Capture10:モテる男はつらい
颯太と天華が買い物から颯太の暮らすマンションに戻ってきたのは自宅を出て2時間後のことだった。
電車に揺られるときでも、駅から自宅に戻る道中でも、2人の間に会話らしい会話は繰り広げられず、淡々と自宅を目指して足を進めてきた。
もちろん、あのホームで知ることになった天華に関する驚愕の経歴が気にならないと言えば嘘になる。幼い頃にテレビに出演していたり、母親が芸能プロダクションの社長を勤めていたり、普通、気にならないわけがない。
情報を扱う人たちにとってはまさに垂涎のネタだろう。人によってお金を支払ってでもいいから聞き出したいと交渉を持ち掛けてくるかもしれない。子猫のキャットフード選びを手伝ってくれた店員さんの食いつき具合を加味するとあながち的外れではないと思う。颯太が考える以上に、この世の中には天上天華という少女について知っている人が、あるいは知りたがっている人が一定数存在するのかもしれない。
そんなことをあれこれ考えていると、見慣れたマンションはすぐ目の前だった。
いつも流れでエントランスホールを抜け、エレベーターで3階まで上がる。エレベータを出て、廊下を少し歩けば301号室に到着した。
玄関の取手に手を掛けて室内に足を踏み入れると、
「にゃ〜」
とリビングの方から子猫が颯太たちをお出迎えに来てくれた。
少し遅れて、
「お、やっぱり帰ってきたな」
と留守番を任されてくれた風磨がやってくる。
「留守番サンキュ。って、やっぱり?」
まるで颯太たちが帰ってくるのを予知していたかのような言い方。
「颯太たちが玄関を開ける10秒前くらいだったかな、急に子猫が玄関のほうに向かったんだよ」
「ほお〜、名探偵顔負けの推理力だな」
子猫の前ではかの有名な名探偵もたじたじと言っても過言ではない。いや、それは過言か。
「まだこんなに小さいけど、ちゃんと猫してるよな」
「えらいわ」
颯太と風磨が感心するかたわ、子猫を抱き寄せながら天華がべたべたに褒めはじめた。
「こっちもすごいな」
「ああ、確かにすごい」
美少女と子猫のマリアージュ。単一でも絵になるというのに、2つが掛け合わされるとその威力は2倍マシだ。混ぜるな危険。いや、どんどん混ぜるべきか。
「それで? ちゃんと買い物はできたのか?」
天華と子猫がスキンシップに勤しんでいるのをよそに風磨が尋ねてくる。ちゃっかりその目は天華と子猫を捉えているが。彼女がいようとも、それはそれ、これはこれということなのだろう。良いものは良い。この世の真理。言葉にしたら絶対に怒られるから絶対に言うことはできないけれど……。
「とりあえず今日と明日のご飯とトイレ、ついでにこいつも買ってきたぞ」
ごそごそと持っている買い物袋から颯太が取り出したのは、細長い棒の先端にもこもこが取り付けられたアイテム。
「猫じゃらしか」
イネ科の植物『エノコログサ』の別名であり、猫じゃらしという名称は、特に猫が好んで遊ぶことから名付けられている。
「いいだろう」
「いいな」
「やるか?」
「ぜひ」
何気なく提案したら即答されてしまった。しかし、風磨は子猫の世話と家の留守を一任してくれた功労者でもある。子猫と猫じゃらしで戯れる資格は十分に有していると思う。
「子猫と仲良く作戦はどうだったんだ?」
出かける前に風磨がそう息巻いていた。
「んー、まあ、努力はしたさ」
「まあ、努力は大事だわな」
「なあ、颯太。お前んとこの子猫、ほんとに人懐っこいタイプか?」
どこか訝しむような目で風磨が尋ねてくる。
「ん? どう見てもあれは人懐っこいだろ」
現在、子猫は前足の脇に手を差し込まれる、いわゆる高い高いをされ、『にゃぁ〜』と楽しげな鳴き声を上げながら天華と絶賛お戯れ中だ。
「そうか? でも俺、あんまし構ってもらえんかったけどな」
「まじか」
「おおまじだ」
口を尖らせ不満げな風磨が子猫と無邪気に戯れている天華を羨ましげに見つめる。
「あ、柳くん」
「ん?」
不意に名前を呼ばれて見ると、膝を曲げて颯太の中腰くらいの位置に顔がある天華が右手を伸ばしていた。
「それ、貸してもらっていい?」
「これ?」
颯太が右手に持っていた猫じゃらしを持ち上げて確認を取ると天華が首を縦に振る。一見、冷静さを保っているように見えて、アメジストのような瞳が、表情が、猫じゃらしを使った子猫とのスキンシップを期待してわくわくしてしている。
