君のために
俺と美咲の遊園地デート当日。
俺の忠告はやはり効かず、おそらく精一杯頑張って準備してくれたのだろう、待ち合わせ場所の調整は想定内だった。
伝言役となってくれた八重垣さんのメッセージでは、どれだけ美咲が頑張ったかが力説されており、反面、自分のフォローが足りなかったと陳謝もしていた。
その文面に俺は微笑ましさしか感じず、もちろん了承。気にしなくていい、という返信が伝わることを願うばかりだった。
そうして待ち合わせ場所にやってきた美咲は、俺の想像外の愛らしさで見惚れてしまった。
ブラウスとキュロットスカートの組み合わせが上品で、なのに健康的な白さの足にいけないものを見ている気にさせられて。
アップにした髪が首筋をいつもより見せていて、漂う色香にクラクラした。
なのにあいつと来たら、その余韻をぶち壊すような挨拶をしてきた。
それは出会ってすぐの頃、俺に投げかけた挨拶そのままで、その時は冷静につれない態度で返せたというのに。
今日はもう、ごまかせず素直に褒めるしかなかったほどだった。
認めるしかなかった。
大事な彼女なのだと。
俺と巡り会ってくれてありがとう、と感謝した。
だからだろうか、美咲と同様に俺も浮ついていて、はしゃいでいたと思う。
想いの通じ合った彼女とのひと時は、これほどまでに楽しく尊く、ひたすら眩しいものかと。
――なのに。
「……美咲?」
休憩中のベンチ。
隣に腰掛けて、屈託のない笑顔を向けてくれていた美咲。
急に言葉に詰まって俯いたかと思うと、俺にもたれかかってくる。
なんだ、と思う暇もなく、その頭がずれていき、俺の膝の上に。
反射的に受け止めると、妙に重かった。
「おい、美咲」
返答はなく、感じるのは脱力した身体。
いつも生き生きとしている美咲がまるで、マネキンのようだった。
「おい、美咲!」
嘘だろ。
心臓が引きつるような感覚。
慌てて抱きかかえて顔を覗き込むと、意識はなかった。
それはまるで、霊安室で見た母のようで。
「ミサ!」
口から絶叫が迸りそうになった時、そんな呼びかけが耳を打った。
ぎこちなくそちらを向くと、軽快な足音と共に近寄ってくる女の子がいた。
「……八重垣さん?」
「お邪魔申し訳ないっす。ちょいと失礼するっすね」
なんでそんなに冷静なんだ。
そう思うほど、八重垣さんはいつも通りだった。
そんな彼女は、美咲の顔をのぞきこみ、口元に耳を寄せ、顎下や手首に手を添えたりと、動きに淀みがない。
「ちょーっとお借りするっすねー」
「え? あ、ああ?」
そして俺の返事も待たず、ジャケットを脱がされ、それは美咲の膝あたりにかけられる。
そこまで来て、八重垣さんは膝に手を当てて大きくため息をついた。
それはまるで、彼女自身が息を吹き返したかのようだった。
「や、八重垣さん? み、美咲は」
俺自身の発声は、穴の開いた風船を思わせるようなひどいものだった。
顔をあげた八重垣さんは、安心したような表情だった。
「寝てるだけっす」
「…………え?」
その意味が浸透するまで、大分時間がかかった。
そんな馬鹿な、そう思って見下ろすと、そこには力が抜けた美咲の姿。
しかし、その表情には想像していたような苦しさはなく、あどけない――寝顔、のようだった。
それでも急き立てられるような感情は落ち着かない。
「ほ、本当に?」
まるで八重垣さんを疑うようなことまで言ってしまう。
しかしそれに返ってくるのは怒りではなく、なにやらボトルを取り出す落ち着いた動作だった。
「本当っす。少し熱中症入ってるところはあるっすけど、睡眠不足、朝食抜き、そっからの体力不足、と言ったところっすね。このまま寺島さんの膝枕で少し寝かせてあげたら、すぐ回復するっすよ。なんつっても、若いんで」
ボトルから濡れタオルだろうか、それを取り出す動作は何気ないのに、その目に灯る熱は優しい。
それに導かれたのだろうか、やっと俺も落ち着きを取り戻していく。
そうすると、気づかされたのは先ほどの自分の心の醜さだ。
「……すまない、八重垣さん」
「はい?」
八重垣さんは、濡れタオルを美咲の顎下あたりにあてながら首を傾げる。
あくまで平常通りのその姿に、俺は思わず目を背けてしまう。
「なにをそんなに落ち着いているんだ、と。そんなに軽い症状なのか、と。八つ当たりみたいに思ってた」
