16
エリスに吹っ飛ばされ、地面に倒れガクガクと震えているベルドに、エリスはニコニコと近づいた。
火傷だらけのベルドに、いつもの覇気はない。辛うじて目は開いているが、エリスを見る目には恐怖が色濃かった。相当、怯えられている。
そんなベルドの精神状態など気にする事もなく。エリスはベルドの側にしゃがみ込んで楽しそうに話し始めた。
「ねえ、ベルド殿下。考えてみたのだけど。わたくしがこの決闘で負けたら、ベルド殿下の妃になるお約束でしたでしょう? だけど、わたくしが勝った場合のご褒美はどうなるのかしら? 殿下だけに利があるなんて、不公平ではなくて?」
エリスの言葉に、ベルドは怯えながら、恐る恐る視線を合わせた。これほど一方的な実力の差を思い知らされた後に出される条件だ。きっと碌なものではない。
「そうねぇ。わたくしも同じ条件にしようかしら。わたくしが勝ったら、ベルド殿下の大事な側近をいただくわ。そちらの、シルフィア嬢を。ふふふ。今は冴えない男装ですけど、可愛らしく着飾れば、素敵な令嬢になると思うの」
短い髪、男装のために体型を隠すためのダボダボな男性服で、全く女性に見えなかったシルだが、よく見ればとても可愛らしい顔立ちをしている。着飾ってやれば、すぐに男性の目を惹くようになるだろう。
「真面目で仕事熱心で、主人の為に髪まで切ってくれる忠義者。とても素敵だわ。もちろん、貰い受けるからには大事にするわよ。責任をもって、嫁入り先も世話をしますわ。よろしいでしょう?モテるでしょうねぇ。シルフィア嬢は。今まで男装をしていた分、ギャップというのかしら。そういうものに、殿方は弱いとお聞きしますからね」
エリスが、挑発するようにベルドに微笑めば。
ベルドの目に力が戻った。剣を握り、エリスへその切っ先を向ける。
シルが奪われる。その上、嫁入り先だと? 馬鹿な、そんな事、許せるわけがない。
「馬鹿な事を言うな! そんな事、認めるわけないだろう! シルは、俺の大事な、側近なのだぞ」
ギラギラとエリスを睨みつけ、ベルドは吼えた。当のシルは、成り行きについていけず、ぽかんとしている。
今までシルフィアはベルドの側近として生きてきた。それが今更、別の者に仕えよと言われても。簡単に受け入れられるものではない。
すぐに怒るし、横暴だし、思い込みは激しいけれど、ベルドには尊敬するところだって沢山あるのだ。シルフィアは、そんなベルドに付き従える自分を、誇りに思っている。
エリスは笑みを消して、ベルドへ冷ややかに吐き捨てた。
「あら。ご自分は滅茶苦茶な理由で決闘まで仕掛けて、わたくしの大事な子たちを奪おうとしたのに。わたくしにとってのラブとダフは、ベルド殿下のシルフィア嬢と同じぐらい、大事なものでしてよ?」
その時になって初めて、ベルドはダフとラブがエリスの大事な従者であることに思い至った。彼にとって代えの利く有能な駒でしかない双子は、エリスにとっては唯一無二の存在であることに。
「ああ、そうか……。でも、俺は、シルを、シルを守りたくてっ」
ベルドがシルを見つめ、躊躇う様に視線を逸らす。
観覧席にいたレイアは、ベルドの様子を見ていて、謎が解けたような気分になった。
そして同時に、ものすごく馬鹿馬鹿しい気分にも。
ベルドが側近をシルフィア以外に選ばなかった理由。もしこの理由が合っていたとしたら。
「え。嘘。馬鹿じゃないの」
「どうした、レイア嬢?」
思った事をそのまま口にしたレイアに、ブレインが気遣わし気に覗き込む。
「ブレイン殿下。ベルド殿下の側近が少なすぎる理由って、もしかしたら。シルフィア様に、将来有望な男性を、近づけたくなかったからじゃないでしょうか」
「え?」
レイアがあまりに突飛な事を言うので、ブレインは釣られて間抜けな声を上げた。
「どうやら、ベルド様は、シルフィア様を憎からず思っていらっしゃるご様子。ベルド殿下は、その、悋気をおこして、シルフィア様の周りから、恋敵を排除するために側近を増やさなかったのかと」
