ルミナスの軌跡
第一部 地下の残響
第一章 午前二時のハイエース
アスファルトを舐めるように滑るタイヤの音だけが、私の意識を現実につなぎとめていた。午前二時。眠りに落ちた東京を、事務所のくたびれたハイエースが走る。ルームミラーに映るのは、後部座席で互いにもたれかかり、人形のように眠る三人の少女たちの姿。リーダーとして常に気を張っているハルカ、ムードメーカーでありながら誰よりも脆いユイ、そして口数は少ないが、ステージにかける情熱は人一倍強いリナ。彼女たちが、私のすべてだ。
「LUMINA」。光を意味するその名前とは裏腹に、私たちが今いる場所は、光の当たらない地下の奥深く。今日のライブも、下北沢のライブハウスで行われた対バンイベントだった 。出演者は五組。持ち時間はわずか20分。フロアにいた観客は30人にも満たず、そのほとんどがお目当てのグループが終わるとスマートフォンに視線を落とすか、ドリンクカウンターへ向かってしまう。私たちのためにサイリウムを振ってくれたのは、いつも見かける数人だけ。それでも、彼女たちはステージの上で、まるで満員の武道館にいるかのように、全身全霊で歌い、踊った。
汗とヘアスプレーの匂いが充満する車内。後部座-席の足元には、衣装や小道具を詰め込んだプラスチックのコンテナが雑然と置かれている 。このハイエースは、私たちの移動手段であり、楽屋であり、倉庫であり、そして時々、仮眠室にもなる。それは、ステージという非日常と、生活という現実の狭間にある、私たちの唯一の城だった。
マネージャーになって三年。私は28歳になった。この仕事は、タレントのスケジュール管理から、現場でのサポート、営業、時には運転手まで、すべてをこなす必要がある 。特に、私たちのようなまだ名の知れないグループにとっては、私が唯一のスタッフだ。深夜までの仕事、不規則な生活、そして絶えずつきまとうプレッシャー 。疲れていないと言えば嘘になる。でも、ルームミラーに映る彼女たちの無防備な寝顔を見ると、不思議と力が湧いてくる。この子たちを、私が光の当たる場所へ連れて行かなくては。その一心だけで、私は今日もアクセルを踏み込む。
この車の中は、一種の聖域だ。ステージを降り、メイクを落とした彼女たちが、ただの10代の少女に戻れる場所。そして、そんな彼女たちを守る鎧を纏った私が、誰にも見せることのない不安や焦燥と一人で向き合う場所でもある。ハンドルを握る私の手には、彼女たちの人生の重みがずっしりとのしかかっている。この重圧こそが、私がこの仕事を選んだ証であり、逃げ出すことのできない責任そのものだった。
第二章 マネージャーの一日という名の戦場
私の朝は、アラームの音ではなく、鳴り響くバイブレーションから始まる。午前六時。枕元のスマートフォンが、今日のスケジュールを告げている。ベッドから這い出し、まずやることはメールのチェックと、メンバーへのリマインド連絡だ 。遅刻は、小さな綻びから業界全体の信用を失いかねない命取りになる 。
シャワーを浴び、コーヒーを流し込みながら、昨夜のライブの反省点と今日の営業戦略を頭の中で組み立てる。それが終わると、ハイエースを走らせて、彼女たちが共同生活を送る、都心から少し離れた手狭なアパートへ向かう。
「おはようございます!」
ドアを開けると、眠そうな目をこするユイと、すでにある程度の準備を終えたハルカ、そして静かにお茶を飲んでいるリナがいる。彼女たちを車に乗せ、まず向かうのはダンススタジオだ。今日のレッスンは三時間。歌とダンスのスキルアップは、今の彼女たちにとって最も重要な課題だ 。
