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あなたにありがとうを

 ――デートの帰りに、リコへのプレゼントを買った。

 それに付き合ってくれたのは幸人さん。

 リコの好みをよく知っているのはあたしで、幸人さんは余りできることはない、と言っていたけれど、そんなことはなく。

 そばに居てくれるのが心強くて、意見を根気強く聞いてくれて、靴擦れだらけの足を気遣ってくれて。

 もう、もう、とてもとても幸せな時間だった。

 浮かれすぎて、足の悪化を懸念した幸人さんに中止させられそうになったけど、それには何とか謝り倒してようやく選べた。

 帰りは竜禅寺の車で幸人さんと共にマンションまで送ってもらい、その流れで幸人さんも送り届けてもらった。

 高級車だったので幸人さんは終始恐縮していたけれど、今日のお礼も兼ねているし、強引に乗って行ってもらった。

 第一、いずれ幸人さんのものになるんだから、慣れてもらわないと困る。

 そうして、帰り着いたのはもう二十時を回る頃だった。

 痛みに足を引きずって玄関に入ると、どっと疲労を自覚する。

 ストラップサンダルから足を解放し、家に上がると、がくん、と力が抜ける。

「痛っ!」

 咄嗟に手をついたけど、膝は打ってしまった。

「ミサ? おかえりー」

 あたしの声を聞きつけたのか、リコが奥から顔を覗かせた。

 リコはあたしの家の合鍵を持っているので、こんな風に出迎えてくれることもある。

「うわー、大丈夫? 足に来てる? って、すごいことになってるじゃん!?」

 近寄ってきたリコは最初気軽そうだったけど、絆創膏だらけのあたしの足を見たのだろう、痛そうに顔をしかめた。

「ただいま。ちょっと手を貸してもらっていい?」

 我慢していた分が一気に襲ってきたみたいに痛む。それに、変な歩き方をしてしまっていたのだろう、足の節々も痛むし力が入らなかった。

 四つん這いの姿勢で手を伸ばしたあたしは、次の瞬間、視界が回転してふわりと持ち上げられた。

 いわゆるお姫様抱っこの姿勢だと気づいたのは、リコが浴室に向かって歩き出してからだった。

 可愛いパステルカラーの部屋着が、顔のすぐ近くにある。

「ちょ、リコ。汗かいてるから――」

「いいからっ」

 怒ったようなリコの口調。視線も険しくて、あたしは口をつぐむしかなかった。

 そうして反論する間もなく浴室に放り込まれる。化粧落としも投げ込まれてきた。

「終わったら声かけてっ」

 浴室の外から響くリコの声。

「……おとなしく言う事を聞いた方がよさそう」

 聞こえないよう、ぼそりと呟く。

 そうしてシャワーを流す際も、靴擦れにしみて飛び上がってしまう。

 リコの険しい表情を思い出し、気落ちする。

「……こんなに無理しちゃったんだ」

 そう、リコを怒らせるほど。

 それだけではなく、幸人さんにも心配をかけた。

 今更ながらに後悔が襲ってくる。

 目の端に滲むそれを、シャワーでごまかす。

 終えて出てくると手早く着替えさせられ、やっぱり抱きかかえられてリビングへ。

 リコの手によって横向きに椅子に座らされ、テーブルにスキンケア用品が並べられる。

「足は何とかするから、そっちは自分で」

「うん」

 足元に座り込んだリコの顔は険しくて、あたしはそれを見るのが辛くて、言われたままに手を動かす。

 足が冷たい感触で覆われ、包帯が巻かれていく。

 それが終わると、今度はリコはあたしの後ろへ。ドライヤーの風が、身体を撫でていく。

 怒っていてもケアの事をしっかり考えてくれるリコに、なおさら申し訳なくなる。

 スキンケアとほぼ同時にドライヤーも終わり、リコは早足で台所へ姿を消した。

 その様が置いて行かれたようで、身がすくむ。

 けれど、すぐリコはカップを手に戻って来た。

 テーブルに置かれたそれから、爽やかな香りが立ち上る。

 ホットミントティー。

 疲れた時に、よくリコが出してくれるものだった。

 だから、もう涙は止められなかった。

「お疲れ様――って、ええっ!? どうしたの!?」

 リコの驚きをよそに、ぼろぼろと涙が零れ落ちる。

「ご、ごめんなさい。し、心配、かけて」

 そう、幸人さんにもそうだったのに。

 それを忘れてまた浮かれて、こんなになるまで気づかないなんて、あたしはどうかしている。

「お、怒られて、当然よおっ……」

「え、う、うち怒ってた? いやあ、それはミサへじゃなかったんだけど。うーん、漏れちゃってたかー」

 焦った声が降ってくる。

 リコはあたしを抱きしめてくれた。また、その胸を汚してしまう。

「もっと気を配れたじゃん、って思ったら、つい自分にムカついちゃって。サンダルとか日傘とかさ。ごめん、サポートし切れなかった」

「どうしてリコが謝るのおっ……!?」

 むせび泣くしかない。

「リコはたくさん助けてくれた! あたし一人じゃなんにもできなかった! だから、今日はリコのおかげなの!」

「そうかなー……」

「そう! だから、リコは自分を責めないで! そんなの、あたしが絶対、許さないんだから!」

「あー……ミサがそう言うんだったら、聞くしかない、かなあ」

「聞いて。お願い。そうしてまた、あたしを助けてよお」

「あいあい。了解っすよー」

 あたしの肩を優しく、ぽんぽん、としてくれるリコ。

 情けない。

 助けを求めることが、リコの自責を払うすべだなんて。

 それに。

「……仕事に、穴あけちゃうかも」

 夏のモデル仕事は足を出すことが多い。今のこの靴擦れでは、明らかにそれに影響が出そう。

 そうなると、マネージャーとして動いてくれているリコにも負担となる。

 また迷惑をかけるのか。

 それを考えて、ぞっとした。

「ああ、それなら大丈夫」

 なのに、リコの声はあっけらかんとしたものだった。

 訳がわからずに顔を上げると、涙を拭われる。

 そうしてリコはテーブルの上からタブレットを取り上げると、操作して、とある画像を映し出した。

「次のお仕事は、足を隠す感じのやつだから」

 見ると、透け感のあるアシンメトリーのロングスカートと、ソックスブーツの組み合わせだった。

 ブーツは膝上までのもので、これなら靴擦れの箇所が見える心配はない。

 あたしはやや呆然と、リコを見上げた。

「……夏にブーツ?」

「夏にもブーツを売りたいメーカーのご意向もあるんよ。それにこれ、通気性を追求した奴だから、見た目に反してそんな暑くないんだって。ミサが転んで膝怪我すること見越して取って来たんだけど、こんな役に立つとは」