レイアのその予想は、意外な所から肯定された。
「御名答だ」
ジラーズ国王が、眉間に皺を刻んで、不機嫌そうに頷いている。
「あの愚息は、己の側近に懸想して、一丁前にシルフィアを囲い込んだのよ。再三、周囲から側近を増やせとい言われても耳を貸さなかったくせに、シルフィアが毒に倒れて、ようやくあの娘の負担の重さに気づいたのだ。元より王太子の側近の仕事が、一人で務まるわけがない」
第1王子派を降し、安定を取り戻しつつあるとはいえ、王位を巡る陰謀は無くなったわけではない。王位継承者であるベルドを守る盾が少ないという事は、その盾一つ一つの負荷が大きいという事に、ベルドはようやく気付いたのだという。
だから、慌てて有能な強い側近を求めた。愛しい女を守れるような、頑丈な、特別な盾を。それが、イジー家の双子だったのだ。美しく、有能で、主人に忠実な双子を。
男性であるダフをシルフィアに近づけてもいいのかと疑問が生じたが、あれほど主人に忠実なら、主人の想い人に手を出すことはないだろうと思ったのだろうと。
「ついでに、ラブ嬢を愛妾にすると言ったり、エリス嬢を妃にすると発言したのも、シルフィアに悋気を起こさせるつもりだったのだろう」
「まぁぁ。最低……。あら、失礼しました」
厳しい淑女教育を受けている筈のレイアが、うっかり本音を溢してしまった。それぐらい、酷い話だ。
ジラーズ国王は、「全般的に同意できる」と、ベルドへの不敬は見逃してくれた。
「他人のものを横から奪うのも、王ならば許されると思っている阿呆よ。そんな一方的に強いられた主従関係など、脆いものだという事に、気づいておらん」
「あー。もしかして。ベルド殿下が正妃にと言っていたのは」
ロメオ国王が、以前にベルドの言っていた正妃がシルフィアだということに気づく。
「……愚息は望んでいるようだな」
「とんでもございません! 私の娘が、その様な身分になれるわけがございません」
バーゴニー伯爵が、血相を変えて首を振る。娘が、ジラーズ王国の正妃など、分不相応すぎる。今は伯爵位を賜っているが、バーゴニー伯爵は、元は平民で、流れの傭兵にしか過ぎないのだ。ジラーズ王国の出身ですらない。
「余は身分や生まれなどは構わん。余の最も信頼できる部下の娘だからな。身分など、どうにもできる。シルフィア自身も能力が高く、妃としての資質は十分。ベルドには勿体ないぐらいよ。だが、果たして、シルフィアにその気持ちがあるのか……」
ジラーズ国王の言葉に、バーゴニー伯爵は絶句する。そこまで主人に言ってもらえるのは、臣下として嬉しいのだが。あの王子の嫁となると、娘がこの先、苦労するであろうことが容易に想像出来て、手放しで喜べなかった。
観覧席で恥ずかしい暴露が行われているとは露知らず、ベルドはズタボロになりながら、必死にエリスに対峙していた。
平凡な令嬢だと思っていた。こんな弱く大人しい女、王族であれば、いかように扱っても問題ないと。ラース侯爵家に決闘を申し込んだのだって、王族に本気で反抗する者がいるとは、思わなかったからだ。泣いて詫びてイジー家の双子を差し出すだろうと、たかをくくっていたのに。
それがどうして。こんな恐ろしい目に遭わなくてはならないのか。
ようやく王太子になって、シルを守れる力を持ったというのに。
凄絶な微笑みを浮かべ、鞭を構えるエリスに、ベルドは本能的な恐怖を感じて逃げ出したくなった。だがここで諦めれば、シルを奪われてしまうと、必死に耐えた。
エリスの鞭がベルドを襲う。炎を纏い、水を纏い、風を纏った鞭による一方的な蹂躙だったが、ベルドは唇をかみしめて耐えた。絶対に倒れる事などできなかった。
そしてエリスの方も、簡単にこの決闘を終わらせる気はないのか。致命的な怪我になる寸前に回復させ、更に攻撃するという、非情な事を繰り返していた。
その様はまるで女神。美しく残酷な神の化身。鞭が振るわれるたびに、様々な魔力の色が火花の様に散って、エリスを包み輝いている。