「それ、言わなかったらわからなかったやつじゃないっすか?」
呆れたような声と、タオルを美咲の額にあてる動作が続く。
「そうだと思う。けれど」
八重垣さんが俺にタオルを渡してくれて、それを当てる様に促す。たどたどしく、それを動かしていく。
「何もできなかった俺が何を、と思ったら、謝らないと、って。……八重垣さんが来てくれなかったら、どうなっていたかわからないのに」
「うちはこういう状況、割と慣れてるっすからねー」
閉めたボトルをベンチに置き、八重垣さんは中腰で美咲を覗き込んだ。
「……それに、うちにも責任あるんで」
美咲の前髪を整える八重垣さんの表情には、後悔が滲んでいた。
「……責任」
それは俺の方だ、と強く思う。
俺は年上で社会人で、まだ未成年の美咲を保護すべき責任があった。
決して同年代の少女である八重垣さんに負わせるものではなく、美咲が意識を失った時にも冷静に対処をするべきであった。
それを言おうと顔を上げると、押しとどめるような手のひらが視界を満たす。
「ミサが起きちゃうんで」
そんなやり方で言葉を封じてくる八重垣さんこそ、俺よりよほど大人ではないのか。
自分の未熟を強く恥じる。
木陰はひんやりしていて、時折撫でてくる風が熱をさらっていく。
けれど、燻る悔恨をなんとかしてはくれなかった。
「寺島さん」
「……うん」
何を言われるのか、身構える俺に、どこか「仕方ないなあ」と言いたげな視線が向けられる。
「責任うんぬんより、これからどうするか、をお願いしていいっすか?」
「……これから」
「そうっす。そこんところ、よろしく頼むっすよ。……うちの、親友なんで」
そう告げると、八重垣さんはずり落ちそうになっていた帽子を押さえながら、背筋を伸ばした。
「……わかった。考えるよ、死に物狂いで」
八重垣さんがその返答に満足してくれたかはわからない。口にする前に背中を向けていたからだ。
そうして彼女は静かに立ち去って行った。
ざああ、と風が木陰を揺らす。
木漏れ日の下、美咲の表情は落ち着いていて、熱かった身体も冷めているようだ。
先ほどからの八重垣さんとの会話もあり、俺はようやく、暴れていたかのような心情が去っていたことに気が付いた。
これから、か。
俺は一体、どうあるべきなのだろうか。いや、どうあれるだろうか。
美咲が倒れるまで、俺はその不調に一切気が付かなかった。
浮かれていたと言えばそれまでだ。
けれど思う。
もっと気は回せなかったか?
気遣えなかったか?
――大事にできなかったか?
それを振り返れば、俺は八重垣さんに殴られても仕方がないはずだった。
けれど、そうではなく。
ベンチを見下ろす。
そこにあるのは、濡れタオルを納めていたボトルのみ。
それと、「頼む」という言葉。
その残滓は、殴られるより強烈に、俺に訴えかけてくる。
「これから……か」
美咲を見下ろす。
と、俺の言葉に反応したのか、長いまつげが震えた。それがゆっくりと開いていく。
「……美咲。大丈夫か?」
そんなありきたりの言葉しか思いつかない自分が歯がゆい。
けれどそっと、刺激しないように呼びかけた。
少しの間、美咲は俺をぼうっと見ていたが、この状況に気づいて、びくり、と身体を震わせた。
「も、もしかして膝枕!? あたし、いつの間にこんな天国に!? 全然堪能してないんだけどおっ!?」
……よかった、元気を取り戻したようだ。
それを実感したのが鼻息を荒くした美咲と言うのがアレだが、元気に越したことはない。
「あ、ありがとうございます! お代はどれだけお渡しすればいいのかしら……!?」
「アホ、落ち着け」
そう言えることに、心底安堵した。
「だ、だってこんな状況、もう二度とないかも知れないのよ!? ああん惜しい、というかなにがどうなってこうなったの!? ど、導入再現プリーズ!」
動揺しながら悔しがってはいても、身体を起こす気は微塵もないようだった。
もはや必然と、堪能の姿勢に入っている美咲に、呆れるばかりだった。
「何度も倒れられてたまるかよ。どれだけ心配したと思ってるんだ?」
まんざら嘘でもなく、冗談まじりに零した俺だったが。
「――――え」
それへの反応は劇的だった。
凍り付いた、と言っても決して大げさではなく。俺の身体に震えが伝わってくる。
なんだ?
