将来図
ここは走る黒塗りの乗用車の中、後部座席。
あたしは急く心境を制御しながら、その時をまだかまだか、と待っていた。
リアガラスを振り返っていたリコが、呆れたような声をあげた。
「振り切れたよー」
「い、痛々しいいいいいいいっ!」
すでに許容を超えていたあたしの絶叫が放たれた。
その勢いのまま、ワインレッドのウィッグを外し足元に放り投げ、手袋を外して座席に打ち捨てた。
そうしてリコが渡してくれたメイク落としで顔を拭うと、長いつけまつげがぼろぼろ落ちる。
ついでコンタクトレンズも外し、リコの手も借りてゴスロリ服から逃げた。
代わりに渡された服に、リコの視線を気にする精神的余裕もなく手早く着替える。
ようやく普通の服に戻り、顔やら頭皮やらを揉んで解放感を味わう。
「魔法少女ゴスロリ瑠羽ちゃん終了だねー」
「なにが魔法少女よ! ただの痛いコスプレ女じゃない!」
「それは全国のコスプレ女を敵に回す発言ね」
「かかってくればいいわよ!」
あたしが喚く間に、リコは変装道具を拾い集めてメイクセットの箱へ納めていく。
「もー、ミサがついて行きたいっていうから案を出したのになー」
「そ、それには感謝してるけど……! も、ものすごく感謝してるけどおお……!」
そう、リコこと八重垣瑠璃子に瑠羽なんて妹は存在しない。
八重垣瑠羽として振舞っていたのはあたし、竜禅寺美咲。
事の発端は、幸人さんが服の相談を藤井さんにし、藤井さんがリコを誘ったこと。
そこまで聞いて、あたしは思った。
――どうしてそこに、あたしがいないの?
いえ、理解はしている。
服を買うというのはあたしとのデートの準備のためで、それで藤井さんを頼り、女性視点としてリコを頼った。
サプライズも兼ねているだろうし、あたしはそこにいるべきではない、と理性では承知している。
けれど、藤井さんだけなら男同士だしまあ許してあげよう、という気持ちにはなるけど、そこにリコがいるなら話は別。
リコが、とびきり美人で眩しい女性が、幸人さんといる。
藤井さんの彼女、という立場のリコだけど、それでも我慢ができなかった。
あたしのために用意されようとしている衣装を、あたし以外の女性が先に目にするって何なの?
そう思ったあたしは、その服選びの日に自分をねじ込んだ。
ただ、頭は悩ませた。
サプライズも考えてくれているだろうし、そうなるとその場にあたしがいる、という事実はあるべきじゃない。
なら、遠くから見る?
それはありえない。もっと近くで別の女性が見ているのに。
考えついたのは、変装して堂々とそばにいよう、と言うものだった。
そうしてたどり着いた――というか、リコが提案してきたのがゴスロリ少女、八重垣瑠羽だった。
「いやよこんなのっ!?」
イメージを見せられ、まず浮かんだのは否定と鳥肌だった。
自分の趣味とまるで合わないそれを、なだめる様にすすめてくるリコ。
「でも、これくらいかけ離れてないと、寺島さん気づいちゃうんじゃない?」
「う」
「うちとしても可愛い妹ができて眼福だしー」
「それはどうでもいいわよ! そもそもどうして妹なの!? そんな役作り必要!?」
「そりゃそうでしょ。その場にいる必然性がないと、『なにこの子?』ってなってその場にいられるわけないし」
確かにその通りで、そんな簡単なことがわからないほど、この時のあたしはテンパっていた。
「うちとダーリンがフォローするにしても、それくらいの関係性がないとさすがに厳しいなー」
とまで言われてしまってはあたしに選択肢はなく。
かくして、その少女は誕生してしまったのだった。
話を合わせるため、幸人さんの前に、藤井さんにあらかじめその姿をさらした心境がどんなものだったか、あたしの記憶にはすでにない。
ただ、思わずと言った感じで笑いだそうとしたそいつを、視線で刺し殺して黙らせたことを覚えているくらいだ。
そうしてとうとう幸人さんの前にもその姿を現してしまったあたしだったが、その反応は想定していた痛々しいものを見るようなものではなく。
