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「エリス・ラース! お前を私の側妃に迎えてやろう!」
ラブとダフは、ここのところ毎日追いかけまわされているその声が、突然、自分たちの主人に向かって世迷言を言いだしたので、二人そろってポカンと口を開けた。
学園の第1学年であるはずのベルド王太子が、第3学年の教室にいるだけでも異質だというのに。衆人環視の元、とんでもない事を言いやがったので、咄嗟に対応ができなかった。
しかもベルド王太子は、無作法にもエリスを指さしてそんなことを叫んだのだ。それがジラーズ王国の求婚の作法なのかと、周囲はあまりの失礼さに眉をひそめていた。
言われた本人であるエリスは、僅かに青ざめて、それでも気丈に立っていた。気の弱い令嬢なら、気を失っていてもおかしくない。
「ま……あ、ベルド王太子殿下。突然、何のお話でしょうか……」
エリスはクラスでも大人しめの生徒だ。急に皆の注目を引く様な目に遭って、それだけで、もうどうしていいのか分からず、きょろきょろと不安そうに視線を泳がせている。クラスメイトから気の毒そうな視線を向けられるだけで、今にも泣きそうだった。
ベルドはその様子に、ふんと鼻をならして、馬鹿にしたように続けた。
「イジー子爵家の双子に、俺に仕えるように言っても、首を縦に振らない。理由を聞けば、既にお前に仕えているからだという。それならば、お前を俺の妃に迎えれば、双子は俺に仕える事が出来るだろう」
なんだ、その無茶苦茶な理論はと、話を聞いていた生徒たちは目を丸くする。これが一国の王太子の言う事なのかと、耳を疑う者までいる。それぐらい、ありえない事だった。
「あ、の、でも、わたくし。ラース侯爵家を継ぐようにと、父に言われておりますので。嫁ぐのは無理かと」
か細い声でぼそぼそと、エリスは呟く。ベルドは苛立たしそうにエリスを睨みつけた。
「一侯爵家の後継ぎなど、養子でも迎えれば事足りるであろう。そんなものよりも、俺の妃になれるのだぞ、名誉な事ではないか! だが、勘違いするなよ。俺が欲しいのは有能な従者だ。其方はあくまで、俺のお飾りの側妃でしかない。俺も側妃など迎えるのは不本意だが、イジー家の双子を召し抱えるには、こうするしかないのだからな。それが嫌なら、お前が命じて双子を俺の元に寄こせ」
その余りにも酷い言い草に、一瞬でベルドの人気は急降下した。王家が貴族家を軽んじるなど、他国の王族であっても聞き逃せることではない。
それを理解しているベルドの護衛が、必死にベルドを諫めようとするが、ベルドは全く聞く耳を持たなかった。
その時、ベルドの側近であるシルが、エリスたちの教室に駆け付けた。護衛の一人が、このままではまずいと、シルに知らせをやったのだ。
「ベルド殿下!」
いつもはベルドの側に静かに控えるだけの側近の、その怒気も露わな大声に、皆は思わず首をすくめた。いつも物静かなシルの声を聞いたのは、これが初めての者も多かったが、変声期もまだなのか、意外に高い声だった。
「貴方は! こんなところで何をしているのです!」
自分よりも頭二つ分も大きなベルドに掴みかかる様子は、まるで母が子を叱る姿の様だった。驚くベルドの腕を引き、小さな体で大柄のベルドをずるずると引きずっていく。
「ラース侯爵令嬢! ベルド殿下の御無礼、私が代わりに謝罪いたします。後日、正式にお詫びいたしますので、どうか、ご容赦くださいませ」
「何を言うか、シル! 俺は絶対に、イジー家の双子を手に入れてみせるぞ!」
喚くベルドを悪鬼のような顔で睨みつけ、シルはベルドを無理矢理、教室から連れ出した。護衛たちもシルを助け、ともにベルドを引きずっていく。これではどちらが主人か分からぬ有様だった。
