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ストーカー系女子とアンニュイ系男子の攻防戦  作者: 緋色
六章

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34/54

千里を超えて

 ――あたしの心はぐらついていた。

 ただ、頭を下げた幸人さんの姿が繰り返し脳裏で再生され続けている。

 それはあたしがさせたことで。

 あたしこそ幸人さんに謝りたいくらいだったのに、そう気づいた時には車の後部座席だった。

 隣には、あたしのママがいる。

 その存在は感じ取れる。

 けれど、視線を向ける気にもならない。

「――美咲」

 その呼びかけは、あたしにさざなみも立てなかった。

 口を堅く封印してしまったよう。

 今、口を開けば。

 罵倒が飛び出すか。

 懇願に膝をつくか。

 自分でも、どんな暴発を引き起こすかわからなかった。

「美咲」

 再度かかる声。

 それでもあたしは、動かない。

 ――動けない。

 そうしていると、ママの手があたしの頬にかかり。

 ぐいっ、と無理やりそちらに向けられた。

「いっ……!」

「あら、ごめんなさい。力が入り過ぎましたね」

 よほど全身が強張っていたのか、首が軋みに痛んだ。

 視界に入ってきたのは、結い上げたダークブロンド、ネイビーブルーのリップ、あたしとは違う――深いサファイアの瞳。

 そこに浮かんでいるのは、困ったように目を細めた微笑み。

 久しぶりに会う大好きなママがここにいるというのに、視線が下に落ちる。

 視界を埋めるのは、深い海を思わせる青い生地。

 あたしを受け止めるようなそれを、あたしは受け入れられずに、そこからも目をそらしてしまう。

「……ごめんなさいね、美咲」

 今更、何をいうのか、と。

 あたしの心によぎるのはそれだけだった。

 なのに、身体が震えてくる。

 それはまるでマグマが吹き上がる前兆のようにも思えて。

「好きを押しつける代償を、知ってほしかったんです」

 けれどそれは、一瞬で鎮火させられた。

 それどころか、あたしは凍り付かされた。

「押しつけてなんてない」

 なのに、口は否定に動く。

 ゆっくりと顔が持ち上がり、視線が目の前の相手を突き刺した。

「あたしたちは、好きあって」

「だから何をしてもいい、と言いたいんですか?」

 そうだ、と以前ならそう答えたかもしれない。

 けれど、今は。

 答えない、いえ、答えられないあたしに、ママは視線を受け止めたまま、ただ静かだ。

「何を払わせてもいい、と?」

「……いいえ、ママ」

 あたしは認めるしかなかった。

 好きを貫くために、幸人さんに頭を下げさせるなんて。

 できるわけがない。

 涙が零れ落ちる。

 けれどあたしはもう、それをさせてしまった。

 合わせる顔がない。

 取り出したハンカチで、ママは涙を拭いてくれた。

「あたし、どうすれば」

 思わず出た言葉に、ママは静かに身体を離して。

「考えなさい」

 ただ、そう突きつけてきた。

 あたしはまるで、海の真ん中に放り出されたような感覚に陥った。

「――と、言うだけでは、さすがに無責任ですね」

 ママは小首を傾げて、少し笑って。

 けれど、より難解な言葉を投げかけて来るのだった。

「好きを言い訳に使うのは、もうやめることです。それはあなたが好きな方の格を落とすだけですよ」



 言葉の意味を掴みかねている間に、あたしは車を降ろされていた。

 夏の日差しが降り注ぐ。

 あたしは半ば機械的に荷物から日傘を取り出すと、それを差した。

 色濃く影が、地面に横たわる。

 影ですらくっきりしているのに、あたし自身はぼんやりしていて、輪郭も定まらないようだった。

 なぜ、ママはあたしをここで降ろしたのだろうか。

 そこは見覚えのある景色、いつもの通学路だった。

 いえ、本当はわかっている。

