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ストーカー系女子とアンニュイ系男子の攻防戦  作者: 緋色
六章

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33/54

玲瓏と月光

 それは久しぶりに、美咲が俺の家に訪れた時のこと。

「幸人さんのお茶、なんだかお久しぶりな気がする……!」

「……ああ、そう言えばそうかもな」

 外で会うことが多かったり、一時会えなかったりしたので、以前にちゃぶ台を挟んで話したのが、もうずいぶん遠い日のことのように思える。

 屈託のない笑顔が眩しく映る。

 そんな時に鳴らされたインターホン。

 来客の予定も配達の予定もない。

「出てくる」

「うん」

 何気なく会話をして、玄関に向かい、扉を開けた。

「はい、どちらさま――」

 その瞬間、俺の目に飛び込んできたのは、夜の青のような姿だった。

 それが着物だ、と思えたのは、月や花の意匠と帯が目に飛び込んできたからだった。

 視線が上がっていくと、楚々とした佇まい、結い上げたグレーがかった金髪、青いリップ、そして――青い瞳。

 柔和な光をたたえたそれと視線が合った時、俺は崖の上から突き落とされるような衝撃に目をくらませた。

 しかし、実際にそうやってぐらついたのは精神だけで、俺はまだ立ったままで。

「――こんにちは、はじめまして」

 その女性の唇から、柔らかな挨拶が零れるのをどこか遠くで聞いていた。

 一瞬後、はっとして咄嗟に返す。

「は、はじめまして」

「――ママ!?」

 背後から、美咲の驚愕の声。

 その叫びの意味をうまく理解できないうちに、美咲が慌てた歩調で俺の横に並ぶ。

 つい、とその妙齢の女性の視線が、美咲の方へ向く。

 その動きで、俺はようやく金縛りのような状態から抜け出すことができた。

 しかし、その代わりに湧き上がってくるのは言いしれない焦りであり――嫌な汗だった。

 その女性は、目を細めて美咲を見やった。

 そこには確かな愛情や優しさの光があり、どこかほっとしているようにも見えた。

「久しぶりですね、美咲。元気にしていましたか?」

「う、うん、あたしは元気よ。いつ日本に――じゃなくて、ええと」

 美咲が俺を、どこか落ち着かない様子で振り仰いだ。

「ゆ、幸人さん。母の竜禅寺玲仁(れに)、です。マ、ママ? こ、この人が寺島幸人さん」

「て、寺島幸人です。初めまして」

 全身に寒気が忍び寄ってくる。

 またこちらに視線を向けられると、その気配はより強くなる。

「はい、改めて初めまして。以前はヘレーネ・マイヤーでしたが、帰化の際にヘレーネの愛称、レニに漢字を当てまして、玲仁と名乗っております」

 その微妙なニュアンスはわからなかったが、どこか楽しそうな光を目に躍らせる玲仁さんに、俺は何の返答もできなかった。

 それは無意識の危機感がそうさせたのか。

 しかし、それが身構えさせる前に、玲仁さんは何気なくその挨拶を投げかけてきた。

「――美咲が随分、お世話になっているようですね」

 そこで、俺は悟らされた。

 もうごまかせない。

 いや――ごまかしてはいけない、と。

「――申し訳ありませんでした」

 俺はそう、頭を下げていた。

「ゆ、幸人さん?」

 戸惑う美咲、それに対して玲仁さんからの言葉はない。

 その代わり、小さなため息がそれに答えた。

「その様子では、私がここを訪れた理由はわかっているようですね?」

「……そのつもり、です」

 申し訳なさ、恥ずかしさに顔が紅潮する。

 それに対し、玲仁さんは言葉を重ねてくる。