「あれが、ジラーズ王国の王太子か……」
「あんなのが次の国王って、大丈夫なのか、あの国」
こそこそとクラスメイトが話し合う中、当のエリスは胸を抑え、フラフラと倒れそうになっているのを友人たちに支えられていた。
「エリス様。申し訳ありません」
「俺たちがもっとちゃんとお断りしていたら、こんな事には」
ラブとダフが泣きそうな顔でエリスに縋りつく。
ラブとダフは、ベルドなど怖くもなんともない、面倒な事になるのなら、あんな王子など、秘密裏に消してしまえばいいと高をくくっていたのだが。目立つことが嫌いなエリスに、これほど注目が集まるような事態を引き起こしてしまい、双子は自分たちの失態に狼狽えていた。
「貴方たち、どういうこと? ベルド王太子から、側近にと勧誘されていたのかしら?」
その時、エリスに寄り添っていたレイアが、ラブとダフを問いただす。
今やブレイン王太子の最有力婚約者候補としてみなされているレイアの影響力は、学園内でも高い。しかも最近は、交友関係を広げ、大人しい令嬢たちとも親し気に話す姿が好感を持たれており、だれもが一目を置いている。レイアならばこの事態を何とか解決できるのではと、皆が期待した目を向けた。
「は、はい。私に、愛妾として仕えるようにとお申出がありまして……」
「おれ、いえ、私には、ついでに護衛として雇ってやると。何度お断りしても、しつこくて」
ラブとダフが、弱々しくしょんぼりと答える。学園でも指折りの魔術師と騎士であり、優秀であるといわれている二人だが、まだ高等部1年生。美しくも幼さの残るその憔悴した顔に、エリスのクラスメイトたちは、ずきゅんと胸を打たれた。俄然、庇護欲を駆り立てられ、色めき立つ。
「愛妾ですって! なんて失礼な! いくらラブ様が子爵家の出だからと言って、あんまりだわ」
イジー家と同じ下級貴族の令嬢たちが悔し気に叫べば、ダフと同じく騎士を目指す男子生徒たちが、怒りを隠しもせずに怒鳴る。
「ついでに護衛って、なんだよ! ダフ様がどれだけ優れた剣士なのか、知らないのか?」
「その上、エリス嬢に側妃になれって。ラース侯爵家すら、軽んじているじゃないか」
クラスの雰囲気が、一気にベルド王太子に対して批判的になる。もはや収拾が付かない騒ぎになっていた。
「ラブ、ダフ……。ごめんなさい。そんな事になっていたなんて。わたくし、なんにも知らなくて。不甲斐ない主人ね……」
青ざめたエリスがほろりと涙を流すと、クラス中の同情が一気にエリスに集まる。皆でベルド殿下に抗議をしようとか、王家に掛け合ってジラーズ王国に直談判しようだとか、物騒な意見が飛び出るに至って、レイアがパンパンと手を叩き、騒ぎを治めた。
「皆様、お静まりになって。下手に騒ぎ立てては、ラース侯爵家とイジー子爵家の名に、傷がつきますわ。冷静に」
その静かだが圧のある声に、皆は自然と従い、不承不承、興奮を治めていく。
「今回の件は、私からブレイン殿下にご相談いたします。ですから皆様、どうか学園の生徒に恥じる様な行いは慎んでくださいませ」
特に、血気盛んな騎士志望の生徒たちを見据えて、レイアはきっぱりと言い聞かせる。頭に血が上っていた男子生徒たちも、レイアのその迫力に青ざめてコクコクと頷いている。
「あんな身勝手な事をおっしゃるなんて、酷いわ。エリス様には、好いた方がいらっしゃるのに」
「そうよ。ようやく、叶わないと思っていた恋が、実りそうだというのに」
「エリス様、しっかりなさって。きっとブレイン王太子殿下とレイア様が、良きように取り計らってくださいますわ」
エリスを支える仲の良い友人たちが、エリスを囲んで、ほろほろと涙をこぼしている。
