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ストーカー系女子とアンニュイ系男子の攻防戦  作者: 緋色
四章

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27/31

綻びる軌跡

 幸人さんとの接触禁止を決断した日から数日後。

 学校で燻る噂に鎮火の気配はない。

 あたしは内心の怒りを押し殺して自分の家へと帰るしかなく、息苦しさを覚えていた。

 運悪く、リコは外せない用事があるからと自分の家へと帰り、おしゃべりで気を紛らわせることもできない。

 ――それに。

 と、あたしはリコの様子を思い出す。

 いつも陽気なリコが、ふとした瞬間にため息をついたり、ぼうっとしたりしていたのだ。

 あたしは何度かその理由を聞いたけど、曖昧な笑みでごまかされた。

 いつもお世話になっているから、相談に乗って少しでも恩返しをしたかったのだけれど、

「現状の対処が最優先」

 と言われてしまっては、頷くしかなく。

 昨日今日は元気を取り戻していたみたいだから、大したことじゃなかったのかもしれないけれど、やっぱり少し寂しいのも事実で。

 だから、なんだか久しぶり感がある自宅での一人時間は、もの悲しさを抱えてしまっていた。

 ――あの動画でも見ようかな。

 それは、田坂くんが幸人さんにプログラミングを教わっている動画だった。

 けれど、その考えをあたしは打ち消した。

 きっと、もっと恋しくなってしまうから。

 胸が苦しくなった時に、そのメッセージはやってきた。

 『すまん、千佳を交えて亨と飲みに行くことになってしまった。まったく、不誠実で申し訳ない。また後で話をさせてくれ』

 幸人さんからのそれの意味を理解した時、あたしはまた、スマホを床に投げつけそうになってしまった。

 今度はなんとか堪えられたけど、はらわたが煮えくり返るのはどうしようもない。

 もちろん、その矛先は幸人さんではない。

 幸人さんにそうさせた、言わせた佐倉千佳にだ。

 もう一度そのメッセージを見ると、幸人さんの心苦しさが伝わってきて、あたしの胸まで苦しくなる。

 なんだか泣きそうになってしまって、手が震える。

 ――そんな場合じゃないでしょ。

 あたしのどこかが叱咤する。

 そうだ、この心苦しさを拭ってあげなくちゃ。あたし自身の泣き言なんてそれからだ。

 長文になりそうなのを消しては書き、推敲しては考え直し。

 ようやく形になったそれを送った時には、すでにメッセージを受け取ってから十分以上が経過していた。

 送ってから、なんだか的外れだな、と思ったけれど、夜道が危ないことは事実で。

 結局、時間をかけてもそれしか考えつかなかったことに、自己嫌悪に陥る。

 気怠さが襲ってきて、何をする気にもなれなかった。

 なのに、警戒感は緩慢に身体を動かし、その会話を耳に入れようとする。

 それは、その店に仕掛けた盗聴器がもたらすもので、スマホのアプリから聞けるものだった。

『わたしも、かな。なんだか懐かしくなっちゃって。レッドアイは当分、飲む気になれないし』

 第一声は、あの女の声だった。

 バーと言う、大人しか入れないその空間で交わされる会話に、あたしは歯噛みする。

 しかし、それ以上に。

 ――どうして楽しそうなの、幸人さん。

 そう、幸人さんの声は弾んでいた。

 いつもは心を温かくするはずのその声は別人に向いており、あたしに凍えをもたらした。

 そして、その後に発せられたそれ。