「この世あらざる美を見た畏怖、って感じだったよねー」
と、リコが見たところによる反応を説明してくれた。
気づいてほしい、と、ばれないでほしい、の同居が辛くて、もはや感情が凪だったことが、それにつながったのかもしれないけど。
その直後の、藤井さんが幸人さんの言いたいことをよくよくわかっている、という素振りには思わず冷たい視線を投げかけたりもして。
ただ、そこからはあたしにとっては夢のような展開だった。
リコと藤井さんがこき下ろす服装もあたしにとっては貴重で新鮮で、網膜や記憶に焼き付けるのに忙しく。
途中から幸人さんと行動させてもらったけど、勝手について行っているだけなのに歩幅を緩めてくれたり、その気遣いが嬉しくて。
でもそれは最後に引き離され、でも強い意志を秘めたその背中に惚れ惚れし。
そうして目にしたその光景と、その言葉。
「美咲に似合う男か?」
よっぽど、はい、と返事をしたかったけど、まったく言葉が出ないどころか気絶していたんじゃないのか、と後から振り返ってしまう。
でもそうやって選んだ服の値段は、おそらく幸人さんには負担になりそうなもので。
思わず制止してしまったけれど、あの人はむしろ誇らしげに、そこまでする理由を述べたのだった。
「俺の好きな女の子はこれと比べ物にならない努力をしてるしな。負けてられないよ」
そのセリフが何度もこだまする。
俺の好きな女の子。
俺の好きな女の子。
俺の好きな女の子!
「あたしの事よねあれ!?」
「今更、何を言ってるんだか」
詳しく説明しなくても、何のことか察してくれるリコはさすがだと思う。けれどその苦笑の中には、何割かの真剣の微粒子が含まれていた。
「さすがにそれは、寺島さんに失礼でしょ」
「う、そ、それは確かに」
「謝罪は瑠羽ちゃんの新作放映が喜ばれると思う。うちも」
「スポンサーは撤退したわ」
「あんなに人気あったのに!?」
「一般受けしなかったのよ」
「もっと布教すればよかった!」
「やめてよ、縁起でもない」
「ちぇー。実際、バズりそうな勢いだったのになー」
残念そうなリコがスマホをチェックする。
そう、モールでは声こそかけられなかったけれど、目立つゴスロリに加えて煌びやかなリコ、意外とハイセンスだった藤井さん、という組み合わせが注目されないはずはない。
視線どころかカメラを向けられそうなこともあった。そこからSNSなんてものに上げられたら、どんな騒ぎになっていたことか。
そうなる前に、人の流れを制御したり視線をさえぎったりと、さりげなく動く影。
見せる護衛のリコに対して、人に紛れてその役目を果たす人たちがあたしにはついている。
リコの先ほどのセリフ、「振り切れた」も、この車に乗り込んだあたしを追おうとしている者を妨害したり、という動きの結果報告である。
この車自体も、ナンバープレートなどに細工がしてあって追いづらい仕掛けがいくつもある。
そこまで周りに苦労を敷いたわけだけど――その甲斐はあった、とあたしには言い切れる。
だって、あらかじめ幸人さんがどんな服装で来るかわかれば、恥をかかせず相応しい装いを準備できるもの。
唯一、申し訳ないと思う事があるとすれば、それは。
「ごめんなさい、リコ。あなたのデートの邪魔をしちゃって」
それだった。
幸人さんの買い物の付き添いとは言え、せっかくの藤井さんと会う機会。
それにあたしは横入りしたようなもので、かつ、唐突な形で打ち切らせてしまった。
幸人さんの言葉はもう取り繕えないくらいあたしを高揚させていたので、ボロが出ないうちに退散するしかなかった。
護衛のリコもそれに付き合わざるを得ず、藤井さんとはせわしない挨拶を交わしただけだったのだ。
けれど、後悔を滲ませたあたしに対して、リコはピースサインまでつけて輝かんばかりの笑顔を返してくれるのだった。
「だいじょーぶ。ダーリンとはまた会えるし、ちょーっと足りないくらいがいいスパイスなんだから。気にしない気にしない」