兄の代わりに突然女当主として立つことになり、重圧に潰れそうになりながらも、想い人を心の支えにしているエリスの心を思うと、友人たちはエリスの降ってわいた災難を、嘆かずにはいられなかった。
◇◇◇
「素晴らしいご対応でしたわ。レイア様」
心労のあまり、倒れてしまった(事になっている)エリスは、ラース侯爵家の馬車が迎えに来るまではと、医務室に連れていかれた。
そこにレイアが顔を出すと、クスクスと笑うエリスと、悲壮な顔をした双子と、眉間に皺を刻んだ担任、シェリル・パーカーが待っていた。
「ご苦労だったな、レイア嬢。ブレイン殿下と王宮には、今回の件は報告済みだ」
シュリルがラース家の紋章のカードをひらひらさせて、苦笑する。レイアははぁっと深いため息を吐いた。
「あれで、よろしかったのでしょう?」
「ええ。とても威厳のある王太子妃でしたわ。レイア様」
「止めてよ。今でも心臓がバクバクしているわ」
あらかじめ打ち合わせていたわけではないが、ラース侯爵家を守るべく動くのは、未来の王太子妃として必要だとレイアはとっさに判断していた。皆を欺く罪悪感もあったのだが、何より、エリスの『弱々しい令嬢』の演技に笑いそうになるのを、必死に耐えるのが大変だった。
「『紋章の家』担当としては、初めてとは思えない素晴らしい働きだと思うぞ」
「なんですか、その担当。就任した覚えはございませんが」
シェリルの言葉に、レイアは目を瞠って反論する。
「俺もないぞ。ラース侯爵家に一度関わると、いつの間にか自然と担当に任命されているんだよなー、これが」
ヤケクソ気味にシュリルが笑うが、レイアは全く笑えなかった。将来、王太子妃になったら、こんな役目を日常茶飯事で担わなければならないのかと思うと、それだけで胃が痛くなる。
「それにしても。ベルド王太子は甘やかされたボンボンだと思っていたが、それ以上だったな。どうする、あんな大勢の目のあるところでの発言だと、誤魔化すことも出来ないぞ」
シュリルが苦々しく舌打ちした。エリスがジラーズ王国に嫁ぐなど、そんな事は万に一つもあり得ない。まず第一に、エリスほどの人材を他国に渡すなど、ロメオ王国が承知するはずがなく。第二以降の理由は、述べるまでもないだろう。狂犬執事がそんな愚行に黙っている筈はないだろうし、エリスの信奉者である魔法省副長官だってそうだ。エリスを守るためなら、あの馬鹿どもは、国を一つ潰すぐらい、何のためらいもなく簡単にやってのけるだろう。
「「申し訳ありません、エリス様」」
控えるラブとダフが、小さく縮こまって頭を下げる。元々、双子がベルド王太子に目を付けられたのが事の発端なのだ。
「ラブとダフは、悪くないわ。でも今度からは、なんでも事前に相談なさいね」
エリスの甘やかな叱責に、ダフとラブは「はいっ!」と素直に返事をする。子犬が主人の命に従っているようなその様子は大層可愛らしく、エリスは目を細めた。ハルに度々苦言を呈されているが、双子にはついつい甘くなってしまうのだ。
「今回の件は、学園内で治めるのは難しいかもしれないなぁ」
シュリルはうーんと悩まし気に唸る。ブレインが間に入り、ベルドを説得できればいいが。ベルドのあの、側近さえ振り切って強行していた様子から、それはかなり難しそうだ。
「ジラーズ王国の王太子殿下は、ロメオ王国預かりの留学生でしょう?」
にっこりと、エリスは微笑む。その笑みに、双子とシュリルとレイアは、ぞくりと背中が冷えた。
いつもの朗らかな笑みのようでいて、全く温度が感じられなかったからだ。
「それならば、ロメオ国王に責任を取っていただくのが、筋というものですわ」
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