「あああ。どうしてあそこで鞭打たれているのが、私ではないのだ」
傍らの狂犬執事が、恍惚とした表情でエリスに酔いしれているのを気持ち悪く思いながら、エリフィスは目を細めてエリスに熱い視線を注ぐ。
鞭を奮うエリスは美しい。エリスの為の最高の武具を作り上げた自分が、誇らしかった。
2人の僕がうっとりと主人を見つめている事を気にもせず、エリスはベルドを鞭打ちながら嘲笑う。
「貴方は結局、ご自身では何もなさらないのね」
容赦なく鞭を奮うエリスは、憐れむようにベルドを見つめる。
「政敵から身を守るために姿を隠し、周りに守られて命を救われて。側近を自分勝手な理由で拒み、挙句、今度はシルフィア様を守るために、他人に仕える有能な人材を奪う」
クスクス笑うエリスが、小首を傾げた。
「男装する側近と王子様の、素敵な恋の物語かと思ったのですけど。そんな物語のヒーロー、応援したい気持ちに、貴方はなりまして?」
ぐさりと、身体ではなく心の痛い所を突かれ、ベルドの顔は羞恥に染まる。
エリスの言う通りだった。結局、ベルドは何もしていない。何も出来なかったのだ。
自分では何一つ成し遂げず。父の戦果のお零れで、流されるままに今の王太子の地位について。
毒で死ぬ所だったのを、愛する女に命がけで助けられ。
今度はその愛する女を守るために、身分をたてに他人から守りを掠め取ろうとしていた。
正論で諫めるブレインに、馬鹿な嫉妬と勝手な敵対心をもち、俺の方が大変だったと、辛かったと喚き散らして、劣等感を誤魔化していた。
そんな男に、誰が付いていくのかと。自分がなれるのは、精々、傀儡の王だろうと諦めていた。
でもシルは。シルフィアは。
こんな俺でも、いつか立派な王になると、俺の事を見捨てずに、いつだって側に居てくれたのだ。
だから絶対に、彼女を手放したくない。これからだって、ずっと側に居て欲しい。
その瞬間、目の前が白く染まり、ものすごい衝撃がベルドの全身を貫いた。全身からプスプスと薄い煙まで出ている。
「あら。通電性もいいのね」
バチバチと青白いものが、鞭にまとわりついている。
珍しい雷魔法の鞭で叩かれたのだと、ベルドは悟った。もう何が出て来ても驚かない。
生理的な涙とその他の液体を色々な所から垂れ流すベルドは、達観したような気持ちになっていた。
そんなベルドに、エリスは慈悲深い笑みを浮かべる。
「ふふふ。これほど面倒な事に巻き込まれたのですもの。簡単に倒れないでくださいませね? そうねぇ。最後まで倒れずにいらっしゃったら、決闘は引き分けにしてあげても、よろしくてよ?」
その悪魔のような提案を、ベルドは受けるしかなかった。
すべて自分が招いた結果だ。ここでもし、ベルドの負けが確定すれば。この悪魔の様な女に、シルフィアを奪われることになるのだ。愚かな主人のツケを、有能な側近であるシルフィアが払う事は、何としてでも避けなくてはならない。
今まで、楽ばかりして流されて、厄介事から逃げてきたのだ。
ここで、死ぬ気で踏ん張らなければ。
ベルドがフラつきながらも剣を構えるのを見て、エリスは嬉し気に微笑んだ。
「折角だから、この試作品の性能確認もさせていただきたいのよ」
そんなエリスの呟きは、鞭の猛攻に耐えるベルドの耳には、もちろん入らなかった。
◇◇◇
やがて満足したのか、エリスの試作品の耐久テストは無事終わった。
最後まで倒れずに立ち続けていたベルドは、テスト、いや、決闘終了と共にその場に倒れた。
王族に怪我をさせたとあっては一大事だが、エリスは証拠が残らない様に、ベルドの身体の傷を残らず治療しているので、身体的なダメージはないが、精神的なダメージは大きそうだ。
シルフィアが泣きながらベルドを介抱し、クリストが何とも言えぬ顔でその傍に付き添っていた。
一方、観覧席の客たちの興奮は、収まりそうにもなかった。
騎士団長とその息子は、エリスの鞭捌きの巧みさに感銘を受けていたし、魔術師団長とその息子は、鞭から繰り出される魔術について議論が尽きないようだ。