『わたしが好きなのは幸人なんだもの』

 あくまで自然に、穏やかに。

 あたしとは真逆の、まるで当然、と謳われたその告白。

 それに幸人さんはどう答えるのか。

 待つまでの間、あたしには極寒の吹雪に放り込まれたかのように、身を震わせるしかなく。

 ――そして幸人さんは、答えてはくれなかった。

 呆然としたあたしに、続く藤井さんとあの女の会話が容赦なく届く。

『……どういうつもりだ、あんた』

『そのままだよ。他の意味に聞こえたかな?』

『ざけんな。こんなことなら、連れて来るんじゃなかった』

『しょうがないよね。抑えが効くものじゃないから、恋心って』

『……おい、どこへ』

『幸人の返事は見当ついてるし、聞きたいわけでもないの。藤井くんも怖いし、ここは退散するね』

『…………』

『じゃあね。同じ世界の住人である、私たちの恋を応援してくれると嬉しいな』

『……ぬかせっ』

『ふふっ』

 続いたのは、おそらくバーの扉が閉まる音。

 それがあたしの意識を引き戻した。

「幸人の返事は見当ついてるし」

 そのフレーズが、なんとかあたしの心を動かす。

 そう、幸人さんの姿勢は一貫しているはず。

 だから、あえて答える必要がなかっただけ。

 ぎこちなく頷くことで、その事実を心に縫い付けようとする。

 けれど、その後の幸人さんと藤井さんの会話は、必死にそうしたあたしの心を引き破るのに十分だった。

 そう、一理あったのだ。

 同じ世界、安全、お似合い――そして、幸せ。

 一つ一つが、的確にあたしを風穴だらけにしていく。

 必死に織って来た、あたしたちの軌跡を、無残にしていく。

 けれど、それは当然で、そもそも最初から無理やりな、つぎはぎだったのかもしれない。

 だったら、ばらばらになるのも必然なのかもしれない。

 その認識は、止めようもなく涙となって溢れ出ていく。

「う、うう……!」

 拳が握りしめられる。

 自暴自棄になって、何もかも放り出したくなる。

『……――美咲』

 幸人さんに呼ばれた。

「うああああああああああっ!!」

 絶叫して。

 あたしは、その拳を自分の頬に叩きつけた。

「ぎっ……!」

 勢いあまって吹き飛び、続く衝撃が側頭部を襲う。

 一瞬、気を失ったのかも知れなかった。

 視界が明滅する。

「……うっ……つ、う……!」

 かろうじて目を開けると、すぐそばにはクローゼット。倒れる時、あたしはこの角に頭をぶつけたらしかった。

 ちょっとつつかれたくらいで弱気になる、あたしみたいなバカ女には丁度いい活だった。

 しばらくは身動きが取れなかった。

 全身が頬と頭の痛みをこらえるのに集中していて、よそに回す余裕はきっとないのだろう。

 痙攣さえ自覚し、このまま死んでしまうかも、とすら思った。

 息も荒いし、頭も回らない。

 ――でも。

「ふ、ふふ」

 そうして、あたしはそんな自分を笑い。

 横たわったまま、歓喜に顔を歪ませる。

「呼んでくれた……!!」

 あたしはテーブルの上に手を伸ばした。

 完全には身体を起こせず、手探りでそれを――あたしを呼んでくれたスマホを探す。

 取れなかったけど、テーブルから落ちてきたそれに手を伸ばし、盗聴器のアプリを落とし。

「……なんだっけ」

 恋電、だっけ。

 やっぱり、それはあたしの口からは出ない単語だった。

 起き上がれないまま、電話をかける。

 響くコール音。

 ――お願い、幸人さん。後で話をさせてくれ、って言ってたよね。

 コール音が消えた。

 駄目だったの?