「歩いて考えて。いつもの道で頭を冷やして、落ち着いて」

 それはママが昔、あたしに言い聞かせてくれた言葉。

 癇癪を起こすあたしを、そう言って優しく見送ってくれた。

 着物の青と同じ、その瞳はやっぱり優しくて。

 小さい頃は、ママと同じがいいって、駄々をこねたんだっけ。

 ドイツ人の――ヘレーネ・マイヤー、帰化して玲仁となったママ。

 ママの外見的特徴を受け継いだのは兄姉のうち、長女の紗月お姉ちゃんだけ。

 それが羨ましいって、強く当たってしまったこともあったっけ。

 そんなときは、ママは困ったように仲裁してくれて。

 ――けれど、そんなママは今、味方ではいてくれない。

 それどころか、とても厳しかった。

 なぜ、お願い、否定しないで。

 そんな心境が渦巻いて、そして――幸人さんにただ、謝らせてしまった。

 結局はその光景に行きついてしまう。

 立ち止まって振り返っても、ママが乗った車はもう見えず、当然、幸人さんの家も見えない。

 それどころか、どこに向かうべきなのかも見えない。

 見慣れた通学路だというのに、まるで知らない外国映画の一シーンのよう。

 そこに迷いこんだあたしは異物で――もしかしたら、幸人さんの世界においても、そうだったのかもしれない。

 幸人さんの日常に紛れ込んだ、異質な存在。

 あの人を惑わし、迷わせ――苦しめてしまったのか。

 もし、そうなのだとしたら。

 もう、いっその事。

「あーっ!」

 突然、そんな喜色のこもった叫びが、あたしの鼓膜を打った。

 それは、目の前の小道から飛び出してきた少女が発したもので。

 そうして、明るい足音とともに近づいてくる。

「ミサちゃんだ! やっほー!」

 近づいた満面の笑みが、あたしを見上げてきた。

 それは自然と、あたしに笑みを形作らせた。

「こんにちは、千紘ちゃん。今日も元気ね」

「うん、チヒロ元気!」

 言葉通り、身体を跳ねさせながらピースサインを送ってくる。

 この子がここにいるということは、と千紘ちゃんの後ろに視線をやると。

「お、置いていかないでよ、千紘……!」

 予想通り、お兄ちゃんの田坂くんも後ろから現れた。

 なんだか、田坂くんはいつも千紘ちゃんを追いかけているわね。

「こんにちは、田坂くん」

「え!? 竜禅寺さん!?」

 驚いた顔の田坂くん。

 前にもしたわね、このやり取り。

 と思っていると、千紘ちゃんに手をつながれた。

「ミサちゃん、その傘可愛い! お嬢様みたい!」

「あら、ありがとう。千紘ちゃんも可愛いわよ。とっても涼しげ」

「えへへ、うれしい!」

 暑いからか、千紘ちゃんはキャミソールワンピースに身を包んでいた。

 白地に青いストライプがよく似合っている。

 あたしは褒められた日傘に千紘ちゃんを入れる。

 その後ろには、おそらく千紘ちゃんのためであろう、同じく日傘を広げた田坂くんの姿。

 彼は見慣れた苦笑を浮かべていた。

「こんにちは、竜禅寺さん。どうも、みっともない所ばかり見られている気もするけど」

「あら、そんなことないわよ。いいお兄ちゃんしてるじゃない」

「えー、そんなことないよ。お兄ちゃん、いつも遅れてるし」

 手厳しく言いながらも、嬉しそうな顔の千紘ちゃん。

 内心がわかっているのか、田坂くんは怒ったりせずに、苦笑の中にも優しさを混ぜている。

「二人はお買い物?」

「ううん! 冷たいの食べに来たの!」

 あたしの質問に、勢いよく千紘ちゃんが返してくる。

「この辺にスイーツ屋さんができてね。暑いし、ちょうどいいかと思って」

「チヒロが見つけたの! おしゃれなカフェ!」

 補足した田坂くんの語尾に重ねる様に、得意げな千紘ちゃん。

 その元気な様子に、あたしはますます笑みに誘われる。

「お手柄ね、千紘ちゃん」

「うん! ミサちゃんも一緒に行こ!?」

「あ、こら、千紘」

 天真爛漫な、千紘ちゃんのその笑顔。

 けれどあたしの心は、ざわり、と揺れた。

