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Capture3:ようこそ、我が家へ

 子猫を拾った陸橋(りっきょう)から歩くこと約10分。


 小さな公園と小さな川を目の前に構えた一角に颯太が暮らすマンションは建っている。


 小さな公園には休日にもなると近所の子供が快活に駆け回る楽しげな姿が目立ち、活気に満ちた笑い声が起床を手助けしてくれる素敵なオプションまで付いてくる。


 引っ越してから1年が経過する今では耐性が付き、起こされることはなくなったのがひっそりとした自慢だったりする。


 5階建てのマンションのエントランスホールに入り、備つきのエレベーターに乗る。

 3階のボタンを押すとエレベーターは上昇し、颯太たちを上階へと運んでくれる。


 3階に着くまでの間、颯太は天華を横目にうかがう。天華は大事そうに子猫を抱きかかえてエレベータの扉をまっすぐ見据えていた。


 表情から大した変化はうかがえない。仮にも異性の、しかも1人暮らしの住まいに単身で乗り込もうとしているのだ。度胸があるというか、肝が座っていると思う。逆に言えば危機感が薄いとも言える。


 たしかに子猫のお世話をするという名目ではある。そう言い放ったのは天華自身だ。そうであるけど、普通、今日出会ったばかりの男の家に上がり込もうとは考えない。街頭アンケートの結果は目に見えている。いや、もしかすると天華にとって颯太は異性としてカウントされていないか。まさかそれ以下か……。


「なに?」


 少しじっと見過ぎていたせいか、こちらの視線に気づいた天華と視線がかちあった。よく見なくても長く上向いたまつ毛とその下から少し紫がかった大きな瞳が颯太を捉え、気を抜くと吸い込まれそうなる。


 気づかれてしまったらしょうがない。颯太は包み隠さず心情を吐露することにした。


「いや、なんか、平気そうだなって思ってさ」

「そう見える?」

「少なくても僕には」

「ふーん」


 天華は具体的に心情は語らず、颯太から視線を外して会話を終わらせてしまった。


 必然、次に訪れるのは沈黙。颯太自身、天華が何も言わない以上、変に追求することはしなかった。その彼女の言動が明確な答えを示しているような気がしたから。


 途中でエレベータが停止してしまうようなベタなアクシンデントに見舞われることもなく、2人とか一匹を乗せたエレベーターは3階に到着し、天華、颯太の順番でエレベータを降りる。


 そのあとは自然と颯太が先導する形で横長い廊下を進む。


 颯太が暮らす部屋は、エレベータを降りてすぐ右に曲がった先の一番奥の角部屋だ。番号は301。

 扉の前に到着すると鞄から取り出した鍵でがちゃがちゃと施錠し、扉の取手に手をかけ、


「ようこそ、我が家へ」


 と、颯太は天華と子猫を自宅へ招いた。


「……お邪魔します」


 開いた扉からおそるおそる玄関に足を踏み入れる天華の後に続き、颯太も玄関に入った。


 帰宅後、真っ先に施錠する派の颯太だが、今回は施錠しなかった。その方が、彼女にとっても色々と都合がいい。


 玄関で立ち尽くしている天華の脇で靴を脱ぎ、家主である颯太が先にフローリングの床を踏む。幸いも靴下は濡れておらず、玄関で靴下を脱ぐ手間はかけずに済みそうだ。


「天上さんってスリッパとか必要な人?」

「……いえ」

「よかった。じゃあ、そのまま入ってきてくれ」


 颯太は自宅でスリッパを履かない生粋の素足派である。


「……お邪魔します」


 入室を促す颯太の後に続き、ローファーを脱いでから天華は室内へと足を踏み入れた。育ちがいいのか、天華は脱いだローファーの踵をきちんと揃えていた。器用に子猫を右手で抱えて揃えたのだろう。


「あ、洗面所はすぐ右だから」

「ええ。あ、それとこの子も綺麗にしてあげたいんだけど」


 天華の両腕に抱えられた子猫の手足の先には砂や泥が付着していた。そのまま部屋の中を歩き回られるとあちこちに砂や泥が落ち、あとで颯太が泣く泣く掃除する羽目になる。


「助かる。風呂場を使ってくれ」

「桶みたいな容器はある?」

「桶?」


 言われてすぐに過去の記憶を蘇らせると、すぐにピンときた。普段、シャワーで済ますことが多いからその存在を忘れてしまっていた。


「あったな、確か。ちょい待って」


 天華を待たせてひとり洗面所へおもむき、洗面台の下に設けられた棚を漁ると、すぐに薄緑がかったプラスチック性の容器を発見した。


 未使用の桶を手に取り天華のもとへ引き返す。


「これでどう?」

「十分。ありがと」

「他に必要なものは?」


 問いつつ、天華に桶を手渡す。


「とりあえず、これで大丈夫ね」

「了解。あとこれ。一応、新品の」


 桶を取り出した際、一緒に取り出しておいた新品のタオルも合わせて手渡しておく。


「助かるわ」

「ういうい。よし、子猫を洗っているその間に僕は……って、子猫の飲み物って水でいいの? それともやっぱりミルク?」

「そうね……栄養のことを考えるとミルク、それも子猫用のミルクが適切ね」

「子猫用のミルクか、そんなのないな、普通に」

「ま、そうよね、普通」


 実は牛乳すら冷蔵庫に入っているかどうかも怪しいレベルだったりするのだが、別にそれは今言わなくてもいい気がして黙っておくことにした。


「じゃあ、水か、無難に」

「用意してもらえる?」

「合点承知の助」

「よろしく。それじゃあ、お風呂場、借りるから」

「お好きなように」


 子猫の身の回りのお世話は天華に任せた颯太はリビングに足を向けた。


 肩に引っ掛けていた鞄を入り口付近のフローリングに置き、その足でキッチンへと向かう。申し訳程度に備えてある食器棚から一枚の平皿を取り出して水道水を入れていく。


 量はとりあえず目分量。平皿の半分ほど。あんまり多く入れ過ぎても良くない気がした。


 子猫用の飲み水を用意し終えたあと、颯太はキッチンからぐるっとリビング一帯を見回す。そこには当然、普段見慣れた風景が広がっていて、


「少し、綺麗にしておくか……」


 普段から部屋は散らかさない気質だが、何となく、もう少しだけ体裁を整えたかった。


 少なくてもリビングの中央に配置されたソファの背もたれに脱ぎ捨てられた部屋着とボクサーパンツだけは目につかないところへ移動したほうが良さそうだ。


「いや、一周回ってこれはこれで……」


 男もの下着を見て羞恥で赤く色付く天華の表情を見てみたいと思うのは罪か。


 颯太はそんなことを真剣に考えながら、初対面である事実を思い出し、無駄に嫌われるようなことは避けようと、天華が戻ってくるまでの間、粛々(しゅくしゅく)とリビングの片付けを行うのだった。




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