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「何を考えていらっしゃるんですか! 殿下」
シルのいつもの説教がはじまり、俺はうんざりした。今日はいつも以上に怒っているようだ。
「なんだ? 何をそんなに怒っている?」
責める様な眼を向けられ、俺は考えるが、シルが激怒している理由が、全然思いつかない。
「この国で問題ばかり引き起こして、つい最近、私や兄から叱られたばかりですよね? それなのに、イジー家の双子に、あんな馬鹿な申出をして。どういうつもりです? 他国の侯爵家の優秀な人材を引き抜くような真似をして、正気ですか? しかも、愛妾? 正妃を決める前に、愛妾などと! 陛下にも許可をもらっていないのに、そんな事、勝手に決められる筈がありません」
シルにしては珍しく、長くしゃべっている。凄いなこいつ、こんなに長く喋れるんだ。
それにしても。俺は頬が緩むのを止められなかった。無表情で何を考えているか分からないコイツが、まさか……。
「ふっ。シル、お前、もしかして妬いているのか? 俺がお前以外の側近を召し抱えようとしているから」
俺の言葉に、図星だったのか、シルは絶句する。
なんだ、いつもはつんけんとしているくせに。結構、可愛い所もあるじゃないか。
「心配するな。俺の一番大事な……側近は、お前だ。愛妾の話も、ああ言っておけば、俺の申出も受けやすいだろうと思っての事だ。子爵家の子女と言う身分で、未来の王の愛妾など、破格の待遇だ。ああ、もちろん、本当の愛妾として迎えるつもりはないぞ。それぐらいの待遇を約束してやるという意味で……。後宮においても構わんが、手は出さん。俺は、惚れた女には一途な男なんだ。政治上、側妃や愛妾を迎えたとしても、情を交わす事は無い」
「……何を仰っているんですか。ロメオ王国はジラーズ王国にとって、最も大事な友好国なんですよ。陛下が第1王子を差し置いて即位できたのも、ロメオ国王の後押しがあってこそです。国内もまだ不安定なこの時期に、ロメオ王国に留学できただけでも僥倖なのに、余計な揉め事を起こすなど……」
なんだ、シルのやつ。俺の側近が増える事に妬いているのかと思ったら、また面倒な事を考えていたのか。ロメオ王国がジラーズ王国にとって大事なことぐらい分かっている。俺が王になった暁には、恩を倍にして返してやれば済むことだろうに。
「お前は本当に無駄な心配ばかりするな。俺はお前の負担を減らすためにも、有能な側近を集めたいんだ。ラース侯爵家のような、のし上がる意気地もない凡庸な貴族家に仕えるよりも、俺に仕えた方が、あの双子にとっても先行きは明るいだろう。イジー家は大層な忠義者と聞いているが、未来の王に仕える栄誉をみすみす捨てるはずがない。その内、イジー家の方から俺に仕えさせて欲しいと言ってくるだろうよ」
そう俺の予想を伝えると、シルは額に手を当てて俯いた。黒い針金みたいな短い髪を苛立たし気に搔きむしっている。シルの顔色がひどく悪い。なんだ、どうしたたんだ? もしや具合でも悪いのか?
「おいシル、どうした。具合でも……」
「……王太子たる貴方が下手な行動をとれば、ジラーズ王国の失態につながるのです。だから慎んでくださいと申し上げているのに。よりにもよって、ラース侯爵家のあの双子に声を掛けるなんて」
「何を言っているんだ。俺は生まれながらの王なんだぞ? 俺の側近になれるなら、喜んで承諾するに決まっているじゃないか」
「その根拠のない自信は、いったいどこから湧いてくるのですか? この国での殿下の評判、イマイチですよ?」
……前から思っていたが。こいつ、俺に対する遠慮がないのはいいのだが、ちょっと口が悪くないか? 普段はあまり喋らないくせに、どうして罵倒の時だけ、これほどポンポンと言葉が出てくるのだ。いつももう少し会話ができればいいのにと思っていたが、俺が望んでいたのは、こういう事じゃない。
「ベルド殿下が、イジー家の双子を従えるのは無理です。あの双子は、もうすでに主人を定めている。ロメオ王国の王太子の誘いすら断っているんですよ? 殿下の誘いにのる筈ないじゃないですか」
シルにロメオ王国の王太子と比べる様な事を言われて、俺は頭にカッと血が上った。
「それは、どういう事だ! あの苦労知らずに、俺が劣るというのか?」
安定した国に生まれ、何の苦労もせずに順風満帆に王太子となった男に、俺が劣ると?
