Capture21:どうしてこうなった
どうして、こうなってしまったのだろうか。
時速60キロで走行する自動車の助手席に座り、右から左へと流れていく街並みを漠然と眺めながら、柳颯太は自分の置かれた状況について理解が追いつかずにいた。
「……」
お尻に優しい座り心地の良い座席。質の高い革張りのシートが背中を支えてくれる。
シックな黒を基調とした統一感のある内装は品格を生み出し、グローブボックス周りの広々とした足元の空間が窮屈さをまるで感じさせない。内装にまでこだわった、これぞ高級車。学生では絶対に手が届かない、財力を持つ者の証。
乗車していて実に気持ちがいい、気分が上がる……そのはずなのに、颯太はまったく浮かれた気分にはなれなかった。
颯太が助手席に座っているということは、もちろん、運転席には運転手が座っていることになる。
原因はその運転手にあった。
現実逃避の果てに、無意識に外へと向けていた視線を運転手側に向ける。間違いない。これで3回目になるが、背筋が伸びた姿勢で真っ直ぐ前を見つめる、少し前に知り合った少女の面影を感じる女性がハンドルを握っていた。
どうしてこうなったのか。事は実に単純で、唯華の前から天華が去ったあと、彼女は自室に籠ってしまい、颯太には手も足もでない状態になった。
唯華もいる手前、他人である颯太に出来ることはなく、ここは一先ず退散しようと唯華に申し出たところ、なぜか「送っていくわ」と言われてしまい、断りきれずに現在に至る。
数十分前のやり取りを思い出したあと、運転手——天上唯華から視線を切り、颯太はフロントガラスに向ける。視線の約30メートル先で信号機が黄色から赤色に切り替わる。
颯太を乗せた自動車は約20メートル手前から徐々にスピードを落としていくと、停止線の手前でぴたりで停車した。
駅からまだほど近い十字の交差点。信号機の奥の空はわずかなブルーを残し、そのほとんどを鮮やかなオレンジ色に染めている。そのオレンジ色をボディーに反射させながら、右から左、左から右へと行き交う多種多様な色と形状、大きさをした自動車たち。その脇の歩道を3人の子供たちが元気よく駆け抜け、その少し後にスーツ姿の男性が続き、その男性を自転車に乗った私服姿の若い女性が後方から追い越していく。
颯太の暮らす街は今日も今日とて変わらず平和。何も変わらない、見慣れた日常がボディーサイド1枚挟んだ先で当たり前のように送られている。送られているはずなのに、颯太だけは、その日常から全力で背を向けて抗っていた。
信号機が赤色から緑色に変わる。
走行レーンの先頭にいた唯華の運転する自動車がそれと同時に再び息を吹き返し、わずかな慣性を働かせてたあとに交差点の中央へと進入し、右折待ちの自動車を横目に交差点を抜けた。
見知った駅から自宅までの道のり。肌感覚で自宅のマンションまであと5分。
そのタイミングで、運転席に座る唯華が口を開いた。
「さっきは見苦しい姿を見せてしまったわね」
「……いえ」
「否定しなくてもいいわ。他人から見る親子喧嘩は見るに耐えない光景よ」
会話の内容に反して、天華の運転する自動車は片道一車線の道路を快活に進み、一つ信号機を越えていく。
「そういえば、私はまだ名乗っていなかったわね」
「天上さんのお母さんですよね? あと、名前も知っています。たしか、唯華……天上唯華、さん、ですよね?」
「驚いた……なんで知っているの?」
真っ直ぐ前を見ていた唯華の瞳が、一瞬、助手席に座る颯太を捉える。
けれど、すぐに前を向き直り、きちんと前方を見た安全運転を再開する。
「今日、駅のホームで小耳に挟んだんです」
「天華から? こう言っちゃあれだけれど、あの子の口から私の話題が出るとは思えない」
唯華の口から言い放たれた忌憚のない言葉。思い。本音。
娘から放たれる険悪なシグナルを、母親である唯華は逃さずキャッチしていたようだ。
「教えてくれたのは天上さん……天華さんではなく、金城さんって方です」
「金城が?」
「偶然、駅のホームで僕たちを見つけたそうで、声をかけてきたんです」
厳密には、天華を見かけて声をかけているところに颯太が割り込んだのだが、それは別に言わなくても問題はないので省くことにした。
「証拠もあります。名刺を手渡されのが財布の中にあります」
そう言って、左ズボンのポケットに入れていた折り畳み式の財布を取り出そうとしたところで、声だけで唯華に止められる。
「別に疑ってないからわざわざ見せなくてもいいわよ」
「信じてもらえてよかったです」
颯太は左ズボンのポケットに入れかけていた左手を抜き、元々あった太ももの上に落ち着かせた。
「金城には今日、急遽仕事で入り用になった物を買いに行ってもらっていたの。その時、偶然、あなたたちを……というより、天華のことを見つけて声をかけてしまったようね」
「そういえば、金城さんも「ここで会ったのは偶然だ」って言ってました」
「やっぱり、金城、あの子に疑われてたのね」
「それはもう、盛大に」
「あの子……天華は、私が芸能界に復帰させようと躍起になっていると思っているの」
「え? 違うんですか?」
意外だった。実は、颯太もそうだと思っていたから。
芸能界という世界は入れ替わりの激しいとても厳しい世界だ。
そこに幼い我が子を送り、同年代のライバルたちとオーディションで競い合い、数少ない役柄を取り合う。
合格を得るために、知識の乏しい子どもに「オーディションを受ける上で必要なこと」を教育するのは親の役目。
最低限の教養やマナー、無邪気の中に兼ね備える役柄にマッチさせた演技力……それらを自らの手で地道に教え、そして大成した天華を、誰よりも何よりも知っているからこそ、「もったいない」と感じているのは他ならぬ唯華自身であるはずだ。
「私より、金城の方があの子の復帰を望んでいるの」
「金城さんが?」
「そう。金城は天華の大ファンなの」
「まじか……」
「まあでも、うちのプロダクションも少しずつ名が知れてきたけれど、天華ほどのタレントを遊ばせておける余裕があるわけでもないのは実情。だから、結果的に、私も天華が復帰してくれることを望んでいるわ」
そんな話している間に、唯華の運転する自動車は住宅街を抜け、公園と小さな川を挟んだ向こう側に、見慣れたマンションが姿を現す。
「あれ、僕、道案内してない……」
「そうね」
「え、じゃあ、なんで……え、怖っ」
「それよりも柳くん、あなたに頼みたいことがあるんだけれど、いいかしら?」
「僕は健全な男子高校生なもんで、その怪しげな頼み事、お引き受けすることはちょっとできません」
「失礼ね。とても健全な頼み事よ」
「さっきの会話のあとだと誰も健全だとは思えませんって」
至極真っ当なツッコミを入れながら、颯太はマンションのエントランスに横付けされた自動車の存在に気づく。
そして、唯華の運転する自動車が近づいたのを機に、その自動車の運転席が開き、どこか既視感のあるスーツを身に纏った男性が姿を現した。




