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Chapter9:因縁と確執

 目当ての品々を購入した颯太と天華はペットショップを出たあと、その足で最寄りの駅へと歩みを進めていた。


 現時刻は自宅を出てから1時間を過ぎる、11時30分頃。駅とショッピングモールを繋ぐ連絡橋にはショッピングモールに吸い込まれていく人たちが多く、浮かべる表情は豊かで明るい。


 そんな買い物客の流れに逆い、颯太と天華は雑踏(ざっと)がこだまする構内へと入る。

 電光掲示板で利用する電車の発着時刻を確認すると、10分ほどの猶予があった。


 颯太はその隙間時間を利用して、実はキャットフード選びの途中から催していた尿意を取り払うべくトイレへ行くことを天華に伝えた。


 交通系ICカードを登録済みのスマホをかざし、改札を抜け、用を足しに男子トイレへと(かじ)を切る。その間、待たせるのも悪いので、天華には一足先にホームへと向かってもらう。

 一度天華と別れたあと、男子トイレの入口へと足を踏み入れたとき、


「おっと」


 タイミングを同じくして出てきたストライプ柄のフォーマルスーツを着用した中年男性と体と体がぶつかりそうになった。


 颯太は衝突する寸前で急ブレーキをかけたことで真正面からの衝突を回避し、中年男性もまた体を横にスライドさせる動作を取り、衝突は避けることができた。


 尿意に迫られていたとはいえ不注意だった。

 颯太は自らの非を詫びようと視界をあげる。


 中年男性の風采はスタイリッシュに仕事をこなしそうなビジネスマンだった。右手には艶のあるビジネスバックを持ち、左手首の袖先からは淡い輝きを主張するシルバー時計がちらついていた。これから商談にでもおもむくのだろうか。整髪料で髪もセットされて余念がない。


 颯太はそんなことを考えながら、中年男性に進路を譲り、改めて自らの不注意を詫びて軽く会釈をした。そのあとすぐに視線を上げると、中年男性はすでに視界から消えていた。振り向くと、トイレの出口からストライプ柄の背広が見切れる寸前だった。


 時間にして2、3秒の出来事。中年男性の姿はコンクリートの壁に見切れ、完全に見えなくなった。




 用を足したあと、乗り遅れるという失態を犯さないよう少し早足気味でホームへと続く階段を下る。

 天華の姿はすぐに見つかった。見つけやすさを考慮してホームの階段を降りたすぐ正面に立ってくれていた。


「……」


 問題は、熱心に彼女へと話しかけるスーツ姿の男性がいるということ。しかもそのスーツ姿の男性には見覚えがある。つい数分前に男子トイレの出入り口で入れ違いになったあの男性だった。


 5メートルほど距離があるため、会話の内容までは聞き取れない。わかるのは、男性が一方的に天華へと話しかけていること。


 打って代わって天華は男性の言葉に耳を傾ける様子はない。いや、それどころか目も合わせようとしない。どちらかというと、煙たがっているように見えた。


「ごめん、待たせた」


 颯太は残りの階段を下り、天華と男性の間に半ば割り込むよう形で天華に話しかけた。


「なんだね君は?」


 話の腰を折られた形となった男性は、急に割り込んできた邪魔者(颯太)を視界に収め、整えられた眉根を不快げに寄せる。


「僕は彼女の連れですけどなにか?」


 右手に握ったペットショップの紙袋をわずかに持ち上げてさり気なくアピールすると、中年男性の視線が颯太の右手を一瞥し、つま先から頭のてっぺんまでさっと這わせ、颯太の顔へと戻る。


「君が?」

「あ、友達と言ったほうがあなたには都合がよろしかったですか?」


 先回りして思わずこぼれたような男性の疑念を払拭しておく。


「……意外だな、天華ちゃんに君のような男友達がいるなんて」


 興味深かそうに呟き、再び値踏みするような視線がレンズ越しに颯太へと向けられる。猛禽類を想起させる鋭い眼差し。


「……僕の顔に何か付いてますか?」


 品定めされているような視線は向けられて気持ちの良いものではない。ましてや男に顔を見られて喜ぶような趣味も持ち合わせていない。


「あぁ、これは申し訳ない。職業柄、人の顔を注視してしまうものでね」

「職業柄?」

「天華ちゃんのお友達なら自己紹介しないわけにはいかないな」


 そう言って淀みない動作でスーツの懐へと右手を伸ばした中年男性が取り出したのは黒色のカードケース。かぽっと金具を外すタイプらしく、慣れた動作で一枚の紙を取り出し、


「名乗り遅れましたが、私はこういうものです」


 と慇懃な態度で差し出されたのは4号サイズの名刺。艶が抑えられたそれには当人の身分が記載されていた。


「芸能人プロダクション……社長秘書、金城隼人(きんじょうはやと)