確かにこの国の王太子には、優秀な側近が大勢いる。それはあいつの能力が上だというわけではなく、王太子の側近という立場に旨味があるからだ。
あの双子がロメオ王国の王太子の誘いに乗らないのは、あの男が上っ面ばかりよくて実力が伴わないと分かっているからだろう。
「どちらが劣るという話ではなくて。他人の側近を掠め取るような真似は止めてほしいという話をしているんです」
何を言っているんだ、こいつは。誰の為に、俺が早急に側近を選んでいると思っているんだ。
「……他に側近がいないと、お前がまた無理をするじゃないかっ!」
ロメオ王国に来る直前に起こった、忌まわしい事件。
俺の脳裏に蘇る、恐ろしい光景。
いつも以上に真っ白な顔のシル。血塗れの床。力なく崩れ落ちる、小さな身体。
あんな思いは、二度とごめんだった。シルが傷つくところなど、二度と見たくない。
「俺はもう二度と、お前が傷つくところは見たくない!」
俺の怒鳴り声に、シルは不満そうに口を閉じる。おい。何故そこで俺を睨むんだ。これだけお前の事を大事に思っている主人に、感動するべきじゃないか、そこは。
「ベルド殿下。私はそれほど頼りないでしょうか。私が自分の仕事を他人に押し付けて、のうのうと安全圏にいるような人間だと思っているんですか?」
「違う! お前は、よくやってくれている。俺はただ、お前の危険を減らそうと……!」
「私はベルド殿下の護衛兼側近なんですよ? 殿下は自分の危険を回避する事だけ考えていればいいんです。私の身は私が守ります。殿下の次に」
バッサリと切り捨てられて。俺は怒りで頭が沸騰しそうだった。
「俺は、お前の事を守りたいんだ!」
あの双子ほどの実力があれば、どんな敵が来たとしても、万が一にもシルが傷つく事はない。
シルが俺の側近を続けながら、その身を守るには、有能な盾が必要なのだ。そのためには、あの双子を手にいれる。これは絶対に譲れないことだ。
なにせあの双子は、おれがこれまで見た中で、最も美しく、しかも強い剣士と魔術師だ。頭も悪くない。
あんな目立つ二人がいれば、地味なシルへの注目は薄れるだろう。その分、シルの安全度が上がるはずだ。
「俺は、絶対に、イジー家の双子を手に入れて見せるからな!」
腹立たしい思いで、俺はシルを残して私室に戻った。他の護衛を連れているため、シルが追い掛けてくる事は無い。それにさらに、腹が立った。
私室に戻った俺は、考えを巡らせた。
イジー家の双子は、なかなか頷かない。俺の側近になりたくても、主家への恩義があるので、言い出せないのだろう。忠義が厚いのはいい事だが、仕えるのがあのラース侯爵家では、双子のせっかくの能力が無駄になるだろう。
どうしたら躊躇うことなく双子が俺の側近になるのか。あいつらが、ラース家の令嬢に仕えていなければ、こんなに面倒なことではなかったのだが。
……ラース家の令嬢か。
思いついた手は、名案だと思ったが。一つだけ、欠点がある。シルの要らぬ誤解を招く可能性があることだ。
「だが、これ以上に良い手はない。シルを泣かせることになるかもしれんが、きちんと説明すれば……」
ぶつぶつとあれこれ策を巡らせていた俺は、知る由もなかった。
「それほど、貴方にとって私は頼りない存在ですか、殿下……」
俺がいなくなった後、シルが泣きそうな声でそんなことを呟いていただなんて。
◇◇◇
「それは、……本当なのか、シル」
「残念ながら」
ジラーズ王国からの留学生であるベルドとシルは、ロメオ王宮で世話になっているため、側近のシルも立派過ぎる客室を宛がわれている。その一室で、シルとベルドの護衛隊長であるクリスト・バーコニーは、まるで葬式の最中のような暗い顔をしていた。
今回、ベルドの留学に当たり、クリストは国王より直々にベルドの護衛隊長の任を仰せつかった。
バーコニー伯爵家は、歴史は浅いが、ジラーズ国王の信の厚い臣下だ。唯一の子であるベルドの護衛を任せられていることからも、その信頼の厚さが図れる。