彼女たちをスタジオに送り届けると、私の本当の戦いが始まる。スタジオの廊下で、次のライブハウスのブッキング担当者に電話をかける。出演料の交渉。数千円の値引きを勝ち取るために、頭を下げ、相手を持ち上げ、LUMINAの将来性を熱弁する 。電話を切ると、息つく間もなく近くのカフェへ駆け込む。ノートパソコンを開き、先日撮影した練習風景の動画編集に取り掛かる 。SNSでの発信は、今の私たちにとって数少ない武器の一つだ。テロップを入れ、効果音を加え、少しでも魅力的に見えるように工夫を凝らす。
あっという間に三時間が過ぎ、汗だくのメンバーをピックアップする。車内は、レッスンの反省会と化す。「今日の振付、難しすぎ!」「ハルカの歌、すごく安定してたね」。私は彼女たちの言葉に耳を傾け、時にはアドバイスをし、時にはただ共感する。精神的なケアも、マネージャーの重要な仕事なのだ 。
夕方、再びライブハウスへ。対バン形式のイベントだ。リハーサルの段取りをつけ、音響スタッフと打ち合わせをし、他のグループのマネージャーに挨拶回りをする 。開場時間になると、物販のテーブルに立ち、手作りのグッズとチェキ券を売る。ライブが始まれば、ステージ袖から彼女たちのパフォーマンスを見守り、曲の合間に水を渡し、次の曲の準備を確認する。それはまさに「戦争」と呼ぶにふさわしい目まぐるしさだ 。
この仕事の本質は、その責任の重さと、与えられた権限やリソースの圧倒的なギャップにあるのかもしれない。私はLUMINAの成功、メンバーの人生、そして事務所の収益という、途方もない責任を一身に背負っている 。しかし、私が持っている武器は、この古いハイエースと、なけなしの予算、そして「いつか売れる」という根拠のない確信だけ。この矛盾こそが、私のストレスの根源であり、同時に、この仕事のやりがいそのものなのかもしれない。不可能な任務を、限られた手札でどうにか成し遂げる。それが、私の日常だった。
第三章 はじめての握手
ライブの熱気が冷めやらぬフロアの片隅で、私たちは小さな奇跡を売っていた。長机を一つ置き、その向こうにハルカ、ユイ、リナが少し緊張した面持ちで並ぶ。ライブ後の「特典会」だ 。
「チェキ撮影、一枚1500円です! メンバーとのトークは一分間でお願いします!」
私はストップウォッチを片手に、列を整理し、お金を受け取る 。今日の列は、いつもより少しだけ長い。7人。私にとっては、希望の数字だ。
先頭に並ぶのは、いつも来てくれる大学生の男の子。彼は「おまいつ(お前、いつもいるな)」と呼ばれる、私たちの数少ない熱心なファンの一人だ 。彼は少し照れながらユイの前に立ち、ぎこちなくポーズをとる。ポラロイドカメラが光を放ち、世界に一枚だけの写真が生まれる。ユイがその写真にサインをしながら、楽しそうに彼と話している。
「今日のライブ、新しい髪型気づいてくれました?」
「もちろんです! すごく似合ってました!」
たった一分の、ささやかな会話。しかし、この一分間が、ファンとアイドルの間に特別な絆を生む。ステージの上では遠い存在である彼女たちが、すぐ目の前で自分のためだけに微笑み、自分の名前を呼んでくれる。この「接触」こそが、地下アイドルの生命線なのだ 。
私はその光景を、冷静な分析と温かい眼差しの両方で見つめていた。これはビジネスだ。時間を切り売りし、疑似的な親密さを提供する。しかし、そのやり取りの中に生まれる感情は、紛れもなく本物だ。ファンがアイドルに向ける純粋な好意。アイドルがファンから受け取る応援というエネルギー。この化学反応を最大化させることが、私の仕事だ。
一方で、一抹の不安もよぎる。ファンの中には、アイドルに本気で恋愛感情を抱く「ガチ恋」と呼ばれる層も存在する 。彼らの熱量はグループを支える大きな力になるが、一歩間違えれば、その想いは暴走し、アイドル自身を傷つける刃にもなりかねない。私は、ファン一人一人の表情や言葉の端々から、その危険な兆候を読み取ろうと神経を尖らせる。
7人目のファンとのチェキが終わり、特典会は終了した。今日の売り上げは、10500円。交通費とスタジオ代を考えれば、赤字だ。それでも、メンバーたちの顔には、ライブの疲労感と共に、確かな充実感が浮かんでいた。