「……ありがとう」
こういう時、あたしは自分の親友の緩さというか、それに見せかけた懐の深さを知る。
こうやって変装を考えてくれたり、今はモデルのマネージャーとしてもサポートしてくれて、あたしはどれだけリコをはじめ色々な人にお世話になっているんだろうか、と我が身を振り返る。
「それより報告。次の土曜日、空けられたよ。天気も問題ないってさ」
「デートの日取りの事!? 早いわね、さすがリコ!」
「ふふん、お任せあれにゃ」
得意げなネコ、もといリコ。眼鏡でもかけていれば優秀な秘書に見えそう。
実際、その辺りの調整は硬軟合わせての対応が上手で、裏方でも案外やっていけそう。正面に立ってのモデルなんてのも、もちろん向いているのだけれど。
気を取り直して、改めてあたしは今の姿を見下ろす。
先ほどまでの服の感覚がまだまとわりついているので、ちゃんと確認しないと気が済まないのだ。
あんな格好でずっと幸人さんに張り付いていたなんて、今思い返しても胃が裏返りそう。
リコが用意してくれたのはシンプルなラベンダー色のシャツワンピースで、今のリコの装い、ピンクのブラウスともバランスが取れている。
こういうさりげない気遣いというかセンスがあたしは心地よい。
こんなところに、藤井さんも惹かれたのかしらね。
ふとそう思い、そろそろ認めるべきか、という苦さがあたしの胸にたゆたう。
そんなあたしの内心を知らず、リコは無邪気に聞いてきた。
「服、買いに行く?」
「ええ。リコ、付き合ってくれる?」
「もっちろん。下着まで含めて見てあげるねー」
「したっ……!?」
にしし、と笑うリコに、あたしはしばらくの間、からかわれたのだった。
からかいにお灸を据え、着いたのはデパートの駐車場。
「お手をどうぞ、お嬢様」
車を降りる時、そう手を貸してくれるリコ。
ウィンクを交えながらのそれには、性別が違ってたら頬を染めるところね。
「ありがと」
実際には苦笑しながら降りただけだけど。
あらかじめ幸人さんの行動範囲は調べてあるし、まだショッピングモールにいるとの報告も受けているので、鉢合わせの心配はなし。
そうしてデパートの上層階へ移動する。あいにくエレベーターは混んでいたのでエスカレーターで。
と、その途中、視界を横切ったものが気になってあたしはある階で足を止めた。
エスカレーターの踊り場にいたままだと邪魔なので、少し前に出る。
「ミサ? どったの?」
「あれ」
あたしが指差したのは、おもちゃ売り場手前で佇んでいる女の子だった。
年は小学生くらいだろうか、あっちに行ったりこっちに行ったり、と右往左往し、また立ち止まる、を繰り返している。
「迷子かしら?」
「ミサ、やっさしー」
「また怒られたいの?」
「慎みまーす」
言いながら、あたしたちはその子の近くへ歩いていく。
予想通りというかなんというか、その女の子は今にも泣きそうだった。
「こんにちは」
「へろー」
あたしは中腰に、リコはしゃがみ込んで挨拶。
少し硬いあたしに対し、リコはにこやかにおどけた様子。
あたしは末っ子で下に兄弟がいない。
リコも同じなのにこの対応力の差はなんなのだろうか。
女の子は、二人も見知らぬ人物が目の前に現れたので、きょとん顔。
さて、ここからどうなるかしら。最悪、大泣きも覚悟しているのだけれど。
「……美人さん!」
と思ったら、驚いた顔で指差された。本来なら人を指差すとか注意対象だけど、ここは良しとしておきましょうか。
「キラキラさん!」
次に向いた指先はリコに。指差された方は、その表現にふさわしい笑顔を振りまいていた。
「あら、ありがとう」
「ありがとうね。キラキラさんだよ~」
あたしたちのお礼に、女の子の方こそキラキラした瞳になって、あたしたちの顔を行き来させる。まだ目の端に涙は残っているけれど、機嫌は直ってくれたみたい。
「ご家族とはぐれたの?」
「ミサ、硬い硬い」
