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をかしきひと

作者: 九JACK

 あなたはとても、をかしな人だった。

 いつも笑みを湛えていて、表情のジャンルは「えがを」だけなのに、あなたはえがをだけでその豊かな感情の全てを表しきる。

 あなたはとても、をかしな人だった。


「何故、泣いているのですか?」

 あなたが初めて私にかけた声は、これだったわ。とても穏やかな声で、嘲りのない笑い声だったのを、よく覚えているの。

 そのとき私が泣いていたのは、前髪をばっさり切られたからだったわ。覚えているわよ。だってあなたは、私が顔を上げると、こう答えた。

「おや、何故この前髪が悲しいのでしょう? あなたの可憐で凛としたお顔立ちが、こんなにはっきり見られますのに」

 本当に、あなたという人は昔から、そういう気障なところがある人だった。

 貶してなんかないわ。貶すわけがない。私、とっても嬉しかったのよ。


 あなたはとても、をかしな人だった。

 少し古めかしいようでいて、ハイカラなファッションをしていたわね。時代の最先端を行くような、先鋭的な格好をしたかと思えば、「自分には早すぎた」とか仰って、紋付き袴を着るやうな人だった。そんなあなたがをかしくて、をかしくて、私は何度笑わされたことか。

 スカアトに見える腰巻きをつけていたときの服は、悪くなかったと思うのだけれどね。言っているうちに、楽しくなってしまったのかしら? あなたったら、ずうっと、「切腹じゃ! 切腹じゃ!」って白装束で走り回って。私は本気にしたんだから。

 ぜぇぜぇ追いかけて止めたと思ったら、懐刀は模造刀で、紙さえ切れぬ代物と仰いますではないですか! あのときばかりは洒落にならないと、本気で怒ったんですからね?

 まあ、そんなお道化の姿すら、全身全霊で演じるあなたを、私は好きでしたよ。

 そう、あなたはとても、をかしな人だった。


 あなたはとても、をかしな人だった。

 何かを嫌うことのない人だった。

 冬は寒くて嫌い、という私に「でも雪はきらきらしていて綺麗でしょう?」と諭したあなた。私はとても偏屈だから「雪は冷たくて嫌い」と返したの。ふふ、懐かしいでしょう?

 そうしたらあなた、「おっかさんの豚汁は好きかい?」って聞いてきて。おっかさんの作るものはなんでも大好きだったから、うんと頷くと、「おっかさんが豚汁をあったかくして待っててくれるのはな。冬が寒いから。雪が冷たいからなんですよ」とあなたは言った。

 でも、おっかさんは豚汁に限らず、味噌汁だの、煮物だの、お夕飯はいつだってあったかくして待っててくれる。それは冬でなくとも同じことだ。私がそんな疑問を口にすると、あなたは悪戯っぽい笑みになった。

「おっかさんは賢くてえらいですからね、冬の寒さに負けないように、冬の料理には、いつもより大がかりなおまじないをかけているんですよ。そのおまじないが、お嬢さんを風病から守ったりしているんです」

 ほうほう、と私は感心してしまったわ。今だからわかるけれど、体が温まるように生姜を多く入れたりだとか、冷めにくいように汁にとろみをつけたりだとか、そういう工夫よね?

 あと、一緒に話してくれた「冬に温かい食べ物がたくさん出回るのは、冬が寒いからだ」とか「冬が寒くないと食べられない美味しいものがたくさんあるのだ」とか言って、私の冬嫌いを和らげようとしてくれたの、とても良い思い出よ。でも、ふふっ、振り返ると、食べ物の話ばっかりね。

 あなたはとても、をかしな人だった。


 あなたはとても、をかしな人だった。

 あなたがえがをじゃないところを、あまり見たことがないだけで、えがを以外の表情を知らないわけじゃあないの。

 でもね、そう、それを見たのは、一度きりなの。

 一度きりなら、忘れてしまいそうじゃない? でも私、忘れなかったわ。

 ——忘れられなかった。

 紅葉の雨の中、佇むあなたを見たの。きっと、誰にも見られていないと思っていたんじゃないかしら? だから、えがをじゃなかったんだと思うわ、たぶん。

 でもね、えがをじゃなかったっていうのは、悲しい顔をしていたとか、そういうんじゃないの。紅葉の赤い雨、時折ひらひらと銀杏の金色が混じる中で、あなたは、

 息を飲むほど、綺麗な顔をしていたの。

 伏し目がちの瞼。整えられていないゆえにばさばさと濃ゆい睫毛が瞳の色を翳らせて、喜怒哀楽の偏りのない表情は、あなたが眉目秀麗な人間だったのだと、私に知らしめた。

 別に、あなたを不細工だなんて思ったことはないわ。けれど、改まって、顔の良さをしみじみと認識することもなかったから……吃驚してしまったのよ。

 それに、あのとき、紅葉の雨に晒されていたあなたの姿は、何か胸がかきむしられるようでね、そう、そこにあるのが桜だったなら「桜に浚われる」とでも形容したくなるやうな、そんな儚げな美しさがあったの。

 あまりの感動と美しさに、目尻に涙が滲んでしまって、逃げてしまったの。ごめんなさい。勿体ないことをしたわ。

 あのときのあなたとも、是非お話ししたかった。

 そう、あなたはとても、をかしな人だった。


 今、私が泣いているのを見たら、あなたはまた「何故」と聞いてくるのかしら。

 そうしたら、私は笑って答えて差し上げたい。

「あなたが二度とえがをを灯すことない冷たい骸となったからですわ」


 何故、こうなったのか、なんて、私の方が知りたいくらい。そういえば、あなたから便りがなくなって暫くが経つなあ、と思った頃に、偶々訃報を耳にしましたの。

 私に何も言わずにいってしまわれるなんて、薄情なお人……なんて思いましたがね、こうして振り返ると、思い出の数々はあれど、あなたも私も、互いの素性など、一切を把握しておらず、ただ容姿と記憶だけで関係を保っていたのでございますわ。をかしな話でございましょう?

 通夜の看板ではなく、あなたの口から、あなたの名前を聞きたかった。今年の冬はいっとう寒いから、覚えたてのおっかさんの豚汁をあなたに振る舞ってみせようかしらん、なんて夢見ていたのに。

 あなたはもういない。あなたはえがをにならない。

 あなたは私をたくさんえがをにしてくれたのに。

 ほんとうに、

 ほんとうに、そう、あなたはとても、をかしな人だった。


 私もとても、をかしな人だった。

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