「マネージャーさん、今日、私の名前を呼んでくれた人がいたんです」
リナが、興奮した様子で私に報告する。その瞳は、ライブ中よりもずっと輝いていた。そうだ、これなんだ。この小さな喜びの積み重ねが、いつか大きな光になると、私は信じている。私たちは、まだ地下の暗闇の中にいる。だが、確かに、一歩ずつ、光の方へ進んでいる。
第四章 デジタルの虚空
深夜の事務所。蛍光灯の白い光が、私の孤独を際立たせる。目の前のモニターには、LUMINAのSNSアカウントのアナリティクス画面が表示されている。フォロワー数、350。投稿への「いいね」、平均15件。その数字は、まるで広大なデジタルという宇宙に放り出された、ちっぽけな存在の悲鳴のようだった。
私たちは、やれることはすべてやっているはずだった。SNS活用の教本に書かれていることは、一通り試した 。
「世界観を統一する」——LUMINAのコンセプトである「都会の夜に差す、儚くも強い光」に合わせて、写真は青みがかったクールなトーンで統一した。
「継続が力」——毎日欠かさず、最低でも週に3回は投稿を続けた。練習風景、楽屋でのオフショット、メンバーが食べたランチの写真。ネタに困れば、今日の私服コーデを撮らせた。
「ハッシュタグを活用する」——#地下アイドル #ライブアイドル #LUMINA。思いつく限りの関連ワードを並べた。
しかし、現実は非情だ。私たちの声は、誰にも届いていない。投稿への反応は、ほとんどがあの「おまいつ」のファンたちから。新規のファンを獲得するという、本来の目的は果たせていなかった。まるで、壁に向かって叫んでいるような、虚しい感覚。
「どうすれば、見つけてもらえるんだろう……」
思わず、独り言が漏れる。このデジタルの世界では、努力だけではどうにもならない、残酷な「運」や「アルゴリズム」という名の神が存在する。私たちは、その神にまだ微笑みかけてもらえていない。
この無力感は、マネージャーとしての私の存在意義を揺るがす。メンバーは毎日、血の滲むような努力を続けている。彼女たちの才能を、努力を、世に知らしめるのが私の仕事のはずだ。なのに、何もできていない。この責任と現実の乖離が、鉛のように私の肩にのしかかる 。
私はモニターを睨みつけながら、唇を噛んだ。諦めるわけにはいかない。何か、何かきっかけが必要なんだ。ただ闇雲に叫ぶのではなく、人々の心を一瞬で掴むような、鋭い閃光のような何かを。
その「何か」が何なのか、まだ私にはわからなかった。ただ、このデジタルの虚空の向こう側に、必ず突破口があると信じるしかなかった。
第二部 一筋の光
第五章 奇跡のフレーム
その日は、いつもより少しだけ大きなライブハウスだった。対バンイベントのトリから二番目という、悪くない出番。フロアには100人ほどの客がいる。私は社長を説得し、この日のために一つの試みを導入していた。新曲披露中の1曲だけ、スマートフォンでの撮影を許可する「撮可タイム」だ 。他のグループが成功しているのを見て、私たちもやるべきだと強く進言したのだ。
新曲『モノクローム・シティ』が始まった。アップテンポなビートに、都会の孤独と希望を歌った切ないメロディが乗る。パフォーマンスは上々だ。ハルカの歌声は安定し、ユイのダンスはキレがある。そして、いつも表情が硬くなりがちなリナも、今日は集中しているのがわかった。
問題は、曲のクライマックス、リナのソロダンスパートだった。複雑なステップとターンが続く、この曲一番の難所。レッスンでは何度も失敗していた。私はステージ袖から、祈るような気持ちで見守っていた。
リナが舞う。一瞬、バランスを崩しかけたように見えた。私の心臓が跳ねる。だが、彼女は立て直した。最後のターンを完璧に決め、ぴたりとポーズをとる。その瞬間だった。