女の子の戸惑った視線と、リコの苦笑が見上げてくる。どうやらあたしは間違えてしまったらしい。
少し咳払いすると、言い直した。
「パパとママと、はぐれちゃった?」
こくん、と頷くと、現状を思い出したのか、また涙が浮かぶ。
まずい、と思った瞬間リコが前にでて、にこやかに話しかけた。
「そっかー、それは寂しいね。お姉ちゃんたちでよかったら、一緒に探したいと思うんだけど、どっかなー? うちも、可愛い女の子とお話とかしたいし、付き合ってくれると嬉しいんだけどなー?」
「……おー」
リコの迫力に押されたのか、驚きなのか了承なのかが返ってくる。
畳みかけるリコ。
「やったぁっ。うちリコちゃん、こっちミサちゃん。よろしくね、可愛いお嬢さん。あなたのお名前も教えてほしいぞー?」
「……チヒロ」
「そっかチヒロちゃん、可愛いお名前だね! よし、パパママ探してしゅっぱーつ!」
「お、おー!」
リコの勢いにつられて、涙も忘れて拳を突き上げるチヒロちゃん。
その様は、強力な援軍を得た兵士のようだった。
「……すごい。リコ、あなた誘拐犯の素質もあったのね?」
「素直に褒めて?」
そうしたはずなのに、リコは大層不満げだった。
「それでねそれでね! そのモデルのサキちゃんが、すっごく綺麗なの!」
「おー、知ってる。でもリコちゃんも負けてないぞー?」
「えー、サキちゃんの勝ちだよー」
「がーん」
現在、チヒロちゃんの家族を探してフロアを移動中のあたしたち。
チヒロちゃんはあたしとリコの間に収まり、両手でぶら下がるみたいにしている。
つまり、両親と手をつなぐ子供、の図。
チヒロちゃんの手はぷにぷにしていて暖かく、ぎゅっと握りしめてくる様があたしたちへの信頼を現しているかのよう。
それを易々と成し遂げたのはもちろんリコで、チヒロちゃんは従来の明るさを取り戻したのか、矢継ぎ早に喋ること喋ること。
あたしは半分も対応できず、取りこぼしたことごとくをリコが拾い上げ、チヒロちゃんを不安に戻すこともない。
リコはいいお母さんになりそうね。隣にいるのが藤井さんとは限らないけど。
自然、そんな将来と、少しの反発が浮かぶ。
それとともに幻視したのは、あたしと幸人さんの間にいる子供の姿。
結婚の先に授かるであろう、子供という存在。
――そうか。結婚って、したらそれで終わりじゃないのか。
唐突に浮かぶそれ。
あたしはどうしてもそれをしたくって、それを逃げ場所と無意識に思っていたけれど。
そこは育む場所であって、腐る場所じゃないんだ。
「でねー、お兄ちゃんがほんとにだらしないったらないの!」
チヒロちゃんの声があたしに向き、考えは寸断された。反射的にあたしはそれに応じる。
「何が?」
「ミサちゃん聞いてた? チヒロのお兄ちゃんの話なの! お兄ちゃんの好きな人の話!」
「そんな事、そんな大声で言っていいの?」
「いいの! 少しはグチらせて!」
この年で愚痴なんて単語が出てくるなんて、小学生の社会もなかなかストレスがたまるみたいね。
「全然告白しないの! うじうじしてだらしないったら!」
「ほへー。ライバルが多いとか?」
あたしの対応力を見かねたのか、リコの質問が飛ぶ。いいのかしら、この話題、深掘りして。
「とんでもない美人さんなんだって! だからって、だらしないと思わない!?」
だらしないの連呼。小学生の語彙力と言えばそれまでだけれど、少しチヒロちゃんのお兄さんが可哀想になってくる。
「おおー、美人さんとな? どんな感じ? チヒロちゃんは見たことある?」
「チヒロ見たことない! えっと、でも」
勢いよくチヒロちゃんの首があたしへと向く。
「ミサちゃんみたいな髪型の同級生って言ってた!」
「ボブカット、ってことかしら」
「そう!」
要約すると、チヒロちゃんのお兄さんは好きな人がいて告白はできておらず、お相手はボブカットの同級生、と。
そこまで暴露してしまうお兄さんもどうかと思うけど、それを喧伝してしまうチヒロちゃんもどうかと思う。