 涙が滲みそうになる。

『…………』

 いいえ、この息づかいは。

「幸人さんっ」

 よく聞きたくて、スピーカーをオンに。

『……美咲? どうしたんだ、声が』

 ああ、怒鳴ったり殴ったりしたから、ちょっと変になったのかも。

 それに気づいて心配そうにしてくれる幸人さん。

 自分だってあんなに気落ちしていたのに、真っ先にあたしの心配が来るなんて。

 心が火照る。

「だ、大丈夫。ちょっと転んだだけだから」

 ええ、そう。なんでもないものに、つまづいただけ。

「心配しないで。リコもいるから」

『そ、そうか。八重垣さんの言うことをよく聞いて、無理はしないようにな』

 幸人さんがあたしとリコをどう見ているのか、よくわかるセリフだった。

 嘘をついてごめんなさい、幸人さん。

 そう思うのに、なんだかおかしくなって、肩の力が抜けた。

「幸人さん、知ってる? こういうの、恋電って言うんだって」

『……コイデン?』

 ああ、これきっと、電車かなにかと思ってそうだ。

 全身痛くて寝そべったままで、ちっとも甘い雰囲気なんかじゃないのに。

 あたしの心が躍る。

「恋する人との電話、のことなんだって」

『…………』

 その沈黙に含まれているのは、きっと照れじゃない。

 ――迷いだ。

 この恋を続けていいのか。

 あたしを思って、そう自分に問いかけている。

 でもそれが幸人さんの優しさで、誠実さで、あたしはそれを好きになったんだ。

 幸人さんが、静かにそれをぶつけて来るんだったら。

 あたしも、幸人さんが好いていてくれるところを、ただぶつけるだけ。

「ねえ幸人さん。あたしたち、こうしてお話ししてるわよね?」

『……ああ』

「――だったら、あたしたちは同じ世界にいるわ」

 息を飲む声が聞こえてくる。

『……けど、それでも』

 あたしを突き放そうとでもするつもり? だったら、おあいにく様ね。

 離れる気なんてないし、そんなに薄情でもない。

 最後の家族を失い、墓前に佇む幸人さんを思い浮かべる。

「あたしは、幸人さんをたった一人の世界に置き去りにするつもりなんてないの」

『……俺じゃあ、守れない』

 何を言うかと思えば。

「竜禅寺を甘く見ないでくれる? 自分の身くらい、自分で守れるわ。なんなら幸人さんのこともね」

 あたしは畳みかける。

「お似合いになるわ、幸人さんと並べる様に。なって見せればいいんでしょう? ……もう少し、時間は頂くかもしれないけれど」

 残念ながら、あたしはまだ子供。そこだけは、すぐには無理だからお願いする。

『……俺とじゃ』

「幸人さんとじゃなきゃ、幸せになれない」

 我慢するつもりだったのに、涙がこぼれた。

「連れて行って。あなたの幸せと、一緒に」

 お願い。伝わって。

 お願いします。どうか。

『……ははっ』

 どうか。

『……相変わらず、カッコイイよな、美咲は』

 大きく息を吸い込んで、そしてゆっくりと吐き出した音が聞こえた。

『――俺との恋電、またしてくれるか』

「――うん」

 涙に阻まれて、それだけしか言えなかった。

『……形無しだな。これじゃ、まるで俺の方がヒロインじゃないか』

 苦笑気味のそれに、あたしは首を横に振る。

 それじゃ伝わらないと気づいて、ちゃんと声にした。

「あたしたちの舞台よ。男がヒロインだって、誰にも文句を言わせないわ」

『……そうだな。だったら、俺にとってのヒーローは美咲ってことか』

「ええ、そうよ。ヒーローのそばにヒロインはつきもの。ずっとそうだったじゃない?」

『……そうか。俺はそばにいれているのか』

 いつだってそうだった。その事実が、幸人さんにも染み入ってくれれば、と切に願う。

「幸人さん、前に言ったわね。俺の前でまで、演技をしなくてもいいんじゃないか、って」

『……ああ』

「幸人さんも、そのままでいてね。飾らなくていい。無理にヒーローぶらなくていい。自然のままがいいの」

『…………自然、か』

 幸人さんはその言葉を噛みしめているかのようだった。

 何を思っているのかはわからない。

 ただ、元気を取り戻してくれたことに、ほっとするだけだ。

 それを成し遂げた自分を、誇りに思うだけだ。

 あたしは、幸人さんが好きなあたしであれただろうか。

『ありがとう、美咲。いい酒になりそうだ』

「良かった。いつか、あたしも連れて行ってね」

『ああ。約束だ』

 あたしの胸に、きらめきが落ちる。

 全身に生気が漲る。

 だからこそ、これを伝えられる。

「……でも、ごめんなさい、幸人さん。しばらくは会えそうにないの」

 それだけを言うと、全身の力を使い果たしてしまったかのように脱力した。

 そばに居る、と言った直後にそれを翻すような言葉。

 まるで、嘘をついたようだった。

 今更ながらに、フローリングの冷たさを知覚する。

 しばしの沈黙。

 理由を説明しなければならないかと思うと、さらに気力が削られる。

『……事情があるんだな? わかった』

「……え?」

『理由はいい。ただ……そうだな。気を付けて。それだけ、念頭においてくれてたらいい』

 今度こそ、あたしの涙腺が崩壊した。

「結婚してっ!」

『アホかっ!』

 最後は、とことん締まらない会話になってしまった。

 ――けれど、それはとてもあたしたちらしかった。