張り詰めていた緊張の糸が、ぷつりと切れたように。リナの口元に、ふっと、はにかんだような、安堵したような、混じり気のない本物の笑顔が浮かんだのだ。それは、計算されたアイドルの笑顔ではなかった。努力が報われた瞬間にだけ見せる、魂からの輝きだった。
その一瞬を、最前列にいた一人のファンが見逃さなかった。彼のスマートフォンのカメラが、その奇跡のフレームを捉えていた。
わずか15秒の動画。ファンはそれを、シンプルな言葉と共にTikTokに投稿した。
「この笑顔に一週間救われた。 #LUMINA #地下アイドル #モノクロームシティ」
完璧に作り込まれたパフォーマンスの世界で、時折こぼれ落ちる本物の感情の欠片。それこそが、人々の心を揺さぶる最も強力な通貨なのだ。計算された演出ではなく、予期せぬ瞬間に現れる人間性そのもの。この時、私はまだ知らなかった。このたった15秒の動画が、私たちの運命を根底から覆すことになるということを。それは、アルゴリズムという名の神が、私たちに初めて微笑みかけた瞬間だった。
第六章 アルゴリズムの祝福
翌朝、私の世界はスマートフォンのけたたましい振動音で始まった。普段は静かなLUMINAの公式アカウントへの通知が、鳴り止まない。何事かと画面を覗き込むと、そこには信じがたい光景が広がっていた。
昨夜ファンが投稿した、リナの笑顔のTikTok動画。再生回数が、50万回を超えている。
「え……?」
眠気は一瞬で吹き飛んだ。アドレナリンが全身を駆け巡る。私はベッドから飛び起き、震える指でコメント欄をスクロールした。
「この子誰!? 天使すぎ!」
「グループ名なんて読むの? ルミナス?」
「この笑顔のためなら何でもできる」
「曲もめっちゃいいじゃん」
コメントは、数秒ごとに増えていく。日本中から、いや、もしかしたら海外からも、無数の言葉が寄せられていた。動画はシェアされ、リミックスされ、デュエット機能で拡散されていく。今まで私たちが叫んでも届かなかったデジタルの虚空の向こう側から、巨大な波が押し寄せてきている。アルゴリズムが、私たちを選んだのだ 。
私はすぐにメンバーが住むアパートへ車を走らせた。ドアを開けると、三人もスマートフォンを囲んで騒然としていた。
「マネージャーさん、これ、何が起こってるの!?」
ユイが半泣きで叫ぶ。ハルカは呆然と画面を見つめ、当事者のリナは自分のことではないかのように、ただ戸惑っている。
「チャンスよ」
私は、自分でも驚くほど冷静な声で言った。「これは、千載一遇のチャンス。この波に、乗るの」
昨日までの無力感は消え去っていた。私の頭は、次に打つべき手、その次の手でいっぱいだった。データが、道を示している 。この熱狂を、一過性の「バズ」で終わらせてはいけない。これを、本物のムーブメントに変えるのだ。
第七章 炎に油を注げ
事務所に戻ると、私はすぐにメンバーを集め、緊急ミーティングを開いた。ホワイトボードに、走り書きで戦略を叩きつける。それは、成功したアイドルの事例を徹底的に分析し、今の私たちに合わせて最適化した、アグレッシブなSNS戦略だった 。
「いい? 今、一番大事なのはスピードと連携。この熱が冷めないうちに、畳み掛けるの」
私の言葉に、メンバーたちは固唾を飲んで頷いた。
プランA:TikTok
「まず、TikTok。バズの震源地よ。今日中に『#LUMINAスマイル』というハッシュタグで、公式のダンスチャレンジ動画を公開する。曲はもちろん『モノクローム・シティ』。ユイ、あなたの明るさが鍵よ。誰でも真似したくなるような、キャッチーな振り付けを考えて」
さらに、私は個人的な繋がりを使い、少しだけ名の知れた他のアイドルグループ数組に連絡を取った。「お願い、このチャレンジに参加してくれない?」と。持ちつ持たれつのこの業界、小さな貸し借りが大きな流れを生むことがある 。