「遅いとは思いませんか」

「……返す言葉もありません」

「なんなの、いきなり!?」

 玲仁さんの言葉から遮るように、美咲が俺の前に出た。

「どうして幸人さんが謝ってるのよ!?」

 玲仁さんにくってかかる美咲。

 俺はそれがいたたまれない。

 しかし、これが俺があえて見過ごしてきたことへの罰なのだろう。

 どこか冷たい、玲仁さんの声が響く。

「幸人さん。美咲はわかっていないようです。これはあなたに説明する責任があると考えますが、どうでしょうか?」

「おっしゃる通りです」

 頭を上げて、自分で説明しろ、ということなのだろう。

 緊張のあまり、全身が震える。

 手の中の汗を自覚しながらも、それを拭う余裕もなく、俺はゆるゆると頭を上げた。

 美咲の背中越しに、玲仁さんの表情が見える。

 呆れた様子の中に、娘への気遣いを滲ませていた。

 それが一層、俺の罪深さを突き付けてくる。

「高校生の女の子が、一人暮らしの社会人の男の家に来る……大切なお嬢さんがどのように見られるか、もっと配慮すべきでした」

「そんなの、あたしの勝手じゃない!」

 美咲のその声は俺ではなく、玲仁さんへと向いていた。

 しかし、それに答えるのは、やはり俺でなければならない。

「本人がそうではない、と主張しても、周りはそう見ない。周りがどう傷つけるか。それをもっと真剣に考えるべきでした」

 美咲が息を飲む。

 続くのは沈黙だった。

「わかりましたか、美咲。それでは、帰りますよ」

「い、いやよ」

 美咲が俺の腕を抱きかかえてくる。

 いつもなら暖かいはずのそれは、しがみつくようであった。

「だって、幸人さんは何も悪くないじゃない! だって、あたしたちは好きあって……!」

 違う、そうじゃないんだ、美咲。

 玲仁さんはため息をついた。

「あなたがここで駄々をこねるほど、幸人さんの顔を潰すことがわかりませんか」

「どういうことよ! だって幸人さんは……!」

「これがもし美咲なら」

 玲仁さんの淡々とした声。

 そして、冷たい視線が突き刺さってくる。

「自分の大切な人に庇わせてばかりで、恥ずかしくないというのですか?」

「……っ」

 今度こそ、美咲は黙らされた。

「美咲。あなたはもう、ここに来てはいけません。わかりましたか?」

 美咲は答えない。

 玲仁さんも言葉を重ねない。

 そうしてそれは、俺へと向く。

「幸人さん。あなたは美咲を、もうここに来させてはいけません。わかりましたか?」

 否定がこみあげてくる。

 しかしそれは、言葉にはできず。

「――はい」

「幸人さん……!」

 信じられない、そう言わんばかりの美咲の表情が、俺の胸を打つ。

「帰りますよ、美咲」

 その声に、しばらくしてからゆっくりと、美咲の腕は俺からほどかれた。

「それでは、失礼します」

 玲仁さんの声が。

 続いて、美咲の姿がゆっくりと遠ざかる。

 その目は、すがるように乾いていて。

 なのにそれに答えることも、ましてや手を伸ばすことさえも許されない。

 二人の気配が玄関から消え、扉が閉じる音が断絶となり。

 残された俺は、膝をつくこともできなかった。



 その日の夜、俺の姿はバーにあった。

 誰とも来る気になれず、一人だった。

 バーのマスターは注文した品を持ってくると奥へと姿を消し。

 そのいつも通りがありがたく、かかっているBGMだけが俺を包み込んでいる。

 目の前のグラスはカシスソーダ。

 いつだったか頼んだ、あの少女を連想させるそれ。

 そう、俺は、この期に及んで美咲の助けを欲しているありさまだった。

 玲仁さんの言葉がぐるぐると頭を回る。