 幸人さんとの幸せな時間が終わると、途端に痛みが襲ってきた。

 身体を起こそうにも、テーブルに手をかけないといけなかった。

 けれどそうして、なんとか立ち上がる。

 膝が震えて、まるで生まれたての小鹿のよう、と自分の姿を俯瞰する。

 頬を擦ると、手に血がついた。

 手近な鏡を覗き込むと、頬骨のあたりが青くなっていて、唇も切れていた。

 頭に手をやると、血は出ていないみたいだけど、こぶにはなっていそうだった。

 改めて状態を自覚すると、痛みで涙が出そうだけれど。

 鏡の中のあたしの表情は、晴れ晴れとしたもので。

 自分を殴るとか、我ながら馬鹿なことをしてしまったと、苦笑もできた。

「いたっ……。ああ、どうしよう。きっとこれ、リコに怒られるわね……」

 頬を動かすたびに痛む。歩くたびに、振動が頭全体をうずかせる。

 これを感じさせなかった幸人さん効果は絶大だったってことね。

 そう思いながら、湿布を求めてリビングをごそごそする。

 ようやく探し当てた時、インターホンが鳴った。

 どきり、と心臓が跳ねる。

 時間は午後十時。

 そんな遅い来客もそうだけど、これがリコの場合、怒られる想像が現実化してしまう、という懸念もあったからだ。

 もう一度、インターホンが鳴った。

 いえ、違う。

 と、あたしは思い直した。

 リコは合鍵を持っているから、インターホンなんて鳴らさないはず。

 それなら誰? と思ってリビング備え付けのモニターを恐る恐る見てみると。

 そこには、銀縁眼鏡のポニーテール、線の細い美人の姿が映っていた。

「……凜花(りんか)お姉ちゃん?」

 その突然の来訪に、あたしは驚いたのだった。



「どうしたの、凜花お姉ちゃん」

「……それはこっちのセリフ」

 スーツケース連れの凜花お姉ちゃんを玄関に迎え入れると、びっくりした顔をされた。

 とは言っても、日頃から表情の変化に乏しいお姉ちゃんのこと。

 目を見張ったくらいなので、きっと他の人にはそう伝わらないとは思うけれど。

「……とりあえず、湿布?」

「そうね。あたしもそう思って、探し出したところよ」

 手に持ったままだったそれを示してみると、凜花お姉ちゃんは、あたしの頬を注視した。

「骨は大丈夫? 青くなってる」

「……多分」

 そうとしか、あたしには返せなかった。

 気づくと、頬を殴った右手も、じんじんと痛み出していた。

「とりあえずあがって」

「ん」

 スーツケースを玄関に置いたまま、凜花お姉ちゃんをリビングに導くあたし。

 さっきは気づかなかったけど、椅子が倒れていた。どうやら倒れた時に巻き込んだらしかった。

 その光景を見た凜花お姉ちゃんは、ぎょっとしたようだった。

「……警察、呼ぶ?」

 強盗に入られた、とでも解釈したらしい。

 確かに、あたしは殴られたような感じだし、そう思われるのも仕方がなかった。

「違うわよ。これは何と言うか……」

 ……なんだろう。

 先ほどまでのあたしの振る舞いをどう説明したものやら。

「……自分の馬鹿さ加減に腹が立って暴れた……って、ところかしらね……」

 うん、それがしっくりくる。というか、そのままだった。

「……なるほど?」

 納得したような、していないような凜花お姉ちゃん。

 なんにしても、人手があるのはありがたかった。

「貼ってもらっていい? お姉ちゃん」

「了解」

 と引き受けてくれたはいいものの。

「か、髪巻き込んでる! 痛い痛い!」

「ごめん」

 などと、あまり器用でもないお姉ちゃん。それでも、何枚か無駄にしたけど貼り終えてくれた。

 頬、手の拳、あとはいつの間にか打っていたのか肩と太ももと、割と患部は多かった。

 頭は貼りようがないので、もし長引くようなら病院に行くことにして、一旦置いておくことにした。

「……それで、お姉ちゃんはどうしたの?」

「しばらく泊めてもらおうかと」

「いいけど、どうしたの、急に?」

「家賃払うの忘れてて、追い出された」

「あたしよりやらかしてるじゃない」

 しゅん、と落ち込むお姉ちゃんだった。

 凜花お姉ちゃんらしい、と言えばそうなので、あまり怒る気にもなれない。

 そうなると、問題は現実的なことになる。

「客間は最近リコが泊まりに来てくれるから、私物が増えてるみたい。ママの部屋でいい?」

「瑠璃子ちゃんが? うん、ありがとう、それでいい。ご飯は作るから」

「当てにしてるわ」

 リコと凜花お姉ちゃんは旧知の仲。

 それにお姉ちゃんは実はリコ並みに料理が上手で、味付けも優しくてあたしはそれが大好きなのだ。

 そのご飯を想像して、今から楽しみになる。

「あと」

 気づくと、お姉ちゃんがじっとあたしを見ていた。

「……どうしたの?」

「悩みがあれば、相談に乗るから」

 不意のそれに、思わず泣きそうになった。

 さっきから泣いてばかりだ。

 だから、ぐっと我慢する。

「……ありがとう。でも、大丈夫。多分これ、あたしがなんとかしないといけないことだと思うから」

「そう」

 意図を汲んでくれたように、頷くお姉ちゃん。

 それが後押しのような気がして、とても心強い。

 何が解決したわけでもない。けれど、心は確実に軽くなったのだった。

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