「君も耳にした覚えがあるかもしれないけど、主に芸能界で活躍されるタレントの育成やマネジメント、プロモーションを行っている」

「はあ……」

「そして私は、天上天華さんのお母様ーーもとい、天上唯華(てんじょうゆいか)社長のもとで秘書をさせていただいて」

「金城さん」


 淀みなく自己紹介を口していく金城を不意に天華が遮った。そして、金城が次の言葉を発する前に天華が話を続ける。


「何度も言うように、私はあの人の元に戻るつもりはないわ」

「……」

「はい、終わり……って、そう言ったところで、あなたは性懲りもなく私の元に来るんだろうけど」

「……天華ちゃん」

「あと、その『天華ちゃん』と呼ぶのもやめて。背筋がぞっとするから」


 嫌悪を隠すことを厭わない棘のある言葉が、微笑みを湛える金城に容赦なく突き刺る。


「そ、それは申し訳なかったね。以後、気をつけるようにするよ」


 容赦の欠片すら感じさせないストレートな物言いが、大人の余裕を醸し出す金城の表情を今日はじめて綻ばせた。


「それでは」

「あっ、天華ちゃ……じゃなくて、天上さんっ」


 踵を返して目の前から立ち去ろうとする天華の背中に、癖で呼び慣れてしまったほうの呼び名をとっさに口するのを寸前でぐっと呑み込み、再び言い直してから、金城が天華を呼び止めた。


 天華は足を止め、半身で振り返る。アメジスト色の瞳が視線で「なに?」と語っていた。


「本当に帰ってくるつもりはないのかい? 社長も君のことを待っているんだよ?」


 促すような、説得を試みるような問いかけ。


「そう」


 しかし、返ってきた天華の対応は冷ややそのもの。取りつく島がない。彼女の警戒心の紐はなかなか緩まらない。

 一方、金城も引く姿勢を見せず、あくまでも天華に食い下がる。


「いい加減、意地を張るのはよしたらどうだい?」

「意地?」


 金城の発言を耳にした途端、天華の声色が変わった。 虎の尾を踏んでしまったかのような、ドラゴンの逆鱗に触れてしまったかのような、決して触れてはいけない、越えてはならならない一線を越えてしまったかのような雰囲気に、颯太はごくりと唾を飲み込んでいた。ほぼ、無意識に。


「私も社長から例の件は聞いているよ。不幸な事件だと思った。それと同時に社長にも100パーセント悪気があったわけでもないと私は思うんだ。社長は、本当に君のことを大事に思ってる。今日は偶然だったが、今まで私が会いに来きていることこそがそれを証明している、そう思わないかい?」

「あの人が私のことを大事に?」


 天華の失笑と同時にホーム中に音楽が流れはじめる。次の電車がやってくる合図だ。


「あの人は私を金の生る木としか見ていなかった。自分の名声を高めるための道具としてしか見ていなかった」

「そんなことは」

「金城さん」


 建物の切れ目の向こうから電車が見えた。快活に飛ばし、ホームが近づくにつれ甲高い走行音を響かせる。


「先ほど金城さんが私に会いに来ている事実こそが、あの人が私を大事に思っている証拠だとそうおっしゃいましたね」

「ああ」

「私はそうは思えなかった」


 天華のセミロングの黒髪が風に舞う。ホームに差し込む日差しが彼女の表情に暗い影を落とす。


「……その理由を聞いてもいいかな?」

「言いません。その答えがわからない以上、私はあの人の元に戻る気はない。そう、あの人にも伝えください」


 天華は事務的にそう言い切り、半ば無理やり話を終わせてしまった。そして次の瞬間には金城から視線を切りるように踵を返し、ホームへと停車を果たした電車の一番近い扉から車内へと乗り込み、乗客の一部となった。


 不意に訪れた静寂。


「また振られてしまったか」


 ぽつりとこぼれる金城の囁き。


 1列に折り目正しく並んだ乗客の列が車内へ吸い込まれていく。その光景を漠然と眺めながら、颯太も天華の後を追うため金城に背を向けた。


「な、君」


 数人の女の子たちが慌てて階段から下りてくる。部活帰りだろうか、見知らぬ部活動のジャージを着て、 颯太の前を通り過ぎ、「急げ急げ」と車内へと駆け込んでいく。


「実はさっきから気になっていたんだが、君のその手に持っているのは?」

「これですか? これはキャットフードですけど」

「キャットフードだって?」


 何も摩訶不思議なことは言っていないのに、レンズ越しに金城が目を見開いた。

 何もそんなに驚くことじゃない。金城の反応は明らかにオーバーだと思う。


「つかぬ事を聞くが、君は猫を飼っているのか?」

「そうだと言ったら、僕は怒られるんですか?」

「まさか、ただの確認さ」

「飼ってはないですよ。ただ訳あって、今、僕が預かっている感じですかね」

「……それに彼女も関わっているのか?」


彼女とはもちろん、天華のことだ。


「関わっている……と言ったら何か不都合でも?」

「……いや、何でもない。これ以上はよそう。呼び止め悪かった」


 電車の発車ベルがホーム中に響く。颯太はこちらを見つめる金城に軽く会釈し、今度こそ踵を返した。


 颯太が車内に足を踏み入れてすぐに電車の扉が閉っていく。扉が締まる直前、颯太が振り向くと、閉まりゆく扉の先のホームから金城は姿を消していた。

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