反応の落差に、俺は戸惑うしかない。
「だ、だから、少し落ち着け。もう少しゆっくりしてていいから」
けれど、それは止められなかった。
涙が零れ落ち、それどころか逃れるように身を捻ろうとする美咲を、俺は慌てて押しとどめた。
「ど、どうした?」
幸いそれ以上の動きはなかったが、俺は意味がわからなかった。
そんな俺の腕の中で、顔を隠すように拳を押し当てて、美咲は。
「ご、ごめんなさい」
「な、何が」
「失敗、しちゃったっ」
堪え切れない嗚咽が漏れた。
「楽しんでほしかったのにっ」
なんだ、それは。
「せっかく、時間を割いてもらったのにっ」
なんでそうなる。
「台無しに、しちゃったっ……!」
――ああ、そうだ。こいつはこういうやつだった。
「大事なデートだったのに!」
「お前の方が大事だよ」
俺の言葉は届いたようだ。
しゃくりあげていた動きは消え、ゆっくりとあげた顔を見せてくれた。
俺を見てくる視線は、信じられない、そう言いたげだった。
だったら、何度でも言ってやろうじゃないか。
「デートより、美咲が大事だ。元気になってくれて、ほっとしたんだ。デートはまたできる。でも、美咲がいなくなったらもうできない。だから、もう倒れてくれるな。膝枕なんて、言ってくれたらいくらでもする。だから」
考えがまとまらない。何を言いたいのかもわからない。それでも、言葉を続ける。
「だから……俺から、逃げないでくれ」
言って、美咲を俺の方へと向けて引き寄せる。
その頭を抱えて、腹に押し当てるように。
「お、お化粧で。汚れちゃう」
「構うか。それが男の甲斐性ってもんだろ」
冗談っぽく言うと、美咲は押し黙った。
しかしすぐに、すり寄って来た。
しばしの時が過ぎる。
木陰の下、視界を人は横切っているのに、まるで静かな時間が流れていた。
「……リコがね」
顔を埋めたまま、ぽつり、と美咲は話し出す。
「ああ」
「今日の朝ご飯を作ってくれてたの。チーズとベーコン、じゃがいもを挟んだマフィン。あと、コンソメスープ。温めればすぐ食べられるよ、って」
「美味しそうだな。カフェのモーニングみたいだ」
「うん。昨日の晩、食べそうになっちゃった」
美咲は少し笑ったようだった。
「服選びもたくさん付き合ってくれて。髪をアップにしてみたら、って言ってくれたのもリコなの」
「八重垣さんの仕掛けか。当たってたよ。正直、ドキっとした」
「……よかった」
だから、首元が染まるのもわかりやすい。
「昨日も、何かあるがわからないから泊まって行こうか、って言ってくれて」
「うん」
「それで……それでね」
服にしがみついて来る美咲。
「日傘は持ったか、とか。絆創膏は、とか聞いてくれて。そ、それで。だから」
俺の手が、自然と美咲の頭を撫でる。
「だからっ……」
「ああ。さすが、美咲の親友だな」
美咲の思いは、すすり泣きに溶けていった。
それらの言葉に何がどれだけ詰められているか。俺にわかるのは少しだけで、それが寂しくないと言ったら嘘になる。
けれど、理解できない大部分をこうやって受け止められることに、ぶつけてくれることに、嬉しさも覚えるのだった。
泣き止んで、惜しみながら身を起こして化粧を整えた美咲は、まっさきに俺の服を気にした。
正確には、そこに滲む涙の跡と移った化粧だ。
「お、落ちない。どうしよう……!」
「だからいいって」
「で、でもお……!」
「勲章だよ。落としてくれるな」
そこまで言って、恥ずかしそうにしながらも納得してくれたようだ。
「体調、もう大丈夫そうだな?」
「え、あ、うん。ご、ご心配をおかけしました」
そうして、律儀に頭を下げてくる美咲。
ここで遠慮するとなおさら意固地になりそうな気がしたので、それは受け取ることにした。
「そうだな。八重垣さんも心配したと思うし、会ったら話した方がいいかもな」
「そうする……」
気落ちしたように、声に張りがない美咲。それは何かを考えこんでいるかのようだった。
それを気にしつつも、俺は切り出した。
「それで、だが。今日はもう帰った方がいいと思うんだが――」
「……あ。う、うん……」
思ったほどの抵抗はなかった。拍子抜けしてしまって、続ける言葉を忘れてしまったほどだ。