「それ、幸人さんにも言われたんだけど!?」

 リコのドヤ顔に、あたしの鬱積した気分は吹き飛んだ。

「あたしはどれだけ子供だと思われてるのよ!?」

「子供というか、浮かれすぎを考えて?」

「それは当たっているけれども!」

 反論の余地はなく、あたしは頭を抱えた。

 もちろん子供のような扱いをされていることは恥ずかしいけど、それ以上にあたしの事を考えてくれていることも嬉しい。

 どっちに感情を傾ければいいのかさっぱりだった。

 そうして、ふと、あたしのことを考えてくれている、という部分に思い至る。

 あたしのデートの準備、当日のサポート、護衛としての立ち回り、マネージャーとしての采配をしてくれたりの色々を想像すると。

「あたしより大変じゃない!?」

「わっ、どったの?」

 唐突な叫びに驚いたリコだけど、あたしはそれどころじゃなかった。リコの肩を掴んで詰め寄る。

「色々と助けてくれるのはありがたいけど、ちゃんと寝てる!? リコのほうこそ、無理してない!?」

 またもや涙が浮かんでくる。あたしのためにリコが無理をするなんて、絶対嫌だ。

 けれど当のリコは、きょとん、とした表情を返してくるだけだった。

「そんな感じに見える?」

「……み、見えない」

 そう、いつだってリコは自然体であたしのそばに居てくれる。

 だから無理と見えたことはない。けれど、それを隠しているだけだとしたら、あまりにも申し訳ない。

 しかし、リコは朗らかに笑うのだった。

「だってミサといるのは楽しいし、マネージャーだってミサと一緒に働いてるようなもんじゃん? だから不満なんてあるわけないしー」

「……そ、そうなのね」

 あからさまな好意に、あたしは首元からの熱を無視できなかった。

 しかし、なんだか納得いかないこともあり、あまり言いたくないことを口に上らせる。

「で、でも、あたし以外との時は? ほ、ほら、藤井さんとデートしたり、とか」

「それこそだいじょーぶ。ちゃーんと色々してるし。ほら」

 リコが右の手首を見せると、そこには見たことがないレザーのブレスレットがあった。

 そこに向かうのは照れを含んだ嬉しそうな笑顔だ。

「うちらも今日、デートしたんよ。んで、終わり際にダーリンにもらったり。だからご心配無用!」

「ふ、ふうん。そうなんだ」

 仲がいいのは喜ばしい反面、歯噛みする思いもあった。

 おそらく嫉妬なのだろう。

 あたしの親友、という想いがあり、取られた、と感じてしまっている。

 だから、あたしは我慢できなかった。

 足に負担をかけないよう、そっと立ち上がる。

「ミサ?」

「ちょっと玄関に忘れ物があって」

「ああ、ならうちが」

「ごめん。それだけは、自分で取って来たいの」

 身を翻そうとしたリコを呼び止めると、不思議そうな顔。

 しかし、あたしの表情に何かを感じ取ってくれたのか、仕方ないなあ、とばかりに頷いてくれた。

 それを受けて、ゆっくりとバッグのそれを取りに行く。

 そして戻ってきて、それ――小箱を差し出した。

「……受け取ってほしいの」

 神妙なあたしの面持ちに、戸惑ったようなリコ。

「……結婚指輪?」

「なんでそうなるのよ!? 幸人さんにもあげてないのに!」

「だよねー」

 もしくはもらう方! それもまだ!

 なんだか変に気合が入ってしまったあたしに対して、小箱をおずおずと受け取ってくれたリコ。

 視線で、開けてもいいか、と問われた気がしたので頷く。

 合っていたようで、リコは小箱を開け――目を見張った。

 そこにあったのは、ロック式の銀色のピアス。小ぶりで華美ではないけれど、いつもリコがつけているピアスとの同居を考えた色合い。

「え、っと……?」

 嬉しいと戸惑いが混ざったリコの眼差し。

 そうね、今日は誕生日でもなんでもないもの。

 あたしの方こそ恥ずかしくなって視線を逸らした。

「感謝の気持ち……日頃の」

 かろうして言えたのはそれだけだった。

「うっひゃああっ」

 妙な雄たけびに、びくり、としたあたしが見ると、満面の笑みのリコの姿。

 シャワー上がりで何もつけていない耳に、いそいそとプレゼントしたピアスをつけ、髪をかきあげて手近な鏡で確認する。

「うっひゃめっちゃイイ! うち、もうこれしか着けない!」

「そ、それはちょっと困るんだけど」

「なんで!?」

 愕然、みたいなリコ。

 ちょっと、反応激しすぎじゃない?

