Capture15:等価交換
天華が作ってくれた料理はお手製のカルボナーラだった。
そのクオリティは高く、自宅で作ったとは思えないほどの濃厚なクーリーミィな味わいと、口に入れた瞬間、鼻腔に広がる芳醇な香り、絶妙な茹で加減で仕上げられたパスタがそれらと相まり、颯太は1皿をぺろりと平らげてしまった。
そして現在、料理を作ってもらったせめてものお礼として、颯太が皿洗いに勤しみ、今、皿洗いを終えて、濡れた手をタオルで拭いたあとにリビングへと赴く。
リビングのソファーには、すやすやと眠る子猫、それをその横に座って眺める天華ーーという、平和な空間が颯太の前に広がっていた。
「よく、眠ってるな」
颯太は天華の後ろから横顔が見える辺りまで移動しながら、なるべく声のボリュームを抑えて話しかける。
「まだまだ育ち盛りだもの」
子猫を眺める天華の瞳は温もりに満ち、その声には慈愛がこもっているような気がした。
「というか、猫って大人になっても寝てるイメージあるよな」
「成猫でも睡眠時間は10〜16時間だそうよ。子猫だと、そうね、だいたい20時間ほどくらいかしら。だから逆に、この子はもっと睡眠を取らないと」
猫の語源は、「寝子」からきたという説もあるほど、猫はよく眠る生き物である。だから、子猫が今、颯太の家のソファーで爆睡をしているのは正常で、子猫がすくすくと成長して上でのあるべき姿なのだ。
生物が成長していく過程で、睡眠はどの生物にも必要な要素なんだと、颯太が改めて納得ていると、
「座らないの?」
と天華が不意に尋ねてきた。
反射的に彼女を見ると、その視線は子猫に向けられたまま。どうやら、声だけで尋ねてきたらしい。
颯太は数回瞬きを挟んだあと、
「僕、座っていいの?」
と、思わずといった具合で尋ねた。まさかそんな言葉をかけてもらえるとは思っていなかったのだ。
一方、天華は子猫から颯太へと視線を移し、軽く息をこぼしてから続ける。
「ここ、君の家でしょ」
「あ、そうか」
「家主の君が、君の家をどのように使おうが、使わせてもらっている側の私にとやかく文句を言う資格はないわ」
天華は至極当然のこと口にしたと言わんばかりに、それだけ伝えてくると、再び子猫へと視線を戻す。
静寂が支配する中、颯太は、なにとはなしに軽くリビングを見まわし、そして再び天華に視線を向けあと、すっと足を動かし、「じゃ、お言葉に甘えて」と小さく呟いてから、人ひとり分ほど空け、天華の隣にゆっくりと腰を下ろした。
颯太の体重が加わり、もう一段階ソファーが深く沈み込む。
「……」
「……」
土曜日のお昼過ぎ。
普段なら気楽に過ごしているはずの時間と空間。
しかし、なぜか今、颯太は昨日出会ったばかりの女の子、それも他校の美少女と自宅にいて、同じソファに肩を並べて座っている。
周囲には見慣れた空間が広がっているはずなのに、隣に天華がいるだけで、どこか新鮮な風景に見えてくる。不思議な感覚。今まで経験したことがない尺度の世界。はっきり言って、何をどうしたらいいかよくわからない。
「ねえ」
颯太が自分に備わっていない感覚を実感し、少し戸惑っていると、静まり返ったリビングの空気を天華の声が震わせた。
「ん?」
追って、颯太の声がリビングに溶けては消えていく。
「柳くんは、気にならないの?」
天華の視線は相変わらず子猫を捉えたままだった。颯太に視線を向けずに疑問を呈する。加えて天華の言葉には、肝心な『なにが』が抜けてしまっていた。
「まあ、気になってるな、割と、ちゃんと」
幸いなことに、颯太には彼女が何を言いたいのかすぐにピンときた。というか、まさか天華からその話題について振ってくるとは思わず、若干、唖然としてしまった。
それでも、すぐに気持ちを落ち着かせ、颯太は天華の方はあえて見ずに、漠然とリビングの白い壁を眺めたまま、彼女の調子に合わせ言葉を紡ぐことが出来たと思う。
「じゃあ、なんで聞かないの? 私に気を遣ったの?」
「……まあ、人には人の事情があるからさ、無理に聞くのは、なんか、お門違いかなって」
「柳くんが一人暮らしをしているみたいに?」
「そうそう」
颯太は大きく首を縦に振り、天華のたとえに、何でもないように、軽い調子で頷いてみせた。
「どうして一人暮らしをしているの?」
「えー、それ、さっきの流れから聞いちゃうかなー?」
話の流れから、ここは踏み込まないところだと思う。リビングの壁を眺めながら、颯太は表情にあいまいな苦笑を浮かべるしかなかった。
「なら、等価交換しましょう」
「等価交換?」
予想外の提案を受け、颯太は天華に視線を向けると、天華もまたアメジストの瞳で颯太を捉えていた。
「そ。君のこと、教えてくれたら、私のことも、教えてあげる」
なんとも魅力的な提案だった。数秒の間を空けたあと、颯太は眉根を寄せて曖昧な笑みを浮かべて口を開く。
「……別に、僕の話なんて面白くないよ?」
「それを決めるのは私。それに、別に面白さなんて最初から求めてないから」
だからーーそう、彼女は続け、その表情に淡い微笑を湛えて言う。
「これは、等価交換なの」
「ははっ、天上さんは、手厳しいなー」
でも、まあ、それもまた、一興か。
軽く苦笑を浮かべたあと、再びリビングの壁に視線を戻した颯太の目は、壁のさらに先の先をすっと見据えたのだった。