それをどう取ったのか、美咲は少しむくれた。
「も、もう。それくらいわかってるわよ。実際、倒れたんだし」
そうして、次は恥ずかしそうに顔を背ける。
「そ、それに、また来てくれるって言ってたし」
そう、ころころと表情をよく変える、俺の好きな美咲はそう言った。
「で、でも、その。す、少し幸人さんにお願いがあって」
今度は上目遣いに見てくる。その様に、俺は高鳴る鼓動を感づかれないよう、必死に自制した。
「前に言ってた、リコへのプレゼント。選ぶの、手伝ってほしいの」
「……今から?」
「む、無理を言ってるのはわかってる」
確かに、無理をしてほしくはない。
元気そうだが、気温は昼にかけて上がるばかりだし、睡眠不足は少しは解消されたかもしれないが、それでも俺の胸に心配の影がよぎろうとしてしまう。
俺の表情を見て言いたいことを理解はしてくれたようだが、それでも美咲は食い下がった。
「お願い。リコに……少しでも、謝りたいの」
それを聞いた俺は、結論を下した。
「なら駄目だな」
「ど、どうして?」
目を丸くする美咲。それを前に思うのは、美咲の手当てをして静かに去って行った八重垣さんの事だった。
「ただひたすら謝られても、八重垣さんは困るんじゃないかな」
「それは」
思い当たるのか、美咲は顔を俯かせる。
ここで俺が言いだすのは簡単だが、それも違う気がしていた。
それに、美咲はきっと自分で気づく。そう確信してもいた。
美咲は、おずおずと顔をあげた。
「……そう、ね。あたしが一番伝えたいのは、それじゃなかった」
美咲は確かめる様に、俺に視線を合わせた。
「お願い、幸人さん。リコに、ありがとうって言いたいの」
「それなら喜んで」
期待通りの結果に、俺の胸の方が高鳴るくらいだった。
しかし、釘を刺すのも忘れない。
「ただし、少しでも不調が見えたら中止だからな」
「はい」
それには神妙に頷いてくれた美咲だった。
「よし、なら行こうか。お昼はここを出てからにするか?」
「そうね」
特に異論はないのか、俺たちは揃って立ち上がる。
「った」
途端の、美咲の蹴躓くような素振り。
そこで俺は、初めて美咲の踵が赤くなっていることに気が付いた。
「靴擦れしてるじゃないかっ」
「だ、大丈夫よ。ちょっとだけだから」
俺の強い口調に驚いたのか、美咲は咄嗟に痛むそこを隠すようにした。
その仕草で気が付いた。
「……悪い。美咲にあたってどうするんだ、俺」
「……幸人さん?」
俺は美咲に答えず、ショルダーバッグから絆創膏を取り出した。
「美咲、座って」
「は、はい」
「……いや、怒っているわけじゃないんだ」
ちょこん、と言った具合にベンチに腰掛けた美咲が可愛らしくて、俺は申し訳なくも微笑ましさに唇を綻ばせてしまった。
そうして、美咲の前に膝をつく。
「ゆ、幸人さんっ?」
何を思ったのか、あたふたし始める美咲。
俺は俺で、露出の多い脚に不用意に近寄ってしまったことで、落ち着かなくなってしまった。
咄嗟に、ベンチに置きっぱなしだったジャケットを手にすると、美咲の膝にかける。
視界に落ち着きが戻って来たと同時に、ベンチで倒れていた美咲に、八重垣さんが同じようにジャケットをかけた光景を思い出す。
あれは、意識のないまま足を晒してしまう女の子への気遣いだったんだ、とやっと気づけた。
まったく意識が回らなかった、と自戒しつつ、今はそうじゃない、と気を取り直す。
「靴擦れ、ここだけか?」
「……足の甲も」
「……そうなのか」
もしかしたら、と思って俺は思い切って右のサンダルを脱がせた。
「幸人さんんんっ!?」
恥ずかしさ故だろうか、押し殺したような悲鳴が響く。
質こそ違えど、俺の内心も同じように悲鳴で満たされた。
サンダルが触れていたであろうそこかしこが、赤くミミズ腫れのようになり、また、擦り切れていて出血している箇所すらあった。
おそらく、左も同じようなものだろう。
満身創痍と言え、よくこれで歩けていたものだ、と思うほどだった。
「そ、その……」
今度はばつの悪さだろうか。口ごもる美咲に、俺の頭が垂れた。