 けれど、ちゃんと説明しないと納得しなさそうなので、恥を忍んだ。

「……急にそれだけになったら、逆に目立つでしょ。取り上げられても嫌だし」

 そう、考えたのはリコが学校でもいくつものピアスを着けていること。

 それ自体はもう黙認されているけれど、変化が見えることで逆に没収の圧力が強まってしまうかもしれない。

 ようするにあたしは、今までのリコの日常に、プレゼントしたピアスを連れて行ってほしいのだ。

 さすがにそこまで言うのは恥ずかしくて言葉を濁したが、リコは大いに納得して拳を振り上げた。

「そんなんなったら、ぶっ飛ばすから大丈夫!」

「大丈夫なわけないでしょ!?」

 リコは「ちぇー」とか言いながら、普段つけているピアスも着けて、バランスを見始めてしまった。

 あたしは、やれやれ、と思いながらやっと落ち着いてミントティーを傾けた。

 すっかり冷めてしまったけど、すっと胃に落ちて、優しく内側から癒してくれるようだった。

 それに気づいたリコが、手を止めて聞いて来る。

「あ、淹れなおすよ?」

「ありがとう。でも、いいわ。冷めても美味しいから」

 これは本当。お砂糖も入れてくれているようで、その優しい甘さが精神的な疲れも取り去ってくれるようだった。

「うし、完成! ほらこれ、めちゃくちゃいいんじゃない!?」

 耳を見せびらかしてくるかのような、興奮状態のリコ。

 確かにそれはあたしが見慣れた配置で、でもその存在は確かに主張されているのに違和感がない。

 あたし以外が見ても、前の時とは見分けがつかないだろう。

「ええ、似合ってるわ」

「いえーい! ダーリンからもらったのより嬉しいし!」

「それはどうなの?」

「だってしょうがないじゃん!? これがあれば、どこでだって生きていけるくらいだよ、うち!」

「どこに行くつもりよ」

 その言葉に続いたのは、あたしの小さな腹の虫だった。

 ミントティーに刺激されてしまったみたい。

「あ、何か食べる?」

 相変わらず、リコの気の回しようがすごい。この子、奥さんになったらとんでもない良妻賢母になるんじゃないかしら。夫の尻を叩くタイプの。

「リコは?」

「うちはもう頂いたよ。あ、朝のあっためよっか?」

「それ食べたかったの!」

 急に思い起こされ、あたしは身を乗り出してしまった。

 足がこんな状態じゃなかったら、絶対立ち上がっていた。本当は、そうしそうになって痛みで顔をしかめさせられたんだけど。

「あいあい。じゃあ準備してくるから、おとなしくしとくんだぞー」

「わかってるわよ」

 台所に向かいながらの忠告を、あたしは苦笑で見送るしかない。

 そうして、しばらくミントティーを楽しむ。

「あんなに喜んでくれるとは思わなかったな……」

 ぽつり、とあたしの唇からそんな思いがこぼれた。

 感謝の気持ちとして渡したプレゼント。

 けれどこれが、謝罪の気持ちとしてだったらどうだったろうか。

 きっと、あんなに喜んではくれず、乾いた笑いでぎこちなかったかもしれない。

 そして、そっとしまわれていた可能性すらある。

 それはそうだろう、と思う。

 謝罪ならそれは罪の証であり、見たいものでも見せたいものでもないのだから。

 そうこうしていると食欲をそそる匂いが漂ってきて、それを先駆けとしたリコがトレーを持ってやってきた。