ロメオ国王は新たな魔道具かとワクワクしており、ジラーズ国王はエリスに大いに興味がそそられている様子だった。
貴人たちの給仕から解放された双子が、エリスの側でキラキラした眼で嬉しそうにまとわりつく。エリスが自分たちのために戦ってくれただけでも嬉しかったのに、鞭をもって戦うエリスは女神の様に美しかったのだ。もう絶対、一生ついていく。
蒼髪の魔法省副長官は、自分の作った魔道具がエリスの役に立ったとしんみりと感動しており、狂犬執事に至っては、何故か鼻血をたらして失神していた。
微妙な顔つきのレイアとブレインに、エリスは小首を傾げて呟く。
「ギリギリ、及第点かしら?」
もちろん、鞭の性能テストの事ではない。エリフィス作成の鞭は、エリスの厳しいテストに耐え抜いたのだから。十分な合格点だ。
「目的も手段も、相当アレだったけど。一応、シルフィア嬢を守るために、最後まで倒れなかったわけだし」
エリスの言葉に、レイアは目を吊り上げて否定する。
「落第よ!」
「あら、厳しい」
「エリス様は、恋愛が絡むと採点が甘くなるのだから! 相手が貴女じゃなかったら、横暴な王子が気弱な令嬢をお飾りの側妃にして、まんまと有能な側近を手に入れ、本命のヒロインとハッピーエンドだったのよ。物語としても最低じゃない」
辛辣なレイアに、エリスは思わず納得した。
「あら。それもそうね。でも、本命のヒロインはどうかしら。王子の愛を受け入れると思う?」
「私だったらお断りだけど……。長年一緒に居れば、愛は無くても情みたいなものがあるんじゃないのかしら」
恋愛感情はさっぱり分からないレイアは、ベルドとそれを介抱しているシルフィアの方をさり気なく見つめる。イイ感じで見つめ合っている二人に、周囲も素知らぬふりをしながら、がっつり聞き耳を立てていた。酔って寝ていた筈のラース侯爵すら、いつの間にか目を覚まして、ベルドとシルフィアに注目している。
「シルフィア。俺は、お前が、す、好きなんだ。この気持ちに偽りはない」
シルフィアの両手をがっしりと握り、ベルドは真っ赤な顔でシルフィアに告げた。
「え?」
「ずっと、好きだった。シルフィアが女性だと気付く前から好ましいとは思っていたが、女性だと知って、ますます大事にしたい気持ちが増した。どうか、俺の、妻に。正妃になってほしい」
シルフィアは何を言われたのか分からず、ぽかんとベルドを見つめていたが。
「ご、ご、ごめんなさい! ベルド殿下! 私、そういう相手として殿下のことを見た事はありません!」
「え? あ。いや、シルフィア? 身分など気にしないでいいんだ! そこは俺がなんとか」
「いえ! 無理です。そんな対象として見れないです。ベルド殿下は、出来の悪い、あ、いえ。手のかかる弟みたいなもので」
「……弟」
思いっ切り玉砕したベルドが、呆然自失している。
あれ程の鞭の猛攻に耐えたのに。
何度も何度も意識を飛ばしかけ、脳内にお花畑と綺麗な川の風景が見えたが、必死に踏みとどまって耐え続けていたのに。弟。
握られていた手をさり気なく抜いて、シルフィアは逃げる様にバーゴニー伯爵の元へ走っていった。心なしか、シルフィアを迎えたバーゴニー伯爵の表情がほっとしているように見える。
ただでさえ、幼い頃からベルドのお目付け役として、男に変装して働く娘が不憫だったのに、結婚となると一生、あのバカ王子の面倒を見なくてはいけなくなる。それはさすがに、影の役割としても、過酷過ぎるだろう。
残ったクリストが、ベルドの肩を力づける様に叩くが、ベルドは力なく何度も、「……弟」と呟いている。
「まぁ。そうよねぇ」
「アレはさすがにないものねぇ」
仲良く納得するエリスとレイアの容赦ない感想に、周囲の男性たちは、特に、王太子ブレインは、いたたまれない気持ちで、ベルドを見ない様にしていたのだった。
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