あたしは深呼吸して、なるべく深刻にならないように喉の調子を整えた。
「という事は、チヒロちゃんは好きな男の子ができたら、すぐ告白する、ということね」
「え、ええ? それは恥ずかしいよお」
一転、もじもじするチヒロちゃん。その様は愛くるしい、というしかない、のだけれど。
「だったらお兄さんもそうなんじゃない? それを外からはやし立てる……ええと、騒いで大声で言うのはどうかと思うけれど?」
自分の事に置き換えてみたのか、難しい顔をするチヒロちゃん。理解半分、不満半分、という所だろうか。
なら仕方ない。自分の有名さに便乗したり、自分を「ちゃん」付けするとかちょっと恥ずかしいけれど。
「モデルのサキちゃんならそう言いそうじゃない?」
「そうね! イイ女はいちいちそんなこと言わないもんね! ちょっとしか言わないようにする!」
チヒロちゃんは瞬時に納得して、大きく頷いた。
見ると、リコが笑いをこらえていた。それに苦笑いを返して、チヒロちゃんとは繋いでいない方の肩をすくめる。
「いた、千紘!」
靴が床を鳴らす音と共に、後ろからそんな声が響いてきた。
それに振り向いたチヒロちゃんの表情が輝く。
「あ、お兄ちゃん!」
「お兄ちゃん、じゃないよ、もう」
よほど駆け回ったのか肩で息をしながら、ようやく歩けるといった足取りでこちらへ近づいて来る一人の男の子。
チヒロちゃんに、お兄ちゃん、と呼ばれた人物は白いシャツ、スラックスと言ったさわやかな格好で、それらが実際の歳よりずっと大人っぽく見せていた。
「あれ、田坂じゃん」
あたしも気づいたことを実際に口にしたのはリコだった。
そう、現れたのは同級生の田坂くんだった。
「あ、え? りゅ、竜禅寺さんと、八重垣さん?」
こちらがすぐに気づかなかったのと同様、田坂くんもあたしたちとは認識できていなかったようだった。
会う時はいつも制服で、今日はお互い私服だから当たり前とも言えた。
しばし呆然とする田坂くん。
と、次の瞬間、あたしを見る彼の頬がじわりと赤みを帯び、視線が少し泳いだ。
「お兄ちゃん、リコちゃんミサちゃんと知り合い?」
あたしたちの手を離して、とことこ、と田坂くんに近づいたチヒロちゃんが見上げて言う。
それで田坂くんは落ち着きを取り戻せたようだった。
「うん、ちょっとね」
田坂くんはあたしたちに向き直ってきっちり頭を下げた。
「ありがとう、竜禅寺さん、八重垣さん。妹のそばに居てくれたみたいで。ほら、千紘も」
「ありがとうございましたー!」
田坂くんに頭を下げさせられたチヒロちゃんは、元気にぺこりと一礼。
「いいえ、会えてよかったわ」
「その上で申し訳ないんだけど、後の予定が詰まってて。ろくにお礼もできないんだ」
言葉通りに表情を曇らせる田坂くんに、あたしはもちろん首を横に振る。
「気にしないで。チヒロちゃん、よかったわね」
「うん、よかったー! またね、リコちゃんミサちゃん!」
「まったねー」
「このお礼はいずれ必ず」
弾む声と、申し訳なさそうな表情は遠ざかって行った。
姿が見えなくなり、あたしたちはため息をついた。
「可愛かったねー、チヒロちゃん!」
「そうね。ちょっと個人情報を流出させすぎな気もするけれど」
「そこが可愛いんじゃん。でも、まさか田坂の妹ちゃんとは」
「世間は狭いってことね」
ありきたりな締めくくりをして、あたしは踵を返した。
「じゃあ、服選びに戻りましょうか」
「あいあい。この上だっけ」
忘れてはいなかったけど遠のいていた目的に、あたしたちは足を進めた。
そして、耐え切れなくなったのか、リコが口を開く。
「ねーミサ、チヒロちゃんが言ってた、お兄ちゃんが好きな人って」
「気づかないふりをするのがいい女よ、リコ」
「うっひゃカッコよー」
いいえ。
うまく言い表せない、飲み下せない感情にあたしが選択したのは、とりあえず蓋をすることだった、というだけの事。
――あたしはそれを、リコに説明する気にはなれなかった。