 それは無償の母の愛であり、俺の無責任を打ち崩す槌であり。

 だからこそ、何一つ反論できるはずもない。

 それと同時に美咲にも申し訳なく、今まで放置していたことを突きつけられた気分で、せっかく頼んだグラスに一口もつけられないでいる。

 その時、扉が開いて来客を知らせてきた。

 珍しい。

 その感想が、俺の精神をある程度は落ち着かせ、身体を振り向かせた。

「あら、結構いい雰囲気の店ね」

 俺の心臓が跳ねた。

 その来客の言葉ではなく。

 女性であり、グレーがかった金髪であり、青い瞳だったからだ。

 一瞬、それが玲仁さんを連想させたが、最後に視線が止まった唇は鮮やかなピンクで。

 それがかろうじて、俺の心臓を落ち着かせた。

 それにその女性はより背が高く、背中ほどまでのロングヘアで、スーツをまとっていた。

 暑いからかジャケットは脱いで片手でぶら下げており、大股で近づいてくる。

「こんばんは。こんな時間まで暑くて、いやになるわね」

「――こんばんは」

 流暢な日本語に、かろうじて返せたのはそれ。

 それだけではなんとなく申し訳ない気がしたので、カウンターに一席空けて腰掛けるその女性へ、なんとか話題をひねり出す。

「お疲れ様です。お仕事、大変でしたか?」

「わかる?」

 俺の話題とは言えない話題に、ほろ苦い表情を覗かせるその女性。

 どこか欧州の石像を思わせていた端正な横顔が、途端に生命力溢れるものへと花開く。

 その視線を巡らせた先には、いつの間に奥から出てきたのか、マスターがいた。

「ヴァイツェン! 無理ならラガーで!」

 快活さの中に、どこか鬱憤が混ざったような女性の声。

 ヴァイツェン――白く濁ったフルーティーなドイツビール――だっけ。

 と記憶の底からそれを手繰り寄せる。

 その間に、その女性の生き生きとした瞳は、俺に向いていた。

「わたしはモニカ。あなたは?」

「……幸人です」

 なるほど、ドイツの人か、と得心しながら返事をした俺。

「そう、ユキトね。そう、大変だったの!」

 天井を振り仰いで、強くため息をつく――モニカさん。

 もうお酒が入っているかは、バーの暗い照明の下ではいまいちわからないが、その息は熱そうだった。

 そうしていると、そんなモニカさんの元にグラスが滑り込んでくる。

 大半が泡に見える、金色の液体。

 それが手にされ、俺に突き出されてくる。

「とりあえず、あんのクソったれ野郎へのざまあに乾杯!」

「か、乾杯」

 果たしてそれへの乾杯は妥当なのか、と思いつつ、俺はカシスソーダを触れ合わせた。

 俺がやや呆然としていると、その泡と金色はモニカさんにどんどんと飲まれていき、それが半分ほどに達したところでグラスが叩きつけられた。

「あー、ちょっとはスッキリした!」

「……お疲れさまでした」

「本当にね!」

 何があったか知らないが、口元に白いひげを付けた彼女は、言葉通りに少しは落ち着いたようである。

 それにつられたのか、俺はようやく自分のカシスソーダに口をつけることができた。

 だからなのか、少しは口が滑らかになったようである。

「……クソったれ野郎、ですか」

 あまり聞くことも口にすることもない表現。

 まるでそれは今の自分のことのようにも思える。

 そのタイミングでモニカさんの瞳がこちらに向いたが、それは俺ではなく、別の誰かを串刺しにしているかのような目つきだった。

「そう、クソ野郎。自分から彼女に告白したくせに、ヒモになった挙句に結婚してからも家にお金も入れない寄生虫野郎。離婚もごねてごねまくって、手切れ金よこせとか抜かすバカ野郎。そんなワケあるか、逆に身ぐるみ剥いでやったわ!」