「正気なのか、ベルド殿下は? ロメオ王国は、ジラーズ王国にとって大恩ある国なんだぞ? なぜ問題ばかり起こすんだ」
バーゴニー伯爵家は、ジラーズ国王には忠誠を誓っているのだが、王の困った一人息子には、ほとほと手を焼いていた。隔離して育てられたせいか、ベルドはとても視野が狭い。警戒心が強い事はいいのだが、些細な諫言にすらすぐに激昂する。矜持も高く、人の意見を聞きやしないのだ。
「くそっ。あの馬鹿王子め。主人でなければぶん殴ってやりたい」
クリストは苛立たし気にがんっと机に拳を打ち付た。防音性の高い部屋なので、中の音は外に聞こえないだろうが、横で聞いていたシルは、主人への暴言が外へ漏れないかとヒヤリとした。
「ベルド殿下は、早急に有能な側近を手に入れたいと思っていらっしゃるようです。私では、頼りなく思われているのでしょう」
シルは悔し気に呟いた。シルという側近がいて、それでも他に有能な側近を求めるということは、つまりそういう事なのだろう。
「というよりは、お前をこれ以上危険な目に遭わせたくないと考えておられるのだろうな」
クリストの声がふっと和らぎ、大きな手が、シルの頭を撫でる。
「お前が毒に倒れた時の事が、ベルド殿下は相当、堪えていらっしゃるのだ。あの時、倒れるお前に近づこうとする殿下を止めるのは、大変だった。まぁ、気持ちは分からんでもないが」
「全く分かりませんよ。私が殿下をお守りするのは、当たり前ではありませんか!」
シルはカッとなって言い返した。ベルドだけでなく、クリストにまで、側近としての能力を侮られているような気がしたのだ。
「落ち着け、シル。お前ほど優秀な者を、侮る事などあるものか。ただベルド殿下は、お前の命を軽く考える様な、薄情な方ではないという事だ。どうしようもない困った方だが、部下を大事になさるのは良い事だ。方法はどうかと思うがな」
「それが、私に対する侮辱だというのです」
ムッと頑なに唇を尖らせるシルに、クリストは困った様に眉を下げた。
シルはベルド殿下の側近という仕事に、誇りをもっている。クリストから見れば、我儘で考えの足りない困った主人ではあるが、見捨てようと思った事は一度もない。
一度、主人に仕えると決めたからには、最後まで付き従えと。
それが、バーゴニー伯爵家の家訓であり、尊敬する父の教えでもあるのだから。
「ベルド殿下は、お前をそろそろ、本来の形に戻したいとお考えになられているのだろう。お前が身分を偽って、もう7年だ。ジラーズ王国も安定して、陛下も、そろそろ潮時だと考えられておられる。俺もちゃんと、お前を俺の大事な家族として戻してやりたいのだ」
シルはベルドの身を守るため、ジラーズ王国の第二王子の子飼いの部下であるバーゴニー伯爵家の一員であることを隠していた。バーゴニー伯爵家の者が側近につくなど、第二王子の身内の者以外ありえないからだ。シル・リッチという偽名を使い、幼い頃から家族から離れ、ベルドの元で過ごしていた。クリストは、シルの実の兄である。
「兄様は、私に、元の身分に戻れとおっしゃるのですか?」
「なんだ、不満か? 元の身分に戻ったとしても、お前はバーゴニー伯爵家の一員なのだ。殿下の側近としての立場は変わらない。それに、お前がそうしていられるのも、そろそろ限界だろう」
クリストの含みのある目に、シルはぷいと顔を逸らした。そんな子どもっぽい仕草は、決して主であるベルドには見せないものだ。
「……分かりました」
素直に頷いているが、その表情は晴れない。クリストは苦笑した。
「とにかく、ベルド殿下には俺からも言い聞かせておくが。シルも学園内では、殿下が馬鹿な事をしないように、よく見張っていてくれ。手に余るようならば、陛下から釘を刺していただくよう、親父にも知らせておこう。なによりも……」
ぐっと、クリストは声を潜めた。
「あのラース侯爵家の従者に手を出すのは、まずいからな。なんとしても、阻止せねば」
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