「おっまたせー」

「やったっ」

 テーブルに置かれたのは、夢にまで見た、とは大袈裟だけど待ち望んでいたマフィンとコンソメスープ。

 自然、あたしのテンションは上がった。

「お、美味しそう。リコも一緒に食べない!?」

「ん。それじゃ、せっかくだし頂くねー」

 と、予想していたのか取り分け用のナイフを手にするリコ。さすが気の利くリコは手際もよく、綺麗な形に切ってくれた。

「頂きますっ」

「いっただきまーす」

 行儀も忘れてかぶりつく。ぽろぽろとかけらが落ちるけど、今日はもういいだろう、と言う心境だった。

 チーズ、ベーコン、じゃがいも、という組み合わせは、この時間帯に食べるものとしては重くて味も濃い。

 でも、そんな背徳感の塊を、遠慮なく胃に落としていく。

 コンソメスープはキャベツや人参が細かく刻まれていて、マフィンとは対照的に優しい。

 「美味しい」もそうだけど、「頑張ったね」が伝わってきて、嬉しさがこみ上げる。

 目の前には同じく表情を緩ませたリコがいて、こうして一緒に食卓を囲めることがなんだか奇跡のように思えて、涙が出そうだった。

 けれど、さすがにそれは恥ずかしいので、なんとかごまかすように話題をひねり出してみた。

 ちょうど、リコの右手首には相応しい話題があるのだし。

「そのブレスレット、センスいいわね。藤井さんが選んだの?」

 言ってから、藤井さんを褒めてしまったと気づいて少し気分が悪くなったけど、そこは無視することにする。

「そうなんよー。意外な感じっしょ?」

「そうね」

 あたしは力をこめて頷いた。それ以上、難癖をつけられなかったのはリコの笑顔が輝かんばかりだったからだ。

 それは確かにそうだろう、恋人からもらったものなのだから。

 だからあたしとしては、話題にしたからにはそれを褒めざるを得ない。失敗した、と思いながら。

 それでもブレスレット自体は綺麗なので目を引いてしまう。

 そうしてよく見ると、埋め込まれた小さな石がきらりと光った。

「綺麗な石ね」

「これが気に入ってるんよー。なんて石か知らんけど」

「ラピスラズリよ、これ。リコにぴったり。ちょっとキザっぽいかんじだけど」

 最後に、そう付け足すのが精一杯だった。

 ブレスレットにあしらわれた小さな石はラピスラズリ――和名が瑠璃石で、瑠璃子に通じる石だった。

 しかも、その意味合いは「誠実」、「真実」、「直感」と、リコを言い表している。

 さりげなく送ったにしては色々意味を込め過ぎで、それがあたしがキザと思った理由でもある。

 が、そんなあたしの心境とは違って、リコは顔を真っ赤にして頭を抱えていた。

「は、恥ずかし殺す気なんっ!? こ、こんな所でやり返してくるかなあ普通……!?」

「え、リコ?」

「あ、あいつ、あいつ。こ、今度会ったら。今度会ったらああっ……!」

 な、なにかしら。

 リコが深い情念のこもったうめき声をあげて、テーブルに突っ伏してしまった。

 恋人から送られたプレゼントに込められた意味が、そんなに嬉しかったって言う事かしら。

 なんにせよあたしは、「藤井さんとしている色々」を追求し損ねたのだった。

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