プランB:YouTube
「次にYouTube。TikTokで興味を持ってくれた人たちが、次に訪れる場所はここ。彼らが満足できるコンテンツを用意する。今すぐスタジオを予約して、『モノクローム・シティ』のダンスプラクティス動画を撮影するわ。定点カメラで、一切編集なしのやつ。私たちの実力を見せつけるの。それと並行して、簡易的なミュージックビデオも作る。私が徹夜で編集する」
新しいファンに、グループの本格的なパフォーマンスを見せることで、一過性の興味を本物の「ファン」へと昇華させる狙いだ 。
プランC:Instagram
「そしてInstagram。ここは、ファンとの距離を縮める場所。ストーリーズ機能を使って、Q&Aや、この状況に対するメンバーのリアルな反応をどんどん上げていく。ハルカ、あなたの言葉で、ファンへの感謝を伝えて。リナ、あなたは今の気持ちを素直に話せばいい。飾らない言葉が、一番響くから」
完璧なアイドルではなく、私たちと同じように驚き、喜ぶ「生身の人間」としての側面を見せることで、親近感を醸成する戦略だ 。
私たちは、その日から眠る時間も惜しんで動き続けた。スタジオで汗を流し、カメラの前で笑い、スマートフォンの画面と向き合い続けた。その結果は、驚くべき速さで数字に現れた。
表1: LUMINA デジタル成長記録(バイラル前後比較)
指標
バイラル化前(週)
バイラル化後 1週目
バイラル化後 1ヶ月目
TikTok フォロワー数
350人
50,000人
250,000人
バイラル動画再生数
N/A
300万回
1,000万回
#LUMINAスマイル 再生数
N/A
800万回
5,000万回
YouTube チャンネル登録者数
120人
25,000人
150,000人
Instagram フォロワー数
410人
40,000人
200,000人
週あたりのファンレター/DM数
2-3通
50通以上
500通以上
ライブ出演オファー
0-1件(下位)
5件(前座)
2件
この表は、私が社長に提出したレポートの一部だ。数字は、雄弁だった。それはもはや、ただの「バズ」ではなかった。それは、ムーブメントの始まりを告げる、地鳴りのような響きだった。
第八章 はじめての「イエス」
変化は、デジタルの世界だけに留まらなかった。事務所の電話が、鳴り止まなくなったのだ。今までこちらから頭を下げて営業していたライブハウスから、逆に出演依頼が舞い込むようになった。小さなウェブメディアが、インタビューを申し込んでくる。しかし、それはまだ序章に過ぎなかった。
その電話が鳴ったのは、バイラル化からちょうど一ヶ月が経った、雨の日の午後だった。ディスプレイに表示されたのは、見慣れない市外局番。
「はい、株式会社スターライトエージェンシー、青木です」
「私、大手レコード会社『ネクストウェーブ・ミュージック』のプロデューサー、高橋と申します」
心臓が、大きく跳ねた。ネクストウェーブ・ミュージック。数々のトップアーティストを抱える、業界の巨人。
「LUMINAさん、拝見しました。ええ、TikTokで。素晴らしいですね。特に、あの一瞬の笑顔。我々は、ああいう『本物』を探しているんですよ」
高橋と名乗る男の声は、落ち着いていて、それでいて熱を帯びていた。彼は、私たちのSNS戦略、YouTubeでのパフォーマンス動画、そして何より、メンバー自身のポテンシャルを高く評価してくれていた。
「つきましては、一度お会いしてお話しできませんでしょうか。メジャーデビューを前提とした、お話です」
メジャーデビュー。
その言葉が、私の頭の中で何度も反響した。今まで、夢のまた夢だと思っていた言葉。地下のライブハウスで、数人の観客の前で歌っていた私たちが、全国のCDショップに自分たちのCDを並べる。テレビの音楽番組に出演する。その光景が、鮮明なイメージとなって脳裏に浮かんだ。
