、視界を埋めていたのは、開かれたスケッチブックだった。
手がずっと止まっていたのもあって、鉛筆は一本の線も描いていない。
諦めたようにため息をついて、瑠璃子はそれらをバッグにしまった。
顔を上げると、どこかからか戻って来たかのような錯覚に陥る。
ここは、とある喫茶店で、待ち合わせをしている。
入店から、すでに十分ほど経っていた。
そう思い返さないと、どこかに流されていきそうだった。
銀色のピアスに、自然と指が添えられる。
それが自分の意識を引き戻し――その耳に、慌ただしい足音を捉える。
そちらを見ると、カジュアルなシャツとスラックスに身を包み、せわしなくあたりを見渡す壮年の男性の姿があった。
「こっちっすー」
声をかけて手を振ると、満面の笑みがその男性の表情を彩る。
軽快な動きで近寄ってくると、瑠璃子がいたテーブル席の対面へと腰かけた。
そうして、大げさな動きで頭を下げる。
「遅れて申し訳ない!」
「いえ、大丈夫っすよ、高峰おじさん。いい女は先に来とくもんすから」
「はは、確かに! 瑠璃子ちゃんを表すのに、それ以上の言葉はないね!」
朗らかに笑う――竜禅寺高峰氏。
瑠璃子の親友、美咲の父親にして、世界を飛び回る凄腕ビジネスマン。
一代で財を築いた創業者だが、苦労など感じさせず、刻まれた皺は笑みのせい――と見えるのだろうな、と瑠璃子は思う。
高峰はメニューを開き、瑠璃子にすすめた。
「いや、それにしても暑いね! 私はこのかき氷にしよう。瑠璃子ちゃんはどうする?」
言葉通りに、流れる汗をハンカチで拭きながらの高峰。
そんなハイテンションを久しく思いつつ、瑠璃子も同じくそれを指差した。
「今はフラッペって言うんすよ。ほら、書いてるっしょ?」
「おや、ほんとだね! じゃあ、私もこのフラッペで!」
楽しそうな高峰。始終にこにこしていて、瑠璃子もそれに触発されて、少し浮つく。
やがて注文したそれが届くと、お互いせっつかれたように頬張って、特有の頭痛に苛まれる。
「はは、夏はこれだね!」
「そっすね」
上機嫌の高峰――しかし、瑠璃子はそれに全力で乗れない。
耐えきれなくなって、瑠璃子は手にしていたスプーンを置いてしまった。
「――報告が遅れて、申し訳ありませんでした」
「食べながらでいいかい? 報告は逃げないけど、フラッペは溶けちゃうからね」
変わらない調子の中に苦笑を滲ませて、高峰は瑠璃子を促した。
下げた頭をすぐさま上げさせられ、フラッペに向かわされる。
「いやあ、しかし。美咲も無理をしたものだねえ。まさか、デート中に倒れるとは」
――瑠璃子が遅らせた報告とは、それであった。
そんなことがあれば、すぐさま介入されてしまう。
そうなればそれは二人を引き裂くことになるかもしれず。
本当は握りつぶしたかった瑠璃子だったが、竜禅寺家の人々には数えきれない恩もある。
美咲との友情の間に揺れ、とうとう観念してその報告をしたのだった。
「紗月なんて、めちゃくちゃ怒ってたなあ。接近禁止令にまでこぎつけそうな勢いだったよ」
竜禅寺紗月。
弁護士にして、美咲の第一の味方を自認する長女の彼女なら、あり得そうな話だった。
「しかも、美咲は顔に怪我までしたんだって? それは幸人くんは無関係らしいけど、紗月は言って聞くような子でもないしねえ」
報告を迷って、結局は先送りにしていたその事実。
すでに知られていることに、瑠璃子の背筋に、じとり、とした汗が流れる。
それは今、舌鼓を打っている氷でなんとかできるものでもなく。
瑠璃子はつい、窺うような視線を投げかけてしまう。
「凜花じゃないよ? あの子はそんなことをいう子じゃないしね。――まあ、そこは置くとして」
高峰は、空の容器にスプーンを滑らせた。
それが何かの宣告のようにも聞こえた瑠璃子だった。
そんな瑠璃子と違って、高峰はただ、軽く言う。
「――お手並み拝見、というところかなあ」
「そ、それは」
口が回らない。