 ふと視線を逸らした先の田坂くんは、申し訳なさそうで――けれども、少しの期待を含んでいた。

 結局あたしは千紘ちゃんの申し出に頷いた。

 あまりものを考えられなかった、というのが正直な所だった。

 らしくなく、流されている自覚がある。

 千紘ちゃんに手を引かれ、その後を田坂くんがついて来る。

 その構図は、あたしがママの手を引き、後からパパがついて来る、という過去にも似ていて。

 ――あたしは少し、哀しかった。



 店内は涼しく――だからなのか、千紘ちゃんはスイーツを食べ終わってすぐに船を漕ぎ始めたかと思ったら、テーブルに突っ伏して眠ってしまった。

 その肩に、田坂くんが来ていたジャケットをかける。

 彼の妹を見る目は優しく、「仕方ないなあ」と語っていた。

「ごめんね、竜禅寺さん。なんだか慌ただしくて」

「いいえ。楽しかったし、大丈夫よ」

 食べながらはしゃぎながら喋りながら、と忙しかった千紘ちゃん。

 その千紘ちゃんがまるで電池が切れたみたいになってしまい、ふと気づくと店内のざわめきが耳に入ってくる。

 同時に、田坂くんの姿も。

 彼はようやく千紘ちゃんから解放されて、溶けかけのスイーツにスプーンを伸ばしていた。

 あたしも、千紘ちゃんの会話術に圧倒されて止まっていた動きを再開する。

 すくったアイスは冷たく甘く、会話で火照った心身を落ち着かせてくれた。

 ――あたしたちは一体、どう見えているんだろうか。

 ふと、そんなことを考える。

 兄妹とその他、だろうか。

 それとも、デートとそれについてきた妹、だろうか。

 あたしと田坂くんは同級生で、それは同年代ということでもあり、しかも田坂家は資産家でもある。

 そしてきっと、知識と教養も将来性も同レベル。しかも性格は温厚ときている。

 つまり、あたしと田坂くんは、見た目も内実も釣り合いが取れている。

 ――幸人さんとあたしたちは、どう見えていたんだろうか。

 そんなことも考えた。

 精一杯、見た目が沿うようにおめかしをしていったけれど、それは所詮、背伸びに過ぎなかったのだろうか。

 幸人さんに恥をかかせていたのだろうか。

 もしかして、兄妹としてしか見えていなかったのだろうか。

 いえ、それ以前に。

 ――幸人さんにも、妹のようにしか思われていないとしたら。

「だ、大丈夫?」

 声をかけられて、視界が色を取り戻す。

 目の前には、慌てたような田坂くん。

 気づくと、頬を涙が伝っていた。

 あたし自身は妙に落ち着いていて、ハンカチを取り出して顔を拭った。

「……なんでもないわ」

 けれど、平凡な言葉しか出てこない。

 千紘ちゃんはまだ眠っていた。

 よかった、これを見られていたら心配をかけていたところだった。

 田坂くんならいいというわけでもないけれど、小さな女の子にはあまり見せたくはなかった。

「そ、そう」

 田坂くんは、深くは突っ込んでは来なかった。

 それはありがたく、しばしテーブルの上を、スイーツをつつく音だけが過ぎる。

「そ、その」

 ためらいがちな声。

 視線を上げると、気遣いの色が浮かんでいる瞳があった。

「……もし、悩みがあるなら」

 そこで一旦、言葉を止めて、ためらいを飲み込み。

 田坂くんは、スプーンを置いた。

「……聞かせてもらえると、嬉しい、かな。……ぼ、僕でよければ、だけど」

 言い切った割には、最後で気概がしぼんだ。

 そうして田坂くんは、気まずそうに顔を伏せた。

「……田坂くんって、いい人ね」

「そ、そうかな」

 思わず出たあたしの言葉に、田坂くんは恥ずかしそうにする。

 同時に感じる、申し訳なさ。

 まるで彼の心を弄んでいるかのようだった。

 彼は、あたしに好意を抱いている。

 それに相応しいものをあたしが返せば、ここで関係は閉じる。

 幸人さんは晴れてあたしから解放され、田坂くんも思いを遂げられ何もかも、丸く収まる。

 みんな幸せ、ハッピーエンド。

 もう、それでいいのかもしれない。