「……すまん。こんなになっていたなんて、全然気づけなかった」
情けないにもほどがある。
「ち、違うの。気にせず楽しんでもらいたくって。が、我慢できたし」
「……あのなあ」
俺自身の不甲斐なさも大概だが、こいつの自己犠牲もどうなんだ、と思ってしまう。
とりあえず、痛いままにはしておけないので、治療を優先することにする。
美咲の右足を、膝の上に乗せる。
「ひゃっ」
「大事なデートと勢い込んだのは、わからないでもないが」
絆創膏を患部に貼っていく。そう、患部。ただの靴擦れなんて、言わせてたまるか。
「ひんっ」
「お前はデートを接待とでも思っているのか」
「んぅっ」
右は貼り終えて、再びそっとサンダルを履かせる。
「はあぁん」
左を脱がせて、また膝の上に。やはり、こちらも酷い。
「ゆ、ゆ」
「無理をするにもほどがある」
痛くしないように絆創膏を貼っていく。
「んんっ」
「ちょっとは俺の身にもなれ」
貼り終えて、左も再び履かせた。
「ふ、ふぅ」
「聞いてるのか?」
いささか腹を立てながら、やり終えて見上げると、そこには全身に力を籠めて震える美咲の姿。
なにやら目が潤んでいて、息が荒かった。
「……なんだかすまん」
腹立ちも吹っ飛んで、俺はそう言う事しかできなかった。
「こ、今度は二人っきりの時に」
「また靴擦れしようってのか?」
「そ、そうじゃなくてえ」
腰が抜けたのか、しばらく回復に時間を要した美咲。しかしまだ、ベンチからは立ち上がれないようだった。
しかしお互い恥ずかしい思いをした甲斐はあり、足の痛みは大分ましになったとのことだった。
「……なあ、美咲」
「なによお」
俺があまりにもつれないせいか、今度は機嫌が傾いてしまったようだった。
そんな表情も愛らしく、俺はやはり申し訳なく思う事はできない。
それを隠すように立ち上がり、半歩踏み出した。
視界には、遊園地を楽しむ多くの人の流れ。
今度はこれにきちんと混ざろう、そう思いつつ。
「大した演技だったよ。全然気づかなかった。いつから体調悪かった?」
「……会う前から」
観念したようなため息が聞こえてきた。また怒られる、とでも思っているのだろうか。
怒るより、頭が下がる、という形容しか出てこない。
「そりゃ凄い。女性はみんなそうなのか? それとも、美咲が特別?」
「……わかんない。他なんて知らないもん」
砕けた口調に親密さを感じる。甘えてくれているのだろうか。だとしたら嬉しいのだが。
演技力については、モデルとして磨かれたという事だろうか。ならなおさら、俺は今後も見抜けないに違いない。
――いや、そうじゃないか。
「そうか。でも美咲」
振り返ると、いつもながらの綺麗な姿勢で俺を見上げる美咲があった。
けれどそれが、自分を脆くするほど頑張るが故だと、もう俺は知っている。
「俺の前では、演技が下手でもいいんじゃないか?」
思いもかけないことを言われた。
美咲の瞳はそう語っていた。
「肩の力を抜いて、多少は姿勢が悪くなったっていいんじゃないだろうか」
俺の言葉に、美咲は戸惑ったように瞳を震わせた。
「そうして寄りかかってくれないと、俺も立つ瀬がないしな」
うまく言えない。
俺の声は届いただろうか。
美咲は立ち上がると、膝掛けになっていた俺のジャケットを肩に羽織った。
「……ん」
折り合いをつけたのか、そうでないのか。
嬉しそうな、けれど抵抗がある様な。
そんな表情だったが、まだまだ照り付ける太陽への備えとして俺のジャケットに甘えてくれたことで、まずは良しとするのだった。
差し出した手に、小さな手が添えられ、俺たちは歩き出した。
「……絆創膏。幸人さんが、そんなに準備いい人とは思ってなかった」
唇を尖らせながらのその憎まれ口は、どれへの仕返しなのやら。
俺は澄まして返す。
「美咲がはしゃいで転ぶかも、と思ってな」
「子供じゃないわよおっ!?」
ぷんすか、と可愛く睨みつけてくる、俺の好きな女の子。
意地悪だったろうか?
でも、こんな演技ぐらいさせてくれ。
そうじゃないと、照れくさくてまともに話せないんだ。
ささやかな、美咲の演技への仕返し。
それくらいはさせてくれても、いいだろう?