私は受話器を握りしめ、隣で息を殺してこちらを見つめるメンバーたちの顔を見た。ハルカ、ユイ、リナ。彼女たちの瞳には、不安と、期待と、そして確かな決意の色が浮かんでいた。
私たちは、もう地下の暗闇にはいない。光の差す場所への扉が、今、目の前で開かれようとしている。
私は、深く、深く息を吸い込んだ。そして、震える声を抑え、はっきりと告げた。
「はい。喜んでお受けいたします」
それは、私たちの運命を変える、初めての「イエス」だった。しかし、本当の戦いはここからだった。高橋プロデューサーとの打ち合わせは、私たちの甘い夢を打ち砕くものだった。契約内容は厳しく、デビュー後のコンセプトを巡っては、レコード会社の意向と、私たちが守りたいLUMINAらしさの間で、何度も激しい議論が交わされた。深夜まで続く会議室での議論。私は、メンバーたちの意見を代弁し、彼女たちの未来を守るために、必死で言葉を尽くした。このメジャーデビューは、決して幸運だけがもたらしたものではない。私たちが自らの手で掴み取り、守り抜くべき最初の戦果だったのだ。
第三部 王冠の重み
第九章 ウォー・ルーム
あれから二年。
「Aチーム、ヘアメイクあと5分でフィックス! Bチーム、ステージ衣装スタンバイ! 私だ、青木だ。上手袖の照明、3番のキューが早い! 修正しろ!」
ヘッドセットから飛ぶ私の声が、喧騒にかき消されそうになる。ここは、Zepp DiverCityのバックステージ。2500の客席は、LUMINAのペンライトの光で埋め尽くされている。かつてハイエース一台で全てをこなしていた日々が、遠い昔のようだ。今では、ヘアメイク、スタイリスト、舞台監督、照明、音響、十数人のプロフェッショナルたちが、私の指示で動いている 。
開演30分前。バックステージは、統制された「戦場」だ 。私はその司令官として、すべての戦況を把握し、的確な判断を下さなければならない。
「リナ、少し顔色が悪いわね。深呼吸して。大丈夫、あなたはできる」
「ユイ、ネックレスが曲がってる。スタイリスト、直してあげて」
「ハルカ、喉の調子は? 無理しないで。加湿器、もっと強く」
メンバーのコンディションチェック、衣装の最終確認、メディアからの急な取材依頼への対応、そして今日のライブで初披露する新曲の「撮可タイム」のアナウンスタイミングの最終調整 。やるべきことは無限にある。
かつての小さなライブハウスでの仕事とは、規模もプレッシャーも桁違いだ。一つのミスが、何千人もの期待を裏切り、何百万円もの損失に繋がる。だが、不思議と恐怖はない。この二年間の目まぐるしい日々が、私を鍛え上げた。あの頃の、手探りで暗闇を走るような不安はない。今は、確かな経験と知識に裏打ちされた自信がある。私は、LUMINAを輝かせるためのプロフェッショナルなのだ。
「開演5分前! 全員、ステージ袖に集合!」
私の号令で、メンバーたちが集まる。二年前とは比べ物にならないほど、自信に満ちた、プロの顔つきをしている。私たちは円陣を組む。
「LUMINA、ファイト!」
ハルカの掛け声に、全員が応える。客席から、割れんばかりの歓声が地鳴りのように響いてくる。その音を聞きながら、私は静かにヘッドセットのマイクをオンにした。
「ショータイムよ」
光の中へ向かう彼女たちの背中を見送りながら、私はこの王冠の重みを、改めて噛み締めていた。
第十章 望まぬスポットライト
最高のライブだった。鳴り止まないアンコール。ファンの満足げな顔。打ち上げで交わした祝杯。幸福感に満たされたまま眠りについた翌朝、私のスマートフォンが悲鳴をあげた。それは、成功の余韻を打ち砕く、悪夢の始まりだった。
SNSに、ユイの高校時代の写真が流出していた。当時の彼氏と、親密そうに写っているプリクラ。投稿主は、匿名の暴露アカウント。「清純派アイドルLUMINA・ユイの裏の顔」という、悪意に満ちた見出しがつけられていた 。