「……もし、田坂くんに」

 だから、あたしの口は勝手に問いかける。

「好きな人がいたとして」

 ぎくり、とまるで擬音を生じさせたように、田坂くんの表情が動く。

 それに構わず、あたしは続ける。

「でも、年の差、身分、生きる世界、すべてが違うとしたら」

 そう、それは今の幸人さんとあたし。

「……やっぱり、諦める?」

 今のあたしは、一体どんな表情をしているのだろうか。

 もう、何もかも歪んで認識できない。

 ただただ、問いに対する答えに、耳を傾けるだけ。

 無言の時間が続く。

「――僕の、師匠みたいな人には、ね。お付き合いしている人が、いるんだって」

 田坂くんの声が届いてくる。

 あたしの心が傾く。彼は、何を言っているんだろう。

「――どんな人かって聞いたら、とても嬉しそうに、誇らしげに教えてくれたんだ」

 早く、答えを教えてほしい。

「――器が大きくて、可愛くて、猪突猛進で、一生懸命なんだって」

 ――そんな風に思っていてくれていたんだ、嬉しい。

 ありがとう、幸人さん。もう、それだけで充分。

「――同じ職場の人かって聞いたら――話を変えられた」

 そう、違う。

 同じ場所にもいられない。

 何もかも違う。

 だから、もう。

 とどめを刺して。

「それでわかったよ。――ああ、それでもその人が好きなんだなあ、って」

 視界が戻る。

 目の前の田坂くんは、困ったように苦笑を浮かべていた。

「あの人なら諦めないんだろうね。――でも、僕ならどうだろう。わかんないや」

「――そう」

 あたしは、ようやく返事をできた。

 そうして、涙が零れ落ちないように上を向く。

 ――いったい、何をしようとしていたんだろうか、あたしは。

 幸人さんは晴れて、あたしから解放されて?

 自分が苦しいから放り出すっていうだけの話じゃない。

 一人にはしない、そう誓ったのは誰だったの?

 田坂くんも思いを遂げられる?

 妥協の思いを返されて、彼が喜ぶとでも?

 みんな丸くハッピーエンド?

 あたしの気持ちはどうなるの。

 なにより、本来なら自分自身で断ち切るべきものを、こんな優しい彼にさせようとするなんて。

 それこそ、誰の前に立てるというの。

 身分の壁なんて、ずっと前からわかっていた話じゃない。

 それでも好き。

 それは言い訳じゃなく、魂だ。

 だから、投げ出したら死んでしまう。

 こんな簡単なことを見失ってしまうなんて、あたしは相当、参っていたみたいだ。

 それを引き戻すきっかけをくれたのは、テーブルですやすやと眠っている千紘ちゃん。

 天使のような寝顔、とはこのことだろうか。

 その姿に勇気を得て、あたしはどこか神妙な田坂くんに向き直った。

「田坂くん」

「うん、竜禅寺さん」

「ありがとう。それから――ごめんなさい」

 頭は下げなかった。

 あたしの幸人さんへの思いは、誰に憚るものでもないからだ。

 まっすぐな視線に、すぐには反応はなかった。

 けれど、それはじわじわと、苦い笑みへと変わっていった。

「――うん。元気になったみたいで、よかったよ」

 優しい言葉に、ほろ苦さが混じる。

 あたしは千紘ちゃんへと視線を向けた。

「千紘ちゃんにも、お礼を言っておいてくれると嬉しいわ」

「わかった。必ず言っておくよ」

「ありがとう。それじゃあ、学校でね」

「うん、また」

 あたしは静かに立ち上がる。

 千紘ちゃんに挨拶できなかったのは心残りだけれど、それを振り切る。

 あたしは歩かなければならないからだ。

 落ち着いて考えて、そうしてまた歩く。

 どこまで続くか、どれだけ険しいかはわからない。

 けれど、それが幸人さんへと続くと信じて。

 共に歩めると信じて。

 ――そのための第一歩を、あたしは踏み出した。

読んでくださり、ありがとうございました。

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