「悪い、風磨」
「いや、たぶん、これが正解なんだろう」
「実は僕もそう思っていたところだ」
颯太も男だ。どうせ見るなら目の保養になる方がありがたいのは嘘いつわざる本音だった。
天華に猫じゃらしを手渡し、子猫と美少女が戯れる光景を5分ほど堪能したのち、いつまでも玄関にいるのもなんだと、未だに子猫と戯れる天華は置いておき、荷物を持ってリビングへと向かう。
2歩ほど遅れて風磨がついてくる。
「そうだ、留守中の異常は?」
「まあ、ある程度は平和な時間を過ごさせてもらったよ」
「ある程度?」
逆にいえば、一時は何かあったとも解釈できる。
尻目で風磨の表情をうかがうと、なんとも言えない微苦笑を浮かべていた。
「トラブルか?」
「こっちのな」
こっち……つまり、風磨自身の問題。
「モテる男はつらいな」
「一応、颯太にも関係するぞ」
「まじか」
ダイニングテーブルに買い物袋を置き、颯太は思い当たるふしを当たると割とすぐに思いつき、表情を渋くした。
「……さてはお前の彼女だな」
「大当たり〜」
風磨が「おめでとう」と言わんばかりにぱちぱちと両手を叩いて言った。
「嬉しくないぞ」
来週の登校がますます憂鬱になる情報だ。
「1時間前に電話が来てな。いつ空くのってさ」
「……融通利かせてもらったんじゃないのか?」
「そのつもりだったんだけどな〜」
「あっちのほうが我慢できなくなったか」
「ま、そんな感じ。山内って愛が強くてな」
「束縛強めの間違いだろ」
「お、言うね。ま、そこが可愛くもあるんだけどな」
「山内さんもいい彼氏を持ったもんだ。僕が女子だったら羨ましくて発狂しているところだぞ」
「ヒステリック系女子か、ちょっと俺にはハードル高いんで固くお断りします」
「村瀬はハードルが高ければ高いほど燃えるタイプだろ?」
「さすがにジャンルによるだろって、お、それが買ってきた子猫用のご飯か」
「ウェットフードというらしい」
言いながら店員さん一押しのウェットフードを取り出し、ダイニングテーブルに置く。
「水分も豊富で栄養満点なんだってさ」
「へ〜」
天華からの受け売りを披露すると風磨が興味深そうにウェットフードを見ていた。
「これ、人間も食えるのかな?」
「いけ……るんじゃないのか? ペットフードだって人間が作ってるわけだし。試食とかしてるだろ、たぶん、きっと、メイビー」
「アバウトすぎて草」
「アバウトでいいんだよ。そんくらいの方が実は人生うまくいったりもする」
「なるほど、深いな、それ」
「だろ?」
「浅すぎるでしょ」
例の如く、颯太と風磨の会話に割って入ってきたのは子猫を腕に抱き抱えた天華。心底呆れたような表情で颯太を見ている。
「呆れた」
思うどころか声に出して言われてしまった。
「俺もそう思うぞ」
「手首が千切れるくらいの掌返しどうもありがとう」
こっちは呆れるどころか、その裏切りっぷりにいっそ清々しく思えた。
「どういたしまして」
「ずっと思っていることなんだけれど、あなたたちの会話って基本中身がないわよね」
「村瀬、言われてるぞ」
「颯太が言われてるんだぞ」
「両方に言っているんだけど」
「まじか」
「ありえん」
受け入れられない現実に颯太と風磨は顔を見合わせ、首を傾げると、外国人がよくするみたいに両手をあげた。
天華はそうやって息っぴたりにとぼける二人を相手するのを煩わしく思ったのか、呆れるようにため息をこぼしてそれ以上何も言おうとしなかった。どうやら完全に呆れられしまったようだ。
「……よし、そろそろお暇しますか」
凍りついた空気を「帰宅」という手段で風磨が強引に突破する。このビックウェーブに颯太は全力で乗ることにした。
「ありがと。ほんと助かった」
「俺も子猫ちゃんと戯れ……ることはあんまできなかったけど、まあ、見てるだけでも相当癒されたから全然問題なし」
「そう言ってもらえると助かる」
言いながら、連れ立って玄関に歩いていく途中、
「なあ、颯太」
と不意に風磨が振り返る。
振り返ったとき、浮かべた表情はどこか切なく、寂しげだった。
「子猫に名前つけないのはどうしてなんだ?」
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