 修飾の増えた喝采を上げ、残りのヴァイツェンを飲み干すモニカさん。

「おかわり!」

 突き出されたグラスを、モニカさんの勢いに流されることなくクールに回収するマスター。

 モニカさんに何事があったかは正直不明なところはあるが、話自体は彼女自身ではなく、他の誰かにしてあげたことのようである。

 酷い状況から救い出してあげた、ということなら、それは喜ぶべきことのように思えた。

「……それは、よいお仕事をされましたね」

 俺よりはいくつか年上のようなので、自然と敬語になってしまう。

 それにしてはいささか上からだったか、と思いつつも素直に言って頷く。

 すると、モニカさんはおかわりのヴァイツェンを受け取った体勢のままで固まり、こちらを青い瞳で凝視してきていた。

 まずいことを言ったか、と思ったら、グラスを握りしめて俯いてしまった。

 ますます焦る俺の前で、モニカさんは涙ぐんだようだった。

「そう、いい仕事をしたはずなのよね。けど、それなのに彼女ときたら……!」

 グラスを何者かに見立て、ぎりぎりと握力を込めていた。

「本当は別れたくなかったとか言い出しやがって……! ほだされやがって、あんのクソ女がああ……!」

 いきなり燃え上がった憤怒のオーラに押され、俺は横にのけぞってしまった。

 その怒りようは激しく、彼氏より彼女のほうにこそ腹を立てているようだった。

「本当、バカ女につける薬とか、どこに売ってんの……!?」

 なるほど、と余波に戦々恐々としながらなんとなく事情を呑み込めた。

 出会った直後に彼女自身が滲ませていた苦さは、そのやるせなさ――と表現するには強火だ――が原因だったようである。

 その出来事はこれ以上掘り下げないほうがいいか、と思っているのに、彼女の口は止まらず、おかわりのグラスを一気に飲み干した。

「あげく、彼のことをもう一度信じてみようと思います、と来た! どうぞご勝手に野垂れ死にするといいわ、二人とも!」

「それはひどい」

 思わず、口からそれが飛び出た。もっとも、前半に対して言ったのか、それとも後半へかは俺自身にもわからなかったが。

「だよね!? イェーガーマイスター、水割り!」

 それは確か、度数が三十五くらいの酒だったはず。

 それを頼んでしまうということは、ボルテージがそれだけ上がってしまったということか。

 いや、水割りということはまだ理性はあるんだろうか。

 その証拠に、怒気を深く、静かにため息として押し出した。

「まあ、報酬は受け取って、仕事としては終わったわけ。だから、それ以上こっちがひきずっても仕方がないんだけどね」

 言葉通りに、多少はすっきりした様子。

 それに、俺のほうこそ鬱屈した思いが押し流されてしまったような気がした。

 そんな俺に、ぐるん、と首ごと視線が向いてくる。

「だからユキトも、ちゃんと見る目を持つようにね」

 その青い瞳には、後悔とも励ましともつかない光が灯っていた。

 それに、俺は過去と現在を照らし合わせて苦笑するしかなく。

 同時に、彼女の過去と現在も透けて見えてしまった。

 彼女も俺の表情に何かを垣間見たのか、鏡写しのように苦笑が返ってきたのだった。



「そんな女性ばっかりじゃないですって!」

「いーえ、バカばっかりよ! どいつもバカ女! 見る目ないったらありゃしない!」

 数十分後。

 俺もモニカさんに引きずられるように、いつもなら飲まないような強い酒に手を出してしまっていた。

 いつのまにか隣り合った席になっていて、距離としてはずいぶんと近い。

 しかし話の内容は、モニカさん自身をも貶めるような強い自嘲へと変わっていた。

「好きとか愛してるとか全部まやかしよ。それにアタシも騙されて結婚まで行って、結局破綻して離婚。今思い出しても腹が立つ……!」

「それは騙した男のほうが悪いのでは……」

「いーえ、それを見抜けなかった女の落ち度よ……! 男の嘘なんて程度が低いんだから、わからない女が低能なの!」

 話を聞いてわかったのは、結局モニカさんは、男も女も嫌いなのだろう、ということだった。

 特に、恋愛に入れあげる女は嫌い、というところ。

 それは、結局過去にそうであった自分も、ということであった。だから鏡としての自分にも当たるんだろう。

「……騙す女性もいて、騙される男もいますよね。どっちもどっちなんじゃないでしょうかね……」

 半ば慰めるような形で思わず言ってしまった俺の意見を、かみつくような視線で否定しようとして――モニカさんのその動きが止まる。

「……そっか。ユキトはそっち側ってことね?」

「……騙された、というか」

 ふと、俺はモニカさんが飲んでいるグラスへと視線が泳いだ。

 それは先ほどまでは水割りだったが、今はロックになっていた。

 たまにはいいか、と俺はマスターを呼ぶ。

「イェーガーマイスター、ロックで」

「アタシもおかわり」

 そうして、その黒に近い琥珀色のグラスが並ぶ。

 さきほどから漂ってきていた香草のようなそれが、強く鼻に侵入してくる。

 香りでごまかされそうだが、かなり強そうだ。

 失敗したか、と思う俺の視界で、モニカさんのグラスが持ち上げられた。

「Prost」

 モニカさんの唇から零れたそれは確か、ドイツ語で「乾杯」という意味だったはず。

 先ほどからそうだったが、モニカさんはドイツの酒ばかりだったので、それらが好きなのだろう。

 そして、今目の前にあるイェーガーマイスターもドイツのお酒。なら、なおさらこの挨拶が相応しかった。