一瞬で血の気が引いた。私の仕事は、プロモーションからクライシス・マネジメント(危機管理)へと180度転換した 。まず、ユイ本人に連絡を取る。電話の向こうで、彼女はただ泣きじゃくっていた。
「落ち着いて、ユイ。大丈夫だから。私がなんとかする」
大丈夫なわけがない。だが、そう言うしかなかった。今の私の役割は、彼女たちを守る「人間の盾」になることだ 。事務所の社長と法務担当者を交え、緊急会議が開かれる。声明文の草稿を作る。事実関係の確認、謝罪の言葉選び、今後の活動について。一語一句に、細心の注意を払う。
ネット上では、すでに炎が燃え盛っていた。「裏切り者」「やっぱりアイドルなんてそんなもの」「幻滅した」。昨日まで彼女たちを「女神」と崇めていた人々が、手のひらを返したように石を投げつけてくる。ファン同士の言い争い、憶測、そして人格を否定するような誹謗中傷 。しかし、その嵐の中で、小さな光も見えた。ハッシュタグ「#WeBelieveInYui」が、一部のファンの間で自然発生的に広がり始めたのだ。古くからのファンたちが、過去のライブでのユイの真摯な姿や、ファンへの優しい言葉を引用し、「彼女はそんな子じゃない」と声を上げてくれていた。ハルカとリナも、それぞれのSNSで「雨の日は、一つの傘に入ればいい」「光は、強いほど影も濃くなるだけ」と、ユイを支えるメッセージを、LUMINAの歌詞を引用する形で投稿した。
私は、ユイに届くであろう全ての罵詈雑言を、自分の心で受け止める。彼女の代わりに怒り、彼女の代わりに傷つく。それが、マネージャーとしての私の覚悟だった。この嵐が過ぎ去るまで、私が防波堤になる。彼女たちが、再びステージで輝ける日が来るまで、この身を挺してでも守り抜く。それが、彼女たちをこの世界に引きずり込んだ、私の責任の取り方だった。
第十一章 ひび割れたプリズム
スキャンダルは、外部からの攻撃だけではなかった。成功は、私たちの内側にも、見えない亀裂を生んでいた。
きっかけは、次のシングルのパート割りだった。例のバイラル動画で注目を集めたリナに、ソロパートとセンターポジションが多く割り振られたのだ。それは、商業的な判断としては当然のことだった。しかし、その「当然」が、グループ内の繊細なバランスを崩した。
ダンスレッスンの休憩中、事件は起きた。
「どうして、いつもリナばっかりなの?」
そう切り出したのは、ユイだった。スキャンダルで精神的に不安定になっていることも影響しているのだろう。彼女の声には、焦りと嫉妬が滲んでいた。
「ユイ、そういう言い方は…」リーダーとして諌めようとするハルカも、その表情は硬い。彼女もまた、自分のポジションが脅かされていることに、不安を感じているのだ。
「でも、事実じゃない! 私たちだって、頑張ってるのに!」
「…ごめん」
リナが、消え入りそうな声で謝る。彼女は何も悪くない。ただ、自分の才能が、意図せずして仲間を傷つけている。その事実に、彼女自身が一番苦しんでいた。
空気が、凍りつく。かつて地下のハイエースで、一つの夢を共有していたはずの「家族」の絆が、ギシギシと音を立てていた 。
私は、レッスンを中断させた。そして、三人をスタジオの隅に座らせ、静かに語りかけた。
「思い出してみて。私たちが、何もないところからどうやってここまで来たのか」
私は、マネージャーとしてではなく、彼女たちと共に戦ってきた一人の仲間として話した 。初めての特典会で、お客さんが一人も来なかった日のこと。ハイエースの中で、将来の不安を語り合った夜のこと。リナの笑顔がバズった日、みんなで泣いて喜んだこと。
「リナの成功は、LUMINAの成功。ユイのスキャンダルは、LUMINAの試練。ハルカのリーダーシップがなければ、私たちはとっくにバラバラだった。誰か一人が欠けても、今のLUMINAはなかったの。あなたたちは、三人で一つの光なのよ」