それを今まさに食べ終わった氷菓子のせいにしたかった瑠璃子だったが、そうではないのを彼女自身がよく知っていた。
「――おじさんは、何もしない、ってこと、っすか?」
「簡単に言えばそうかなあ」
のんきに見えるその態度。
それが逆に、瑠璃子には不安だった。
「う、うちは」
「ああ、別に遠ざけはしないよ?」
一番の懸念に、回答はあっさり出された。
信じられず、瑠璃子は高峰を凝視する。
護衛としてそばにいた自分が、意図的に報告を遅らせた。
その罰として、しばらく離されるくらいは想像していたのに。
しかし、その代わりに何が下されるのか、逆に恐ろしくもあった。
「ははっ。私はそんなに怖い顔をしているのかな?」
高峰は苦笑交じりであった。
そこで瑠璃子は、自分の状態に気づく。
視界が涙の膜で歪み、身体は冷え切り震えていた。
――引き離される恐怖が、全身を苛んでいた。
「瑠璃子ちゃんには、引き続き美咲を支えてもらわないとね。なにせ、総力を挙げて当たるべき事態だろうし」
「あ、ありがとうございます」
高峰の言葉に本音を感じ、ようやく瑠璃子は腕を抱きかかえることが――ブレスレットに手を添えることができた。
「ああ、なにせ――怖かったからねえ、玲仁さん」
それは、美咲の母の名で。
瑠璃子もよく可愛がってもらった、尊敬すべき人の名だった。
それは終始柔和な人で、人を温かくする配慮に満ちた人で、叱られたこともあるけれど、そこには確かな愛が見える。
そんな人が、怖い。
しかし、それを呟く高峰は、そんな彼女も愛おしい、と言わんばかりのうっとりとした表情だった。
「青桐月花を持ち出すとはねえ。いやあ、素敵だったなあ、凛としていて」
青桐月花。
それは青地に、桐、月、花があしらわれた着物の名。
ともすれば、統一感に欠けて不格好になるだけのその図案たちを調和させたそれは、見事の上、圧巻というしかない。
それはそうだろう、と瑠璃子は思う。
なにせ、それらの図案に込められているのは、彼女が愛する我が子たちの名なのだ。
それを身に纏うときは、彼女が我が子たちに支えてほしいと願う時。
そしてそれ以外は。
我が子を、命に代えても守ると誓った時。
それほどの覚悟を想像させられ、瑠璃子は一瞬、自分の首筋が冷えるどころか。
――落とされた光景を幻視した。
「まさに総力戦、ということか! 瑠璃子ちゃんにも、その分頑張ってもらわないとね!」
朗らかな高峰の声が、よりギャップを強くする。
楽しみで仕方がない、とでも言いたげで、瑠璃子はその意味をつかみかねる。
それが顔に出ていたのか、高峰は目を細めて微笑した。
「――美咲が過去を振り切ってくれるかどうか。私たちにとっても、試練となる。幸人くんばかりに頼るのも不甲斐ないが――楽しみでもあるね」
様々なものを含んだその微笑。
いくつもの仮面が剥がれ落ち、ただの父親の表情だけがそこにある。
「――うちは」
瑠璃子は、ごくり、と喉を動かして、高峰を見上げた。
「どこまでも、ミサの味方っす」
イコール、あなた方の味方というわけではない、との瑠璃子の言葉。
半ば睨みつけたかのようなその視線に、高峯は表情を綻ばせる。
「わかっているよ。君が美咲についていてくれる。それがどれだけ心強いと思っているか」
ずきり、と瑠璃子の心底が疼く。
全幅の信頼が逆に痛い。
一番大事な時に、美咲のそばにいられなかった過去が。
どの口でそれを言う、とがなり立ててくる。
しかし、だからこそそれを、瑠璃子は勢い良く立ち上がって振り切る。
それを驚いた様子もなく、眩しそうに見上げる高峰。
「ご馳走様でした。それでは」
「うん。期待しているよ」
それは、目の前の瑠璃子だけに向けたものか、それとも。
しかし瑠璃子は、その重さを気にせずに。
耳元に友情を、手首に慕情を携えて、瑞々しいまなざしで行くのだった。
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