「Prost」

 半瞬遅れて、俺は答えるとグラスを合わせた。

 一口含むと、濃密な甘みと苦みが口の中で絡む。

 しかし、飲み下すと胃の中で暴れまわるかのようだった。

 思わず顔をしかめると、横でモニカさんの、いたずらが成功したかのような含み笑いが聞こえてくる。

「見た目通りでしょ。甘い顔して、最後に裏切る。……まるで、質の悪い女みたい」

 その含み笑いの正体は自嘲だった。

 けれど、と俺は思う。

「……でも、悪くない」

 俺はそのきつさを、もう一度口に含む。

 それは薬のようでもあり毒のようでもあり――甘さと苦さを内包したような過去のようでもあった。

 モニカさんは、意外そうな表情のまま、こちらを窺うようだった。

「……騙された、というか」

 もう一度、同じ言葉を口にし――俺も自嘲を浮かべた。

「――幼かったんでしょうね、二人とも」

 俺はそう、その時の俺自身と――千佳のことを振り返る。

「大学を卒業して、社会人になると同時に同棲を始めて。その当時はうまくいっていましたよ。けれど、俺の仕事が忙しくなるとすれ違いも増えていって――」

 同棲を始めたころは澄んでいたお互いの思いが、いつしか濁っていった。

 まるで、このグラスの中身のように――と例えるのは、いささかキザに過ぎるが。

「すれ違いが、お互いを刺して回った。その結果傷ついて――まあ、彼女が浮気に走ったんですが」

 モニカさんの表情が強張る。

 それ見たことか、と言わんばかりであった。

「結果だけ見れば彼女の裏切りですが。けれど、それは彼女のほうが行動を起こすのが早かったというだけで、逆の状況なら俺がそうしていたかも……知れません」

 そうでないだろう、と言い切るほど、あの時の俺にそれほど分別があったとは思わない。

 幼さでいえば、実年齢は俺のほうが下だったということもあり、よりそうだったと思う。

 結局はその、幼く思われたことが彼女――千佳がトリガーを引いた原因にもなってしまった。

「アタシは幼さが言い訳になるとは思わないけどね」

 モニカさんは、グラスを弄びながらそう言う。

「幼くても誠実な人格は宿るわ。いえ、幼いからこそ、真理が見える場合もある。安易に人を裏切ってはいけない、という、ね」

「確かに」

 モニカさんの厳しい言葉に、俺も頷くしかない。

 俺の知る美咲はまさに、幼くても誠実。それを体現していた。

 だが、だからこそ。

「誰もが誠実でいられるわけでもない……」

 俺はそう思ってしまうのだ。

「それも真理かもしれないわね」

 落ち着きが戻るモニカさんの声。

 そうして、くすり、とピンク色の唇から笑みが零れた。

「アタシは二人、妹がいるんだけれど」

 モニカさんは、グラスの中の氷を、くるり、と指先で回した。

「下の妹がね。これがもう、とんでもなく聡明なのよ。昔のアタシみたいな感じで、とっても可愛くて。でも幼いところもあって、でも賢いかっていうと、意外とそうでもないのよね。でも、そこも抱きしめてあげたいくらいなんだけれど」

 褒めているような、こき下ろしているかのような、けれどやはり愛情深い光が、青く灯る。

「だからこそ、バカな男にひっかからないといいなあ、って」

「……上の妹さんは大丈夫なんですか?」

「ああ、そっちは大丈夫よ。ぼーっとしているようでしっかりしてるから」

 やっぱり雑に感じる評価ではあったが、それは愛情からくるものだと伝わってくる。

 一人っ子の俺には沸き上がりようのない感情で、それが少し羨ましい。

 しかしその温度が去り、冷たいまなざしが投げかけられてくる。

「ユキトの結論は、だから許し合いが必要だ、ということ?」

 その過大評価に、俺は思わず吹き出した。

「結論なんて出ませんよ。別に俺は、男女代表というわけでもないんですから」

「なにそれ」

 呆れたような視線が飛んできた。

 そうして、俺は琥珀色の液体を飲んで付け足す。

「結論を出せるとしたら。できる限りは誠実でいたい、ということですかね」

「……なかなかご立派な決断だこと」

 モニカさんはふてくされたかのように、肘をつき、向こうを見た。

 その様子はまるで少女のように幼く、過去を想起しているようで――まだ、傷から立ち直っていないことを想像させた。

 グレーがかった金髪のロングヘアが、傾いた背中を滑り落ちる。

 それはまるで、閉幕のカーテンのようで。

 俺はイェーガーマイスターを飲み干すと、勘定を済ませて立ち上がった。

「美味しかったです。おやすみなさい」

 マスターと、モニカさんへと投げかけた言葉。

 マスターは一礼し、モニカさんは後ろ手に手を振る動作、それぞれが返ってくる。

 モニカさんは顔をそむけたままで、表情はわからない。

 その背に軽く一礼し、扉をくぐる寸前。

「いいお酒だったわ」

 柔らかいそれが聞こえてきて、俺は唇をほころばせた。

 俺は、ここに入ってきたときの空気を完全に吹き飛ばされて、背筋を伸ばしてそこを後にし。

 見上げた夜空にかかる月を、眺める余裕まで得たのだった。

読んでくださり、ありがとうございました。

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また、「拝啓、○○に出会いました。」という王道冒険ファンタジー小説も掲載しておりますので、よろしければぜひ。

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