私の言葉に、三人は俯いたまま、静かに涙を流していた。私がスタジオを出ていくと、しばらく重い沈黙が続いた後、最初に口を開いたのはリナだった。「センターのプレッシャーで、潰れそうだった。二人がいてくれるから、立ててるのに…ごめん」。その言葉に、ユイが顔を上げた。「私こそ、ごめん。焦ってた。置いていかれるのが怖くて…」。ハルカは、そんな二人をそっと抱きしめた。「大丈夫。私たちは三人でLUMINAだから」。彼女たちは、私の言葉ではなく、自らの言葉で、もう一度絆を取り戻したのだ。嫉妬、不安、焦り。それらは全て、成功という強い光が生み出した、濃い影だった。この影を乗り越えなければ、私たちは本当の意味でトップには立てない。
私の仕事は、スケジュールを管理し、仕事を獲得することだけではない。ひび割れてしまった彼女たちの心を、もう一度つなぎ合わせること。それもまた、マネージャーの、そしてこのグループの一員である私の、大切な役割なのだ。
第十二章 頂からの眺め
初の全国ツアー、その最終日。一万人の観客で埋まったアリーナが、静まり返っている。最後の曲が終わり、ステージに残されたのは、スポットライトを浴びるLUMINAの三人と、鳴り止まない拍手だけ。
私は、ステージ袖からその光景を見ていた。夢見ていた場所。いや、夢にさえ見ることができなかった場所だ。
ライブが終わり、興奮冷めやらぬファンたちが去っていく。巨大なアリーナに、少しずつ静寂が戻ってくる。後片付けをするスタッフたちの足音だけが響く中、私は一人、ステージの中央へと歩みを進めた。
客席を見渡す。数時間前まで、一万の光が揺れていた場所。今は、空っぽの椅子が無限に続いている。この景色を見るために、私たちは走ってきた。
「青木さん」
振り返ると、ステージ衣装から着替えた三人が立っていた。二年前、ハイエースの中で眠っていた少女たちの面影はない。彼女たちは、自信と輝きに満ちた、立派な若きスターだった。
でも、この静かな瞬間、彼女たちの瞳には、あの頃と同じ、素顔の輝きが宿っていた。
私たちは、何も言わなかった。ただ、互いの顔を見つめ、微笑み合った。言葉は、必要なかった。これまでの道のり、流した汗、こぼした涙、分かち合った喜び、そのすべてが、その沈黙の中に詰まっていた。
やがて、ハルカが静かに口を開いた。
「青木さん。私たち、ここまで来たね」
その一言に、すべてが集約されていた。
帰り道。私は、またハイエースのハンドルを握っていた。あの頃よりずっと新しくて、綺麗な車。でも、窓から見える東京の夜景は、あの頃と何も変わらない。
後部座席では、三人が静かに眠っている。私はルームミラーでその寝顔を見ながら、この数年間を反芻していた。失ったものも、たくさんあった。プライベートな時間、友人との付き合い、そして、平穏な日常。
でも、後悔はなかった。
この仕事は、他人の人生を背負うことだ 。彼女たちの輝きのために、自分を燃やすことだ。それは、時に重く、時に苦しい。けれど、このどうしようもないほどの疲労感の奥底にある、深く、静かな満足感。命を燃やして何かを成し遂げた者だけが知る、この感覚。
これがあるから、私はこの仕事を辞められない。
私の女の子たちが、私が作り出した光の中で、世界一美しく輝いている。その景色を見られるなら、私の人生は、それで充分だ。
ふと、眠っていたはずのユイが呟いた。「ねえ、次は、海外とか行ってみたいな」。それにリナが「いいね。私たちの音楽、どこまで届くかな」と応え、ハルカが「青木さんがいれば、どこへだって行けるよ」と笑った。
旅は、まだ終わらない。私たちは確かに、一つの目的地にたどり着いた。そして、その頂から、また新しい地平線が見えている。私は静かに微笑み、夜の高速道路を走り続けた。